ロフト付きはおもしろい

ロフト大好きの68歳の老人の日記です

熊本地震の教訓

昨日
飛行機で
熊本に行って来ました。

小さめの飛行機でしたが
天気安定していて
快適なフライトでした。

途中
天気だったので
地上の様子が
見えました。

明石大橋

それに
伊方原発が見えました。

細い半島の中程に
伊方原発があって
万が一事故があって
そんな時に海がシケていたら
岬の方の人は
避難できないとおもいました。

熊本空港に着くと
クマモンが
いました。

空港に
「板」のクマモンがいました。

そこで
記念撮影を

写真はここまでです。


被災建物などを
写真には
一枚も撮っていません。

被災建物には
所有者がおられるので
所有者の許可なしでは
勝手に撮影することは
よくないと考えての事です。

それに
二十余年前私たちが被災したとき
写真を
撮っている方に
違和感がありました。

以下写真はないので
熊本に被災状況について
定性的な
言葉で説明します。

震度7を記録した
益樹町総領南地区を
3時間あまり
掛けて見回りました。

地元の
被災された方には
ご迷惑をおかけしたかも知れません。

始めに
その地区で
亡くなられた方も
おいでになる様で
ご冥福をお祈り致します。

建築にたずさわるものとして
建築物が
人命を奪う凶器となったことを
深くお詫び申し上げます。

すべての建築にたずさわる人達が
早急に熊本に行かれて
その惨状を目の当たりにされ
そのようなことが
二度と起きないように
学習して下さるように
お願い申し上げる次第でございます。

______________________________

結論から言うと
次の11点がわかりました。
1.総領南地区は扇状地です。
2.小河川の河川敷であったところでもある。
3.地震で地盤が15cm移動したところもあり被害大きい。
4.古い建物が多い
5.風呂周りで腐っている部分が崩壊している
6.開口部多い建物に被害あり
7.潰れていない建物は窓が小さい
8.殆どの家は瓦葺き
9.昭和30年以降の建物は筋交いが貧弱
10.古くても(旧耐震基準)鉄骨造・鉄筋コンクリート造では被害がない
11.明らかに強度が不足する建物があった
12.外壁・内壁が貧弱

1.総領地区は扇状地です。
2.秋津川は以前はもっと北側にあって総領南地区の中央を流れていたかも知れず
小河川の河川敷であったところでもある。
「総領南地区は地盤が悪い」


益樹町総領南地区について
明治の終わりの地図から
次のことがわかります。

地区の
南側を流れる
秋津川は
現在は
支流になっていますが
河川改修が行われるまでは
本流でした。

総領地区の
北側は
緩やかに高くなっていて
多数の
小河川が
秋津川に流れ込んでいました。

現在も
小河川は
暗渠になっているものも多いですが
水量も多いです。

地理的には
総領地区は
扇状地だったように見受けられます。

今も秋津川は扇状地の先端付近ながれていますが
北側の高地から流れ込む土砂によって
氾濫を繰り返し徐々に南側に移動していったのではないかと
推測しております。

総領南地区の中央には
江戸時代初めの頃は
秋津川が流れていたのではないかとおもいます。


3.地震で地盤が15cm移動したところもあり被害大きい。

地震で
相当
地盤が
動いていることが
推察されました。

道路の舗装が
グシャグシャです。

舗装が
縁石に被さるように
なっていて
それが
15cmくらい重なっている所も見受けられます。

たぶん道路横の
宅地のすべてが
15cmほど
ずれてきているのではないかと思います。

別なところでは
全く潰れていない
3軒並ぶ住宅では
全体に
少し傾斜のある低い方へ
10cmは
移動しているように
見受けられました。

そんな移動する
地盤に
建っている建物は
相当堅固でないと
その形を
保持できません。

4.古い建物が多い

建っている
家の建築年代はわかりませんが
倉庫の建築様式から
昭和の初め以前のものと
推察されます。

5.風呂周りで腐っている部分が崩壊している

バスユニットが一般的でなかった昭和50年頃までの住宅は
風呂周りが常に水がかかりますの木部は腐りやすくなります。

腐ると耐力はなくなり風呂場だけが
崩壊した家屋が散見されました。

6.開口部多い
7.潰れていない建物は窓が小さい

エアコンがなかった頃は
家は夏向きに作る必要があり
当然の如く窓は大きくなります。
開口部が多いと言うことは
水平耐力が不足します。

近年エアコンが普及し
各人のプライバシーが重要視されるようになると
窓が小さい家が増えてきています。

総領南地区でも
全く被害のない家は窓が小さい家でした。

8.殆ど瓦葺き

瓦葺きは
1m2当たり100Kg程度の重さがあります。

建築面積が100m2(約30坪)ほどの家でも
軒先をいれると10tを軽く越える重さがあります。

台風の時は利点となっても
そんな重いものを
建物の一番上に載せていることは
地震の時は大変不安定です。

建物の被害がなくても
瓦屋根だけが
ずれてしまうこともあるので
瓦屋根にする場合は
十分に注意する必要があります。

蛇足ですが
関東大震災以降
東京では
屋根は瓦葺きでないのが
当然のようになっていました。

9.昭和30年以降の建物は筋交いが貧弱

建築基準法が
昭和25年に作られるまで一般的には
筋交いと言う概念は
なかったのです。

昭和30年以前の建物には
筋交いはありません。

耐震要素は
頑丈な小舞下地と塗り壁
それに貫や梁との堅固な接合です。

実際そのように作られると推察される
建物には
被害がありません。

昭和30年以降は
細い柱と大きな開口部
壁は
小巾板とラスモルタル
室内は薄いボード張り
それと形ばかりの筋交いになってしまいました。

それでいて屋根は重い瓦葺き
耐震的には極めて弱くなってしまいました。

10.古くても(旧耐震基準)鉄骨造・鉄筋コンクリート造では被害がない

阪神淡路大震災のときには
多数の鉄骨造・鉄筋コンクリート造の建物が潰れた所を
目の当たりに見ました。

今回の熊本地震では
幸いにも見かけませんでした。

益樹町総領南地区では
古い鉄筋コンクリート造と新しい鉄筋コンクリート造がありましたが
いずれも
全くの被害がありませんでした。
建物として良好な設計がされていたと推察されます。

新聞では
新耐震基準の建物にも被害があったと
報道されていますが
これは推察ですが
たぶん
新耐震基準を満足していなかったのではないかと
私は考えております。

11.明らかに強度が不足する建物があった。

今回の調査は
万全ではありません。

全く形もなく崩壊している建物は
以前の構造を推察できません。

半壊程度でないと
潰れた原因を推し量ることが出来ません。

そのような中で
次の2例の明らかな間違い例を見付けました。
A.崩壊しているので建っているときの詳細な状況はわかりませんが
1階を大規模に改装して柱を撤去して代わりに
鉄骨の柱と梁を取り付けていました。
鉄骨の断面は建物規模から考えて充分ですが
その接合が貧弱なスプリットT(T型に加工した鉄材で接合する方法)が
用いられていました。
接合部のボルトが抜けて破壊していました。
全く構造計算をせずに施工したのでしょう。
B.構造の教科書には筋交いは均等にいれて
かつ方向は反対方向にいれることと書かれています。
壁のラスモルタルがすべて崩落して壁内がすべて見える状態でした。
建物自体開口部は少なく壁が多い建物でしたが
壁内には1箇所だけの筋交いです。
それも細いもので筋交いの梁との接合部は大きく離れていました。
長い壁ですからあと数カ所筋交いを入れる余裕があるのに
一箇所入れておらず一方向のみです。
もっとたくさん両方向に入れていれば崩壊していないと思います。

12.外壁・内壁が貧弱
地震の揺れを受けて外壁が崩落しているものが
多く見受けられ
それと同時に
内壁も殆どない状態で見られました。
崩落した外壁は多くはラスモルタル塗りです。
現在の基準に従っていませんでした。
現在では力骨と呼ばれる太めの針金を
大きなまた釘で留め付けなければならないことになっていますが
そのようなものはありませんでした。
小巾板も隙間を入れて張り付けるのは普通ですが隙間が大きすぎるように思います。
内壁は横胴縁に薄いプリント合板を張ったもので耐震的には全く様をなしません。

以上が私の益樹町総領南地区での
観察の結果です。

残念な結果を見て心が重くなって現地を去りました。

益樹町総領南地区からは8Kmほどしか離れていない熊本空港から帰りました。
空から見える
八代湾に沈む夕日を見ながら熊本を後にしました。
熊本が早く復興されることを遠く大阪の地から祈念しております。