ロフト付きはおもしろい

ロフト大好きの68歳の老人の日記です

抗がん剤治療の結果

抗がん剤治療の結果

今回の診断的抗がん剤治療の結果は
おおむね次のようです。
「CT画像で見られたリンパ腺の腫れについては、
大静脈後ろ側にあるリンパ節については
縮小してその腫れはCT画像に写らない。
大動脈後ろ側にあるリンパ節については、
縮小しているが完全には縮小していないとのことです。
腫瘍マーカーについては、
もともとホルモン分泌異常でも高くなるマーカーですが
検出限界以下になりました。
総合的には、効果があった。
しかし抗がん剤が効かない腫瘍が
残っている可能性がある。
「診断的摘出術を行う必要もあるが
高齢であること・癒着していること等を
考えると経過観察が望ましい。」
と言うことです。
はっきり言うと今回の治療が
根治療法あると確認するためには、
2年後にCT画像で悪い所見が見られないか
5年後に私が生きていることが必要です。
しかしながら、
今回の療法は延命に効果があったことは確かです。

今回の抗がん剤治療の経過 副作用について

抗がん剤治療は過激な副作用があります。
私の精巣癌については、
抗がん剤療法は、根治を目的としているので
特に過激です。
BEP療法と呼ばれた確立した方法で
高齢の私にも薬量を減らすことなく
体表面積に応じて決められた薬量の投与を受けました。
シスプラチン(重金属の白金のキレート剤)
エトポシドを第1日目から第5日目まで
ブレオマイシンを第2日目第9日目に投与されます。
その他に2.5lの生理食塩水・鎮吐剤・
利尿剤・胃薬も同時に投薬されます。
この一連の投与を1クールとして3クールを行いました。
副作用は、吐き気・倦怠感・動悸・
呼吸困難・聴覚異常・臭覚異常・味覚異常・
発熱・白血球低下・血小板低下・脱毛・
体重減少・食事が取れない等が現れました。
副作用はクールを重ねるほど悪くなりました。
吐き気は、第2日目・第5日目・第9日目に最高が来ます。
吐き気・動悸・呼吸困難は、高音の音・臭気によって
瞬時に悪くなります。
ゴミ袋の「カシャカシャ」という音でも
吐き気と動悸息苦しさを感じます。
倦怠感は、第5日目・第9日目に最高が来ます。
倦怠感は限度がありません。
最後には寝ていても極度の倦怠感がありました。
また後述の輸血の際にも倦怠感がひどくなりました。
発熱は、全部にわたって微熱以上がありました。
特に第一クール第18日目より
第20日目までは39度の発熱がありました。
白血球・血小板の低下は、
第14日目ごろより始まります。
体重は始めるときは,
63kg最小は54kg終わったときは55kgでした。
第一クール第三クールには、
白血球・血小板の低下が危険域であったため
ノイトロジン(白血球等を増やすタンパク質製剤)
の投与を受けました。
また第三クール18日目には、
血小板が1万を切って特に危険な域に達したので
血小板輸血を二日間受けました。
2日目の輸血に際しては蕁麻疹を生じました。
蕁麻疹以外にも消化管症状がありました。

治療を受けた病院について

私が治療を受けた病院は大○府立成○病センターです。
一口で言えば親切なよい病院でした。
私は、今までに4回入院し
家族のものもたくさんの病院に入院していましたので
ほかの病院と比較しても親切でよい病院でした。
看護師さんは親切を競っているようにも感じられました。
マニュアルがしっかりしていて医療ミスや
院内感染を病院全体で組織として
対応しているとも感じました。
大切な医師と看護師の連携も
病院全体としての組織で対応していると
同じように思いました。
医療の効果は、
一人の医師の技量によるところが大きく左右すると
考えられますが、
一人ひとりの意思の技量に頼るやり方は、
病院としては、ふさわしくないと思います。
やはり組織としての力を
発揮できてこそ総合病院としての力が
発揮できるものと思います。
これらの点において、
私が入院した病院は、優れた病院でした。
誠にありがとうございました。
ありがとうございました。

化学療法を受けての全体的感想

今回の入院に際して私の
姉に大変ご迷惑と心配をかけ申し訳ございません。
ありがとうございました。

さて、入院治療は私自身の延命のためです。
もし今回の入院がなかった場合、今頃は症状が現れ
年末まで命があるかどうかわかりませんでした。
少なくとも来年1月頃までは無症状で生きられると思います。
「ありがたい」としか言いようがありませんが、
今回の治療を受けて感じたことが多いです。

私は、24年前私の父を家で看取りました。
父は足に血液が行かない病気に罹り家族が交代で
昼夜分かたず足を“さすり”ました。
父は痛そうでしたが、ほかに病気もあり高齢のため
手術はできませんでした。
私の番が来てさするときには
父の惨状をつぶさに見て父の「つらさ」を私自身の「つらさ」に
することができたと今までは思っていました。

今回の治療で「死のふち」を
遠くに見るところまで行った経験を考えると
父の最期の「つらさ」を全く理解していなかったと思います。
目の当たりに最期に看取ってもこれですから、
義兄が若くして癌で亡くなる3日前に
「この『しんどさ』は今まで経験したことがない」
と言う言葉など理解で来るはずがありません。

「健常者あるいは死に行く人以外の者は、
最期を迎えた者が本当に感じていることを
理解することは絶対にできない。」と思いました。

もっと極論を言えば例えば事故で家族を亡くした家族が
「故人は、天国できっとこのような悲しい事故を
二度と繰り返して欲しくないと思っていると思います。」
と言っているのをニュースで聞きますが、
極めて疑問です。
私は事故で亡くなる瞬間は
きっとその極度の痛み・恐れ・
生への未練等々を感じていたと思います。
死後の世界でも必ずやその恨みを引きずってしまうほどの
痛みだと思います。

話は変わりますが、
ラジオを聴いていると
癌患者のお話がいろいろ聞けました。
その殆どは「もっと生きたい」
と言うものでした。
私は、54歳の年齢にもよりますが
十分に生きたと感じています。
死が天命なら甘んじて受けます。
「生への執着」は殆どありません。
ただ、死ぬ時の「痛み」を予測すると
恐ろしいと感じるのと、
54年も生きながら
何の業績も上げられなかったことの
慙愧の念を感じるのみです。
しかしこれ以上生きたとしても
業績はあがらないと
強く感じ涙が止まりません。