ロフト付きはおもしろい

ロフト大好きの68歳の老人の日記です

昭和30年頃の お正月 全編

皆様
いかがお過ごしでしょうか。

皆様にはよいお正月であったことと存じます。

私は
『正月や
冥土の旅の
一里塚』
の覚悟ですごしておりますので
めでたいとか
めでたくないとか
言う次元ではございません。

しかし私が子供であった頃は
そのような覚悟で
生きていませんでした。

普通の
いや
ちょっと変わった
小学生でも
お正月は
楽しかったです。

「もういくつ寝ると
お正月
お正月には
たこ上げて
コマを回して
遊びましょう
、、、
云々」
と言う歌詞にもありますように
待ち遠しかったかもしれません。

でも
たこも上げませんでしたし
コマも回さなかったように思います。

どんなお正月だったか
記憶を振り返り
ブログ小説風に
綴ってみます。

私の女房殿の
ご親戚の方から
年賀状を頂きまして
私の
「昭和の物語」良いと
書いてきて下さいましたので
今回の企画となっています。


今から
52年前
昭和34年の
12月
大阪にほど近い
寒村での出来事です。

4人兄弟の上から3番目の姉と
末っ子の弟は
学校が
冬休みになって
家にいました。

外は
12月だというのに
寒い風が吹き
雪がちらついていました。

姉は
北側の小さな窓の前で
父親が作った
座り机の前に座って
お勉強です。

弟は
数少ない木のおもちゃで
何かぶつぶつ言いながら
縁側で
ひとり遊びしていました。

弟が遊んでいる使い古したおもちゃは
母親が
直ぐ近くの住宅に
行商に出かけたときに
不要なおもちゃを頂いてきたものです。

住宅というのは
駅の近くの
新興住宅地のことで
「社員さん」が住んでいました。

「社員さん」は今で言う
富裕層の勤め人の事で
「工員さん」に対して言う言葉です。

そんなおもちゃで遊んでいたのですが
弟は退屈で
姉のところに
やって来ました。

 
退屈な弟は
姉のところにやってきて
「あそぼ」と言いました。

姉は
冬休みの宿題を
一気に片付けたいので
今日は遊びたくありませんでした。

姉:
今日はね
私忙しいの
ひとりで遊んできて
もうすぐお正月だから
賢くしていたら
お年玉を
もらえるかもしれないよ

弟:
そうかな

弟は
残念そうに
外を見ました。

昨日降った雪が
庭に積もっていましたので
弟は
下駄を履いて
門(かど)に出ました。

門とは庭の事で
農家でしたので
いろんな農仕事もできるように
広い庭でした。

弟は
色足袋に
下駄で
庭に
二の字の跡ををつけながら
歩いて行きました。

弟の下駄は
右側が
すり減って
坂のようになっていて
少し歩くと
二の字が
コの字に
なってしまいました。

もうすぐ
新年だから
新しい
下駄が履けるので
そんな事に
少しうれしかったです。

弟は
寒いのが嫌いでした
だから
庭の雪を触って
雪だるまを
作るような事もなしに
足跡を
べたべたつけて
何かわからぬ独り言を言いながら
歩いていました。

後で弟は思うのですが
子供の時は
雪が
多かった思い出があります。





弟は
暇に飽かして
庭の雪を
すべて踏みつけて
終わってしまいました。

何か大きなことを
やり終えたかのように
家に入って
下駄を脱いで
縁側にまた座りました。

丁度太陽が
出てきて
暖かくなりました。


その頃
母親が農仕事から帰ってきて
昼げの支度を始めました。

へっついさん(かまど)に
わらをくべて
煮炊きが始まりました。

しばらくすると
父親が戻ってきたので
弟と姉は
父親に
「お帰りなさい」と
言いました。

自分のお膳を出して
麦ご飯と
菜っ葉の煮物を
よそって
座りました。

父親が座って
「頂きます」の合掌で
食事が始まります。

父親や母親
特に兄は
どんぶりで
おかわりです。

弟も
麦ご飯を
三杯おかわりしました。

父親の
「ごちそうさま」で
食事は終わりました。

母親が
昼から麦踏みをしないか
弟に聞きました。

弟は
「はい」と言って
答えました。

それぞれのお膳を片付け
しばらく待っていると
母親は
弟に
でんち(綿入れの腰までしかない着物)を着せて
麦畑に出発です。

昼からは
太陽が照っていて
暖かでした。


その日は夕方まで
暖かい天気だったので
麦踏みをするようなフリをしながら
田んぼを
あっちに行ったり
こっちに行ったりして
小川を見たり
木の上を見たり
しました。

空には
鳶が
ピーヒョロと鳴きながら
飛んでいきました。

暗くなったので
ゆうげの支度で
先に帰るので
弟も付いて家に帰りました。

家に帰ると
姉はまだ机に座って
勉強をしていました。

母親は
姉をねぎらって
お手伝いを頼みました。

姉と母親は
なにやら楽しそうに話をしながら
大根を切ったり
へっついさんに火を入れたりしました。

弟は
いつものように
ひとりぶつぶつ言いながら
遊んでいました。

父親が帰ってきて
みんなで
「お帰りなさいませ」と言いました。

いつものように
父親は
足を洗って
手を洗って
顔をぬぐって
お膳の前に座りました。

「頂きます」の合掌の後
無口に食べ始めました。

お漬け物を
ばりばり噛む音だけが
聞こえてきました。

父や兄が
腹一杯
麦ご飯を
食べ尽くすと
夕食は終わりです。

「ごちそうさま」の合掌の後
ラジオがつけられて
しばしの間
楽しい時間です。

そんな楽しい時間も
すぐに終わってしまって
寝る時間となりました。

寝間着(ネルでできた寝るための着物)に着替えて
姉と弟はふたり手をついて
父親の前で
「お休みなさい」と
告げて布団に入りました。


冬場の布団ですから
少し変わった
敷き方になっています。
冬場のお布団は
弟も手伝って
こんな風に敷きます。

この家は
床の間と仏間のある
8畳の部屋があります。

8畳の真ん中に
素焼きのこたつを置いて
周りに
四つお布団を敷きます。
十字のように敷き込むのです。

こたつひとつで
4人が暖かくなるのです。

父親母親姉と弟が
十字の形で寝ます。

こたつというのは
素焼きで
30cm四方くらいの大きさで
その中に
灰で囲った
火の付いた炭が入ります。

お布団に静かに入らないと
灰が風で舞って
お布団の中が
灰だらけになってしまします。

親に怒られるので
ソーと入ります。

ソーと入ると
中がほんのり暖かいので
この暖かさが
気持ちよいけど
上がってくる
臭いが
少し臭かったです。

すぐに眠りについた弟は
いつものように
午前三時頃
おしっこがしたくなります。

でも
便所は
外です。
入り口までいくのも怖いのに
そこを出て
10mも歩かなければなりません。

我慢していました。
そして
ソーと寝返りを打って
誰か
起きないか
ズー止まっていたのです。

時計が
四っつ鳴って
四時になっても
誰も起きません。
四時半の
ひとつが鳴って
やっと母親が起きたので
弟は救われました。

そんな風に長い冬の夜は
明けました。
母親が
起きるまでの間
弟は
考えていました。

いつものつまらない考えですが
「毬(まり)は蹴っても
こたつは蹴るな」という防火標語です。

幼稚園の
先生が
そんな風に言っていたのです。

でも弟は
「男の子だから
毬遊び何かしない

毬を蹴る事なんかしない

それに
こたつなんか
蹴るわけがない。

こたつは暖かいけど
直接触ると
ヤケドするような
あんな熱いこたつを
蹴るわけない

だのに
先生は
『こたつを蹴らないように』なんて
言うんだもの

先生の使っているこたつは
熱くないのかもしれないな」と
考えを巡らしていました。

弟は
いつも寝られないときには
こんな事ばかり
考えていました。

朝起きると
服を着替えて
手水を使います。

寝間着は脱いで
ちゃんとたたみます。

姉の方は
うまくたためますが
弟の方は
何となくたたんだように見せていました。

行儀よくしないと
父親の
叱咤がやって来ます。

朝起きると
兄弟は必ず
「おはようございます」と
朝の挨拶をします。

手水の水を
母親にもらって
顔を洗うのですが
冬は
へっついさんで
湯を沸かし
少し入れて
生暖かい水で
洗います。

顔を洗ってから
しばらく待っていると
父親が
朝間の仕事から帰ってきます。

兄弟は
「おはようございます。
お帰りなさい。」と
迎えます。

家族がそろうと
朝ご飯の始まりです。

鉄鍋一杯に炊いた
麦ご飯と
味噌汁
それと
お漬け物です。

お漬け物は
白菜と
大根です。

同じように
「頂きます」と言ったあと
無言で
黙々と食べるのです。

「ごちそうさま」と言って
食べ終わると
父親は
「今日は
30日
餅つきをするから
用意するように」と
母親に言いました。

母親は
餅米を
昨日の内に
洗って
水に浸けていました。





兄と
父親が
臼の準備を始めます。

家の軒下においておいてある
石臼を
転がすように
庭の中央に持ってきます。

この家の臼は
石でできており
白い花崗岩を
お椀状に掘って作ってあります。

木の株の台の上に
荒縄を
丸めて
布団のように置き
その上に
石臼を
乗せます。

ふたりがかりで
やっと載せる事ができるくらいの重さです。

この家の
親戚の内は
昔からのお金持ちなので
木の臼を持っていました。

ケヤキでできていて
いつも納屋の中に仕舞ってありました。

木の臼は
石に比べて
軽い上
台が不要で
そのうえ
洗ったりするのが簡単で
蒸し上がった餅米が
さめにくいので
臼に使うには
適材です。

いつかは
木の臼を買いたいと
父親は考えていました。

へっついさんで
沸かした
お湯で
石臼を
洗いながら
暖めていました。

へっついさんから
湯気が上がって
餅米が
蒸し上がると
せいろ ごと
石臼のところに持ってきて
中にひっくり返しました。

まず父親が
餅米をこねました。

それから
母親が
相の手になります。

リズムよく
餅はつき上がっていきます。

弟は
姉が
いろんなものを
縁側に運んでいくので
手伝いました。

弟は
もう少しで
美味しい餅が食べられると
思いました。

待ちに待った
餅がつき上がりました。

小麦粉がふられた
餅箱に
餅が入れられました。

最初に
ご仏壇や
へっついさんなどに
お供えする
お餅を
作ります。

弟は
遠目に
うらやましく思いました。

二度目の餅ができました。
二度目は
小さく丸めて
丸餅にします。

お正月の雑煮にするお餅です。

そして三度目の
餅になります。

こうなると
父親や
兄や
母親は
疲れてきたのか
小気味よく
ついていないように
弟の目には
写りました。

そして
その餅が
待ちに待った
食べられる餅です。

母が
左手で
餅を絞って
右手で
とります。

それを
きなこや
大根おろし
砂糖醤油
などのところに入れていきます。

まず最初に
父親が
食べると
兄弟が
食べられるのです。

弟は
箸とお皿をもって
餅を
食べ始めました。

母親が
「ゆっくり食べないと
のどに詰まらせるよ」
と言う声も
聞くか聞かないか
弟は
食べました。

しばらくの間
みんなは
黙々と
食べていました。

全部なくなると
この餅つきは
終わりです。

たらふく食べて
動けなくなっても
後片付けは
しなくてはいけません。

重い体で
片付け始めました。


お昼から
お餅をたらふく食べて
弟は満足でした。

「正月は
もういいよ

このまま幼稚園が始まっても良いよ」
と考えつつ
姉に従って
片付けを手伝いました。

でも
そんな事だけで
正月がくるわけがありません。

昼からは
お掃除のお手伝いです。

弟には
縁側のガラスふきの掃除です。

雑巾を絞って
ガラスを拭き
その後
新聞紙で磨くのです。

縁側のガラスは
横40cm縦30cmの大きさで
ガラスは薄く
所々に
気泡が入っていました。

あまりがんばって
ガラスをこすると
ぱりっと割れそうで
丁寧に磨いていました。

きれいになると
うれしくなってきました。

順番に磨いていきますが
弟の背は低いので
どんなにがんばっても
したから2番目までの高さです。

縁側の七枚のガラス戸を
全部磨くのに
晩までかかってしまいました。

その日は
それで終わりです。
弟の仕事は
ガラスふきだけですが
主婦である母親は
そんなもので終わるものではありません。

正月になると
ながくお店は閉まってしまうので
まずは買い物
それから
おせち料理です。

この家のおせち料理は
簡単なものですが
それなりに大変です。

縁起物の
数の子・黒豆・田作り
くわい・レンコンなど
それから
通常の食事になる
お漬け物・白菜
それから雑煮の材料の
大根・人参
普段はほとんど食べない
魚
などを洗ったり
煮たりします。


そんな忙しい一日が過ぎて
夕方になります。

大晦日の夕食は
年越しそばではありません。

そのような習慣は
この村ではありませんでした。

そば自体を
作っていませんでしたので
そばも食べません。

そばは
五穀中で
最下位のもので
収量も悪く
そんなものをこの村で作る者は
皆無です。

だから
この村では
そばは食べません。

普段と変わらぬ
食事が終わると
ラジオを聞き出します。

兄弟は
9時に寝ますが
両親と兄は
ラジオの紅白歌合戦を
聞いているみたいです。

除夜の鐘が鳴るとき
一年で一番夜更かしの日は終わります。


翌日は
元旦です。

この日こそ
唯一
働く必要のない
働らかなくててもいい日です。

朝寝もできます。

まだ夜が明けぬ頃
星が
たぶん昔でしたので
天の川がはっきり見えるときから
起きて
働いているのが
その日以外の日です。

ゆっくり寝ています。

日の出は
7時15分頃ですので
その頃起きて
へっついさんに火を入れます。

しかし牛がいた頃は
もう少し牛の朝食つくりのために
もう少し早く起きていました。

耕運機を購入してから
牛がいらなくなって
こんなに寝られると
母親は喜んでいました。


そんな遅い朝
お雑煮を作ります。

湯を沸かし
大根と人参を煮ます。
だしは使いません。

柔らかくなったら
餅を入れて
それから
白味噌を入れます。

まず
お皿に
餅と大根と人参をひとつずついれて
ご仏壇とへっついさん
に供えます。

それから各自のお膳に
お雑煮が配られます。

ゆっくり起きてきた
父親はいつもと同じように身支度をして
お膳に座ります。
弟は
ただゆっくりと
父や母が
しているので
驚いていました。

いつもせかせかと
食事をのみ込み
食べているのに
今日はゆっくりと
ごまめ(田作り)を1匹ずつ
食べていました。

こんな時は母は
食前または食後に
正月に食べるものは
いろんな意味がある事を
説明しました。

「数の子は
子宝に恵まれるように

(この時代は
数の子はやすいもので
たくさん食べました。

母親が
弟を生む前には
ご飯のおかずとして
たくさん食べて
腹ごしらえをしたそうです。)

黒豆は
まめまめしく黒くなるまで働けるように

(現代は働かない方が
良いみたいですが
労働は当時は誠に尊重されていました。)

ごまめ(たづくり)は
作物がよくできますように

(元々田んぼの肥料とする
鰯を
食べるとは
如何なものでしょうか。
もちろん食糧用のものを
食べているのですが)

レンコンは
向こうがよく見えますように

(レンコンは
美味しいですよね
でも穴から
向こうをのぞいて
どうしようというのでしょうか)


くわいは
芽が出ますように

(クワイは
小さいのに
大きな芽がでていますよね。
でも私自身は
その芽が大きくなっているところを
見た事がないのですが)

」
とそんな事を
正月の暇な時間に話しました。

食べると
それからお布団の中に
入ります。

正月は冬
満足な暖房器具がない時代なら
ふとんが
一番暖かいですから。

それから
毎日開けている
雨戸は
開けません。




一日は雨戸を開けずに
寝正月を決め込む
唯一の日です。

お布団の中で
一日中すごします。

子供の姉や弟には
そんな事
日曜日には
できない事もないのですが
大人には
病気でもない限り
できないことです。

何もせずに
ラジオを聞いたり
していました。

弟には
退屈な時間でしたが
父親が横にいるので
ほたいたら(暴れる事)どんなに叱られるか
わからないので
じっと我慢でした。

雨戸を開けない理由も
しっかりあって
寝正月だからではなく
「福が逃げない」ために行っていると
母親は言っていました。


弟は
純粋に
その時はそう思っていましたが
後では
正月に福がくるという話は
そんな事聞いた事がないことに
気が付いたのです。

昼も夜も同じようなおせち料理を
食べて
その日は
終わります。




正月2日は今なら
ゆっくりと休む日ですが
貧しい小作人のこの家では
休みではありません。

年始の挨拶に
親戚を回った後
事始めと称して
仕事に出かけます。

食事も
普段どおり
麦ご飯です。

2日から
普段と変わらない日が始まるのです。

かわっているのは
正月4日からでないと
中央市場が開かないので
出荷がない事だけです。

4日には
初荷で
中央市場に
野菜を持っていくと
少しだけ高く売れます。

正月の行事としては
15日の
とんとまでありません。

7日の
ひちぐさがゆなどの習慣はありません。

とんとは
稻わらを
神社の境内で焼く行事で
古いお札やしめ縄・門松などを焼くのですが
この村では
一軒の商家をのぞいて
しめ縄・門松をしませんので
焼く事はありません。

へっついさんと
ご仏壇の
餅を焼くぐらいです。


こんな事で正月は
終わります。

皆様の中には
正月だから
たこ揚げや
コマ回し
はねつき
福笑い
百人一首
トランプなどの遊戯なんかないのかと
お思いの方も多いと思いますが
この村では
そんな事をしている人は
いません。

少なくとも
戸外では
見かけませんでした。

姉弟の家では
そんな事はしませんでした。

たこもこま・羽子板・カルタも
現金がないと買えないもので
そんなものを買っていては
生活できないのです。

それでは
姉妹が正月に得るものと言えば
お年玉ではありません。

それは
下駄です。

正月の一日に
新しい下駄を買ってもらえるのです。
右にちびた下駄を
新しい下駄に買えるのです。


そんな正月を
すごしました。

このお話は
一応終わります。

ありがとうございました。