私が大学を卒業したのは
昭和54年(1979年)のことです。
第二次石油危機のあった頃で
就職難でした。
試験運のある私には
神戸市役所の就職試験は
凄く簡単で易しい問題でした。
建築職ですので
製図もあったのですが
スラスラと書いてしまいました。
こんな簡単な問題なら
全員満点で
どのように選別するのかと
不審に思いました。
まさか出身の大学で
選別するのかと
考えました。
それなら
私は
関西大学ですので
少しやばいかと
推論しました。
そんな考えは
邪推で
私は
神戸市役所に
任用され
4年間
設計に携わっていました。
市役所では
3年から5年で
転勤になるのが普通でした。
勤めて
4年になる
私にも
課長から
住宅供給公社への出向の
内示を受けました。
このまま勤めて
せっせ
せっせと
公務員生活を送るか
家業を継ぐか
迷っていたのです。
何となく
課長に
「3月31日に辞めます」
と言ってしまったのです。
と言うわけで
家業を継くことになったのです。
当時も不明でしたが
なぜ
あの時に
あのように
決意したか
今となっては
わかりません。
人生にもしもはありませんが
あのまま
市役所に勤めて
60歳で定年になったら
今どうしているのでしょう。
いつもは
想像たくましい
私でも
想像もできません。