登の父親の力で 体育館で避難生活も することなしに 他の被災者に比べれば 本当に快適でした。 家の中の 家財を 運び出す必要があったので 家族全員で 協力しました。 最初に日は 車で 何とか家まで行けたのですが 二日目からは 自動車での 立ち入りができず 自転車で 近くの駅まで 持って行くという リレーの やり方でした。 3日目になると 姉の大学の 友達が 折り畳みの リヤカーを持って 手伝いに来てくれました。 ずいぶんはかどりました。 登も 電話で 最前列5人組に 頼みました。 今では 災害に ボランティアは 当たり前になっていましたが この 地震が 始まりと言われています。 5日目の土曜日と 6日目の日曜日手伝いに来てくれました。 そのおかげで 大方の 家財道具を 運び出すことができたのです。 登の 家族も 会社の宿直室から 高槻の社宅に 引っ越ししました。 震災から 7日目 潰れた自宅付近は 大雨に遭いましたが 登の家族は 影響が殆どありませんでした。 薫子は 地震を 丹波口の アパートで 体験しました。 古いアパートでしたが 別に潰れるところもなく もちろんケガをすることもありませんでした。