ロフト付きはおもしろい

ロフト大好きの68歳の老人の日記です

ブログ小説「妖精の休日」全話

妖精を
テーマにした
ブログ小説は書いておりますが
その中に出てきた
「湖子(ここ)」を主人公にしております。

神さまの
お手伝いとしての
妖精ですが
その中で
湖子は
1番頼られる妖精です。

何千年も
休みなく
働いてきた湖子は
神さまに
休暇を与えられます。

と言うわけで
湖子は
胎児から休暇が始まります。

神さまは
湖子の助けになる様に
まだまだ新米の星子と
夫で
はじめて
人間から妖精になった
剛が
同行することになったという
筋書きです。

人間界に
使いとして
おいでになった
キリストをモデルにしています。


キリスト教を信じておられる方には
少し冒涜のように
思えるかも知れませんが
お許し下さい。



湖子星子剛の関係は 「妖精の認定テスト」をご覧下さい

あらすじ


神さまは
妖精の湖子を
もうひとつ
神さまにするために
人間界へ
修行に行かせました。

人間界に生まれて
人間として生活して
人間として死ぬためです。

湖子のおつきとして
新人の妖精星子と
人間からはじめて
妖精見習いになった剛も
人間界に送りました。

生まれてきた
湖子は
男の子として
人間界での
休暇と言うことで
過ごすことになります。

湖子の生まれた家は
大阪近郊の寒村にあって
農業で生計を立てて
慎ましやかな生活をしていました。

そんな赤貧の生活に
もっと悪いことが
次々と起こってしまったのです。

まだまだ働いていた
おじいさんが亡くなり
家族が
過労になってしまいます。

過労のためかも知れませんが
湖子の父親が
病気で倒れて
寝たきりとなってしまいます。

湖子が
助けることにもいかず
弥生は
事業をすることで
経済的難局を
乗り切ります。

湖子は成長し
薬剤師になるため
薬科大学に行くことになります。

薬科大学では
湖子は
勉強が面白くて
思わずがんばってしまいます。

その姿を見て
学年で一番可愛い
和己が湖子に
夢中になってしまいました。

突然湖子の家にも訪れ
母親の
弥生の
信頼得てしまいます。

弥生の
和己さんの家にも
挨拶するようにとの
助言で
湖子は
和己の家を訪れるのですが
「養子になれ」と
言われてしまって
ふたりは困ってしまいます。

大学での
研究の一貫で
ふたりは
台湾に出掛けて
その時に流れた
流れ星に
願いをかけてしまいました。

妖精の提案で
両方の家は
承諾することになります。

湖子は
行方不明の
和己の母親を
探すのを
星子と剛に頼みます。

母親は
妖精の力で見つかり
失踪した原因も
わかります。

そのことを
和己に話すと
会って話すのですが
それ以上の
発展はありません。

結婚式が
盛大に行われ
ふたりの生活は始まります。

幸せなふたりの生活は
幸せに続くのですが
作れば売れた
時代から
簡単には
売れなくなった時代へと
うつっていき
湖子たちは
奮戦することになります。

アイデアと
技術/努力で
何となく時代に
なじみながら
湖子は
生きていきます。

そんな中
ITの波が
湖子たちにもやってきます。

ホームページを作ったりして
新しいことに
湖子は挑戦していました

そんな中
父親の悟は
患い四十日で亡くなってしまいます。

そのことから
人間は死ぬことを
身をもって
自覚しました。

その反動で
今いる家族を
もっと大切にした生活が始まります。

湖子も
50を過ぎた頃
癌になってしまいました。




1
神さまは
何億年も
地球を見守っていて
少し疲れました。

いろんな出来事が
わんさかと
起こってしまって
てんてこ舞いになってしまっていたのです。

そこで
もうひとりというか
もうひとつというか
神さまを
作ることにしました。

最初から
作っていたんでは
間に合わないので
神さまのお手伝いをしている
妖精を
神さまにしようと考えました。

妖精の中で
1番古株で
1番信頼している
湖子を
神さまにすることにしたのです。

湖子は
能力は
既に
神さまの域に達していました。

でも
人間界から
はじめて
妖精になった剛を見ていると
人間の感情を
理解することも
大切だと
思ったのです。

そこで
湖子に
人間としての生活を
させることにしました。

湖子と
湖子を少しは助ける様にと
星子と剛を
神政庁に呼んで
次の様に
湖子に告げました。

「湖子
永く
永く
私の手助けをしてくれて
ありがとう

湖子に
休暇を与えます。

人間界で
その間過ごして下さい。

人間界にいる時には
魔法は使わず
過ごして下さい。

それから
休暇をするのは
湖子の四分の三で
残りの四分の一は
今まで通り
手伝って下さい。

それから
星子と剛を
一緒に」と
言われました。

湖子は
いつものように
「承知しました」と言って
人間界に
行ってしまいました。

2

星子と剛は
神さまの前に残ったままです。

星子は
だいたいのことはわかったのですが
剛は
要領をつかめません。

「休暇に付いていくってどういうことか

四分の一は今までの仕事とは

それから
休暇はどれくらいの時間」か
まったくわからないのですが
話は終わったので
ふたりは
星子の魔法で
サッと消えて
経理課へ行って
いつものように
経費を預かって
人間界に出発しました。

長い休暇と行っても
ズーッと
湖子がいなくなると
神政庁に
支障が生じます。

妖精の
長として
仕事もあるので
長時間は無理です。

そこで
時間を遡って
休暇を取るという
人間なら
考えられない方法を
取ります。

剛が生まれた頃に
まず行くのです。

湖子は
胎児の頃から
人間界を
経験することから
はじめました。

湖子の
両親になるのは
不妊で悩んでいた
来住悟と弥生です。

悟と弥生は
大阪近郊で
悟のおじいさん夫婦
両親夫婦
それに
悟の妹と一緒に暮らしていました。

結婚して
3年経ちますが
子供が生まれないので
悩んでいたのです。

湖子が
調べて
その両親の
子供となることになったのです。

妊娠を
知った
悟と弥生は
大喜びです。

もちろん
家族全員で
喜んでいました。






3

お母さんの
母親のお腹は
とても気持ちが良かったのです。

「こういうことを
幸せって言うのかも知れない

ここで
休暇を過ごせて
最高に幸せ」と
思いました。

そんなお腹の中で
湖子は
家族の話を聞いていました。

そんな話を聞いていて
湖子には
気になる話を
聞いてしまいました。

喜んでいるのは
喜んでいるのですが
弥生以外は
「男の子がいいな」と
言っているのです。

来住家の
跡取り取りとしての
男の子を
みんなは望んでいました。

本心が読める
湖子ですから
弥生は
「男の子でなかったらどうしよう」と
悩んでいました。

湖子は
はじめは
いつも
人間界では
女性として
現れているので
女の子として
うまれる予定でした。

何千年も
女性として
現れていたので
男性は
イメージできませんでした。

全知全能になっている
湖子でも
わからないこともあるのだと
自分自身で思いました。

弥生は
臨月の
生まれる前日まで
仕事と家事をこなしていました。

「人間は
とめどもなく
がんばれる」というのを
体内にいて
実感しました。




4

星子と
剛は
来住家の
隣に
家を建てて
住み始めていました。

もちろん
魔法を使って
違和感なしに
住み始めたのです。

剛は
定年退職した
老人
星子は
ものすごく歳の離れた奥様ということに
なっていました。

一日中
家にいて
恩給暮らしと言うことに
なっていたのです。

当時の
定年は
55歳ですから
55歳という設定です。

星子は
40歳ということになっていましたが
今で言えば
美魔女
とても
40歳には見えない
容姿でした。

湖子が
生まれるまでは
殆ど仕事もなかったので
星子と剛は
本当に仲良く
過ごしていたのです。

湖子の休日というか
星子と剛の
休日になっていました。

湖子が
生まれたのは
体内に入ってから
6ヶ月経った
昭和27年6月でした。

弥生が
産気づき
白米を炊いて
たんと食べて
初産に臨みました。

家に
産婆さんがやってきて
さっさと
手伝って
次があるからと言って
バスで
帰ってしまいました。

そんな簡単に生まれた湖子は
男の子でした。

湖子は
いつもの
女性ではないので
凄く違和感を思えました。

湖子が生まれた
来住家は
大阪駅まで
徒歩と電車で20分ほどの
所にありました。

しかし
当時は
寒村と言う言葉が
ピッタリ当てはまるところで
電気だけが通じていて
水道は
まだ来ていませんでした。







5

湖子は
おじいさんが
名前をつけました。

両親の名前をとって
悟生と
名付けられました。

(この小説では
湖子という名前を続けます)

湖子が
生まれてくる時の
母親の
弥生は
凄く痛そうでした。

陣痛が
何度も訪れ
段々短くなってきて
傷みも
最高に達した時
湖子は
生まれてきたのです。

弥生の
悲鳴を聞いて
湖子は
思わず
魔法を使って
産道を
さっさと
抜け出してしまいました。

人間の母親は
大変なんだと
思いました。

でも生まれてしまったら
湖子に
凄く易しい
幸せな
顔をしていました。

「あんなに
痛い目をしたのに
こんなに幸せそうに」
人間って
わからないと
感じました。

生まれたての
湖子は
何もできません。

一から
十まで
弥生の世話にならなければ
なりません。

もちろん
湖子ですから
自分ですべてすることも
可能ですが
何分
休暇中ですから
やめておきました。


6

当時のオムツは
さらしの生地を
輪っかにしたもので
それを
”わたこ”と呼ばれる
綿の入った座布団のようなもので
覆って終わりです。

紙おむつと違うので
濡れると
凄く気持ち悪いので
湖子少し時間ができている時を見計らって
泣いてから
用をたすようにしていました。

弥生は
「湖子は私の時間が
ある時に
ちょうど
泣くのよね。

わかっているのかしら」と
思っていました。

赤ちゃんにありそうな
むずがったりも
しませんでした。

いつも
弥生に
おんぶされて
暮らしました。

湖子は
弥生が
子供が好きなんだと
心から思いました。

当時の
暮らしは
今から言えば
大変でした。

洗濯は
手洗いだし
ガスがないので
かまどを使わなければなりません。

少しだけ
食事を作ろうとしても
火をおこして
調理をする必要があったのです。

洗濯でも
同じです。

毎日
多量の
オムツを
洗濯するのは
大変です。

オムツの洗濯は
横の川で
まず洗ってから
タライで
おこなっていました。






7

星子と剛は
湖子の隣の家で
待機していました。

まったく出番がありませんでした。

妖精見習いの
剛には
神界では
星子の姿が
まったくわからないのですが
人間界では
ハッキリと
わかるので
喜んでいました。

「何もせずに
星子の姿を
見られるなんて
何という
良い仕事」と
思っていました。

星子の方も
「こんな仕事はじめて
何にもしないなんて
何百年ぶりかしら

でも
剛さんと
ゆっくりできて
嬉しいわ」と
感じていました。

そんなふたりですが
生活は
慣れないことばかりなので
大変でした。

水道がないので
せっせと
水を運んでいました。

お風呂の水は
川の水が多い時は横の川から
少ない時には
問題の多い井戸から
飲み水は
少し離れた
空き家の井戸から
運ばなければなりませんでした。

剛が生まれた
昭和27年の
日本の片田舎は
こんな所だったのです。

神さまは
時間を少し遡って
湖子を
人間界に
生まれさせたのです。

これは
単に
時間の短縮の目的もあったのですが
それよりも
ひとりひとりが
がんばっていた
この時代の方が
人間的だと
考えたからです。


8

時間があるので
庭に
野菜を作り始めました。

野菜作りは
簡単だと
思っていたのですが
予想外です。

妖精の星子は
仕事で
何回か
農家のお手伝いをしたことがあるので
ほんの少しだけ
経験があります。

剛は
農家の生まれでしたが
小学校の時に
農業をやめました。

子供の時に見た
「農業は大変」という
思い出しかなかったのです。

その後
向上の技術畑を
歩んだ剛には
野菜は
美味しく食べるものという
存在でした。

ほんの少しの
畑を
作るのに
悪戦苦闘です。

毎日見回り
水をやったり
害虫を
取ったりしなけらばなりません。

今なら
害虫用のスプレーで
簡単に解決するところですが
そんなものがない
時代ですから
星子も
剛も
手で取らねばなりません。

ふたりは
虫は嫌いでした。

青虫を
手で取らねばならないなんて
相当の
覚悟がいりました。



9

畑に
時間を費やしたとしても
夜になると
何もすることもできません。

今なら
テレビでも
見るのですが
当時は
ありません。

いや
始まったばかりで
テレビを持っている人など
いなかったのです。

ラジオが主です。

ラジオ番組も
充実してましたから
よく聞いていました。

テレビのように
ズーッと放送していないので
その時間だけ聞いていました。

楽しく
ふたりで
話していました。

ふたりの生活は
神政庁の
経費でまかなわれていますので
この時代でも
優雅に暮らしていたのです。

しかし
湖子の
家ではそんなに楽ではありません。

毎日の生活は
仕事仕事の連続です。

なにしろ
星子と剛の
畑の
何百倍という
農業をしているのですから
大変に決まっています。

弥生は
湖子を
おんぶして
一日中
仕事をしていました。








10

赤ちゃんは
すぐに大きくなります。

日にちが過ぎ
湖子も大きくなります。

離乳が
始まる時期に
なっていました。

弥生は
忙しいので
特に
離乳のための
特別食はありません。

少し柔らかめに
作る程度です。

仕事が忙しいので
離乳は
現代より少し遅いのです。

湖子は
妖精ですので
病気などをしません。

不老不死なのです。

1歳になるまで
病気をしなかったのです。

両親が
風邪になっているのに
赤ちゃんの
湖子が
うつらないのは
おかしく思われてしまいます。

そこで
熱を出して
風邪をひいてみました。

ながいながい
妖精生活で
初めての経験です。

こんなに
病気が辛いのか
はじめてわかりました。

それに
湖子が病気になったら
両親の心配ようが
尋常ではありません。

親の思いが
これほどなのかと
今更ながら
思いました。



11

湖子は
月日が過ぎて
お誕生日になりました。

お誕生日が来たとしても
何も儀式がありません。

寒村の
貧農の家には
そのような習慣はありませんでした。

湖子は
月日が過ぎても
普通の赤ちゃんのように
大きくなりませんでした。

大きく重くなると
弥生が
大変なので
なるべく大きくならないようにしてました。

家族が
それを心配しているのを
湖子は感じて
少し焦ったこともありました。

誕生日が
過ぎた頃から
段々と話すようにしました。

だからといって
スラスラと会話しては
問題なので
単語から
はじめました。

弥生が喜ぶように
「おかー」と
言ってみました。

そしたら
弥生は大喜びして
家族に知らせていました。

そしたら
父親やおじいさんおばあさん叔母さんが現れて
大騒ぎです。

この際だから
みんなを呼んだら
家族中が
大騒ぎになってしまいました。

湖子は
覚めた目と
熱い目で見る事ができます。

覚めた目で見ると
「何で大騒ぎ
人間って少しおバカ

とても
神さまの複製とは
思えないわ」と
熱い目で見ると
「人間って
いつも熱く生きているんだな

少しは
見習った方が
いいかもしれない」と
見えました。

人間で言えば
理性的な女性である湖子は
人間の赤ちゃんを体験して
そんなことを思いました。






12

赤ちゃんはすぐに大きくなり
ハイハイして
立ち上がり
可愛い幼児になりました。

母親の
弥生に
"協力"して
オムツも早く取れ
危ないところには行かず
ジッと
母親の隣に
いるようにしてました。

「来住さんの
子供は
おとなしい
可愛い
賢い」と
村中の評判になっていました。

あまり評判になると
湖子の
企てには
あまり良くないので
ほどほどにしなければ
と考えるようになりました。

親孝行な子供とも
評判でした。

3歳になる前に
なんだかんだと
親の手伝いをしていました。

水を
小さな桶で
少しずつ
運んでいました。

そんな湖子は
水道が来れば
もっと
両親が
楽になると思っていました。

湖子は
妖精の
力を使って
やってみようかと
考えたところ
市役所から
水道敷設のお知らせが
ありました。

家族全員
大喜びでした。

新しい水道が
引き込まれて
出た瞬間
両親は
涙ぐんでいるように見えました。








13

湖子は
何千年も
人間社会を見ていました。

水道がなかった時代の方が
もちろんながく
当たり前だったのですが
当たり前が
当たり前でなくなったその日に
出会えたのは
初めてでした。

人間って
進化するんだと
思ったのです。

特に
昔の時代は
その進化は
本当にゆっくりでした。

というか
殆ど進化していないような状態でした。

湖子だけの経験で言えば
昔は
ゆっくりだったけど
今は
ものすごく早いという
感想でした。

水道が
はじめた出た時を
こんなに喜ぶなんて
幸せに感じるなんてと
思ったのですが
来住家では
この後
不幸が相次いで起こることになります。

湖子が
4才になった冬
おじいさんが亡くなります。

まだまだ
よく働く
おじいさんでしたが
なくなると
来住家は
貴重な労働力を失います。

その翌年に
小麦粉の輸入が
政府管掌で解禁になって
外国から
もう比べものにならないほどの
安価な小麦が輸入されます。

そのため
来住家では
冬に
二毛作として
麦を作っていたのですが
作っても
売れなくなってしまいます。





14

来住家は
都会の近くで
中央市場までは
大きな国鉄の線路を渡って
自転車で
30分ほどの所にありました。

麦が売れなくなって
現金収入が
少なくなり
野菜に力を入れることにしていました。

しかし野菜の値段は
はじめから安くて
豊作貧乏になることが
たびたびでした。

自転車の
後ろに
重いリヤカーを付けて
運んでいっても
千円にもならないことも
たびたびです。

前の晩から
用意して
まだまだ陽が昇らない頃から
働き始めて
やっと作った
リヤカー一杯の
野菜も
それだけしかありません。

労働力が必要ですが
腰の曲がったおばあさん
悟
それに弥生です。

悟の妹は
お嫁に行って
今はいませんから
3人です。

湖子は
小さくて
役に立つほどでもありませんが
手伝っていました。

こんな月日が
1年ほど流れて
悟は
働き出ることを決意しました。

村の近くに
大手電機メーカーの
倉庫ができて
募集していたのです。

なにしろ
今のように
機械化されていませんから
力持ちの従業員が
大勢必要なのです。

勤務時間は
8時から5時まで
土曜日は12時まで
日曜日は休みです。

会社の休みの時は
農業をしていました。

15

悟は
平日は
まだまだ
くらい時間に起きて
「朝の間の仕事」して
それから会社に出掛け
帰ると
少し夜なべをし
会社が休みの日曜日は
夜明け前から働いて
暗くなっても
仕事をする毎日でした。

休みなどありません。

悟が
努力家で
気力が満ちているから
そんな苦労を
できているということでは
ありません。

来住家の隣の家の
農家の家族も
そんな風に働いていたし
隣の隣の家も同じだし
一軒を除いて
村中のみんなは
そんな風に働いていたし
その寒村だけでなく
その隣村の家でも
いや
もっと言えば
日本中の家族の
90パーセントは
そんな風に働いていた
時代でした。

湖子は
両親の
働く姿を見て
育ちました。
盆暮れには
少しは休んでいたように
見えまたが
この時代の
人間は
常に
働いていたのです。

それも
単純だが
重労働の
しんどい仕事です。

そんな風に働いていも
お金が
たんと儲かるわけでもありません。

みんながそうであったように
赤貧の暮らしでした。

湖子が
6才になって
学校を行き始めた頃
湖子は
下駄で
通います。



16

靴と
下駄の値段を比べると
下駄の方が
安かったのです。

現金収入が
少ない来住家では
現金で買うものの
購入は
厳しく制限されます。

農家ですので
食事には
困りませんでしたが
だからといって
もちろん
何でも食べられたと言うことではありません。

家でとれるものは
山ほど食べることが出来ます。

例えば
冬なら
白菜たとか
初夏なら
イチゴです。

毎日毎日
白菜の水炊き
白菜だけで
炊く時も多く
ハッキリ言って
今のように
出汁を使ったり
他のものを入れないので
美味しくないのです。

イチゴの
収穫時期などは
畑で
食べて
家に帰ってから
山ほどの
イチゴを
食べるのです。

手が
赤く染まることも
ありました。

現金収入がないので
服も
殆ど買いません。

服は
破れるまで着て
破れても
つぎをあてて着て
つぎが破れたら
つぎにつぎをあてて着る具合です。





17

悟も弥生も
働きました。

夜なべ仕事も
もちろんしました。

今で言えば
超勤200時間越えです。

それも
事務の仕事の様な簡単な仕事ではなく
重労働です

過労死の
判断基準を
はるかに超えています。

強健な
悟ですが
会社の仕事と
家の農仕事で
疲れてしまっていました。

でも休むことはできません。

その疲れは
湖子が
2年生の冬の時に
現れてしまいます。

寒い日
久しぶりに
朝の間の仕事が
なかった日
悟は
朝になっても
起きてこなかったのです。

弥生が
お布団に見に行くと
大きなイビキをかいて
寝ていました。

そして
変な臭いもしていました。

一緒に付いて行った
湖子は
すぐに分かりました。

脳循環障害です。

弥生は
分かりませんでした。

湖子は
「おじいさん
変だよ

すぐに病院へ」と
言ったのですが
そのような
経験・習慣がないので
子供の言ったようにはしませんでした。

しかし普通ではないと感じた
弥生は
近くの
診療所の先生に
往診してもらいました。


18

診療所の
若い女の先生が
やって来て
診察を始めました。

当時としては
珍しい
血圧計で測って
そして
「血圧が高めですね

中風です。

安静にしておいて下さい」とだけ言って
注射も
薬もなく
帰って行きました。

いまなら
脳MRI薬剤投与リハビリですが
お手上げの状態でした。

湖子は
それを見ていて
妖精の力を
使おうかと思ったのですが
人間界のありのままを
見る事が
大事だと思って
父親には
悪いけどやめておきました。

悟は
何とか
3日目に
意識が戻って
少しばかりの食事をしました。

大小の便は
発病の時から
オムツです。

何度も言いますが
今のようなオムツがないので
弥生は
相当な努力です。

湖子も
幼い手で
手伝いました。

何でもできる
湖子ですから
その点は
できたのです。

それから
隣の閑な住人役の
星子と剛も
手伝っていました。

なんとか
一週間が過ぎ
悟は
オムツではなく
オマルと
尿瓶が使えるようになりました。


19

悟の病状は
安定していました。

当時
リハビリと言うが考えがなかったので
寝たきりになってしまいました。

労働力の
大方を失った
来住家は
わずかな蓄えで
暮らしはじめます。

星子と剛も
手伝いしたが
農業を
したことがことがないので
その重労働はできませんでした。

もともと貧しい生活は
ますます
大変になります。

湖子は
こんな風になって
困りました。

弥生を
妖精の力で
助けるか
人間としての力で
助けるか迷いました。

小学校二年生の男の子として
手伝えるのは
少しだけです。

男の子として
手伝うのは
湖子にとっても
しんどいことでしたが
それを選びました。

少しだけ良いのは
悟の従兄弟が
たんぼを
作ってくれることになりました。

もちろん
できたものの
4分の3は渡すことになっていました。

弥生は
家の周りの
ほんの少しの
畑だけで
生活しなければならなくなったのです。

それが
3年続いたのです。

悟は
寝たきりでした。

これではダメだと
考えた
弥生は
寝たきりの
悟を
おこしはじめます。







20

「このまま
寝てばかりでは
困ってしまう。

自分のことだけでも
出来るようになって
もらえなくては」と
弥生が考えたのです。

リハビリという
ものが全くなかった時代に
そのような
ことをはじめたのは
困っていたからです。

まず
悟を
布団から起こすことからはじめ
それから
立ち上がり
つかまり立ちができるようにするのが
目標です。

悟は
右半身不随で
右手は
まったく動きません。

右足は
ほんの少しだけ動きました

左足左手も
長年寝ていたので
力が
なくなっていたのです。

それを
使うことによって
力を付けるようにしていたのです。

メキメキと
良くなっていけば
問題ないのですが
そう簡単には
いきません。

リハビリをするのは
弥生ではなく
悟ですから
辛いリハビリに
挫折しそうなるのです。

それを
なだめすかして
させるのです。

湖子も
「おとうさん

元気になって」と
励ましました。




21

挫折しようとする
悟は
なんとか
がんばりました。

当時の常識で言えば
中風が
改善することなどなく
歩けることなど
あり得ないと
考えられていました。

三年の月日が経ち
悟は
松葉杖で
歩くこともできるようになりました。

自分のことは
自分でできるように
なったのです。

湖子は
5年生になって
赤ちゃんの時は
小さくなっていましたが
お手伝いができるように
大きくなっていました。

学校の成績は
中間です。

一番にも成れますが
普通の生活と言うことで
中間になっていました。

農業を
よく手伝って
近所の村々でも
評判の孝行息子でした。

あまり目立たないようにするのが
良いのですが
弥生を助けないという
思いの方が大きいのです。

生活費も
底をつき
何とかしなければ
ならないようになっていたその頃
弥生は
事業を始めることにしました。

来住家が持っていた
畑が
駅前近くにあって
その隣には
新しいアパートが
建ったのです。

それを見た
弥生は
自分の畑にも
アパートを
建てようとしたのです。







22

当時は
ベビーブームの
若者が
都会に上京してくる
時期だったので
追い風だったかも知れません。

土地だけで
まったく
お金がなかったのに
アパートを建てることなど
寒村の
お母さんには
とても無理と
誰の目にも見えました。

弥生も
そう思っていましたが
それしか
あとがないと
思っていたのです。

農業では
労働力と
技術力不足です。

弥生には
背水の陣での
事業開始です。

まず
駅近くの
畑の
一部を
売却して
そのお金で
アパートを建てるのです。

アパートを
建てるためには
もうひとつ
大きな問題があって
道路が狭いのです。

アパートのような共同住宅を
建築しようとする時には
4mの接道義務があるのです。

そこで
表地の地主さんに
頼みにいきました。

お金がないので
土地を
交換と言うことで
話を持っていったのです。

表地の地主さんは
女の弥生を
甘く見て
3倍の
土地と交換ということになったのです。

弥生は
道路がないと
農業はできても
アパートは
建てられないので
渋々
承諾しました。






23

建物が建てられるようになったといっても
お金の問題が
大きく残っています。

畑の一部を売って
そのお金で
建てることにしました。

土地を売るといっても
そう簡単ではありません。

不動産市場が
まだまだ
未発達でしたし
買い手も
あまりいなかったのです。

建築は
はじめましたが
買い手は
見つかりません。

弥生は
困り果てました。

当時は
住宅事情が
悪いので
アパートは
すぐに
借り手が付いて
家賃で返すことも
可能でした。

そこで
銀行に
お金を借りにいきました。

銀行が並んでいる
国道筋を
端の方から
1行ずつ
訪れて
頼んでいきました。

不動産の
担保もあるのですが
事業経験のない
弥生は
相手にされませんでした。

1日目は
ダメでした。

気を取り直して
2日目も
出掛けました。

もう夕方になって
シャッターの降りた銀行へ
最後のお願いでした。






24

その頃
湖子は
弥生が
悪戦苦闘しているのが
妖精の力で
分かっていました。

ここで
妖精の力を
使って
銀行から
融資を
してもらうべきかどうか
考えました。

将来にわたって
考えました。

借金は
いろんな負の要因を考えても
4年で
返済可能と
湖子は
読んでいました。

湖子は
少しだけ
力を出して
銀行を
納得させようとしたその時
融資の担当者は
弥生に
「お貸ししましょう」と
言ったのです。

湖子が
力を使うまでに
融資が決まって
良かったと思いました。

いろんな書類に
判子を押したり
名前を書いたり
1時間ばかりして
手続き完了です。

日は
落ちていて
バスに乗って
笑顔で帰ってきました。

嬉しそうでした。

帰りに
銀行筋の横にある
市場で
魚を買って帰ってきていて
夕飯は
平素になく
豪華でした。

いつもなら
麦飯と
野菜の炊いたもので
出汁もなくて
本当の水炊きです。

そんな毎日の食事に
魚が出てきて
それも
アジです。

嬉しくて
相当奮発した
ようでした。



25

アパートは
翌春出来上がりました。

東京オリンピックの
前年で
所得倍増計画で
日本中が
沸いている時です。

すぐに借り手が付いて
今までは
見たことがない
現金が入ってきました。

すぐに
銀行に返さないと
いけないので
なくなってしまいました。

少しだけ
生活費として
使うことにしていました。

今までと同じように
慎ましやかな
生活が
続いていました。


星子と剛は
湖子のお付きとして
人間界に
派遣はされていましたが
まったく役立っていませんでした。

来住家を
助けるために
農業を手伝っては見ましたが
人間としての
手伝いは
殆ど役に立ちませんでした。

すぐにしんどくなるし
虫やヒルや蛇がいて怖がるし
夏は暑いし
冬は寒いし
役には立たなかったのです。

この時代は
人間の造りが
違うと
心の底から
思ってしまいました。

26

剛は
今の
湖子と同じ
人生を歩んでいたので
何となく分かっていましたが
外からだけ見ていた
星子は
青天の霹靂でした。

全知全能な
湖子でさえ
見るとやるでは
大違いと
告白していました。

三大
家事の
洗濯・掃除・料理は
現在とは
全く違います。

一番現在とは違うのは
洗濯です。

洗濯機ができるまでは
タライと洗濯板で
洗濯物と
格闘しなければなりません。

湖子が
11歳の頃
洗濯機が
来住家に入ってきました。

今の洗濯機の
洗うところだけしかありませんが
それだけで
仕事は
大幅減です。

脱水などなくても
その時代は
充分だと考えていました。

湖子も
星子も
剛も
手で
洗濯して
もう
冬なんか
寒すぎなんです。

ゴムの手袋もなくて
お湯もなくて
かじかんだ手で
ゴシゴシするんです。








27

弥生は
時代の変化を
身にしみて分かっていました。

どのように変わるか
分かりません。

分からない
この世を
生きていくためには
手に職を付けないと
考えていました。

湖子には
よく勉強して
偉い人になってもらいたかったのです。

『末は博士か大臣か』と
湖子の将来に
大きな期待をしていました。

湖子は
言われなくても
勉強をこなしていました。

医者になるように
湖子に
何度も言いました。

資格さえあれば
時代が変わっても
生きていけると
思っていたのです。

湖子は
弥生の期待に応えて
医者になろうかとも思いましたが
普通の人生を
歩むことが
使命なので
試験では
ほどほどの答案を作っていました。

そこで
弥生は
医者ほどは難しくない
薬剤師になる様に
言ってきたのです。

湖子は
弥生の願いを
かなえるのも
人間の子供としては
必要かと考えて
薬剤師になることになりました。






28

高校は
公立に進み
学費も
安くて弥生は
良かったと思いました。

でも
湖子の成績では
国立の
薬学部は無理だし
私学になると
学費が
問題でした。

そこで
もう一棟アパートを
建てることにしました。

前のアパートの時は
最終的には
土地の売却代金で
まかなったのですが
今回は
全額
借金にすることにしました。

前の時は
融資が
大変だったので
念には念を入れて
準備していました。

高校2年生になった時に
アパートは完成して
借金の返済が始まりました。

湖子は
平素の試験は
ほどほどの力で臨んでいました。

大学受験の日は
やはりここは
合格すべきと考えて
合格の答案を書き上げ
面接も
そのように答えました。

もちろん合格して
湖子は
大学生になりました。

湖子が
いった大学は
共学ですが
女子が断然多くて
男子は
数人
湖子は
黒一転でした。

(もう一度間違わないようにいっておきますが
湖子は
人間界では
男性で本当の名前を
悟生と言います。
作中では
湖子を続けます。)






29


湖子は
アパートの家業を手伝いながら
大学に通い始めました。

大学でも
それなりに勉強しようとしましたが
湖子は
勉強に
興味がありました。

その頃の
薬学は
化学の
原子や分子などで
それに興味があったのです。

湖子自身も
こんなことを
知りたかったとは
思っていませんでした。

少しだけ
がんばったら
有機化学の
教授に
目立ってしまいました。

それに
クラスメートの
女学生に好かれる存在となっていました。

その中で
和己という名の
学年で
一番の
可愛い女の子が
湖子に夢中だったのです。

湖子は
妖精ですので
性別はありません。

恋愛感情はよく理解していますが
恋愛感情を
抱いたことは
ここ何万年も
ありません。

湖子は
想定外ですが
人間として生きていたら
こんなことも
経験すべきかと
思いました。

和己は
湖子が相手をしなくても
相当夢中で
諦めそうにもありません。

それどころか
流れ星に
願いをかけてくるのです。

神政庁に
願いが届いて
星子から
湖子に連絡がはいりました。

ここは
そう言うことに
した方が良いかも知れないと思いました。

それによく見ると
妖精に目でも
和己は
本当に可愛いと
思いました。

30

和己は
積極的で
湖子にアタックしてきました。

授業の時に
隣の席に座ったり
実験の時は
近づいてきて
長く話したり
帰る時は
電車で一緒に帰ったり
最後には
大学にいく時に
待ち伏せして
待っていたりしていました。

クラスでも
知れ渡っていて
仲の良いカップルと
思われていました。

湖子が人間界で
形をなしている
悟生は
格好良くありません。

今で言う
イケメンでもなく
マッチョな体でもなく
ちょっと見
ひ弱で
脆弱な湖子と
学年で一番の
可愛い和己とのカップルは
奇異なものでした。

和己が湖子を好きなったのは
以上の理由で
もちろん顔ではなく
話が上手だからです。

和己は
飽きることがなく
とめどもなく
話題を
提供する
湖子に
虜になってしまいました。

その上
和己が
思っていることを
すぐに
やってくれるのです。

と言うわけで
和己と
湖子は
大学4年間
仲良く過ごすことになります。





31

和己は時として
大胆です。

湖子の
肩に寄りかかってきたり
手を繋いだり
満員電車では
胸が合うぐらい
ピッタリと
引っ付いてきたりしました。

普通の男性なら
こんな可愛い女の子に
そんな事をされたら
きっと
興奮するところですが
湖子は
妖精ですので
冷静です。

そんな冷静さは
相当ながく続くのです。

転機が来るのは
お弁当を食べた時です。

湖子は
いつも
弥生の作ったお弁当を
食べていました。

それに合わせて
和己も
お弁当を作って
持って来ていました。

仲良く一緒に食べるためです。

そんな時
和己が突然
「この卵焼き本当によくできたのよ

100年に一度のできよ

どうぞ」と言って
和己のハシで
湖子の口へ
入れたのです。

油断していたというか
神界に残された
4分の1の湖子に
重大な出来事があって
気をそらしていた時だったので
簡単に
口に入ってしまったのです。

味はともかとして
湖子は
違和感を
感じました。

32

和己が
黙っている湖子に
「美味しいでしょう。

100年に一度のできよ。

だから
今後100年間は
作ることができないのよ。

わかったかな」と
茶目っ気たっぷりに
湖子の顔をのぞきながら
いいました。

その仕草に
もっと違和感を感じて
湖子本体の
明晰な精神は
錯乱状態です。

何とかそこは
つくろって
時間をやり過ごしました。

湖子(ここ)は
これが例愛感情かも知れないと
思いました。

経験のないこの感情を
まず
星子に聞きました。

妖精ではじめて
結婚した
星子は
湖子の
その感情を理解しました。

「湖子様
その感情は
神さまや
神さまと同じように作った
人間が持っている
慈悲の心ではありません。

それは
慈しむ心ではなく
恋しく思う
人間だけが持つ
恋愛感情です。

湖子様は
きっと
人間の
和己を
恋しく思われたのです。」と
星子は答えました。

湖子は
「やはりそうだったのか

これは
やっぱり

でもどのように対処すればいいのか」と
悩んでしまいました。



33

湖子は
困ったのですが
これも
自分に与えられた
使命かと
思いました。

それに
パッとしない外見に
人間の中でも
可愛い和己が
恋愛感情を
頂くなど
合理的に考えて
不思議だと
思ったのです。

これは
何かの力を
誰かが使って
そうさせたのではないかと
思いました。

神さまに匹敵する
能力を持った湖子でさえ
それが分からぬようにしているのなら
きっとそれは
神さまが
それを計ったのではないかと
結論づけました。

神のご指示なら
従うべきだと決めました。

決めたものの
この先どのようになるか
経験のない
湖子は
迷うばかりです。

迷っている
湖子に対して
積極的な和己が
イニシャティブを
持ったのは
言うまでもありません。

「休みの日には
遊園地に
出掛けましょう」と
誘ってきました。

湖子は
家業の手伝いがあるので
その誘いを
いつも断っていました。

そこで
和己は
日曜日に
湖子の家を
訪れたのです。


34




相当朝早くに
着いて
チャイムを鳴らしました。

玄関に出たのは
弥生でした。

「私
悟生さんの
大学での友達で
長瀬和己と言います。

悟生さんおいででしょうか。」と
たどたどしく
話しました。

弥生の目にも
テレビにも
出てきそうなとても可愛いい
和己が
息子のところに
やって来て
びっくりしていました。

すぐに家の中に
和己を
誘い入れて
座敷の
上座に座らせました。

それから急いで
倉庫で仕事をしている
湖子を呼びにいきました。

悟も
不自由な体で出てきて
挨拶しました。

湖子は
「こんなところまで
やって来たのか

、、、、」と
苦笑していました。

湖子が
座敷に着くと
弥生と和己は
和やかに話していました。

どんな料理が好きかとか
休みの日は何をしているとか
大学ではどんな勉強をしているとか
事細かに
話していました。

それに
来週は
もう一度来て
ハンバーグを作るとまで
約束していたのです。

弥生は
「和己さんが
悟生のお嫁さんになったら
もう言うことないわ

悟生
和己さんと結婚して

ごめんなさい
和己さんのような
可愛い人が
悟生の
お嫁さんになるとは
思えないよね。

失礼なこと言って
ごめんね

でも
本心だから
考えておいてね」と
和己に言うと
「私も
結婚できたら
良いなと
思ってますから
大丈夫です」と
答えました。

湖子は
蚊帳の外で
話し合っていました。


35

湖子の家族は
和己が
ヒーロー
いや ヒロイン
それも違って
エンジェルになってしまいました。

弥生は
本心から
良かったと思いました。

悟生が結婚したら
もう肩の荷が
降りたものだと思いました。

次の日曜日
和己は
買い物袋に
食材を入れて
約束通りに
やって来ました。

和己は
大学に入った時から
結婚した時に
役に立つようにと
大阪では有名な
料理学校に行っていました。

手軽な料理から
フランス料理まで
いろんなものを
教わっていました。

家でも
試したりして
その中でも
自信のある
ハンバーグを
作ることにしました。

エプロンを着けて
来住家の
台所に立ちました。

来住家の台所は
本当に
昭和の台所という感じで
使い勝手が悪いものでしたが
前もって見ていたので
道具も
持って来ていました。

一番高い肉を
使って作り始めたのです。

和己に言わせると
悪戦苦闘を
見せないように
なにげに
慣れたように
作っていました。

36

弥生も
手伝おうと思いましたが
凄い
オーラが出ていて
近づけませんでした。

ただただ
遠くから
湖子と弥生は
和己を見ていました。

真剣に
調理をする
和己は
今まで見たことのない
迫力だと
湖子は思いました。

和己が言った
予定時間に
ピッタリと
出来上がった
ハンバーグと
副菜を
お皿に盛り付けました。

食卓に
4人分が並べられました
弥生や湖子は
ホッとして
席に座って
唱和の後食べ始めたのです。

湖子には
初めての味でした。

今までの
弥生の味しか知らないので
初めてだったのです。

弥生も父親も
すべて平らげて
食事は
終わりました。

弥生は
何か話したそうに
湖子には見えました。

何を話すのかと
思ったら
弥生は
「このハンバーグは
とても美味しいけど
来住家の味とは
少し違います。

悟生と結婚するなら
少しだけ味を変えてくれないと
いけないわ。」
と言ったのです。


36

湖子は
弥生の言葉に
ハッとしましたが
和己は
「ありがとうございます。

教えて下さり
ありがとうございます。

どのような味がよろしいのですか。

私にもできるでしょうか」
と笑顔でそして真剣に
聞いてきたのです。

「それは難しくはありません。

来住家は
お父さんが
病気で倒れてから
凄く薄味になっています。

塩を殆ど使わないの

残り物でよかったら
これを召し上がって下さい。」と言って
冷蔵庫から
お皿の中に入った
魚の煮つけと
野菜の水煮を
弥生は
出しました。

和己は
お箸で
少しだけ食べました。

「これですね。
この味ですね。

分かりました。

できるかどうか分かりませんが
来週
挑戦させて下さい。

お願いします。」と
言ったのです。

自信ありそうに
和己は
答えたのです。

そのあと
和己が持って来た
イチゴのショートケーキと
紅茶を
飲んで
和やかにおわりました。


37

湖子は
一時はどうなるかと思っていたので
和やかに
終わって
ホッとしました。

大学でも
和己は
もっと近づいてきました。

もう
結婚する気分です。

一週間後
同じように
大きめの
買い物袋を持って
やって来ました。

こんどは
シチューを作るらしいのです。

前のように
気迫が感じられました。

作り始めました。

キッチン秤で
量りながら
作り始めました。

こんどは
予定通りに
出来上がりませんでした。

時間がかかり
できなかったのです。

同じように
食卓に並べられました。

湖子の目には
再試のように見えました。

弥生や和己には
そんな風に思っていないようで
大きな期待と希望の
食卓だと
感じていたのです。

食べ始めて
ふたりは
顔を見合わせ
笑顔になりました。

「すこし言っただけで
こんなに美味しいものが
できるなんて
和己さんは
料理の天才ですね」と
弥生が言うと
「いえいえ
そんな事はないです。

家で
相当作りましたから

家族は
連日シチューで
大変みたいでしたよ。

でも
健康のために
家でも
薄味にしようと
決めたんです。

みんな元気で
暮らせたらいいですよね」と
和己が
答えました。




38

減塩食事を
いつもしている
来住家の面々は
和己が作ったシチューが
美味しいと思いますが
薄味になれてない
和己が
美味しいとは
思えないのです。

湖子は
和己は無理をしてまで
従っていると
思いました。

湖子は
和己を
より
いとおしく
慈しむように思いました。

可愛く思ってでも
どのように表現すべきかどうか
湖子には
分かりませんでした。

全知全能の
神に次ぐ才能を持った湖子でも
この場の対応は
分かりませんでした。

それで
平然を
装うことで
何とかしていました。

その場を
湖子は
切り抜けたつもりでしたが
和己は
何か手応えを感じていました。

弥生は
いろんな話を
さんざんしたあとで
「和己さんと
うちの悟生が
結婚したら
みんなで住める
大きな家に
建て替えようと思っています。

その時は
台所は
南向きで
明るいところに作ったら
良いですよね。

和己さんは
どんな家が良いですか

ふたりで
また考えましょうね。」と
言ったのです。

住む家まで
考えているとは
湖子は
思いませんでした。

和己は
ほほえんで
「台所は
女の城ですから
ふたりで考えましょう。

家の中で
一番良い場所が良いですよね。

家族が集まれるような場所
憧れます。」と言う答を聞いて
湖子は
何か大きな感動を
衝撃を感じました。


39

そんな一日が過ぎ
駅まで送って
和己は帰りました。

それから
1ヶ月にいちどくらいのペースで
湖子の家を
訪れるようになりました。

そのたびに
いろんな料理を作ったり
将来の家のことを
あーでもない
こーでもないと
話し合っていました。

そんな話の中
弥生が
「悟生も
和己さんちに
行った方が
いいよ」と言ったのです。

少しだけ和己は
困った様子でしたが
いつもとは変わりないように
振る舞っていました。

何ヶ月か経って
和己は
湖子を
家に来るように誘いました。

日曜日の朝
駅まで迎えに来た
和己とともに
湖子は
駅前近くの
和己の家
長瀬家を
訪れることになりました。

長瀬家は
江戸時代
この辺りで新田を開発した
大庄屋で
名字帯刀を許された名家でした。

この時代になって
何代目かの
和己の父親は
工場を
はじめていたのです。

家の近くにある工場には
従業員が
100人くらい働いていました。



40

湖子の家に比べて
家は立派で

江戸時代に立てられた母屋と
現在家族が住んでいる
離れに別れていました。

和己の先導で
母屋の座敷へと
湖子は
入っていきました。

上座敷は
江戸時代には
代官もやって来たという
立派なもので
18畳ありました。

時候がよかったので
縁側は開け放たれて
日本式の
回遊型庭園と
枯山水の
庭園が
マッチしていました。

湖子は
妖精の仕事で
この様な
立派な
邸宅に
何度も入ったことがありましたが
やはり
来住家と比べてしまって
驚きでした。

和己は
ひと言
「古くてごめんね

父がこちらに案内しようと
言うもので」と
少しだけ恐縮して
言いました。

立派な座敷の
下座に
座布団を外して
座って待っていると
使い込んだ
作業服姿で
父親が現れました。

にこやかな顔をしていましたが
何かしたたかさを感じました。

上座に
ドッと座って
一通りの
挨拶をして
秘書の社員が
出したお茶を飲んだあとに
父親は
ゆっくりと
しゃべりはじめました。




41

「和己は
長瀬家の
一人娘です。

将来は
長瀬家を
継いでもらうことになっています。

会社の方は
工場で
一番仕事のできるものに
社長を継いでもらうけど
家は
和己しかいません。

田畑はなくなって仕舞ったけど
この屋敷と
生駒の山林を
継ぐ者がいないと
ご先祖様に
申し訳ない

悟生さんは
その方
大丈夫ですか」と
真顔で聞いてきたのです。

湖子は
どのように答えて良いか
分かりませんでした。

和己と
結婚したいと
思っていましたが
大事な
弥生に相談が必要だと思ったのです。

困っている
湖子を見て
和己が
「お父さん
そのことは言わない約束でしょう。」と
言うと
和己の父親は
「大事なことだから
話しておかないと」と
少し控えめに
話しました。

その話は
そこで終わって
食事中は
湖子のことを
いろんな事を
聞いてきました。

食事のあと
美味しいケーキの
デザートを
食べて
それから
コーヒーを飲みました。

コーヒーは
豆から作ったもので
平素
インスタントのコーヒーしか
家で飲んだことのない
湖子には
とても香りが強い
美味しい
飲み物でした。






42

飲み終わったあと
少し話をして
それから
父親に
隣の工場の見学に
向かいました。

大きな天井クレーンが付いた
工場の中に入りました。

大きな機械が
並んでいました。

今日は休みなので
誰もいませんが
多くの仕掛品が
積まれていて
活況なことが
読み取れます。

事務室には
先々代の書の
大きな額が掛けてありました。

「天地人知」と
書かれていました。

「行いは
どんなに隠しても
天の知るところ
地の知るところ
人の知るところ」だと
父親が説明しました。

湖子は
そんな事は
分かっていると
思いましたが
人間には
「教訓」となるようなことだと
初めて知りました。

家に帰って
一服すると
こんどは
和己が
母屋を
探検することになりました。

古い家ですか
驚くことばかりで
蔵の中には
籠(かご)が
置いてありました。

それから
和己の今住んでいる
離れを見る事にしました。

今暮らしている
和己のお部屋も
見せてくれるというのです。

なぜか湖子は
胸がドキドキしました。


43

お部屋は
二階の
見晴らしのいいところにあります。

湖子は
女性のお部屋を
見るのは
妖精の時に
いろんなお部屋を見ていましたから
ピンクのカーテンに
じゅうたんかと
思ったのですが
そんな事ではなかったようです。

落ち着いた
ベージュの色で
統一された
お部屋でした。

でも
和己のベッドを見て
すこし
胸がドキドキしました。

駅まで
和己は
送ってきて
「父は
養子のことをいっていましたが
私が
何とか説得しますので
気にしないで下さい。

長瀬の家には
たくさんの人がいますので
その中の
誰かが継ぎますので
ご心配なく」と話しました。

家に帰って
弥生に
養子のことを話しました。

弥生は
少し考えてから
「悟生が幸せになるなら
養子もいいんじゃないの

継ぐほどの財産もないし

私は大丈夫だから」と
少し強がりを
言っているように見えました。

ふたりの
結婚には
大きな障害があるようですが
大学を卒業するまでは
問題にはなりません。



44

湖子と和己は
学年がひとつ進んで
3年生になりました。

3年生になると
薬学部特有の教科が始まります。

そのひとつに
生薬学があります。

動植物鉱物をお薬として
使う学問で
数千年を経て
論理的というか
観念論的になっている
学問です。

論理的や観念的な部分は
別にして
生薬は
時として高価だったり
偽物が
出回ることが多いのです。

湖子が通っていた
大学には
生薬の判別
特に
植物性のものに
卓越した教授がいて
生薬学を受け持っていました。

何回かの授業のあと
生薬判別試験というのがありました。

生薬を見て
元来の植物の学名と
和漢名を答えるという物です。

80の生薬から
20が無作為に選ばれ
半分当たらないと
再試験ということになります。

普通の学生は
2回以上受けないと
まず通らないという
難問です。

なにしろ
学名が
ラテン語で
まったく分からない
音の羅列で
それが
覚えられないのです。

湖子は
全知全能ですし
能力を使わなくても
ラテン語が普通に話されていた
ローマ帝国にも
よく仕事で出掛けたので
その意味が分かりました。

もちろん
発音もいいし
満点でした。

そこで
教授は
湖子に
研究室に入るように
説得してきたのです。


45

教授は
製薬会社の
依頼が多くて
研究室に入ると
就職に
極めて有利になるのです。

人気の高い
研究室でした。

入ろうかなとも思ったのですが
和己が
なかなか
生薬判別試験に
合格しません。

和己だけを残してもと
思っていたのです。

和己は
湖子が
うまく教えても
2回も再試を受けてしまいました。

そんな事には
不器用みたいでした。

合格した日
和己は
湖子に抱きついてしまいました。

湖子は
嬉しかったです。

そんなふたりは
研究室に入りたいと
訪れました。

希望者が多くて
選抜が厳しいのですが
湖子は
もちろん合格です。

でも
和己は
ダメみたいだったのですが
湖子は
教授に
頼み込んだのです。

「和己と一緒でないと
入らない」という
決めセリフで
教授を
説得しました。

ふたり一緒に
研究室に入り
生薬の判別のための
試料作りに励みました。

教授がおこなう
生薬の判別方法は
顕微鏡で
植物の特長を
調べるというものです。

生薬の詳細を
顕微鏡で見るのです。

特長を見るためには
その試料を
うまく処理しなければなりません。

それが
意外にも
湖子よりも
和己が上手だったのです。


46

夏休み前に
多量の試料が
研究室に届きました。

大手の製薬会社からの
判別の依頼です。

みんなで手分けして
顕微鏡の
試料作りになりました。

和己は
一番の早さと
正確さで
作っていきました。

ここは
魔法なら
パッパと
作っていけると思ったのですが
それは使えないので
実際の
手作りになると
和己に比べると
そうと
不器用です。

教授は
それを見ていて
「長瀬君なかなかのものだね。

こんどの
研究旅行には
長瀬君も来ないか。

台湾なんだけど」と
言ったのです。

和己は
湖子と
台湾旅行に行けるなんてと
大喜びです。

湖子も
表には出しませんが
相当喜んでいました。

本当は
簡単な旅行ではなく
道なき道を歩いて
生薬を探し回るというもので
へとへとになるのですが
その時は
喜んでいました。

教授が
すぐに
実際を話しても
一緒なら
どんなところでも
いいと思って
幸せを感じるふたりでした。

47

台湾への旅行は
大手製薬企業の
協力で
無料です。

パスポートを
はじめて
ふたりでとって
お互いに
見せ合っていました。

夏休みの
終わり頃
台湾へ行くことになります。

初日は
現地製薬メーカーを訪れ
生薬の判別です。

和己は
試料作りに励みました。

湖子は
生薬の
整理をしていました。

その晩は
ホテル泊
次の日は
朝早く起きて
バスに乗って
山奥へ
それから
徒歩で
山の中へ
歩み込んでいきました。

生薬探しです。

教授はじめ
目をさらにして
探し回りました。

和己は
生の生薬など
まったく分かりませんので
湖子のあとを
付いて行くばかりです。

和己の目には
どれも同じ
草に見えていたのです。

最初に見付けたのは
もちろん教授です。

写真を撮って
研究生みんなで
ジーッと見て回りました。

どんなところに
どのように生えているか
メモを取りました。



48

見付けた
植物は
貴重なので
採取の許可はもらっていましたが
置いておきました。

次に見付けたのは
湖子です。

大学に置いてあった
植物標本を見て
勉強していました。

標本はいわゆる押し花のような
紙のようになっているものを
何度見持て
特長を見ていました。

その甲斐あっての
発見です。

見付けた植物は
それ程貴重でもないので
採取しました。

教授のいろんな説明がありました。

そんな山奥を
夕方まで
歩いて
数十の植物を見付けました。

和己は
まったく分かりませんでした。

その日は
近くの
バンガローの様なところで
泊まりとなります。

湖子と和己は
満天の星空を
優雅に見ていました。

空を見ながら
寄り添い
星に願いを
掛けてみようかと
お互いに話していました。

なんだかんだと話をしていると
星空に
一筋の流れ星が
見られました。

最初は
一瞬だったし
余裕が中って
ふたりともできませんでした。

黙って
空を
見上げていました。

その時
流れ星が
というか
もう少し大きな
火球だったかも知れません。

その瞬間
和己も
湖子も
「結婚できますように」と
お願いしてしまいました。



49

その願いは
すぐに神政庁に
届きました。

神政庁の職員は
大方は神さまの分身ですが
妖精も勤めていました。

その中に
湖子の分身もいて
自分の願いを
自分で受け止めてしまったのです。

妖精としては
もちろん
神政庁としても
初めての事例でした。

神政庁では
その願いを
どのように
扱うか
協議しましたが
願いを叶えてやることにしました。

と言うわけで
星子は
いつものように
神政庁で指示書をもらって
経理課で前払いを受け
戻ってきました。

星子は
助ける人が
和己と星子だということを見て
剛と驚きました。

どうすればいいか
まず
湖子に尋ねました。

湖子は
良い考えがないので
星に願いをしたようで
名案を持っていません。

いつもの
湖子とは
違うと感じました。

「愛を解決するのは
論理的思考では
無理だ
人間を長くやってきて
もう人間的じゃないか」と
剛は思いました。

星子と剛は
ミッションを
どのように解決するか
話し合いました。



50

人間的な
その問題の解決するために
整理する事にしました。

「1.弥生は
養子に出しても良いと考えている

2.和己の父親は
何としても長瀬家を
継いで欲しい

3.厳しい農作業で
体が弱っている
弥生と
悟生は一緒に暮らしたいと
考えている

4.和己も
弥生と一緒に暮らしても良いと
考えている

5.和己の父親は
仕事を手伝って欲しいと
考えている」

が主な
ものだった。

剛は
問題の解決は
簡単だと考えました。

星子は
「そんなに簡単なの

剛ってステキ」と
叫びました。

剛は
「湖子は
長瀬家に養子に入るけど
住むのは
弥生の家
毎日
長瀬家に仕事に出掛ける
それから
休日には
弥生の仕事を
手伝う
と言うプランです」と
自信ありそうに
答えました。

和己や湖子にそのことを話すと
それは
素晴らしい解決方法だと
みんなの意見は
一致しました。

速攻の解決です。

妖精見習いの
剛にこんな良い考えがあるのかと
星子は
見直してしまいました。

和己の父親にも
納得してもらう必要があることを
みんなは忘れていたのです。









51

和己の家族は
湖子が聞いただけでは
少し複雑のようです。

妖精のほんの少しの力で
調べれば分かることですが
湖子はそれをしませんでした。

人間として
生きようと考えていたのです。

湖子は
和己に
家族のことを
聞くことを
ためらっていたのですが
和己の力になるためには
聞いた方が良いと
結論づけました。

和己は
重い口を
開きました。

「私の母は
3歳の時に
家を出て行ってしまいました。

理由は分かりません。

父は何も話しません。

それ以来
父の秘書に育てられました。

父親は
秘書には
満足していたようですが
私は
母がいない
寂しさは
なくなりません。

父親は
みんなには
偉い人ですが
私には
時間のない父親でした。

私には
、、、、、、


、、」と
述懐しました。

湖子の母親
弥生に
自分の母親を
重ねていたんだと
湖子は
気が付きました。

52

湖子:
いろんな事があったんだね

和己:
私は
母親に捨てられたんだと
思っています。

湖子:
そんな事
お母さんには
何か理由があったんだよ

和己:
お父さんは
優しい人でしょう

そんな人から
別れるなんて
考えられません。

湖子:
夫婦のことは
分からないから

和己:
悟生は
わかるの

まさか
結婚しているとか

そんな事ないよね

悟生さんの
ご両親も
仲の良い様に見えますが

いろいろあるんですか

湖子は
少しだけ焦ってしまいました。

湖子:
そんな事はない

絶対にありません


和己:
なに焦っているの

当たり前じゃないの

湖子:
和己の
お母さんは
どちらに今は

和己:
知らない

なにも聞いていないので

湖子:
そうなの

会ってみたいと思わないの

和己:
思いません

大きな声で
話す和己の言葉に
ウソがあると
湖子は思いました。




53

和己に
母親を
会わせたいと
湖子は思っていました。

どこにいるか
妖精の力を使えば
簡単だとも思っていたのですが
妖精の力は
使わないと決めていました。

まず
住民票を
閲覧しました。

当時は
誰でも
閲覧できたので
簡単です。

閲覧しても
新たなことは
わかりませんでいした。

そのままなのです。

いなくなってから
全く変わっていないのです。

変わっていないと言うことの方が
驚きだったかも知れません。

と言うわけで
住民票からは
わかりませんでした。

星子に頼んで
母親の実家に
聞き込みに
行ってもらいました。

剛は
うまく
実家のかぞくに近寄って
話を聞くことができたのですが
まったく分かりませんでした。

母親の
兄との
交流も全くないと言うことが
わかりました。

普通の手段での
調べ方では
わからないということが
わかりました。


54

やはりここは
星子に頼んで
調べようか
それとも
調べない方が良いか
と悩みました。

そこで
星子と剛を呼んで
「和己の
母親を
探して欲しい。

結果が
良かったら
私に知らして欲しい

あまり良くなかったら
剛と相談して
結果を伝えないで欲しい」
と頼みました。

調べるのは
妖精の力を
フルに使えば
簡単だが
その結果を
どう判断するかどうか
難しいと
思いましたが
仕事ですので
やってみることにしました。

母親の
実家のところで
まず調べました。

あれ以来
一度も帰ってきていないことがわかりました。

北陸方面にいるように
思えたので
ふたりは
石川に行って
その力で
調べ回ること
2日
探し当てました。

兼六園近くで
見付けたのです。




55

兼六園から
少し山側行った
小立野と言うところに
住んでいました。

小さなアパートの
2階暮らしでした。


その女性は
ぱっと見
和己に似ていました。

その女性のお部屋には
旧姓で
表札が上がっていました。

星子は
姿を隠して
女性を見張っていました。

ひとり暮らしで
見る限りは
慎みやかに見えました。

というか
貧しいように見えました。

正真正銘の
ひとり暮らしでした。

家に帰ったら
夕食を作り
後片付けをして
お風呂に入り
それから
テレビを見て
ベッドに入るという
毎日のようでした。

仕事は
近くの
スーパーマーケットの
店員で
早出の日と
遅出の日があるようで
遅い日は
9時過ぎの帰宅になります。

ここまでは
簡単にわかったのですが
なぜ家を
出ていったのかは
わかりませんでした。



56

星子の
ミッションは
出ていった理由を
調べることです。

どのように
調べるか
考えました。

時間を要しますが
夢の中で
尋ねることにしました。

調べられる人には
寝ている夢のように
感じるだけです。

それで
夜になると
母親の枕元に出向き
調べはじめました。

あまり長く調べると
気が付いてしまいますので
一週間ばかり要してしまいました。

星子は
寝不足になってしまいました。

わかったことは
次の様でした。

母親は
大金持で
裕福に育ちました。

和己の父親と
結婚して
和己を生んで
母親になったのです。

生まれた頃は
おじいさんおばあさんが
健在で
和己を殆ど独占されて
母親は淋しくなって
憂さ晴らしに
少し遠出のつもりで
出掛けました。

持参金に持っていた
200万円と
お小遣いを貯めた
30万円が入った
預金通帳と判子を持って
最初に来た
電車に乗るという
旅に出掛けたのです。

大阪駅で
最初に出発する
汽車が
「ゆのくに」だったので
それにのって
金沢まで来たのです。

有名な兼六園を見て
近くの
旅館に泊まって
何となく
数日経った頃
病気になってしまいました。

近くの
金沢大学の付属病院に行くと
肺炎の疑いと言うことで
入院することになります。

看護婦さんが
とても親切でした。

抗生物質の使用で
病気が良くなると
病院の周りを歩いていると
周りには
現在とは違って
大学が多くあり
若い学生の街でした。

近くのパン屋に行くと
パート募集と書いてありました。

母親は
一度も
働いたことがなかったので
これも経験かと思って
応募したのです。

母親は
和己に似て
とても可愛かったので
すぐに採用されました。




57

パン屋は
今のコンビニのようなもので
酒と米以外は
何でも売っていて
もちろんたばこも売っていました。

自動販売機がない時代でもありましたから
手売りです。

和己は
すぐにそこの看板娘になってしまいました。

住むところも
店の上の空いている
部屋に住めました。

眺めの良い窓から
日本アルプスが
一望できました。

月末の
給料日に
もうそろそろ帰ろうかとも考えましたが
何となく
金沢が
居心地が良かったのです。

職場では
同僚や店長から
期待されるし
客は
若い男性が多くて
ちやほやされるし
三度の食事は
店から支給されて
料理はする必要もないし
当時では珍しい
洗濯機でパッパと洗濯はできるし
それ以上に
当時では貴重な
テレビも見る事ができたのです。

一ヶ月が過ぎ
二ヶ月が過ぎ
半年が過ぎ
一年が過ぎると
もう帰るに帰られなくなります。

冬になると
お客さんの大学生に誘われて
スキーもできました。

冬は
雪かきをしないと
いけなかったのですが
それも楽しく思えました。

雪かきをしていると
お客の大学生が
すすんで
手伝ってくれました。



58

楽しい時間でした。

金沢にいたら
必要とされていたのです。

長瀬家では
そうではなかったと
思い出を母親は
話し始めました。

結婚して
長瀬家に嫁いでも
やることはなかったのです。

家事の大方は
秘書と呼ばれるお手伝いさんがやってしまうし
和己の世話は
今はなくなっている祖父母がしていて
そうかと言って
会社の手伝いもさせてもらえないし
一日中閑でした。

テレビを見たり
インターネットを見たり
ができる現代ではないので
時間をつぶすことは
かなり
大変でした。

まわりの
セコセコと働いている人間から見ると
うらやましくうつっていたのも
母親には耐えられませんでした。

そんな中で
旅に出たのです。

別に夫に
不満があるわけでもなく
好きな人ができたということも
まったくありませんでした。

旅のつもりで
家を出たのですが
それが
こんなにながく
なってしまうとは思いませんでした。

長くなると
もう帰られなくなってしまったのです。

一度だけ
家に見に行ったこともありました。

二年ばかり経った夏の日に
汽車に乗って
大阪まで行き
それから
長瀬の駅まで乗り換えて
到着しました。







59

いつものように
駅前は
大賑わいでした。

駅の近くにある
大学が
段々と大きくなっていて
学生で
多くなっていました。

駅前には
目新しい
喫茶店もできていて
そこにひとまずはいりました。

そこからは
長瀬の家が
よく見えました。

別に変装していませんでしたが
まったく気付かれませんでした。

以前は
「あまり出掛けないように」という
言いつけから
家から
殆ど出掛けなかったので
長瀬の人達は
長瀬家の新妻がいなくなったことは
知っていても
どんな人か
まったく知らなかったのです。

そんな理由で
喫茶店で
閉店まで
見ていました。

普通に
長瀬家の日とは
生活していました。

社長の夫も
仕事をしていましたし
和己も
世話役が
普通にお母さん役をしていました。

おじいさんおばあさんも
ふつうに
生活していました。

少しは
自分がいないことで
変わっていたら
戻ろうかと
思っていたのですが
残念でなりませんでした。

閉店で
店を出て
駅から
大阪駅に向かいました。

金沢行きの
電車がなくなっていたので
旅館に泊まって
翌朝
金沢へ向かいました。

それ以来
長瀬には
来たことがありません。




60

妖精の星子は
夜に調べていたのですが
妖精の見習いの剛は
姿を消したり
心を読んだりできませんので
お昼間
母親が働いている様子を
見ていたのです。

母親が
はじめに
勤めていた
パン屋さんは
現在のパン屋さんとは
違っていて
パンを売っているだけで
パンを焼いてはいません。

地元地元に
それなりの
パン工場があって
そこから
仕入れて小売りしていたのです。

他にいろんなものを売っていて
今のコンビニのような
ものでした。

看板娘可愛いためか
若い学生で
繁盛していました。

昭和45年頃になると
パン屋は
道路隔てた
前に新しく
スーパーマーケットを作って
そこに引っ越しします。

もとのパン屋は
駐車場になって
その隣に
ファミレスができました。

母親は
パン屋がなくなる時に
近くの
少しだけ大きめの
お部屋に移りました。

窓からは
同じように
日本アルプスが見える
眺めの良い場所です。

母親は
レジ係でかわりませんが
給料も上がって
休みも増えました。

友達もできて
第二のふるさとに
金沢なっていました。




61

母親の家出と
その後の様子がわかったのですが
これを
はじめの約束に従って
湖子に知らせるべきか
知らせないか
判断する必要があります。

たぶん
湖子に知らせると
和己に伝え
きっと和己は
母親に会いに来ると
考えられます。

そしたら
今は平穏に過ごしている
母親の生活は
乱されることになります。

ながく別れて過ごしていた
娘に会えるという点もありますが
それが
母親にとって
幸せかどうか
会った娘が
幸せになるかどうか
わかりません。

和己のことは
湖子に判断してもらうとして
母親については
判断する必要があります。

剛は
星子に
「また夢の中で
しらべたら」と
言ったのですが
星子は
「それは夢の中では
調べられないわ。

夢の中で調べられるのは
確定した記憶や
確固たる意思が必要で
娘と会えたらとか
金沢から離れたらというような
仮定の話では
頭の中に
そんな概念がないので
しらべられないわ」と
答えたのです。

そこで
直接
聞いてみるという
超古典的な方法を
使うことにしました。

人間として
経験豊富な
剛が
聞いてみることになりました。


62

男性の剛ひとりが
尋ねるに行くと
不審がるので
星子とふたりで行くことにしました。

休みの日の
昼下がり
ふたりは
お部屋を訪ねました。

チャイムを鳴らして
出てきた
母親に
言ったのです。

剛:
少しだけ時間よろしいでしょうか。

母親:どなたですか

剛:
剛と星子と言います

母親:
あー

剛:
怪しいものではありません

母親:
ふーん

それで

剛:
話があるんです

母親:
どんな話ですか

新聞とか
宗教の勧誘なら
まにあっていますけど

剛:
そんなものではありません。

お子様の話なんです。

母親:
お子様って
私ひとり暮らしですが

剛:
今はそうかもしれませんが
昔は
いらっしゃったでしょう

母親:
えー
そんなこと
何で知ってるんですか

剛:
その理由は
言えないんですが

母親:
、、、、、、、


剛:
とにかく聞いて下さい。

母親は
わけが分からないので
ぽかーんとしていると
剛の押しに負けてしまいました。




63

剛と星子は
あつかましく
お部屋に入りました。

椅子に座って
話が始まりました。

剛:
あつかましくて申し訳ございません。

母親:
そうですよね
久しぶりの休みなのに

星子:
お手伝いしましょうか
家事のお手伝いは
慣れているんですよ

母親:じゃ
手伝って下さい。

それと
説明して下さい

剛:
話を聞いてくれて
ありがとうございます。

やはり
詳しく言わないと
わかりませんよね

説明します。

私たちは
妖精なんです。

母親:
余計にわからない話しに
なっているんですけど

妖精ってなに

やっぱり
宗教の勧誘?


剛:
私たちが妖精ということは
おいておいて
ある人からの依頼で
申し訳ございませんが
あなたを調べているんです。

母親:
えっ

ある人って
誰ですか

もと亭主とかですか

あの人は
探すわけがないし

剛:
それが誰か
言えないんです

お答えによっては
引き合わせて
わかることになるかも知れません。

母親:
亭主ではないというなら
和己?

剛:
お答えできません。

あなたが
和己さんの
母親であることは
誰にも言っていません。

母親:
よかった

誰にも言わないで下さい。

ところで
和己は
元気なんですか

今はどうしてるんですか

剛:
和己さんは
今は薬学部に通う大学生です。

婚約されています。

卒業と同時に
結婚される予定です。

64

母親:
よかった

剛:
この結果を
私たちは
和己さんに伝えるべきかどうか
悩んでいます。

知らせることによって
あなたと
和己の
日常の生活に
大きな変化を生じます。

そこで
あなたにそれについて
意見を聞くためにやってきたのです。

母親:
えっ
私のそれを
決めさせるのですか

私は
、、、、、
、、、


沈黙が続きます。

星子が
お茶の容易をしている
音だけが
聞こえて
、、、、
、、、、、、


それから
お茶を持って来ました。

星子は
離れていましたが
話の内容は
もちろんわかりますので
母親の
迷っている様子が
に取るように
見えました。

剛も
あとを
どのように話していいか
わかりませんでした。

お茶の香りだけが
漂っていました。




65

沈黙がながく続きました。

それを破ったのは
母親でした。

母親:
和己は私のことを
どのように思っているのですか。

剛:
それは
父親も和己も
話していません。

近所の人が
話している
ところによれば
あなたがいなくなった
翌日には
みんなで探したそうです。

会社の従業員にも
応援を呼んで
大捜索隊を編成して
地元長瀬はもとより
大阪府下奈良京都兵庫まで
探し回っていました。

その頃は
金沢に行かれていて
いなかったんですよね。

一週間も
続きましたが
「便りのないのはよい便り」ということで
待つことにしました。

それ以来
母親のことは
話さないことになったようです。

たぶん
ふたりとも
我慢していると思います。

本当は
会いたいのだともいます。

たぶんですけど


母親:
そうですか

、、、、、、


私のことを
和己に話して下さい。

どのような結果になっても
受け入れます。

誰だか知れませんが
よろしくお願いいたします。

剛:
わかりました。
あなたの
思いを
伝えます。



66

星子の
出したお茶を
美味しく
ゆっくり飲んで
剛と星子は
帰りました。

星子は
剛が調べた結果を
湖子に
送りました。

いわゆるテレパシーで
送ったのです。

湖子は
その結果を
聞いて
少しだけ考えて
やはり
和己に伝えることにしました。

つぎに
和己に会った日に
湖子は
和己に話しました。

「和己さん

これから話すことは
話しても良いかどうか
悩んだんですが
やはり
話した方が
和己さんのためになるのではと
思って話します。

驚くことがあるかも知れませんが
最後まで
聞いて下さい。

和己のお母さんは
和己が
3歳の時に
いなくなります。

最初は
家出しようかと思ったのではなく
旅行にでも
行こうかと
気軽に
家を出たのです。

『旅行に行きます』と
置き手紙を
残したと
言っていました。

大阪から
最初に出る
汽車に乗って
金沢に着いたそうです。

金沢は
良いところで
ついつい
長居をしてしまっそうです。

少し病気になって
入院して
それから
働いてみたいと言うことで
働き始めたのです。

それが
楽しくなって
2年が過ぎました。

一度だけ
長瀬に戻ったのですが
その頃には
お母さんの居場所は
ないように感じてしまったのです。

そこで
金沢に
18年暮らしてしまったのです。

お母さんは
和己さんの
結婚を大変喜んでいるそうです。

和己さん
どうしますか。」
と話しました。






67

和己は
ジッと聞いていました。

表情を変えませんでした。

最後まで聞いて
すぐに
和己は
平常心を装っていました。

湖子には
それがわかりましたが
知らない振りをしていました。

和己:
お母さんは
元気なんですか

湖子:
お母さんは大変元気だそうです。

毎日
スーパーのレジを
打っているそうです。

和己:
よかった

私にも
お母さんがいたんだよね

一度会ってみたいな

湖子:
そう
僕も
会いたいです。

和己:
ところで
どんな風のにして
見付けたの

父の話では
どんなに調べても
わからなかったそうなのに

探偵でも使ったの

湖子:
探偵ではなくて
妖精にお願いしたんだ

和己:
妖精ってなに
なんなの?

湖子:
だから
妖精なんだ

湖子:
わからないけどありがとう



68

父親には
まだ話さないと言うことにしました。

和己が会ってから
決めるそうです。

会う約束を
するために
星子と剛は
母親と
また
会いました。

次の次の
休みに
会うことになりました。

父親には
湖子と
日帰りの
金沢旅行と言って
出掛けたのです。

記憶にはない
母親に会うという
心ウキウキの
出会いの予定でしたが
和己の顔は
少し固いようでした。

複雑なんだろうと
湖子は
思いました。

朝一番の
列車で
出掛けました。

10時過ぎに
金沢駅前着いて
待ち合わせの
喫茶店に入りました。

既に
星子と剛に連れられた
母親は
席に座っていました。

湖子に促されて
その席に
和己は
近づきました。

すでに
ふたりの目は合って
そうだとわかったようです。

ふたりの
表情は
変わりませんでした。








69

話は淡々と過ぎて
さほどの実りもなく
感動も感じられませんでした。

小一時間話して
話が続かないので
終わりになりました。

湖子は
『人間は
わからない』と
あらためて思いました。

湖子が
妖精の力を使って
和己と
母親の心を読んでいれば
それは
そんな簡単なものでないし
人間も
理解できたのかも知れません。

湖子は
敢えて使わないように
しました。

人間として
生きていこうとしていた
湖子ですから
そうしたのです。

住所のメモだけを
渡しあいました。

その日は
それでお仕舞い
和己は
湖子と一緒に
金沢から
帰りました。

母親は
星子と剛に連れられて
小立野に
戻りました。

殆ど会話もなく
無言でした。

まだ日がある内に
和己は
家に戻りました。

「今日はありありがとう」と
言って
家の中に
消えていきました。

湖子は
これで良かったのかと
思ったのです。




70

それからは
そのことにまったく触れませんでした。

湖子と和己は
大学の勉学が
忙しくなりました。

ゼミでの
研究の一環である
生薬の同定も
顕微鏡を使わなくても
大体はわかるようになっていました。

大体では
ダメなので
顕微鏡で
もちろん同定するのですが
その時は
和己が作る
検体が
威力を発揮します。

指導の
教授は
湖子と和己のペアは
最強だと
考えていて
卒業後も
大学に残って
大学院にいくか
助手となるかを
強くすすめていました。

和己は
それも良いかと考えていたのですが
大学院生では
湖子との結婚できないので
助手かとも思ったけど
助手では
例の結婚の条件を
満足できないことになります。

和己と湖子は
相当話し合いました。

湖子は
和己と結婚できる道の方を
選ぶと
話しました。

和己は
自分のために
目指しているものを
諦めないで欲しいと
言いましたが
湖子は
それはありがたく
聞いて
大学からは
離れることにしました。

そのことを
ふたりで
教授に告げると
大変残念がっていました。

湖子は
人間は
大変だと思いました。

妖精なら
こんな選択は
絶対にないし
ふたつを
いや三つでも
同時にできるのにと
思ったのです。

人間は
弱いと
あらためて
思いました。


71

湖子には
名誉欲とか
趣味とか
希望とか
そんなものがないので
大学院に進んで
立派な学者になりたいという
願望もないのです。

逆に
そのようなものがない妖精の
もどかしさを感じたのです。

そんな事があって
湖子と和己は
4年生になりました。

4年生になると
卒論のための研究と
薬剤師の国家試験勉強が
主になります。

卒論研究については
教授が
「生薬の顕微鏡下の同定」という
研究課題を
与えてくれました。

卒論は
今までの延長で
もう二年もしているので
データも
たまっていて
充分な量です。

それよりも国家試験の方が
問題でした。

湖子は
記憶力が
人以上ですので
問題はありません。

しかし
和己は
少し問題です。

和己も
マジメですが
国家試験は
大変難しくて
湖子には
心配でした。

もし通らないと
結婚条件にも
合致しなくなります。

湖子は
和己の
受験勉強を
助けていたのですが
助けられるのは
少しだけでしたので
心配でした。


72

和己を
助けるために
勉強を一緒にしました。

過去問を
何度も行ったのですが
合格点までは
なかなか達しなかったのです。

そのうえ
和己は
飽き性で
勉強が長続きしません。

当時の薬剤師試験は
卒業して
4月にありました。

和己の父親との取り決めがありますから
合格後
湖子と
結婚することになっていて
合格が決まってから
日程を決めることになっています。

そんな日程になっていますので
湖子も
父親の会社に就職することに
なっていましたので
無職と言うことで
母親の
弥生の仕事を
手伝っていました。

弥生の仕事で
建物の
ペンキ塗りをしていました。

その合間に
和己の勉強を見たりしていました。

湖子自体は
殆ど勉強をしませんでした。

和己の勉強を見ていただけで
充分に
内容がわかっていたのです。

近くの
女子薬科大学での
二日間の試験は
和己にとっては
過酷でしたが
何とか乗り切れたというようで
湖子は
ホッとして
結果待ちでした。

和己には
神頼みしかなかったようで
近くに神社に
お百度参りをしていました。

湖子は
「妖精ではなくて
神社なんだ

妖精の私には
少し皮肉だわ

でも
妖精に頼まれても
試験に合格というのは
ちょっとハードルが高い
かもしれない」と
思いました。


73

一週間後の朝
新聞の地域版に
国家試験の合格者の名前が
並んでいました。

湖子の名前は
ありました。

和己はどうなんだろうと
電話をしました。

和己は
見ていないというので
早く見て欲しいというと
しばらく時間が過ぎてから
受話器の向こうから
歓喜の声が聞こえました。

「合格
合格
合格です。」との声です。

湖子は
良かったともいました。

それから
湖子と和己の結婚の準備が
始まりました。

湖子が
婿養子に入るというので
和己の父親からの
結納から始まります。

長瀬家から
5月の大安の日に
結納用品一式が
持ち込まれ
座敷に並べられました。

足の踏み場もないと言うほどの量です。

結納金自体は
1000万円で
破格です。

弥生は
びっくりです。

いわゆる嫁入り道具を
それなりに作らないと
いけないので
大慌てです。

新居も庭に新たに
作りました。

南向きで
明るい部屋でしたが
キッチンと
6畳がひとつです。

和己は
「こんな部屋に住んでみたかった」と
嫌みではなく
いっていました。

小さなお部屋に住んだことのない
和己には
新鮮だったのかも知れません。



74

結婚式は
秋でした。

湖子は
結婚の条件の通り
長瀬の
和己の父親の会社に
就職していました。

当時では非常に珍しい
週休二日制で
月曜日から金曜日まで
びっしり
働いていました。

会社はネジを作る会社で
当時は
繁盛していました。

湖子は
最初は
下働きで
肉体労働です。

湖子は
筋肉が付いてしまいました。

毎日毎日
疲れて家に帰りました。

弥生は
心配でした。

生まれてから
病気というものを
しない湖子でしたので
大丈夫かと
思っていたのですが
やはり
心配でした。

夏は
エアコンが
工場には
ありません。

特に厳しい状況でした。

古参の従業員は
腕を自慢していました。

ネジ工場は
いろんなものを作っていました。

汎用品から
全くの特注
特殊なものまで
作っていて
特殊なものは
職人が
旋盤で作り上げるのです。

「俺にしかできない」と
自慢するだけのことはあります。







75

そんな中で
湖子は働きました。

休日は
弥生の手伝いも
している毎日です。

和己に会えるのは
職場で
お昼ご飯の時だけです。

少しの時間でも
仲良く過ごしていました。

夏が過ぎて
秋が来て
結婚式は
近づいてきました。

準備は
和己の父親の
秘書がすべてとりしきっていました。

長瀬家の招待客は
国会議員・市長をはじめ
名士そのものの面々でした。

来住家は
親戚も少ないし
そんな名士にも
繋がりがなかったので
大学の先生を
呼ぶことにしました。

秘書は
和己の
母親については
居場所を
まったく知らなかったので
招待など
気にも留めませんでした。

湖子は
「結婚式に
母親を呼んだら」と
和己に
一度だけ言ったのですが
それっきりになっていました。

微妙なことなので
どんな風にしたらいいか
わかりませんでした。

式の日程が
段々近づいて
湖子は
焦ってしまいました。

やはり
和己が本当は
どのように考えているかが
大切だと思ったのですが
真意を
知ることは
普通の人間には
無理でした。



76

人間としての
人生を歩むのが
湖子の
ミッションですので
妖精の力を
使いませんでした。

それを感じた
星子は
和己の心を
読みとることにしました。

妖精の星子にとっては
さほど難しいことではありませんでした。

星子は
和己が
湖子の家に来た時に
少しだけ
時間を止めて
心を
瞬時に
読みとったのですが
不可解な結果でした。

「和己は母親に
会いたいけど
会いたくない。

結婚式に出席して
晴れ姿を見て欲しいけど
見て欲しくない。

父親と会って欲しいけど
会って欲しくない」という
結果なんです。

人間はわからないと
星子は言うと
剛は
「僕にはわかります。

そんなものなんです。

いつも決めかねているのが
人間です。」と
答えました。

星子が
「どうすればいいのよ」と
再度言うと
剛は
「そんな時には
会わせる方を選ぶと良い

会わないと
一生後悔だけが残る

後悔しないためにも会わせるべきです」と
結論つけました。

そのことを
湖子に伝えました。





77

湖子は
和己を愛していたので
母親を
呼ぶことにしました。

和己の父親
つまり
会社の社長にも
そのことを伝えました。

父親は
驚いていましたが
娘の
一生後悔のことを考えて
賛同しました。

父親も
会いたいようでした。

湖子は
金沢に行って
そのことを伝えました。

母親は
感激して
涙を流して
喜んでいました。

駅まで送ってもらいました。

和己には
サプライズと言うことで
黙っていました。

それで良いか
何度も考えましたが
人間の脳で
考えても
わからないし
妖精の
洞察力だけでも
わからないことなので
剛の言うようにしかできないと
決めました。

そう決めると
心が
軽くなりました。

湖子はあらためて
人間の悩みって
何なのか
わからないことが
わかったと
思いました。





78

結婚式は
盛大そのものでした。

天井の高い
ホールが貸し切られて
行われました。

国会議員や
市長が次々に
演台にたち
演説を
ぶち上げていました。

和己は
何回も
お色直しをしていました。

母親は
親戚席ではなく
友人席に座ってみていました。

式は
3時間に及び
ました。

偉い面々は
あまりにも長いため
帰ってしまい
空席が目立ちはじめていました。

最後の
和己のお色直しの時に
母親に会わすことになっていました。

衣装を着替えて
入ろうとした時に
母親に会いました。

母親の目は
潤んでいました。

母親にエスコートされて
新婦の入場に
スポットライトが
あてられました。

案内のアナウンスは
「新婦の入場」だけで
詳しいことは言いません。

母親に手を引かれて
ドレスの和己の入場です。

拍手がわき
それが
ふたりの涙を誘います。







79

光が当たっているのは
新婦だけなので
エスコートの母親は
見ているものには
誰だかわかりません。

新郎のところまで来て
湖子と和己母親は
目があいました。

3人は
感極まって
涙です。

それを見ていた
観客も
理由がわからなかったけど
涙を流しているものも
いました。

母親であることに
気が付いたものは
いませんでした。

知っているものは
少なかったし
宴席が長くなって
お酒を飲んでいて
わからなかったのでしょう。

もちろん
事前に知らされている
父親は知っていましたが
結婚式の
当日には
挨拶できませんでした。

長い宴席は
お開きになって
湖子と和己は
新婚旅行に
大阪空港から
旅立ちました。

母親は
星子が
駅まで送っていきました。

ハワイに着くと
暑くて
英語が話されていました。

妖精の湖子なら
何の問題もなかったのですが
人間の湖子は
日本で
英語教育を
受けただけなので
ハッキリ言って
まったくわかりませんでした。

和己は
湖子が英語が話せると
思っていたので意外でした。


80

少しだけ
和己に
見放されそうになったので
湖子は
思わず
妖精の力を使って
英語を話しました。

「なんだ
悟生さん
英語はなせるじゃないの

最初から
話してよ
心配するんだから

悟生さんも
お茶目ね」と
和己が
笑って言いました。

湖子は
「えへ」と
いうしかありませんでした。

使わないと
決めていた
妖精の力を
使ってしまって
残念に思いました。

そんなに
和己が好きなのかと
自分でもあきれるほどでした。

たのしい
ハワイ旅行は
終わって
木枯らしが吹く
日本に帰ってくると
こんどは
新しい生活が始まります。

和己が
ずーっと
家にいて
夜も一緒です。

料理も
作ってくれて
一緒に食べると
これが美味しくて
ついつい食べ過ぎてしまうのです。

太ってしまいました。

太った
妖精は
妖精界では
初めての事件というか
事象でした。

星子と剛も
びっくりです。







81

湖子は
数ヶ月で
太って
貫禄が付きました。

それも良いかなと
思ったのですが
動きが
少し鈍くなりますし
和己が
ひと言だけ
「太ったね」と
言われたのが
ショックでした。

それで
ダイエットしてしまいました。

妖精のダイエットです。

湖子は
これも経験かと
思ったのです。

意思が固い
湖子でしたから
すぐに減量できました。

和己は
すぐに減量できる
湖子を
尊敬してしまいました。

そんな
日常の中で
子供が生まれました。

仲が良すぎて
2年目に長男が
6年目で次男が
そして
10年目に長女が生まれました。

弥生や
和己の父親は
大喜びで
お誕生日の日や
こどもの日には
双方の家で
宴会でした。

湖子は
幸せの見本のような
家族の中で
妖精の休日を
謳歌していたのです。

湖子は
こんな
人生なら
妖精や神さまは
必要ないと思いました。







82

愛する和己がいつもいて
湖子をどこまでも慈しんでくれる母親もいて
可愛い子供もいて
やり甲斐のある仕事もあって
普通の
人間にもないような
幸せだと
感じていました。

妖精の仕事をしていると
いろんな場面で
不幸になった
人間を
助けに行くことが多いのに
こんなに幸せな人間も
いるのだと
はじめて思いました。

日々を
精一杯
暮らしていました。

精一杯暮らせば
暮らすほど
湖子は
幸せになっていきました。

時は
バブルの時代を
迎えます。

世の中のみんなは
幸せでした。

和己の父親の会社は
その景気に乗って
事業を多角化するか
それとも
地道にするか
決断をしかねていました。

湖子にも
聞いてきました。

湖子は
神さまの力を借りて
未来から
やって来ていますので
バブルの結末を
もちろんしています。

しかし誰もが
これが続くと
思っている
時代ですから
そんな事を
言うべきでないと
考えました。




83

弥生は
銀行のすすめにもかかわらず
バブルには
手を出しませんでした。

先を読んで
手を出さなかったというのではなく
ただただ堅実と言うだけです。

一方
和己の父親は
会社のことを考えると
銀行のすすめに従って
手を出すかどうか
経営判断を
決めかねていました。

いろんな人に
聞いて回っていて
もちろん
湖子にも
聞きました。

湖子は
「私は若くて
経験がないので
先行きは
わかりません。

しかし
母親は
やっていません。」とだけ
答えました。

父親は
「女性で
財をなした
悟生さんのお母さんが
そう判断するのは
何か考えのあったからかも知れません。

私も
それにしたがうことにする」と
心の中で
そう判断しました。

会社は
本業を
地道にやっていくことに
なったのです。

湖子は
良かったと
思いました。


84

湖子は
自分でも
堅実だと思いました。

ギャンブル心があれば
それを
リスクを取って
ハイリターンを
期待するのですが
妖精は
そんな
ギャンブル心が
ないんだと思いました。

いや
ギャンブル心がないのではなく
計算高いのかも知れないと
思いました。

いずれにせよ
長瀬家も来住家も
バブルの恩恵に
よくすることなく
時は流れていきました。

バブルがはじけると
日本中は
不景気になります。

和己の父親の会社も
段々と
受注量が
少なくなってきました。

安い中国製が
ザーッと
入ってきて
それに押されて
売り上げが少なくなってきたのです。

ネジのような
汎用品は
中国の多量生産品と
競合していました。

会社としては
何とか
これを切り抜ける手立てはないかと
考えあぐねていました。

湖子は
この頃になると
経理や
現場を
行ったり来たりする
従業員になっていました。

手が欲しいところで
働いていました。


85

社長の父親は
湖子にも聞いてみました。

会社の苦境は
経理の手伝いをした時に
わかっていました。

そこで
考えていました。

妖精の力を
使わなくても
湖子は
経験も
知識も
充分あったので
いろんな案が
考え出していました。

そこで
全体会議で
発表することにしました。

他にもいろんな案が
発表されました。

湖子の案は
ネジの永遠の課題
「緩まない」の解決です。

いままでに
たくさんの人が
考えたことなんですが
いずれも失敗でした。

湖子の案は
ひとつのネジを
ふたつの部品で作って
ひとつを
もうひとつに
くさび状に
かみ合わせるものです。

その案は
老練な技術者には
製作の困難さを
指摘されました。

それは
良いかもしれないと
考えた
社長は
「困難だからこそ
あなたにお願いします。」と
一番
老練な技術者に
頭を下げて
お願いしました。




86

そんな風に言われると
職人気質の
技術者は
やるしかありませんでした。

湖子は
技術を持っていませんので
ただ見ているだけです。

開発中の
緩まないナットは
多くの人が
試みて
失敗したものでした。

数ヶ月
材料と
機械・寸法や傾斜を変えて
試行しました。

ふたつの部で
それを
満足するものができました。

ネジのゆるみを
検査する機械にかけても
はずれないのです。

相当の
出来上がりです。

ふたつの部品になっているのですが
これが
実用性が
劣るのです。

ふたつの部品では
簡単に
締めることができません。

湖子は
このふたつを
接着することにしました。

緩く接着して
締め付けると
剥がれて
もっと締められると言う
策です。

これは
大変使い易かったのです。

製品化することにしました。


87

性能は優れていたネジは
絶対売れると
社長をはじめ
全員がそう思っていました。

しかしそうではなかったのです。

サンプル出荷して
他の工場が
いざ使ってみると
締めてから
外した時に
ふたつの部品が
バラバラになって
クレームが
出てきたのです。

在庫の山まではいきませんが
不良な在庫が
できてしまいました。

ふたつの部品を
接着材ではなく
回してもとれないような
ものにしないと
いけないと思いました。

会社全員考えましたが
良い案が出ません。

湖子も
考えてみました。

妖精の力を使っても
そんな案は
でないのではないかと
思いました。

そんな時に
和己と
テレビを見ていると
液体窒素で
冷やすと
すぐに固まるし
小さくなると
言っていたのです。

それを
見ていて
思いつきました。

スナップで繋いで
一方を
冷やして少しだけ小さくして
嵌め込んでしまおうとする
やり方です。



88

ものすごい精度が必要です。

今作っているより
10倍の精度が必要で
取っても無理というのが
技術者の一致した味方です。

無理かと思った時に
試作として作ったネジを
湖子が
何となく引っ付けてみると
偶然引っ付いてしまいました。

偶然
ふたつの部品の
大きさがあったのです。

ふたつめは
合いませんでした。

もちろん
みっつ目も合いません。

2時間かけて
合ったのは
3個でした。

ひとつひとつ合わせていくという
そんなやり方は
時間ばかりかかって
単価が合いません。

この結果を受けて
会社全体は
「無理で不可能」と
結論つける空気でした。

湖子は
諦めていませんでした。

試作品の
多量のネジを
持って帰って
夜
合わせていたのです。

だれも
そのことには
何も言わずに
1週間が過ぎて
湖子は
この解決策を
会議で話すことになります。

89

会議で
湖子は
手を挙げて
最初に提案しました。

「ゆるみ止めナット
解決策がわかりました。

作りましょう
こんどは大丈夫です。

絶対に大丈夫です。

大丈夫ですが
それには
ある種の測定器具が必要です。

自動で内径・外径を測定して
組み合わす器具です。

在来の器具を
改良すれば
可能です。

その器具で
測定して
組み合わせるペアを
探すのです。

この器具さえあれば
絶対にできます。

先日のネジ
手で合わすと
半分が合いました。」
と言って
合ったネジの箱を
机の前に出しました。

みんなは
「おー」と
言うだけで
賛同するのか
反対するのか
何もしないのかさえ
わからない状況でした。

静かに沈黙の時間が
流れました。

湖子も黙っていました。

進行役の
秘書が
「今の提案は
あとで考えると言うことで
次の議案いきます」と
いうと
みんなは
納得して
ホッとしていました。

90

湖子の提案は
その場では保留となりましたが
社長の父親は
詳細を聞いてきました。

十分に説明しました。

特殊な用具の開発が
必要でした。

ふたつの
ナットをラインに流して
大きさを計って
合うものを
セットするという
仕組みです。

いずれも
現在の技術で可能ですが
いちから
組み立てなければなりません。

数ヶ月
かかって
ようやくできました。

試作した
ナットを入れると
組み合わせられて
出てくるのです。

そのナットを
売り出したのですが
必要な人には役に立ちますが
そこまで必要でないほうが
多いので
売れたのは
限定的でした。

それ程
売り上げが
伸びるわけでもなく
会社の
経営は
大変でした。

湖子は
人間社会は
大変だと
何度も実感していました。

努力しても
無理なものは
無理なのかと
思ってしまいました。



91

その後も
高度なネジに
特化していく
経営方針で
すすむことになりました。

湖子も
会社の一員として
がんばっていました。

そんな中
地震が起きたのです。

家で
和己と
子供と
川の字に寝ていた時に
起きました。

湖子は
強い突き上げる
揺れを感じて
目が覚めると
薄明かりの中で
天井が
大きく撓んでいるのが
見えました。

和己は
子供たちに
「布団をかぶっておきなさい」と
叫んでいました。

三度の突き上げあって
横揺れに
なりました。

直後
電気が消えて
当たるが暗黒になりました。

数秒続いて
納まりました。

湖子が
住んでいた
離れは
大丈夫でした。

母親の
弥生のところに
行こうとして
歩き始めた時に
足が痛くなりました。

92

あとでわかったことですが
食器棚が
倒れて
割れたガラスが
散らばっていたのです。

真っ暗でわからなかったので
踏んでしまったのです。

痛みをこらえて
母屋に行きました。

外は真っ暗でした。

いつもなら
道路の外灯で
明るいのですが
月も星もない
この日は
真っ暗でした。

わかっているので
手探りで
母屋に行きました。

大声で
「お母さん」と
叫びました。

向こうの方から
「悟生」と
叫んでいました。

母屋の扉を開けて
中に入ると
懐中電灯が
床の上で
光っていました。

懐中電灯が
いつもの場所から
落ちた拍子に
電気が入ったのです。

懐中電灯を頼りに
奥の
弥生の部屋に
倒れている
家具を超えていくと
弥生は
元気に
手を振っていました。

「よかった」と
ふたりで喜びあいました。



93

来住家には
貸し家を含めて
なんの問題もないことを
8時頃までに
湖子は
確認しました。

「よかった」と
思いつつ
子供の顔を見ていると
和己が
ちょっと大声で
叫んで
やって来ました。

「大変です。

隣の
星子さんの家が
潰れています。」と
言って
飛び込んできました。

湖子は
星子たちは
妖精だから
まさか
地震の犠牲になっては
いないだろうと
思いつつ
現場に行きました。

星子の家は
屋根だけになっています。

2階建ての家だったのに
屋根だけになっていたのです。

下敷きになっていないか
心配そうに
付近の人が集まってきていました。

湖子は
少しだけ妖精の力を使って
星子を呼びました。

星子は
もちろん
地震で
家の下敷きなんかには
なっていませんでした。

もちろん剛もですが
神政庁からの
急な呼び出しで
震源地近くに
助けに行って
今はいないということが
わかりました。

湖子は
「星子さんは
大丈夫」と
みんなに言って回りました。




94

湖子が住んでいる
付近では
大きく家が潰れたのは
星子の家だけでした。

余震のなか
空には
ヘリコプターが
飛び回り
テレビでは
惨状が
映し出されていました。

目を覆うような
様子です。

和己は
「神はいないのでしょうか。

この地震で困っている人の中には
良い人もいるでしょうし」と
湖子に
何となく話しました。

湖子は
ドッキリしました。

湖子は
妖精で
神の手足となって
働いています。

神さまは
現世のことは
大方を
自然の法則にまかしていたのです。

自然の法則に従って
進化して
人間が
生まれてきても
その方針を
守ってきたのです。

それが
答なんですが
湖子が
和己に答えることは出来ません。

「本当にそうだね」というのが
精一杯でした。

人間として生きてきた
湖子は
そのようにしか
言えなかったし
人間としては
神さまは
理不尽だと
感じました。

神さまに
進言してみようかとも
思ったのですが
神さまは
そんな事は
とうの昔に承知しての
ことだろうし
神さまには
なんかそうなんだと
思うことにしました。

湖子に人生は
このジレンマが
続くのです。





95

和己の父親の
会社では
ボランティアに
行くことにしました。

テレビで
ボランティア元年とか
言っているのを
父親が聞いて
やることになったのです。

取引先に
被災した会社があったので
そこで要望を聞いて
救援物資を
車に積んで
行ったのです。

最初は
水やパン
次に
屋根を覆うブルーシートを
持っていきました。

ブルーシートは
屋根の上にのぼって
覆うことまでしました。

次に簡易トイレ
段ボール
なども
持っていきました。

そのようなことで
こんな惨状が
改善するとは思わないけど
すこしでも
役に立てたらと思って
湖子は
しました。

物資を持っていくだけでなく
後片付けや
炊き出しなどの
ボランティアにも
頻繁で掛けました。

こどもも
弥生も
そんなに
がんばらなくてもと
説得したのですが
全然聞き入れませんでした。

和己だけは
理解してました。


96

こうして
ボランティアが続きました。

避難所の
生活の質を上げるのが
課題になっていました。

プライバシーを守るために
段ボールを持っていったり
暮らしやすくするように
畳を持っていったり
シャワーを浴びられるように
シャワー室を作ったりしました。

避難所暮らしから
仮設住宅にうつると
課題も
変わってきました。

それに対応して
湖子は
ボランティアをしました。

もちろん
会社の仕事や
弥生の手伝い
子供の世話
なども一生懸命したので
湖子には
寝る時間は
殆どありませんでした。

妖精の力を使えば
24時間働いて寝る必要もないですが
それを使うのは
目的に沿わないので
やめていました。

あくまでも
人間の力で
問題を
解決しようとしたのです。

人間の力では
殆ど解決することは
できなかったけど
がんばったのです。

それが
人間だと
思ったのです。



97

人間は
またまた大変だと
思いました。

できる
ボランティアの
仕事も
段々少なくなって
本来の
仕事に励むことになります。

湖子と和己と子供が住む
離れは
あまりにも狭いのです。

和己は
「狭いと
掃除が楽」と言っていましたが
子供たちが
段々大きくなってくると
そうも言っておられなくなります。

弥生も
二世帯住宅に
改築することを
すすめていて
この際
家を建て替えることにしました。

入口は
ふたつあって
中で
繋がっているのです。

今までの
生活が
めっぽう
楽しく
楽になったようでした。

一階の
南東の角の
庭が見える
一番良いお部屋が
弥生の部屋で
他に
運動する部屋もありました。

子供が
新しい家に
大変喜んで
飛び跳ねていました。

子供の喜んでいる姿を見て
よかったと
思いました。






98

家が新しくなった頃は
平成の大不況といった頃でした。

バブルの処理で
日本中が
不景気になった頃でした。

就職難でした。

和己の父親の会社は
何とかがんばっていました。

弥生の
昔建てた
アパートは
空きが目立ちました。

古いので
人気がないのです。

弥生は
湖子に
良い方法はないかと
尋ねたのですが
湖子は
わかりませんでした。

湖子は
悩んでしまいました。

世間の
大方が困っている時に
みんなを助けるために
何かできることが
ないかと
考えてしまいました。

政治家でもないし
なんの力もない
湖子には
母親の
弥生さえ
助けられないのかと
思いました。

そんな時に
和己は
テレビで
話題になっている
ウインドウズが
夜間高校で
講習会をしていると
教えてくれました。

そこで
パソコンを習うために
夜間高校に行くことになりました。



99

新しいものが
大好きな
湖子たちですから
夜間高校で
先生の言ったとおり
がんばって
やっていました。

教えてもらうと
意外と
簡単でした。

先生が
親切で
初歩の初歩だったからかも知れませんが
わかったら
簡単でした。

一年間
何となく
がんばっていました。

夜間高校へ行くと
高校生の
学生証を
もらうので
これで
家族連れで
映画館に
言ったこともありました。

和己が
「ひねた
高校生だね」と
からかってきました。

高校生はともかく
勉強は
やっぱり
楽しいと
思いました。

パソコンにできることは
当時は
表計算ワープロが
おもで
インターネットは
できることの中の
隅っこにありました。

そのインターネットを
湖子は
はじめようと思ったのです。


100

そこで
お給料の
全部を使って
パソコンを買いました。

夜間高校の
パソコンと同じものです。

3.5インチの
フローピーディスクが
2枚入れるとことが付いているのと
ファックスモデムが
付いていることが
今のパソコンと大きく違うことです。

はじめて
電源を入れると
何やら画面が出てきて
始まります。

弥生も含めて
家族全員で
画面を見つめていました。

時間が経って
やっと
ウインドウズの
薄緑色の
画面が出てきました。

学校パソコンと同じなので
やり方はわかっています。

それから
電話に
電話線で繋いで
初めてのインターネットが
始まりました。

プロバイダーを
頼んでいました。

電話は
従量料金なので
素速くしなければならないのに
できません。

「妖精は
平素
妖精の力を使っているので
パソコンなんか
わからない!!」と
心の中で
湖子は叫びました。





101

電話の
ファックスで
インターネットには
今から考えると
相当無理があるのに
続けなければなりません。

ホームページを
作るために
試行錯誤で
時間を使っていました。

その月の
電話代は
あとでわかったのですが
平素の
10倍要してしまって
弥生に
言われてしまいました。

でも
パソコンは
妖精の魔法のような
おもしろさがあると
感じました。

神政庁でも
採用したらどうかと
提案しようと思ったくらいです。

妖精の力を使うと
経費が要るので
節約して
パソコンにするよう
今度の御前会議に出そうと思うのですが
神政庁の庁舎には
電気が来ていないので
これを解決しないといけないかとか
神政庁に残している
湖子の分身に
考えさせていました。

しかしながら
パソコンを
上手に操るには
相当な技術が
必要なのに
その人材が
調達できるかどうか
考えてしまいます。

若いから
星子にやらせようと
思ってしまいました。



102

湖子のパソコンでの
ホームページの製作は
何とかうまくいきました。

まだまだ
ホームページの少ない頃でしたので
効果はすぐに出ました。

弥生の
賃貸も
少しだけ
入居者を呼ぶことができたのです。

湖子は
大丈夫でしたが
星子と剛は
その後
パソコンに大いに
悩まされる結果となります。

神政庁の
データベースを
整理するために
最初は
エクセルからはじめたのですが
アクセスも勉強をはじめたのです。

相当の程度で
今なら
インターネットで勉強するところですが
当時は
書籍と
講義です。

星子と剛は
勉強にがんばっていました。

そんな中
湖子の
父親の
悟に変化がありました。

寝たきりとまではいかないまでも
自分のことだけしかできていなかったのですが
ちょっとした風邪から
大きく変わっていきます。

年齢も
80歳を超え
弱っていたのですが
緊急入院となります。

入院してからも
病状は
一進一退でした。

見た目だけでも健康だった
いつもと違う悟を
湖子は
どうしようと思いました。

103

湖子にとって
父親の悟は
小さい時から
体が不自由になっていて
存在感がありません。

病院に入院して
あらためて
父親だと
自覚したのです。

忙しい中
父親の病院に
毎日
見舞いにいっていました。

悟は
いつものように
何も言いません。

床ずれも
できていました。

一旦快方に向かって
退院して
自宅療養というように
決まりました。

家の中で
一番
介護のし易い
お部屋に
起き上がりのベッドを
用意して
その日を待ちました。

病状が
安定していましたが
突然の
発熱です。

退院は
延期されて
薬物療法が
行われましたが
あまり効果がありません。

言葉はありませんが
息は苦しそうで
つらそうでした。



104

悟は
いつもは
腹式呼吸で
胸は動きません。

突然の発熱以降は
肩で呼吸して
苦しいようでした。

病状は
湖子たちの
願いにもかかわらず
段々悪化していったのです。

入院から
4週間くらい経った頃から
悟の呼吸は
もっと荒くなり
アゴで呼吸するようになったのです。

看護師さんが
「顎呼吸(がくこきゅう)になっていますね。」と
淋しそうに言ってきました。

顎呼吸は
胸郭や横隔膜で
呼吸が
つらくなった時に
最後にする
息づかいであることを
知って
涙しました。

つらそうな
悟を見ていると
涙が
ぼうぼうと出るばかりです。

時として
咳き込み
苦しそうな
悟を見ていると
早く最期が
来ないものかとも
思ってしまいました。

こんなところから
逃げ出したいと思っても
つらい思いをしている
悟から
離れられません。

そんな苦しい時間は
ゆっくりと過ぎていきます。




105

緩和医療は
どうなっているのかと
湖子たちは思いました。

もちろん
医師や看護師は
24時間体制で
対処していましたが
限界だったのでしょう。

もうこれ以上
苦しまなくても
思いつつも
見守っていました。

入院から
おおよそ
四十日が過ぎた頃
家族のみんなが見守っていた
午後
息は
段々弱くなって
ついに
なくなってしまいました。

心臓はしばらく
動いているのが
取り付けられた
器械から
わかりました。

その
ピ ピという音が
段々ゆっくりになって
聞こえなくなりました。

ナースコールで
来た医師が
死亡を宣告しました。

悟が亡くなると
何だか慌ただしくなりました。

今までの
重いどうしようもない
空気が
一変しました。


数人の看護師さんが
エンジェルセットを持って
やって来ました。

手際よく
清拭していきました。

それから
霊安室に移動し
業者がやって来て
ご遺体の移動とか
告別式の打ち合わせとか
忙しくなりました。




106

通夜の参列客が
ひとりまたひとりと
帰って行くと
急に
葬儀場は
静かになっていきます。

夜とげをするのは
湖子と弥生のふたりです。

黙って
ローソクと
線香を
見て時間が過ぎました。

弥生は
2時間ほど
仮眠室で横になりましたが
湖子は
人間は
はかない命だと思いつつ
一夜を
過ごしました。

翌日の告別式には
地元の方や
親戚の方も
大勢来られて
盛大でした。

湖子は
親族として
焼香の時に
挨拶をする役で
参列者を見ていました。

参列者の中には
もちろん
悲しいみを
噛みしめて
焼香する人もいましたが
そんな風に見えない
人達も居たのです。

なんのために
お葬式に来たのかと
思うような人達です。

目立たない
入口の角で
世間話に興じている
人達も居ました。

そんな人達の中には
笑っていた人も
いたようです。


107

悟は
長く家の外には出ませんでしたから
知っている人は
殆どいませんでした。

それで
死んだことも
他人ごとだったんです。

当たり前のことを
湖子は
再確認しました。

何万年も
生きてきた
湖子は
人間が死ぬことは
わかっていました。

どんなに助けても
最後には
人間は死にます。

それがわかっているのに
父親の
悟の死は
衝撃的すぎました。

死を
自分のものとして
確認したのです。

この先のことも
考えました。

大好きな
母親の
弥生だって
死ぬだろうし
最愛の
和己だって
ひょっとして
湖子より
早く死ぬかも知れないと
考えました。

普通に考えると
母親が先に死ぬ確率は
高いし
和己が
先に死ぬ確率は
五分五分だと思いました。

このことを考えると
先に
死んだ方が幸せと
思ってしまいました。

湖子は
人間としての
悟生が死んでも
本当に死んだことにはならないから
そう思ったのかも知れません。

でも
先に死んだもの勝ちと
思ったのも
真実です。



108

そんな思いをしながら
七日七日が過ぎていきます。

四十九日の法要まで
何となく
時間が経ちました。

それを過ぎると
仕事に専念しはじめます。

仕事は
山ほどあって
やればきりがありません。

それに逃げ込んだのかも知れません。

和己と弥生と子供との生活を
その日から
大切にしていました。

悟生としての湖子は
時間が限られていると思ったのです。

なるべく
家にいる時には
家族と一緒にいたのです。

話をすると言うことでもないけど
一緒にいたのです。

テレビを一緒に見たり
何となくキッチンのところにいたり
子供の勉強を遠くから
見ていたり
していました。

とにかく
同じ時間を過ごしたのです。

家族からは少し変と思われてしまいました。

特に子供からは
直接
「お父さんこの頃
仕事ないの」と
言われてしまいました。

それで
「好きだから一緒にいたいんだよ」と
答えましたが
子供らしく
冷ややかな目で
見られてしまいました。




109

学生時代から
ふかいなかの
親友は
湖子には
いませんでした。

もともと家族を
大事にする
湖子だったのです。

家族と一緒にいても
違和感を感じなくなった頃
湖子にとって
一大事なことが起こります。

健康診断で
腫瘍マーカーの数値が
非常に高くなっていたのです。

要検査と書かれた
紙を見た
湖子は
驚いたのですが
和己に強いすすめで
近所の病院に
翌日行くことになりました。

和己も付いて行くと言ったけど
湖子ひとりで生きました。

診察室で
問診後
触診
エコーの検査をすることになって
処置室で
待っていると
ゴム手をつけて
医師が
検査を始めます。

開口一番
「これは癌だ
相当大きくなっている
精密検査も
してみます。

今日入院できますか

早いほうが」
と医師は
言い放ちます。

湖子は
ドキッとして
気を失いそうになりました。



110

すぐに
和己に電話をしました。

和己は
車で
飛んできました

びっくりした形相です。

入院の手続きをして
病室に行き
パジャマに着替えると
看護師さんがやって来て
処置室に案内されました。

肛門から
生検です。

麻酔剤も使いますが
相当痛いです。

その夜は
痛みと
心配で
眠られませんでした。

翌日
和己が見舞いに来ている時に
医師からの
説明がありました。

「診断のように
やはり
癌です。

もう少し時間が
かかりますが
相当悪性です。

すぐに手術の準備をします。

明後日
します。

よろしいですか」
と
医師は単刀直入な
説明です。

すっかり
湖子と和己は
落ち込んでしまいました。

和己が
「もっと優しく
言ってくれても良いのに」と
独り言を
言っていました。

111

セカンドオピニオンも
お願いした方が良いと
和己が言ったので
医師に頼んでくれました。

紹介状を
持って
その日は
近くの病院に行きました。

ながく待って
やっと診察が始まり
担当の医師も
同じ診断でした。

ひとつ違うことは
優しく言ってくれたことです。

優しくても
結果は同じですが
やはり優しい方が
良いと思いました。

湖子も和己も
少しだけ
希望が見えたように
思いながら
病院に帰りました。

弥生には
本当のことは言わず
ちょっとした病気だと
言っていたので
見舞いにも
来ませんでした。

手術は
夕方からで
病室に
ストレッチャーで
入っていく時は
和己は
少し
涙汲んでいるように見えました。

手術台の上に
上を向いて載せられました。

天井の無影灯に
血のしぶきが付いているのが
ハッキリと見えました。





112

麻酔が効いてきて
意識がなくなりました。

目が覚めると
ストレッチャーで
病室に向かっていました。

うつろな目で周りを見回すと
和己が心配そうに見ていました。

ICUで
凄い傷みがやってきました。

こんなに痛いのは
初めての経験です。

そもそも
妖精は
体がないので
痛みなど感じません。

人間界にいる時は
体がありますが
そんな病気にならないし
ケガをするような
へまをしないし
痛みを感じることなど
殆どないのです。

人間は
こんな痛みを
感じているのかと
体験しないと
わからないと
はじめて思いました。

父親の
悟も
こんなに
痛かったんだと
文字通り
痛感したのです。

湖子の場合は
数日で
痛みも
小さくなって
退院できたのです。

医師からは
数年間は
経過観察になると
言われました。

薬も
渡されました。






113

経過観察は
一年間は
順調でした。

何ごともなく
日が過ぎていったのですが
4回目の
経過観察で
MRI画像に
気になるところがありました。

癌の転移を示す数値が
高くないのです。

そこで
医師は
経過観察を続けると判断したのですが
湖子には
悪い予感がしました。

妖精の予感ではなく
人間としての
予感です。

そこで
湖子は
PET診断を受けることことにしました。

ペットでは
転移が見られました。

それを持って
病院を訪れると
即入院で
抗がん剤治療が
必要だと
言われました。

湖子は
考えました。

きっと
抗がん剤治療をしなければ
自分は死んでしまうだろう。

そしたら
弥生や和己の
死に目に会うこともないだろう。

神さまから頂いた
休暇も
これで終わりにしてもらおうと考えました。

それを
全部和己に言ったら
変ですので
「もうこの辺りで
年貢の納め時かと思うの

抗がん剤治療は
受けないことにしようか」と
告げました。


114

もちろん
和己は猛反対です。

弥生にも
本当のことをいって
説得してもらいました。

弥生と
和己に圧倒されて
入院以外の選択肢は
なくなりました。

抗がん剤治療の
副作用で
髪の毛が抜けることを
心配して
丸刈りにして
入院しました。

医師の詳しい説明を
弥生と和己と聞いて
抗がん剤治療が
開始されました。

抗がん剤治療の
苦しさは
聞いてわかっていましたが
こんなに苦しいとは
知りませんでした。

和己に
「苦しみに限界は
ないよね。

今日の苦しみが
最高かと思ったら
翌日には
それの
何十倍の
苦しみがやってくるんだ。」と
話すと
心配そうに
うなずいて
顔を見ていました。

第一クルーが終わって
休薬期になると
少しだけ
食欲もでき
食べました。








115

第二クルーが始まると
前よりも
苦しくなります。

投薬中の
5日間は
殆ど食べることが出来ません。

音や
臭いで
吐きそうになります。

我慢しながら
時間が過ぎるのを
待ちました。

休薬期に
少しだけ
食べられるようになって
体重も
少しだけ回復しました。

第三クルーが始まると
苦しみも
またもや
大きくなります。

死ぬ時は
こんなものかと
ゆっくりと
感じていました。

毎日
血液検査があって
白血球と血小板の数が
数えられます。

投薬が始まると
下がっていきます。

白血球の低下は
感染しないように
空気清浄機とビニルの小部屋が用意されました。

血小板の低下は
危険です。

出血が止まらなくなります。

そこで
血小板輸血が
始まったのです。

これが
もっと苦しい結果になります。


116

血小板輸血は
高い志の方が
献血していただいたものです。

検査した後
普通は
時間を掛けて
ゆっくり
輸血します。

確保されている
静脈に
抗がん剤を投与した
夕方から始まりました。

看護師さんが
問題ないか
ふたりで
見に来ます。

湖子が入院した
病院は
重要なことは
看護師が
ふたりできます。

もっと重要なことには
医師が付き添い
もっともっと重要なことは
看護師長らしき女性と
その部下と思えるものが
何人もやってきます。

点滴は
4時間くらい要して
最初の投与は
終わります。

翌日
二度目の時に
問題が起きたのです。

点滴から
一時間くらい経過した時
湖子のからだじゅうに
発疹が出てきたのです。

湖子は
かゆいというのではなく
痛いと
叫びました。

それから
お腹が
痛くなり
お尻も痛くなりました。


117

大きな声で
「痛いです」と
叫んだんですが
医師団は
継続を
告げました。

歯医者さんに行って
「痛い時は手を挙げて下さい」と
言われながら
手を挙げると
「我慢して下さい」と
言われるのと同じような気がしましたが
傷みの程度は
そんなどころではありませんでした。

ひたすら終わるのを
願いました。

輸血パックに
たくさんのチューブが出ていて
それが
所々で
くびれています。

よくよく見ると
チューブを取った後があります。

もともとは
いくつあるのかと言うことを
探りながら
時間が経つのを
待ちました。

ながく待って
いろんな事を
考えました。

このまま死んでしまいたいと
その時はじめて思いました。

死んだら
傷みもなくなり
それに
和己や弥生との
離別の
心配は
なくなります。

そんな考えが
頭の中を
堂々めくりして
最後に
「神さま
私の人生を
最後にして下さい」と
言ってしまいました。

この休暇を終えたら
神さまと同じものに
なる予定がある
湖子が
そんな事を
言ってしまったのです。

神政庁に勤める
もうひとりの湖子は
神さまに
それを
どのように告げればいいか
考え込んでしまいました。



118

もちろん
神さまには
知らされていました。

人間は
こんな風なんだと
神さまも思ってしまいました。

神さまに
そのようなことを
お願いされても
かなえてられないのは
湖子も知っているはずです。

すっかり
大きな傷みの中で
人間になっていたのです。

気を失いそうなほど
痛いしんどい輸血は
終わりを告げました。

看護師さんが
入れ替わり立ち替わり
湖子を見に来ました。

終わってから
2時間ほど経ち
傷みにつかれたように
寝入ってしまいました。

翌日は
第3クルーの
最後の日で
必死に
噛みしめていました。

次の日の朝は
体重の測定の日で
看護師さんが
体重計を
個室まで持って来てくれました。

51kgまで
痩せてしまいました。

顔の頬もこけ
痩せてしまって
そのうえ
ヨタヨタとしていました。

老けて見える
湖子ですが
もう80歳を過ぎているような
見えました。


119

3ヶ月過ぎ
入院前に
丸坊主にした頭の毛が
薄くなっているのが
ハッキリと見えました。

休薬期の間には
検査が待っています。

CTやMRIを撮って
血液検査をして
調べました。

和己も来て
結果をふたりで聞きました。

よろめきながら
診察室座った
湖子に医師は
言いました。

「結果は
改善されていますね。

もう大丈夫でしょう。

4クルーする予定でしたが
第4クルーは
止めましょう。

経過観察にしましょう。

退院して下さい。」と
和己にとっては
半分嬉しい結果でした。

もう半分は
予定ができなくて
また再発しないかという
心配でした。

その心配を
和己は
隠していて
ただただ
和己は
喜んでいました。

ヨタヨタと
タクシーに乗り込んで
自宅に帰りました。

弥生は
湖子が
はじめはわかりませんでした。



120

あまりの変わりように
近所の人にも
びっくりされてしまいました。

食欲が出てきたので
うんとこさ
食べました。

和己も
いろんなものを
山ほど作って
食卓に出しました。

最初の内は
食べるのもままならぬ
体力ですが
段々と
食事は出来るようになって
2週間で
8kgも太ってしまって
前に戻りました。

頭の毛は
戻りませんでしたが
そんな事は
どうでもよかったのです。

命が
続くのが
不思議に思いました。

あの時は
死んだ方が良いと思っていたのに
今は
死ななくて良かったと思ったのです。

和己にも会えるし
弥生にも会えるし
美味しいご飯も食べられるし
生きている方が
楽しいと
思うようにしました。

でもいつかは
死ぬのだから
死ぬほどの苦しみが
また来るのかと思うと
考え込んでしまっていました。

何回かの
経過観察が無事に過ぎ
もう大丈夫になって
死ぬことについて
考えなくなった頃
和己のお父さんが
ちょっとした病気になります。


121

和己の父親は
小さい時から
病気などしたことがない
強健な持ち主です。

仕事に熱中して
深夜まで
工場で
仕事をしている日々も
多くありました。

70歳を過ぎても
退職することなしに
社長の職にあって
東奔西走の日々でした。

冬のある日
少ししんどいといって
病院にいきました。

父親の家には
体温計などなく
何となく
熱っぽいと
秘書が
無理やり
連れて行ったのです。

病院で
看護師さんが持って来た体温計で
計ってみると
38度を
超えていたのです。

胸のレントゲンを
撮ると
肺全体に
影が散在していて
素人目にも
肺炎を疑うことになりました。

種々の検査の後
その日の内に
入院しました。

和己や湖子は
秘書からの知らせを受けて
すぐに病院にいくと
意外と
父親は元気にしているではありませんか。

熱のせいか
血色もよく
元気そうに見えたのです。




122

和己の父親は
東大阪の名士で
根っからの技術者ですが
社交性があって
人脈が
深く広いのです。

入院したという報は
東大阪市中に
知れ渡るのは
そう時間はいりません。

看護師さんが
困るほどのの
見舞い客がやってきました。

見舞客ひとりひとりに
丁寧に接していました。

湖子には
入院している意味がない様に見えました。

見舞客が来るたびに
談話室で
話をして
エレベーターまで
見送ります。

それが
一日に
10回近くです。

点滴台を
を連れて
そんな事を
していました。

血液検査や
映像診断では
一進一退の病状ですが
熱が下がったせいか
父親自体は
元気に振る舞っていたのです。

湖子は
それを見て
大丈夫だと思って
見舞いを
3日に1度にしていました。

和己も
毎日行くのを
止めようかと
言いましたが
湖子は
毎日行くように
すすめました。


123

3週間
見た目は同じような状態が続きました。

元気に見えるのですが
レントゲンや
血液検査では
改善できていませんでした。

医師は
肺炎の症状が
改善しないのが
不思議でした。

相当強い薬を
使っているのに
よくならないのが
不思議だったのです。

ちゃんと
服薬・投薬されていないのではないかと
疑ったくらいです。

そこで
医師自ら
患者を
見張ることにしました。

そんな事をして
わかったのです。

改善されていない理由が
わかったのです。

父親は
養生していないのです。

ベッドに
横に寝ているのは
晩だけです。

朝になったら
どの
患者やより
早起きで
看護師さんの
手伝いまで
しているのです。

そこで
医師は
父親に
「絶対安静」を
告げました。


124

医師の絶対安静は
看護師に伝えられ
病室の名札のところに
「安静」と言う札が
付けられました。

家族以外は
会うことが出来ません。

もちろん
時間制限があって
和己と言えども
ながく病室にいることが
できなくなったのです。

そんな安静のためか
父親の数値は
よくなりました。

父親は
誰とも会えないので
寂しがっていました。

そして
密かに
仕事のために
筋トレをしていたのです。

退院の日が決まって
本人をはじめ
みんなが喜んでいた
その日
突然高熱になりました。

その日から
意識がなくなり
ICUにうつりました。

それから
3日
病院なので
家族は
介護も看護もできず
なくなってしまいました。

和己や
秘書は
最期も看取れず
亡くなったことに
号泣していました。

翌日は
友引だったので
告別式は
翌々日になっていました。

ご遺体は
翌日まで
家にありました。

ながく別れを
惜しんで
和己と秘書は
一夜をともにしました。


125

和己は
結婚してから
秘書とはあまり会っていませんでした。

幼い時は
母親の代役を
してくれた
秘書ですが
思春期以降は
あまり
話さなくなりました。

一夜をともしして
あれこれと話しました。

父親の思い出話は
秘書の方が多いように
和己は感じました。

湖子との結婚の時は
変装して
聞き合わせにいったそうです。

隣の
星子さん夫妻にもあって
話をしたことが
あるそうです。

秘書は
もう相当な歳なので
これを機会に
退職したいと
言っていました。

和己は
退職しても
父親の家に
住んでいて欲しいと
頼みました。

秘書は
気楽なひとり暮らしを
してみたいと言っていましたが
ひとり暮らしのリスクを
和己が並び立てたので
父親の家に今まで通り
暮らしていくことにしました。

こんな機会が
育ての親を
勤めてきた
秘書と
みっちり聞けたのが
和己にとっては
よかったことでした。

翌日の
告別式は
盛大で
国会議員をはじめ
多数の出席者がありました。



126

どんなに盛大でも
父親が
もちろん生き返ってくることもないし
悲しみが
癒されるわけもありません。

いやむしろ
盛大すると
華やかさが
悲しみを
増幅させるような
気がすると
湖子は思いました。

もうこれ以上
お葬式には
出会いたくないと
気持ちが
もっと
もっと
強くなりました。

父親が
亡くなって
社長が
不在になると
会社としては
困ります。

早急に
社長人事を
決めなければいけません。

次の社長として
娘の和己や
和己の夫の湖子
そして
会社の技術開発の責任者として
長年働いていた専務取締役の
三人の名前が挙がりました。

株主という立場と言えば
和己です。

でも
和己は
湖子になって欲しいと
思っていました。

湖子には
そこまでの力はないと
思っていました。




127

会社の経営は
非情です。

情で経営すれば
いずれは経営は破綻してしまうと
過去の経験からわかっていました。

赤字から脱するためには
売り上げを伸ばすか
経費を抑えるかです。

売り上げを伸ばすためには
人員が必要だし
「あなた任せ」のところもあるし
他社との安売り合戦になって
結局利益は
殆どになくなってしまうかも
しれません。

これに対して
経費削減は
100円の経費削減は
100円の利益です。

従業員の
お給料カット
取引先の仕入れ価格の低減は
利益に繋がるのです。

人情に
流されず
それを断行しないと
よき経営者には
成れません。

湖子は
会社のために
非情には成れません。

専務なら
頑固一徹で
筋を通す人だし
この会社が
黒字経営できるのは
専務の力だと
社員一同思っていました。

和己そのことを言って
納得してもらうことにしました。

他の株主や
取締役にも
湖子の口から
そのように
話して周りました。

湖子は
平の取締役で
お給料もそのままと言うことで
終わりました。



128

湖子は
50代後半を迎えて
体力も落ちてきていました。

人間は
歳をとると
こんな風に
老いてくるのだと
実感していました。

妖精なら
星子や剛のように
老いることもないし
体力が落ちることもありません。

生身の人間として
生まれてきた湖子は
体力が落ちるということは
こんなことかと
実感しました。

湖子の仕事は
平日は
和己の会社
休日は
弥生の手伝いで
毎日仕事です。

子供が大きくなって
することもなくなって
夜も
寝るまで
なんだかんだと
仕事をしているのです。

過労死が
問題になる
超過勤務が
80時間以上になっています。

湖子は
体力に合わせて
ゆっくりと
仕事をすることで
乗り切ろうとすることにしました。

湖子にとって
時間はゆっくりと
流れて
通り過ぎていきます。

人の死や
悲しみも
やって来ます。

最愛の
弥生も
歳を取って
老いてきました。




129

最近の弥生は
アパートの
お金の計算が
上手にできません。

すこし
認知症になっていることは
確かでした。

湖子が癌で
入院した時も
黙っていても
うまく過ごせたのは
そんなためだったかも知れません。

気丈な
弥生にも
否応なしに
老いていきました。

湖子の力では
止めることができません。

もちろん
妖精の力を
使ったら
止めることもできますが
それを使うことは
今はできません。

人間は
無力だと
つくづく思いました。

弥生の
老いは
段々と
ひどいことになりました。

「月日が
経たないで」と
願ってしまいました。

人間として
生まれて
50数年間生きてきて
願ってしまったのは
何回目か
記憶に残らないくらい
いろんな事を
願っていたことに気が付きました。

人間は
こんな風に
願うんだと
思ったのです。

その願いを
受ける
妖精は
大変だわと
重ねて思ってしまいました。





130

弥生の症状というか
病状は
段々すすんできました。

要介護の認定も
受けるようになって
デイケアに行く様になります。

湖子は
仕事を
他の人に任せて
弥生と一緒にいる時間を
ながくしていました。

和己も協力的でした。

そんな時が
数年続いて
弥生は
寝たきりとなってしまいました。

寝たきりになって
湖子も
和己も
看護していました。

他の看護師さんと一緒に
看護しました。

どんなに看護しても
弥生の
病状も
悪くなる一方です。

歳が歳だけに
もう
ダメかと
湖子は
涙が出てきました。

最愛の
弥生の
死に目に
会いたくないと
思っていたのに
やっぱり
遭遇してしまいそうなのです。

残念で
たまりません。






131

弥生の
病状は
日増しに悪くなる一方です。

湖子は
仕事を殆ど
休んで
弥生の
隣にいました。

夜も
遅くまで
介護していました。

もちろん
介護人を
何人かお願いして
来てもらっていました。

弥生は
神頼みで
神社の前を通った時は
お参りしていました。

和己も
お守りを買ってきたりしていました。

日に日に悪くなって
息づかいも
苦しそうで
段々みているのも
辛くなってしまいました。

それから
数ヶ月
涙を何回か流したあと
みんながみている前で
息が止まってしまいました。

血液酸素濃度計を
付けていましたので
心臓は
まだ動いていました。

それから
数十秒後
心臓が止まってしまいました。

湖子は
泣き崩れてしまいました。

和己も
じっと
その後ろに立っていました。


132

人が死ぬと
何かと
慌ただしくなります。

医師や
ヘルパーや
葬儀屋さんが
やって来ます。

弥生の家は
門徒で
父親の
月命日に
いつもお寺さんが
やって来ていました。

そのお寺さんにも電話して
枕経を
お願いしました。

お葬式は
斎場の都合によりますので
次の日の朝
10時と決まってしまいました。

通夜が来て
近所の面々が
慌ただしく
弔問に訪れ
時間が過ぎていきました。

夜の
10時頃
親戚の連中が
帰り去ってしまうと
白く幕が張られた
お部屋に
和己とふたりになってしまいました。

ローソクの火が
たなびき
線香の煙が
漂っていました。

夜は
すぐに
明け
明るくなってしまいました。

慌ただしい日が
始まりました。

葬儀社の方が
やって来て
こんな風にして下さいと
いろんな事を指示されました。

そのように
するのがやっとで
参列者の目も見ずに
お辞儀の連続でした。



133

お葬式が終わっても
いろんな行事や
催し事が
行われます。

初七日が過ぎて
煩雑な行事が
ひとまず終わります。

最愛の
母親を失って
淋しい気持ちが
忙しさに紛れて
小さくなっていました。

忙しさがなくなって
ひとりで何もせずに
ジッとしていると
無性に
淋しくなります。

弥生の
遺影が
仏壇の横に飾ってあるのを
見ると
もう何と説明して良いか
淋しくなるのです。

その淋しさを
仕事で
消そうとしました。

仕事をしていると
少しだけ
忘れてしまうのです。

ジッとしていないように
いつも何かの仕事をして
ジッとしなければならない時は
他のことを
考えることにしました。

湖子の時間は
ゆっくりと動いて
弥生への愛が
和己への愛を
増していきます。

これまで以上に
和己を
愛するようになっていくのです。




134

どんなにゆっくり
時間が
過ぎていっても
時間は経って
老いてきます。

湖子の
老いは早いように
和己には
思いました。

神さまが
早く
休暇を
終えるように
そう仕組んだのです。

湖子にとっても
これは
望ましいことだと
思いました。

弥生の
死に目にあって
非情に淋しかったので
和己より
先に
死ぬ方が
最善だと
思っていました。

老いても
湖子は
仕事をしていました。

弥生の残した
不動産賃貸業と
和己の父親が残してくれた
会社の仕事です。

ゆっくりと
仕事をして
時間を
費やしていました。

この物語では
湖子と和己の
子供たちのことは
殆ど書いておりませんが
男の子と女の子の
ふたりがいました。

子供が小さい時は
まめまめしく
子供を
育てていたのです。




135

人の子供は
すぐに大きくなるのに
自分の子供は
ゆっくりと大きくなっていきました。

湖子は
育児というか
子供を育てることを
楽しんでいました。

キャンプにも出掛け
田植えもしました。

おきまりのキャンプファイヤーで
感動して
親子とも
涙ぐんだり

山登りをして
星空を眺めたり
気球に乗ったり
自転車で
淡路島一周もしました。

父の日には
肩たたき券や
ボールペンや
キーホルダーも
もらいました。

湖子の子供たちには
まったくと言って良いほど
反抗期がありませんでした。

逆に
両親は
心配になっていたりしました。

ゆっくり楽しんでも
時間は過ぎていき
子供は大きくなって
親の手を離れてしまいます。

結婚して
家を出て行ってしまって
子供部屋には
長年使っていた
勉強机だけが
残されていました。

136

湖子は
ふたりの間に生まれて
家族ができました。

亡くなっていく家族もいたけど
和己が増えて
子供が増えて
それから
弥生が亡くなって
子供が出ていって
ふたりだけの家族になってしまいました。

大家族を
前提にして
建てた家は
広すぎてしまいました。

ふたりだけになると
家族のために
手を煩わすことも
なくなったのは
良いような
悪いような
気がしました。

湖子は
もう
休暇は
終わりにして欲しいと
本気で思い始めました。

休暇は
神さまだけしかできない
時間を遡らせて
行われています。

六十数年前に
遡って
生まれて
湖子の休暇は
始まっていたのです。

六十数年の歳月が流れて
休暇に入った年が来ていました。

人間としての
湖子なら
あと数年で
和己か湖子のいずれかがなくなり
ひとりになります。

先に逝ってしまうのも
あとに残るのも
淋しいものだと
弥生を失って
わかっていました。

思慮深い
感受性が
人間の何千倍の
湖子ですから
これには
耐えられないと
考えたのです。





137

湖子は
何千年もの間
神さまに逆らったことは
一度もありません。

いわれたとおり
確実に仕事をこなし
妖精としての
地位を築いてきたのです。

今回の
ミッションも
今までのことから
簡単だと思っていました。

長年人間を見ていて
人間のことを
知ってはいました。

が、
人間の感情というものをことを
知っていなかったのです。

こんなに
人間は
感情的だとは
思わなかったのです。

人間になって
人間社会に
どっぷりはまって
わかったのです。

年老いて
それは
凄くわかるようになりました。

未来が本当に怖くなった湖子は
神さまにお願いすることに
しました。

湖子は
神政庁に残した
分身を通じて
神さまに
お願いしました。

神政庁の分身は
毎日のように
神さまに面会して
連絡事項を
報告していました。


138

神さまは
事情をすべて承知していて
休暇にはなっていないと
思いました。

そこで
ここまでで
休暇を
終わることにしました。

ある日の未明
湖子は
人間としては
最期の最大の行事
死を催した。

何時までも
起きてこないので
和己が
起こしに行くと
死んでいたのです。

こうして
湖子の
長い休暇が
終わりました。

人間の感情は
多彩だと
わかる
人生でした。

後に残された
和己は
四十九日が来るまで
泣いていました。

その日を境に
和己は
変わって
活動的なりました。

長男が
家に帰ってきて
一緒に暮らし始めたのも
そのきっかけとなったようです。




人間としての
湖子は死んで
すべてが
妖精の湖子となったのです。

神さまは
子供のことや
和己のことの
記憶を
湖子から
消し去りました。

そんな記憶があると
公正な
妖精の仕事
神さまの仕事が
出来ないと考えたからだったのです。

湖子は
神さまとしての
修行を
始めたのは
それから
わずかばかり経ってからの頃からでした。

あと
何十年間経つと
神さまは
ふたりになって
この世のことを
司ることになるのですが
人間としては
まだまだのことです。





「妖精の休日」を終わります。

ながらく読んで頂きありがとうございます。


次回からは
ロフトで勉強しましょ」の
続篇を書きたいと思います。

読んでやろうとする
殊勝な方がおられましたら
ご一読下さい。

    著者敬白