皆様 いかがお過ごしでしょうか。 皆様にはよいお正月であったことと存じます。 私は 『正月や 冥土の旅の 一里塚』 の覚悟ですごしておりますので めでたいとか めでたくないとか 言う次元ではございません。 しかし私が子供であった頃は そのような覚悟で 生きていませんでした。 普通の いや ちょっと変わった 小学生でも お正月は 楽しかったです。 「もういくつ寝ると お正月 お正月には たこ上げて コマを回して 遊びましょう 、、、 云々」 と言う歌詞にもありますように 待ち遠しかったかもしれません。 でも たこも上げませんでしたし コマも回さなかったように思います。 どんなお正月だったか 記憶を振り返り ブログ小説風に 綴ってみます。 私の女房殿の ご親戚の方から 年賀状を頂きまして 私の 「昭和の物語」良いと 書いてきて下さいましたので 今回の企画となっています。 今から 52年前 昭和34年の 12月 大阪にほど近い 寒村での出来事です。 4人兄弟の上から3番目の姉と 末っ子の弟は 学校が 冬休みになって 家にいました。 外は 12月だというのに 寒い風が吹き 雪がちらついていました。 姉は 北側の小さな窓の前で 父親が作った 座り机の前に座って お勉強です。 弟は 数少ない木のおもちゃで 何かぶつぶつ言いながら 縁側で ひとり遊びしていました。 弟が遊んでいる使い古したおもちゃは 母親が 直ぐ近くの住宅に 行商に出かけたときに 不要なおもちゃを頂いてきたものです。 住宅というのは 駅の近くの 新興住宅地のことで 「社員さん」が住んでいました。 「社員さん」は今で言う 富裕層の勤め人の事で 「工員さん」に対して言う言葉です。 そんなおもちゃで遊んでいたのですが 弟は退屈で 姉のところに やって来ました。