ロフト付きはおもしろい

ロフト大好きの68歳の老人の日記です

ブログ小説「遊び人真一」その10まで

ブログ小説の表題「遊び人真一」は初めのうちは意味がわからないと思いますが読み続けるとわかると思います。 1


「投資家の人生は闇の中にある」と
思うのですが
生まれたばかりの
真一には
そんなこともわかりませんでした。

真一は
大阪で
生まれました。

父親は
超有名な弁護士で
美人の母親
優しい祖父母
の家族です。

父親は
大手会社の
顧問弁護士をしていて
はっきり言って
お金持ちです。

昭和30年に生まれて
贅沢はしませんでしたが
不自由な生活はありませんでいた。

ひとり息子ですので
家族の
期待を受けていました。

父親は
弁護士になって欲しいと
思っていました。

それに対して
母親は
健康であったら
良いという考えでした。

意見の衝突はありませんが
真一は
大きな期待をする父親と
違う期待をする母親の
顔色をうかがいながら
育ちました。

小学校の時から
家庭教師に
鍛えられながら
育ちましたが
小学校では
目立たない子供でした。

2

真一の母親は
父親以上に
大金持ちの家から
嫁いできていました。

女中(今の言葉で言えばお手伝いさん)が
十人近くいて
結婚するまで
食事の用意など
したことがありませんでした。

母親は父親と
結婚してから
食事の用意を
はじめたのです。

はじめは
さんざんでしたが
特に大きな問題は
ありませんでした。

父親の一家は
温かい目で
みていてくれたのです。

母親の実家の
影響力が
あまりにも大きいので
そのようなことを
言える立場ではなかったかもしれませんが
母親の
相次いでの愚行は
すべて
なかったものになっていました。

最初は
母親は
今で言う
「天然」ですが
数ヶ月が過ぎると
もうそうのようなことは
起きなくなりました。

芯は
賢明な女性だったのかも知れません。

父親は
国民学校の時から
学校一の
秀才でした。

戦況が
悪化した頃
帝国大学に
進学して
一級先の
先輩が
学徒動員で
戦地に出かける羽目になっていた頃
父親は
砲兵工廠に
勤労奉仕で働いていました。

終戦の日に
大空襲があったときには
一瞬の差で
防空壕に飛び込み
助かりました。

戦争が終わると
今まで
勤労奉仕のために
勉強をできない分を
取り戻すように
勉強に明け暮れました。





3

父親の実家は
戦争の時は
軍需工場の指定を受けていましたが
戦争が終わると
休業の憂き目をみます。

学費だけは
何とか
工面できましたが
早く何とかしたいと思って
司法試験を受験して
合格したのです。

あと一年を残して
大学を中退して
給料の出る
司法修習生になりました。

司法修習は
2年間で
その間も
勉強しました。

給料の大方は
実家に送って
勉強だけしていました。

その甲斐あって
一番で
修了して
裁判官になりました。

戦後の
動乱期が終わりつつあった頃
家業は
また盛り返しました。

昭和25年に
結婚を機に
退職して
弁護士になりました。

真一の母親の実家の
おかげもあって
大企業の
顧問弁護士になりました。

真一が
生まれた
28年頃には
家業も
弁護士業も
繁忙を極めるまでになっていたのです。

貧しさを経験して
努力で
盛り返した
父親と
生まれた時から
裕福で
どんなことでも叶った
母親の間で
一人っ子として
真一は育ちます。

父親の真一に対する目標は
質実剛健
母親のそれは
優しさ
同じようで
同じでない
この違いが
真一に
影響を与えました。


4

小学校では
ほどほどの秀才として
通っていて
父母とも
満足していました。

中学生に入る時に
父親の父母
真一のおじいさんとお祖母さんが
相次いでなくなりました。

おじいさんは
肺炎
お祖母さんは
心臓疾患です。

それまで
元気で
風邪もひいたことがなく
スペイン風邪の時でさえ
二人とも
病気にならなかったくらいです。

それで
真一の家には
体温計すらなく
熱を測る習慣もなく
少しからだがしんどい時には
お風呂に入って寝れば治るというのが
家訓のようなものでした。

おじいさんの肺炎は
おじいさんや
その家族が
病気だと言うことを
気が付いた時には
手遅れだったのです。

お祖母さんの
心臓疾患も
医者に言わせれば
「もっと早く
来てくれたら
たすかったのに」と
言われたくらいです。

おじいさんとお祖母さんが亡くなると
父親は
次は
自分だと言うことで
死んだ時の用意を
はじめたのです。


5

真一の父親は
まだ40才になったばかりなのに
死ぬ時のことを
考えました。

祖父母の
相続で
相当
困ったことが起こったのです。

もちろん
両親の
相次いでの死亡は
精神的に
大打撃なのですが
そのこと以外にも
ありました。

相続財産は
不動産が主で
すぐに換金できないにもかかわらず
大きな
相続税が
課税されたのです。

手持ちの現金を
何とか工面して
やっとこさ払ったのです。

自分の時には
そんなことを
させてはならないと
父親は
思ったのです。

父親は
弁護士ですので
知り合いの
税理士などに相談しました。

そうして
父親は
相続対策を
することになります。

事務的に
やっていました。

事務的な
父親に対して
祖父母が
相次いで
亡くなって
真一は
不安になっていました。

祖父母に
大変可愛がられていて
人生についても
教えられていました。



6

意見の違う
父親と
母親の
間に入って
祖父母は
真一の味方でした。

祖父母は
「人生は
楽しむべきだ」という
人生訓の持ち主で
いつも
真一の
両親に
意見を言っていました。

真一も
いつも
仕事の父親や
みんなのために
おおらかに働く母親よりも
人生は楽しむべきだと言って
仕事を一瞬の如く終えて
自分の楽しむことをしている
仲の良い祖父母に
憧れました。

その祖父母が
急に
仲良く亡くなって
頼るものがなくなって
虚しく感じていました。

それに追い打ちをかけたように
中学校になって
成績が
さっぱりなのです。

三つの
小学校から
集まった中学生の中には
真一より
優秀な
生徒がゴロゴロいて
真一は
成績が下がったようになってしまったのです。

父親は
叱咤激励しました。

家庭教師も
もうひとり付いて
表向きは
頑張ることになりました。

7

家庭教師が
なんにん付こうが
真一が頑張らないと
成績が上がるわけがありません。

父親は
いらだちました。

母親に
勉強しているかどうか
監視するように
言いましたが
母親は
いたって無頓着です。

勉強をしたかどうか
父親は
母親に聞きます、
母親は
「息子を信じなさい」と
答えて
言い争いになります。

それを聞いた
真一は
肩身が狭く
部屋に閉じこもります。

父親は
家庭教師を変えたり
塾に行かしたり
学校にも相談したり
いろんな努力をしました。

でも
忙しい
父親は
父親自身が
勉強にかかわることは
ありませんでした。

残念ながら
父親の努力は
徒労に終わるべきして
終わりました。

父親が
あまり言わなくなると
かえって
真一は
不安になります。

そんなことが続くと
すっかり自信がなくなって
余計に
成績が下がってしまいます。


8

成績が下がると
真一も
不安になります。

小学校の時は
よかったので
「悪い評価を受けたこと」
がなかった真一は
うろたえてしまうのです。

成績は
悪いよりは
よいのに超したことがないと
もちろん真一は
考えていました。

そこで
勉強しました。

父親に言わせれば
4人の祖父母や
両親の遺伝子は
良いに決まっているので
真一の成績が
上がるのは
当たり前だと
真一は聞いていました。

やればできると
真一は
やっていたのです。

中学校を卒業し
公立の進学校に
入学しました。

頑張っている
真一は
秀才の集まる
進学校では
凡庸な成績になってしまいました。

もうその頃には
父親は
弁護士事務所の
跡継ぎには
真一は
無理だと決めてかかっていました。

父親は
息子の将来に
不安を持っていて
「やはり
財産を残しておかないと」と
思ったのです。

真一の父親は
当時既に
大金持ちで
十分な蓄えがありましたが
もっともっと
蓄えておこうと
思いました。

9

高校での成績は
真一に言わせると
精一杯していて
運も手伝って
よかったと
思いました。

これなら
父親が
絶対条件にしている
旧帝大に
受かるかも知れないと
思うほどになりました。

しかし
そんなことは
父親には
言いませんでした。

黙って
九州の
旧帝大を
受験しました。

法学部は
難しいので
文学部に
願書を提出しました。

父親は
旧帝大は
受けないと思っていたのか
無関心を
装っていました。

受験の前日
「ちょっと行ってくる」と
母親に言って
家を出ました。

まだ
山陽新幹線が
開通していていなかった頃でしたから
特急で
前日に出かけたのです。

当日は
寒い日でしたが
真一は
窓際の
暖かい席でした。

運が味方したのか
発表の日の夜更けに
書留速達で合格証と
書類が送られてきました。

父親が
チャイムの音で
受け取りました。

父親の
呼ぶ声で
真一と母親は集まり
開封して
合格を知りました。

両親は
大いに喜んでくれました。

法学部でなかったので
おそるおそるでしたが
真一は
ホッとしました。


10

一応
旧帝大に合格して
父親は
誉めてくれました。

大阪から
離れて
九州に
住まなければならないことになるので
母親は
心配していました。

翌日
合格祝いに
時計を
父親は買ってきました。

母親は
自慢の赤飯を
作って
祝ってくれました。

入学手続きが済むと
両親と真一は
新しい
住まいを
二日がかりで
捜して
決めました。

新しい住まいは
18才の学生には
だいぶ贅沢なもので
警察署の前の
マンションでした。

大学からは
離れていて
友達が
たむろするようなことがない所でした。

真一は
両親から
離れての生活が
少し心配でしたが
圧迫感のある
両親から
離れるのが
よかったと
思いました。

桜が満開の時期
入学式が終わって
両親が帰ると
ひとりの生活が
始まりました。