ロフト付きはおもしろい

ロフト大好きの68歳の老人の日記です

ブログ小説「超幸運な男」その41まで

41話は最後の方です。

1.

ブログ小説「冴子の人生は」では
なにかしら
不幸な人生を
書いたつもりです。

全くの
力量不足ですので
そんなことが
通じていないと
思いますが
そうだと理解して下さい。



私の
親戚の中に
相当
幸運な方がいます。

人を羨んではいけないと
母の言葉に反して
羨んでしまいます。

どう羨むのかは
読んでいただければわかります。

普通に考えれば
親に恵まれず
幼児期には
不幸な連続であった方を
うらやましく思うのは
少しおかしいかもっしれませんね。


でも
羨んでしまいます。

____________________________



今から
おおよそ
85年前
昭和の御代が
始まって
数年経った時
主人公は
生まれました。

名前を
勝と言います。

場所は
兵庫県の
海辺の
大都市の
近郊です。

勝の
父親は
大地主の
次男坊です。

いつも立派な
兄と比較され
屈曲した人生を
歩んでいました。




2.

屈曲し性格の次男坊は
いわゆる
大正デモクラシーと呼ばれる
時代を
幼児期過ごしたのです。

今で言えば
バブル時代です。

バブリーな考え方を
持った父親と
仲がよくなる女性は
やはり同じような人だったのです。

当時は
「水商売の女」と
呼ばれる
女性でした。

親が反対しても
聞く耳を持ちません。

次男坊が
少し「尻に敷かれている」状態だったのです。

そんな間に
生まれたのが
勝です。

勝は
幼児期は
ものだけは
たくさん与えられました。

でも
父親はもちろん
母親も
家にいない時の方が
多いのです。

家に
母親がいない時には
父親の
母即ち祖母が
面倒を見ていました。

それをよいことに
父親も
母親も
ほとんど家にいない状態でした。

勝が
三歳になった時
母親が戻ってきて
妹の妙子を生みます。

妙子が
母乳を飲んでいる間は
母親がいましたが
勝にはほとんどかまっていませんでした。

勝は
淋しい
思いをしていました。




3.

勝が小さい時は
家族は
父親「勇治」と母親
父親の母親「千代」と
父親の一番下の妹「けい」との
5人家族でした。

というか
父親と母親の決まった家はなく
母親の家に
いたのです。

下の妹が生まれると
父親と母親は
一攫千金を狙って
全国を
旅して
ほとんど帰らなくなりました。

支那事変が起きて
日本が満州に進出すると
父親と母親は
別々に
大陸へ渡ります。

勝が
7歳の時です。

尋常小学校2年の時です。

その時代になると
千代の父親が蓄えていた
金品はすっかりなくなり
千代の
実家の納屋で
暮らすほどの
極貧の生活になっていました。

家計は
電話交換手をしていた
けいだけが頼りです。

けいは
逓信省に勤めていましたが
少しでも
給料のよい
大手製薬会社に
転職していました。

勝は
帰ってくると
口うるさく言う
父親や母親が
いない方が良いと
思うようにしていました。

妹は
夕方になると
よく泣いていましたが
けいが
おそく帰ってくると
甘えていました。








4.

支那事変は、
だんだん大きくなって
満州をめぐって
ついに
大東亜戦争に至ります。

勇治は
軍属となって
台湾に渡り
それから
華中戦線に
参加していきます。

勇治の
戦争での
行いについては
省きますが
書きづらいところです。

戦争中は
全然
家には帰りませんでした。

戦争のために
物資が不足して
特に食糧難でした。

お金があっても
配給制のために
満足に
食べられませんでした。

けいは
食糧を調達するため
職場近くの
農家で
買って
持って帰ろうとすると
駅で
巡査に見つかって
没収になったことも
何度もありました。

そこで
けいは
転職することにしました。

製菓工場の
社員食堂に勤めることにしました。

製菓工場は
軍需工場に
指定されていて
物資不足の食糧難の時代でも
いくらでも
食糧があったのです。

社員にも
配給があったので
けいは
千代や勝に
食べ物を
持って帰れたのです。

勝は
おばさんのおかげで
戦争中は
食べ物は
不自由しませんでした。




5.

けいが
甥の勝と姪と母親の千代の
食事に頭を
悩ましている時
勇治は
兵隊のあとを付きながら
口にするにも
汚らわしいことを
大陸でやっていました。

大陸から
台湾へ兵隊のあとを付いて
輸送船で
わたる時に
米軍の潜水艦の魚雷攻撃で
撃沈されてしまいます。

こんなこともあるかと思っていた
勇治は
赤いふんどしを
身につけていました。

服を脱いで
サメよけの
赤いふんどしをして
一昼夜泳いだ時
駆逐艦に
助けられます。

勇治は
命冥加がある
そんな天性を持っていたのです。

でも
この場で
勇治が
死のうが
生きようが
勝にとっては
あまり変わらない
出来事なんです。

しかし
おばあさんの
千代にとっては
不幸な出来事であったことは
後になって
わかることですが
この時は
誰も知りませんでした。

勝は
手紙も
よこさず
帰って来たのは
終戦の年の11月のことです。

日焼けして
疎開先の
千代の納屋に帰ってきました。






6

帰って来た勇治は
別に
勝を可愛がるでもなく
世話をしていた
千代やけいに礼を言うでもなく
単に
いつのように
食事をして
寝ていました。

勇治は
小学校を出て
すぐに
左官の修行をしたことがあって
戦後の
復興期には
左官としての
仕事が
あって
金には
困らなかったようです。

しかし
仕事でえたお金は
酒や賭け事で
パート使う有様でした。

年末になって
勝の母親も
同じように帰って来ました。

狭い納屋では
暮らせないので
もともと住んでいたところの
近くに
家を借りて
住むことになりました。

千代や
けいは
移り住むことは
出来なかったので
勝兄弟だけが
新しい家に引っ越ししました。

実の親と住み始めた勝は
既に
国民学校を卒業して
疎開先の
近くの店で
下働きを
していました。

新しい家に移ると
父親の
勇治の
手伝いのようなことをしたり
同じ仲間の
大工の手伝いのようなことを
していました。

妹は
まだまだ小さいのに
学校から帰ると
家の掃除や洗濯料理などを
母親にさせられていました。

頻繁に
ふたりは
連れ添って
遊びに出かけることが
多く
家には
ほとんどいませんでした。

父親は
気分屋で
機嫌が悪いと
何もないのに
勝や妹に
当たり散らしました。

そんな
父親が
嫌いでした。



7

勝は
父親よりも
祖母や叔母と暮らしていた方が
気楽だと思いました。

でも
気分屋で
それでいて放任
食事の世話もしない
短気ですぐ怒る
両親がいやでした。

年末
勝は
知り合いの
大工の手伝いで
泊まり込みで
神戸の方に行っていました。

親方の家に
泊まり込んでいたのですが
年が明けても
そこでやっかいになっていました。

親方は
気むずかしいですが
親方のお母さんに
可愛がられて
居心地がよかったのです。

住み込みになっても
特に
勇治は何も言いませんでした。

母親は
役立たずの
勝がいない方がましと
思いました。

そんな日々が続いて
すっかり
勝は
父親とは
もう付き合いが
なくなってしまいました。

5年が経ちました。

勝は
大工の手伝いから
大工の見習いになっていました。

大柄で
力はありましたが
手先は
それ程器用ではなく
まだまだ見習いで仕事をしていました。

新人が入ってきて
勝を追い越してしまいました。

勝にとっては
そんながっかりすることが
起こった時
可愛がってくれた
親方のお母さんが
突然他界しました。


8

住み込んでいる
親方の
お母さんが亡くなると
かばってくれる人が
いなくなって
何か緊張が
なくなってしまいました。

ある日
勝は
いつものように
失敗しました。

それを
親方は
いつものように
叱りました。

いつもは
頭を下げて
聞いているフリをする
勝でした。

しかし
今日は
頭を上げて
まともに聞いてしまいました。

そして
口答えをしてしまいました。

売り言葉に買い言葉
親方も
激しくなって
ふたりは
大げんかとなります。

その日の内に
勝は
親方の家を出て
しまいます。

5年勤めた
ところを
辞めたのです。

この5年が
勝に人生で
一番長く勤めた
ところだったのです。

この先
同じような理由で
仕事を
転転と
変えていきます。

とりあえず
友達が
修行している
家に
行きました。

親のところには
親が生きている間には
一度も行きませんでした。





9

次の仕事は
一転
お店の店員です。

近くの店で
今で言えば
コンビニのような
「何でも屋」です。

インフレが
起きていた時代で
ものが売れにくい
時でした。

その店に住み込みで
勤めました。

この店員の仕事が
勝を
今の言葉で言えば
「スキルアップ」させました。

その店の
店長は
凄く厳しくて
毎日毎日
接客の仕方を
教えたのです。

言葉使いや
心を掴む方法など
何度も何度も
教えられました。

この
修行で
勝は
口がうまくなったのです。

人の心を
先回りして
掴む方法を
体得できたのです。

この
仕事は
2年ばかり
続きました。

話が
上手になって
客と話し込んでいたら
店長に
叱責され
それが原因で
辞めました。

飽き性の
性格だったので
もう
勝の言葉を借りれば
「もう充分」だったのです。



10

とにかく飽き性の
ひとつところに
永く居られない性格は
死ぬまで続くのです。

店を辞めてから
運送会社の助手として
勤めました。

当時のトラックは
ふたり乗務が義務づけられており
助手として乗務しながら
運転を
習っていました。

これから先
いろんな職業に就く
勝ですが
資格を得たのは
運転免許だけです。

大型免許を
いくつもの
運送会社を
渡り歩いている間に
取得したのです。

その運送会社は
6ヶ月で
辞めました。

積み卸しが
しんどかったのが
主な原因ですが
付いていた
運転手が
気にくわなかったのも
あります。

そんな理由で
次の仕事は
丘の仕事でなくて
海の仕事となります。

西宮の港の
引き船に乗りました。

はしけを引いたり
おおきな船の
入港を手助けしたりするのが
仕事です。

勝は
歌手の田端良夫のファンで
マドロスに憧れていたのです。

そこで
船乗りの
求人を見て
応募したのです。

口がうまいので
うまく就職できたのですが
外国へは
もちろん行きませんし
港から
外に出ることさえ
しません。

狭い西宮の
港を
ウロウロするだけの航海です。

外国に行けると思っていたので
勝はがっかりです。


11

その会社は
すぐに辞めました。

そして
別の運送会社に勤めました。

今度の運送会社は
東京まで
行く便です。

夕方出て
翌る日の昼頃
東京に
着く予定です。

しかし
高速道路のなかった頃ですし
戦後まもないので
国道でも
舗装もないところもあって
到着は
遅れに遅れます。

ふたりで
運転を代わりながら
東京へ行って
また
荷物を積んで
帰ります。

朝鮮戦争が
日本中を
好景気にしていて
勝が勤める
運送会社も
景気が良かったのです。

お給料も
増えました。

転職すると
給料が
増える時代でした。

もちろん
転職しなくても
給料が
増えるのですが
勝は
そんな風に考えずに
転職したら
給料が増えると
考えていました。

もらったお給料も
貯めるのではなく
パーッと使っていました。

親譲りの
浪費家だったのかもしれません。

それに
お給料が
多いと入っても
少し贅沢をして
お酒でも飲んだら
無くなる額だったのです。



12

運送会社を
辞めて
今度は
またお店に勤めることになります。

車に乗って
ウロウロするのは
しんどかったのです。

当時の道は
凸凹だらけの上
車も
快適でなかったので
仕方がなかったかもしれません。

お店なら
良いかと思ったのです。

でも
その当ては
外れました。

運転が出来るというので
配達を委されたのです。

重い荷物を持って
配達です。

積み卸しの時に大変です。

今なら
パレットに載せて
ホークリフトで
運ぶようなものなのに
手で積み卸しをしていたのです。

大柄な
勝も
音を上げるような
重い荷物です。

でも
仕事をよく変える
勝なのに
この仕事は
「嫌だ
嫌だ」と言いながら
少しだけ永く
勤めます。

その理由は
店の隣に住んでいる
女性のためだったのです。

その女性は
勝よりは
10才くらい
年上でした。






13

勝には
片思いだったんです。

まだ
勝は
若くて
話すことが出来なかったんです。

そのために
遠くから見ているだけだったんです。

そんな気持ちを
知っていたのは
同僚の中で
最古参の
おばさんでした。

そのおばさんは
勝とは馬が合うのか
話し上手というのか
よく話をしました。

そのおばさんが
ある宗教団体に
属していることを
勝は知りませんでした。

別に
勝に勧誘したいと思って
おばさんも
勝に近づいたのではなかったのですが
話の端々に
宗教のことが
入ってしまったのです。

勝は
宗教とは
無縁の
人間でしたが
人と仲良くなる
ツールとしての
宗教が
良いなと考え始めました。

宗教の教えは
あまりよくわかりませんが
わからなくても
「これは使える」と
思いました。

と言うわけで
おばさんに
あまり誘われていませんでしたが
宗教団体に
入会しました。

その宗教団体は
まだまだ創生期で
大きくなる前だったんです。

現在では
もう
日本の政治を
左右するほどの
存在になっていますが
当時は
まだまだの
時期で
勝は
その宗教団体の
成長ともに
大きくなります。




14

勝の人生で
最大のエポックは
この宗教団体に
入ったことです。

これから
勝の
幸運な人生が始まります。

宗教団体では
夜間に
会合があります。

宗教上の
いろんな疑問を
解決する勉強会と言うことになっていますが
わいわい
ガヤガヤ
話をして
その後
ある言葉を
何度も唱えるだけです。

みんなが
友達となるような
団体でした。

もちろん
恋愛相談なんかも
ありました。

結婚の仲人の様なことも
よくやる団体です。

勝を勧誘した
おばさんは
勝が
隣の女性に
好意を持っていたことを
知っていました。

しかし
おばさんは
勝が言い出すまでは
黙っていました。

勝が
この女性のことを
おばさんや
宗教団体の
みんなに話すことは
ありませんでした。

何となく言えなかったのです。

そして
2年が経ち
この店を
辞めました。


15

勝は
今度は
職安に行くことにしました。

いつもは
友達とか
チラシで
応募するのです。

当時の職安は
朝鮮戦争のこともあって
求人難になっていました。

いろんな仕事をしてきた
勝ですが
食品加工は
したことがなかったので
食べ物商売にしようと
思いました。

何より軽いのが
いいのかと
思っていたのです。

和菓子店に
就職しました。

そのころ
妹が
和菓子屋の人と
結婚したので
そんなことも
動機です。

和菓子店では
新入りですので
下働きから始めました。

ものを運んだり
容器を
洗ったり
しました。

和菓子店では
古くなった
お菓子が残ると
もらうことが出来たので
持って帰って
宗教団体の
集まりで
みんなに配って
喜ばれまた。

宗教団体の中では
「カブ」があがって
みんなに頼りに
されるようになりました。

頼りにされると
頑張るタイプの
勝で
和菓子店で
お金を出して
買って帰るようになりました。

そんな宗教団体の集まりに
ひとりの
女性が
やって来ました。



16

和菓子店では
1年経って
下働きから
少し菓子作りが始まって
面白くなってきたところです。

月初めには
新作の和菓子を作るのが
その店の
決まりでした。

職人たちは
新作を
作って
出来栄えを
話し合うことになっていました。

勝も
春でしたので
桜若葉を
かたどったものを
発表しました。

最初の作品でしたので
まだまだと
自分では思っていました。

でも
みんなは
高評価で
店に並ぶことになって
大変喜びました。

勝は
たくさん
自分で買って
宗教団体の集まりで
配りました。

例の
気になっている
女性にも
渡しました。

その和菓子を
作った時の
様子や
作り方を
何度も
話したのです。

自分でも
わかい女性に
こんなにうまく
話せるんだと
自信を持ってしまいました。


17

今までは
話せなかったのに
こんなに
うまく話せるなんて
夢のようです。

相手の女性は
凄く納得していて
視線が
優しく感じました。

言っていることは
事実のこともあれば
少し
大げさに言っていることもあれば
全く事実無根の事実を含んでいました。

というか
後にならないと
わからないことですが
事実無根の話が
多かったようです。

俗に言う
「ほら」です。

でもそう思わせさせないことが
勝の
偉いところです。

「ほら」かどうか
わからなかった
女性は
勝の
隣に座って
勝と
仲良く
話していました。

和菓子店の
定休日と
彼女の定休日が
同じだったのも
勝にとっては
幸運です。

休みのたびに
当時は
新しい言葉の
デートしていました。

映画に行くのが
主な
ものでしたが
帰り際に
公園で
話をするのが
ふたりの楽しみでした。


18

映画より
話が好きです。

どんな映画だったかさえ
覚えていませんでした。

そんなふたりが
結婚するのは
自然の成り行きでした。

勝は
「戦争で
天涯孤独」と
言って
親戚はいないと
相手に言っていました。

結婚式は
新郎側の
親戚の出席はありませんでした。

代わりに友達とか
宗教関係者とかが
出席した
暖かい雰囲気の
結婚式でした。

結婚を機に
和菓子店を
また辞めて
今度は
彼女の
家の近くの
建材屋さんに
勤めました。


当時は
セメントや
砂・左官土などを
販売していました。

ダンプトラックが
あるくらいで
人力で運びます。

力のいる
仕事です。

勝が運転できると言うことで
高給で
雇われることになりました。

ふたりで暮らすので
お金も必要でした。

もちろん
勝の奥さんは
専業主婦です。



19

専業主婦の
奥さんを養うために
汗を流して
頑張っていました。

そして
宗教団体の集まりにも
通って
寄付もしていました。

宗教団体が
会館を造ることになって
寄付を
求めた時
勝は
蓄えもすべて寄付してしまいました。

夫婦揃って
寄付したので
宗教団体の世話役は
全財産を
寄付するのは
やめた方が良いと
言ったのに
聞き入れませんでした。

宗教団体に
傾倒していたと
みんなは思っていました。

でも
心の中では
見栄があったのです。

みんなに
見栄を張りたかったと言うことです。

勝は
見栄からでしたが
奥さんは
夫に従っただけです。

世話役は
それがわかっていて
「本当に良い奥さん」と
評判になりました。

みんなは
熱心な
良い夫婦と
思われていました。





20

汗を流して
お給料を得て
それを
寄付する。

そんな繰り返しを
何度かして
数年経ちました。

宗教団体は
大きくなりました。

勝の努力も
発展に寄与していると
勝は思っていました。

いつものように
新しい会員が
宗教団体の集まりで
紹介されました。

若くて
綺麗な
女性です。

おばさんが多い中で
その女性は目立ちました。

勝は
すっかり
妻帯者であることを
忘れて
その人を
好きになってしまいました。

誰の目にも
そのようにうつったので
勝や
奥さんに
忠告する人が
多くいました。

特に奥さんには
言いにくいことを
ずばり言ったのに
奥さんは
動じませんでした。

にっこり笑って
答えていました。

何日か経って
奥さんは
置き手紙と
離婚届けに自分の名前を書いて
いなくなりました。

出ていくその日まで
何にも言わずに
笑って話していました。




21

奥さんの方は
止めて欲しいと
心の中では
思っていたのに違いありません。

宗教団体の世話役たちも
「奥さんを迎えに行くべきだ」と
勝に説得しました。

勝は
「元女房は
そうは思っていないと思います。」と
言って
従いませんでした。

奥さんの家に近い
建材店も
辞めました。

それで
全く家の方角が違う
鉄工所に
勤めることになりました。

大きな
建物を造る
鉄骨工場でした。

鉄骨を
紙の型に従って
アセチレンで切り取って
当時としては
珍しい
溶接でつけるのです。

大きな溶接機が
自慢でした。

当時の溶接は
難しくて
勝は
下働きでした。

重い鉄骨を
運んだりしました。

安全靴を
履いていて
助かったことも
何度かありました。

そんな風に仕事が
順調でした。

そして
新しい女性と
2年後
結婚することになります。

2度目の結婚です。

二度目の
奥さんは
とても美人な方で
背が高く
大柄な
勝とも
釣り合いが取れる
いい人でした。




22

宗教団体の集まりで
みんなに披露すると
ため息が
漏れました。

集まったみんなは
なぜあんなに良い
あんなに美人の
あんなに若い
そして
あんなに器量が良い
人が
勝と結婚なんかするのか
わかりませんでした。

長年
集まりで
勝の話を聞いて
その
勝の本性を
知っている人達は
驚きというか
ため息というか
出てしまったのです。

勝の
今度の結婚も
仲良くしていました。

溶接の仕事も
上手にはなりませんでしたが
うまく仕事をこなしていました。

軍人勅語を
揶揄していった
「要領を持って本文とすべし」
を
実践していました。

この言葉は
勝の父親から
手柄話と一緒に
そのように
言われていたのです。

時代も
神武景気と呼ばれ
給料も上がって
勝にとっても
よかったのです。

そんな上がった
お給料を
同じように
宗教団体に
寄付をしていました

専業主婦の奥さんも
進んで
寄付する
勝を
喜んでいました。


23

ふたりは
本当に仲がよかったです。

勝がバツイチで
歳も離れて
若い奥さんだったので
勝は
浮気などもせず
仲良く
6畳一間の
小さいアパートで
暮らしました。

部屋が小さかったので
仲良くしか暮らせなかったと
言ったら
語弊があるかもしれませんが
そんな暮らしぶりでした。

夫婦生活は
波風もなく
仲良く暮らしていましたが
勤め先は
溶接会社をやめ
大手製菓会社の
配送部門に
転職しました。

大手製菓会社仕事は
トラックに乗って
問屋を周る仕事です。

お菓子を配送して回るのです。

配送すると
期限切れの
お菓子を
回収して回るのです。

回収した
お菓子は
処分場に持ち込んで
処分する仕事も
していました。

期限切れと言っても
まだまだ充分に
食べられるものだと
勝は思っていました。

そこで
これを
宗教団体の集まりに
持って行きました。

見栄があって
「買って持ってきた」と
言っていました。

そんなことを
数ヶ月続けて
上司にばれて
解雇になりました。



24

解雇とは
評判が悪いので
自分から辞めたことに
していました。

次に勤めたのは
せんべいの会社です。

霰や
せんべいを
作っています。

家内工業という程度で
勝の他に従業員は
ふたりです。

餅を
ついて
せんべいや
霰を
作っていました。

餅をつくのは
器械になっていましたが
他は
全部手作業で作っていました。

勝が
食品製造会社を
勤め先に選ぶのは
やはり
宗教団体の集まりと
関係があります。

端材や
あまりの品や
出来の悪い品を
宗教団体の集まりで
配りたかったのです。

でも
勝の
この考え方は
間違っていました。

ほとんど
そんなものは
出ません。

わずかに出ても
3時のおやつタイムに
みんなで食べてしまうのです。

勝は
がっかりしましたが
辞めることなしに
勤め続けました。

せんべいの焼き上がる
香りが
好きだったのです。

というか
奥さんが
せんべいの香りがする
勝が
好きだと
言ったからです。



25

せんべいが美味しい店でした。

せんべいを
ばりばり食べながら
お店で
おやつを食べる
和やかな店でした。

おやつの時間は
勝の
独壇場です

話がうまいので
みんなが聞き役です。

そんな話の中で
宗教団体の
話を
わからないように
「こそっと」話しました。

あることをすると
現世御利益が
あるのです。

そんな例を
いろいろと
おもしろおかしく
話していきます。

徐々に
大きく話していき
小さなお店ですが
全員を
勧誘することが
出来たのです。

少し大変なところが
宗教団体の
売りです。

数ヶ月かかりました。

宗教団体の中では
会員を増やすと
偉くなるのです。

相当
みんな偉くなって
勝も
奥さんも
満足でした。

年月が過ぎて
高度成長期が
本格的になっていました。

皇太子が
結婚するので
話題になっていた頃です。





26

勝の家では
テレビを
買おうかと言う話は
全く出ませんでした。

テレビを見る時間は
だいたい
宗教団体の集まりに出ていて
不要だと思っていたのです。

それ以外に
勝は
奥さんに
洗濯機を
買うことを
提案しました。

洗濯は
家事の中でも
重労働の
仕事です。

そんな重労働から
開放したいと
勝は思っていたのです。

奥さんは
大変喜びましたが
洗濯機は
高価なものです。

寄付するために
蓄えがない
勝夫婦には
少し
大変でした。

そこで
勝は
残業して
余分な
給料を
稼ぎました。

勝が
宗教団体の集まりに
出席できない期間
奥さんが代わりに出て
手伝いしました。

数ヶ月後
待望の
洗濯機が
勝の家にやってきました。

2槽式洗濯機の
洗濯槽だけが
ある
洗濯機です。

脱水は
出来ないのですが
横に
洗濯物を
絞る
ローラーがついているタイプです。




27

それまで
タライと
洗い板・石けんの洗濯とは
労力は
大違いです。

奥さんは
大変感謝していました。

テレビは
皇太子の結婚を見るために
よく売れていました。

でも
庶民には
高嶺の花
まだまだ
テレビを買う人は
宗教団体の中でも
ありません。

そんな
お金があると
寄付することの方が
大切だと
みんなは考えていました。

そのころ
宗教団体では
新しい会館の
建設を
計画していました。

新しい会館ができると
集まりは
いつでも出来るし
テレビも
置く計画だというのです。

勝夫婦も
協力したいと
思っていましたが
もう
寄付して
何も残っていませんでした。


そんな時
勝の父親の
勇治が
肝臓がになったと
知らせがありました。

昼夜お酒を飲み
煙草を吸って
当時出たばかりの
即席ラーメンを
食べていました。

他のみんなは
そう思っていました。

ガンは
手術出来ないほど
末期で
抗がん剤もなかった頃ですので
今で言えば
終末医療ですが
そういう
ものがない時代ですの
手をこまねいて見ているだけです。


激痛のある
勇治を
ただただ看ているだけです。

勝の
母親は
そんな勇治を
全く世話もしませんでした。

そこで
勝の
奥さんが
よく
看ていました。









28

勇治は
数ヶ月後
痛い痛いと言いながら
亡くなりました。

宗教団体の
お葬式を上げました。

仲間がやってきて
ほとんどお金もかからず
出来ました。

母親は
お葬式には出ましたが
その後は
家に帰ってきませんでした。

そこで
勝は
勇治が住んでいた家に
移り住むことにしました。


もともとは
勝のおばさんが
おばあさんのために建てた家です。

家賃が要らないので
その聞寄付が出来るということで
奥さんとも
相談して
移り住むことになりました。

前の家からは
近いところです。

引っ越して仕事もかわりました。

年金制度が出来たので
厚生年金が
出るところと言うので
変わりました。

製油会社で
タンクローリーで
石油を
運ぶ仕事です。

保証人が必要だったので
おばさんに頼みました。

ついでに
宗教団体にも
勧誘しましたが
おばさんは
熱心な門徒なので
数日通いましたが
説得出来ませんでした。




29

勝は
いつもは
3日程度で
勧誘できるのですが
勝のおばさんは
頑固です。

いつもの
言葉では
勧誘できません。

やはり
勝や妹を
戦争の中
育ててくれた
おばさんは
強いと
思いました。

と言うわけで
諦めました。

その代わり
保証人だけは
しっかり
お願いしておきました。

おばさんが
「タンクローリーなんて
大丈夫」と
言ったので
「大丈夫大丈夫
煙草で火をつけても
重油は
燃えないよ」と答えました。

おばさんは
「そんな危ないこと
絶対にしたらダメよ」と
忠告してくれました。


勝は
3年間
まじめに
爆発させることもなく
勤めて
辞めました。

いつものように
たいした理由もありません。

「重油は臭い」と
言っていました。

奥さんも
納得していました。





30

時代は
高度成長期で
新しいものが
続々
生まれる時代です。

新しい会社は
テレビの部品を作っている会社でした。

運輸部で
部品を運ぶ仕事です。

大きな車で
どっと
運びます。

決められて時間に
納品することになっています。

1分でも遅れると
会社にペナルティが
課せられますので
早く出て
納品先の
門で待っていました。

積み込みが
遅くなって
急いだこともあります。

仕事は
昼間に限られていますので
残業もなく
宗教団体の
活動に
専念できたのが
よかったです。

東京オリンピックの年
新しい会館ができて
テレビが
会館に
つきました。

はじめて
座って
テレビを
ゆっくりと見ました。

奥さんも
会館で
一緒に見ました。

宗教団体は
テレビのおかげで
娯楽場所に変わりつつありました。

宗教団体は
本来の
宗教ではなく
互助会のような
団体になっていました。

困っている人を
実際に助けると言うことで
入会する人も
多かったようです。

31

国道筋を
聖火リレーが
通るというので
仕事を休んで
夫婦揃って
見に行きました。

時間になって
聖火リレーの一団が
やって来ました。

聖火というので
てっきり火があると思っていたら
棒の先から
煙が出ていました。

風向きで
後ろを伴走している
人の前に
煙がやってきて
煙たそうでした。

聖火リレーとは
こんなものだと
夫婦揃って
思いました。

同じように
見に来ていた
宗教団体の世話役と
東京オリンピックの
悪口を言って
終わりました。

スポーツとは
全く縁遠い
のです。

オリンピックするお金があったら
貧乏をなくすようなものに
お金を使うほうが
良いと思っています。

そんなオリンピックをが沸いた
年は終わりました。

その年の瀬
勇治のお母さんが亡くなった知らせが入りました。

病院で
父親と同じ病気です。

お葬式を済ませました。



32

葬式を済ませた
勝夫婦は
ホッとした様子でした。

勝兄弟を捨てた
父母が
もう帰らぬ人となって
怨む必要も
なくなったからです。

父母が住んでいた家を
リフォームすることになりました。

おばさんの
結婚相手が
疎開建物の古材で
作ったもので
20年経ちます。

お風呂もないし
台所も
昔のままなので
使いにくかったのです。

南の
陽の当たるところに
勝の部屋を作ろうと
考えていました。

しかし
勝の奥さんは
台所を
南の陽の当たるところに
作りたかったのです。

冷蔵庫が
普及するまでは
台所は
北向の
寒いところに
作るのが
普通でした。

宗教団体の集まりの中でも
台所は
南向きの
陽の当たる
明るいところが
良いと言う
意見が大勢でした。

今まで
夫唱婦随で
意見を
違えたことがなかった
奥さんですが
リフォームをめぐって
対立が
水面下で進んでいたのです。










33

そんな行き違いが
勝夫婦の仲を遠ざけます。

今まで
勝が
勝手に寄付しても
転職しても
絶対に
反対せず
心から
頼りにしていた
奥さんが
少し変わり始めました。

テレビも部品の会社から
バス会社の配送係
それから
個人の電気屋さんへ
転職しました。

電気屋さんは
電化製品に
気になったからです。

でも
個人商店ですので
年金が
国民年金となりました。

会社勤めの
奥さんは
年金を払わなくても
自動的に
年金に入っていることになっていましたが
勝が
個人商店に転職して
無年金になりました。

勝は
ちゃっかり
年金に入ったのに
奥さんには
言わなかったのです。

宗教団体の集まりで
奥さんに
そのことを
話すものがあって
奥さんとの仲は
最悪となります。



34

勝夫婦が
冷えた関係になったのは
カラーテレビが
普及した
昭和46年頃です。

カラーテレビを
従業員割引で
安く買えるので
奥さんに言ったら
「そんなものは要りません」と
ひと言の対応です。

取り付く島もない
ふたりです。

勝は
電気屋さんも辞め
厚生年金もある
紙問屋に勤めていました。

少しは
奥さんの機嫌が
治るかと思っての
転職でした。

でも
それは
もう手遅れでした。

家にいる時はもちろん
宗教団体の集まりでも
ふたりは話すことはありません。

宗教団体の集まりでも
違う会合に
出て
出来る限り
顔を会わせないようにしていました。

例の
トイレットペーパー騒ぎが起きると
勝は
もう家には
帰れないほどの
忙しさになってしまいます。

勝の家の
トイレットペーパーが
なくなって
困っている時
勝が帰ってこなかったのです。

騒ぎが
一段落過ぎて
帰った時
奥さんは
家にはいませんでした。

何も言わずに
出て行ってしまいました。








35

勝は
今度は
探しました。

すぐに見つかって
会うことが出来ました。

勝は
謝りましたが
奥さんは
「そんな問題ではない」と
言われてしまいました。

やっぱりダメと
思いました。

諦めるしかないので
肩を落として
別れを告げました。

家に帰ると
ひとりきりなので
仕事か
宗教団体の集まりか
勧誘していました。

家に帰って寝るだけでも
不安なので
宗教団体の会館で
寝ることも多くありました。

表向きは
独身の方が
宗教団体に
専念できて
快適だと
言っていました。

誰の目にも
負け惜しみです。

そこで
仕事を変えました。

重油を運ぶ
タンクローリーの仕事です。

2度目の
就職です。

でも
それも
すぐ辞めて
パン屋さんに
勤めました。

地方の
パン屋さんで
小売り屋さんに
卸していました。

朝に焼き上げたパンを
車で配送します。

美味しい香りが
運転席まで
やって来て
朝ご飯を
食べたのに
また食べたくなります。

喫茶店にも
卸していて
最後になるので
そこで
モーニングを
食べるのが
日課になってしまいました、

モーニングですが
勝には
昼ご飯です。





36

雰囲気の良い
喫茶店で
昼食を摂るのが
日課になってしまいました。

喫茶店で
単に
昼ご飯を食べるだけではありません。

喫茶店の
店主に
ちゃっかり
勧誘していたのです。

時間はいっぱいありますので
ゆっくり
じっくり
話し合って
勧誘です。

いろんな例や
周りの話などを
なんだかんだと言って
話すのです。

勝は
話が好きでした。

時間が経って
勧誘できた時
店主の家族に会いました。

奥さんと
二十歳の息子と
当時は高校生の
娘がいました。

息子は
反抗期か
父親とは
嫌でも
同じものに傾倒しないようにしているのか
宗教団体にも興味がないようです。

一方
娘の方は
従順で
父親に従って
宗教団体の集まりにも参加しました。

勝は
3人も
勧誘できて
良かったと思いました。

勝の偉いところは
勧誘するだけでなく
後々
相談にもよくのっていたのです。




37

そんな間にも
転職して
今度は
幼稚園バスの運転手になりました。

小さな子供の
送り迎えです。

勝は
子供とは
無縁な
関係です。

いきなり小さな子供に
運転手のおじさんと
言われて
囲まれました。

勝は
子供は
良いなと
思いました。

遠足や
運動会では
先生の補助をして
参加していました。

クリスマスの
飾り付けを作ったり
幼稚園の給食を運んだり
初めての経験です。

これだから
転職も楽しいと
思いました。

綺麗な
可愛い
幼稚園の先生も居るし
幼稚園の運転手を
天職にしようかと
思ったくらいでした。

でも
少し不純な
こんな考えは
すぐに
挫折してしまうことを
勝自身知っていました。



38

中年の勝と
若い幼稚園の先生とは
仲良くなれるわけがなく
勝は
転職しました。

やはり
宗教団体の活動に
力を入れるしか
勝にはなかったのです。

今までに勧誘した人や
勧誘できそうな人に力を入れました。

お酒屋さんに勤めました。

お酒の好きな
勝には
ぴったりだと
みんなは思いました。

しかし
配送係ですので
酒を飲んでの
配送は
考えられないので
あまり関係ないと
思いました。

当時は
まだまだ
お酒が
主流で
一升瓶が
10本入っている
木箱は
重さが
20Kgを越え
同時に
2箱はこぶことを
要求されました。

二箱は
辛いです。

1回なら
平気ですが
車を一杯にするまで
運ぶとなると
100回は必要です。

手がだるくなって
ハンドルが
握れなくなるくらいに
なってしまいます。

でもこれが
仕事だと言うことで
とにかく
やり遂げました。



39

仕事を
よくかわりましたが
辛いからと言って
かわることは
少なかったと
勝は思っていました。

薄給でも
頑張ることにしていました。

給料で
仕事に差をつけるのは
いやでした。

といっても
勝も
歳のせいか
ゆっくりでした。

仕事で
あまり頑張りすぎると
宗教団体の
活動に
支障を来すので
程ほどというところでしょうか。

そんな余力で
いろんな相談にのっていました。

その相談の中に
喫茶店の店主の
お嬢さんの
悩みもあったのです。

それまで
とりとめのない
悩みの
相談にのっていました。

誰でも答えられるような
ものでしたが
今回は
ちょっとだけ
こんでいました。

大学で
同級生に
つきまとわれて
困っているという相談でした。

当時は
ストーカーという言葉が
なかった時代ですが
今なら
ストーカーです。

警察に相談するほどでもないし
親に相談すると
心配するので
勝に
相談してきたのです。

勝は
その相談に
下心なしに
のっていました。





40

宗教団体の
仲間の
女性の
ストーカーの相談で
勝は
ストーカーに会って
話すことにしました。

弁には
自信があったので
説得できると
思っていたのです。

待ち伏せがよくあるところに
勝は
女性と
付いて行きました。

しかしその日に限って
現れません。

そんなことが
3回ほど続いた
4回目
ついに
ストーカーが
出てきました。

勝は
ストーカーに近づき
話しかけました。

ストーカーは
居直って
「関係ないものとは
話さない」と
言ったのです。

勝は
話が出来ないといけないので
「父親だ」と
嘘をついて
言いました。

そう言うと
ストーカーは
恐縮して
話を聞いてくれました。

勝が
諭したので
ストーカーは
納得した様子でした。

「もうしない」と
言って別れました。

勝は
「父親」と言ったことを
謝りました。

女性は
「本当にありがとう。」と言っていました。

本当の親からも
大いに感謝されて
勝と
その家族は
一層仲良くなりました。

女性は
本当のお父さんと
宗教団体のお父さんの
ふたりがいて
嬉しいと思いました。

それ以来
宗教団体の集まりに来ると
勝のことを
「お父さん」と
呼ぶようになりました。

41

仲のよい
ふたりで
本当の父親や母親と一緒に
宗教団体の大きな集まりにも
参加しました。

女性は
宗教を
理論的に
勉強していました。

その勉強の度合いは
凄く高く
勝の属する地方部会では
最高位でした。

聡明で
信心深く
器量のよい
女性は
宗教団体の集まりでも
羨望の的です。

若い男性の中には
その女性に近づき
誘惑をしようとする輩も
多くいました。

それをうまくかわして
活動していました。

勝の目が
ありますので
誘惑する輩も
控えめでした。

そんな間にも
勝は
転職します。

今度は
ゲーム機を
レンタルをする会社です。

ゲーム機というのは
UFOゲームの様な
当時は
喫茶店に
テーブルの形をして
置いている
ものです。

それを
レンタルでかしている会社で
意外と重い
ゲーム機を
配送する係です。

勝も
やってみましたが
特に興味は
沸きませんでした。

他の人は
熱心にゲーム機をしていましたが
勝は
全く
面白くありませんでした。

そして
例の女性も
面白くなかったのです。