ロフト付きはおもしろい

ロフト大好きの71歳の老人の日記です

アスカルの飼い主の屁理屈 住まい その1

アスカルの飼い主の屁理屈 住まい その1

このカテゴリーは、
何の根拠もない事柄を
あたかも理由があるように
私アスカルの飼い主が論述するものです。
たぶんに妄想が含まれますので
真に受けないで下さい。
『決して他言は無用です』
言ったあなたが恥をかきますから、、、

今日は、私の専門と言うか
私が初めて「無知の知」というものが
あるらしいということを知った建築分野です。

「住まい」どのようにあるべきでしょうか。
私の話に登場する昭和35年頃と
現代とは、大きく様変わりしていると思います。

では昭和35年ごろの住まいは、
どうあるべきだったのでしょうか。
衣食住の重要な一翼を担っている
『住まい』は現代より重要です。
今では、外食や外泊旅行で『住まい』の価値は、
下がってしまいましたが
当時は、『住まい』がないことは、
社会的に許されないことです。

そんな『住まい』は、
私のような庶民にとっては、
機能性が重視されたと思います。
「ステータスシンボル」としての
『住まい』など実現できないわけですから
当然と言えば当然です。
しかし当時の『住まい』機能と言えば
雨露をしのげて
夜寝られて、
ご飯を作れて
用を足して
少しばかりある家財道具を
しまっておける場所があればいいのです。

その他の快適性とか
断熱性とかは、
あまり関係ないのです。

昭和35年ごろの私の家でも昼は、
鍵などかけたことがありません。
と言うか鍵のようなものは、高くて手が出ません。
皆さんの家で
外から始めて鍵を
閉めたのはいつですか。