先日来より 誰でもわかる昭和30年代クイズで 取り上げております 十能 消し壺 ひあそみ かんてき まめたん こたつ で 少し物語を作ってみようと思います。 落語の お題話しのように 落ちもありませんので ご容赦下さい。 昭和30年代初めの 田舎の寒村の 様子を 描いたもので 特に筋書きもありません。 面白くもありませんが 読んで頂いたら 私の子供頃の 様子が 理解できるかなと 思います。 もちろん 理解できても なんの役にも立ちませんし そんなこと どうでも良いことくらい わかっていますが ご容赦くださいますようお願い申し上げます。 ____________________________ 私が生まれたのは 昭和27年1952年です。 生まれたところは 尼崎市瓦宮宮裏143番地と言うところです。 大阪まで 25分のところです。 私が たぶん4歳頃の 話です。 昭和31年頃 もうすぐ 水道が やってくる頃の 話です。 私は 4歳ですので 何もできない 家族に頼りっきりの 子供でした。 私の家族は よく働く 初老の父と 母 歳の離れた兄 そして 4歳年上の秀才の姉です。 季節は 冬 寒さが 少しだけましになってきた 2月の終わり頃です。 朝私は パチパチという いつもの音で目が覚めました。 駅の時計として 働いていた 我が家の柱時計が 七つ鳴って 七時を告げました。 私は 起きて 寝間着 (暖かいネルの生地でできた 浴衣のようなもの 母の手縫いです。)を 脱いで畳みました。 お尻に 丸く「つぎあて」が あたった ズボンをはいて それから 上に 綿入れの 着物を着て ひもで結んで 起きていきました。 姉は既に起きて 手水(ちょうず)を 使っていました。 私も 使い込んだ アルミの 小さな容器を 持って 母のところに行きました。