ロフト付きはおもしろい

ロフト大好きの71歳の老人の日記です

2006-01-01から1年間の記事一覧

似顔絵を作ってみました。

似顔絵を作ってみました。 ワ○ドの似顔絵作成機能を使って 私の似顔絵を作ってみました。 輪郭は、よく出来ていて 似ていました。 でもこんなに若々しくないです。 実際の年齢より 老人に見えます。 入院してから特に 「老化」したように思います。 実際は、…

昭和30年ごろ初めのころの我が家の一日  食事編 その10 種取

昭和30年ごろ初めのころの我が家の一日 食事編 その10 種取 今は、一代雑種で種は出来ても発芽しないか、 結実しないのが普通です。 しかし昭和30年ごろは、 そのような技術がなかったので、 種は、収穫した中で最高の出来の物、 例えば、スイカなら甘みがあ…

結核マスク って何

一昨日病院に行ってきました。 そこには、サナトリウムー結核病棟―が ある病院なんですけど 待ち時間うろうろしていて 病棟の1階まで行くと 結核病棟に行く方は、 自動販売機で 『結核マスクを買うように』 と書いてありました。 『結核マスク』とは、何な…

昭和30年頃の我が家の一日  食事編 その9

昭和30年頃の我が家の一日 食事編 その9 最近は、12月頃がハウス物のイチゴの最盛期ですね。 昭和30年頃には、もちろんハウス栽培はありませんので 路地もので、その最盛期は私たちの住むところでは、 6月はじめごろです。 田植えの始まる6月末までに 収穫…

馬子にも衣装は、大丈夫

「馬子にも衣装は、大丈夫 馬子にも衣装は、 職業差別用語ではないでしょうか。 ちなみに 馬子とは 馬を引っ張って歩いて 物や人を運ぶことを 職業としている人達の 呼び名です。 「馬子のような者でも 良い衣装を着ければ 立派に見える」 ということですが…

昭和30年代の思い出  日焼け大会

昭和30年代の思い出 日焼け大会 私が行った頃の小学校では夏休みの 恒例行事で日焼け大会がありました。 本当の正式名称は日焼け大会ではありません。 「○○○○大会」と言うのですが 差別用語なので明らかにはできません。 今ならこのような大会を 小学校で行…

「危ないやんけ」の語源は、何?

マクドナ○ドの店の前を 通っていたら、 若いお母さんがトレイをもって歩いていました。 そのお母さんの子供が 親の前を横切ったので お母さんが思わず 「危ないやんけ」とその子に言いました。 私は、その言葉を聴いて 「危ないやんけ」 の語源は、なに? と…

アスカルの童話 白血球アスカル

アスカルの童話 白血球アスカル おじいさんの体の中の 大腿骨の中でアスカルは、生まれました。 とても暴れん坊な可愛い白血球です。 少し時間が経ってから アスカルは、白血球の学校に行きました。 どのような理由かわかりませんが、 校長先生は、アスカル…

今日落語会に行ってきました。ライブは、おもしろいです。

今日病院から帰る途中に 天満天神繁盛亭に行ってきました。 いつもは、インターネットで見ている、聞いているのですが ライブで見るのは、初めてでした。 インターネットでは、前座の人は、 申し訳ないのですが、飛ばしているのですが、 ライブでは、その素…

昭和30年ごろの我が家の一日  食事編 その8 だんご汁

昭和30年ごろの我が家の一日 食事編 だんご汁 我が家では「だんご汁」と呼んでいましたが、 だんご汁は九州地方の郷土料理です。 また「すいとん」と呼ばれるものとものは、 しょう油味で我が家のレシピと違います。 私の住んでいる地方では「だんごじる」は…

昭和30年ごろの我が家の一日  食事編 その7 

昭和30年ごろの我が家の一日 食事編 その7 サッカリン知っていますか。 いまでも、練り歯磨きに入っていることの多い サッカリンナトリウムのことです。 紆余曲折があって今は問題ない化合物になってはいますが、 イメージが悪いので 商品にあまり使われな…

昭和30年ごろの我が家の一日  食事編 その6 お漬物 後編

昭和30年ごろの我が家の一日 食事編 その6 お漬物 後編 「おこうこ」の続きです。 私の従兄の連れ合いの方は 「漬物の素」を入れて 黄色くて少し甘い大根の漬物を作って自慢していました。 本当に美味しいですよ。 「漬物の素」は、今は使うことが、 少ない…

コンサートは、いいですね。

今日コンサートに行ってきました。 音楽は、いいですよね。 心が和みます。 私の未熟な専門は、建築と薬学ですが、 こちらの道を幾ら究めたとしても 人を和ませることがないと思います。 建築について言えば 理論的には、人を和ませることが可能かもしれませ…

昭和30年ごろの我が家の一日  食事編 その6 お漬物 前編

昭和30年ごろの我が家の一日 食事編 その6 お漬物 前編 お漬物は大好きですか。 我が家の一日を読んでおられる方は、 お思いでしょう。 毎食お漬物を食べているではないか。 どのように作っているのか疑問にお思いでしょう。 もちろん買ったものではありま…

昭和30年ごろの我が家の一日  食事編 その5 お膳後編

昭和30年ごろの我が家の一日 食事編 その5 お膳後編 前回の前編を読んでお膳を知らない人は 何か変とお思いでしょう。 一部の方は、「おーい、食器は洗わないのか」 と思っていると思います。 水道がない時代は洗わないのが普通です。 清水を私たちが住む地…

昭和30年ごろの我が家の一日  食事編 その5 お膳 前編

昭和30年ごろの我が家の一日 食事編 その5 お膳 前編 今回は私の記憶もないのですが、 それなりの道具が残っていたり 聞いたりしたことでわかった事柄です。 我が家に水道が来たのは、たぶん昭和30年ごろです。 まだ水道が来なかった時代で 清水が貴重だっ…

昭和30年ごろの我が家の一日  食事編 その4

昭和30年ごろの我が家の一日 食事編 その4 皆さまの食事の基本はどのようなことですか。 今現在ならきっと「楽しく食べる・美味しく食べる」 かも知れませんね。 当時の我が家の食事の基本は 前述もしましたが、 箇条書きにすれば 1.背筋を伸ばしてお膳の…

昭和30年頃の我が家の一日  食事編 その3

昭和30年頃の我が家の一日 食事編 その3 私が小学校1年ぐらいの頃 アヒルを飼っていたことがあります。 たぶんアヒルの幼鳥を もらってきたのかどうか定かではありませんが、 我が家の隣に流れる小川を泳ぎながら、 なにやら食べていたように思います。 …

昭和30年頃の我が家の一日  食事編 その2

昭和30年頃の我が家の一日 食事編 その2 子供の頃 少し変わったものを食べたと言えば ドジョウだと思います。 まだ農薬が一般的でなかった頃 小川には、フナやドジョウ・めだかに蛙 タニシに やご などの水生昆虫などいっぱいいます。 ちょっと網ですくえば…

抗がん剤治療の結果

抗がん剤治療の結果 今回の診断的抗がん剤治療の結果は おおむね次のようです。 「CT画像で見られたリンパ腺の腫れについては、 大静脈後ろ側にあるリンパ節については 縮小してその腫れはCT画像に写らない。 大動脈後ろ側にあるリンパ節については、 縮小し…

アスカルの童話 桃太郎とアスカル エピソード3 ジョン 故郷への帰参

アスカルの童話 桃太郎とアスカル エピソード3 ジョン 故郷への帰参 検非違使の別当に任じられ京を旅だった 桃太郎の一行は 桃太郎とジョン・猿・キジ・ 騎馬侍100人・従者200人・人足300人から なりその威勢は日本中に知れ渡っていました。 桃太…

昭和30年ごろの我が家の一日 食事編 その1

昭和30年頃の我が家の一日 食事編 その1 味噌の作り方 我が家では、味噌を作っていました。 味噌の原料は米麹・大豆・塩です。 味噌は、厳寒時の農閑期に作ります。 少しあったかい冬は味噌が腐りやすくなります。 まず、白米を蒸して餅箱に入れます。 人肌…

アスカルの童話 桃太郎とアスカル エピソード2. 荒神山の戦い

アスカルの童話 桃太郎とアスカル エピソード2. 荒神山の戦い 桃太郎の優秀な一番の家来 ジョンについて おばあさんは、桃太郎が12歳になった時 桃太郎にと一緒に悪者退治をしてもらえるものを探していました。 屈強でいて、よく言うことの聞く者を広く…

明日から抗がん剤第三クールのため再入院します。

私は、抗がん剤治療中ですが、 ただ今は、休薬期です。 第二クール終了時の 治療効果の判定で 有効性が認められましたので、 第三クールを行うことになりました。 第二クールでとてつもない「しんどさ」 に襲われました。 第三クールは、体力も復活していま…

昭和30年頃の我が家の一日  厳寒編 その3

我が家の一日 厳寒編その3 蛇足ですが、そんなものあったのかというものを 書いてみます。 その名は「豆炭あんか」です。 ご存知の方は、使ったこともあるでしょう。 パーと広まって、パーと消えた ポケットベルのようなものです。 豆炭あんかは、幅奥行き…

昭和30年頃の我が家の一日  厳寒編 その2

我が家の一日 厳寒編 その2 寒い日は帰ってくると急いで 父や兄はお風呂を沸かしながら 暖を取っていたように思います。 ここで当時の暖房を紹介します。 私たちの地方はそれほど寒くないので 囲炉裏のようなものはありません。 「こたつ」と言うものがあり…

昭和30年頃の我が家の一日  厳寒編 その1

我が家の一日 厳寒編 その1 気象台データを見るまでもなく 昭和30年初めの頃は今より冬は寒かったです。 雪もよく降ったように記憶しています。 田んぼや六甲山が朝起きたら一面 真っ白になっていたのを覚えています。 でもイチゴの苗のところだけ 妙に雪が…

昭和30年頃の我が家の一日  雨の日編 その2

我が家の一日 雨の日編 その2 当時我が家では野菜を出荷していました。 野菜は中央市場に持って行きます。 中央市場までは、国鉄の線路を越え 国道二号線の玉江橋交差点を渡って4kmぐらいあります。 行きはリヤカーの後ろに山ほど積んだ自転車を押しながら…

昭和30年頃の我が家の一日  雨の日編 その1

我が家の一日 雨の日編 その1 四文字熟語「晴耕雨読」の意味は皆様ご存知のように 農業をしている人が晴れた日は農作業 雨の日は家で本をゆっくり読むということです。 しかしながら、実際の農業経営はそんなことを実行できるほど 生易しいものではないこと…

昭和30年頃の我が家の一日  年中行事 その2

我が家の一日 年中行事 その2 秋祭り 10月26日の宵宮 10月27日の本宮の2日間にわたって行われます。 参加する兄は26日は朝の間の仕事のみおこない 27日は全休です。 村から振舞い酒があるので、 兄はお酒を飲んで帰ります。 その他のものは、…