人が住まない
太古の昔
地名など
もちろんありませんでした。
しかし
人が住み始めると
地名は必要です。
人が住むところなら
必ず必要ですし
人が住まなくても
田んぼとか
畑になるような
役に立つ
所なら
名前は必要です。
持ち主を特定したり
税を
賦課するためには
地名は
必要でしょう。
私の住む
園田も
そんな必要性から
地名が作られたのでしょう。
それでは
その由来を
少し
書いてみたいと思います。
根拠薄弱ですので
信用するかしないかは
お任せ致します。
園田地名は
意外ですが
比較的新しいものです。
明治の初めに
廃藩置県がおこなわれ
行政区として
村が設置されるようになりました。
園田の地名は
明治22年(1889年)町村制
の成立の時初めて登場します。
それまでの村を大字として
800戸程度まとめて村
としたときに始まります。
園田の地名の由来は
古代、
現尼崎市域から
伊丹・川西・宝塚市域などにかけて立地した
と言われる
散在荘園
「橘御園〔たちばなのみその〕」
の名前から
村名が付けられたと
伝えられています。
「たちばなのみその」の前の
「たちばな」を立花村に、
少しわかりにくいですが
「みその」を園田村にしたそうです。
成立当時の人口は
4000人強であったと言われています。
園田は
東から猪名川
藻川
塚口川で
挟まれた地域です。
猪名川と
藻川に囲まれた地域は戦前は
「しまのうち」と
呼ばれていました。
私の住んでいる所は
江戸時代には
摂津の国
川辺郡
瓦宮村
(せっつのくに
かわべごおり
かわらのみやむら)
と言う地名です。
瓦宮の由来は
川辺群史によれば
「瓦宮(かわらのみや)は
河原の宮と呼ばれる
高貴な方のお住まいが
あった」そうです。
真偽の程は
わかりませんが
それを否定するものはありません。
瓦宮は
大字ですので
もっと小さい所を
表す
字が
あります。
以前住んでいたところは
「宮裏」
今住んでいる所は
「仁毛」
マンションのあるところは
「人作」
近くには
「蔵掛」「大船」などがあります。
以下は私の推論です。
宮裏は
河原の宮様がお住まいの
家の北側ではないかと思います。
大船は
きっと
藻川の川の船着き場
または
船を造っていたところではないかと
思います。
「人作」「仁毛」については
想像が付きません。
アパートのあるところは
小中島字上ノ瀬
です。
この地名は
誰が考えても
小中島は
川と川に挟まれた
中州の
地勢に対応した
名前でしょう。
上ノ瀬は
川に瀬があった所と考えます。
瀬とは
川が浅くなっているところです。
何か堅いものがあって
川底があさくなっているのです。
即ち
上ノ瀬は
地盤が固くて
川底が掘れないので
浅くなってしまっているところです。
園田のアパート