ロフト付きはおもしろい

ロフト大好きの71歳の老人の日記です

小説『冴子』震災部分その14

勇治の家族と
倫子だけが
広い座敷で
黙って座っていました。

勇治の母親が
「倫子さん
ご苦労さんでしたね。

ゆっくりこちらで
休んでいって下さい。

ズーとこちらにすんでもいいですよ

何もないけど
離れが空いているから
そこに住んで
私の
仕事を
手伝ってくれてもいい

もちろん
神戸で暮らしてもいいけど

勇治の
お墓はこちらにあるから
お墓参りだけは
来て欲しい

それから
こちらの小さい骨壺は
倫子さんが
持っていて欲しい

月日が経ったら
どこかの
お寺に
納めて下さい。」と
優しく言ってくれました。

倫子は
下を向いたまま
聞いていました。

ここにいてもいいと言われても
勇治のいない今
ここに入れる理由がないことは
倫子はわかっていました。

帰らなければならないと
倫子は
思っていました。

またしばらく
沈黙になりました。


その沈黙を破ったのが
そばにいた
勇治の
姪にあたる
若い女性でした。

「私のような者が
差し出がましいと思いますが
もし神戸に
倫子さんが帰ってしまったら
もう会えないので
話させて下さい。

勇治おじさんの
遺産というか
借金整理です。

亡くなって
一週間しかたっていないのに
こんな話をして
すみません。

おばあさんから
聞いた話では
勇治さんは
パン屋さんをするために
借金をしたそうで
そんなに
パン屋さんがはやっていなかったから
まだまだ
たくさん残っていると思います。

 

(姪の話は続きます)
パン屋さんはもうできないほど
潰れてしまったのに
借金だけが残ったら
大変です。

勇治おじさんの借金は
相続人のおじいさんとおばあさん
それから
倫子さんが
負担することになります。

相続放棄して
借金まで相続しないように
した方が
、、、、、、

」と
忠告してくれました。

その場にいた
家族は
みんな
「そうだ」と
思いました。

勇治の両親は
姪が
そのように言ってくれて
大変感謝しているようで
そうしようと
話していました。

倫子は
そんなこと思いも付かなかったのですが
勇治のことを
放棄するのが
いいものか
思い悩み始めました。

その日は
もう遅いので
休むことになりました。

お布団の中でも
悩みました。

夜あまり眠られず
小さな骨壺の
勇治を持って
岡山の家を
後にしました。

家にいるように
言ってくれている
義理の父母を
あとに
家を出ました。

神戸まで
姪が
送ると言ってくれましたが
電車で帰ることになりました。

 

 

 

電車を乗り継いで
避難所まで帰ってきました。

もう夕方になっていて
3日いなかった間に
小学校の校庭には
大きなテントが
幾張りか立っていました。

自衛隊
駐屯しているらしいのです。

お風呂も
できているらしいのです。

今日は
男性が入浴になっていて
女性は明日と言うことが
書かれていました。

みんなに挨拶して
食事を
もらい
にわかにできた
お友達に
岡山の様子を
話しました。

避難所の中は
段ボールが運び込まれていて
敷いたり
隣との壁にしたり
重宝しているみたいで
遅かった
倫子には
手に入らなかったのですが
友達からもらいました。

1月の月末になると
銀行の返済の日です。

倫子は
銀行に行って
店が潰れ
勇治が亡くなったことを
話しました。

銀行は
いろんな書類を
出して欲しいと
言ってきました。

返済については
倫子が
連帯保証人なので
引き続き
返済して欲しいと
いうことでした。

でも
そんなお金は
倫子には
ありません。

いつも店の
運転資金として
十数万が
リュックサックに入っていましたが
そのお金も
勇治が亡くなって
岡山に行って
帰ってきたら
半分近くに
なっていました。