総領息子(家督を 譲ることが予定されていた息子)の亀太郎は 頑張らねばなりません。 長男だからといって 家督を相続できるとは 限りません。 実力と努力がない者は 家督の相続は出来ません。 家督を相続できないと 結婚など 絶対に出来ない時代です。 それを 亀太郎は 知っていました。 父親の 兄弟の 叔父さん叔母さんは 同じように働いても 結婚できずに 一生を終えます。 それだけではありません。 食事の内容や 住む部家 寝る布団まで 全く違います。 亀太郎は 努力していました。 そんな時に 亀太郎の 下の弟が 亡くなりました。 今の病名で言えば 敗血症でしょうか。 湿疹が 全身に出来て 傷口から ばい菌が入って 高い熱が出て あっという間に 亡くなったのです。 7才でした。 数え年ですので 満5才です。 誰もがそうであったように 栄養のあるものも 食べられず 衛生的な 住居もないことが 遠因であったことは 現代の目から見れば 歴然ですが 当時は 「寿命がなかった」と 諦めるしかありませんでした。 お寺さんに 簡単なお経を上げてもらいました。 清左衛門や母親は 小さなたるに遺体を入れて 野辺送りしました。 大変 悲しそうでした。