ロフト付きはおもしろい

ロフト大好きの71歳の老人の日記です

ロフトで勉強しましょ 完結編

十詩子は
商品企画・営業・総務・人事・社長秘書室
などの職を歴任していました。

十詩子の勤めている会社は
鉄鋼の会社で
元々堅く
堅実異な経営で知られていましたが、
バブルの時期に
土地に手を出さなかったり
能力給がに移行しなかったり
金融商品にに投資しませんでした。

これらの時期に
十詩子の仕事が関わりがあって
それらの判断の下となる資料を
作ったのです。

資料を作った当時は
十詩子を
直接批判するものさえいました。
しかし何年か後
結果が出て
資料の正当性が
評価されるようになったのです。

そんなことで
十詩子の
会社の評価は極めてよかったのです。

56歳に十詩子がなったとき
十詩子はそれなりに
顔のしわもでき
頭の生え際には白いものが目立つようになっていました。

しかし
何事にも
積極的な
十詩子は
年齢を感じさせない
若々しさがあって
今も若い部下に
先輩のように慕われていました。

7月に
役員室に呼ばれた十詩子は
専務に
「十詩子君
いつも会社のためにご苦労様だね。

君の評価は
役員全員の知るところで
君を役員に推すものも多いんだが
中には
君の職歴に
難を言うものもいるんだ。

君が
本社つとめばかりで
地方に行っていないと
言うんだよ。

君は
一年だけ
尼崎工場にいたけど
その時は
総合職でなかったとも言うんだ。

僕は
そんなこと気にする必要がないと言ったんだが
社長が
『そんなに言うのなら
十詩子君のために
地方に行ってもらいましょう』
おしゃったので
全員賛成することになりました。

と言うことで
来年から
地方に
悪いんだけど
一年だけ行ってくれないかな。

部長職があるところなんだけど
君は豊岡出身だね。
姫路が一番近いかな。

工場長が
部長職だから
工場長に
一年行ってくれるかな。

普通に
やっていてくれたら
必ず再来年は
本社役員と言うことになるから。

でも君のことだから
何かやるとは思うけど
それも会社のためだから
良いよね。
姫路の人には
少し悪いけど」
と言われました。

十詩子は
恐縮しながら
少し考え
「ありがとうございます。
そのように評価していただいて
光栄です。
少しだけわがまま言っても良いでしょうか。」
と答えました。

専務:
珍しいね
君が人事で上申するのは
どこが良いんだね。

十詩子:
尼崎工場に転勤したいんです。

専務:
尼崎ね
あそこの副工場長は
部長職だけど
あっ
確か
11月に
定年退職で
空きになるはずです。

12月から赴任しなければならないよ。
尼崎は
大きいから
大変だよ
十詩子君がそういうなら
良いけど

君が尼崎にいたのは
38年前で
もう誰もいないんじゃないの
別に僕は良いけど
人事部長に言っておくよ

十詩子は
大きく頭を下げて
お礼を言って
役員室を出ました。

十詩子は
「やったー」
と心の中で叫びました。

すぐに
前住んでいた
尼崎の家主さんに
電話をしました。

尼崎に行くたびに
家主さんのところには
行っていたので
家主さんとは仲がよかったのです。

電話をすると
前にいたお部屋が
空き家になっていると言うことでした。
すぐに借りるように
話をしました。

待ち遠しく
11月の末に
新宿から引っ越ししました。


こうして
十詩子は
33年間に住んでいた
尼崎に
住むことになったのです。

年に数度
尼崎にやってきていますが
何か尼崎に来ると
心が
ウキウキします。

悟が
住んでいる
この街にいると
同じ空気を吸っているんだと
感じるのです。


悟の方はと言うと
ひとつ違いですから
57歳です。
十詩子と違って
かなり年齢を感じさせる
容姿になってしまいました。

大阪の市役所で
設計一筋に
30年余
市役所内部では
市役所の安藤忠雄と異名をとるまでになっていました。

すべて内部で
設計するので
忙しくて
昇任試験も受けず
未だに平の地位でしたが
悟は設計ができて幸せでした。


悟の家は
就職直前に
母親が亡くなり
その2年後に
妹が結婚して家を
出て行ったので
ひとり暮らしを続けていました。

それから
悟が住んでいた
尼崎駅の北一帯が
再開発事業になって
悟の家も
取り壊しになってしまいました。

そのため
悟は
同じ尼崎の
園田の駅近くに
新たに家を建てました。

悟は
自分の家は
自分で建てたかったのですが
仕事が忙しかったので
建築業者に
ロフトと
吹き抜けがある家と言って
作ってもらいました。

悟は新しいロフトが
お気に入りでした。
ロフトから見える
藻川とその向こうに見える六甲山を
時間のあるときは
ズーと見ていました。

特に
六甲山上に太陽が沈む夕日は
最高だと思っていました。

夕日を見ながら
十詩子のことを思い出していたのです。

悟と十詩子は
お互いにまだ
相手のことを
深く思っていました。
でも、相手のことを考え
その音信を探ることなど
全く考えていなかったのです。

31年間に
年賀状を出して
分かれたきり
会えないのですが
ふたりは
一日も忘れたことはありません。

十詩子は
前住んでいた
ロフトのお部屋に
引っ越してきました。
部屋に入った
瞬間懐かしさで
涙が出るくらいでした。

部屋は
こぎれいに少し改装さて
家主さんの手で
きれいに掃除をされていましたが
大方は前のままです。

窓のカーテンレールは
新しいものになっていましたが
「ここに
赤いカーテンを吊って
悟を待ったんだよね」
と思い出したりしました。

少ない荷物を
整理して
翌日
尼崎工場に
行ってみました。

12月1日からの辞令ですので
まだ副工場長ではありません。
守衛さんに
来客用の入場証を発行してもらい
敬子のいる
総務課に向かいました。

敬子は
結婚して
産休を2回とっていましたが
尼崎工場に勤めていたのです。
尼崎工場内で
転勤になっていましたが
今は総務課勤めで
工場長の
秘書係の主任でした。

十詩子は
敬子の後ろから
近づいて
少し敬子を
驚かしました。

敬子:
あー
十詩子さん
いや副工場長
今日から
勤務ですか
明日からと聞いていますが、、、


十詩子:
敬子さん
久しぶり
今日は
ご挨拶に伺ったの
まだ副工場長でないし、、
今は無役よ

敬子:
そうなんですか
十詩子さんが
副工場で
こちらに転勤してくると言うので
工場では
大騒ぎです。
ここに勤務していたのは
一年ちょっとだったのに
あの当時をしている
社員なんか
みんなに自慢げに話しているのよ。
もちろん私も話したけど、

うちの工場で
管理職で
女性は
十詩子さんが初めてだけど
抵抗はないわ

十詩子:
ありがとうございます。
それほどのものでもありません。

そんなことを言いつつ
二人は工場内の
挨拶をして回りました。

それが十詩子の仕事のやり方だったのです。
今の考え方で言えば
相当古い手法かもしてませんが
今でも最善の方法と
十詩子は考えていました。

翌日
副工場長から引き継ぎを受け
工場長に
訓辞を受けました。

「十詩子君には
今までの副工場長がしていた
事務的な仕事ではなく
もっと十詩子君らしい
仕事をしてほしい。
今までの仕事は
そうだ敬子君にでも
頼めばいいよ
敬子君はよくしっているから、

具体的には
君に任すよ
それが今までの十詩子君の仕事からそうおもうね。」
と言われたのです。

十詩子は
超抽象的なこの指図に
少し戸惑いましたが
「はい」とうなずきました。

その日から
十詩子は
工場の帳簿や
工場の仕事の手順
命令系統などを
調べ始めました。

工場が持っている
原価計算などの
数字がいっぱい書かれている
帳票なども
十詩子は苦にしませんでした。

少し老眼になってしまいましたが
計算力や記憶力は
衰えていませんでした。

帳票そのものは
自宅には持ち帰りませんでしたが
自宅で夕日を見ながら
考えました。




悟の方は
平の職員で
定年間近でした。
定年後は
設備係の同僚が
電気技術者として
ビルマンとして
再就職しているのを見て
悟も
電気技術者試験を受けました。

いわゆる電験3種はすぐ通ったのですが
もう一つ上の
電験2種をとるために
お気に入りの
ロフトで
夜遅くまで
勉強する日々でした。


そんな二人は
同じ尼崎に住んでいましたが
出会う機会は
ありませんでした。

悟は
園田駅から
阪急電車に乗って
中之島の市役所に行って
帰るだけです。

方や
十詩子は
JR尼崎駅近くに住んで
自転車で
5分のところの
尼崎工場に
通勤するだけです。

そんな二人は
出会うことがなかったのです。


同じ12月に
尼崎駅前に
有ったビール工場の跡地に
大型ショッピングセンターができました。
「ココエ」と言います。
テレビのニュースや
散らし広告が入ったので
悟は
興味がありました。
前尼崎駅前に住んでいた悟は
どんなものか
知りたかったのです。
それに建築にも興味があったので
23日の休みの日に
「ココエ」に行くことにしました。

23日には
十詩子は
朝から数字と にらめっこしていました。
老眼のせいでしょうか、毎日数字ばかり見ていたので
少し休むために
家の外を
散歩に出かけました。

十詩子の部屋は
駅の南にあって
会社も南にあったので
尼崎駅の北側には
一度もいったことはありませんでした。
いや正確に言うと
36歳の
クリスマスの日に
悟の家に
一度いったことがありました。
夢の中のような出来事でしたが
本当にあったことと
思っていました。

地下道をくぐって
北側に行くと
新しい街並みがありました。

その時の
十詩子の服装は
いつものように
薄ピンクのフレアスカートに
白いカーディガン
それと
白のコートです。
私用なので
少しカールのついた
髪は束ねていませんでした。

暖かい日でした。

一度だけ行った
悟の家があったと思われる場所には
高層ビルが建っていて
病院になっていました。

その前に立って
少し考えにふけりながら
駅に向かいました。

駅近くに行くと
たくさんの人が
ココエのショッピングセンターに
入っていくので
十詩子も吊られて
その方向に歩き出しました。


横断歩道を渡って
少し人混みが
ばらけたときに
横から
黒っぽい服装の男の人が前を横切りました。

その時なにやら
十詩子の足に
当たって
足がうまく前に出せなくなり
「あっ」
と叫びながら
前に倒れ始めたのです。

十詩子は
そのほんの少しの瞬間
「これはどうしたことなの
前にもあったような気がするけど
なぜこけなければならないの
あっ
倒れる
地面が顔に当たる。
いや顔が地面に当たる!!!」と
心の中で叫びました。

間一髪十詩子の鞄が
顔の前にやってきました。

十詩子は
歩道の上に倒れました。
右足の膝から
すぐに血が出てきました。

十詩子は
痛さのために声も出ず
うずくまってしまいました。

男性はすぐ駆け寄り
ハンカチを出して
血が出ている
膝に巻きました。

十詩子は
痛いので目をつむっていましたが
少し開いてみると
初老の男性が
見えました。

男性は
「すみません。
ごめんなさい」
十詩子の方を見て
と謝りました。

十詩子はその声に聞き覚えがあったのです。
容姿は変わっていましたが
声は変わっていなかったのです。

悟も
十詩子と気がつきました。

十詩子:
悟さんじゃないですか
悟さんですよね

悟:
十詩子さんですよね
何年ぶりでしょう。

開店セールで
たくさんの人が歩いている歩道で
十詩子は道に座りながら
悟は歩道に膝をつけて
お互いに
見合っていました。

多くの人は
奇異な目で見ながら通り過ぎました。

どれだけの時間が流れたか
二人にはわからなかったけど
悟は
少し我に返って
十詩子の左手の薬指に
何の指輪もないことを見ました。

そのあと
「十詩子さん
すみません。
立てますか
救急車呼びましょうか。
それとも
そこの尼崎中央病院に行きましょうか。」
と悟は言いました。

十詩子:
いえ大丈夫です。
立てますから、、

そういって立ち上がると
少しよろけてしまいました。

悟が
十詩子の腕をつかみました。

悟:
すみません

十詩子:
大丈夫よ
少し休めば大丈夫よ
あちらの喫茶店でも

十詩子は
悟に支えながら
ココエのなかの
喫茶店に入りました。

十詩子を席に座らせました。

悟:
ここはセルフですね
何を飲みますか。

十詩子:
温かいコーヒーをお願いします。

悟は
カウンターに並んで
コーヒーを二つと
水を持って十詩子のところに
戻ってきました。

悟:
お待たせしました。
まだ痛むでしょう
ごめんなさいね
僕が鞄を落としたもんだから
申し訳ないです。

十詩子:
大丈夫
大丈夫と思います。

悟:
十詩子さんは
今は東京に住んでいるんでしょう。

十詩子:
いえ
12月に東京から
転勤してきたんです。

悟:
そうなんですか
今はどちらにお住まいですか。

十詩子:
前に住んでいた
南側の
ロフトのお部屋が
ちょうど空いていたから
また住んでいます。

悟:
えー
あそこは
一部屋しかないんじゃないんですか。

十詩子:
そう
景色も
同じで良いの

悟:
一部屋では狭すぎませんか
家族で住むには

十詩子:
一人で住んでいるんですよ

悟:
それでは
単身赴任なんですか

十詩子:
単身赴任?
そうかもしれないけど
私は
東京でも単身ですよ

悟:
えっ
結婚したんじゃないんですか

十詩子:
結婚なんかしていません。

悟:
でも
結婚指輪を
していたのを
見かけたのに、、、、

十詩子:
あっ
そっ
それは
それを知っているんですか
若いときは
私結婚指輪を
していたことがあります。
それは結婚したからではなくて
えー
どういったらいいのでしょうか。
あれは偽物の
結婚指輪なの
悟さんは
あれをつけているところを
見たんですか

悟:
えっ
あっ、、

、、、
、、
、、、、







悟は
全身の血が引くのがわかりました。
持っていた
水のカップを
思わず握りしめました。


悟は
この時初めて
30年間
誤解していたことに気がついてのです。

「結婚指輪は、
偽物
なんだ

なぜ偽物に
30年かも
だまされていたの?

十詩子さんは
結婚していなかったんだ。
なぜもっと早く気がつかなかったのか。
なぜもっと早く確かめなかったのだろう」
と嘆きました。

十詩子も
昔していた結婚指輪を
見られたことを
そしてそもそも
安直に結婚指輪をしたことを
後悔しました。

一つ目の誤解が
あったことを
二人はこのとき
気がついてのです。

でも二つ目の誤解があることを
二人は知りませんでした。

十詩子は
自分の結婚指輪のせいで
悟が
結婚したんだと
まだ思っていたのです。

悔しく思って
消えてなくなりたいくらいですが
ここは
意を決して
悟に聞きました。

十詩子:
悟さんは
お子様は何人ですか

この平凡な
問いは
結婚しているかどうか聞く
常套手段ですが
十詩子は
相当の思いで
声を出したのです。

その問いを聞いた
悟は
「もしかして
十詩子さんも
誤解しているのか。」
と直感しました。

悟はすぐさま
答えようと
しましたが
「○×△#、、、
、、、
、、、」と
あまりの
衝撃に
声になりません。
「お子様は何人ですか」
と聞かれた
悟は
声も出ず
訳のわからぬことを
声に出します。

その狼狽ぶりを
見た
十詩子は
すべての真実を
知ることになりました。

二人はお互いに見つめ合って
時間が過ぎます。

コーヒーが
少しだけ冷えたとき
悟は
「子供はいません。
ひとり暮らしですから」
と気を取り直して
答えました。

十詩子
「そうなんですか」
と答えるのが
精一杯です。

また数分過ぎてから
十詩子から
話し始めます。

十詩子:
私たち
何か誤解していたみたいですね。

悟:
そうですね
それも
30年間も

十詩子:
そんな誤解をなぜしたんでしょうね

悟:
何が原因か
今となっては
取り返しが付かない誤解が
なぜ生まれたか知りたいものですね。

十詩子:
私も同感です。
今後のためにも
知っておかないと

悟:
なぜ指輪してたんですか

そう聞かれた
十詩子は
ほほが赤くなって
恥ずかしそうに
答えます。

十詩子:
指輪のことですね
やっぱり誤解を生みますね
正確に答えないとやっぱりいけませんね。

昔のことになるけど
私が若かったときに
困ったの
こんな年になって
別に困らなくなったけど。

どういえばいいのかな
昔は
今もそうだけど
、、、、
、、、、、
、、、、
悟さん一筋だったの
それなのに
他の人が
色々と
誘ってくるの

それを
ひとつひとつ断るのも
大変だから
予防線として
指輪をしていたの

これを見れれるなんて
思いませんでした。

十詩子は
顔を赤くしながら
ゆっくりと
言葉を選びながら
指輪のことを悟に話しました。


悟は
そういう理由だったのか
そして言葉の中にあった
「今もそうだけど、、、」
と言う言葉が
頭の中に残りました。

少し沈黙が続いて

十詩子:
悟さんが結婚していないって
、、、

私は
悟さんが結婚したものとばかり思っていました。

悟さんは
えーっと
31年前の今日
女性と親しそうに映画館に入っていったでしょう?
あの人と結婚したんではなかったんですか。


悟はそのことは
忘れていました。
言われて
「31年前?
26歳の頃?
大学卒業の年?
クリスマスに女性?
あっ
そういえば
そんなことあったかな、、、

あの女性は
私の母に勧められて
見合いした相手です。
母が急死して
その話は
立ち消えになって
あれっきりあっていません。

十詩子さんは
あのとき大阪にいたんですか。
見ていたんですか。

十詩子さんが
結婚したと思ったので
いや今となっては
誤解していたので
母親が
強く勧めるもので
見合いしてみただけなんです。

ただそれだけです。

見ていたら
声をかけてくれたらいいのに、、

ごめんなさい。
そんなこと
できなかったですね」
と謝りました。


十詩子と悟は
お互いに
誤解していて
こんな結果になったことが
わかりました。

ふたりの間には
永い沈黙の時間が流れますが
ふたりの誤解の溝は
埋まっていくのを
ふたりは感じました。



ふたりの誤解は
すべてなくなりました。

ふたりの溝も
埋まったように思いました。

でも悟は
時間の溝ができたように
思ったのです。

あのときのにも思っていましたが
十詩子は
大企業の管理職で
ばりばりのキャリア
その上
こざっぱりとしていて
初めて会ったときと同じような
きれいな髪の毛
それになんと言っても
年齢を感じさせないのです。

悟というと
しがない地方公務員
それもズーと平で
昇進の見込みもなく
給料も
頭打ち
それに何より
頭の毛がほとんどなくなり
見るからに老人になってしまっているのです。

ギャップが
あまりに大きいのです。

悟は
もう誤解がなくても
十詩子に
結婚を申し込むことなんて
できないと考えていました。

そんなことを考えると
悟は
ここであったのが
幸せだったのか
誤解が解けて
よかったのかどうか
わからなくなりました。
元気がなくなり
黙ってしまいました。

十詩子の方は
そんな風には
まったく思っていませんでした。
会えたこと
そして
誤解が解けたことは
神様が与えてくれた
大きな幸せ
一途に悟のことを
思っていたご褒美と
考えていました。

はしゃぐ
十詩子は
悟に元気がないことに
気がつきませんでした。

それくらい
十詩子はうれしかったのです。

十詩子は続けて
話しました。

十詩子:
今は
悟さん何をしておられるんですか。
勉強熱心な悟さんのことですから
なんかしておられるんでしょう。

悟:
勉強熱心ではないけど
今は
電験2種に挑戦中です。
もう2科目なんだけどね
十詩子さんは
会社では
相当な地位に就いているんでしょう。

十詩子:
電験2種?
それは何

私は
会社では
、、、
それほどの職ではありません
中間管理職で
上からは言われ
下からは突き上げられる
宮使いのみですから、、

悟:
そんなことないでしょう
十詩子さんは
僕よりズーと
優秀だから

十詩子は
悟が
劣等感を感じていると
思いました。

この溝を
埋めないと
昔のように
仲のよいふたりには
戻れないことに
気がつきました。
十詩子が気がついた
悟の劣等感を
取り除くために
十詩子は
悟の仕事のことを聞いてみました。

大阪市役所で
悟が設計した建物について
十詩子は聞いたり
今住んでいる建物について聞いたりして
「すばらしいー
見てみたい
一緒に見に行きたい
住んでみたい」と
絶賛しました。

悟は
聞かれたことには
答えますが
言葉の間に
空虚な時間が流れます。

十詩子は
こんな小手先のことでは
まったくだめだ
と気づきました。

悟と十詩子が歩道の上で
ぶつかってから
5時間がたっていました。
もう外は
クリスマスの華やかなイルミネーションが輝いていました。

十詩子はの光を見ながら
大きな決心をしました。

その後
悟と久しぶりの食事をしました。
十詩子が気を遣う食事でした。
「明日の夜も会ってほしい」と
悟に頼んだのです。

悟は
少し戸惑うような様子を見せた後
会う約束をしました。


悟をバス停で見送った後
急いで
十詩子は
部屋に戻って
工場についての報告書を
書き始めました。
資料やノートを見ながら
一字一字パソコンに打っていきました。
夜も寝ずに
作りました。
出社間近になって
ようやくできたので、
十詩子は身なりを整え
工場に向かいました。

出社した後
机に向かって
もう一枚の書類を作りました。

ふたとを持って
工場長の部屋を訪ねました。

工場長に
改善提案書を提出しました。

工場長:
十詩子君はやっぱり仕事が早いね。
早速読ましてもらうよ。
来年の初めにある役員会で
一度提案してみるよ。

十詩子:
ありがとうございます。
それから
これをお願いします。

こう言って
退職願を
工場長に出しました。

工場長は
それを見て
驚きを隠せませんでした。

工場長:
これは何だね
冗談じゃないだろうね。
何か不満でもあるのかね。
東京からこちらに来て
大変なのはわかるけど
これは困るよ
こんなものは
受け取れないよ
理由は何なの

十詩子:
一身上の都合です。

工場長:
一身上の都合と言われても
専務に話ができないよ
具体的には
何なの

十詩子:
あまり具体的ではないんですが
結婚なんです。

工場長:
えーっ
失礼
結婚が決まったのかね

十詩子:
まだ決まっていないんですけど
決めるためには
やめなければならないんです。

工場長:
何か見えないね
決まっていなかったら
やめる必要がないだろう。
専務に君のことを
よろしく頼むと言われているんだ
君が急にやめれば
僕の立場がないんだ

十詩子:
すみません。
専務には
私の方から
話しに行きますので
よろしくお願いします。

工場長:
専務だけではないよ
我が社の
大きな損失だよ
詳しい理由を聞かせてくれないか

そういう工場長に
十詩子は
悟のことを
話さないと
納得していただけないと思って
詳しく話しました。






十詩子は
工場長に退職願を出した後
東京の専務にアポイントを取りました。
新幹線は年末で混んでいて
自由席では座れませんでした。

午後一番で
専務にあって
退職のお願いをしました。

専務:
工場長から聞いて
びっくりしているよ
結婚で退職というの仕方がないのだが
、、、
残念だよ
でもおめでとうと言うべきかな

十詩子:
申し訳ございません。

専務:
結婚しても
勤めることはできないのかね
社外取締役でも良いと思っているんだが
君のような優秀な人材が
いなくなるのは
我が社にとって
大きな損失だよ。

十詩子:
ありがたいお言葉
とんでもございません。

専務に挨拶した後
会社の各課に
挨拶した後
急いで
新幹線に乗って
家まで帰ってきました。

家に帰ってから
自転車で
国道筋まで行って
用を足した後
家に戻り
服を着替えて
約束の場所に向かいました。

約束の6時までには
あと一時間もありました。

尼崎駅の
陸橋から西の方向に
太陽が沈んでいくのが見えました。
沈むと
クリスマスイルミネーションが
昨日にもまして
華やかに輝きました。

約束の6時15分前に
駅の改札口を
悟は出てきました。

やっぱり悟さんは
今でも約束の時間より
「うんと早く来るんだ」
と思いつつ
悟に近づき
「こんばんは
今日は寒いですよね。」
と声をかけました。

悟は
十詩子を見て
びっくりしました。
昨日の十詩子は
30年前の十詩子と
ほとんど変わらなかったけど
今日の十詩子は
ぜんぜん違っていたのです。


悟:
十詩子さん
髪の毛切ったの
えらく短くなりましたね。

十詩子:
そうなの
こちらの方が
良いのかなと思って
これからどこへ行きますか

悟:
どこが良いかな
今日は
クリスマスなので
いっぱいじゃないかな

十詩子:
私
昔 悟と初めて行った
喫茶店に行ってみたいな
少し遠いんだけど

悟:
えー
40年近く前になるんじゃないの
まだあるの
えーと
確か国道筋のところ
あのときでも
相当古かったように思うけど

十詩子:
大丈夫
あるみたいよ
あのときは
自転車だったけど
今はないから
ちょっと贅沢に
タクシーで
行ってみない

悟:
ホー贅沢だね
昔なら
絶対にしなかったよね
歩いて行ったと思うよ

十詩子:
じゃ歩いて
ゆっくり行ってみましょうか。
悟さんがよかったら
歩いて行きますよ

悟:
それも良いかもしれないね
あのときは夏で暑かったけど
今は木枯らし吹く冬に
ふたりで行くのも良いかもしれないね
でも十詩子さんは
歩いて行って良いの
大丈夫
寒くない?

十詩子:
大丈夫
今日はしっかり着込んできたから

そう行って
ふたりは
尼崎駅の南の方に出て
ゆっくりと
歩き始めました。

ちょっと歩いて
警察署の前まで来たとき
十詩子は
「手をつないで
歩いても良い?」と
小声で
悟に言いました。

悟は
はっきりとわからなかったけど
手を差し出してきたので
ふたりは腕を組みました。



ふたりは
寄り添って歩き始めました。
あたりは
もう真っ暗でした。

40年前つきあっていた頃でも
こんなにながく
腕を組んで歩いたことはありませんでした。

小一時間ぐらいかかって
喫茶店にやってきました。

10年一日がごとしと言う言葉が
当てはまるように
その喫茶店は
変わっていませんでした。

ふたりは扉を開いて
中に入ると
ウエイトレスが水を持ってやってきました。

前座った
道路の外が見える席に
座りました。

悟:
君と同じように
変わっていないね

十詩子:
いいえ
喫茶店も
私も変わりました。
でも今でも
変わらないことが
あります。
それはあなたへの
、、、
、、、
(小声になって)
『あいじょう』
かな
悟さんも
変わらないでしょう

悟:
僕は
考えは
変わらないけど
そのほかのことは
変わってしまいました。
それもすっかり変わってしまいました。
40年もたったもの

十詩子:
私からこんなことを言うのは
恥ずかしいんですけど
もう私は
これしかないと思います。
もう私は
後がないんです。
もう56歳になって
悟さんに再会して
これしかないと思いました。

今日
会社を辞めてきました。
永く伸ばしてきた髪の毛も切りました。
悟さん
私は
もうあなたと結婚をするしか
残された道はありません。
悟さん
私と結婚して下さい。

悟:
えっ
あっ
そ、、、
○×△#&、、、

悟は
驚きました。
30年前に
遠くに行ってしまったと
感じていた
十詩子が
こんなことを言うとは
信じられませんでした。

沈黙が流れて
十詩子は
もう一度
言ってみました。

十詩子:
悟さん
私は漢の将 韓信と同様
後がないんです。
悟さん!

強く十詩子に言われて
優柔不断の
悟も
ついてに
決心しました。

悟:
十詩子さん
ありがとうございます。
十詩子さんの方から
そんなことを言わせて
ごめんなさい
31年前に
いえなかったことを
いま言います。
『としこさん
けっこんしてください』

十詩子:
ありがとうございます。

本当にうれしいわ
今日はクリスマス
最良の日ね
31年間も
回り道をしたけど
それも今となっては
懐かしく思います。

悟:
こちらこそ
ありがとうございます。

ふたりは
お互いに同じようなことを
言い合いました。

十詩子:
私
あなたが
結婚しないと言っても
私は
今日からは
あなたに付いていく覚悟ができていたの
いやだと言っても
押しかけ女房に
なるつもりだったんです。

だって会社も辞めたし
私の一番の魅力の
髪の毛も切ってしまったもの
悟さん以外あり得ないわ

悟:
十詩子さんは
積極的ですよね
最初会ったときから
積極的だったけど
僕がもっと積極的だったら
こんな遠回りはしなかったのにね。