ロフト付きはおもしろい

ロフト大好きの71歳の老人の日記です

ファミコンをやったけどすぐに終わりました。

今週のお題「ゲームの思い出」

 

ファミコン

流行した頃

私は

三児の父親でした。

 

買いたくなかったのですが

友達がみんな持っているそうで

買ってしまいました。

 

私も

ファミコンをしました。

 

スーパーマリオです。

 

飛び跳ねるように進んで

ゴールに至るものですが

私はすぐに

ダメでした。

 

苦手というか下手というか

私には

向いていません。

 

私には

ファミコンのおもしろさがわからず

残念です。

 

 

ブログ小説「東大阪のお嬢さま『雪子』」その106

篠原君が
結婚して
子育てしていた頃
雪子は
仕事に
悪戦苦闘中でした。

秋月家は
代々晩婚です。

秋月家の
当主になる人は
適切な人でないと
秋月家を頼りにしている
一家郎党が
路頭に迷うことになります。

見極めるためにも
晩婚なのです。

そんな中
お祖父さんは
焦っていました。

代々晩婚ですから
お祖父さんの年齢は
80歳を超えていたのです。

最近は
気が弱くなって
早く
13代目の当主が
決まらないと
死ねないと
考えていたのです。

その頃の
秋月家は
お祖父さんが始めた
農機具を作る会社は
一時売り上げが激減しましたが
同業者が
次々とやめていったので
どうしても必要な
農機具の売り上げが
伸びたのです。

雪子の
父親が作った
プラスチックの会社は
順調でした。

今までの
プラスチックの製造器は
半自動で
取り出すのは
人間でしたが
この頃から
取り出し器がで始め
相当な経費を出して
新鋭機を購入しました。

新鋭機は
ほとんど
人手なしに
多量の製品が作れるのです。

そんな新鋭機は
プラスチックの会社の
未来に
暗雲をもたらすとは
この時
だれも考えていませんでした。

ゲームは勝ったことがない

今週のお題「ゲームの思い出」

 

ゲームには

いろんなものがあるでしょうね。

 

今週のお題のゲームは

電子ゲームの様ですので

私がした

電子ゲームについて

書いてみます。

 

はじめて

電子ゲームをしたのは

インベーダーゲームです。

 

たぶん

最初にしたのは

昭和54年6月頃

場所は神戸市役所近くの喫茶店です。

 

100円で

3回できるのですが

最初は

2秒

次は数秒

次もすぐに終わって

こんなものが

何故面白いのかと

思いました。

 

でも

一緒に来た同僚は

100円で

相当な時間遊んでいました。

 

普通ならそうなんですよね。

 

普通人が

面白く遊べないと

続きませんですよね。

 

それはうまく作っているようです。

 

私のような

へたな人間は

はなからしません。

 

こんなものに

上手でなくて

よかったです。

(多少やせ我慢です。)

ブログ小説「東大阪のお嬢さま『雪子』」その105


雪子が
薬剤師として
悪戦苦闘しているときに
篠原君は
お見合いをしていました。

篠原君の
母親は
事業を
篠原君に
引き継いでもらいたかったのです。

早く身を固めて
子孫を残して
事業承継を
スムーズに行うよう
考えていました。

篠原君は
雪子のことを
諦めきれませんでしたが
もう終わったことと
思うようにしました。

そう思うように
していたのです。

1回目の見合いは
断られて
2回目の見合いは
断りました。

3回目は
何故か
気があって
トントン拍子に
話が進んで
秋に結婚となりました。

すぐに
子供ができて
翌年にも
年子ができて
3年後には
篠原君が
2児の父親になりました。

可愛い
男の子と
女の子
それに
妻に囲まれて
すっかり
雪子のことは忘れました。

お星様お願いします

今週のお題「星に願いを」

 

星は

天高くあって

荘厳な感じを

私たちに与えます。

 

ミルキーウエイ;天の川が

見られるところに行けば

もう

空には

神さまが

おいでになるのではないかと

思ってしまいます。

 

弱い私は

なにかあると

やはり

お願いしてしまいます。

 

私は

門徒ですので

親鸞上人の

「迷信は信じてはいけない」と

教えに従いたいと

思うのですが

やはり

お星様に

お願いをしてしまいました。

 

自分のことは

おいて置いて

とても

私の力では

とうてい達成出来ない願いなら

願ってもいいのではないかと

思うんです。

 

願ってみます。

 

「天下太平」にお願いします

ブログ小説「東大阪のお嬢さま『雪子』」その104

朝ご飯を食べて
出勤です。

お祖父さんから
会社のことについては
何も言われないので
出社するしかありません。

出社と言っても
門を出たところですが
いつものように
店出しから始まります。

手の握力が
少しだけ付いて
店出しの困難は
少しだけ
和らいだように思いました。

労力のいる
仕事は
何とか克服できると
思いました。

しかし
もうひとつの
大きな困難が
あるのです。

その困難は
解決しがたいと
思いました。

その困難は
接客です。

薬局に勤めていると
いろんな事を聞かれたり
お願いされたり
するのです。

薬ついて
聞かれると
すぐには答えられません。

時間を頂ければ
答えられるかも知れないのですが
その場では
雪子の能力では
無理なのです。

きっと
雪子以外の人なら
わからなくても
うまく取り繕って
切り抜けるのでしょうが
その時は
雪子には無理だったのです。

ブログ小説「東大阪のお嬢さま『雪子』」その103

辛く長い数日が過ぎました。

4月2日になりました。

家で1番早起きの
使用人が
新聞を取ってきました。

お祖父さんは
地方版をまず見ました。

名前が
書いてあったのです。

当時は
現代と違って
個人情報云々と
言いませんので
薬剤師試験合格者名簿として
発表されていたのです。

新聞で
発表されることが知っていたので
その日は
雪子も
父親も
いつも寝坊の
母親も
起きていました。

「名前があった-」と
お祖父さんが叫ぶと
みんなが
万歳をしました。

家中
「よかった
よかった」と
声が上がりました。

登録すれば
薬剤師になれるのです。

仕事で
辛かったのですが
その時だけは
忘れていました。

これで
少しは
人生について
大丈夫になったと
思いました。