支那事変は、 だんだん大きくなって 満州をめぐって ついに 大東亜戦争に至ります。 勇治は 軍属となって 台湾に渡り それから 華中戦線に 参加していきます。 勇治の 戦争での 行いについては 省きますが 書きづらいところです。 戦争中は 全然 家には帰りませんでした。 戦争のために 物資が不足して 特に食糧難でした。 お金があっても 配給制のために 満足に 食べられませんでした。 けいは 食糧を調達するため 職場近くの 農家で 買って 持って帰ろうとすると 駅で 巡査に見つかって 没収になったことも 何度もありました。 そこで けいは 転職することにしました。 製菓工場の 社員食堂に勤めることにしました。 製菓工場は 軍需工場に 指定されていて 物資不足の食糧難の時代でも いくらでも 食糧があったのです。 社員にも 配給があったので けいは 千代や勝に 食べ物を 持って帰れたのです。 勝は おばさんのおかげで 戦争中は 食べ物は 不自由しませんでした。