ロフト付きはおもしろい

ロフト大好きの68歳の老人の日記です

平成最後の夏は猛暑

今週のお題「#平成最後の夏」

 

夏は暑いのに決まっています。

 

67回目の

夏が来ました。

 

私は

ワガママな人間ですから

暑い夏・寒い冬は嫌いです。

 

でも

66回目までの夏は

何とか乗り越えていました。

 

今年の夏は

異常に暑い

エアコンのないところにいるのは

耐えられないです。

 

私の仕事は

屋外が主ですが

今までなら

何とかやり過ごしていたのですが

今年は違います。

 

孫には

屋内の仕事の職業を

選べるように

勉強することを

助言しました。

 

まだ生まれたてなので

理解しているかどうか

わかりません。

 

暑い中

屋外で

仕事をされている方

ご苦労様です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私のふるさとは園田です。

私のふるさとは

兵庫県尼崎市のなかにある

以前園田村と呼ばれたところです。

 

私が生まれた頃

1952年頃は

電気はありましたが

水道はありませんでした。

 

日本の原風景というか

田んぼが果てしなく続いていて

所々に

村(ちょっと前なら

大字何々という地名です)が

あるというところです。

 

春なら

春がすみが立ち

ヒバリが

空でさえずっています。

 

夏なら

汗を拭き拭き

稲穂の田んぼの中

草取りする

人達が

あちこち見られます。

 

秋なら

鎌で

稲を刈り取り

稲木に吊す風景が

 

冬なら

木枯らしの中

寒そうに

麦踏みをする情景が

 

そんなところが

私のふるさとです。

 

ふるさと園田の語源は

皇室に橘(ミカンに近いものです)を

献上する

荘園ー橘園の荘(きつえんのしょう)ー

があったことから

明治の初め

付けられた名前です。

 

橘園の

橘を取って立花村

園を取って園田村だったそうで

園田村の起源は

新しいのです。

 

古いのは

大字の方で

私の住んでいた

瓦宮は

河原の宮からきていて

お公家さんが

お住まいになっていたらしいのです。

 

字(昔の地名の最小単位)の名前に

蔵掛 宮裏 残っていて

私の住んでいたところは

蔵掛でたぶん鞍掛で

お馬さんを飼っていたのではないかと思います。

私の従兄弟の家は

宮裏にあったので

河原の宮の裏手だったのかも知れません。

 

瓦宮は

有馬道の沿っていて

交通の便が

良かったのかも知れません。

 

でも

私のふるさとは

園田ですが

今は

その風景はおろか

面影も

ありません。

インターネットのは最初はファックスモデム

今週のお題「わたしのインターネット歴」

 

今は

ワイファイが主流で

ファックスモデムって

インターネットどんな関係があるのか

まったくご存じない方が

大方でしょう。

 

今のパソコンに

電話線を差し込み口が

付いているものも

少なくなっているでしょうし

タブレットに付いているものを

見たことがありません。

 

パソコンから直接

ファックスするのではなくて

インターネットを通じて

ファックスをすることが多いことでしょう。

 

と言うわけで

ファックスモデムで

インターネットを知っている

私は

古いです。

 

 

 

 

ブログ小説「東大阪のお嬢さま『雪子』」その109

お祖父さんは
そのことは
雪子には言いませんでした。

花婿候補を
親類縁者・従業員・近隣住民の中から
選びました。

働き者で
それなりの学歴と財産を持つものです。

それに1番
雪子を
幸せにする者です。

お見合いをさせることにしたのですが
3人同時とは
いきません。

ひとりずつ
お見合いさせることにしました。

雪子は
乗り気ではありませんでした。

卒業以来
雪子は
覇気がありません。

ほとんど何もせずに
一日を過ごしていたのです。

お祖父さんの
言いつけですから
仕方なく
お見合いに行くことにしました。

家近くの
駅前のホテルが
お見合いの場所です。

双方
両親が
立ち会っていました。

ひとりめは
近隣住民の中から
選んだものでした。

東大卒で
イケメンです。

ホームセンター ホームズ尼崎店 はほぼ毎日行っています。

食べ物ではないので

ぐるなび様申し訳ございません。

 

食べ物には

特に興味はありません。

 

いろんな

変わったものを

作っている関係上

ホームセンターに

毎日のように

行っています。

 

今日も

行きました。

 

ポリカーボネート板の

波板を買いました。

 

ギフト券もらえれば嬉しいですが

無理ですよね。

 

あつかましいくてすみません。

ブログ小説「東大阪のお嬢さま『雪子』」その108

卒業して
3年が経った春
お祖父さんは
病気がちになりました。

もう
90歳を超えて
気丈な
お祖父さんも
早く
秋月家の
承継者を
見届けたいと
考えていました。

早く
雪子に
養子をもらいたいと思っていたのです。

雪子に
「好きな人は
いるのか」と
聞きましたが
答えませんでした。

職場と
家の往復しかしない
雪子に
男の影はありません。

お祖父さんは
雪子のところに
一度だけ
訪れていた
篠原君のことが
気になっていました。

探偵社を使って
調べさせました。

個人情報どうのこうのが
ない時代ですから
すぐに
篠原君の
ことはわかりました。

調査も簡単で
報告書は
二日後には
お祖父さんに
渡されました。

調査書には
結婚して
二児の父親になっていると
記載されていました。

モチベーションがないと動けないってどうなの?

今週のお題「わたしのモチベーションを上げるもの」

 

私の母は

13歳(数え歳で満年齢で言えば12歳)

の時から働いております。

 

まだまだ

大人の椅子に座ると

足が届かないほどの

子供だったのに

大人と同じように

働いていたそうです。

 

そんな母は

なにかの動機があって

働いたのでしょうか。

 

動機があろうがなかろうが

働かなければならないことは

ならないのです。

 

母は

死ぬまで

なんだかんだと

働いておりました。

 

私は

自営業で

宮仕えでないので

働くか働かないかは

私の判断です。

 

私は

仕事が遅いので

週5日で働く量を

週7日でしております。

 

ゆっくりです。

 

別に

動機などありません。

 

皆様も

動機がなくても

仕事を

しておられるのではないでしょうか。