ロフト付きはおもしろい

ロフト大好きの68歳の老人の日記です

ブログ小説「もうひとつの冴子の人生 その3」その27

私が悪い時に
みんな
心配してくれていると
思いました。

ひとりじゃないんだと
思いました。

心には
楽しく時間は過ぎましたが
体は
辛い
限りでした。

そして
一ヶ月が過ぎ
もうひとりでは
暮らせなくなりました。

ケースワーカーが
介護プランを立てて
ヘルパーさんが
冴子の部屋にやってきました。

ヘルパーさんの中には
若い人もいましたが
冴子より
高齢な方もおられました。

「元気で良いですね」と
言ってしまいました。

ヘルパーさんに
来てもらっての生活も
楽しいと思いましたが
ながくは続きませんでした。

普通の
鎮痛薬では
痛みが軽くならないので
もっと強い薬が必要になって
病院に
入院することになりました。

点滴装置を
体に付けて
病院内を
ウロウロするのが
精一杯ですが
面会時間には
誰かしら
来てくれて
退屈ではありませんでした。

子供も
何回か来てくれました。

そして
その
数週間後
意識がなくなりました。

昏睡が続き
数日後
冴子は
天に
召されました。

お葬式は
子供ふたりが
喪主になって
行われました。

それはそれは
たくさんの人が
やって来て
涙ぐんで
拝む人が
多かったように思います。

遺骨は
勇治が
眠っている
岡山の
お墓に
葬られました。


「もうひとつの冴子の人生 パート3」は
終わります。

たくさんの人が来ても
心配してくれても
やはり
病気には
勝てません。

しかし
病気で死ぬ時は
相当痛いし
心細いに違いありません。

でも
心が
やっぱり
幸せなんではないでしょうか。

皆さんどのように思いますか。