ロフト付きはおもしろい

ロフト大好きの68歳の老人の日記です

昭和30年代始めの頃

昭和30年代初めの頃

私が 尼崎市の寒村で 暮らしていた昭和30年代初めの頃の お話です。 冬場は 私の住む寒村では 麦を作っていました。 現代の社会の教科書では 二毛作と言う言葉は 出てこないと思いますが 夏から秋まで稲を 冬から春までは 麦を作っていました。 春麦を作って…

昭和30年代初めの頃を私が読んで

記憶の中にあった 私の子供の頃の 思い出を 書いてみました。 今読み返してみて 父も母も 元気でした。 朝は朝星 夜は夜星 で働いていました。 たぶん 当時の父の歳は 私の今の歳と あまり離れていません。 当時の父のようには 絶対に働けません。 父や母が…

昭和30年代初めの頃 2月頃の我が家の一日 全話

先日来より 誰でもわかる昭和30年代クイズで 取り上げております 十能 消し壺 ひあそみ かんてき まめたん こたつ で 少し物語を作ってみようと思います。 落語の お題話しのように 落ちもありませんので ご容赦下さい。 昭和30年代初めの 田舎の寒村の 様子…

昭和30年代初めの頃 小話その21

寝間着に着替えた 私は 父が仕事をしている 土間のある方を向いて 正座して 「お父ちゃん お休みなさい」と 手をついて 言いました。 同じことを 夜なべをしている 母にも言いました。 母は 「はい お休み お布団の中で 暴れたら いけませんよ。」と 言って…

昭和30年代初めの頃 小話その20

母は 賢明な大正生まれの女性です。 子供の能力を 見抜いていたのです。 姉には あんなにも 厳しかったけど 私には 「勉強しなさい」とは 言ってくれましたが しないからと言って 叩いたりはされませんでした。 通知簿で 「2」を 持ち帰った時も 他の部分を…

昭和30年代初めの頃 小話その17

その日も キャベツの 煮付けです。 出汁をとったわけでもなく 油揚げとか 他のものと 煮たわけでもなく 卵とじにしたわけでもなく 醤油と少しの砂糖で 味付けしただけの キャベツの煮付けが 山のように 盛られます。 美味しいか 美味しくないかなど そんなこ…

昭和30年代初めの頃 その15

藁を 藁を仕舞っている納屋から 持ってきます。 藁を仕舞っている納屋は 粗末な作りで 地元の人は バラックと言っていました。 なぜ 英語なのか 私には わかりませんが バラックbarrackだったんです。 兵舎とか粗末な大きな家の意味があるそうで 進駐軍から …

昭和30年代初めの頃 その14

いにしえの 猪名の笹原 田になりて 殻焼く煙 ゆら立ち上り 見ている時は そのように思いませんでしたが 五十五年経った時 私は 無常を感じます。 姉は 時間を経て 私に 「遊ぼうか」と 言ってくれました。 いわゆるままごと遊びです。 姉は もちろん 母親役…

昭和30年代初めの頃 その13

脱穀されたお米は 「うっすり」で 籾殻と玄米わけられます。 籾殻は リヤカーに載せられ 田んぼに運ばれます。 そして 火種を入れ 煙突を付け 山のように 積み重ねられます。 籾殻は ゆっくりと 燃えていきます。 煙が 煙突と籾殻の山全体から 出てきます。 …

昭和30年代初めの頃 その12

脱穀が終わると そのままでは 出荷出来ません。 いわゆる玄米に する必要があります。 その工程を 当地では 「うっすり」と言います。 たぶん 臼で「擦る」ので 「うすすり」となって 音便化して 「うっすり」になったんだと 私は思います。 普通では もみす…

昭和30年代初めの頃 その11

九月になると 稲は 花が咲きます。 稲の花は 一日だけ 咲いて 雄しべを 外に置いて しぼみます。 そのあと 田んぼは だんだんと 母の言うには 「黄金色」に 変わっていきます。 「実るほど 頭を下げる 稲穂かな」の俳句通りに 実ります。 我が家の 現金収入…

昭和30年代初めの頃 その10

北の窓から見える 引き揚げ者住宅は 今日も見えました。 天気なので たくさんの洗濯物が 満艦飾のように 見えました。 その左側には 下食満の村が見えました。 食満は 天皇陛下が 有馬道を 行幸の折 食事をしたとか いわれのある村です。 もう少し時代は下が…

昭和30年代初めの頃 その9

二月の今頃は 冬枯れの季節ですが 麦の 若葉が 田んぼを覆っていました。 大人になった 私が もっと細かく 景色を説明すれば 窓のすぐ近くは 私の家の 畑で 今頃は 白菜を作っていました。 その畑の 右の角には 先の大戦で 戦死された 兵隊さんの墓がありま…

昭和30年代初めの頃 その8

もうすぐ 水道が 引かれることになるのですが 小話の時代にはありません。 母は 水を 桶に入れて 戻ってきて 壺に入れました。 昼ご飯は 簡単です。 お漬け物を 山ほど並べて ご飯は 朝炊いたものを 出すだけです。 汁物があることも ありました。 遅れて 父…

昭和30年代初めの頃 小話その7

ひとりっきりになってしまった私は 縁側で寝たり 奥の お布団の中に入ったり 庭に出て ひとり遊びをしたり 牛がいる時は 牛を見たり 門の外の 小川の魚を見たり 気候がよい時は 母親の野良仕事を見たりしました。 この日は 外は寒いので 家の中にいました。 …

昭和30年代初めの頃 小話その6

新聞を 16分の1に切った 紙で 用をたした後 拭きます。 もちろん そのままでは固いので 新聞を もみもみして 使います。 お金持ちでは 新聞紙ではなく ちり紙を 使っていたようですが 当時の私は これが当たり前だと 思っていました。 いつの頃か 判然としま…

昭和30年代初めの頃 小話その5

今日は トイレの話ですので お食事の方は ご遠慮下さい。 私の 家の 便所は 家から離れた 庭の向こう 門のそばにありました。 畳1畳敷きほどの広さです。 右側が 小便所 正面に 「こえたんご」があります。 こえたんごは 肥担桶(こえたご と読みますが なま…

昭和30年代初めの頃 小話その4

黙々と 麦飯を食べ 白菜の漬け物を 食べて おこうこを食べました。 父の口癖 「早飯早くそも 芸の内」ですので 早く食べないと 叱られます。 私は 30才までは ものすごく早くご飯を食べていました。 でも 父や兄は どんぶりで 3杯の 半麦米を食べますので 私…

昭和30年代初めの頃 小話その3

姉は みずやから ひとりひとりの お膳を出して 並べました。 私は お膳の前に座りました。 (お膳というのは 小さな箱で 中に お茶碗と お箸が入っています。 普通は ご飯のあとで お白湯で ゆすいで おこうこ(大根の漬け物)で拭き取り 洗わず また中に仕…

昭和30年代初めの頃 小話その2

土間に下りて 母に 「おはようございます」と挨拶しました。 我が家では 父母には 今考えれば 敬語を使っていました。 昔の家は 当たり前ですが お料理をするところや かまどのあるところ 流しのあるところは 土間になっています。 土間とは 土に 苦汁(にが…

昭和30年代初めの頃 小話その1

先日来より 誰でもわかる昭和30年代クイズで 取り上げております 十能 消し壺 ひあそみ かんてき まめたん こたつ で 少し物語を作ってみようと思います。 落語の お題話しのように 落ちもありませんので ご容赦下さい。 昭和30年代初めの 田舎の寒村の 様子…

昭和30年頃の お正月 全編

皆様 いかがお過ごしでしょうか。 皆様にはよいお正月であったことと存じます。 私は 『正月や 冥土の旅の 一里塚』 の覚悟ですごしておりますので めでたいとか めでたくないとか 言う次元ではございません。 しかし私が子供であった頃は そのような覚悟で …

昭和30年頃の お正月 その12

一日は雨戸を開けずに 寝正月を決め込む 唯一の日です。 お布団の中で 一日中すごします。 子供の姉や弟には そんな事 日曜日には できない事もないのですが 大人には 病気でもない限り できないことです。 何もせずに ラジオを聞いたり していました。 弟に…

昭和30年頃の お正月 その11

弟は ただゆっくりと 父や母が しているので 驚いていました。 いつもせかせかと 食事をのみ込み 食べているのに 今日はゆっくりと ごまめ(田作り)を1匹ずつ 食べていました。 こんな時は母は 食前または食後に 正月に食べるものは いろんな意味がある事を…

昭和30年頃の お正月 その10

翌日は 元旦です。 この日こそ 唯一 働く必要のない 働らかなくててもいい日です。 朝寝もできます。 まだ夜が明けぬ頃 星が たぶん昔でしたので 天の川がはっきり見えるときから 起きて 働いているのが その日以外の日です。 ゆっくり寝ています。 日の出は…

昭和30年頃の お正月 その9

弟の仕事は ガラスふきだけですが 主婦である母親は そんなもので終わるものではありません。 正月になると ながくお店は閉まってしまうので まずは買い物 それから おせち料理です。 この家のおせち料理は 簡単なものですが それなりに大変です。 縁起物の …

昭和30年頃の お正月 その8

お昼から お餅をたらふく食べて 弟は満足でした。 「正月は もういいよ このまま幼稚園が始まっても良いよ」 と考えつつ 姉に従って 片付けを手伝いました。 でも そんな事だけで 正月がくるわけがありません。 昼からは お掃除のお手伝いです。 弟には 縁側…

昭和30年頃の お正月 その7

兄と 父親が 臼の準備を始めます。 家の軒下においておいてある 石臼を 転がすように 庭の中央に持ってきます。 この家の臼は 石でできており 白い花崗岩を お椀状に掘って作ってあります。 木の株の台の上に 荒縄を 丸めて 布団のように置き その上に 石臼…

昭和30年頃の お正月 その6

母親が 起きるまでの間 弟は 考えていました。 いつものつまらない考えですが 「毬(まり)は蹴っても こたつは蹴るな」という防火標語です。 幼稚園の 先生が そんな風に言っていたのです。 でも弟は 「男の子だから 毬遊び何かしない 毬を蹴る事なんかしな…

昭和30年頃の お正月 その5

冬場のお布団は 弟も手伝って こんな風に敷きます。 この家は 床の間と仏間のある 8畳の部屋があります。 8畳の真ん中に 素焼きのこたつを置いて 周りに 四つお布団を敷きます。 十字のように敷き込むのです。 こたつひとつで 4人が暖かくなるのです。 父親…