冴子の曾おじいさんは 兵庫県の篠山の 大地主でした。 戦争に負け 農地解放で 普通の農家になった 冴子の おじいさんは よく働きました。 その息子の 冴子の父親は 次男坊だったので ある大手の重電メーカーで 生涯働きました。 冴子は 昭和25年に 3兄弟の 真ん中に生まれました。 重電メーカーの 社宅で育った冴子は 普通の女の子でした。 成績は 中くらい 目立つようでもなく 目立たないようでもない そんな小学生 中学生でした。 中学生の時 同じクラスの 男の子に 好きになりました。 席が隣で 何となく 不良ぽいところが 冴子の 気を引いたのかもしれません。 その男の子は 冴子を ぞんざいに扱いました。 気があったのかもしれません しかしそれは 冴子の思い過ぎだったんです。 冴子の 最初の悲劇は オリンピックの翌年 起きてしまうのです。 その男の子が 何を思ったのか 冴子の 制服の フレアスカートを めくったのです。 クラスメートの前で 、、、 男の子は 別に 大した意味もなかったのですが マンガの影響で 当時はやり始めたのです。
当時はやっていた スカートめくりに対して 女子は ブルマを常時はいて 対抗していました。 しかし 冴子は 母親の 不手際?で ふたつとも洗濯していて 履いていなかったのです。 そのためお調子者の 別の男の子が 「白パン!」と はやしたてたのです。 この問題は すぐに 担任の知るところとなって 男の子は 厳重注意され 双方の家族に 連絡がいきました。 受け取った 冴子の父親と母親は これ以上 問題を 大きくしたくなかったので 冴子に 我慢するように 言いました。 相手の男の子が 会社の 上司の 子息だったのです。 冴子は それを理解していましたので 何も言えませんでした。 でも 冴子は 学校に行くのを 嫌がるようになりました。 両親は 高校は その男の子が 絶対に行かない 女子校にするからと 言って 冴子を 説得しました。 そう言うわけで 冴子は 近くの 市立高校に行かず 一駅向こうの 私立の女子校に行くことになりました。
社宅の 噂は すぐに 広まります。「部長の不良息子が 部下の 娘に 手を出した」という 事実とは 全く違う 噂が 本当の話のように 広まりました。
でも その噂は 表沙汰になることはなく 付近の人たちの 心の中に ながく 記憶されることになります。
噂の内容が 間違っていることを みんなに告げることも出来ず 加害者被害者は 弁解する機会もなく 時間が経ちました。
冴子は 被害者としての立場より 好きだった人に 裏切られたという思いだけが ずーと 記憶に残っていくのです。
冴子は 事件が起きたのが 3学期であることだけが 救いだと思いました。
卒業して 新しい高校に行けば こんな記憶は 消えてしまうと 思ったのです。
残りは ほとんど出席せず 卒業しました。
部長も 春の移動で 本社の移動したので その不良息子と 出会うこともなく 良かったと 思いました。
女子校は 男子がいないという以外に とても厳しい進学校でした。毎回のテストは 必ず席次が発表され 冴子は そのことが とても つらかったのです。
それから クラブ活動は お茶とお花 それに 作法が 全校生徒 必ず参加することになっていました。
冴子は 正座が 子供の時にケガをした関係で 苦手で 嫌でした。
冴子は 電車に乗って 通学します。
電車は いつも同じところに乗るのですが 同じように 前の席に 男の子が 乗っていきます。
何となく不良ぽいその男の子を 気になっていました。
詰め襟の ホックを 外して 第一ボタンも 外しているのです。
昭和40年代の初めの頃なので そんなことをする 学生は いません。
「不良」以外には 考えられないのです。
冴子は 毎日見かける その男が ずーっと 、、、、、
当時の 高校には 厳しい校則があって とても 恋愛は出来ません。もし校則が許しても 冴子は 自分から その男の子に 声など掛けられるはずもなかったのですが 校則が うらやましく思っていました。
その男の子は 冴子乗る電車に既に乗っていて 冴子が 次の駅で降りても 乗っていました。
いろんなことから その男の子は 冴子が下りる 次の次の駅の 高校の生徒であることがわかっていました。
冴子の女子校が 創立記念日で 休みだった 7月のある日 私服で 同じ電車に乗ってみました。
ドキドキしました。
その男の子は いつものように ボタンを外して 電車に乗っていました。
次の駅で降りず 次の次の駅で 冴子は 降りました。
その男の子は 電車を降りる前に ボタンを留めて 詰め襟をとめて 帽子を 正しく被って 改札を出ました。
学校に着くと 校舎の中に 消えました。
男の子の後を付けて 高校まで つけていった 冴子は 胸がドキドキしました。
不良ぽくない まじめな男の子を見て もっとドキドキしました。
冴子は その変わり身の早さに びっくりしました。恋心からではないと言ったら 嘘になりますが 帰りも見たくなりました。
それで 下校時も 見たい気分に なりました。
そこで 3時頃まで 近くで 時間をつぶすことにしました。
当時は ショッピングセンターがあるでなし コンビニがあるでなし まだ図書館も出来ていなかったので 公園で 待つことにしました。
昼日中から 高校生が 公園にいると 不審に見えるらしく 警察官に 職務質問されたりしました。
創立記念日で 休みと言ったら 無線で 問い合わせされてしまいました。
昼は 近くの パン屋さんで あんパンと 牛乳を買って 公園のベンチで 食べました。
付近の人は きっと変と思っているだろうな と考えると 笑いがでてきました。
3時前に 校庭の見える 正門の近くの 木の陰で 待っていました。
そうすると その男の子らしい人影が 校庭に見えました。
その男の子は 白いユニホームで 校庭に勢いよく出てきて 白いボールを キャッチボールするのです。冴子は 電車に乗っている時と 全く違う その有様に 驚きました。
冴子は 何か裏切られたような しかし 何となく気になるよな 不思議な気持ちになりました。
その日は あまり帰宅が遅くなると 親に不審がられるので それを見て 帰りました。
家に帰って 頭の中を整理して でも 整理できずに 訳の分からないと 考えました。
そんなもの考えても仕方がないの そう考え直して やっぱり 一途でいこうと 思いました。
翌日から いわゆる追っかけのようなことを していました。
今で言えば ストーカーです。
でも 校則は恋愛禁止 校則に違反すれば 両親に 心配することになるので 校則に違反することはできないと 思っていました。
それで 卒業したら 告白しようと 考えました。
それまでは 不良ぽっく それでいて まじめな 男の子を 一途に 思い続けることを決め そのようにしました。
現代なら こんな事はないと思いますが 昭和40年はじめの頃の お話です。
そのようなことは あったと 考えて下さい。
一途に 思い続けて 2年余経ちました。彼の実家も 家族構成も わかっています。
彼に 女性の影がないことを いつも確認していました。
彼が 大学に進学することがわかっていましたので 冴子も 大学に進学したいと 思っていました。
それなりに 勉強していて ある程度の自信はありました。
両親に言うと 兄が私立大学に進学して 冴子も 私立高校だったので 私立の大学なら 余裕はないと 言われてしまいました。
私立の高校に行ったのは 私の責任というか 責任でないというか ある程度 諦めました。
親の言うのも わかりますので がんばって 公立に合格すると 決意しました。
それなりの勉強から がんばる勉強に 変わって クラスメートを 驚かせました。
もちろん 彼を 一途に思っていましたが ストーカーは しばらく お預けでした。
そんな毎日も 電車の中で 彼を見ていました。
昭和40年はじめの頃の 大学受験は 団塊の世代を迎え 狭き門です。公立は 旧帝大の一期校 地方の国立大学の二期校 それに 県立府立私立などの中間校 の三種類です。
とても とても 一期校は無理なので 中間校と 二期校を 目指していました。
その名の通り 試験は 一期校から始まり 中間校 二期校となります。
冴子は 公立一本ですので 中間校と 二期校を 二回受験することになります。
冬の寒い日でした。
体が温まるようにと 朝食に お肉を食べて 自宅を出 電車に乗りました。
いつもの電車より 1時間も早いので すいていました。
彼は絶対に乗っていないと 思っていた冴子ですが イスに座って 問題集を出して 最後のチェックをしようと 目を上げたとき きっちりした制服姿の 男の子が 目に入りました。
「えっ 彼だわ
なんで何でよ」 と思いました。
そして もっと 衝撃的だったのは セーラー服の女性が 隣に座って 楽しげに 話していることでした。
「嘘でしょう そんな事ないでしょう何なの どういう事なの」 と 冴子は 伏し目がちで 彼を見ました。
冴子だけ 時間が止まり 何も考えられなくなりました。
今までには 見たことがない光景です。
その セーラー服の女性が どのような関係か 彼とのやりとりを見ていると すぐわかりました。
少なくとも 兄弟ではないと わかりました。
彼は 冴子のことを いつものように 気付いてはいませんでした。
彼は学校のある 駅で降りて いきました。
もちろん セーラー服の女性も 後を追うように ついて降りました。
昨日は いつものように ホックを外して 乗っていたのに なぜ今日は こんな早い時間に ふたりで乗っているのか 違う人じゃないかと 疑いましたが。 どう見ても 同じ人のように見えたのです。
彼の家族は 調べていますので 双子の兄弟とかではないことは 明らかです。
同じように降りたくなりましたが 我に返って 座っていました。
冴子は 大切な 大学受験の日に この様な 事が起こるとは 理解できませんでした。もし受験の日でなければ ついていった その真相?を 究明するのに と思いました。
でも 今日は 大学受験の日 残らざる得ません。
なぜ なぜ なぜと 繰り返しました。
試験場についても そのことが 頭から 離れません。
試験が はじまり 何とか 問題に 専念しようとしました。
試験中は 無になるような 感じがするのですが 今回は そんな感じを 受けないと 冴子は思いました。
問題に熱中できない と感じながらも 電車で見た 彼を 考えてしまうのです。
一時間目二時間目三時間目 熱中できないまま 昼の休憩時間になりました。
家で作った 弁当を 試験場で 頂きました。
外は 強い風が吹いているようです。
熱中しようと思っていますが 熱中できないのです。
そんなジレンマが 余計に イライラさせて 冴子は もうダメだと 思いました。
しかし 最善を尽くせと 父にいつも言われているので 午後の時間も がんばったつもりです。
そして 終わって 帰る途中 遅くなっていましたが 彼の 学校の 駅におり 少し待っていました。
でも もう暗くなってきて でも 待っていました。
真っ暗になっても 彼は来ない 遅くなると 家族が心配するので 帰りました。
家族には 勉強で 図書館に寄っていたと 嘘をつきました。
笑顔で がんばっていると 話しもしましたが、 ベッドの中に入って 涙が出てきました。
受験の結果は 火を見るよりも明らかです。公立の大学に いけなかったら 就職するしかありません。
中学校の同窓生の進路が 同窓会で 明らかになっておりますが 大学に進学する人は 15パーセント程度で 就職するのが 一般的でした。
女性なら 事務職が多く 簿記や珠算ができることが 条件です。
冴子の 高校は 進学校で 特に 選択しなければ 簿記の授業はありません。
冴子は 珠算は 小学校の時 3級まで 練習しましたが 途中で止めました。
冴子が 2月の終わりから 就職活動を 始めましたが 銀行や 公務員などの 求人は もうありませんでした。
両親は とても 心配して 父親は 会社の 上司に頼みました。
当時の 就職は いわゆる コネが 幅をきかせていた時代でしたから 父親が 頼みに行くのも 当たり前のことです。
上司の 「つて」から 重電メーカーの 関係会社で 中堅の 電機部品会社の 工員として 就職が決まったときは 冴子の 家族は みんなで お祝いをしました。
こんな事になった 原因である 男の子が なぜ その日から 朝早く 登校することになるのかは 十数年後に わかるのですが 当時の冴子は 知るよしもありません。
冴子は 試験日のその日から 男の子に会っていませんし 会おうともしませんでした。
冴子が勤め始めたのは 昭和44年の春です。冴子の社宅から 自転車で いけるくらいの距離にあって 当時テレビには 絶対必要なもの テレビチューナーを作っている会社でした。
ロータリーチューナーで 親会社に 納品にしていて 景気がよい会社でした。
そんな会社に 工員として勤めた冴子は 同僚先輩から 少し浮いていました。
その会社の 工員たちは 中卒の生え抜きで 高卒の冴子を 仲間はずれにしていたのです。
そんなことがわかって 会社は あまり人と関わりのない 検査部門に 冴子を 配属しました。
会社の製品である チューナーの出来を 検査するのです。
検査用の機械に 取付 チューナーを 回して 問題なく テストパターンが 映るかどうか検査するのです。
当時は カラーテレビが出始めた時期で カラーの テストパターンを 見続けていると 残像が残って よくわからないようなことが 起こってしまいます。
冴子は 上司に言われたとおり 手順書どおり 検査をして 冴子の検査印を 押して箱に詰めました。
一日中しても いや一ヶ月しても 一年経っても 不良品なんかは 見つからないのですが 検査は 粛々とするのが 冴子の仕事でした。
冴子は 会社には満足していました。検査の仕事も 冴子の検査印を押さないと 製品にならない 重要な仕事と考え やり甲斐のある仕事だと 思っていました。
冴子の会社は 品質管理運動が盛んで 冴子も 検査方法について 提案して それが実行され 報奨金をもらったこともあります。
一年経ったとき 冴子の 父親は 京都の子会社の 課長職へと 栄転になります。
冴子の父親は 変圧器の製作一本で 働いてきて その製作法は 特許にならないまでも 相当利便性が高く 会社に評価され 栄転になったのです。
当時の会社は 専門職を作るのではなく 総合的な力を 作るものでした。
と言うわけで 冴子は 京都から 会社へ通勤するか 会社の近くで 一人暮らしをするか 選ばなければならなくなりました。
父親は 2時間弱かけて 通勤するよう 言いました。
母親も心配して そう言ったので 冴子は 電車で 会社まで通うことになりました。
3度乗り換えて 通勤は 少し疲れましたが 慣れれば さほどでもないと 思うようになりました。
通勤に時間を要すようになってから 冴子は 仕事が終わると すぐに 電車に乗って 帰宅の途についていたので 会社での 飲み会などには ほとんど出席することはありませんでした。
ブログ小説解説編普通は ブログ小説の中で 主人公の立場や心情を 表現するのでしょうが 未熟な私には そのようなものは かけないので より 冴子の状況を 知ってもらいといと思います。
冴子の生まれたのは 昭和25年です。
私の 女房殿の生まれた年と同じです。
冴子の父親は いわゆる工員さんで 社員さんではありません。
現在はそのような言葉は 死語になっていますが 工員さんが青色の作業着を着て 青い襟であることから ブルーカラー と呼ばれていました。
ブルーカラーの 対語は ホワイトカラーです。
ホワイトカラーは 社員さんと呼ばれ 退職金や年金があって お給料も月給制です。
ブルーカラーは お給料は 日給月給制 普通は退職金や年金もない方が多く 有っても少額です。
でも 働いている限りは 必ず 1ヶ月に1回 現金が入ってきます。
その額は 冴子が 小学校に行く 昭和30年初め頃なら たぶん1万円程度ではなかったかと 思います。
冴子の家は 今の基準で言えば 相当貧しい いや赤貧といった方が良いかもしれません。
しかし当時なら 普通か ほんの少し豊かだと思います。
私の家は 農家で 現金収入がなかったので 工員さんの家より 相当貧しく 誰が何と言おうと 赤貧だと思います。
私の女房殿の家は 大地主の家だったのですが 贅沢とはほど遠い生活を 慎ましい生活をしていたそうです。
女房殿の 話を聞くと 私より 相当 豊かだったように思います。
誤解されたら困りますので あえて言っておきますが 私の家は貧しかったですが 家族のおかげで 私は 大変幸せでした。
ブログ小説解説編 その2平均的な 生活をしていた 冴子です。
でも 社宅という 殊な環境で 育った冴子です。
幼稚園は 市立の幼稚園です。
一年だけ 行きました。
2年行く人もいましたが 母親が 専業主婦だったので 行きませんでした。
専業主婦が 普通だった 当時 幼稚園は 一年だけが 断然多いです。
小学校は 近くの 市立小学校で 団塊の世代で 多くなっていて 戦争で 燃えなかった講堂まで 仕切って 教室にしていました。
幼稚園でもそうですが 給食があって 校舎内に 調理棟があって 給食係が 大きな容器と アルミの食器を 教室に運んできました。
給食は クラスの大方の人が 好きで 競って おかわりをしました。
よくでた給食のメニューは トマトと豚肉を煮たもので 洋風の名前が付いていましたが 冴子には ケチャップ煮と思っていました。
大きくなってからも なぜ あれが毎日のように 出たのかわかりませんでした。
それから ミルクです。
牛乳ではなく ミルクなんです。
そう呼んでいました。
冴子が 4年生の時までは 脱脂粉乳を お湯に溶かしたものだったのです。
すこし くさいような臭いがする 飲み物ですが 少数の人を除いて 好きだったようです。
冴子も好きでしたが おかわりは しませんでした。
ここより 小説に帰ります。冴子は 検査端一筋に 3年勤めた春 冴子の父親は 本社の課長へ 栄転になります。
実直な 父親が 課長になるのは当然と まわりの人は 思われていました。
今度は 社宅ではなく 小さいですが 一戸建ちを 父親が買ったのです。
二階の小さなお部屋でしたが 初めて個室を持てて 冴子は 嬉しくなりました。
会社に近いので 朝はゆっくり起きて 会社に歩いて行きました。
そんなある日 検査をしていて 問題のある製品を見つけました。
今まで そのようなことがなかったので 再度検査し 更に 検査具が 故障していないか 調べましたが やっぱり 検査要領書では 出荷不可になる製品でした。
初めてのことなので 検査要領書に書いてあるように 製品に初めて使う不合格印を押し 検査報告書に 不合格製品1と 記して 検査日報を 上げました。
検査の所属長は 製造部門の課長が 兼ねていて 検査日報を 見ずに 印を押して 製造部長のところに 一週間分まとめて 提出されました。
不合格製品は 検査要領書の通り 不合格製品棚に置き その日の検査を終えました。
初めて経験した 不合格のこの製品が 週明けの 月曜日 大きな問題になるのです。
翌週 仕事を始めようと 準備していると 部長から 突然呼び出されました。部長室に行くと 課長や 製造の係長はじめ 製造を担当した女工5人が待っていました。
冴子は 朝の挨拶の中で 製造部長が 「不合格品は本当か」と いきなり聞いてきました。
冴子は 「報告書の通りです」と 答えました。
部長は 製造課長や 係長に どのような問題で この様なことになったのか 厳しく問いただしました。
係長や 製造の担当者は 平謝りで 痛々しいほどでした。
特に女工の面々は 隅で小さくなっていました。
なにしろ 何年間も 不合格品を出していないことが 誇れるもので 納品会社にも そのように報告していたのです。
その信頼が 会社の業績になっていると みんなはそのように考えていました。
冴子は 検査員として 職務をしただけですが こういう結果になって 驚いていました。
でも 理不尽ですが もっと 大変変なことが 冴子の身に起きてしまうのです。
冴子の会社は 品質管理に 凄く厳しかったのです。その当時では 珍しい 工程時検査を していました。
もちろん そのような 厳しい検査をしていても 不良品が 出てしまうことも 確率的にはあります。
そこで 製造部門と 検査部門の 申し合わせがあったのです。
即ち不合格品があると 検査をしなかったとして 製造部門に 戻すのです。
検査をしていないので 検査部門にも 問題がなく 戻された製品は 再度検査して 不良品ははねる手はずとなるのです。
その申し合わせは 検査要領書に 書かれていませんでしたが 当然のことと 製造部は思っていました。
冴子は 検査部門に配属になったとき そのような申し合わせがあることを 聞いていませんでした。
でも 聞いたいなかったので そのような結果になったと 製造部門の面々は 思っていませんでした。
冴子と 製造部門の 女工さんとは 仲が悪かったので そう思われたのかもしれません。
冴子は 正しいことをしたのに 社員の大方は そうは思わず 冴子を 責めたのです。
しかし会社の上司は そのようなことは知らず 会社の雰囲気は 冴子にとって 最悪の結果となります。
一部の上司は 内容を知っていましたが 表面化はせず そのことが 余計に 冴子を苦しめました。
でも 冴子は 割り切って 職務を 粛々と こなすしか有りませんでした。
冴子は 会社の近くに引っ越して来た 春からは 会社の作法クラブ 入っていました。お茶やお花 お琴やお料理まで 種々ことを 習うもので 花嫁修業とでも言うものでした。
会社の 福利厚生費から お金が出ていて 結構 いろんな事ができました。
でも あの検査のことがあってから 居づらくなって 冴子は行かなくなりました。
ただひとり 検査の機械だけを 相手に仕事をしている 冴子は 我慢するしかなかったのです。
そんなことがわかっている 上司の中には 冴子を 可愛いそうに思うものも いました。
今では 考えられませんが 仲人のようなことを やっていたのです。
個人情報保護法で そんな慣習は、 消え失せてしまいましたが、 当時では当たり前のことです。
課長が そんなことに 積極的な 専務に言って 専務の奥様が そのネットワークを駆使して 相手を探すというものです。
冴子の 趣味はもとより 家族や 親の仕事や地位収入まで その情報が 奥様のもとに集まっていたのです。
個人情報保護法なんて言うものは 全く意識されていない時代です。でも 普通に 庶民は 暮らしていました。
ないことが よかったかもしれません。
しばらくすると 人のつてを 頼って 冴子の 父親のところに 見合いの話が 持ち込まれたのです。
家に帰ると 父親は 冴子を呼んで 見合いのことを話しました。
会社関係の 頼み事ですので 冴子を説得しました。
冴子は まだ22才になったばかり まだまだ結婚しようとは 思っていなかったのです。
当時は 22才は 適齢期と考えていましたので 見合いだけはすることに なりました。
見合いは 次の日曜日 冴子の両親と一緒に 近くの ホテルで行われることになりました。
冴子は そのホテルには 初めてだったので その方が 興味でした。
冴子は 中学校の友達は 例の事件があって あまり近づけなかったのです。
高校の友達は 大学に進学していて 故郷を離れた人も多く 今もつきあっている 友達もいませんでした。
もちろん職場は そんな状態ですので 見合いのことを 相談するのは 両親しかいなかったのです。
両親は 見合いをすすめました。22才になるので 結婚する必要があると 両親は 思っていました。
冴子は まだ結婚する気にはなれなかったのですが 両親をはじめ 上司が すすめるので 会ってみようかと 思いました。
それに あのホテルの 食事も食べたいと 軽い気持ちで 見合いをすることになりました。
見合いは 普通 何度もして 何回かの内で 決まることとなるのです。
そんなことがわかっていたので 冴子も 「やすやす」と 見合いをすることになったのです。
日曜日になると 前から用意してあった 振り袖を着て ホテルに出かけました。
もちろん初めてあった その男性は 川本登と言って 冴子の家に住んでいて ちょっとお金持ちでした。
パリッとした 三つ揃いのスーツを着ていて 母親は その当時では珍しい 指輪・首輪・耳輪をしていました。
そんな 男性と 話をするより 初めての フランス料理の方が 冴子は 興味があって 下を向きつつ しっかりと 食べていました。
仲人となる父親の上司は 相手の男性に いろんな事を 聞いていました。仕事の内容とか 今日は来ていない 家族のことなどを 聞いたのです。
冴子の代わりに 聞いていると言えば 聞いているのかもしれませんが 単に 興味から聞いているのかもしれませんでした。
冴子は 男性の話の内容については 聞いてはいましたが 気にはとめませんでした。
仲人は 冴子にも 聞いてきましたが 大方は 冴子の父親が 答えました。
冴子は 「はい」と 言ったのが 数回です。
小一時間 そんな話が 続いたのですが 冴子には 食事が続いたのです。
ゆっくりと 味わって食べました。
特に 和食と違って 一品ずつ 持ってくるのが 冴子には 新鮮でした。
食事が終わると 仲人は ふたりだけで 映画でも見に行くように 勧めました。
冴子は そう言うものかと思って 登に付いていきました。
何もわからず 登に付いていきました。途中 何か登が 冴子に言いましたが 「はい」と 答えておきました。
駅の近くの 映画館で 洋画を見ました。
あまり興味がなかったので 眠たくなりました。
最初に 広告の映画で 婚約指輪は お給料の3ヶ月分と 映し出しておりました。
それから 喫茶店で コーヒーを飲んで その店の前で分かれて 帰りました。
父親は 感想を聞いてきましたが 「特にない」と 答えておきました。
翌日 会社に行くと 上司が 昨日のことを 事細かに聞いてきました。
冴子は あったことは 細かに言いましたが、 感想については 特に ありませんでした。
それから 数日経ったら 登の方から 家に来て欲しいと 直接 電話がありました。
冴子の 父親が まず電話にでたのですが 丁重に 言われて 冴子にかわりました。
冴子は 断りたかったですが 父親が 目配せをするので 承諾しました。
あまり乗り気ではなかったのですが 父親が言うので 承諾して 次の日曜日 デート?することになりました。親が言うので 服を買って 美容院に行って 清楚な感じで 勝負する事になりました。
朝11時に 先日分かれた 喫茶店で 待ち合わせにと言うことになっています。
冴子は 家族にせかされ 30分前に 喫茶店に着き 待っていました。
11時を 少し過ぎたとき 登は 自家用車に乗って 喫茶店に到着です。
出来の良い 三つ揃いを 着ていました。
喫茶店での コーヒーもそこそこにして 自動車に乗り込みました。
その間 登は ほとんど話しませんでした。
冴子も 時候の挨拶程度で ほとんど話をしませんでした。
自動車の中でも 会話は ほとんどありませんでした。
登の家に着くと 登の家族が 総出で 出迎えてくれました。
会社の作法クラブで 習ったように 冴子は 振る舞いました。
そんな振る舞いに 特に登の母親は 感心しました。
登の母親に気に入られて 母親は 冴子に いろんな事を聞いてきました。冴子は 普通に答えていました。
食事が用意され 頂きました。
フランス料理ではないけど 和食で 豪華でした。
登は いつも食べている様子で 冴子は 心の中で 「お金持ちはこんなもの毎日食べているのね」と 思いました。
1度目にはわかりませんでしたが 登の家は 水洗便所で そのうえ アルミサッシ ステンレス流しで 冴子は 本当に びっくりしていました。
とくに 応接間には 本物の 暖炉があって 登が 小さいときは この煙突から サンタクロースが 来ると 信じていたと 話をしてくれました。
冴子は 今まで 何も 考えていなかったのですが 登のことが 段段と気になってきました。
それから 登からのデートの誘いに 従うことになりました。
でも 冴子は 2回に1回は 登の家に行くことが この先 暗雲が あることを 示していることに 気が付かなかったのは 冴子の若気のいたりでしょうか。
冴子は デートを重ね 婚約する運びになりました。登じゃなくて 登の母親が 仲人のことや 結納・結婚式・新居のことまで すべて決めました。
冴子は めんどくさがりだったの 別に 嫌のこともありませんでした。
新居も 登の家の近くの 登の父親が持っている マンションの 一室に決まりました。
1階の南向きで 専用の駐車場もあって 2DKの 当時としては広い 新しいお部屋でした。
エアコンも付いていました。
結納でもらった お金で 花嫁道具も 登の母親が こんなものが良いという 一覧表をまで 作ってくれました。
父親は 少し憤慨していましたが 「まあまあ」と みんなが言って その場は治まりました。
冴子と登との 結婚式は 昭和47年の 春でした。
日にちは 3月3日のひな祭りの日 近くの 文化会館で 盛大に行われました。
衆議院議員の先生も 来賓として 挨拶して あまりにも 立派ので 新婦側の来賓は 少し困惑したものです。
新婚旅行は 当時は 南九州が主でした。
それなのに 登の父親が 全額出してくれて あまりにも豪華な ハワイ旅行に行きました。
伊丹空港から飛行機で 出発しました。
窓から見える 伊丹の景色を 登は その時は説明してくれました。
ハワイでは 英語がわからず 旅行としては あまり楽しめませんでした。しかし、 冴子は そんなことは 新婚旅行には 関係ないので 登と 充分に 楽しみました。
伊丹空港には 登の両親が迎えに来ていて まずは 実家に連れて行かれました。
「疲れた」と言った 登は その日は 実家に泊まってしまいました。
冴子だけが 歩いて 数分の 誰もいない新居で 初めての夜を過ごしたのです。
冴子は 結婚の 2ヶ月前には 4年弱勤めた 会社を 辞めていましたので 翌日は 朝から 旅行の荷物の整理や 買い物 洗濯 お掃除をこなして 夕食の準備をしていました。
7時過ぎに 登は帰ってきて 無口に食事をして お風呂に入って テレビを見ていました。
登は 冴子の父親が勤める 会社と取引のある 部品会社に勤めていました。
当時は 半導体が出始め それが ICへと 発展していく段階で その営業をしていた 登の仕事は 忙しくなっていきます。
当時は 「猛烈社員」 と言う言葉が 流行していて 登は その代表選手に なりたいと思っているようでした。得意先の会社にだけ 営業に行くだけでなく その担当者や 上司・社長の家まで 夜討ち・朝駆けの 仕事です。
朝は 6時頃でかけ 夜は 10時頃は早いくらい 翌日になることもしばしばです。
日曜日も 接待ゴルフで いないことも多いのです。
朝ご飯は 急ぐと言って 食べずに行くことも 多かったのです。
その上 盆暮れの休みは 登の実家に行っていて 家にいるのは 寝るときだけとうのが 事実です。
冴子は 仕事だから 仕方がないし 家族のためにがんばっているんだと 言い聞かせて 諦めていました。
一年経った 昭和48年の春に 女の子が生まれました。
冴子は ひとりで 育てるのは 不安でしたが その不安は 子供が生まれると すぐに 吹っ飛んでしまいました。
何かにつけて 家にやってきたり あるいは 実家に 呼んだりして 赤ちゃんの世話をしてくれました。
登の母親だけではなく 登の父親も 「育児」に 熱心でした。
登の両親が 赤ん坊の世話をしてくれることは 冴子にとって よく言えば 育児の煩わしさから 開放されて 非常に助かっていると 考えなくもありません。冴子は 最初の内は そのように考えていました。
確かに 育児は大変です。
登が 仕事に忙しく 全く協力的でないので もし 両親の助けがなかったなら 育てられなかったと 思っていました。
そんな日々は 続きました。
赤ちゃんが生まれた年の 秋には あのトイレットペーパー騒ぎが 置きますが その時も 両親は 赤ちゃんのためにと 多量の 紙を 車で持ってきてくれました。
石油危機があっても 登の会社は 発展していきます。
半導体から IC そして LSI その先の ITバブルと 発展していきます。
登は 天性の素質があったのか 会社一途の仕事ぶりで 結果として 出世していきます。
重要なポストに就くので また仕事熱心となる 「悪循環」に陥っていくのです。
悪く言えば 家族を顧みない 良く言えば 家族のために 尽くしている 登は いずれにせよ 帰ってきて 風呂に入って 少しだけ 夜食を食べて 寝る そして 朝早く起きて 新しいカッターシャツに着替えて 食事もそこそこで出かけていくのです。そんな毎日で 休みも 初めのうちは 登の実家に行っていましたが 数年後は 会社のために出かけていくようになりました。
冴子は 経済的には 豊かで 家も 子供が ふたりできると 登の父親が 持っている土地に 新しい家を建てました。
当時としては 珍しい 3台も入る 駐車場付きでした。
そんな大きな部屋で 過ごすことになります。
そしてその 家族の内 必ずいるであろう 子供も 冴子の家には あまりいなかったのです。
冴子の子供が 幼稚園に行くようになると まず 登の両親の家に帰って おやつを食べ そして 夕食も食べて 家に帰ってくるのです。
冴子も 夕食を 登の実家ですますことも多かったのです。
結婚して 7年経ちました。登は 会社では 一番出世で 生え抜きでは 出世頭で 羨望の的でした。
会社には 生え抜き組と 天下り組の 二組があって べつに対立しているわけではありませんが 生え抜き組は 登を応援していました。
その応援に応えるべく 無理をしていたかもしれません。
朝早くでかけ 夜遅く帰ってくる 帰ってこないときも 時々ある始末です。
子供は 小学校へ行く年齢に なっても 父の日の 父親参観の日も 運動会の日も 学校に行ったこともありません。
冴子は 大きな家で 帰ってこない登と 登の家に遊びに行っている子供を ズーッと ズーッと 待っていました。
子供は 帰ってきますが 登は帰ってきません。
相談する相手もなく 冴子は 孤立していました。
家にいてもすることがないので 午前中は スーパーマーケットまわりをしていました。
自転車で遠くの お店まで行っていました。
そんな遠くのお店の パン屋さんに行ったとき その パン職人が 見たことのある顔だったのです。
冴子にとっては 因縁の人でした。高校の時に 思いを寄せていた 男子高校生です。
どんな巡り合わせかと 想いました。
冴子は 忘れるはずがありません。
11年が経っていますが その容姿は 昔のまま 精悍な どことなく 不良ぽい そんな 男性です。
コックコートを 何となく 不良ぽく 着ていました。
どこが不良ぽいのかと 考えても わからないのですが 冴子には そんな風に思えるのです。
そのパン職人は 冴子のことは 全然わからない様子でした。
じろじろ見ていたので 不審者とは思っていても 自分に思いを寄せていた人とは 気が付きませんでした。
冴子は あまりやることもないので 時間さえあれば 毎日のように そのパン屋さんに 通っていました。
そのパン職人は 名札を見なくても 覚えていますが 佐伯勇治と 言います。
勇治は 店の中では 何か浮いているような 存在で 仕事は テキパキとしているようには見えましたが 何か違っているような 感じがしました。
パン屋に通うようになって 冴子はもとより 子供も 登の両親も そしてたまに朝食を食べる登も パン食が多くなりました。食パンから始まって ぶどうパン クロワッサン あんパン メロンパン カレーパン 焼きそばパン そんなパンの オンパレードです。
登の両親は 少し不審に思いましたが 食べ慣れると これが美味しい やみつきになって仕舞うのです。
特に子供には 受けていて それを口実に 毎日 パン屋に通うことになります。
勇治は すぐに 常連客の 冴子に 気が付いていました。
そして 勇治の方を チラチラ見るので 勇治も 気になっていました。
冴子は 子供の時は 普通の 女の子でしたが 30近くなって 閑な上に お金持ちだったので 普通の女性ではなく 少し目立つ 女性になっていました。
服装も 良いものですし お化粧も 美容部員の助言に従って 極めていました。
誰もが 一目置くような 女性になっていたのです。
目立つ冴子が 毎日 パン屋さんに行ったので 勇治は 冴子が 自分に 気があるのではないかと 思い始めました。勇治も 冴子が来たときは 奥で働いていても なるべく外に出てきて 用事もないのに 商品を 整理していました。
1ヶ月が経ったとき いつものように 冴子が来ました。
勇治は 初めて 「いつもありがとうございます。」と 言いました。
冴子は 「美味しいので 、、、、」と 答えました。
それから 行くつど パンについて いろんな事を 話すようになりました。
決まった時間に 冴子は 行くので 勇治は 待っているようです。
そんなことが 数ヶ月続いて ある日 勇治は 「今度の 日曜日 ドライブでも行きませんか?」と 言ってきました。
冴子は 日曜日は 子供もいるし もしかすると 登もいるので それは無理だと思いましたが どうせ 子供は 登の実家に行っているだろうし 登は 接待ゴルフに違いないと思って その場は 約束しました。
冴子は これを待っていました。
自分から 言わなかったのは 内気な冴子の性質かもしれませんが 三十近くなった冴子は もうそんなに 子供ではありません。
家に帰って 子供たちに 日曜日のことを それとなく聞きました。
もちろん子供たちは まだ先の日曜日のことなど 予定がある訳でもなく わからないと言うことでした。
登の帰宅は遅く 起きて待っていると いつものように 疲れたように帰ってきて お風呂に入って ちょっと夜食を食べていました。
これも またいつものように あまり会話もなかったのですが 日曜日の予定を聞くと いつものように 接待ゴルフでした。
冴子は しめしめと考えました。
冴子は 美容院に行って それから ドレスアップして 次の日曜日 約束の映画館へ 行きました。外国の映画を見て それから食事をして そして お話をイッパイして 分かれました。
高校の時のことは 聞きませんでした。
パン屋さんに なぜなったのか 聞きました。
勇治の話では 大学に行ったけど ちょっとした不祥事があって 大学を辞めたそうです。
勇治は その不祥事については 言いませんでしたが 冴子には 何となく 予想がつきました。
それで 就職することになったのですが 当時は 就職難で 手に職を付けた方が 良いのではないかと パン屋さんの道に進んだのです。
そんな話を聞きながら 冴子は 勇治が 好きになって仕舞いました。
そして 2度目 3度目のデートを 続けるのです。
4度目のデートの時 冴子は ズーと気になる 事を 何となく 勇治に聞いてみました。
4度目のデートは パン屋さんがお休みの 水曜日でした。神戸の 異人館に 行くことになっていました。
三宮で 会って トアロード(東亜道路)を上って 異人館へ行きました。
いろんな異人館をまわって 風見鶏の館の近くの 喫茶店で休憩になりました。
さっきまで見ていた異人館に 住んでみたいとか 住みにくいとか 景色が良いとか すきま風が入ってくるとか そんな話をした後 冴子は 聞いてみることにしました。
冴子: 勇治さん お話があるんです。
勇治: 何の話ですか。
冴子: 今から11年前のことです。
勇治: そんな前のことを えーと 高校の時かな それとも大学の?
冴子: 高校生の時 2月の18日の時です。
勇治: そんな昔の話し 覚えていないよ はっきりした日だけど 何があった日なの 大きな事件でも起きたの
冴子: 事件など起きていません。 私は 朝早く 試験に行くために 電車に乗っていたのです。
勇治は 不思議そうに 冴子の話を 聞きました。
全く その日付に 覚えがありませんでした。
全く言われた日付に 覚えがない勇治を 冴子は 残念に思いました。「何も覚えがないなんて どういう事なの
あんな大事な日なのに 何で覚えてないのよ
勇治のバカ
でも やっぱりあのときのことを 聞かないと 一生が始まらない」と 心の中で考えながら 冷静に 聞く方法を 考えていましたが 思いつきません。
黙っていると 勇治が 「どうしたの その日が どうしたの
僕が関係あるの」と 聞いてきました。
冴子は 思わず 何も考えることなしに 「あの朝 一緒にいた女性は 誰なの」と 直球で 聞いてしまいました。
勇治: 一緒にいた女性って
いつの女性
冴子: 2月18日の女性のこと
勇治: 11年前の 覚えていないな
冴子さんは その女性と 僕が一緒にいたところを 見たんですか
冴子: 見たのです。 髪の毛の長い女性です。
勇治: 冴子さんは そんな昔の 私を 知っているんですか
どういう事なんですか
そう聞かれて 勇治は 11年前の 出来事を 話しました。
詳しく話したので 当時 冴子が 勇治を好きなことも 話すことになりました。
勇治は黙って 聞いていました。勇治は おぼろげながら その日のことを 思い出しました。
勇治: わかった わかった
そう言う理由なのか
よくわかったよ
そう言えば そんなことも あったような気がする。
たぶん その女性 いや 女子高生は 野球部の マネジャーで いや違った 元マネージャーで 高校の追試験を 受けていた人じゃなかったかな。
僕は 冴子さんが知っているように 野球部だろ
マネージャーが 学期末試験で 欠点を取って それでは 卒業できないから 早朝勉強を 元野球部員全員が 助けていたんだ。
それを 冴子さんは 見たんだね。
でも たぶん 僕の 早朝勉強は 一日だけだったように 思うんだけど
その日だけだったんだよ
それを 聞いた 冴子は 誤解だったとわかりました。
そんな誤解が 冴子の 人生の はじめの部分を 狂わしたのです。
勇治も 事のすべてを 理解でき そんなに 好かれていたことを知って 急に 冴子が もっと愛おしくなりました。冴子の方も 誤解して 恨んでいたけど 恨みは一瞬に晴れて 高校生の時に 心は戻ってしまいました。
ふたりは 誰から言うのでもなく 結ばれてしまいました。
勇治は 独身ですので 自由ですが 冴子は 夫も子供もいる身 不倫という言葉が まだ一般的でなかった時代です。
「金妻」が流行した 昭和58年より 4年も早かったのです。
勇治は 冴子が 結婚していることまでは 知りませんでした。
勇治は 冴子が 優雅なお嬢さんだと 思っていたのです。
みんなにばれなかったのは 冴子は 子供が家に帰るときまでには 必ず 家に帰っていたからです。
そんな ふたりの関係は 数ヶ月続いたのです。
登は全く気付いていないようでした。
登の母親は 少し不審には思っていたのですが 冴子のことなんか いない方が 良いと思っていたので そうなったら 好都合と 考えていたフシがあります。
みんなに気付かれずに 月日が過ぎました。そんなある日 電話が 実家からかかってきました。
父親が 緊急入院したというのです。
勇治に会う日でしたが 取るものも取らず 近くの病院に行きました。
父親は 腹痛のため 近くのかかりつけ医に行くと 大きな病院に行くように言われて この病院に来たそうです。
CT撮影すると 明らかに 問題のある 映像で 家族と一緒に呼ばれて 膵臓ガンと 宣告されてしまいました。
相当進行しており 即座に入院が決まったそうです。
6人部屋に入院している 父親を 最初に見た冴子は 痛々しそうで 見られませんでした。
鎮痛剤を使っていても 相当痛そうで 苦悶の様相です。
遅れて 兄や弟も来て 久しぶりに 家族全員が 揃いましたが こんなことで 会うのは 全く心外です。
遅れて 父親の 会社の面々も やって来て 病室は イッパイになっても 父親の痛みが 去ることなどありませんでした。
とりあえず 家に帰って まず勇治に連絡して それから 登の母親に そのことを話しました。
母親は 「子供のことや登のことは 私に任せて あなたは 父親の看病をしなさい」と 言ってくれました。
その日から 登と子供は 母親の家で 生活することになりました。
父親の病状は 良くなることはありませんでした。薬で寝ているとき以外は 痛そうで 冴子は なすべきこともなしに ただただ 見ているだけでした。
個室にかわると 夜も 冴子は 付き添いました。
父親の 膵臓ガンは 末期で もう対処療法しか ない状況でした。
痛みを 和らげるために 麻薬を 少しずつ点滴するために器具が取り付けられていました。
食事も あまり取ることができず 寝ているときが多いようでした。
お医者様は 余命1ヶ月と 宣告されていましたが それから 2ヶ月 夕日が見える この病室で 暮らすことになるのです。
登や子供も何度か 見舞いに来てくれました。
勇治には 本当のことは言わず 少し忙しいからと言って 会っていませんでした。
そんな日続くと 登や子供は だんだんと 離れていくような気がしました。
登が離れていくと 冴子の 心の中に 勇治が入ってきました。父親の病状を 勇治に話すと 勇治も 見舞いに来たいと 言いましたが まだ登のことを 話していないので 困ってしまいました。
なんだかんだと 理由を付けて 来ないようにしたのですが だんだんと 勇治は 冴子に 何かあると 思い始めたようでした。
冴子は 真実を 勇治に 話さなければならない 時が来たように 思い始めました。
父親が 少し安定して 下の弟が 一日 付き添うというので 体が空いたその日 勇治の 休みと 重なりました。
冴子の家には 登や子供は 帰ってこないので 心配せずに 勇治の電話を 受けることができました。
そして その朝かかってきた電話で 「会って話したいことがある」と 約束して その昼 駅前の喫茶店で 会う約束をしました。
冴子は いつもの 少しケバイ服装ではなく シックな服装で 化粧もほとんどせず 薄く口紅をつけて 結婚指輪を 左手の薬指にはめて 喫茶店に向かいました。
喫茶店には 早い目に行きました。勇治は普通は ほんの少しだけ 遅れて やってくるのが 普通ですが その日だけは 時間どおりに来ました。
勇治は 冴子を見るなり 「今日の冴子さんは何か違うぞ」と 思いました。
どことなく大人っぽくなっていて 本当の 冴子のような気がしました。
勇治: 話があるって何
冴子はそう聞かれて まず左手を 見せました。
そこには 結婚指輪が 輝いていました。
勇治は おそるおそる聞きました。
勇治: その指輪は
そう聞くのが精一杯でした。
冴子: ごめんなさい。
私本当は 結婚していたんです。
嘘をついてごめんなさい。
あなたにあったとき そう言えば良かったのに
でも 言えなかったんです。
ごめんなさい
勇治: そうなんですか
僕も 何となくそうではないかと 思っていたんだ
そうなら でも 、、、、、 でも 今は ひとりで住んでいるんじゃないの
冴子: 父親が病気のため 主人と子供は 主人の実家に行ったきりなの
でも それを なぜ知っているの
勇治: ごめん 少し調べたんだ 電話番号から
冴子: そうなの
勇治: はっきり聞くけど その主人と僕 どちらが 好きなの
僕は 金持ちの 遊びだったのか
勇治の声は 大きく 冴子に響きました。
冴子も すぐさま 少し声を上げて
冴子: もちろん 勇治さんです。
それだけはわかって欲しい 勝手な言い方だけど
勇治は 冴子が 結婚していて がっかりしました。でも 冴子と 登との関係が あまり良くないと 聞いて 少し安心しました。
勇治は 不良ぽい性格です。
勇治は 禁じられた恋になって 余計に 好きになるタイプです。
冴子が 結婚していたと聞いても 会って欲しいと 勇治は 告げいました。
ふたりの関係は このまま続きます。
冴子の父親の 病状は 悪化する一方です。
冴子が 病院泊まり込む日も 連日になりました。
冴子が 付き添ったからと言って 病状が軽快するわけではないのですが そうするしかなかったのです。
唯一 父親は 冴子が 泊まっていると 喜んでくれました。
最後には 勇治も見舞い行くることもありましたが 父親は傷みのために寝ていて もちろん会うことは出来ませんでした。
そんな毎日が 続いて 父親が危篤となりました。
家族全員が呼ばれて 病室に集合しました。
登も 子供も集まって 面会時間が 終わる頃になって 父親の体に付いている 心電図が 平坦になって仕舞いました。
父親の お葬式は 準社葬になっていて 会社の 総務課が仕切っていました。家族は 世話役の言うとおりに やっていました。
冴子は 通夜の晩は 夜通し いました。
会社優先の 登も お葬式とあって 忌引きを使って 休みを取り 登の家族や親戚も 参列しました。
ビデオを撮っていて お葬式の様子を 後から見ていると 冴子は うち沈んでいるように見えました。
子供は あまり知らない おじいさんなので お葬式の時も やんちゃなことをしていました。
それから 参列者の中に 勇治が映っていました。
多くの人の中に 映っていますので よく見ないとわからないような うつり方でした。
初七日が来ても 冴子は 父親の家に 泊まっていました。
10日過ぎても まだいました。
早く帰るようにと 母親に言われたので 帰ることになりました。
もちろん歩いても帰れるような 距離ですが 帰りました。
家には誰もいませんでした。
玄関の 靴入れの 靴も少なくなっていました。
冴子は 登の家に 行って 今までのお礼を言って また登や子供が帰ってくるように お願いしました。登の両親は 「それがいい」と 言いながら 実際は 子供は 時々しか 家に帰ってこないし 登も なんだかんだと理由を付けて 帰ってきませんでした。
そうしている間も 冴子は 勇治のパン屋さんに行って それとはべつにと 会っていました。
そんな日が 1ヶ月くらい続いた日 思い出したくもない 人間から 電話がありました。
名前も思い出したくもないので 冴子は Pと呼んでいました。
pはイニシャルではなく 「屁の様な人間:プー」からきています。
Pは 中学校の時に 冴子の スカートをめくった 張本人のことです。
声も聞きたくないのに 電話をしてきたのです。
電話の向こうで 名乗ったとき 切ろうとしました。
でも Pは 「冴子の真実を知っているのだ」と 言ってきました。
会いたくもないPは、 強引に 「電話を切るな」と 言うような意味を 言ってきました。何で 電話かけてきたのか わかりませんでした。
Pの話を 要約すれば 「冴子の父親の葬式に 社命で出席した。
その時 冴子を 見ていると 冴子が ちらっと見る男性がいた。
そして その男性も 冴子を 見ていた。
不審に思っていたが 偶然喫茶店で会っている 冴子とその男性を見かけた。
冴子は不貞をはたらいているんじゃないか?」と 言うものでした。
当時は 不倫という言葉が まだ一般的でなかったので 不貞 もっと古典的な言葉の 不義密通 と言う言葉が使われていました。
冴子は 言い当てられて 言葉もありませんでした。
冴子は 開き直って 「だったらどうするのよ」 と言い放したい気持ちでしたが 勇治に迷惑がかかっても 大変なんで 「そんな事ないです。
会って そんな誤解を 解きたい」と 言うのが精一杯でした。
「それは誤解」と 言った冴子の 言葉を Pは 全く信用する様子はありません。しかし Pは 別に 冴子を どうしようと 考えているようでもないのです。
どうも Pの真意は わかりません。
そんな なんだかわからない 電話は 切れました。
心配だけが残こりました。
これからどうすればいいのだろうかと 冴子は 思いあぐねていました。
勇治との 関係を 断とうかとも 思うのですが そんなことは できないのです。
どうすることもできない ジレンマに陥ったのです。
そんな日々が 過ぎていきました。
日々が過ぎても 登は 時々しか帰ってこないし 子供は 昼間は 行ったきりだし ひとり どこにも行かずに 家にいました。
心配なので 毎日 行っていた パン屋さんにも行かないし もちろん 勇治とも 会っていませんでした。
ズーとあとで わかったことなんですが Pは 登の会社の仕入れ先で 冴子から 登に うまく言ってもらって 取引量を 増やしてもらいたかったのです。そんな 下心だったんですが うまく行きそうもないので 冴子には 近づいてこなかったのです。
冴子は 不安でした。
そんな日が 10日過ぎた日 午前中 子供は学校に 登はもちろん 会社に行っているその日 家で あてどもなく掃除をしていると インターフォンが鳴りました。
「誰かしら」 「もしかして」と 考えつつ 出てみると 勇治でした。
勇治は パン屋にも来ないし 電話もないし 電話もできないし 家にやってきたのです。
家の中で 会うのは どうかと思ったので 外で会うことにしました。
誰もが知らないだろうと思う 路地裏の 喫茶店に 行きました。
思い切って 勇治に Pのことも 話しました。
話さないと 信じてもらえないと 思ったからです。
少し涙が 冴子は出そうになりました。
そんな 冴子を見て 勇治は 胸が詰まりました。
そして どちらから言うともなしに 2人の考えは ひとつになったのです。
「冴子が 登と別れて 勇治と 暮らす」 という話しになって仕舞ったのです。普通?に 結婚生活をしていて ふたりの子供もいる 冴子が 急に 離婚を決意する そんな 突然の 、、、、
冴子自身 びっくりしてしまいました。
もちろん 勇治という 味方がいるから そんな決断ができるのかと 思いました。
冴子は 「登はどうせ 私のことなど 眼中にない会社人間だし 子供は 私よりおばあさんの家の方が好きだ様だし 、、、、」 と 自分に言い聞かせて そんな決断をしたのです。
もうどうにでもなれという 心境だったのかもしれません。
そう決断すると 行動は早いです。
勇治が パン屋の勤め先が 神戸の方にかわるのを 機会に 突然いなくなると言うものです。
転勤は 二週間ほど先です。
ふたりで神戸に行って 新しい お部屋を探しました。
昔 登と行った 異人館の北野辺りに 勇治は住みたいと言いましたが 冴子はいやだったので 長田の尻池周辺の アパートを 借りました。
そんな 何となく決めたことが 後々 大きな 結果になって仕舞うことを 冴子は 知るよしもありませんでした。
冴子が 家を出たその日は 秋の良く晴れた日で 昭和54年29歳の時のことです。冴子は 市役所からその日のために もらってきた 離婚届に 名前を書き 判子を押しました。
それと 登のお給料を 入れて貯めていた 通帳と 判子も置いておきました。
置き手紙も 書いておこうと 思いましたが 書くことができませんでした。
思いつかなかったのです。
冴子が 独身時代に 貯めていた 通帳と 当座の服と 少しの身の回り品だけを バックに詰めて 家を出ました。
鍵は いつもはしないけど 郵便受けに 入れておきました。
ふたりの子供には 申し訳ないけど 家に 「さようなら」と 言って 家を後にしました。
近くに 勇治は 車で迎に来ていました。
バックを 手際よく トランクに入れ 走り去りました。
勇治の 荷物は 前日に 引っ越し屋さんに頼んで 神戸に送っていました。
神戸までの 車の中で 冴子は これからの どのようなことが起こるか 心配でした。
勇治との 楽しい生活は 予想できましたが そんな幸せのために ふたりの子供を 犠牲にしてもいいのかと 心の中で 悩んでいました。
悩みながらも 勇治との生活を 楽しみにしていました。勇治は パン職人として 新しい店に 勤め始めました。
冴子は 専業主婦として 勇治を 助けることになりました。
働きに出て 登の家族に 見つかるようなことがあったら 困るからです。
今まで 大きな家で 専業主婦をしていた 冴子が 6畳一間の アパートで 専業主婦になったのです。
掃除機を使わなくても 掃除も簡単で 共同の洗濯機で チョイチョイと やっていたのです。
冴子は 結婚するまで 小さな家で暮らしていたので 平気だと思っていたのですが 暮らし初めて やっぱり 小さい部屋は 置く所が無くて 不便と 思いましたが そんなことは 心の中にしまっていました。
小さい部屋でも 勇治は 必ず 登と違って 時間になると 帰ってきました。
それが幸せだと 冴子は思いました。
でも 一ヶ月経った頃 少し失敗したと 勇治と話すことになります。
勇治のお給料を 引っ越して来たときに 全額もらって お小遣いとして 3万円を渡しました。お給料は 手取り 13万円で 残った 10万円を使うことができると 考えていました。
冴子は 結婚していたとき いや今も結婚していますが 前の結婚していたとき 食べ物には 気を使っていました。
無農薬とかに 凝っていたときもありました。
住んでいるアパートの近くには そんな食品を 扱っている お店がないので 遠くまで 通って 買っていたのです。
月末になったときには 3万円弱になっていました。
あと 10日ほど 「これで生活できるかな」 と 考えていたとき 勇治が 「家賃を払っといて」と 夕食が 言ったのです。
冴子は 「えっ 家賃? いくらなんですか」 と 勇治に尋ねました。
冴子は 独身時代は 親と一緒に住んでいたし 結婚したときは 親が出してくれていたし それから 持ち家になったので 家賃という 考えがなかったのです。
残っているお金では 払える額でないことは わかりました。
冴子は 登と 勇治は 結婚生活でも 全く違うと思いました。
とりあえず 冴子の貯金から 家賃は払っておきましたが 冴子は 経済的なことを 考えないと いけないと 思いました。
勇治はよく 「いつかは自分のパン屋さんをやってみたい」 と話していました。冴子は 働くことにしました。
お金を貯めて いつかは パン屋さんを ふたりで するんだと 勇治と 話しました。
働いて そして 節約して お金を 貯めようと ふたりは決意しました。
勇治の小遣いも 1万円にして 残りを 貯金することになりました。
勤め先で 残ったパンを 持って帰る 日々が続くのです。
冴子も 探しました。
でも 何の特技や 資格もない 冴子には 働き口が 容易に見つかることはありません。
職安から帰る途中 家の近くで ウェートレス募集の 張り紙がある 喫茶店がありました。
冴子は わかりませんでしたが 飛び込みました。
冴子が 喫茶店に入ると テーブルに向かって 多くの客が テレビゲームをしていました。
店主らしき 男性が いらっしゃいませ と冴子に言いました。
冴子は 「表のチラシで 来ました」というと 店主は 冴子を 上から下まで見て 「時給は350円 明日からでもいいよ。
もう少し 化粧をして来れるなら」 と言われました。
当時は 喫茶店でする テレビゲームが 流行始めた頃で 人手が 必要だったのです。
勇治に話すと 家の近くで あまり出歩かないので 見つかることもないだろうと 承諾してくれました。
朝の 9時頃出勤して 4時頃まで 仕事で 途中1時間休んで 6時間の働きです。
日給2100円 です。
工場の 工員さんが 多かったので 日曜日は 冴子は 休みになっていました。
月に 5万円弱の パートタイマーです。
喫茶店での仕事は 単一な仕事でしたが 意外と 一日が終わると 疲れる仕事でした。
冴子は ながく 専業主婦をしていたからと 思いました。
疲れて 家に帰っても 休んでいるわけにはいきません。勇治が 帰ってくるまでに 夕食を作ります。
安い食材で ボリュームがあって 美味しいものを 作ることになっています。
テレビや 雑誌を参考に 作ります。
勇治は 6時の定時になると 必ず帰ってきます。
まずお風呂に入って それから食事です。
なにぶん狭いお部屋ですので 食卓は 折り畳み式になっていて 勇治が 広くすると 冴子は 作った おかずとご飯 そして汁物 それと 勇治が持って帰ってきた パンを並べます。
外見だけでみると 豪華でした。
勇治は 美味しい 美味しいと 言って食べてくれますので がんばって作るのです。
それから 職場も 最初に働いたところのように 気むずかしいところが無くて よかったと 思いました。
子供には 申し訳ないけど 家を出て 良かったと思いました。
そんな冴子が 働きやすい 喫茶店の 店長は 今で言えば ちょっとした セクハラをしていたみたいです。
冴子の働いている喫茶店は 純喫茶店ではありません。純喫茶店以外に 何があるかというと もう少し時代が進んで ノーパン喫茶とか そんな風なところでしょうか。
冴子が勤め始めた頃は スカートが段段と 短くなって頃で 段段極端になっていた頃です。
店長が 突然 ミニスカートを 制服にすると 言ってきたのです。
他の 働いている仲間と 「絶対反対同盟」 を作って 対抗しましたが 少しだけ 長いスカートに なって 決着しました。
冴子は 困った店長だと 思いながら でも 資格や職歴がない 自分は ここで がんばって働くことになります。
店長だけではなく 客の中にも 困った人がいましたが うまくやり過ごすように していました。
ところで 冴子は 喫茶店に置いてある テレビゲームを したことがなかったので 休みの日に 勇治と 違う喫茶店に行って やってみることにしました。
インベーターゲームです。
100円を入れると 3回できるのですが 勇治は やったことがあるらしくて 割りとうまいのです。
冴子に こちらで移動して こちらで撃つのだと 言われてやり始めましたが すぐにやられて 3回は終わってしまいました。
10秒ほどの間です。
「何が面白いのよ」と 冴子はつぶやきました。
冴子は インベーターゲームが あまりにも すぐに終わったので 面白くありませんでした。勇治は 相当うまく 何万点と 取るのです。
練習のたまものかもしれません。
1万円のお小遣いで よくできたものだと思いました。
聞いてみると 勇治は 一日に 200円と決めていて それ以上は 使わないそうです。
勇治は運動神経が 良いんだと 思いました。
でも 運動神経と インベーターゲームとは 関係がないかな と 心の中で思い直して 少し笑ってしまいました。
でも この 勇治の 「運動神経?のよさ」が 将来困ったことを 起こすのです。
逃げるようにし 結婚した日から 1年が経った頃 勇治は 「子供が欲しい」と 言ったのです。
冴子は 勇治のことが よくわかりましたが 子供のことは 何か わだかまりが あるのです。
残してきた 子供が やはり心残りです。
そんなわけで 冴子は 赤ちゃんを作ることを ためらっていました。勇治は 冴子の心情も わからないではないが 冴子との間に 子供が欲しかったのです。
勇治は そのことは 二度と 冴子には言いませんでしたが 冴子と勇治が 少し離れていく きっかけとなっていくのです。
でも 仲良く暮らしていて 近所でも 評判の 夫婦なんです。
慎ましく 生活していました。
休みの日は ふたり揃って お金の掛からないところに 出かけました。
ショッピングセンターや 無料の講演会 演奏会 などを探して 行っていました。
一週間 新聞や 広報誌や ポスターなどを くまなくみて ふたりは相談して なんだかんだと 楽しく話しながら 予定を決めました。
喫茶店には 勇治が休みの日には 必ず 休むように していました。
休みの朝には お弁当を 節約材料で作って パンと組み合わせて 持っていきました。
外で外食することは 殆どありませんでした。
そんな生活をしながら 10年が経ち 元号も 昭和から 平成にかわりました。
平成になったとき それは あとでわかったのですが 不動産バブルの時期です。不動産価格が 止めどもなく上昇すると 当時の 日本国民は どう思っていました。
極端な場合 あさかった不動産が 夕方高く転売できるのです。
多くの 不動産を持っていた 大地主はもとより 小さな土地を持っていた人たちも 見かけの資産は 上がっていって みんなお金持ちになったような気になっていたのです。
土地だけでなく お給料も 一緒に 上がっていったので 消費は増えて 日本は 好景気になりました。
年寄りから 若者に至るまで 恩恵を受ける結果となりました。
勇治のお給料も 20万円を越え 冴子の時給も 350円から500円に上がりました。
単に 最低賃金が上がったので 冴子の給料も上がっただけなんですが 冴子は 嬉しくなっていました。
そんな勇治と冴子は バブルの 波の ほんの小さな 波がやってきていたので 気が大きくなっていました。
絶対に外食はしないという 原則も 少し弛められて プチ贅沢をしていました。
勇治と冴子は 一緒に バブルと言うことで プチ贅沢をし始めたのですが ふたりは 少し方向が違っていたように思います。勇治は テレビゲームから ゲームセンターへ移行し それと同時に パン屋さんへの独立です。
冴子は 贅沢をしようとして できなくなってしまうのです。
それは 勤め先の 喫茶店を 突然解雇されたのです。
理由は 店長は言いませんが 冴子に限らず誰もが 冴子が 40才近くなったことが理由です。
店では 若い店員が 入って 歳をとった冴子は 首になったのです。
でも 冴子は 別に 問題はないと思っていました。
なにしろ バブルですので 求人が多かったのです。
職安に すぐに行って 速攻で 職が決まってしまいました。
今度の 仕事は 不動産業者の 店員です。
接客と言うことですが お茶だしから 始まるそうです。
喫茶店で勤めていたというと すぐに採用になりました。
パートで 時給は 前より上がって 600円です。
冴子は 最低賃金ではなかったので 実力が認められたのかと 嬉しくなりました。
何年間か 最低賃金で 働いていた 冴子は 私たちの時期が来たのだと 思いました。冴子は 採用の決まった日 翌日から 不動産会社に出勤しました。
何千万というお金が 行き交う 職場ですが 社長や 働いている人たちは 意外と親切で 気に入ってしまいました。
冴子の仕事は 簡単に言えば お茶汲みです。
でも お茶ではなく コーヒー 本格的な コーヒーです。
冴子が喫茶店で使っていた 用具を 早速 購入するよう 言われました。
喫茶店の時 取引のあった 問屋さんに電話すると その日の内に 持ってきてくれました。
なにしろ 経費は 100万円あったので カップや 制服まで 良いもので揃えました。
翌日から 本格的な 薫り高い コーヒーを 出しました。
お客様だけでなく もちろん社員も 飲めたので 冴子は すぐに 会社の人気者になりました。
新しい会社勤めで がんばっていた 冴子ですが 車の運転免許を 取るようにと 言われました。コーヒーだけ出していたら 良いという 約束でしたが 冴子が 客当たりが良いので 案内もするように言われたからです。
今は パートで 働いていますが 案内係もやれば 正社員として 給料も上げるという約束でした。
運転免許を取得する必要があったのですが それに ちょっと 冴子は困りました。
運転免許を取るためには 住民票が 必要です。
登に 離婚届を 置いてきた時から 住民票は 見たことはありません。
今の住所に移して 結婚届を出したら 住所が ばれてしまうと 思ったからです。
でも 給料のこともあるし 一回調べてみようと思いました。
神戸から 西へ遊びに行くことはあっても 東の方へは あれ以来行ったことがありませんでした。
でも 休みの 水曜日の日に 住民票を 取りに 前に住んでいた 駅に 変装して 出かけていきました。
当時流行していた 黒い服を着て 黒の帽子 白いマスクの変装です。変装しているのが 目立つのですが 冴子は 登や登の母親に 見つからないように 駅の近くの 出張所ではなく 少し離れた 市役所まで 歩いて行きました。
冴子は 駅や道が綺麗になっていたので 時間が経ったのだと 思いました。
市役所に着いて 住民票の申請書に書いて出しました。
世帯主の欄には 登の名前を書いて出したのですが しばらくして 冴子は 受付係に 呼ばれました。
冴子の申請した住所には 冴子ひとりだけが 記載されているとのことです。
そこで 申請書を書き直して 出しました。
お金を払って 住民票を 椅子に座って よくよく見ると 冴子が 家を出た翌日に 登と子供は 母親の家に転居していました。
おそらく 離婚届を 翌日出して 住所も かえたのでしょう。
涙が 出てしまいました。
しばらく その椅子に座って 動くことができませんでした。
小一時間経った時 冴子は 我に帰って 足取りも重く 市役所を あとにしました。
冴子は 住んでいた家が どのようになったのか 知りたくなりました。
でも 見つかったら と考えつつ でも 足は 家の方に向かっていました。
足が 自然に向かったその方向には 冴子の前住んでいた家でした。二十数分歩いていましたが 冴子は その記憶があとになっても ありません。
夢中になって 歩いて行きました。
冴子は その家が見えた時 驚きました。
バルコニーに 見られない女性が 洗濯物が 干していたのです。
冴子は 登が新しい女性と 結婚したのかと 思いました。
でも ズーッと 若い人でしたし 登の 奥さんとは 似つかないような人だったのです。
門の前まで着いた時 わかりました。
表札が 河本でなかったのです。
家は 新しい人が 住んでいたのです。
詳しく調べたわけではありませんが たぶん 冴子が家を出た翌日に 離婚届が出されて 登と子供は 実家に戻ったのでしょう。
不要になった 家は 売却されたのでしょう。
冴子が いたすべての証拠をなくしたかったのではないかと 推量しました。
冴子は そんなに 憎まれていたのかと 今更ながら 思いました。
でも 自分がしたことですので どうしようもありませんでした。
憎まれて当然とも思いますが 冴子には 冴子の言い分もあるのです。でも そんなことを 登や 子供たちに言ったところで わかってもらえるわけでもなく どうしようもないことだと 諦めるしか なかったのです。
子供は 大きくなっているかなと 考えていました。
歳からすると 高校生になっているのかと 思いました。
どちらの 高校に行っているなだろう と考えても どうしようもないことを 考えつつ 駅まで帰ってきました。
そうしたら 後ろから 呼び止める 人がいました。
それは 思い出したくもない あの Pだったのです。
声だけ聞けばわかるので 無視して 改札を 通って ホームに向かいました。
逃げるようにして 電車に乗って 帰途につきました。
なぜわかったのだろうと あとになって 考えましたが そんなことは どうでも良いと考え直しました。
冴子は 「本当に あの Pは 私の 邪魔をするものだ」と 思いました。
離婚届がすぐに出され 家が売られていて ショックを感じていました。その上 Pにで会うとは 二重のショックです。
勇治に 離婚届が出されていたことや 家が売られたことも 伝えました。
でも Pのことは はじめから 話していません。
勇治は 控えめに 話は聞いていましたが 喜んでいるようでした。
「結婚できるんだよね」と 勇治は 言ってくれました。
勇治は 永く 内縁関係が続いて 勇治の 母親に 説明が できなかったのです。
この際 籍を入れて はっきりとしたいと 思っていました。
冴子は 嬉しかったですが 子供たちのことを考えると 結婚はためらいました。
そんなことを 悩んでいることを 勇治に 知られても 勇治に悪いと考え 明るく振る舞って 「結婚しようね」と 言ってました。
勇治もわかっているのか 「自分のパン屋ができた時に 結婚しよう」と 言ってくれました。
冴子は 胸が熱くなりました。
勇治は パン屋で 働いて 腕を磨き お金を貯めていました。でも ここ二 三年は ゲームセンターに凝っています。
バブルのおかげで お給料が上がったので その上がった分で ゲームセンターに通っていたのです。
勇治は ゲームセンターの ゲームは うまくて クレーンゲームで 人形をイッパイ持って帰ったりしていました。
6畳一間の 小さなアパートに まだ住んでいましたので 置く所がなくなって 困ったくらいです。
冴子と 休みが合わないことを 良いことに 休みの日は 必ず 一日中行っていました。
大きな部屋へ 引っ越しの話は ふたりの間では 出たことがありません。
パン屋の開店がありますので その夢のために お金とためるのが 一番の目的でした。
でも 前よりは 冴子には 浪費しているように 思いました。
そんな日々が続いて 平成2年がやってきました。
バブルが破綻する前夜の時期なんですが。
勇治は 突然 「パン屋の店を 見付けたんだ」と 冴子に言ってきました。
勇治の話では アパートの近くの 鷹取の駅前に 古いパン屋があって その店の店主が 引退するので 誰かに譲るというものでした。店は古く 中のパン焼き器やそのほかの道具も すっかり古くなっていますが 駅前で 良い場所なんだそうです。
もちろんバブルの 絶頂期ですので 相当するのです。
まだ 1000万円ほどしか 貯まっていないのに 到底足らないのです。
勇治のお給料が上がった 4年前から あまり増えていません。
冴子も 仕事がかわって お給料が増えても 増えた分を 貯金には 回さなかったので 勇治に 強く言うことはできません。
冴子も なんだかんだと 理由をつけて 服を買ったり 靴を買ったり 鞄を買ったり ランチに行ったりして 使ってしまっていたのです。
バブル時代は あとになって そう言うものだと 思うことにしました。
勇治は お店を買うことに 凄く乗り気で まだ早いとは 言えなかったのです。
できれば もう少し 安い物件を 探したいと 思っていましたが そんなことさえ 言えるような 雰囲気ではありませんでした。
冴子は 勇治が買うという パン屋について 冴子の勤めている 不動産屋の 社長に聞いてみました。社長は その物件は よく知っていました。
物件の内容は 別に問題なく 値段も相場より 少し安い目で 銀行のローンが 使えると 言うのです。
勇治が そのパン屋さんを買えることは わかったのですが 冴子には 何か不安がありました。
勇治の パン職人としての 能力は 相当なものだと 思うのですが 今 その店で パン屋をすることに 何か不安があるのです。
何が不安か 具体的に あるわけでもないのですが 不安なんです。
大きな借金をして そして 商売で 返済していくというのです。
勇治ひとりでは パン屋はできませんので 冴子も 不動産屋を辞めて 手伝わないといけません。
そのぶん 冴子のお給料は なくなりますし 勇治のお給料も なくなって 収入は 新しくやる パン屋さんの 売り上げだけです。
決まって入ってくる 収入がなくなった上 大きな借金を背負うのですから 不安があっても 不思議はないのですが 冴子は そんな不安ではなかったと あとから思い出して 考えたこともありました。
そんな不安なことを 勇治に言いましたが 一笑に付されてしまいました。
不安な冴子を尻目に 勇治は ローンの話とか 店の改装とか 什器の準備とか テキパキとやっていきました。好きな ゲームセンターにも行かずに 準備に没頭していました。
冴子は 勇治に付いていくだけで 手一杯という感じです。
銀行のローンの 審査も通りました。
でもそれには 条件があって 妻として 冴子が 保証人になることが 必要でした。
内縁の妻では 銀行が許さないので 結婚すると言う話しになりました。
既に冴子は 独り身になっていますので 結婚することに 支障はありません。
でも 残した子供のことを 考えると 自分だけが結婚して 幸せになるなんて と考えていたのです。
勇治に そんなことも 話せないし やっぱり結婚届を 出すことになりました。
勇治の 岡山に住んでいる 両親に 報告して 保証人に なってもらいました。
冴子の 母親は 健在でしたが そのようなことを 報告する勇気がなかったので ふたりは 行きませんでした。
晴れて ふたりは 夫婦になったのは 平成2年のことでした。
入籍したからと言って 何も変わりません。冴子は 少し不満でした。
結婚式をするでもなく 新婚旅行にも行くでもなし 結婚指輪さえ ないのです。
そんな不満を 当時は 持っていました。
でも あとになって かわらないことが 良いことだと 思うことになります。
開店まではあっという間に過ぎて 同じ年の 春に 開店のはこびとなります。
前の 店が わりと固定客があったので 開店準備中の時から 問い合わせがありました。
そして開店の日 行列こそできませんでしたが 売り切れになるほど はやりました。
開店セールで 安売りのためだと わかっていても 勇治と冴子は 嬉しい限りでした。
開店セールが過ぎると 店は はっきり言って 閑散とすることになります。
売れ残りが出て ふたりは 持って帰って パンばかり食べていました。
赤字になると言うほどでもなく 返済が やっとできる程度 と言うのが その年の収支の状況でした。
少し蓄えを 崩して やっていくほどでした。
勇治は 正月休みも返上して 新しい 勇治独自の パンを開発するため 店に閉じこもって がんばっていました。
冴子は 手伝えることがないので すべもなく 見守っていました。
正月なので 冴子は 神社まわりをして 商売繁盛のお願いをしました。
勇治は 正月の5日間 色んなものを作りました。全く新しいものも 昔はやっていたもの 一部の地域ではやっているもの など 作りました。
もちろん 勇治だけでは食べきれませんので 冴子も 食べました。
正月には おせちを料理を 用意していた 冴子ですが この年だけは 用意しませんでした。
勇治が そのように言ったからです。
冴子には どれも 美味しいと思いました。
勇治は 納得できないようで 最後の 2日間は あるものだけを 作り続けました。
そして 5日目 明日から 営業が始まるその日の晩 勇治にも納得できるものができたと
店から 自転車に乗って すっ飛んできました。
「これを 食べて」と 勇治が言いました。
しかし この日は 5回目ですので もう お腹いっぱい ちょっと 食べられないな と思いながら 一口食べてみました。
冴子は 勇治が 「コレガ最高」と 言うだけあって 美味しいと 思いました。
この新製品のおかげで お店は しばらくの間 繁盛するのです。
勇治が新しく作ったのは 焼きそばパンです。付近には 町工場や 高校があって 昼ご飯に 焼きそばパンが 好まれたのかもわかりません。
焼きそばを作るのは 冴子の仕事になったので 朝から 焼きそばを作っていました。
多く入れた方が 人気があるので 多く入れるのです。
徐々に売り上げが増え 勇治も 冴子も忙しくなりました。
夏休み期間中は 一服していましたが 夏休みが開けると てんてこ舞いの有様です。
そんな秋になった時 ひとりの女性が 「パン職人になりたい」と 言って 終わりがけの店に入ってきました。
女性は河本と言うらしいのです。
因縁の名前で 冴子は 単にその名前だけで 採用したくなかったのですが 熱意はありそうだし 人手が本当に足りなかったので 勇治は 採用しました。
河本さんは よく働いて 勇治の仕事を 目で見て覚えていきました。
1年も経つと 河本さんは もう充分にひとりで 仕事ができるまでになっていました。
勇治は 信頼して 仕事を任せて 閑な時は ゲームセンターに行くことになったのです。
冴子は 店番があるので ズーと 店にいたのですが 、、、、
平成4年になると バブルの崩壊は 庶民の生活まで及んできます。パン屋の近くの 工場も 受注量が減って 昼ご飯を節約するために お弁当を 作るようになって パン屋の商売も 少しずつ 売り上げが落ちていきました。
そんな中 勇治は がんばって 焼きそばパンを 抜くような 良い商品を作るため 努力していたです。
勇治の新商品の開発は 何年も続きました。
新しい商品を出しては 少し業績が上を向き また落ちてくる そんな日々の連続です。
河本さんも 積極的に がんばっていました。
何年も そんなことをしていると 勇治は だんだんと疲れてきました。
気晴らしのために ゲームセンター もう ゲーセンと言っていた時代ですが 通っていたのです。
お金のやりくりは 冴子がしていました。
売り上げが少ないので 冴子は 銀行に 返済を 待ってもらうように 頼みに行く 毎日でした。
冴子は 店番もやっていたし 家の家事もやっていたし 大変忙しい 気が休まらない日々でした。
そんな中 もうひとつ 不安が出てきました。
勇治のへの疑惑です。
お店のやりくりをしている冴子は 河本さんの お給料が 負担になっていました。いろんなパンを 考え出すたびに お給料を ちょっとずつ上げたので 河本さんの お給料は 普通より ずっと高いものになっていたのです。
あまり店がはやらず 勇治と 冴子だけで できるようになっても まだ 河本さんを 雇っていることは 無駄使いだと 勇治に何度も言いました。
でも 勇治は 「ダメ」と 一言言うだけです。
閑なので ゲーセンに行って 夜遅く帰ってくるのです。
冴子は 河本さんと 勇治が深い仲ではないかと 疑っていたのです。
休みの日も ゲーセンだと言って 出ていくのです。
疑い残る日々です。
そんな時が 何年も 経ちました。
冴子は 自分がそうだったので そう思うのだと 言い聞かせていました。
勇治に そんなことを聞けないし ダメだと 思いました。
あとをつけてみようかとも思い ある休みの日に 実行しましたが、 ふと 我に帰って 途中で辞めました。
そんなことを している間も
借金を返すと言うことが 大変になっていたのです。
しかし バブルが崩壊して 店のいまの価格より ローンの残高が多くなっていて 店をたたんで サラリーマンに戻ると言うことも できなくなっていたのです。
引くに引けない 勇治と冴子は パン屋に専念しなければなりません。焼きそばパンのために 焼きそばを作り お昼にやってくる 工員さんたちには 麦茶を配ったり チラシを配ったり、 駅前で 呼び込みをしていて 駅員さんに注意されたり 冴子は がんばっていました。
根っから 冴子は 人と交わりたくない 気性なのですが そんなことを言っている 余裕はないのです。
登や 家族に 見つかりたくないのです。
そのため人目に立つところへは 行きたくなかったのです。
そんなことを恐れていたのですが やっぱり 2番目の 子供が 冴子と 会ってしまうのです。
鷹取の 旧国鉄の工場を 見学に来た時 会ってしまったのです。
2番目の子供と別れたのは 小学生の低学年の頃でしたが 子供の方は 写真を いつも見ていたので すぐにわかったのです。
チラシをもらって 顔を見ました。
懐かしい気持ちでイッパイです。
でも 当の冴子は 小学生の時に分かれた 子供など 顔は 大人顔になっているし わかるはずがありません。
子供は 一瞬にして 自分を 知らない 母親を 憎んでしまいます。
そのことは家族には 話しませんでしたが 持っていた 写真は 破り捨て 少しして起きる地震の時に ボランティアに行こうとする 父親と姉にそのことを話して 止めるほど 憎んでいたのです。
子供が そんな風に思っていると 全く思っていませんでした。冴子は がんばって チラシを撒いていただけなのに 子供に 憎まれているとは 全くわかっていませんでした。
子供は 自分がわかっているのだから 親なら 絶対 子供とわかるはずだと 思っていたのでしょう。
大きくなっても 子供かどうか わかると 思っていたのでしょう。
冴子は そんな 立派に大きくなった 子供を わかるはずもないと 言い訳をする機会さえ 与えられませんでした。
何も 子供を 無視したわけでもないので 死ぬまで これが原因だとは わかりませんでした。
そんな真実とは別に 冴子が 駅で チラシを 撒いたことで 商売は 一応 少しは持ち直したのです。
勇治や冴子そして河本さんのおかげで パン屋は 何とか あの惨事が 起こるまでは 続けることができました。
あとになって 勇治と 小さな部屋で やりくりした この時代を 本当に懐かしく 思うことになるのです。
この やりくりしている間に 冴子の母親は 温泉に行って 帰ってから 微熱が続いて 入院して 肺炎で 1ヶ月ほどの患いでなくなってしまいます。
母親が亡くなったという知らせは 冴子のところには 届きませんでした。この知らせを 知るのは 惨事のあとです。
連絡を取っていなかったのです。
あとになって 残念だと 思いました。
時は経て 平成7年の正月になりました。
冴子と勇治は この年 45才になります。
前年より 勇治は 膝の具合が悪かったので 正月は 厄落としに 神社参りでもしようかという話しになりました。
西宮の 門戸の厄神さんに ふたりで参ることにしました。
湊川から 電車に乗って 西宮北口に行って 乗り換えて 門戸厄神で降りて 少し歩いて行きました。
正月と言うことで 多くの参拝者がいました。
警察官が 人数を 数えていました。
お参りして 破魔矢を買って帰りました。
勇治は 「これで今年は 大丈夫」と 言って 正月明けから がんばって パンを作っていました。
神社に参った成果かどうかわかりませんが 商売は 繁盛しました。
冴子も 今年はいい年になると 思っていました。
成人式の日は どういう訳か パン屋は大繁盛 品切れになって しまいました。
3人で 大喜びしました。
翌日は 少し早めに行って 多めに作ろうと いう話しになりました。
翌日は 平成7年1月17日でした。
勇治は平素より少し早い 4時に家を出て 自転車で 店に向かいました。河本さんも 6時前には 出勤するということになっていました。
普段よりも たくさん作ってみるということです。
冴子も 家の用事にを済ませて 店に向かいました。
自転車が パンクしていたので 厚手の コートを着込んで 歩いて パン屋に向かいました。
途中運河を越えてるために 橋を渡っている時 突然 三度下から突き上げられました。
冴子は 体が突き上がる 一瞬宙に浮きました。
そのあと地面にたたきつけられるように 倒れてしまいました。
それから 2度 同じように 浮き上がり そのあと 横揺れが来ました。
地面に 横たわって 頭を上げて 見ているのがやっとでした。。
橋の向こうの 建物が グシャッと 潰れて 土煙が上がりました。
宙に浮き上がりながらも 倒れながらも 店の方を見ていました。
いつも見慣れている 橋の向こうの 木造の長屋が 最初の揺れで 一瞬にして グシャッと 2階建ての建物が 屋根だけになって仕舞ったのです。
また その向かいの 3階建てのビルが 最初の揺れで 道路側に 倒れていきました。
付近に土煙がまわって 冴子に 破片が 鋭く 飛んできました
そのあと 停電して 付近は真っ暗闇になって 何も見えなくなってしまいました。
揺れがながく続いたのか それとも一瞬なのか あとになって 冴子は 思い出せませんでした。真っ暗の中 冴子は 立ち上がりました。
腰を打ったのか 少し痛かったのですが 冬で たくさんの服を着ていたし 革の手袋と ブーツを履いていたのが 後々役に立つのです。
揺れがしばらくの間 おさまったのですが 当たりは真っ暗です。
冴子は 停電して 街灯がすべて消えた時に そんな風になるとは 全く知りませんでした。
お月様は満月を少し過ぎたくらいですが 地震の起きた 6時前には 月の入りがあったのか それとも 雲が出ていたのか わかりませんが 月明かりもなく 真っ暗でした。
その時 ハット気付きました。
勇治は 店にいるのです。
勇治は 大丈夫か 心配になりました。
停電になるまでの一瞬ですが 付近の家が 潰れるのが見えました。
店も潰れたに決まっていると 思って 心配になりました。
何が何でも 店に行かなければなりません。
いつもの道は もう通れないように思いました。
川沿いの道を 北に行って 国道に出るしかないと思いました。
川沿いの道も 破片が散らばっていて 気ばかり焦って 進めません。
以下の 地震の描写には 私の記憶違いのため 間違いがあるともいます。間違っておりましたら メール下さい。
悲惨な描写があると思いますので あらかじめ了承下さい。
冴子が やっと 国道まで出ると 悲鳴やうめき声が聞こえてきました。
国道沿いには 頭から血を流した人や 倒れ込んだ人 その人たちを取り囲んで 人垣ができていました。
大きな声で 『助けて上げて』と 叫び声も聞こえました。
そんな光景を 薄明かりで見ながら 胸騒ぎがしました。
パン屋のお店は 大丈夫か 本当に心配になりました。
店の近くまで着いた時 唖然としました。
駅まで行く道が がれきの山です。
道に 瓦屋根が 横たわっているのです。
普通はすぐそこに見える パン屋の看板が見えません。
冴子は 屋根乗り越えていきました。
近くでは 屋根の瓦を めくって 人を探している 女性や男性が いました。
その女性は 朝日に照らされて 頭が 赤く染まっているのが 見えました。
冴子にも 大きな声で 助けを求めてきましたが 「店が」と言って 通り過ぎました。
そして たぶん店のあったところまで 来た時 すべてがわかりました。
お店の前まで 来た時 「勇治さん 」 できる限りの 大声で 叫びました。かすかに 勇治の声が 帰ってきたように 冴子には 聞こえました。
お店は 二階建てでしたが その形はもうありません。
屋根の形も残っていません。
お店は がれきの山です。
隣の 3階建ての ビルが お店に倒れてしまっているのです。
「勇治さん 勇治さん 勇治さん 勇治さん」と 何度も叫んだのですが ヘリコプターが 上空に飛んできて パタパタという ヘリコプターの音で 勇治の声は 全く聞こえませんでした。
冴子は お店があったところくらいの がれきを 手で のけようとしました。
冴子は 45才 女性で 主婦をしているので 力があるわけでもありません。
しかし 冴子は 瓦を 遠くに放り出し 木片や ベニヤ板を 手でのけました。
がれきの中にあった 鉄の棒で 何とか ちょっとずつ 掘っていきました。
最初に聞こえた 勇治の声がした方へ 掘っていたのです。
近くの人にも 「助けて ここに 主人がいるのです。
助けて 助けて下さい。」と 誰彼なしに 頼みました。
でも 誰も助けてくれませんでした。
何しろ パン屋のあったところは うずたかく がれきがあったので 無理だと 思われたのかもしれません。
冴子が 必死になって作業している時に 筋向かいの 元八百屋の方から 歓声が 聞こえました。
建物から その家の 子供が 助けられたからです。
もうひとりの子供がいるので なおも 父親が 必死に作業をしていました。
子供は 近所の人に連れられて どこかに消えました。
助けられた 子供を 横に見て 孤立無援で 掘り続けました。端から見ると 冴子は 正気のように見えません。
女の手で もう冴子が かがみながら 掘っていると 見えなくなるところまで 進んでいました。
一月の寒風が吹いても 冴子は当たりません。
冬の服で 背中には リュックサックを背負っていたので 全身汗ばんでいました。
頭の 毛糸の帽子も 少し汗で濡れているのですが そんなこと 気にしていませんでした。
太陽が 真上に来ていることも 感じませんでした。
空には ズーッと ヘリコプターが やかましく 飛んでいました。
そんな中 冴子を 呼ぶ声がしました。
後ろの方からです。
振り向くと 60才ばかしの老夫婦と 屈強の若者が ふたり 立っていました。
「私 河本です。
娘は 娘は どこにいますか」 と 大声で 冴子に言っているのです。
4人は 心配そうな顔で 冴子を 見ていました。
河本さんの 家族であることは 会ったことはなかったけど すぐにわかりました。向こうも 冴子が パン屋の奥さんだと わかったのかもしれません。
「娘は この中にいるのですか。」と ヘリコプターの 音にも負けないくらいの 大きな声で 叫んできました。
「6時に来た時 勇治 主人の声が聞こえたようにおもいます。
よこで 女性の うめき声のようなものも 聞こえたと思います。
今は ヘリコプターがやかましくて わかりません。
この下に ふたりは
、、、、」 と答えました。
それを聞いた 4人は 手伝い始めました。
そして母親らしい女性が 「奥さん 私たちが掘ります。
休んで下さい。
一服して 昼ご飯でも 食べて下さい。」と 言ってくれました。
冴子は そう言われても がんばっていました。
母親と その息子が 少し 後ろに下がらせて 休ませました。
「大丈夫だから」という 奥さんに 「早く助けなければ」と 冴子は 立ち上がろうとしました。
でも よろけて 座り込みました。
母親の持ってきた おにぎりと 暖かい お茶を飲みました。
涙があふれてきました。
そんな間も 余震が 揺れ そして あちこちから 最悪ですが 煙が上がり始めたのです。
食べたあと がれきの後ろに隠れて 用をたしたあと 掘り始めました。
4人が加わって 穴はみるみる大きくなって 店の 床まで 少しのところまで がれきを 取り除けました。
他にも 見ず知らずの人が ふたり ツルハシとスコップを持って 救助に加わってくれたのは 午後2時をまわった頃でした。
もう少しというところまで来ていたのです。
しかし もう火の手が 近くまで来ていました。
掘っている穴が ふたりが入るのが精一杯で 力のない 冴子より 冴子の兄たちに 頼む方が 早く掘り出せるというので 冴子は 後ろで 出てくるガラを 運ぶ役になっていました。でも 時々 風向きがこっちの方になった時 煙が そして 火炎が やってくるようになりました。
助けに来ていた ふたりの若者は 撤収した方が良いと 言いました。
冴子は 「中に 勇治がいる
助けて上げて
お願い」と叫びました。
でも 火炎と煙は 限りなく近づいてきます。
河本さんの兄たちも 「もうダメだ」と 叫んで 親たちを 引っ張り 逃げるよう 言いました。
冴子は 助けに来た若者が 河本さんの両親は 兄たちが 引っ張って 逃げ出しました。
冴子は 諦めきれません。
少し 行って ふたりの若者の手が離れた瞬間 冴子は 穴の方に走り込み 大声で 「勇治 勇治 勇治」と叫び 大きめの石を手で のけました。
火事場のバカちからというのでしょうか とても冴子では持てない 石が持ち上がったのです。
冴子が 石を持ち上げると 少しだけ向こうが 空洞になっていました。「勇治勇治」と ありったけの声を 出して叫びました。
穴に頭を突っ込むと ヘリコプターの音が 少し静かになっていました。
大声で叫んだあと 耳を澄まして 聞きました。
そうすると 確かに勇治の声で 「冴子 ここだー 河本さんもここに ケガをしているけどいる はやくたすけてくれ」と 聞こえました。
それを聞いた 冴子は 穴の奥の方へ行くために 掘り始めました。
大きな コンクリートの塊が あって なかなか進めません。
しばらくの時間が経つと 消防士さんが防火服を着て 穴の中に 飛び込んできました。
穴の中は 火炎が 入り込まないような構造なのか あまり暑くないのです。
でも もう 穴の外は 防火服でないと 近づかないような状態です。
「ここは 危険です。
後ろに下がりなさい
早く早く」と大声で 冴子の手を掴みました。
「中に 主人がいるのです。
声がしました。 従業員と一緒です。 助けて下さい。」と 叫ぶ冴子を ふたりの消防士は 体を持ち上げるように 後ろへ 連れて行くのです。
どんどん遠ざかる 店の方に向かって 「勇治 勇治 勇治 、、、
」と 叫びました。
河本さんのいる 国道の向こう側まで 運ばれてしまいました。
国道まで連れてこられた冴子は お店の方を見ました。もう黒煙と その間から見る炎が 見えました。
もう 店には 行く事ができないのは 誰の目にも 冴子にも 理解できました。
焦げた 何とも言えない臭いが 周囲を 覆いました。
「勇治の声が 聞こえた」と 河本さんに 言いました。
でも 横に 河本さんがいるとは 言えませんでした。
言ったところで 助けに行くこともできないのです。
冴子は泣き崩れました。
冴子は 帽子を被っていましたが 出ていた髪の毛は 焦げていました。
河本さんの母親は 地面に座り込んで じっと 店の方を 眺め 涙を流していました。
父親は たちすくむのが やっとです。
ふたりの兄は 他の人を助けるために 他の場所を掘っていました。
炎を見ているのがつらいのでしょう。
炎は 日が傾く夕方になっても 衰えることはありません。
国道まで 炎がせまったので 冴子や 河本さんは 後退を余儀なくされました。
夕食は 河本さんが持ってきた おにぎりを 食べました。
じっと この場で 店を見たいけど 見たくないような気もします。
夜も更けてきても 状況は変わりません。
河本さんは 一度 北野の家に帰ることになりました。
冴子も 一緒にと言われましたが そんな気にはなれませんでした。
余震が続くので 外で たき火をして すごしている人の近くで 一晩すごしました。
夜明けの頃は とても寒くて 火に近づきました。昨日汗をかいて 下着が濡れたためかもしれません。
凍れる程寒い中 北の空は 明るくなっていました。
まだまだ燃えているのです。
水道が でないので 消火栓から水が出ません。
全く 消防隊は用をなしません。
燃え放題で それを見て また冴子は 涙しました。
そんな北の空を見ていると 「あなたは 冴子さんではないですか」と 呼ぶ声があります。
冴子は聞き覚えのある声です。
声の方を見ると 勇治の両親です。
岡山から 自動車でやって来たのです。
昨日 朝に 電話をしたけど 連絡が取れなかったので いろんなものを積んで 車で出発したそうです。
姫路辺りまでは 高速できたのですが 不通になっていて 一般道も混んでいて 夜遅く着いたそうです。
付近の人に聞き回って 冴子のところに やって来たそうです。
勇治の母親は 冴子に 勇治のことを聞きました。
冴子は 義理の両親をみて 泣き崩れました。
冴子は 「勇治さんは まだ店の中にいます」と 言うのが精一杯でした。
両親は それを聞いて 立っていられず その場に 崩れるように 倒れ込みました。
「あの火の中に 今もいるのか」と 激しい口調で 父親は 冴子に言いました。
「あなたは 助けに行かなかったのか」と あとになっては 八つ当たりのように 言い放しました。
冴子は ただただ泣き崩れるばかしです。
夜が明けて 数時間 そんな状態でした。
翌日は晴れていました。太陽が 煙で覆われていましたが 東の空には 輝いていました。
真冬には 暖かい 陽光でした。
冷えた体を 照らす 太陽は こんな惨事のあとも かわらないのです。
いつもなら この時間には 勇治が 店のシャッターを開けて 冴子が 店の前を 掃除していたと思うのですが 太陽だけがかわらず 辺りのがれきの山は 全く違います。
太陽を見て涙 がれきを見て涙 そして 煙を見て涙です。
勇治の両親は もう 冴子を 責めることすらできないと 感じつつ 助けに行くわけにも 行けないので ここで 火事が収まるのを 見るだけです。
太陽が高く昇ってくると 自衛隊の車や 警察の車が 国道にやってきました。
消防が 海から 水を引いて やっと消火が 始まっていました。
冴子には もう遅いとしか 思えませんでした。
昨日の昼から 消火していたら きっと 勇治は 助け出せたに違いないと それを見て 思ってしましまいました。
そして また涙です。
泣いていると 河本さんが 家族で また来ました。
母親は 相当 冴子に負けず劣らず 悲痛の様子です。
冴子は 母親と抱き合って また崩れました。助けに行こうに まだまだ 残り火が 有って ちかづけたもではありません。
ふたりは 焦げ臭い臭いなか 焼け跡を できるだけ近づいて その日一日 過ごしました。
河本さんが 持ってきてくれた 食べ物や お茶 そして暖かいコーヒーを飲んで 心が 少し暖まったように 一瞬感じました。
夕方になって 河本さんの母親は 「今日は 私の家に来て お風呂に入って 着替えをして下さい」 と言ってくれました。
冴子は 辞退しましたが 何度も 言ってくれるので 河本さんの家に 行くことになりました。
がれきが散乱した 国道を東に進み トアロードを 北に向かい 一時間くらい掛かって 河本さんの家に付きました。
一時間くらいしか歩いていないのに がれきの量は 全く違います。
殆ど 壊れた家がありません。
冴子は 登と来た時 そして 勇治が北野の辺りに 住みたいと言っていたことを 思い出しました。
あのとき 私が 北野は嫌だと 言ったので 尻池に住むことになったのです。
私があんなことを言ったから 、、、、 そう思い出したら また泣いてしまいました。
後悔しても 仕方がありませんが 「どうして どうして 、、、、、 」と 思うばかりです。河本さんの家は 殆ど被害はなく 水も出るのです。
電気も通じていて 暖っかです。
ゆっくりお風呂に 入らせていただいて 冴子は 心から暖まりました。
暖かい夕食をして 暖かいお布団に寝ました。
快適なはずなのに 眠れません。
勇治が心配なのと なぜこんなことになったのかという 懺悔の念のため 頭の中が イッパイになりました。
でも ウトウトして 目が覚めると 周囲は 異様に白っぽく 明るく輝いているのです。
雲の上にいるような そんな中 勇治が こちらを見て 「ありがとう ながく一緒に暮らせて 幸せだった。
地震の日 あそこまで 助けるために 掘ってくれて ありがとう。
もう充分だ
私は先に行くけど 冴子は もう少し そちらで暮らして ゆっくり こちらに来てくれ
また会おうね
付け加えるけど 後悔しても仕方がないし 後悔する必要もないよ
それが私の運命だったんだから それじゃ 、、、、、、、 、、、、、、 、、、 」 言ったような気がしました。
それから 勇治は 上の方へ 、、、
冴子は 白い景色が 薄い赤に 薄い橙に 薄い黄色に 薄い緑に 薄い青に 薄い藍色に 薄い紫色に
変わっていき
そして 暗闇になるのを じっと見ていました。
「勇治 今すぐ会いたい!」と 冴子は 叫びました。遠くから 「必ず会えるから もう少しがんばって そこで暮らして
それが運命なんだ
僕たちの運命なんだ
冴子がそれを全うしないと 僕たちは 永遠に会えなくなってしまう
かならず 冴子の運命を 終えてから こちらに来なさい
いつまでもここで 待っているから
冴子と あんなことをした 後悔なんかしていないからね
さえこも 僕との ことを 後悔しないなら 勇気を出して 生きていって
愛してる冴子」 と 聞こえました。
それから 何時間の暗闇があったでしょうか ウトウトとしてしまい 明るい日差しで 目が覚めました。
冴子は 夢とは 思いませんでした。
時間からして 相当寝たように思いますが あまり寝たような気がしません。
でも朝なので リビングに行きました。
河本さんのお母さんが 朝の挨拶をして 話しになりました。
その中で 河本さんのお母さんも 夢の話しになりました。
そして 同じような 娘の夢を 見たというのです。
ふたりが 同じような 夢を見たと言うのです。
聞いた言葉は 本当だと思いました。
河本さんのお母さんと 冴子は 朝ご飯も作らず そんな話をしました。起きてきた 河本さんの家族も その不思議な 「ゆめ」を 話しました。
みんなは納得するしかないと思いました。
もちろん 冴子も 現実を受け止めなければならないと 思いました。
あの燃えさかる炎の中に 勇治と 河本さんがいたのは 紛れもない事実です。
そして 店のあったところは 2日中燃えてしまいました。
ふたりは焼け死んだと考えざる得ないと 思ったのです。
そして あの夢のような 出来事です。
勇治が 夢の中で言ったように どのようなことがあっても 強く生きていこうと 決意しました。
そして また リュックサックを背負って 河本さんと 店のあったところに向かいました。
火はおさまって 国道から 自衛隊と警察と消防が 捜索を始めました。
捜索の担当者に 店のあったところに ふたりがいると 何度も何度も 冴子は言いました。
奥の方は まだまだ残り火があるので そこまで入ることができないと 言われてしまいました。
冴子自身が入って 捜索したいと言いましたが 警察が規制線を張っていて 入ることができませんでした。
まだまだ 店の捜索は始まらないようなので 冴子は アパートの自宅を 見に行くことにしました。潰れて 何もくしゃくしゃになっていると 思っていました。
避難所の 小学校を横切り これまた 小さな避難所になっている 老人憩いの家の角を曲がって そーっと 見ました。
アパートは 潰れていませんでした。
冴子の目には そう見えたのです。
冴子にとって 家が潰れるとは もう入れないほど 潰れることで 壁に少しばかりのひびが入ったり 壁が落ちたり 屋根瓦が落ちたりする のは 被害ではありません。
ドアは 開かなかったので 割れた窓から入ったけど 部屋には入れたので お部屋は大丈夫と 思いました。
安心して また店の見える 国道筋まで 帰りました。
昼になると 昼ご飯に パンが 市役所から配れていました。
あんパンと メロンパンを 河本さんと 一緒に食べながら 捜索を見ていました。
夕方になって 自衛隊の 白く塗られた 重機がやって来ました。
捜索が終わったところの ガラが 効率的に 積み上げられました。
日が沈んで 投光器もやってきて 明るく 夜を徹して 捜索していました。
河本さんは 帰りましたが 冴子は そこで 夜中 ウトウトとしながら 過ごしました。
朝方になると さすがに寒く 捜索する人も 少なくなって 重機だけが 音を立てていました。時間は過ぎて 日も昇ってくると 河本さんも 着いて 持ってきていただいた お弁当を食べ 暖かい コーヒーで 少し暖まりました。
捜索線は 昨晩より 店に近づきました。
心の中で もっとがんばって 探して下さいと 叫びながら 見ていました。 日が沈めかけた時 ついに 店までたどり着いたように 遠目で見えました。
しかし 今日は 7時頃に 捜索は 休止になりました。
毎夜続けて 徹夜での捜索は きついと言うことです。
捜索する人も 相当疲れているようです。
今日は アパートに帰って 休むことにしました。
まだ 入り口から入れないので 窓から入りました。
散乱するものを 少し片付け 横になりました。
すぐに眠りに入ってしまいました。
そして 朝までぐっすりです。
服を着替えて 国道筋まで 歩いて行きました。
道路は 少しは片付いていました。
現場では 捜索の 自衛隊員や警察官消防士さんが 集まりはじめ 隊長の 点呼の後 捜索が始まりました。
冴子の店と言うことで 冴子も近づくことを許され 間近で じっと 見続けました。
30人以上の人が 捜索しました。しばらく経つと 大きなコンクリート片が 横たわっており 重機で 撤去し始めました。
撤去をするためには 小一時間かかりました。
やっとつり上げはじめ その下が 見え始めて 隊員のひとりが 大声で叫びました。
「遺体発見」の声を聞いて 隊員たちは ブルーシートを 周りに 張り始めました。
係員が 合掌して 写真を撮影する 姿が冴子たちにも見えました。
白い袋と 担架が用意され 運び込まれます。
隊員のなかで 年嵩のある方が 冴子たちに近づき 「残念ですが 二体のご遺体を発見致しました。
遺体は 大変損傷していますので ご遺体の確認は 警察の方で行います。
歯型を取るために 通っておられた 歯医者さんをお教え下さい。」と 伝えました。
冴子たちは 泣き崩れました。
「もう少し 時間があれば もう少し 私に力があれば もう少し 手伝ってくれる人がいれば きっと 助かったのに 、、、、、、、 、、、」と 残念と 後悔と 懺悔で 一杯です。
「ご遺体は 検視のあと ○○寺に 安置されます。安置されるのは 今夕です。
身元が判明次第 引き渡しますが 専門の歯医者さんが 忙しくて 判明までは 相当時間を要します。
引き渡しは 早くても 明後日以降だと思います。」 と 付け加えました。
担架に載せられ 警察の車で 西の方へ 走り去るのを ズーと見ていました。
冴子は 歯形を 調べなくても その遺体は 勇治と 河本さんに違いないと思いました。
遺体があった場所には 見慣れたパン焼き釜と 冷蔵庫 発酵槽が 焼き焦げてありました。
あの間に挟まれて 地震にあったその時は 助かっていたんだと 思いました。
あの 勇治の声は 確かに 聞こえたんだ。
はっきりと 聞こえたんだと 改めて思いました。
きっと 河本さんは 少しケガをしたか 何かに挟まれて 痛かったに違いないと 思いました。
それが うめき声として 聞こえたに違いないともいました。
きっと ふたりは 最後に 私が勇治に呼びかけた時まで 生きていて 私の声を 聞いたに違いないと 思いました。
そして 私が 炎のために その場を去って それから その炎が ふたりの命を 奪ったに違いないと 確信しました。
「勇治 ごめんね」と 独り言を 言うのが 精一杯でした。
店から遺体が 発見されたことを 岡山の 義理の父母に 電話で連絡しなければならないと 気が付きました。公衆電話は 殆どなくなっているか 繋がらなくなっていましたが 避難所に 無料の電話があると 話しに聞きました。
そこで 近くの小学校へ 行きました。
電話が 机に並べてあり そこに並んでいました。
冴子も並んで 電話を待ちました。
前の人の話は かなり深刻でした。
妻と子供が家の下敷きになって 子供を 抱いて 妻が見つかったというものです。
父親と 話しているのでしょうか 泣き崩れていました。
そんな長い電話を 横で聞きながら待ちましたが 隣の電話が空いたので 冴子の番がやってきました。
メモ帳の 電話番号を 押して 岡山へ電話を繋ぎました。
すぐに 母親は出ました。
遺体が発見されたこと 検視に時間がかかること 明後日くらいに 近くの寺に安置されることを 伝えました。
母親は 冴子が 勇治を助けるために 全力を尽くしていたことを 河本さんから聞いていたので 労をねぎらう言葉を 冴子に掛けました。
もう 涙も出尽くして その言葉を じっと聞いていました。
明後日 行くといって 電話は切れました。
冴子は電話の後 家に帰ることにしました。家の前まで来ると アパートに 赤い紙が貼ってあって 「全壊 立ち入り禁止」と 書いてありました。
冴子は それを見ても 何とも思いませんでした。
窓から入ろうとすると 家主が来て 「入ったらいけないと 市役所の人に 言われています。」と 伝えました。
避難所に 行くように言われて 初めて 近所の 小学校の避難所に行きました。
前は何度も通って 知っていましたが 入ってい見ると どこも一杯です。
係員に言うと 体育館が 比較的空いていると言うことで 体育館に行ってみると 入り口付近に 少しだけ 余裕がありました。
毛布をもらって そこに敷き とりあえず 場所を決めました。
隣は 家族連れで 相当やかましい環境でした。
女性専用の 当時はなく みんなで助け合って いました。
避難所は 一応 朝昼晩の三食は 出ます。
最初の内は 菓子パンや おにぎりが 主でした。
お風呂なんか当然無く トイレも くみ取り式の仮設のもので いつも 並んでいました。
当たり前ですが 不自由な 避難所暮らしが始まりました。冴子は 40才の働き盛りで 血気あふれる時ですので 避難所で 世話役のようなことを やって 食事の用意とか していました。
遺体が安置されることになる 寺に朝晩に行って 勇治の遺体が 来ていないか 聞きました。
遺体が発見されてから 3日目の夕方になった時に 寺に来ていました。
はっきりと名前が書いてある 棺がふたつ 隅の方に置いてありました。
係員が 台帳を見て 詳しく説明してくれました。
冴子は 勇治の棺の中を 見ようとした時 係員が 「大変傷んでおります。 やめられた方が いいのでは」と 言ってくれました。
冴子は 現実を受け止めるためには 勇治の 変わり果てた姿を見なければならないと 思いました。
意を決して 棺を 開けました。
(この伝聞を 聞いたこともあります。
その後 当分の間 PTSDに悩まされましたので はっきりと 書けません。
あまりにも悲惨なので この部分は 省略します。 皆様方で ご想像下さい。
すみません。)
泣かないと決めた 冴子は じっと我慢して 立ちすくむだけです。
しばらくして 我に帰り 電話をするために 避難所に帰りました。
同じように 並んで 岡山と北野に電話しました。岡山のお母さんも 北野の河本さんのお母さんも 大変 がっかりした様子で 電話の向こうで 泣く声が聞こえました。
河本さんは これから行くと 言いましたが 安置所は 夜は休みですので 明日の朝と と言って 電話が切れました。
その夜は 避難所の なれないお布団の 中で 唇をかみしめました。
朝方ウトウトと していると まだ明るくならない頃から 起き始める 人たちの もの音で 目が覚めました。
冴子が寝ている入り口は 枕元を 大勢の人が 歩くので 必ず目が覚めるところです。
しかし 炊飯が始まる 6時までは じっと 布団の中で 寝返りをうっていました。
やっと6時になったので 起きて 冴子は 炊事場になっている体育館横の 手洗い場に行きました。
今日は震災からはいじめての 雨でした。
たいそう強い降りで 炊事場にも 入ってきました。
みんなが集まってきて 朝は 豚汁のようなものを 作る献立になっていました。
手分けして 作り始め 7時半頃には出来上がり 避難所のみんなに熱い ものを提供できました。
雨模様の 寒空に 暖かいものが 本当に 喜ばれました。
冴子も 暖かい食事をして 少し気を取り直し 後片付けをして お寺に行くことになりました。傘は 用意していなかったけど どういう訳か たくさんの置き傘がありました。
その傘を使って 寺に向かいました。
4人の河本さんの家族は 既に到着していました。
係員に いろんな書類を 書かされ ご遺体の 引き渡しを受けました。
棺の中は 係員の忠告に従い この場では 見ませんでした。
見られなかったというのが 本当のことでしょうか。
そんな河本さんを見ていたら 勇治の 父母と 引き取りのための 寝台車が やって来ました。
父母は 冴子をねぎらいました。
河本さんから 助け出そうとする 奮闘したことを 知らされたからです。
母親は 遺体を 岡山に引き取り そこでお葬式をするので 冴子も 岡山まで来て欲しいと 言ってくれました。
混乱する 神戸で お葬式を上げることなど 今はできないので 冴子は そうすることにしました。
同じように いろんな書類に 目を通して 冴子は 後ろの リュックから 判子を出して 押しました。
義理の父親は 棺の中を見ようと 開けかけたのですが 冴子は 涙目で 「やめて 止めて下さい。
岡山に帰ってから 気構えてから 見た方が良いです。」 と言いました。
父親は 冴子が あまりにも真剣に 言うので やめました。
雨の中 棺を みんなで担いで 用意した 寝台車に載せました。冴子は 寝台車の前に座って 係員に渡された 死体検案書を 持ちました。
雨は激しくなり フロントガラスの ワイパーは 激しく左右に振れました。
岡山までの 道のりは ながく思いました。
お昼おそく 家に到着して 頼んであった お葬式屋さんは 手際よく 祭壇を作りました。
冴子は 横で見るだけです。
何もすることなしに ぼう然と 座っていました。
夕方近くなると お寺さんや 近所の人が 多数押し寄せ 冴子に お悔やみを言って 帰りました。
食事も 近所の人が 作って 冴子の前に 持ってきてくれました。
何もせず 何もできず 時間が過ぎ 夜も更け 雨も止みました。
冴子には誰だかわかりませんが お布団の用意もできたと 言ってきました。
でも 義理の父母は 今夜は よとげで 寝ないというので 冴子も 寝ずに 明日のお葬式を 待ちました。
座りながら ウトウトとすることがあっても 横にはなりませんでした。
翌日 静まりかえっていた 家が 突然騒がしくなりました。大勢の人が 一気にやってきて お葬式の準備が始まりました。
冴子は 村のお葬式を 見たことがなかったので 驚きです。
役割が決まっていて スムーズに お葬式が進みます。
冴子は 喪主の席に じっと座っているだけで お辞儀をするだけで 朝食も お葬式も 問題なくでき 終わってしまいました。
斎場に行って 帰ってきて それから骨揚げに行って 墓に骨を入れて 帰ってきて それから 精進揚げをして そして 夜になって その日の日程は たちまちの内に終わってしまいました。
冴子は 泣く時間もなく 終わってしまいました。
小さい骨壺を入れたものだけが 残りました。
(この間 棺の 勇治に 最後の別れを告げるのですが 私には その光景を 描写できません。
すみません。
皆様ご想像下さい。)
手伝いの村人が 夕食をとって 後片付けをして 帳簿の書類を置いて 一斉に帰ってしまいました。
勇治の家族と 冴子だけが 広い座敷で 黙って座っていました。勇治の母親が 「冴子さん ご苦労さんでしたね。
ゆっくりこちらで 休んでいって下さい。
ズーとこちらにすんでもいいですよ
何もないけど 離れが空いているから そこに住んで 私の 仕事を 手伝ってくれてもいい
もちろん 神戸で暮らしてもいいけど
勇治の お墓はこちらにあるから お墓参りだけは 来て欲しい
それから こちらの小さい骨壺は 冴子さんが 持っていて欲しい
月日が経ったら どこかの お寺に 納めて下さい。」と 優しく言ってくれました。
冴子は 下を向いたまま 聞いていました。
ここにいてもいいと言われても 勇治のいない今 ここに入れる理由がないことは 冴子はわかっていました。
帰らなければならないと 冴子は 思っていました。
またしばらく 沈黙になりました。
その沈黙を破ったのが そばにいた 勇治の 姪にあたる 若い女性でした。
「私のような者が 差し出がましいと思いますが もし神戸に 冴子さんが帰ってしまったら もう会えないので 話させて下さい。
勇治おじさんの 遺産というか 借金整理です。
亡くなって 一週間しかたっていないのに こんな話をして すみません。
おばあさんから 聞いた話では 勇治さんは パン屋さんをするために 借金をしたそうで そんなに パン屋さんがはやっていなかったから まだまだ たくさん残っていると思います。
(姪の話は続きます) パン屋さんはもうできないほど 潰れてしまったのに 借金だけが残ったら 大変です。勇治おじさんの借金は 相続人のおじいさんとおばあさん それから 冴子さんが 負担することになります。
相続放棄して 借金まで相続しないように した方が 、、、、、、
」と 忠告してくれました。
その場にいた 家族は みんな 「そうだ」と 思いました。
勇治の両親は 姪が そのように言ってくれて 大変感謝しているようで そうしようと 話していました。
冴子は そんなこと思いも付かなかったのですが 勇治のことを 放棄するのが いいものか 思い悩み始めました。
その日は もう遅いので 休むことになりました。
お布団の中でも 悩みました。
夜あまり眠られず 小さな骨壺の 勇治を持って 岡山の家を 後にしました。
家にいるように 言ってくれている 義理の父母を あとに 家を出ました。
神戸まで 姪が 送ると言ってくれましたが 電車で帰ることになりました。
電車を乗り継いで 避難所まで帰ってきました。
もう夕方になっていて 3日いなかった間に 小学校の校庭には 大きなテントが 幾張りか立っていました。
自衛隊が 駐屯しているらしいのです。
お風呂も できているらしいのです。
今日は 男性が入浴になっていて 女性は明日と言うことが 書かれていました。
みんなに挨拶して 食事を もらい にわかにできた お友達に 岡山の様子を 話しました。
避難所の中は 段ボールが運び込まれていて 敷いたり 隣との壁にしたり 重宝しているみたいで 遅かった 冴子には 手に入らなかったのですが 友達からもらいました。
1月の月末になると 銀行の返済の日です。
冴子は 銀行に行って 店が潰れ 勇治が亡くなったことを 話しました。
銀行は いろんな書類を 出して欲しいと 言ってきました。
返済については 冴子が 連帯保証人なので 引き続き 返済して欲しいと いうことでした。
でも そんなお金は 冴子には ありません。
いつも店の 運転資金として 十数万が リュックサックに入っていましたが そのお金も 勇治が亡くなって 岡山に行って 帰ってきたら 半分近くに なっていました。
預金もなく 不安です。
法律相談が 避難所で行われた時 相談することにしました。
相談員の 弁護士の先生は 「まず 相続放棄して それから 破産宣告を 受けるしかないと思う」と 答えました。
冴子は 遺産放棄するしかないのかと 思いました。
そして 破産宣告も 受けることになります。
またまたいろんな書類を書きました。
弁護士の費用は 義援金を 使いました。
冴子には 地震ですべてを なくしてしまい もうなくなるものは 何もありません。破産宣告を受け 正真正銘の 無一文になってしまいました。
避難所暮らしでは とくに 何も要らないので 無一文でも 支障がないですが 避難所暮らしでは 働くのも不利でした。
ハローワークにも行って 職を探しましたが なにぶん神戸の会社は 大変で 求人どころではないのが現状な上 冴子は とくにこれといった 特技もなかったのです。
そんな生活を 桜の咲く頃まで続けました。
仮設住宅が 次々と 建っていって 避難所の人数も 少しずつ 少なくなってきました。
避難所は 高齢者とか 子供の家庭が 優先されていて 冴子のような 中年女性の 一人暮らしは 後回しらしいと言う うわさが流れました。
やっぱり自力で アパートを探す方が いいのではないかと 思っていました。
そんなとき 勇治の 四十九日の法要が あるので 来て欲しいと 勇治の お母さんが やって来ました。
連絡の電話もないので 姪の運転で やって来たのです。
お母さんは 冴子の 避難所暮らしに 同情していました。
姪の車に乗って 岡山に向かいました。
翌日 四十九日の法要が 盛大に執り行われました。
そして そのまた翌日 お母さんは お葬式のあとに言ったことを 繰り返しました。
離れに住まないかと 言ってくれました。
でも 冴子は 断りました。
「それなら アパートを借りる 保証人に なって上げますので 今から 神戸に行きましょう」と 切り出しました。
冴子は ありがたい言葉です。いつまでも 不自由な 避難所暮らしではいけないし それにもまして ひとりで生きていかなければならないので 働かなければなりません。
そのためには 仕事のある 所に 住まないといけないと 思っていました。
勇治のお母さんの 好意に 甘えて 姪の車で アパート探しに出かけました。
地震のあった神戸近辺の アパートは 空いているわけがないので やはり仕事の多いと考える 大阪寄りがいいのではないかと 話し合いました。
不動産屋さんは 川沿いの アパートを 借りることにしました。
家賃が安いので 決め手となりました。
その日の内に 手続きをして 借りることにしました。
もう暗くなっていました。
大阪まで行って ホテルに泊まることになりました。
地震以来 いや 勇治と駆け落ちしてから 初めて 大阪に来て 大阪の変わりように びっくりするばかりです。
その立派さはともかくとして 全く地震とは関係なく 生活が 行われていることに 驚いてしまいました。
すこし 腹立たしさも感じます。
大阪が被害を受けずに いつものように 時間が経過していることに 不満を感じても それが 八つ当たりであると 心では思っても 止めることができません。その日は 暖かい ベッドに寝て 英気を養うことにしました。
翌日は、 朝食バイキングでした。
豊富な食べ物が 並んでいました。
もう食べきれないくらいです。
美味しくて さんざん食べて 満腹になりました。
避難所とは 全く違うメニューです。
満腹まで食べながら 何か 満ち足りないものを 感じました。
姪の車で 避難所まで帰り 荷物を まとめました。
尻池の 潰れたアパートから 取り出した ほんの少しの家財道具を 運送屋さんに 運んでもらうことを頼みました。
運送屋さんが混んでいて 次の 火曜日でないと 運べないそうで 避難所暮らしを 少しだけ続けて待つことにしました。
出るとわかると 何か 分かれがたいような 気がしました。
避難所のみんなや ボランティアの人たちと すっかり友達になっていました。
歳をとると 月日が経つのが 早くなったと 感じていました。一週間は すぐに過ぎ 運送屋さんに 荷物を運んでもらいました。
避難所のみんなと 別れを惜しんで 握手して 別れを告げました。
でも 翌る日には また避難所に 今度はボランティアとして 来るのですが その時は 一生の別れというかんじでした。
冴子は 電車で 園田アパート 行きました。
車は なかなか来ませんでした。
小さなお部屋ですので 掃除も済んで 待ったいました。
いつものように 渋滞していて 車は 園田のアパートには 到着しませんでした。
夕方になって 車がやってきて 荷物を運び込んでもらいました。
冴子は 窓から入る 夕日が まぶしく見ました。
駆け落ちして以来 自分だけの夕食を 初めて作って 食べました。
ひとりで あまり何もない アパートで ひとりで 食べると 悲しくなりましたが 泣きませんでした。
強く生きていくと 勇治と あのとき約束したから 絶対に泣きませんでした。
アパートの家賃は 補助があって 当分の間は 負担は少なくなっています。早く 仕事を 探して 自立しなければならないと 思いました。
ハローワークで 探しました。
たいした職歴もなく 技術もなく 普通の 中年の女性が できる仕事は 少ないと ハローワークのひとには 言われてしまいました。
冴子は 「どこでもいいから」と 付け加えてしまいました。
希望を ぐっと落としても 1ヶ月あまり 面接を繰り返しました。
当時は バブルがはじけて 不景気だった上 震災で 経済が混乱していたから 職探しは 大変でした。
そんな 面接を受ける合間に 避難所にも ボランティアで 行っていました。
そんな体験を 面接で話したら そこの社長が 気に入ってくれて めでたく 職が見つかりました。
新しい職場は 冴子のアパートから 自転車で 15分ほどの所にある 刻みキャベツを 供給する会社でした。
野菜サラダなどに使う 刻んだキャベツを スーパーや ファミレス ハンバーガ-屋 弁当屋さんに 供給する会社です。
翌日から 多量のキャベツとの 格闘です。
冬は 大変な仕事ととなるのですが 仕事が決まって 名実ともに 勇治は 思い出の中のひとに なってしまいました。
(今回で 震災関連の お話は終わります。
もっと もっと悲惨なのですが 書くことができません。
読者の皆様には 類推して頂きますよう お願いします。)