来住家は
都会の近くで
中央市場までは
大きな国鉄の線路を渡って
自転車で
30分ほどの所にありました。
麦が売れなくなって
現金収入が
少なくなり
野菜に力を入れることにしていました。
しかし野菜の値段は
はじめから安くて
豊作貧乏になることが
たびたびでした。
自転車の
後ろに
重いリヤカーを付けて
運んでいっても
千円にもならないことも
たびたびです。
前の晩から
用意して
まだまだ陽が昇らない頃から
働き始めて
やっと作った
リヤカー一杯の
野菜も
それだけしかありません。
労働力が必要ですが
腰の曲がったおばあさん
悟
それに弥生です。
悟の妹は
お嫁に行って
今はいませんから
3人です。
湖子は
小さくて
役に立つほどでもありませんが
手伝っていました。
こんな月日が
1年ほど流れて
悟は
働き出ることを決意しました。
村の近くに
大手電機メーカーの
倉庫ができて
募集していたのです。
なにしろ
今のように
機械化されていませんから
力持ちの従業員が
大勢必要なのです。
勤務時間は
8時から5時まで
土曜日は12時まで
日曜日は休みです。
会社の休みの時は
農業をしていました。