ロフト付きはおもしろい

ロフト大好きの68歳の老人の日記です

今日は、終戦記念日ですね。

今日は、終戦記念日です。
敗戦記念日と言わないのは、なぜなんでしょうか。
そのことは置いておき、
我が家の戦争による損害について今日は、お話しします。

父は、日華事変の時にすでに40歳を超えており、
兵役には、行っておりません。
私の父方の従兄は、従軍し辛くも南方より生還してきました。
また母方の伯父の内長兄は、ルソン島で戦病死しました。
次兄は、台湾で軍属として従軍しましたが帰って参りました。
また我が家は、田舎にありましたが、
近くに陸軍衛生材料廠があり、
そこへ落とす焼夷弾が当たり炎上しました。
父と兄は、近くの竹藪に逃げ込んでいたそうです。

焼夷弾は、B29より落とされ、
空中でたくさんにバラバラになります。
それぞれには、コンクリートのおもりがついており、
その重さで屋根を突き破り家の中に入ってきます。
落ちると同時に、真っ赤な炎が燃え上がります。
直ぐに消えますが、他の物に延焼し、
家を焼いてしまいます。
私の村では、大方の家は、焼夷弾によって焼かれてしまいました。

一軒だけ焼夷弾が3発家の中に落ちたにもかかわらず、
消し止め燃えなかった家があったそうです。
消したのは、気丈な女性であったと聞いています。

父は、焼けた家に呆然としたそうですが、
当分燃えなかった納屋で暮らし、
伊丹の建物疎開の木材で
我が家を自力で再建したそうです。
これが前に述べました、雨漏りがして、床下浸水する家です。

国際法に従えば、
軍用施設以外の民間施設(我が家)を
爆撃し、焼失することは、許されていません。
私は、アメリカ軍に対して、
戦時補償をしてもらう権利があると思います。

皆さんの中にも
戦争による被害がある方がおられるでしょうね。