ロフト付きはおもしろい

ロフト大好きの68歳の老人の日記です

「昭和30年代の初めの頃」のをお読みの方へ

ただ今抗がん剤治療第二クルーの休薬期で自宅療養しています。
16日より第三クルーを始める予定です。

私が気がつかぬところで、
「昭和30年代の初めの頃」をお読みの方々の中に、
大変な不快感を与えていました。
ここに謹んでお詫びを申し上げます。
今後そのようなことのない様一層努力いたしますので
今後ともよろしくお願いいたします。

お詫び

少し以前右メールアドレスに
長い私信をいただきました。
そのメールは、前段と後段に分かれており
前段には私のブログのカテゴリー
「昭和30年代初めの頃」
に対する貴重なご意見を
後段にはご自身の境遇について書かれていました。
私はこのメールを拝読し
前段では私の不徳・不明を自戒し
後段では涙が止まりませんでした。
私の不徳・不明をわびるメールを
返信しましたところ
「批判したわけではなく実情を知ってほしかっただけ」
と言う暖かい返信メールがありました。
これを聞き誤解のないよう一層努力しなければ
ならない決意を新たにいたしました。

私信ですのですべてを転載することはできませんが
ご意見の前段の要旨は次のようです。
「あなたは、貧しいと言うが
あなたには、雨は漏るが家があり
つぎはあるが着る服もある。
それに麦ご飯と言いながら食べられているではないか。
何よりも家族があるではないか。
そんな良い条件が揃っているのに
貧しいと言うのは贅沢ではないか」
というものです。 
そう言われれば返す言葉はありません。
そのように思われたなら誠に私の
不徳の致すところしか言いようがありません

でも反論しようとは決して思いませんが
当時私は私の生活が
決して貧しいとは思っていなかったのです。
貧富は比較ですから
周りの村の人も一軒を除いて
同じような暮らし向きでしたし、
以前にも書きました引揚者住宅も見ていましたので
豊かとは思いませんが貧しいとは思っていなかったのです。
しかしこの「豊かとは思いませんが」
という姿勢が私の精神の根底にあることを
問題にされていたのではないでしょうか。
メールの主のご意見は、本当にごもっともです。
これからは、子供時代の本当に幸せだったことの根底を
書いていきたいと思います。

誠にもって以下は蛇足ですがお読みください。
当時の暮らしが他の人と比べて
相当貧しかったと思ったのは
10年ぐらい前私の子供に
私の子供の頃の「麦ご飯」や「下駄」の話をしていたときに
私の二つ年上の女房が麦ご飯を食べなかったし
下駄など履かなかったと 言ったことからわかりました。
女房の実家は京都にあり土地の名士で
農業と林業を生業にしています。
うすうすは気づいていましたがやはり我が家は
女房に比べれば貧しかったのだと改めて気づきました。
でも我が家の方が幸せであったと今も確信しています。

明日より病院で寝ながら
打ち込んだ昭和30年初めの頃
一挙公開します。
ご期待ください。
皆様もなんととなく幸せだったあの頃をお読みください。