その80は最後です
あらすじ この物語は 主人公が ふたりいます。 京都の北丹波美山町に生まれた 薫子と 阪神間に生まれた登です。 ふたりは相前後して昭和50年1975年に生まれました。 平成23年(2011年)に 出会いますが その出会いまでは 姿を見ることはあっても 相手を 認識することはありません。 薫子は 子供の時から 活発な子供でした。 小学生の時に 笑顔のアイコンタクトで 人と交わる方法に出会って 実践してきました。 中学校の時は 笑顔のアイコンタクトで クラスをまとめた 実績もありました。 高校生になると 作法クラブに入って 活動します。 同じクラブには 薫子に憧れて入った 陽一と 学校一の才色兼備の 美奈子がいました。 薫子の家は 大学に行ける余裕がなかったので 証券会社に就職します。 登の方は 小学校中学校高校と 理由もなく いじめられます。 そのため 登は 自分の殻に閉じこもって 勉強をしていました。 大学に入ると いじめはなくなりましたが その性格は 変わるわけもなく 意固地な生活を 送っていました。 阪神淡路大震災で ボランティア活動を通じて 知り合った 美奈子とつきあいますが 理由もわからず 別れてしまいます。 余計に 人間不信になってしまいます。 一方 薫子は 証券会社でも 人気者で 阪神淡路大震災の ボランティア活動を通じて 再会した陽一と 婚約します。 盛大な結婚の後 和歌山広島と転勤します。 登の方は 農業改良員として 丹後に勤務します。 何もすることがないので 勉強をしていました。 就職して 6年経って 慣れた頃 登の父親が 急逝して 父の仕事を継ぐことになります。 社長の 仕事を うまく進めるため 笑顔のアイコンタクトを勉強することになります。 薫子は なかなか 子供ができませんでした。
皆様は 運転はされますでしょうか。 私は 車の運転は 苦手ですが 仕方がないので 運転しております。 先日 あまり 車の通らない 大きな交差点で 右折しようとしたときのことです。 横断歩道に 自転車が通るゾーンがある 交差点です。 右折するときは 前方からの歩行者や自転車に注意すると同時に 右側手前から自転車や歩行者にも 注意しなければなりません。 前方を見て 対向車が来ないのを 確認してから 右手前を 目視するために 首を 右側に回しました。 午後4時頃でしたでしょうか。 たぶん 40才くらいの 女性が 自転車に乗って 横断歩道の 自転車ゾーンを 走ってきました。 彼女は 私に アイコンタクトで 「渡ります」と言って 走っていきました。 皆様 交通安全のためには アイコンタクトは 大切ですよね。 アイコンタクトによって 優先を確認するのですよね。 人間のアイコンタクトですから 笑顔が基本だとは思いますが 彼女の笑顔は 今までにない 笑顔だったんです。 その笑顔を見て その日は 満足で楽しい一日でした。 会ったのはその日だけでしたが もっと別の人が 会ったらと考えていました。 構想1分 ブログ小説を書くことになりました。 次回から 期待せずに お読み下さい。 もちろん どんでん返しや 感動の結末など ありません。 拙文を覚悟の上 読んでいただけたら 嬉しいなと思います。
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この物語には 主人公は ふたりいます。 車を運転していた 登と 自転車に乗っていた 薫子 です。 物語は 登の話と 薫子の話の ふたつで 行ったり来たりします。 混乱せず お読み下さい。 薫子から 始まります。 薫子は 昭和50年に 京都の片田舎で生まれました。 茅葺きの 家で生まれました。 もちろん 出産は 近所の産科で出産でしたが 夏の初め 家に帰ってきた 母子は 涼しい座敷で 緑一杯の 景色を見ていました。 父親は 風薫る日に生まれたので 薫と 名付けたかったのですが 男性と間違われたら 困るので 薫子としました。 薫子は 緑の中を 走り回り大きくなっていきました。 薫子が 生まれた頃 登は 公害で 問題になっていた 街で 学年は同じでが 既に生まれていました。 窓からは 煙突の煙が 見える家でした。
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登の家の 道路を隔てた 工場は 平炉メーカーで 平炉を開けたとき 煙が建物全体から 出てくるのです。 もう 殆ど見えなくなるくらいです。 一日に 何度かあるのです。 平日は 洗濯物を 外に干すことができないと 登の母親が 言っていました。 薫子と登の両親は 戦後のベビーブームの時に生まれ 子供を出産していました。 薫子と登とは 第二次ベビーブームの 子供達です。 幼稚園小学校中学校と 登は たくさんの同級生がいました。 登の住む街では 新しい 小学校が新設され その初めての 新入生となりました。 登は 小学校では 成績は パッとしません。 両親は 共働きで 帰ったとき家にいなのを 良いことに あまり勉強をしなかったためだと 登は思っていました。 学校では 目だ立たない子供でした。 友達もなく 存在感が薄いという感じでした。 薫子は 田舎の学校にしては たくさんの同級生がいて 先生の指導がよかったのか クラス一丸で 勉強やスポーツ・学級活動していました。 その中で 薫子は 中心的な役割でした。
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小学校の5年生の時 交通安全のための 活動がありました。 薫子の小学校の周りは 田んぼばかりで 車も殆ど通っていなかったのですが 都会に出たとき 困らないようにと 管轄の警察署が 企画したものでした。 小学校の前に 唯一 横断歩道があるのですが 横断歩道の渡り方を 警察官が 「にぎにぎしく」教えるのです。 素直な 薫子ですので 超関心を持って 見ていました。 「横断歩道では 手を挙げて 車が停まるのを 待ってから渡りましょう」と 言って 渡って見せます。 その中で 運転手さんの目を 見る事が 重要だと 大柄の警察官が言いました。 自動車が止まったからと言って 歩行者に気付いているかどうか わからないというのです。 単に止まっただけかもしれないので 注意が必要だと言いました。 運転手さんが 自分を見ていたら 気が付いていると言うことで 「これをアイコンタクトと言います」と 説明しました。 小学校5年生の 薫子には 「アイコンタクト」という言葉の意味が よくわかりませんでした。 そこで 質問の時間に アイコンタクトについて 警察官に尋ねました。
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薫子は 大きな声で 「アイコンタクトって何ですか」と尋ねました。 先生役の警察官は 「アイコンタクトとは 目と目を合わせて 相手を確認することです。 目は口ほどにものを言うと言って 目は心の窓です。 では 私が あなたに 目で言葉を話すので 聞いて下さい」と言って 目を薫子の 目を見て 目配せしました。 「わかりましたか」と 聞いてきて 薫子は 「わかりました」と 答えました。 周りは ドッと笑いが 起こりました。 実際のところ わかりませんでしたが そう答えたのです。 そんな事があってから 薫子の クラスでは アイコンタクトが 話題になりました。 先生が 生徒を見ると アイコンタクトをしているとか 薫子のアイコンタクトは 分かり易いとか そんな話です。 登の方は もちろん 交通安全の学習を 習ったと思いますが アイコンタクトについて 知るのは 自動車教習所で 先生に教わる 10年後です。 登は 殆ど目立たない 小学生を経て 中学生になりました。 中学校では 三つの 小学校から 生徒が 集まってきました。 その中に 粗野な 中学生がいました。
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中学生になった 登は 小学生の時のように 目立たぬように 中学生生活を 送りたいと思っていました。 しかし その願いは 粗野な中学生によって 実現できなくなります。 登は 理由もなしに 叩かれ いじめられます。 叩かれたあとに 「バカだから たたいてやった」と 言うのが 口癖です。 跡が残らないくらいに 叩くので 家族や 先生が気が付くことがないのです。 登には 歳の離れた 姉がいます。 姉が 心配して 登に 忠告しました。 「やはり 成績が悪いのは これから 生きていくのには 都合が悪いよね。 登は 小学校の時は 成績がもうひとつだったけど 中学校になったら 気張って 頑張らないといけないよ。 小学校と 中学校は 勉強の仕方が違うから 小学校で 成績が悪くても 頑張れば 成績が上がるよ。 算数が 数学にかわるように 他の科目も そうなんだよ 中学からやり直せるんだから 悪い成績だったら 彼女もできませんよ」と 言われてしまいました。 成績が トップクラスの 姉の言うことは 正しいのだろうと 思いました。 あの いじめた 中学生に 「バカ」と 言わせないためにも 頑張ることにしました。 遊ぶ友達にいないので 勉強するしか なかったのも 事実です。
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登は 大方のことは 懐疑的です。 何でも疑ってかかります。 先生が 「蟻はのすべては 勤勉な蟻ですか」と クラスのみんなに尋ねたことがあります。 蟻とキリギリスの話にもあるように 蟻は勤勉と決まっています。 みんなが 勤勉の方に 手を挙げるのは 当然です。 しかし登は 違いました。 先生が 勤勉とわかっている蟻を 勤勉かどうか 尋ねるのだから きっと 勤勉でない蟻も いるのだろうと 類推したのです。 ひとりだけ 勤勉でない方に 手を挙げた 登に その理由を 尋ねました。 登は 「先生が 当たり前のことを 聞くのだから 答えは きっと逆だろうと 思います」と 答えたかったのですが 前に この様に 答えて 怒られたことを思い出し 「何となくです」と 答えました。 先生は 「蟻の中には ずるをしている 蟻もいることが 観察されているそうです。」と 答えを言いました。 こんな風に 登は思考します。 勉強も 殆どこのやり方と同じです。 試験は 山を掛けます。 先生のクセを見抜くのです。 先生が試験を出す所を 何となく 登にはわかるのです。
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登の予想のすべてが 当たるわけでもなく 登の成績は 上がり下がりしましたが 次第に 「バカ」と言われないほどの 成績になっていきました。 薫子も 中学生になって 少しだけ悩んでいました。 薫子の中学校は みっつの小学校が集まって来ます。 薫子は 天気の時は自転車で 雨の時は バスで通っていました。 小学校の 実績を買われて クラス委員になっていました。 世話好きの 薫子ですから 適任と 考えられます。 同じ小学校から来た クラスメートは クラス委員に 協力的です。 しかし 他の小学校から来た 生徒の中に 掃除を サボって いる者がいたのです。 薫子は 注意する役ですので 注意すると 「お前には関係ない お節介なんだから」と 言って 帰ってしまうのです。 薫子は 悩みました。 どうすれば 聞いてくれるのか 悩んでいました。 それで 小学校の時の 先生に教えてもらうために 学校に行きました。 先生は 話を聞いて 「させようとしたら してくれないよ。 笑顔のアイコンタクトを使うのよ 小学校の時は よく使っていたでしょう 笑顔で ありがとうと 言うのよ 焦ったらダメ きっと聞いてくれるから ゆっくり笑顔で待つことよ」と アドバイスしてくれました。 薫子は 小学校の時に 自然に 笑顔のアイコンタクトを 使っていたと 先生に言われて 気が付きました。 「ありがとうございます。」と 笑顔で答えて 学校をあとにしました。
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早速 笑顔のアイコンタクトを をすることに しました。 朝の挨拶の時 クラス会の時 連絡事項を 説明する時 帰る時 笑顔のアイコンタクトを クラスのみんなに してしまいました。 同じ小学校の出身者は 薫子らしいと 思いました。 他の クラスメートは 薫子に 何か良いことがあったのかと 思いました。 掃除当番を果たさない クラスメートも 変だとしか思いませんでした。 そんなことが 二三日続くと 笑顔のアイコンタクトを 知らないクラスメートも 薫子は 何か凄いものを 持っていると 考え始めたのです。 数日後 例の 掃除をさぼるクラスメートの 掃除当番が回ってきました。 薫子は そのクラスメートに 笑顔で 「今日の掃除ありがとうございます。」 と 前もって 言いました。 いつもは 「関係ない」と 言うのですが 掃除をする 薫子を見ていると 帰られず 掃除をすることになりました。 薫子は 笑顔で 手伝い クラスメートも 笑顔で 掃除していました。
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クラスのみんなは 薫子の やり方に 驚いていました。 同じ小学校出身者は、 あの クラスメートを 言うことを聞かせるという 手際の良さに いつもながら感心しました。 このために 笑顔のアイコンタクトをしていたのかと 思いました。 でも ズーと 笑顔のアイコンタクトは続きます。 登は 笑顔とは 無縁の 中学生生活です。 勉強というか 先生のクセを 見抜くのに 勤しんでいました。 中学三年生になって 高校進学が話題になりました。 登の父親は 課長代理に出世して 年功序列制で お給料も増え 余裕もあって 経済的には 登には問題ありませんでした。 登は 同じ中学校の生徒が 行くであろう 近くの公立高校は 行きたくありませんでした。 少し離れた 私立の 高校に 行きたいと思っていました。 そのためには すこし 成績が足りません。 「頑張って 勉強しない」と 三者面談で 先生に言われてしまいました。 頑張ろうと 登は思っていましたが 何しろ 根が 怠惰な性格ですので それほど 成績は 上がりませんでした。 「バカ」とは 言われませんでしたが そんな間にも 登は 言われなき 暴力を受けていました。 身なりが 少し貧しい 登は お金をゆすり取られるというような ことまではありませんでしたが 殴られたり 足を掛けられたり 突然 突き飛ばされたり していました。 その暴力を受けるたびに 少しずつ 頑張る 力が 増えてきたように 思いました。
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暴力を受けるたびに 勉強をする力が 増していきます。 多くの暴力を受ける 登は 相当勉強しました。 山を掛ける勉強ももちろんしましたが 正当な勉強もしました。 高校の 試験の クセを読むことは 少し無理なので 正当な勉強も する必要があったのです。 その成果も 徐々に上がってきていました。 薫子の家は 少し貧しくて 高校は行けても 大学は 無理だと 親に言われていました。 高校も 公立でないと 行けないことになっていました。 薫子は もともと 賢い聡明な 生徒でしたから 今まで通りのやり方でよいと 先生に言われていました。 今まで通りと言うことで 薫子は 笑顔のアイコンタクトは なくなることはありませんでした。 学校のみんなも いつも笑顔の 薫子を 羨望の目で 見ていました。 薫子には 好きな人がいました。 同じクラスの 少しおとなしい男の子です。 薫子は 特に その男の子には 笑顔のアイコンタクトを 数倍 投げかけました。 でも その男の子とは 相思相愛には成れませんでした。 薫子は 「縁がなかった」と 思うようにしました。 男の子は 薫子が好きだったんですが あまりにも 薫子が まぶしくて 近づきがたかったからです。 薫子は 高嶺の花と 思われていたのです。 そんな所が 薫子にはありました。
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別に 難なく 公立高校に 行くことができました。 薫子の行った 高校は 地域では 名高い 進学校で 誰もが 大学に行く学校でした。 勉強に 明け暮れる クラスメートの面々は 友達付き合いが 苦手でした。 薫子は いつものように 笑顔のアイコンタクトで 友達の輪を 作ろうとしていました。 しかし結果だけを言うと 失敗でした。 「笑顔のアイコンタクトが 功を奏しないことも あるんだ」と 薫子は 初めて思いました。 「そんなことも あるかもしれない。 私の力が 足りなかったのかもしれない」と 反省もしました。 薫子は 作法クラブに入っていました。 お茶・お花・作法の ことを 高校の先生の中で 上手な人に 習う クラブでした。 薫子は 面白いと思っていましたが クラブの部員は 3人しかいませんでした。 学校で 一番賢い美奈子さんと 少し変わった男の子の陽一君と 薫子です。 美奈子さんには 笑顔のアイコンタクトを 必ず返す 女学生でした。 でも それだけです。 陽一君は 笑顔のアイコンタクトには 反応しません。 目を合わせませんので アイコンタクトは できませんでした。 この2人が 進学校での 友達でした。 おとなになっても 続きます。
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薫子は 一年生の時から 担任の先生に 進学しないことを 告げていました。 高校は 進学のカリキュラム一色でしたので 薫子が 就職するためのものは ありませんでした。 就職するなら 例えば 商業簿記とかが 必要です。 作法クラブの 顧問の先生が 商業簿記を教えられる 先生を捜してきてくれました。 薫子は 正規の勉強も もちろんできましたし 就職のための教科も 難なくこなしていました。 登の高校受験は 登に言わせると ラッキーでした。 試験の時だけ よかったような気がします。 高校生になった 登は 暴力から 遠ざかれたかというと 同じような 人間が 徐々に 出てくる恐れがあります。 登は 目立たぬように していました。 当時はやっていた 忍者ブームの 忍者のように 「気配を消して」いました。 叩かれて 痛い思いや 屈辱的な 経験をするよりも 目立たぬように おくるほうが 登は まだいいと思っていました。
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登の 学校生活は 学校では 目立たぬような 陰気な時間を 送っていたのと 裏腹に 家では やりたい放題でした。 乱暴な生活をしていたというのではなく 勉強をしていたのです。 勉強と言っても 高校の勉強ではなく 自由勉強です。 図学や 数学です。 ひと筆書きの 勉強もしていました。 そのようなものが ひと筆書きができるかという 研究していました。 親や 姉は よくわかりませんでした。 していることがわからないのではなく 役に立ちそうもない そのようなことを するのかが わからなかったのです。 だから やりたい放題でした。 高校の勉強は 例の山掛けで よかったり 普通だったりです。 何になりたいという 夢も特になかったのですが 大学へ 何となく行くことが 決まっていたので そこそこの 勉強をしていました。 やはり 登に言わせると 怠惰な毎日でした。
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登の姉は 将来先生になる夢があって 頑張っていました。 その 夢に向かって進んでいる 姉を見ながら うらやましく思っていました。 何になりたいというわけでもなく 登の高校生活は 過ぎていきます。 薫子の 将来の夢は 単純です。 仲のよい両親に 憧れて お嫁さんになることでした。 そのために 作法クラブに 入っていたのです。 顧問の先生は 何でもできる先生で いろんなことを 教えてくれました。 時には 料理も 教えてもらいました。 同じクラブの 美奈子さんに 将来の夢を 聞きましたが はぐらかして 答えてくれませんでした。 陽一君は 「僕も結婚」と 答えて 先生を含めて 爆笑です。 しかし これは 本当の夢だったのですが 薫子には その時は 冗談だと 思っていました。 薫子が 高校三年生になった時 就職が 課題となりました。 世話好きの 顧問の先生は 地元の 会社を あたりましたが なかなか見つかりませんでした。
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バブル景気が 終わって 不景気になっていく その年だったので 到底 京都の山奥では 仕事などは見つかりませんでした。 そこで 何とか通える 京都で 就職先を 探しました。 進学校で 求人票など 来ない学校だったので 顧問の先生の 紹介で 何とか 面接まで こぎ着けました。 証券会社で 全国展開していたのですが 京都だけの 地域職に 応募していました。 面接の 前日 「笑顔で 全力を出してきてね」と 助言してくれました。 高校では 笑顔のアイコンタクトについて 話していませんでした。 しかし みんなは 私の 笑顔を 知っていたのだと 薫子は思いました。 電車に乗って京都の 証券会社の 支店に行きました。 数十人が 応募していました。 高校の制服を着た 人達は 「私より優秀のように見える」と 思いました。 すこし 寒気がしました。 心の中で 笑顔のアイコンタクトと 言い続けて 順番を待ちました。
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薫子が呼ばれました。 五人同時に 面接です。 試験官は 鋭く突いてくる 質問もありました。 薫子への 質問も 同じものですが 薫子は 試験官と 笑顔のアイコンタクトをしてから 答え始めます。 薫子自身 他の4人の方が 的を射た答えだと 思いました。 「ダメかな」と 思いましたが 最後まで 笑顔のアイコンタクトで 行くことにしました。 午後は 筆記テストです。 特に難しいものでは ありませんでした。 この日は 職場見学をして 解散となりました。 数日後 手紙が来て 2次面接の 知らせです。 「あれだったのに 良かったんだ」と 薫子は 少し驚きました。 先生に言うと 「笑顔が良いのよ」と 言われました。 呼び出しの日に 同じ支社に行くと すぐに呼び出されて 面接です。 面接というか 口頭試問でした。 国語や 社会の問題を 口頭で 聞いてくるのです。 薫子ひとりに 5人の面接官です。 薫子は まだ18才で おとな連中が よってたかって 聞いてくるのです。 萎縮してしまうのが 当たりまですが 薫子は 笑顔のアイコンタクトを 忘れずに 行っていました。 終わったあと 薫子は 疲れましたが 笑顔を忘れませんでした。
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笑顔で 会社をあとにはしましたが 心の中は 半泣きの状態です。 口頭試問には 的確に答えられなかったし 笑顔のアイコンタクトも そのため 顔が引きつっていたように 薫子には 思えたからです。 しかし 結果は 内定です。 12月に 内定をもらいました。 「良かった」と 薫子は 心の中から 思いました。 高校出たら OLになって それから 結婚という 薫子の 夢に 近づいたと 思ったのです。 薫子の 通っている 高校には 3学期の 始業式は 作法クラブの 琴の演奏会が 恒例としてありました。 3年生になると 作法クラブは 一応退部と言うことになるのですが この年の 作法クラブの面々は 退部しません。 薫子は 内定をもらって 進路はもう決まっています。 陽一君も 12月に 大学に合格していました。 美奈子さんは 大学受験を控えていて そんな事ができない立場ですが お琴を 弾きたいと言うことで 参加していたのです。 薫子は 「さすが 学年一の 秀才だから 余裕の 美奈子さん」と 思っていました。 でも それは 違っていたのです。
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作法室での お琴の練習は 夕方近くで 終わります。 薫子は 家が遠いので あまり遅くまで できません。 そこで 日曜日も出てきて 練習です。 練習する曲は 正月の琴の曲としての 定番 「春の海」と アンコール曲として 「愛は勝つ」を です。 家には お琴がないので 学校でしか 練習できませんでした。 噂によると 美奈子さんの家には お琴があるそうで 子供の時から 弾いていたそうです。 陽一君については 何もわかりませんが かなりうまい方でした。 正月も 3日から 練習に励んで 高校生活 いや学生生活 有終の美を 飾ろうとしていたのです。 音楽が 苦手な 薫子には 相当のハードルです。 薫子にとっては 最後の晴れ舞台となる 始業式の日が やって来ました。 校長先生の 訓辞が終わって 舞台の 幕が開き 作法クラブの 面々が お琴を弾き始めます。 その中で 一人だけ あでやかな 振り袖姿の 美奈子がいました。 薫子をはじめ 学校の全員は 驚いていました。
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春の海は 定番曲ですが 歌詞がありませんので 聴衆は 静かに聞いていました。 そして 恒例の アンコールです。 拍手して 作法クラブの 面々の 名前を 大声で 呼ぶものも出てきました。 一番大きく たくさんの声がかかったのが 薫子です。 学校では 人気があったのです。 他の者の 名前を呼ぶ者も いましたが 少数です。 もちろん美奈子さんの 名前を 呼ぶ者も いました。 拍手が 続いて 薫子達が 目配せして アンコール曲を 弾き始めようとした その直前 美奈子さんが 弾き始めました。 事前に練習した曲とは 全く違う曲です。 「木綿のハンカチーフ」です。 正月で 始業式の日に 合うかどうかは よくわかりませんが 美奈子さんは 弾き始めました。 曲に合わせて 美奈子さんは 歌も歌いました。 美奈子さんの 近くに マイクがあったので 歌声は 会場中に 響き渡り 先生をはじめ 生徒も 薫子達の 作法クラブ員も リズムと取りながら 聞いていました。 3番まで 歌って 美奈子さんの歌は 終わりました。
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曲が終わって またアンコールです。 今度は 美奈子さんの 名前を 呼ぶ者も 多く出てきました。 学校で一番 優秀で 多芸の 美奈子さんが 人気がないことは ありません。 アンコールは 恒例では 一曲までと 決まっていましたから 薫子は 終わりにしようかと思った時 美奈子さんが 「アンコール曲を 弾きましょう」と みんなに声を掛けました。 目配せして 「はい」と 言って 「愛は勝つ」の 演奏が始まりました。 薫子は 楽譜を 見なくても 弾くことができたので できるだけ みんなの方を見て 演奏して 歌を歌いました。 学生達も 一緒に 歌いました。 「信じることだ 必ず最後に愛は勝つ」と 大合唱です。 予想通りの 大盛り上がりです。 アンコールの 拍手は止みませんでしたが 次の 軽音楽クラブが 待っていたので 幕は 下りてしまいました。 琴を持って 脇に下がりました。 軽音楽部の 演奏を 袖で 美奈子や薫子陽一達も 一緒に聞いていました。 演奏が終わって 作法室に帰ろうとした時 美奈子さんが 薫子に 近づいてきて 言葉を掛けました。
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美奈子さん: 薫子さん 私は 高校生活では あなたに負けたわ 小学校中学校とは いつも 一番の人気があったの でも 私は あなたに負けたわ でも これから 大学 そして 社会に出ると もっと もっと 多くの方に 負けるかもしれないわ 高校生活で あなたと会って そして 負けたことが きっと 将来役に立つと 思いました。 それに あなたに負けた理由も わかったし それを 糧に 今度は 絶対に負けないわ あなたに負けた理由は 「笑顔」よね これからも 良いライバルでいましょ 薫子: 美奈子さんを ライバルだなんて 思ったことありません。 美奈子さんは 私の目標です。 美奈子さん: そうなのよね そんな風に 言えるところが 偉いと思うの 薫子: 本当のことです。 美奈子さんは みんなに人気はあるし その上 成績は優秀 スポーツも 何でもできるでしょう 美奈子さん: 成績が優秀でも 大成はできないわ あなたは 私の持っていないものを 持っているわ 薫子: なにも 私は 持っておりません。 薫子は 美奈子さんにそんな風に言われて 驚いてしまいました。
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美奈子さんは 続けて 話します。 「薫子さんは 自分が どんなに すばらしいかわからないんだ 陽一さんが あなたのことを 好きだと言うことも 知らないんでしょう」と もっと驚くことを 言いました。 薫子は 陽一さんが 私のことが好きだなんて 信じられません。 それを 少し離れたところから 目立たないように 陽一君は 見ていました。 こんなことが あった始業式の日から 美奈子さんは 作法クラブには 来なくなりました。 猛勉強しているという 噂を聞きました。 陽一君は 来ていましたが 何となく よそよそしいような 雰囲気でした。 登は 目立たないように 高校生活を送っていました。 大学へ 行くために 勉強していました。 推薦入学で 手っ取り早く 早期に 入学したかったのです。 そこで 登の両親が 推薦入学を 登に勧めました。 勉強して 頑張って 推薦入学を 受けることにしました。
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怠惰な 登ですので 勉強をしているようにみえて 勉強をしていない方が 多いのですが とりあえず 勉強していました。 そして試験日 京都市内の 大学です。 11月の 月末で 寒い風が吹いていました。 試験場は 古いスチーム暖房で カッチンという 大きな音が していました。 試験は どういう訳か 登には 難しくありませんでした。 なぜなのか と思いながら 答案を書き上げました。 結果は 合格です。 偏差値では 登には 少し難しい程度なのに 合格してしまいました。 学部は 農学部です。 登の姉は 「あんた 何になりたくて 農学部なんかに 行くの」と 聞いてきました。 登は 「特に 農学部と言うわけでもなく 偏差値で 一番難しくて 一番と下り易そうな 大学を選んだだけ」と 答えました。 姉は 驚いていました。 そんなことで 早々と 大学が決まって 高校生活は 登にとって 有終の美になるはずだったんですが そんな風には 行きませんでした。
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登の高校の 卒業式は 生徒自身が 企画立案することが 慣例となっていました。 クラスから 1名選んだ 卒業式実行委員が 合議で 決めることになっていました。 過去には 対面式の卒業式や 吹奏楽を真ん中に 周りを囲うような卒業式 卒業生が演壇に階段状に並んでした卒業式など があります。 生徒会室の 壁には 過去の卒業式の写真が 飾ってありました。 登のクラスで 卒業式実行委員を 選ぶクラス会が 開かれました。 恒例なら クラスの委員長が 兼任するのですが 大学受験に忙しい面々は もう進路が決まっている 登を 委員にしよう提案に 一斉に拍手して 賛成します。 目立たぬよう やっていたのに 最後の 最後に こんな羽目になるとは 登は がっかりしました。 少なくとも クラスの総代として 卒業証書を 拝受するために 演壇に 上る役になってしまいました。 もう下を向いているしか 登にはできませんでした。
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委員なんか したことのない登は 初めての経験です。 委員会では 自分の意見を 述べることは できませんでした。 普通は 大きな権限を持っている 卒業式実行委員ですが 登の場合は あっちの意見を こっちに こっちの意見を あっちに告げるだけで 乗り切ろうと 思っていました。 しかし それだけでは すみませんでした。 卒業式自体は 正統な やり方で 行われるようになっていましたが 卒業式の リハーサルの時に そのハプニングは起きました。 本番と同じように行われたリハーサルで 卒業生の名前が 順番に呼ばれて 返事とともに 卒業生が 起立していきます。 登の名前も呼ばれて 最後に 「以上総代 ○○登」と 呼ばれました。 登は 緊張して うまく歩けませんでしたが 階段を上って 演壇に上がり 礼をして 卒業証書を 受け取ります。 深々と礼をして 振り返って 帰ります。 振り返った時 高い演壇から 卒業生全員の目が みえました。 がちがちに緊張して うまく足が運べません。 そして 階段を踏み外し 落ちてしまいます。 そこにいる全員の 笑い声が 登には聞こえました。 たいした高さでなかったのですが 足をくじいて 立つことさえできません。 そのまま 先生に 保健室に連れて行かれてしまいました。
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こうして 登の 高校生活は終わります。 卒業式には 欠席して 担任の先生が 卒業証書を 持ってきてくれました。 登の姉は 登に 「もう高校とは おさらばだから 落ちたことも これで終わりよ 大学では 新しいことを 目指しなさいね」と 助言してくれました。 登は もっともだと思いました。 薫子は 卒業式の日 みんなに 祝福されてました。 人気のあった 薫子でしたから 写真を 一緒に撮ってとか サイン調にサインしてとか もっと 第2ボタンをあげるとか言う輩まで いました。 涙で 別れました。 薫子自身 驚いていました。 「私って 人気があるんだ」と 初めて気が付きました。 でも 美奈子さんが 気になりました。 美奈子さんは なんかよそよそしく 卒業式で 答辞を読む重責を果たした後 学校から いなくなってしまいました。 薫子が 挨拶しても 笑顔のアイコンタクトをしても 少しだけ 黙礼して 別れてしまいました。
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薫子は 美奈子さんの 音楽会での言葉や 卒業式での 振る舞いが 気になっていました。 もうすぐ就職で 就職すれば 時間的余裕がないので しばらくの春休みの間に 小学校の先生に 相談することにしました。 先生に 美奈子さんのことを 詳しく話しました。 先生は 「太陽の日差しが 強い時 顔をしかめるように 人は 輝くものに 目をしかめるものです。 そんな習慣があるものだから 輝く人にも 顔をしかめます。 でも 太陽が 人間には 必要なように 輝く人も 必要とされます。 きっと あなたの 真価を 美奈子さんにも わかってもらえると思います。」 と答えました。 薫子は そんなものかと 思いました。 先生に 「私の 笑顔のアイコンタクトは 美奈子さんには 伝わらないんですか」と尋ねました。 先生は 「薫子さんは 暗いところで 明るいものを見る時と 明るいところで 同じくらいの明るいものを見る時は どちらが 目をしかめますか」 と 反対に聞いてきました。 薫子は 「それは 暗いところです。 明暗の差が 大きい程 目をしかめると 思います。」 と答えると 先生は 「そうですよね。 暗いところでは 瞳孔が開いて 明るさを 強く感じますよね。 それと同じように 暗い気持ちになっている人は 薫子さんの笑顔は まぶしすぎるのです。 反対に 明るい気持ちの人は 薫子さんの 笑顔を見ると 気持ちも高揚して 楽しくなるのです。 相手の気持ちを 知って 笑顔の程度を 決めることが 肝心です。 薫子さんは もうすぐ 社会の大海に こぎ出すのですから 相手の気持ちが どの程度か すぐに判断して 的確な 笑顔のアイコンタクトが できることが必要です。 薫子さんなら きっとできると思います。 薫子さんも わかっているんじゃないですか」 と 忠告してくれました。
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いつもながら 先生は 私のことを 知っていると 思いました。 笑顔のアイコンタクトは 奥が深いんだと 思いました。 単に笑顔だったらいいと言うものでは ないのだと あらためて思いました。 今度美奈子さんにあったら きっと きっと 笑顔にしてあげると 思いました。 その時がいつ来るか 薫子は わかりませんでしたが すぐだと 思っていました。 でも それは なかなかやってこなかったのです。 美奈子さんは 京都の国立大学の医学部に進学がしたそうです。 自宅から 就職する会社まで 3時間あまりかかるので 京都に住むことになりました。 少しでも 田舎に近いところと言うことで 「丹波橋」に アパートを借りました。 小さなお部屋ですが 薫子は 嬉しかったのです。 短い春休みは 終わって 4月の1日 入社式になります。 数年前は 東京の ホテルで盛大に 入社式を行っていましたが 今は 支店で 内輪で 行われました。 証券会社の 業績が 芳しくないことは 誰の目にもわかるようでした。 そんな会社で 働き始めました。
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薫子の 働く場所は 証券会社の お客様が来ない 2階の事務所です。 庶務のような それでいて総務のような 仕事をすることになっていました。 要は 分担の決まっていない仕事を やる係でした。 先輩や 係長に 仕事のやり方を聞いて こなしていきました。 最初の内は 仕事をするのが精一杯で 仕事以外のことに 気が回りませんでした。 仕事に慣れた頃 仕事には 何かしら 相手があることがわかりました。 蛍光灯の 交換にしても 頼んできた人がいるし 郵便物の配達も もちろん人が相手が いるのです。 笑顔のアイコンタクトの 出番だと 思いました。 小学校の先生が おっしゃっていた様に 相手を見て 笑顔のアイコンタクトの 程度を 加減する必要があるので 注意深く 笑顔のアイコンタクトをしていました。 小学校の時のように 誰彼なしに 笑顔のアイコンタクトを するのではなく 相手の状況や 仕事の内容を 考えて 笑顔のアイコンタクトを することにしていました。 急に 笑顔のアイコンタクトを すると 変に思われるので 徐々に することにしました。 ほんの少しずつ かわっていったように 係長はじめ 支店全員の目には 映りました。 入社して 6ヶ月の頃には 「笑顔が似合う新入社員」という 評判を得るまでになっていました。
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薫子は 出しゃばらないように 慎重でした。 「出る杭は打たれる」と 小学校の先生に 忠告されていたのを 思い出しました。 控えめが 良いと 薫子は思っていました。 薫子が 入社した頃には お茶汲みの仕事は なくなっていました。 お茶を 配って回ると みんなは 喜ぶでしょうが それを 批判する人間も いるかもしれません。 そこで お茶を入れやすいような そんな 急須や ポット ちょっと高級な 使い捨てのカップを 湯沸かし室から 係長の席の近くの 空いていた棚の上に 置くことを 係長に言いました。 その世話を 薫子がすると言うことで そんな風になりました。 朝出勤した時 みんなが お茶を入れるのを 手伝っていました。 お茶の一服で 仕事が はかどったように 係長は思いました。 一年も経つと 薫子は 支店では 人気者になっていました。 一方 登は 京都の大学へ 2時間弱かけて 通学していました。 同じ京都ですので ひょっとしたら 登と薫子は 出会っていたかもしれませんが 2人にその記憶はありません。 登の 大学生活は 今までの 学生生活と 全く違って 快適です。 まず 目立っても いじめられない 叩かれない ので 快適でした。 それが 普通かもしれませんが うれしくて 仕方がありませんでした。 勉強にも身が入って 講義は 最前列で 聞いていました。
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大学の 教室で 最前列に座った仲間と 友達になりました。 小学2年生以来 友達ができたのは 久しぶりです。 それも 4人も同時にです。 登たちは 大学では 有名で 最前列5人組と 呼ばれていました。 普通最前列に 座る者は 勉強熱心な人と 思われていましたが この 5人組は 全く違いました。 ある夏の暑い日 先生が 熱心に 講義している時 5人組の中の 一番お茶目なものが 心地よく 机に頭を伏せて 寝ていて 顔を上げた時に 「暑いな こんな時には 冷たいジュースを 扇風機の前で 飲んでみたいよね。 生協食堂へ 行こうか」と 先生に 聞こえるように 登に言うのです。 登は ハッとしました。 先生は 突然 チョークを置いて 教室を 出て行ってしまいました。 登たちは 顔を見合わせ 黙っていました。 しかし その 1分後 生協食堂へ 連れもっていきました。
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登は ちょっとかわった集団に入っていましたが 勉強は 高校の時より より先進的になっていました。 登の授業の受け方は 試験に必要なことだけ 聞くと言うことです。 登に言わせれば 試験に必要なことは まじめな先生でも 1割弱の時間だと 言うのです。 その他の時間は いわゆる 余談です。 余談を 真剣に聞いたり 覚えたるするのは 無意味だと 考えていました。 だから 授業中は 登は 先生の話を 聞かずに 他のことを 考えていました。 登の行っていた大学は クラス担任制で 前期が終わると 担任の先生が 成績を みんなに渡す会がありました。 渡された成績表を見て 登は 「大学は 厳しくないんだ。 就職のことを考えて 優ばかりつけるんだ」と 思いました。 それを 横から見ていた 5人組のひとりが 「登は 優ばっかし 俺なんて 名前のところだけ」と 言ったのです。 彼の名前は 優とかいて 「まさる」と読むのです。 登の成績が クラスでは一番だったのです。 担任の先生は 「今回は 登君が 一番でしたが 後期には 皆さん頑張って 一番になって下さい。」 と訓示して 終わりました。 でも それは 4年間 かわりませんでした。
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登は 京都の有名な大学に 阪神の自宅から通っています。 大学は 京都の北東にあって 四条河原町から バスに乗って通っていました。 薫子が勤めていた証券会社は 京都駅前にあって アパートは ひとつ駅のとなり 丹波口ですので 普通に通勤通学していると で会っていません。 しかし 同じ京都なので 出会っていたかもしれません。 薫子と同じ 作法クラブだった 陽一君と 美奈子さんも 同じ京都に通学していました。 陽一君は 伏見区の方の 大学の経営学科です。 ふたりは 自宅から 通っていました。 陽一君は 車で送ってもらえる 兄がいたので 駅まで送ってもらっていました。 美奈子さんは 父親の会社の人に 大学まで 車で 送ってもらっていたのです。 美奈子さんの 通っていた 京都大学の医学部は 登の行っていた 大学の隣で きっと 登と 美奈子さんは 出会っていたと 思います。 しかし ふたりの間には 何も 大学時代には 何もおきませんでした。 登が 19才になった 正月に 大きな出来事が 登の前に 起きてしまいます。 地震が起きて 登の家が 大きく潰れてしまいました。 幸い 家族には 何も ケガはありませんでした。 隣の家が 登の住んでいる 家に 倒れかかってきて 2階が潰れてしまったのです。 (私の ブログ小説に 何度も登場している 地震です。 今回は 詳細は 書きません。)
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登の家族全員は 1階で 寝ていたか 家事をしていたので ケガがなかったのです。 しかし 住むことは もうできなくなってしまいました。 停電になっていたので 最初は わからなかったのですが 明るくなって 大きなもの音がした 2階に上がると 2階がめちゃめちゃです。 隣の 家の家具が なぜか 散乱していました。 お空もみえました。 登の父親は 余震に おびえながらも なぜか 冷静です。 「まずは 会社に連絡して それから 保険会社に 連絡しよう。 登も 学校に連絡して 学校の授業があるかどうか確認しなさい」と 言われてしまいました。 潰れた家では 寝れないので その日は 会社の 宿直室に寝ることになりました。 会社の 部下が 自動車で 迎えに来てくれたので 乗せるだけの 生活必需品を積んで 会社に向かいました。 登や姉は車に乗れないので 自転車で 向かうことにしました。 子供の頃 自転車で 会社まで 行ったことがあるので 2時間かけて 姉と 向かいました。 会社に着いてみると 付近は 地震なんかなかったような様子で お店も 電車も 普通でした。
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登の父親の力で 体育館で避難生活も することなしに 他の被災者に比べれば 本当に快適でした。 家の中の 家財を 運び出す必要があったので 家族全員で 協力しました。 最初に日は 車で 何とか家まで行けたのですが 二日目からは 自動車での 立ち入りができず 自転車で 近くの駅まで 持って行くという リレーの やり方でした。 3日目になると 姉の大学の 友達が 折り畳みの リヤカーを持って 手伝いに来てくれました。 ずいぶんはかどりました。 登も 電話で 最前列5人組に 頼みました。 今では 災害に ボランティアは 当たり前になっていましたが この 地震が 始まりと言われています。 5日目の土曜日と 6日目の日曜日手伝いに来てくれました。 そのおかげで 大方の 家財道具を 運び出すことができたのです。 登の 家族も 会社の宿直室から 高槻の社宅に 引っ越ししました。 震災から 7日目 潰れた自宅付近は 大雨に遭いましたが 登の家族は 影響が殆どありませんでした。 薫子は 地震を 丹波口の アパートで 体験しました。 古いアパートでしたが 別に潰れるところもなく もちろんケガをすることもありませんでした。
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薫子は テレビで放送される 惨状に 目をおおいたくなりました。 そんな時 陽一君から 電話がありました。 高校の時は いつも黙っていて 何を考えているか わからない同級生だったのに 電話がかかることなど 初めてです。 普通に 話すのは この時が初めてです。 陽一君は 地震で 大変な目にあっている人達を 少しだけでも 助けに ボランティアに 行かないかという 誘いでした。 陽一君と違って 勤め人の 薫子には 時間的余裕は 少ないことを 告げると 土日は 行こうと言うことに なりました。 ひとりでは 何となく行きづらいので 誘いは 嬉しかったです。 京都駅で待ち合わせして 神戸に向かいました。 高校時代の 陽一君は 寡黙だったのに なぜか 今日は 話し上手です。 そのことを 陽一君に言うと 「薫子さんが 聞き上手だから」と うまく答えてくれました。 ボランティアに行った先は 登の住んでいる街の 小学校です。 小学校で 送られてきた 品々を 選別する係です。 重い荷物を 運んだりしました。 冬で 寒かったのに 少し汗ばんで 仕舞いました。 帰るのに 時間がかかるので 早めに 返り始めました。 陽一君に 丹波口まで 送ってくれました。 家に帰って 熱いお風呂に入りました。 「被災者の方々は お風呂は 入れないんだろうな」と 考えると なぜか 今の幸せに感謝してしまいました。
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お風呂に入りながら 薫子は 被災者の方々に どのように接するか それが難しいと思いました。 心に大きな 傷を負った人達が 私の笑顔が 癒しになるのか それとも 反感を買うか考えれば すぐにわかります。 相手に 合わして 笑顔の程度を 考えなければ いけないと思いました。 笑顔は 奥が深いと 思いました。 人の印象は 会った数秒の間に 決まると 小学校の恩師は いつも言っていました。 そして その基本は 笑顔だと言っていました。 だからといって 満面の笑みは 相手によっては 反感を買ってしまうと 思いました。 お風呂につかりながら 考えあぐねていました。 うなじを タオルで 洗いながら 考え込んでいると 涙が出てきました。 なんで 泣いているか 自分にも わかりませんでした。 しばらく 時間が過ぎて のぼせてきたので お風呂を上がりました。 お風呂上がりに 牛乳を 飲んで 急に 陽一君のことが 頭に浮かんできました。 「初めては 普通に話したよね。 話してみると なかなか面白い 人だったわ。 昔 美奈子さんが 陽一君は 私が好きだと 言ったことがあるけど そんな事ないよね。」と 考えながら 歯を磨いて 寝ました。
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薫子の ボランティア活動は 次の日曜日も そして次の日曜日も 行きました。 被災者に会うことも 多くなりました。 相手のことを 考えて 笑顔を コントロールしていました。 しかし 意図した 笑顔では 相手に 満足を与えないと 思うようになりました。 相手に寄り添って 自然な 笑顔が でるように しなければならないと 思いました。 この ボランティア活動が 結果的に 薫子を 成長させたように思います。 登の家族は 手狭な高槻の社宅で 暮らしていました。 六畳のお部屋を ふたつに分けて 姉と登で使っていました。 今までとは 違う不便ですが 姉も 登も 体育館の被災者の様子を つぶさに見ると そんなことは 言えません。 登も ボランティアに 再々行っていました。 自分たち家族だけが サッサと 逃げ出したことに 少し罪の意識を 持っていたからかもしれません。 一ヶ月経つと 被災地では 倒壊家屋の 撤去が 入り口から始まります。 登の父親は 撤去が 始まる前から すでに 住宅の建築を 建設会社と 手際よく 契約していました。
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登の住んでいた家には 地震保険が入っていて 補助金や 義援金などなんやかやで 残りは 自己資金です。 用意の良い 父親だと 登は思いました。 前から 父親を尊敬していましたが テキパキと 物事をこなす 父親を うらやましく思いました。 登とは 違うのだと 思いました。 もちろん ボランティア活動にも行きました。 大学が 後期テストが終わると 避難所に 行きづめでした。 よく仕事を こなしたのですが 被災者の方々には 登は 影が薄かったようです。 印象が 登は 薄かったのです。 薫子は 仕事があるので 行くことができません。 特に 三月末になると 年度末の 仕事が 山程できて 日曜出勤もあって ほとんど ボランティア活動には いけませんでした。 しかし 被災者には 薫子は 印象深かった。 薫が 体育館で 味噌汁を配る係になると 味噌汁のところに 長い行列ができた程です。
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薫子の 笑顔のアイコンタクトは もう極意の域まで 達していたようです。 反感を買うようなことも なくなっていました。 しかし 例外は どのようなものにもあるように 薫子の 笑顔のアイコンタクトを 良く思わないものが いました。 それは 美奈子でした。 美奈子は 京都の 医学部の有志で ボランティア活動をしていました。 特に資格を持っていない 美奈子は 助手の助手の仕事をしていました。 避難所を回って 仮設診察室を 設営する係です。 手際よく 設営していました。 そんな時 薫子が 避難所で 味噌汁を 配っているところに 出くわしました。 誰の目にも 薫子は 群を抜いて 輝いていました。 美奈子は その様子を見て 大きくため息をついて 「薫子さんは ここでも 、、、、 薫子さんに いつか きっと 、 私だって こんなに頑張っているのに なぜ私は 薫子さんのように あんなに誰にでも 笑えないわ」 と つぶやきました。
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美奈子は そう考えながらも 設営が終わったので 薫子を 遠くから ズーッと 観察していました。 医学部の勉強で 患者を 大局的に 観察することを 教わったばかりだったので 実践していたのです。 見ていると 薫子の笑顔は 相手ごとに違うこと しっかり相手を見ていること 相手の反応によって適宜変えていること などがわかりました。 「薫子さんは 凄いテクニックだわ いや 小手先の テクニックでは あんな風には できないわ なんというか 心がこもっていないと できないかと思うわ。 やっぱり 薫子さんは 人を見る目は 私より 数段 いや 比べものに ならないくらい 上だわ。 もし 薫子が 医師だったら 会っただけで 診断ができるかもしれない。」と 思いました。 そして 今までの ライバルという認識をあらため 師と 仰ぐべきだと 思いました。 しかし 美奈子には プライドがあります。 そう簡単には できなかったのです。
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美奈子さんが そんな事を考えている ある日 また陽一君から 電話がありました。 ボランティア活動を 一緒にしようという 電話です。 陽一君が 薫子さんを誘うのに ひとりだけではという 考えであることは 美奈子さんにはわかっていたのですが 薫子さんと 会えるのなら 誘いに乗ることにしました。 もう暖かくなっていて ボランティアセンターに行くと 避難所から 仮設住宅への 引っ越しの手伝いです。 いつものように 薫子は 笑顔のアイコンタクトで 挨拶していました。 そばで見ていて 美奈子さんも 同じように まねをしてみました。 一回まねをすると 2回目 3回目は 難なくできるようになりました。 美奈子さんは 心の中で 「意外と簡単」と 思いましたが そうではないと すぐに気が付きました。 相手が 薫子ばかりに 話しかけて 頼んでくるのです。 美奈子さんを 別に 無視しているわけではないのですが 近づいてきません。 美奈子さんは 「やっぱり 薫子さんは すごい」と 思いました。
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思いっ切り仕事をして 少し汗ばみ その日は終わりました。 京都へ 一緒に 電車で帰って 駅で別れるところで 美奈子さんは 薫子に 「あなたには 負けたわ。 でも 気持ちよい 敗北よ 高校の時は ライバルと思っていたけど 薫子は 私のライバルではないわ 私の先生 先生に負けて当たり前 また会ってね。 いつまでも 友達でいたいわ」と 言いました. 薫子は 少し驚いて 「はじめから 美奈子さんは 私の友達です。 これからも 友達です。 いつでも なんかあったら 言って下さい。 こちらこそ また教えて下さい。 美奈子さんが 音楽会の時に 私に 教えて下さったことが 本当に役に立っています。 美奈子さんの助言がなかったら 私は きっと 道を誤ったと思います。 今後も 何かと教えて下さい。」 と答えました。 美奈子さんとは そんな話をしながら 笑顔で別れました。 その後 陽一君が お茶に誘ってくれました。
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陽一君は この日のために ちょっと変わった 喫茶店を 探していました。 抹茶を出す 喫茶店です。 抹茶茶碗に 薄茶と干菓子が付いて でてきました。 作法クラブでは よくいただいていました。 薫子: 久しぶりです。 抹茶を頂くのは 陽一: 僕も 薫子: 美味しいわ 陽一: でも もう夕方だから 眠られなかったら どうしよう 薫子: 私は平気よ 陽一君は 僕は 眠られなくなる 薫子: そうなの 高校の時は そんな事言ってなかったじゃないの 陽一: 高校の時も そうだったけど 薫子: 陽一君は 寡黙な人だと 思っていたわ 陽一: あの頃は こんなには話せなかった 恥ずかしかった 薫子: 恥ずかしくて 話さなかったんですか 知らなかったー 陽一: 席の順番を決める時に なるべく 薫子さんの近くになるように していたんだ 薫子: それは知ってた。 となりに来ても 何も話さないし なぜそんな風にするのかわからなかったけど 陽一: 薫子さんは 作法クラブでは 一番の人気者だから 近くにいたかった 薫子: そんな事ないでしょう。 一番は 美奈子さんでしょう。 二番は、、 陽一: いいえ 薫子さんは 一番です。 笑顔が一番ですもの 薫子さんは 一番です。 薫子: 私のようなものを ありがとうございます。 陽一は 少し黙った後 顔を赤くして 次の言葉を 言いました。
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陽一: 結婚を前提に おつきあい下さい。 、、、、、 、、、、、 薫子は驚きました。 その言葉に驚きもしました。 言葉に驚いたのですが その 上気した 顔で まじめな様子に 驚いてしまったのです。 どう答えて良いか わからなかったので 沈黙が続きました。 陽一: 困らしてしまったかな。 ごめんなさい。 薫子さんは 人気があるから 僕なんか ダメだよね。 薫子: そうじゃなくて 私に そんな事言ってくれた人 あなたが初めてです。 陽一: 困るようだったら 今まで通りの 友達でいたい 薫子: いや 陽一君の 気持ちよくわかったわ 私を大切に思ってくれて ありがとう おつきあいしましょう。 と言いながら 最高の 笑顔のアイコンタクトを 陽一にしました。 陽一は 思わず立ち上がって 深々と 頭を下げました。 周りの人は ふたりを 見ました。 ふたりは恥ずかしくなって 下を向いて 笑ってしまいました。
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それから 2週間に一回くらいの割合で デートしました。 お互いの家も 相互に訪れて 家族公認の 仲になるのも すぐでした。 陽一君が まだ大学生なので 具体的なことは 決めていませんでした。 陽一君の家族は 薫子のことをえらく気に入っていて 大喜びでした。 薫子は 陽一君が 段々と 好きになっていました。 親切だし 話しも面白いし 何より 薫子のことを 愛していると 考えたからです。 二十歳になったばかりですので もう少し 仕事に頑張りたいと 思っていたので 陽一君なら 大学を卒業してからですので それも 良いと思っていました。 登は 夏になると ボランティア活動に行くところもなく いつものように 怠惰に過ごしていました。 そんなある日 登の行っていた大学の隣の大学の掲示板を見ました。 仮設住宅を回る 医療班の ボランティアを募集するという チラシを見たのです。 医療に経験のない 登でしたが 何でも 興味を持つ 登ですので 深い考えもなく 応募したのです。 電話をして 現地集合でした。 重い機材を運ぶのが 登の仕事でした。 登は 大学のメンバーと 挨拶しました。 その中に 美奈子さんが いました。 美奈子さんは 薫子さんに教わった 笑顔のアイコンタクトを 登にしてみました。 大学のメンバーには ネタがばれているので 効果の程が 計れないからです。 笑顔のアイコンタクトをされた 登は 同じように 笑顔で 返しました。 その後 作業をして 汗をかきました。 登は 美奈子さんではなく 一緒に行っていた 他のメンバーに 医療について いろんなことを 聞いていました。 それを見ていた 美奈子さんは 「やっぱり ダメだわ」と つぶやきました。
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活動が終わったのは 3時前でした。 駅で別れようとした時 美奈子さんは 登に またまた 笑顔のアイコンタクトをして 話を始めました。 美奈子; お時間よろしいでしょうか 登: 僕のことですか 美奈子; お話ししたいことがあって 登: えっ 僕に何か なんか間違ったかな 同じ大学でないのですが 美奈子; 別にそんな事じゃなくて 登: どんな話ですか 美奈子; そんな深い話ではないのですが こんなところで 立ち話も何ですから あそこに見える 喫茶店でも 私が お金出しますし 登: ありがとうございます。 女性に お茶など 誘われたのは 初めてですので 喫茶店に付いていくことにしました。 登は 何か 期待していました。 喫茶店に着くと また 笑顔のアイコンタクトをして 話し始めました。
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美奈子; 私の友達に 薫子さんという 女性がいます。 私と 同級ですが 働いています。 笑顔が 凄いんです。 みんなの人気者なんです。 その秘密は 笑顔にあると思うんです。 私の笑顔は どうでしょうか 登: どうでしょうかと言われても 良いと思いますよ 美奈子; お世辞は良いです。 本当のことを 言って下さい。 美奈子さんを見て しばらく考えてから 登: それじゃ 言わせてもらいます。 美奈子さんの笑顔は 作り笑いです。 私にした笑顔は きっと 嘘です。 ある人から聞いた話によれば 笑顔は 口と目で 表します。 自然にでた笑顔は まず口に表れ もっと 笑顔が 大きい時は 目に現れます。 でも あなたの笑顔は 口と目が同時です。 それに 人間は 本質的に 違和感を感じるのです。 あなたの笑顔は 同時だったので 作り笑いです。 美奈子; 登さんって 凄いこと 知っているんですね。 感心します。 それじゃ 本心からでる笑顔に見えるように 口の次に 目を 笑うんですね。 登: それは 単なる 手法で そんなものではいけません。 本心からの 笑顔でないと 手法ばかり 磨いても すぐに 信頼を失います。 相手を 大切に思い 信頼すること もっと言えば 尊敬するような心が なくてはなりません。 美奈子; そうなんですか。 博学の 登さんを尊敬します。 登: 私を 尊敬して下さって ありがとうございます。 美奈子さんの 笑顔 とても 自然になっていますよ。 美奈子; そうですか。 登: 私のことが よくわかって 信頼しているからと思います。 美奈子; わかりました。 本当によくわかりました。 やっぱり 笑顔の基本は 心なんですね。 と美奈子さんは言いながら おもいっきりの笑顔を 登に投げかけました。 登は 心の中が ぞくっとする 感じがしました。
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登は 何かを感じましたが それが何かは すぐにはわかりませんでした。 ふたりは 電話番号を 交換して 別れました。 当時ふたりは 携帯電話を まだ持っていませんでしたので もちろん固定電話です。 美奈子さんは 形式的だと 思っていました。 家に帰って 美奈子さんは 鏡の前で 笑顔を 作ってみました。 「登さんの言っているように 作り笑いは 目と口が同時に笑うわ。 心の中から 笑うと 目が後から付いてくるわ 納得 納得 薫子さんは こんな風に 教えてくれなかったわ きっと 薫子さんは そんなこと知らないのだわ もう 考えることなしに 笑顔ができるのだわ 誰彼なしに 笑顔を 薫子さんは しているけど 彼女は すべての人を 信頼しているのだわ 私は そんなことが できないわ 人を見て 信じられる人と 信じられない人は きっといるわ 登さんは 信じられるけど 大学のメンバーのなかには 信じられない人も いるわよねー」と 独り言を言いました。
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笑顔について 本当のことを 教えてもらった 登を 博学で 尊敬できると思いましたが だからといって つきあおうなどとは 思っていませんでした。 一方登も 変なことを 聞いてきた 美奈子を 最初は 変な人と 思っていましたが 最後の笑顔が 気になって仕方がありません。 だからといって 聞いた電話番号に 電話をかけようとは 思いませんでした。 登は 高校までの ことがありますので 人間不信ですので 電話など自分からするはずは ありませんでした。 夏になると 父親は 前の家の敷地に 家を建て始めました。 隣の家が 倒れてきても 大丈夫なような 丈夫な家です。 プレコンと言って 前もって作った コンクリートの壁や床を 現場で組み立てていくのです。 組み立て始めると 完成するのは 早いのです。 家が バーッと 出来上がっていくのを 見て 父親は 大した者だと 登や 姉は 尊敬していました。 そんな中 登の姉は 教員採用試験に 合格して 夢の実現させていました。 登にも 「夢を持たなきゃダメ」と 言ってくれました。 登もそうだと思うけど いくら考えても 夢は 思い浮かびませんでした。
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夢が思いつかない登でしたが 勉強だけはしました。 頑張っていました。 薫子が 就職した 年に 薫子が生まれた家がある 一帯が 重要伝統的建物建造群 指定されていました。 薫子の家は 代々農家で 指定されたからと言って 何もしていませんでしたが 美奈子さんのお父さんの会社や 陽一君のおじいさんの会社は 観光事業や 土産事業に進出していました。 陽一君も おじいさんに 卒業したら 会社を 手伝うように 言われていました。 陽一君は それには 反発していて 会社に就職を目指していました。 就職超氷河期の 時代でしたから 陽一は 頑張っていました。 仕事が決まらなければ 薫子さんと 結婚できないと 思っていたからです。 薫子は 陽一との 結婚が ほぼ間違いないと言うことで 花嫁修業のため お茶やお花 そして 料理教室に通い始めました。 高校の作法クラブで 相当練習していたので 上達は 早かったです。 秋になると 登の家族の家が 出来上がり 引っ越しすることになりました。 付近は 潰れて 解体撤去され 何もないところに 一軒だけ 建っていました。 地震以後 初めての 新築と言うことで テレビ取材もある 引っ越しになりました。 登の父親は 地震保険に入っていたことを 強調していました。 新居は 快適ですが 付近には 誰も住んでいないので 夜帰る時は 登は少し怖がっていました。 姉は 母親に 駅まで 迎えに来てもらっていました。
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薫子は 会社では 人気者で 大忙しでした。 仕事が 庶務総務のようなことをしていたので 特に決められていない仕事は すべて 薫子がしていました。 入社式や 送別会に至るまで 幹事のようなこともしていました。 そのため 会社の中では 知らないものはないくらいの 人気者でした。 支店長も その 笑顔に 気が付いていて 春の人事異動で 異例の 窓口の係に 配置換えのなりました。 春から 慣れない 窓口係が 始まりました。 証券会社の 窓口係は いろんなことを 知っていないと 勤まりません。 笑顔だけでは 果たせません。 そのための 勉強をしました。 花嫁修業に 証券会社の仕事の勉強と 忙しい日々を過ごしていました。 そんな中 陽一君との デートは 今まで通りにしていました。 結婚が夢なのに 他のことで 夢を壊したくなかったからです。 陽一君は 3年生になると 専門の 経営学の勉強のために 留学が カリキュラムのなかに ありました。 7月から 来年の4月まで オーストラリアに 留学することになりました。 陽一君は 薫子との 別れの日 涙ぐんでいました。 薫子は とびっきりの 笑顔のアイコンタクトをして 見送りました。
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美奈子さんは 登に言われた 笑顔の 本質を 達成すべく 励んでいました。 医学部では 有名で 先生も 応援するような 流れになっていました。 そんなことで 美奈子さんは この大学では 有名人でした。 しかし ひとつだけ 気がかりのことがありました。 登君が 電話してこないのです。 「私のことを 無視するなんて」 と思いました。 なぜ電話してこないか 考えました。 答えなど出ません。 別に 登君に 興味を持っているわけでもないと 考えても 気になって仕方がありませんでした。 それで 隣の 登君の大学に 行ってみることにしました。 会えるわけもないと 思っていましたが 何度も何度も 大学の中を ウロウロしていたら 登君に会ってしまいました。 もちろん 美奈子さんは 偶然会ったことを 装いました。 登は 美奈子さんに再会して 心の中が 動揺しました。 しかし それを 表に見せず 平然と 美奈子さんと 話をしました。 美奈子は 負けず嫌いです。 もう 美奈子の方から 誘惑しました。 喫茶店に 誘ったのです。 それも強引に 誘いました。 登は 何か変と思いながら ついていきました。 こんな風にして 登と 美奈子は つきあい始めました。
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才色兼備の美奈子さんと 何となくパッとしない ひ弱な登のカップルは 一緒に歩いていると みんなの目には 奇異に見えました。 登の方が 美奈子さんに付いて行く というデートを していました。 薫子は 陽一君が 留学に行ってしまって ひとりでした。 しかし 毎日 話をしていました。 国際電話ではなく 当時としては 珍しい 電子メールです。 会社では メールが 普通にあったのですが 個人で インターネットするのは 珍しかったのです。 陽一君と メールをするため パソコンを買ったのです。 お給料ひと月分より 高いパソコンを買って ファックスモデムで 繋ぎました。 当時のパソコンですので そう簡単に 使えるようにはなりません。 1週間かかって やっと繋いで 陽一君とメールのやりとりを 始めました。 薫子は メールは ちょっと苦手です。 お得意の 笑顔のアイコンタクトはメールでは 使えません。 電話なら 何とか なるのですが 文章は 苦手です。 でも せっせ せっせと 毎日送りました。 陽一君も バンバン送ってきてくれました。 そんなに使っていると 月末には 電話代が びっくりするくらいに なっていました。 それで ケーブルテレビの インターネットに かえて 少しだけ楽になりました。
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薫子の子供の時からの 夢が お嫁さんになることでしたが 薫子は 近頃何か自分でもわからない 不安がありました。 なんだかわかりません。 仕事している時とか 勉強している時 家事をしている時などは 感じないのですが ひとりでお風呂に入っている時には 感じてしまいます。 その 疑問が 解けるのは 何気なく パソコンを見ていた時です。 メールの 受信箱と 送信済箱を 見ていた時の事でした。 メールのやりとりは 陽一君としか しませんので 陽一君から来たメールと 陽一君に送ったメールが あるだけなんです。 陽一君から来たメールは 「薫子さんに会えなくて 淋しい」 「薫子さんに早く会いたい」 「薫子さんが好きだ」 「生まれた時から 薫子さんを愛しているような気がする」 のような 文章が入っているのです。 薫子が 赤面するもっと 過激な文章もありました。 高校の時は 無口だったし 再会した時から 陽気になったけど こんなことは 言わなかったのに と思いました。 それに対して 薫子の送ったメールは いつも 定型です。 まず 「お元気ですか」 で始まり 陽一のメールを受けて 陽一の身辺伺い それから 薫子が今していること そして 「お体お大事に」で 終わります。 陽一君が好きだとか 愛しているとか言うような 文章は 薫子は 書いたことがありません。 これに気が付いて 薫子は 「私は 陽一君と結婚することになっているけど 陽一君が好きでないのではないか」と 思いました。 好きでない人と 結婚するなんて 陽一君にも 悪いことだと 思いました。 このことに気が付いてから メールを 送ることを しばらく止めていました。 陽一君には 「風邪でメールができません」とだけ 送っておきました。 そして 小学校の恩師に 相談することにしました。
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「私は 男の人を 愛せないのでしょうか」 と 先生に尋ねました。 先生は 薫子の実家の小学校から 陽一君が住んでいる小学校に 転勤していました。 陽一君の おじいさんは 地域の名士ですので 先生も 陽一君の おじいさんのことは よく知っていました。 先生は 事情をよく聞いてから 「とにかく おめでとう 陽一君を 薫子さんは 本当は 好きだと 思っているんじゃないの 嫌いな人とは 食事もしないし メールなんてしないと 思いますよ。 きっと心の 奥では 好きなんじゃないの 薫子さん自身では 気が付いていないだけで 心の奥の中では 好きではないのですか。 それに 結婚で 一番大事なことは 好きで 結婚するより 好かれて 結婚する方が 絶対に 幸せに成れます 結婚すればきっと そう思うから だって 私が そうだったんですよ。 うちの 主人は 未だに 私のことが 好きだと 言ってくれます。」と 答えてくれました。 先生の 体験談を 聞いて 納得しました。 陽一君は 高校一年生の時から 私が好きで 同じクラブの 作法クラブに入ってきたくらいだし 本当に いい人だし 両方の家族は 大賛成で 応援してくれてるし 経済的にも 問題がないし そう考えると なんだか 気が楽になって 陽一君を 見直して なんだか 好きになってしまいました。 メールに そんなことを 書いてみようと 思いました。
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薫子は 実家にもよらずの 丹波口のアパートに 帰りました。 遠くから アパートを見ていると 誰かが アパートの前に立っています。 見たような 姿です。 相手も気が付いたのか こちらに向かって 走ってきました。 陽一君でした。 陽一: 薫子さん大丈夫ですか。 薫子: 大丈夫です。 陽一: 病院へ行っていたんですか 薫子: いいえそうではありませんが 陽一君は なぜここにいるの 陽一: 薫子さんが心配なので 帰って来たんだ 薫子: ありがとう そんなに私のことを 心配しているのですね。 ありがとうございます。 本当のことを言います そう言って 薫子は 陽一君を お部屋に 入れて コーヒーを出しました。 陽一: 薫子さんの お部屋って 綺麗に 整頓されているんですね。 そう言った 陽一君に メールのこと 病気は嘘であること 今日は 恩師に聞いて来たことを 話しました。 そして こう言いました。 薫子: 陽一君には どのように わびていいかわかりません。 ごめんなさい こんなに心配してくれている 陽一君を だますようなことをして 陽一: 良いんです。 病気でなかったら 良いですよ 全快祝いを しましょうよ 食べに行きましょう 薫子: お詫びに 私が 作ります。 お口に合うかどうかわかりませんが 料理学校で習った 料理を作ってみます。 少し待ってて下さい。 陽一: いつまでも 待ちます 薫子さんの お部屋で待つなら いつまででも 一生でも良いですよ。 ふたりは 仲良く 話しながら 料理を 作り始めました。
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料理出来栄えは 陽一君に言わせれば 最高です。 薫子は 普通だと思っていましたが 陽一君が そんなに評価するなら 「まあいいか」と 思っていました。 夜7時になったので 陽一君は 慌てたように 丹波の家に 帰って行きました。 「泊まったら」と 言いそうになったのですが 恥ずかしくて 薫子は 言えませんでした。 そんな事があってから メールに 力を入れるようになりました。 登と美奈子の仲は 相変わらずとでした。 美奈子に登が付いて行くという仲は 変わりません。 美奈子は 少し なんだかうんざり気味でした。 登が 良い人だと思っては今したが 「シャッキ」としていないのが 気に入らなかったのです。 登は デートの時は 前もってした見に行って 予定を組んで のぞむのです。 登が 美山の重要伝統的建物建造群を 散策に行く デートを 企画して 実行しました。 薫子さんの実家のある一帯です。 美奈子さんは 美山の近くですので いつも見ていますが 詳しく見たことが なかったので 興味深く ふたりで 回りました。 近くの レストランで 食事の計画になっていて 入りました。 そしたら 美奈子さんを 呼ぶ声がしました。 そのレストランは 美奈子の父親がオーナーで たまたま レストランに 見に来ていたのです。 登が紹介され 昼間ですが ビールを 進められました。 しかし 登は ビールをはじめ アルコールの類は 嫌いなので 飲みません。 「飲みません」と言ったら 父親は 急に 不機嫌になりました。
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登の親は アルコールを飲みませんので 飲まないのが当たり前だと 思っていました。 一方 美奈子さんの親は お酒が 代々好きな家系で 酒を飲まない男なんて ダメだと 決めつけていました。 美奈子さんも そんな風に思っていました。 その場は 収まったのですが 次の デートがやって来ました。 登は 前の失敗があるので 今度は 美奈子さんの家族が 来ないだろうと考える テーマパークに しました。 例によって 下見に行って 予約の仕方や 並び方 などを研究した後 デートを 始めました。 凄く暑い日でした。 並んで待っている時 暑いので 優は 研究したように ソフトクリームを 買いに行きました。 そして 美奈子さんに差し出した時 美奈子さんの 表情が 変わりました。 「なぜ 登君は そんなんですか」と言って その場から 帰ってしまいました。 登は その場に残されて なんだかわかりませんでした。 美奈子は 優しい登よりも もっと 自分を 引っ張っていってくれるような 強い男の人が 欲しかったのです。 登は その後 二度 電話と メールをしましたが 繋がりませんでした。 諦めました。 美奈子さんは 三度電話があったら 謝って 許してもらおうと 思っていたのですが 終わってしまいました。 美奈子さんは それで よかったと その時は 思いました。 登は 前にも増して 人間不信になりました。
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陽一君が 日本に帰って来ました。 薫子は 陽一君のお父さんと 車で 空港まで迎えに行きました。 懐かしくて 陽一君が帰ってきて 良かったと思いました。 陽一君は 帰ってくると すぐに就職活動を始めました。 何が何でも 就職するのだと 陽一君は 頑張っていました。 第一志望は 薫子の勤めている 証券会社でした。 薫子の その証券会社を 陽一君は調べていました。 陽一君が 先輩の話などで いろいろ調べると どうも その証券会社は 粉飾決算をしているらしいのです。 一任勘定といって 損失補填をしているらしいのです。 そんなことがながく続くわけもないので 陽一君は そちらへの就職を止め 最大手の 証券会社に 第一志望を 変更して 活動することにしました。 薫子には そのことは 言いませんでした。 あくまで 推測なので 言わなかったのです。 登は ただただ 結婚するまで その証券会社が 潰れないことだけを 願いました。 薫子は そんなことは わかりません。 お客様は多かったし 取引額も 薫子の支店では 伸びていたからです。 薫子には 全社的な 状況がわかりませんでした。 噂も 流れてきませんでした。 薫子は 相変わらず 笑顔のアイコンタクトで 頑張っていました。 支店では 前にも増して 人気者で この支店では 倒産するなど 全くその気配はありませんでした。 登は 3年生の終わりになると 進路が 悩み事になります。 将来何になりたいか 全く 考えていなかったのです。
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特に何もやりたいわけでもなく 憧れるようなものもなく 特技のようなものもない 登には 夢はありませんでした。 姉との対比で 父親には よく言われていました。 そのことで よけいに 「夢など持たない」と 考えていました。 でも 就職もせず 「プー太郎」を決め込めるわけでもなく どこかに就職することが 必要だとは 考えていました。 就職するために 会社まわりや 履歴書作り 会社訪問 面接など 苦手でした。 そこで そんなことを すこしは少なくなる 公務員に応募することにしました。 超氷河期の 就職ですので 公務員は 狭き門です。 それに 農学部出身ですので 採用するほうも 少ないのです。 調べると 京都府が 農業指導員を 採用する枠が あることがわかりました。 採用試験の 6月に向けて 勉強を 始めました。 人間には 苦手ですが 勉強は 得意だと 登自身は 考えていました。 成績は 学年一で 自信があったのです。 美奈子さんとも別れ 勉強しかない 登は 勉強に励みました。 あとになって 登自身が 気が付くのですが 登は 試験の運だけが きわめて良いのです。 試験になると わかる問題だけが 出てきて 良い点を 取れるし それ以上に 問題の答えが 全くわからなくても 問題の趣旨とか 背景とか 前後の兼ね合いとかで 正答を得る 動物のような勘を 登は持っていたのです。
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登は 正月も何処にも行かず 勉強をしていました。 もちろん 勉強していなくても 登には 行くところなど無かったのですから きっと 勉強くらいしか していなかったでしょう。 登が 正月に 勉強していた頃 薫子は ゆっくりと 実家で 過ごしていました。 年末の 繁忙期が 終わって くつろいでいたのです。 葺き替えたばかりの 茅葺きの 大きな家で ゆっくりと 癒されていました。 古い お風呂に入りながら これまでのことを 考えました。 小さな古い窓から 星が輝いているのが 見えました。 見かけは古いですが スイッチひとつで 追い焚きもできるので 誰も 湯加減を 聞きに来てくれません。 静かなお風呂で 笑顔のアイコンタクトと 初めてであった小学校のことが 昨日のように 思い出されました。 なぜか 涙が出てきました。 本当に 笑顔のアイコンタクトを あの時 教えてもらわなかったら きっと 今の自分はないと思いました。 陽一君にも出会っていないだろうし 証券会社にも勤めていないだろう もちろん 結婚なんて まだまだだろうと 思いました。 これからも 何があっても 笑顔のアイコンタクトで 突き進もうと 思いました。
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お風呂場の 窓を開けていたら 冷えてしまいました。 追い焚きをして 肩まで浸かって ぬくもりました。 「丹波口の アパートなら 窓を開けて お風呂に入ることなどできないし 窓を開けても 隣の アパートが見えるだけで 意味もないし やはり ここはいいな~ そうだわ 陽一君と結婚したら お風呂の窓を 開けて入れるような 家に住めたら いいなー 新しい夢にしようかな ちょっと 贅沢かな」 と考えながら うなじを 洗って お風呂を 上がりました。 薫子の おばあさんが いつも言っている 「1月は行く 2月は逃げる 3月は去る」のように すぐに 繁忙期の 3月が終わって 「死ぬ程長い4月」が 来ました。 4月のある日 陽一君から 電話がありました。 いつもなら 「薫子さん お元気ですか」から始まり 「次の日曜日 デートに」という 言葉が 続くのですが その日は 違いました。 いきなり 「内定をもらいました。 薫子さん 結婚して下さい」と 電話機で 言ってきたのです。 「そんなこと 電話で言うことじゃないわ」と 思いながら そんなに 結婚したいもんだから 電話で 言ってきたんだろうと 思い直して すぐに 「ありがとう 結婚できたら 幸せです」と 答えました。 こうして 陽一君と 正式に 薫子は 婚約しました。
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電話での 婚約は 問題だと 陽一君も 考えました。 それで 電話を終えたと同時に 薫子の アパートに向かいました。 午後8時頃に 花束を持って 薫子の前に 現れました。 花はバラです。 「もう一度 言わせて下さい。 私と結婚して下さい。」 と 陽一君は言いました。 薫子は 「喜んで おうけします。」と 答えました。 ふたりは 笑顔で 見つめ合い そして 抱き合いました。 その日は 薫子が 料理を作って ふたりで 楽しく食事をして そして 楽しくふたりで 朝まで 話していました。 翌朝 眠たそうな目で ふたりは食事をして 会社と学校に行きました。 登は 薫子の婚約が決まってから 1ヶ月後 公務員試験を 受けることになりました。 いつものように 朝 しっかりと 肉を食べてから 試験場に向かいました。 試験は 難しいと覚悟をしていましたが それが 凄く簡単だったのです。 なぜか変と 考えて 裏があるのかとも 思いました。 でも 登には 簡単に感じたのです。 2週間後 面接試験の通知が来ました。 筆記試験が 簡単だったので 面接試験が 難しいのではないかと 思いました。 面接と言いながら 口頭試問かもしれないと おもって のぞみました。 人と話すのが 最も 苦手な 登ですので 真っ赤に 上気して 面接官の前に 座りました。 面接は 一般的な 質問だけで 助かりました。 終わって 部屋を出た瞬間 転びそうになりました。
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部屋を出て ホッとしました。 簡単に 終わって良かったと 思いましたが こんなに簡単に終わって 問題ないのだろうかと 考えました。 筆記試験の 受験生は 多かったように思いました。 たぶん 何十人いたかと 思うのですが 面接の試験は 数人のようです。 それも 受験番号から見て 他の求人のようにも 思われます。 どうなんだろうと 考えつつ 1週間待ちました。 そして 茶封筒で 結果が 来ました。 「採用者名簿に記載した」という 知らせです。 説明書きが付いていて 11月頃 主務官庁から採用の 知らせがあると 書いてありました。 登は 親と 喜びました。 内定祝いを しました。 登の母親が 赤飯を炊いて 小さいですが 鯛を焼きました。 両親と 登が はしゃいでいると 姉が ひと言 「登は 本当にそれで良いの」と 聞いてきました。 登は 負け惜しみもあったのかもしれませんが 「夢を仕事にできる人は 限られた人だけで できない人の方が多い 仕事以外で 夢を持てば良いんだ」と 答えました。 姉は それ以上追求はしませんでしたが もっと言いたかったようでした。 登は 言葉にないその追求が 頭の中に残りました。 登の頭の中には 「夢夢夢夢夢夢」という 漢字が 列をんしていました。
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夢を持てと言われても 人間不信の 登にとっては 人と関わるような 夢は NGだし 体力やお金がない 登だから スポーツなども NGだと思いました。 根気強くない登だから ジグソーパズルなどのような 時間を要するものは NGです。 お金がかからない 体力がいらない 時間を要さないような 夢は ないものだろうかと 思いました。 登は 仕方がないので 卒論でも 力に入れようと思いました。 卒論の 担当教授は 農学史の先生なので 「北丹波における農家についての研究」という テーマです。 要は 美山町の 茅葺き農家が どのようにして 成立したかということを 研究することにあります。 勉強は好きではありませんが 暇つぶしには 充分になります。 勉強ではなく 推理というように考えると 楽しくなります。 研究のために 美山町へは 何度も行きました。 薫子が生まれた 家にも行きました。 家の中を 測ったりもしました。 薫子の部屋にも入って その寸法を測り 写真にも撮りました。 数十軒の 茅葺き農家を 調べて 図面にして 調書を作りました。 新しいことも わかったと 担当教授は 言ってくれました。 薫子が そんな登が訪れて 測ったことを知ったのは 正月の頃でした。
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薫子は 正月を いつものように 実家でゆっくりと過ごしました。 しかし 今年の正月が 独身最後の正月です。 父親や 母親に 直接 親孝行する機会は 今年限りと 思いました。 正月は あちらこちらに 一緒に行きました。 正月の3日には 陽一君が来て 中身のある宴になりました。 5日には 陽一君の家に 両親とよばれて こちらは 凄い宴になりました。 陽一君の 両親や おじいさんは 薫子を 大変気に入っていて 話をするのは 薫子ばかりです。 陽一君は ゆっくり 薫子さんと話せませんでした。 話したいことがあったのですが またの機会と言うことに なりました。 陽一君の 話したい内容は 薫子が聞かなくても 6日のに 会社に出社した時に わかりました。 薫子が勤めている 証券会社が 倒産したのです。 損失飛ばしが 表面化した どうしようもなくなり 破産いてしまったのです。 薫子は 押し寄せる お客様に 事情もわからないのに 説明する役になってしまいました。 「あなたがいるから お金を預けたのに」という お客様までいて いつもの笑顔は 封じて 対応しました。 2週間以上 晩遅くまで 会社に残って 残務整理をしました。 1月の 終わりになると 仕事は ほとんどなくなり お客様が来店することも ほとんどありません。 2月3日には 結婚式で 1月末で 退職する 退職願を年末に出していました。 予定通り 退社にはなりましたが お祝いなどもなく 残ったみんなも その後 全員退社となります。 陽一君は 慰めてくれましたが 何か 後味の悪い 会社勤めの 終わりでした。
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有終の美の 正反対の 退社とは 真逆の 結婚式です。 陽一君の おじいさんは 地域の名士ですの 盛大な 結婚式でした。 新郎の数に会わせるため 薫子の遠縁の親戚や 小学校中学校高校の友達も 大勢よびました。 美奈子さんもよびましたが 大学の試験があるというので 来られませんでした。 披露宴は 国会議員の挨拶で始まり 肩書きがご立派な人の オンパレードです。 薫子は お色直しを 全くせず みんなの 話を聞いていました。 宴も終わりになって 薫子の友達が 演壇に上がりました。 小学校中学校と一番の仲良しの 友達が5人出てきました。 マイクを持った 友達が インタビューしていくという 設定です。 新郎も 参加させられて 始まりました。 司会者: それでは始めます。 新婦薫子の一番の魅力は何ですか 友達A: 笑顔です 友達B: もちろん笑顔です 友達C: 私も笑顔だと思います。 友達D: 薫子さんの笑顔は最高です。 司会者: 皆さん 笑顔を上げておられますね それでは 新郎の方には 笑顔以外の 魅力を話して下さい。 陽一: えー 笑顔だと思いましたが 他にと言われたら 全部です。 司会者: 新郎は 新婦の全部が 魅力的だとおっしゃっているみたいです。 会場爆笑 薫子は下を向いてしまいました。 司会者: それでは 薫子さんの 笑顔の秘密を知っている方は 手を挙げて下さい。 陽一君以外は 全員手を挙げました。
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司会者: 新郎以外は ご存じですね。 新婦の薫子さんは 陽一君に 話さなかったのでしょうか。 さて話しても良いのでしょうか。 新婦の薫子さんに聞いてみましょう。 マイクを持って行って 薫子: 特に秘密というわけではなく 話さなかったと言うだけのことです。 話しても良いですよ。 司会者: 新郎にも聞いてみましょう 陽一: 笑顔に秘密があったのですか。 知りたいです。 司会者: 新郎も知りたいみたいですね。 それでは その美味しい役は 私が話しましょう。 それは 今から 11年前のことです。 田舎の小学校に 警察官が 横断歩道の渡り方を教える 交通指導に来ました。 その警察官が 車が停まっても 横断歩道を渡る時は 必ず 運転者とアイコンタクトを 撮ることが必要だと 教えました。 そのとき 笑顔なら もっと良いと 言ったんです。 そして その警察官は 見本として 薫子さんに 笑顔のアイコンタクトを 送ったんです。 警察官が 送ったアイコンタクトの 内容がわかりますかと言ったんですが 薫子さんは 「わかりました」と 答えたんです。 でも 薫子さんは 本当はわからなかったそうです。 そのあと 小学校では 笑顔のアイコンタクトがはやって 特に 薫子さんは その 笑顔のアイコンタクトが すばらしかったんです。 中学生になったら もっと極めたみたいです。 それから 2年前に 友達の家を 訪れた時 その家の 隣の人が その警察官の家で たまたまあってしまいました。 それで ズーッと知りたかった あの日の アイコンタクトを聞いてみました。
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その警察官は その時のことを 良く覚えていて 話してくれました。 そして アイコンタクトと一緒に 送ったメッセージは 「君はこの小学校の中で一番賢くて可愛い」だったそうです。 薫子さん そうだったんですが そんな風に思えましたか 薫子: そんなことわかりません。 だって アイコンタクトは 一瞬だったのに そんな長い言葉を 話していたなんて わかりません。 会場大爆笑です。 司会者: 新郎にも聞いてみましょう 薫子さんに いつも アイコンタクトで 言葉を贈っていらっしゃいますでしょうか。 陽一: 笑顔にそんな意味があったとは 知りませんでした。 いつも 心の中では 「好きだ」と 思っていますが アイコンタクトで それを送ったことなど ありません。 司会者: それでは送ってもらいましょう。 笑顔のアイコンタクトで 陽一: わかりました。 ふたりは立って見つめあって 陽一は 薫子さんに笑顔のアイコンタクトの アイコンタクトをしました。 薫子も 陽一君に とびっきりの 笑顔のアイコンタクトで 返しました。 会場は 笑顔と拍手に包まれて めでたくお開きとなりました。 薫子が 結婚式をしていた時 登は 論文の 発表をしていました。 美山町の 茅葺きの民家の 成立と農業との関係について それはそれは長い 卒論の発表です。 スライドで 作られていました。 大学の教官が ズーッと並び 難しい顔で こちらを見ていました。 人間嫌いで あがり症の 登には 酷でした。
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卒論の発表会は 登が心配していたのとは 裏腹に うまく終わりました。 今までの中で 一番大きな 舞台だったのに こんなにすんなりいくなんて ちょっとおかしいのではないか とまで思ってしまいました。 夢ではないかと 思いました。 ほんの少しだけ 自信が付きました。 やはり 用意が肝心と 思いました。 薫子の生家についても 詳しく発表して 茅葺き住宅では 一番原形をとどめていて 価値あるものだと 結論付けていました。 後日 この卒論は 担当教授が 学会で発表して 地域や 京都市・南丹市の知ることとなり 薫子の生家の前には その具体的にそれらのことを書いた 説明書きの 立派な 看板が掲げられました。 観光客は その看板の前で 写真を撮ったり 生家を遠くから見たりしていました。 中には 庭の中まで 入ってくる輩が出て 「関係者以外立ち入り厳禁」の 看板が 市役所によって 立てられました。 薫子は その看板が 登の卒論が 原因だと言うことを その時は 知るよしもなく 陽一君と 新婚生活をしていまい下。 陽一君が 大学を卒業するまでは 陽一君の 実家の離れで 暮らしていました。 証券会社に 入社すると 初任地の 和歌山に 暮らし始めました。
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新婚の薫子たちが 和歌山の街の中で 仲良く生活している時 登は 京都の丹後の 農業改良普及センターに 任官されました。 大学出たばかりの 登に 教えられるようなことがあるわけでもないので 資料整理とか 準備のような 仕事が 最初の仕事です。 とても 阪神からは 通えないので 官舎に住みました。 上司や 先輩たちからは 小中高のように いじめられることはなかったのですが 新人の登には 指導が熱心でした。 登は その指導に応えて よく勉強しました。 農業について 大学時代から 全く興味がなかったのですが 先輩や 上司にのせられて 勉強するしかありませんでした。 丹後で 他にすることもないので 仕事が閑な時や 休みの時も せっせせっせと 勉強しました。 勉強の成果が すぐに上がることもありませんので 数年間は それがつづきます。 薫子の和歌山での 新婚生活は 夢に描いたのと 全く同じでした。 朝 暗いうちから起きて 朝食の用意 お弁当の用意 かどはきを終えて 陽一君を起こして 一緒に食べてから 出勤を姿が見えなくなるまで 見送りました。
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ゴミの日は 陽一君が ゴミを持って出ようとしますが 薫子は それはさせません。 主婦として 薫子がしたいのです。 昼まで 掃除洗濯買い物をすませます。 昼ご飯を残り物ですませ 午後は 夕ご飯とお弁当の献立を考えから 始めます。 そして夕ご飯の準備です。 夕餉の支度を すますと 定時に帰ってきます。 証券会社は 忙しいので 残業もあるかと思いますが 陽一君は 定時に帰ってきます。 薫子も 証券会社に勤めていたことが あったので よくわかっているのですが 早く帰ってくる理由は わかりませんでした。 住むのは初めての 和歌山でも 薫子は いつものように 笑顔のアイコンタクトで まわりの人に 接していました。 ゴミ出しの時に 近所のご主人たちと 買い物で スーパーマーケットで 奥様方と 仲良くなりました。 特に奥様方とは 仲良くなりました。 お昼のランチの 誘われたりしましたが 薫子は 何かと理由を付けて 一緒には行きませんでした。 陽一君が 仕事をしている時に 遊びに行くことなど 良くないことだと 考えていたからです。 休みの日は 陽一君と 一緒にいたいので 他の奥様方の 誘いには のらなかったのです。 それで 近所の方からは 人気はあったけど 少し 変わった女性と 思われてしまいました。
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3年経っても 薫子と陽一君とは 新婚気分でした。 まだまだ 25才ですし 子供がなかったからかもしれません。 春になると 陽一君に 転勤の辞令が来ました。 今度は 広島です。 薫子は また新しいところに 陽一君と一緒に行けると 喜んでいました。 広島の新し家は 海の見えるマンションでした。 薫子が 以前 結婚の次の夢に 海の見える家と 言っていたのを 陽一君が 覚えていたのです。 瀬戸内海の 穏やかな海が見える 3階に 薫子は 大喜びでした。 それを見ていた 陽一君も 嬉しそうに見えます。 満面の笑みで ふたりは 見つめあいました。 登は 3年経って 農業改良員としての 知識もでき 充実した 仕事をしていました。 今までの 人間不信というのは ないようだと 家族のみんなは 見ていました。 そのころ 登の父親は 勤めていた 医療機器の会社を 辞めて 自分で会社を作りました。 医療機器を お医者さんに販売する会社です。 医療機関が こぞって 新しい医療機器を購入して 競争力を高めようとする時期だったので 相当の利益が 上がりました。 登にも 会社に来ないかと 父親は 言っていましたが 何となく 農業のことが好きになっていた時期だったので 断りました。
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登の 姉が 春に 結婚して 次は 登の番と 両親は 勧めてきました。 「良い人はいないのか」と 聞いてきました。 実際のところ 登は 好きな人はいません。 過去には 小学生の時と 中学生の時に 片思いした同級生と 大学生の時 ボランティア活動で知り合った 美奈子さんくらいです。 美奈子さんとは おつきあいしたけど 理由もなく 別れてしまいました。 なぜ別れたのか 今でも 分かりませんでした。 そんなこともあって 人間不信です。 結婚なんて 辟易していました。 私の良さを 理解できる人間なんて いないとまで 思っていました。 広島でも 薫子は 近所の方と すぐに仲良くなりました。 いろんな話をして 子供ができないという話になりました。 近所の人の話では 仲が良すぎると 子供ができないというのです。 薫子と陽一君が 仲がよいのは 知れ渡っていたので そんな風に 言われたのでしょう。 薫子は 少し赤くなりましたが そんなこともあるかと 考えてしまいました。 しかし 仲悪くするのは そんなことは できないので 当時はやっていた 「都市伝説」と 思うことにしました。
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それから また3年が経ちました。 2003年になって 薫子は 28才になってしまいました。 テレビで 女性の社会参加が 話題になっていました。 陽一と テレビを見ていた時 そのような番組をしていて 見終わったのち 陽一君は 「薫子さんは 主婦になったことを 後悔していませんか。 高校では 私より 優秀で 私の憧れの的でした。 薫子さんと 同じ大学に行くために 勉強していたようなものです。 でも 就職してしまったので 同じ 証券会社に入ろうと 頑張ったんですよ。 でも 会社が 期せずして 倒産してしまって 仕事を続けるとかどうか 聞けなかったのです。 やっぱり 仕事を 続けたかったんじゃないのですか」 と 尋ねてきました。 薫子は そのようなことを 考えたことがなかったので どのような応えようかと 考えたあげく 「私の夢は お嫁さんになること 陽一さんの お嫁さんになって 嬉しいです。 仕事を 続けたかったかどうか 考えたことがありません。」 と答えました。 薫子は このあと 仕事を続けるべきだったかどうか 専業主婦が良かったかどうか ズーッと 考えることになります。 専業主婦は 他人からは 簡単なようにうつるかもしれませんが これを まともにやったら 大変だと いつも思っていました。
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登は 28才になっても 丹後の 農業改良普及センターに 勤めていました。 官舎とセンターを 毎日往復する毎日です。 時々 研修で 東京や 京都市に行くことがありますが 休みの日は 海の見える高台で ゆっくり過ごしていました。 そんな時 父親の 訃報が やって来ました。 突然の死です。 何の前触れもなく 父親は 急逝してしまいました。 父親が 社長をしていた会社は 社員が 5人もいる 超優良企業に 成長していましたが 社長不在となってしまいました。 母親が とりあえず 社長になっていましたが 母親は 登に 社長を 継ぐように 言ってきたのです。 でも 登には そんな大役 勤まらないと思っていました。 医療機器など 門外漢です。 3月になると 所長からよばれて 移動を 命じられます。 農業改良員が 減員になるので 一番若い 登が 一般職に 移動するように言われたのです。 農業に 深く興味があったのに 唐突な その 辞令に 迷いました。 迷いに 迷ったあげく 公務員を辞めて 会社を継ぐことにしました。
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登は 心の中では 少しはできると 思っていましたが 全く社長業は できませんでした。 まず言葉が分かりません。 専門用語が目白押しで 相当の 知識が必要です。 知識なら 勉強で何とか フォローするのですか 他にも問題があります。 飛び込み営業を こなさなくては ならないのです。 人間不信の 登には 高いハードルです。 でも 選んでしまったからには 何とかしなくてはなりません。 創業時からの 従業員の後を着いていって 見よう見まねで 頑張ってみました。 全然できませんでしたが 熱意だけは 相手に伝わったようです。 そんな中 飛び込み営業のセミナーを 受けることにしました。 セミナーの講師は 「飛び込み営業の時 相手は 数秒でセールスマンが 信頼できる人間かどうか 判断する」と 言いました。 同じようなことを 登は 美奈子さんに 言ったことを 思い出しました。 ボランティア活動の時に 知り合った美奈子さんが 笑顔について 聞いてきた時 そのようなことを 言った覚えがあります。 講師の お話を聞くまでもなく やはり 笑顔が 大事だと 思いました。 登自身 相手に 笑顔を意識して 接したことがないことに 気が付きました。 これからは 笑顔で 接しようと思いました。
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理屈がわかったからと言って 人と うまく接することができることなど ありません。 薫子が 何年も かかって 体得したその笑顔のアイコンタクトを 一朝一夕に 登が 会得できるまでもありません。 登は 笑顔の本質を 知れば知る程 その奥深さに 驚くのでした。 登が社長になっていた頃 薫子は また転勤になりました。 今度は 阪神支店です。 薫子は 実家に近いので 喜びました。 転勤が決まった日 薫子は 少し気分が悪くなっていました。 陽一は 大変心配して 翌日 病院に行ったところ ふたりを 驚かせる結果を 聞くことになります。 薫子が 妊娠していることが わかったのです。 ふたりは 大喜びです。 家族のみんなから 祝福されました。 薫子が 妊娠したことがわかったので 今度の 新しい家は 坂のない 一階で 近所に 産婦人科があるハイツが 選ばれました。 薫子は 陽一君の 気持ちがわかって 嬉しくなりました。