私の子供の頃は、家の風呂は、五右衛門風呂でした。
大泥棒の石川五右衛門が、かまゆでの刑でゆでられた釜バスタブです。
皆さんは、五右衛門風呂は、
すべて鉄で作られたなべのような風呂桶と思っておられる方も多いとお思います。
すべて鉄で作られたバスタブを鉄火風呂と言います。
五右衛門風呂は、木の桶で、底だけが鉄でできています。
レンガで周りを作ってその上に載せます。
下から薪きで焚くのですが、前にも言いましたように薪は、高いので、
わらすべで焚きます。湧き上がるまで火のそばにいる必要があります。
冬は、いいのですが、夏は、大変です。
また水道がきたのは、昭和30年か31年頃ですので、
それまでは、横の水路からバケツで水を汲んで入れます。
横と言っても大分あるので大変です。
薪の事や水道のことわらで焚く大変さ等を考えてお風呂は、
冬は、5から7日間ごと夏でも3日毎です。
夏は、それでは、つらいので、行水をします。
本題に戻して五右衛門風呂についてもう少し書いてみます。
底だけ鉄ですので追い炊きすると熱くて入っていられません。
それで「げすいた」と言われる木で作られた板を入っている人の重みで沈めます。
うまく沈めるのは、なかなか難しいものでした。
それから、ごえもん風呂の思い出と言えば、底が抜けたことです。
桶の底の鉄は、上からはめ込んであるだけですので、
水を入れてその上に人が入って暴れると、底が下に抜けてしまいます。
そうなると、お湯は、全部抜けて、、、、
怒られておしまいです。
器用な兄がまた直してくれました。
ごめんなさい。大変でしたでしょうね。
貧しかったけど楽しかったあの頃