ロフト付きはおもしろい

ロフト大好きの71歳の老人の日記です

今日は1月17日あの日がまた来てしまった。

先の震災では
我が家が潰れた程度で
ガラスで
足をケガした以外
たいした被害もなかったのですが
付近の人達や
地震の被害が
大きかった人達も
多くおられたようです。

当地に住んでいると
震災の
筆舌を絶するような
惨状を
何度も聞いて
重い気分になりました。

その震災の様子を
17年過ぎた時に
ブログ小説で
描写したことがあります。

今日は
17日ですので
読み返してみました。

自分の作品は
駄作でも
涙が出てきます。


ブログ小説「冴子の人生は」は
冴子という主人公が
いろんな不幸の連続の人生を
送るという筋書きです。


地震の話は
作品自体では
後半で
家出して
新しい伴侶「勇治」と
パン屋をはじめ
軌道に乗り始めたときに
起こります。

地震のところだけを抜粋

河本さんと言う名前が出てきますが
パン屋の従業員で
この地震で勇治と一緒に生き埋めになります。

場所は長田区尻池というところで
私が
神戸市役所に勤めていたときに
建物を設計したところです。

震災一週間後
設計した建物が
被害を受けたかどうか
見に行ったことがあります。

私の関わった建物は被害を受けずに
避難場所になっていました。

その体験も含んでいます。
__________________



全話を読みたいと万が一にも思うようでしたら下記のリンクです。
小説「冴子の人生は」

母親が亡くなったという知らせは
冴子のところには
届きませんでした。

この知らせを
知るのは
惨事のあとです。

連絡を取っていなかったのです。

あとになって
残念だと
思いました。



時は経て
平成7年の正月になりました。

冴子と勇治は
この年
45才になります。

前年より
勇治は
膝の具合が悪かったので
正月は
厄落としに
神社参りでもしようかという話しになりました。

西宮の
門戸の厄神さんに
ふたりで参ることにしました。

湊川から
電車に乗って
西宮北口に行って
乗り換えて
門戸厄神で降りて
少し歩いて行きました。

正月と言うことで
多くの参拝者がいました。

警察官が
人数を
数えていました。

お参りして
破魔矢を買って帰りました。

勇治は
「これで今年は
大丈夫」と
言って
正月明けから
がんばって
パンを作っていました。

神社に参った成果かどうかわかりませんが
商売は
繁盛しました。

冴子も
今年はいい年になると
思っていました。

成人式の日は
どういう訳か
パン屋は大繁盛
品切れになって
しまいました。

3人で
大喜びしました。

翌日は
少し早めに行って
多めに作ろうと
いう話しになりました。

翌日は
平成7年1月17日でした。

勇治は平素より少し早い
4時に家を出て
自転車で
店に向かいました。

河本さんも
6時前には
出勤するということになっていました。

普段よりも
たくさん作ってみるということです。

冴子も
家の用事にを済ませて
店に向かいました。

自転車が
パンクしていたので
厚手の
コートを着込んで
歩いて
パン屋に向かいました。

途中運河を越えてるために
橋を渡っている時
突然
三度下から突き上げられました。

冴子は
体が突き上がる
一瞬宙に浮きました。

そのあと地面にたたきつけられるように
倒れてしまいました。

それから
2度
同じように
浮き上がり
そのあと
横揺れが来ました。


地面に
横たわって
頭を上げて
見ているのがやっとでした。。

橋の向こうの
建物が
グシャッと
潰れて
土煙が上がりました。

宙に浮き上がりながらも
倒れながらも
店の方を見ていました。

いつも見慣れている
橋の向こうの
木造の長屋が
最初の揺れで
一瞬にして
グシャッと
2階建ての建物が
屋根だけになって仕舞ったのです。

また
その向かいの
3階建てのビルが
最初の揺れで
道路側に
倒れていきました。

付近に土煙がまわって
冴子に
破片が
鋭く
飛んできました

そのあと
停電して
付近は真っ暗闇になって
何も見えなくなってしまいました。


揺れがながく続いたのか
それとも一瞬なのか
あとになって
冴子は
思い出せませんでした。

真っ暗の中
冴子は
立ち上がりました。

腰を打ったのか
少し痛かったのですが
冬で
たくさんの服を着ていたし
革の手袋と
ブーツを履いていたのが
後々役に立つのです。

揺れがしばらくの間
おさまったのですが
当たりは真っ暗です。

冴子は
停電して
街灯がすべて消えた時に
そんな風になるとは
全く知りませんでした。

お月様は満月を少し過ぎたくらいですが
地震の起きた
6時前には
月の入りがあったのか
それとも
雲が出ていたのか
わかりませんが
月明かりもなく
真っ暗でした。

その時
ハット気付きました。

勇治は
店にいるのです。

勇治は
大丈夫か
心配になりました。

停電になるまでの一瞬ですが
付近の家が
潰れるのが見えました。

店も潰れたに決まっていると
思って
心配になりました。

何が何でも
店に行かなければなりません。

いつもの道は
もう通れないように思いました。

川沿いの道を
北に行って
国道に出るしかないと思いました。

川沿いの道も
破片が散らばっていて
気ばかり焦って
進めません。





以下の
地震の描写には
私の記憶違いのため
間違いがあるともいます。

間違っておりましたら
メール下さい。

悲惨な描写があると思いますので
あらかじめ了承下さい。




冴子が
やっと
国道まで出ると
悲鳴やうめき声が聞こえてきました。

国道沿いには
頭から血を流した人や
倒れ込んだ人
その人たちを取り囲んで
人垣ができていました。

大きな声で
『助けて上げて』と
叫び声も聞こえました。

そんな光景を
薄明かりで見ながら
胸騒ぎがしました。

パン屋のお店は
大丈夫か
本当に心配になりました。

店の近くまで着いた時
唖然としました。

駅まで行く道が
がれきの山です。

道に
瓦屋根が
横たわっているのです。

普通はすぐそこに見える
パン屋の看板が見えません。

冴子は
屋根乗り越えていきました。

近くでは
屋根の瓦を
めくって
人を探している
女性や男性が
いました。

その女性は
朝日に照らされて
頭が
赤く染まっているのが
見えました。

冴子にも
大きな声で
助けを求めてきましたが
「店が」と言って
通り過ぎました。

そして
たぶん店のあったところまで
来た時
すべてがわかりました。





お店の前まで
来た時
「勇治さん
」
できる限りの
大声で
叫びました。

かすかに
勇治の声が
帰ってきたように
冴子には
聞こえました。

お店は
二階建てでしたが
その形はもうありません。

屋根の形も残っていません。

お店は
がれきの山です。

隣の
3階建ての
ビルが
お店に倒れてしまっているのです。


「勇治さん
勇治さん
勇治さん
勇治さん」と
何度も叫んだのですが
ヘリコプターが
上空に飛んできて
パタパタという
ヘリコプターの音で
勇治の声は
全く聞こえませんでした。

冴子は
お店があったところくらいの
がれきを
手で
のけようとしました。

冴子は
45才
女性で
主婦をしているので
力があるわけでもありません。

しかし
冴子は
瓦を
遠くに放り出し
木片や
ベニヤ板を
手でのけました。

がれきの中にあった
鉄の棒で
何とか
ちょっとずつ
掘っていきました。

最初に聞こえた
勇治の声がした方へ
掘っていたのです。

近くの人にも
「助けて
ここに
主人がいるのです。

助けて
助けて下さい。」と
誰彼なしに
頼みました。

でも
誰も助けてくれませんでした。

何しろ
パン屋のあったところは
うずたかく
がれきがあったので
無理だと
思われたのかもしれません。

冴子が
必死になって作業している時に
筋向かいの
元八百屋の方から
歓声が
聞こえました。

建物から
その家の
子供が
助けられたからです。

もうひとりの子供がいるので
なおも
父親が
必死に作業をしていました。

子供は
近所の人に連れられて
どこかに消えました。





助けられた
子供を
横に見て
孤立無援で
掘り続けました。

端から見ると
冴子は
正気のように見えません。

女の手で
もう冴子が
かがみながら
掘っていると
見えなくなるところまで
進んでいました。

一月の寒風が吹いても
冴子は当たりません。

冬の服で
背中には
リュックサックを背負っていたので
全身汗ばんでいました。

頭の
毛糸の帽子も
少し汗で濡れているのですが
そんなこと
気にしていませんでした。

太陽が
真上に来ていることも
感じませんでした。

空には
ズーッと
ヘリコプターが
やかましく
飛んでいました。

そんな中
冴子を
呼ぶ声がしました。

後ろの方からです。

振り向くと
60才ばかしの老夫婦と
屈強の若者が
ふたり
立っていました。

「私
河本です。

娘は
娘は
どこにいますか」
と
大声で
冴子に言っているのです。

4人は
心配そうな顔で
冴子を
見ていました。
河本さんの
家族であることは
会ったことはなかったけど
すぐにわかりました。

向こうも
冴子が
パン屋の奥さんだと
わかったのかもしれません。

「娘は
この中にいるのですか。」と
ヘリコプターの
音にも負けないくらいの
大きな声で
叫んできました。

「6時に来た時
勇治
主人の声が聞こえたようにおもいます。

よこで
女性の
うめき声のようなものも
聞こえたと思います。

今は
ヘリコプターがやかましくて
わかりません。

この下に
ふたりは

、、、、」
と答えました。

それを聞いた
4人は
手伝い始めました。

そして母親らしい女性が
「奥さん
私たちが掘ります。

休んで下さい。

一服して
昼ご飯でも
食べて下さい。」と
言ってくれました。

冴子は
そう言われても
がんばっていました。

母親と
その息子が
少し
後ろに下がらせて
休ませました。

「大丈夫だから」という
奥さんに
「早く助けなければ」と
冴子は
立ち上がろうとしました。

でも
よろけて
座り込みました。

母親の持ってきた
おにぎりと
暖かい
お茶を飲みました。

涙があふれてきました。

そんな間も
余震が
揺れ
そして
あちこちから
最悪ですが
煙が上がり始めたのです。

食べたあと
がれきの後ろに隠れて
用をたしたあと
掘り始めました。

4人が加わって
穴はみるみる大きくなって
店の
床まで
少しのところまで
がれきを
取り除けました。

他にも
見ず知らずの人が
ふたり
ツルハシとスコップを持って
救助に加わってくれたのは
午後2時をまわった頃でした。

もう少しというところまで来ていたのです。

しかし
もう火の手が
近くまで来ていました。









掘っている穴が
ふたりが入るのが精一杯で
力のない
冴子より
冴子の兄たちに
頼む方が
早く掘り出せるというので
冴子は
後ろで
出てくるガラを
運ぶ役になっていました。

でも
時々
風向きがこっちの方になった時
煙が
そして
火炎が
やってくるようになりました。

助けに来ていた
ふたりの若者は
撤収した方が良いと
言いました。

冴子は
「中に
勇治がいる

助けて上げて

お願い」と叫びました。

でも
火炎と煙は
限りなく近づいてきます。

河本さんの兄たちも
「もうダメだ」と
叫んで
親たちを
引っ張り
逃げるよう
言いました。

冴子は
助けに来た若者が
河本さんの両親は
兄たちが
引っ張って
逃げ出しました。

冴子は
諦めきれません。

少し
行って
ふたりの若者の手が離れた瞬間
冴子は
穴の方に走り込み
大声で
「勇治
勇治
勇治」と叫び
大きめの石を手で
のけました。

火事場のバカちからというのでしょうか
とても冴子では持てない
石が持ち上がったのです。



冴子が
石を持ち上げると
少しだけ向こうが
空洞になっていました。

「勇治勇治」と
ありったけの声を
出して叫びました。

穴に頭を突っ込むと
ヘリコプターの音が
少し静かになっていました。

大声で叫んだあと
耳を澄まして
聞きました。

そうすると
確かに勇治の声で
「冴子
ここだー
河本さんもここに
ケガをしているけどいる
はやくたすけてくれ」と
聞こえました。

それを聞いた
冴子は
穴の奥の方へ行くために
掘り始めました。

大きな
コンクリートの塊が
あって
なかなか進めません。

しばらくの時間が経つと
消防士さんが防火服を着て
穴の中に
飛び込んできました。

穴の中は
火炎が
入り込まないような構造なのか
あまり暑くないのです。

でも
もう
穴の外は
防火服でないと
近づかないような状態です。

「ここは
危険です。

後ろに下がりなさい

早く早く」と大声で
冴子の手を掴みました。

「中に
主人がいるのです。

声がしました。
従業員と一緒です。
助けて下さい。」と
叫ぶ冴子を
ふたりの消防士は
体を持ち上げるように
後ろへ
連れて行くのです。

どんどん遠ざかる
店の方に向かって
「勇治
勇治
勇治
、、、







」と
叫びました。

河本さんのいる
国道の向こう側まで
運ばれてしまいました。





国道まで連れてこられた冴子は
お店の方を見ました。

もう黒煙と
その間から見る炎が
見えました。

もう
店には
行く事ができないのは
誰の目にも
冴子にも
理解できました。

焦げた
何とも言えない臭いが
周囲を
覆いました。

「勇治の声が
聞こえた」と
河本さんに
言いました。

でも
横に
河本さんがいるとは
言えませんでした。

言ったところで
助けに行くこともできないのです。

冴子は泣き崩れました。

冴子は
帽子を被っていましたが
出ていた髪の毛は
焦げていました。

河本さんの母親は
地面に座り込んで
じっと
店の方を
眺め
涙を流していました。

父親は
たちすくむのが
やっとです。

ふたりの兄は
他の人を助けるために
他の場所を掘っていました。

炎を見ているのがつらいのでしょう。

炎は
日が傾く夕方になっても
衰えることはありません。

国道まで
炎がせまったので
冴子や
河本さんは
後退を余儀なくされました。

夕食は
河本さんが持ってきた
おにぎりを
食べました。

じっと
この場で
店を見たいけど
見たくないような気もします。

夜も更けてきても
状況は変わりません。

河本さんは
一度
北野の家に帰ることになりました。

冴子も
一緒にと言われましたが
そんな気にはなれませんでした。

余震が続くので
外で
たき火をして
すごしている人の近くで
一晩すごしました。



夜明けの頃は
とても寒くて
火に近づきました。

昨日汗をかいて
下着が濡れたためかもしれません。

凍れる程寒い中
北の空は
明るくなっていました。

まだまだ燃えているのです。

水道が
でないので
消火栓から水が出ません。

全く
消防隊は用をなしません。

燃え放題で
それを見て
また冴子は
涙しました。

そんな北の空を見ていると
「あなたは
冴子さんではないですか」と
呼ぶ声があります。

冴子は聞き覚えのある声です。

声の方を見ると
勇治の両親です。

岡山から
自動車でやって来たのです。

昨日
朝に
電話をしたけど
連絡が取れなかったので
いろんなものを積んで
車で出発したそうです。

姫路辺りまでは
高速できたのですが
不通になっていて
一般道も混んでいて
夜遅く着いたそうです。

付近の人に聞き回って
冴子のところに
やって来たそうです。

勇治の母親は
冴子に
勇治のことを聞きました。

冴子は
義理の両親をみて
泣き崩れました。

冴子は
「勇治さんは
まだ店の中にいます」と
言うのが精一杯でした。

両親は
それを聞いて
立っていられず
その場に
崩れるように
倒れ込みました。

「あの火の中に
今もいるのか」と
激しい口調で
父親は
冴子に言いました。

「あなたは
助けに行かなかったのか」と
あとになっては
八つ当たりのように
言い放しました。

冴子は
ただただ泣き崩れるばかしです。

夜が明けて
数時間
そんな状態でした。





翌日は晴れていました。

太陽が
煙で覆われていましたが
東の空には
輝いていました。

真冬には
暖かい
陽光でした。

冷えた体を
照らす
太陽は
こんな惨事のあとも
かわらないのです。

いつもなら
この時間には
勇治が
店のシャッターを開けて
冴子が
店の前を
掃除していたと思うのですが
太陽だけがかわらず
辺りのがれきの山は
全く違います。

太陽を見て涙
がれきを見て涙
そして
煙を見て涙です。

勇治の両親は
もう
冴子を
責めることすらできないと
感じつつ
助けに行くわけにも
行けないので
ここで
火事が収まるのを
見るだけです。

太陽が高く昇ってくると
自衛隊の車や
警察の車が
国道にやってきました。

消防が
海から
水を引いて
やっと消火が
始まっていました。

冴子には
もう遅いとしか
思えませんでした。

昨日の昼から
消火していたら
きっと
勇治は
助け出せたに違いないと
それを見て
思ってしましまいました。

そして
また涙です。

泣いていると
河本さんが
家族で
また来ました。

母親は
相当
冴子に負けず劣らず
悲痛の様子です。







冴子は
母親と抱き合って
また崩れました。

助けに行こうに
まだまだ
残り火が
有って
ちかづけたもではありません。

ふたりは
焦げ臭い臭いなか
焼け跡を
できるだけ近づいて
その日一日
過ごしました。

河本さんが
持ってきてくれた
食べ物や
お茶
そして暖かいコーヒーを飲んで
心が
少し暖まったように
一瞬感じました。

夕方になって
河本さんの母親は
「今日は
私の家に来て
お風呂に入って
着替えをして下さい」
と言ってくれました。

冴子は
辞退しましたが
何度も
言ってくれるので
河本さんの家に
行くことになりました。

がれきが散乱した
国道を東に進み
トアロードを
北に向かい
一時間くらい掛かって
河本さんの家に付きました。

一時間くらいしか歩いていないのに
がれきの量は
全く違います。

殆ど
壊れた家がありません。

冴子は
登と来た時
そして
勇治が北野の辺りに
住みたいと言っていたことを
思い出しました。

あのとき
私が
北野は嫌だと
言ったので
尻池に住むことになったのです。

私があんなことを言ったから
、、、、
そう思い出したら
また泣いてしまいました。

後悔しても
仕方がありませんが
「どうして
どうして
、、、、、
」と
思うばかりです。

河本さんの家は
殆ど被害はなく
水も出るのです。

電気も通じていて
暖っかです。

ゆっくりお風呂に
入らせていただいて
冴子は
心から暖まりました。

暖かい夕食をして
暖かいお布団に寝ました。

快適なはずなのに
眠れません。

勇治が心配なのと
なぜこんなことになったのかという
懺悔の念のため
頭の中が
イッパイになりました。

でも
ウトウトして
目が覚めると
周囲は
異様に白っぽく
明るく輝いているのです。

雲の上にいるような
そんな中
勇治が
こちらを見て
「ありがとう
ながく一緒に暮らせて
幸せだった。

地震の日
あそこまで
助けるために
掘ってくれて
ありがとう。

もう充分だ

私は先に行くけど
冴子は
もう少し
そちらで暮らして
ゆっくり
こちらに来てくれ

また会おうね


付け加えるけど
後悔しても仕方がないし
後悔する必要もないよ

それが私の運命だったんだから
それじゃ
、、、、、、、
、、、、、、
、、、
」
言ったような気がしました。

それから
勇治は
上の方へ
、、、

冴子は
白い景色が
薄い赤に
薄い橙に
薄い黄色に
薄い緑に
薄い青に
薄い藍色に
薄い紫色に

変わっていき

そして
暗闇になるのを
じっと見ていました。

「勇治
今すぐ会いたい!」と
冴子は
叫びました。

遠くから
「必ず会えるから
もう少しがんばって
そこで暮らして

それが運命なんだ

僕たちの運命なんだ

冴子がそれを全うしないと
僕たちは
永遠に会えなくなってしまう

かならず
冴子の運命を
終えてから
こちらに来なさい

いつまでもここで
待っているから

冴子と
あんなことをした
後悔なんかしていないからね

さえこも
僕との
ことを
後悔しないなら
勇気を出して
生きていって

愛してる冴子」
と
聞こえました。


それから
何時間の暗闇があったでしょうか
ウトウトとしてしまい
明るい日差しで
目が覚めました。

冴子は
夢とは
思いませんでした。

時間からして
相当寝たように思いますが
あまり寝たような気がしません。

でも朝なので
リビングに行きました。

河本さんのお母さんが
朝の挨拶をして
話しになりました。

その中で
河本さんのお母さんも
夢の話しになりました。

そして
同じような
娘の夢を
見たというのです。

ふたりが
同じような
夢を見たと言うのです。

聞いた言葉は
本当だと思いました。

河本さんのお母さんと
冴子は
朝ご飯も作らず
そんな話をしました。

起きてきた
河本さんの家族も
その不思議な
「ゆめ」を
話しました。

みんなは納得するしかないと思いました。

もちろん
冴子も
現実を受け止めなければならないと
思いました。

あの燃えさかる炎の中に
勇治と
河本さんがいたのは
紛れもない事実です。

そして
店のあったところは
2日中燃えてしまいました。

ふたりは焼け死んだと考えざる得ないと
思ったのです。

そして
あの夢のような
出来事です。

勇治が
夢の中で言ったように
どのようなことがあっても
強く生きていこうと
決意しました。

そして
また
リュックサックを背負って
河本さんと
店のあったところに向かいました。

火はおさまって
国道から
自衛隊と警察と消防が
捜索を始めました。

捜索の担当者に
店のあったところに
ふたりがいると
何度も何度も
冴子は言いました。

奥の方は
まだまだ残り火があるので
そこまで入ることができないと
言われてしまいました。

冴子自身が入って
捜索したいと言いましたが
警察が規制線を張っていて
入ることができませんでした。







まだまだ
店の捜索は始まらないようなので
冴子は
アパートの自宅を
見に行くことにしました。

潰れて
何もくしゃくしゃになっていると
思っていました。

避難所の
小学校を横切り
これまた
小さな避難所になっている
老人憩いの家の角を曲がって
そーっと
見ました。

アパートは
潰れていませんでした。

冴子の目には
そう見えたのです。

冴子にとって
家が潰れるとは
もう入れないほど
潰れることで
壁に少しばかりのひびが入ったり
壁が落ちたり
屋根瓦が落ちたりする
のは
被害ではありません。

ドアは
開かなかったので
割れた窓から入ったけど
部屋には入れたので
お部屋は大丈夫と
思いました。

安心して
また店の見える
国道筋まで
帰りました。

昼になると
昼ご飯に
パンが
市役所から配れていました。

あんパンと
メロンパンを
河本さんと
一緒に食べながら
捜索を見ていました。

夕方になって
自衛隊の
白く塗られた
重機がやって来ました。

捜索が終わったところの
ガラが
効率的に
積み上げられました。

日が沈んで
投光器もやってきて
明るく
夜を徹して
捜索していました。

河本さんは
帰りましたが
冴子は
そこで
夜中
ウトウトとしながら
過ごしました。



朝方になると
さすがに寒く
捜索する人も
少なくなって
重機だけが
音を立てていました。

時間は過ぎて
日も昇ってくると
河本さんも
着いて
持ってきていただいた
お弁当を食べ
暖かい
コーヒーで
少し暖まりました。

捜索線は
昨晩より
店に近づきました。

心の中で
もっとがんばって
探して下さいと
叫びながら
見ていました。
日が沈めかけた時
ついに
店までたどり着いたように
遠目で見えました。

しかし
今日は
7時頃に
捜索は
休止になりました。

毎夜続けて
徹夜での捜索は
きついと言うことです。

捜索する人も
相当疲れているようです。

今日は
アパートに帰って
休むことにしました。

まだ
入り口から入れないので
窓から入りました。

散乱するものを
少し片付け
横になりました。

すぐに眠りに入ってしまいました。

そして
朝までぐっすりです。

服を着替えて
国道筋まで
歩いて行きました。

道路は
少しは片付いていました。

現場では
捜索の
自衛隊員や警察官消防士さんが
集まりはじめ
隊長の
点呼の後
捜索が始まりました。

冴子の店と言うことで
冴子も近づくことを許され
間近で
じっと
見続けました。






30人以上の人が
捜索しました。

しばらく経つと
大きなコンクリート片が
横たわっており
重機で
撤去し始めました。

撤去をするためには
小一時間かかりました。

やっとつり上げはじめ
その下が
見え始めて
隊員のひとりが
大声で叫びました。

「遺体発見」の声を聞いて
隊員たちは
ブルーシートを
周りに
張り始めました。

係員が
合掌して
写真を撮影する
姿が冴子たちにも見えました。

白い袋と
担架が用意され
運び込まれます。

隊員のなかで
年嵩のある方が
冴子たちに近づき
「残念ですが
二体のご遺体を発見致しました。

遺体は
大変損傷していますので
ご遺体の確認は
警察の方で行います。

歯型を取るために
通っておられた
歯医者さんをお教え下さい。」と
伝えました。

冴子たちは
泣き崩れました。

「もう少し
時間があれば
もう少し
私に力があれば
もう少し
手伝ってくれる人がいれば
きっと
助かったのに
、、、、、、、
、、、」と
残念と
後悔と
懺悔で
一杯です。

「ご遺体は
検視のあと
○○寺に
安置されます。

安置されるのは
今夕です。

身元が判明次第
引き渡しますが
専門の歯医者さんが
忙しくて
判明までは
相当時間を要します。

引き渡しは
早くても
明後日以降だと思います。」
と
付け加えました。

担架に載せられ
警察の車で
西の方へ
走り去るのを
ズーと見ていました。

冴子は
歯形を
調べなくても
その遺体は
勇治と
河本さんに違いないと思いました。

遺体があった場所には
見慣れたパン焼き釜と
冷蔵庫
発酵槽が
焼き焦げてありました。

あの間に挟まれて
地震にあったその時は
助かっていたんだと
思いました。

あの
勇治の声は
確かに
聞こえたんだ。

はっきりと
聞こえたんだと
改めて思いました。

きっと
河本さんは
少しケガをしたか
何かに挟まれて
痛かったに違いないと
思いました。

それが
うめき声として
聞こえたに違いないともいました。

きっと
ふたりは
最後に
私が勇治に呼びかけた時まで
生きていて
私の声を
聞いたに違いないと
思いました。

そして
私が
炎のために
その場を去って
それから
その炎が
ふたりの命を
奪ったに違いないと
確信しました。


「勇治
ごめんね」と
独り言を
言うのが
精一杯でした。






店から遺体が
発見されたことを
岡山の
義理の父母に
電話で連絡しなければならないと
気が付きました。

公衆電話は
殆どなくなっているか
繋がらなくなっていましたが
避難所に
無料の電話があると
話しに聞きました。

そこで
近くの小学校へ
行きました。

電話が
机に並べてあり
そこに並んでいました。

冴子も並んで
電話を待ちました。

前の人の話は
かなり深刻でした。

妻と子供が家の下敷きになって
子供を
抱いて
妻が見つかったというものです。

父親と
話しているのでしょうか
泣き崩れていました。

そんな長い電話を
横で聞きながら待ちましたが
隣の電話が空いたので
冴子の番がやってきました。

メモ帳の
電話番号を
押して
岡山へ電話を繋ぎました。

すぐに
母親は出ました。

遺体が発見されたこと
検視に時間がかかること
明後日くらいに
近くの寺に安置されることを
伝えました。

母親は
冴子が
勇治を助けるために
全力を尽くしていたことを
河本さんから聞いていたので
労をねぎらう言葉を
冴子に掛けました。

もう
涙も出尽くして
その言葉を
じっと聞いていました。

明後日
行くといって
電話は切れました。



冴子は電話の後
家に帰ることにしました。

家の前まで来ると
アパートに
赤い紙が貼ってあって
「全壊 立ち入り禁止」と
書いてありました。

冴子は
それを見ても
何とも思いませんでした。

窓から入ろうとすると
家主が来て
「入ったらいけないと
市役所の人に
言われています。」と
伝えました。

避難所に
行くように言われて
初めて
近所の
小学校の避難所に行きました。

前は何度も通って
知っていましたが
入ってい見ると
どこも一杯です。

係員に言うと
体育館が
比較的空いていると言うことで
体育館に行ってみると
入り口付近に
少しだけ
余裕がありました。

毛布をもらって
そこに敷き
とりあえず
場所を決めました。

隣は
家族連れで
相当やかましい環境でした。

女性専用の
当時はなく
みんなで助け合って
いました。

避難所は
一応
朝昼晩の三食は
出ます。

最初の内は
菓子パンや
おにぎりが
主でした。

お風呂なんか当然無く
トイレも
くみ取り式の仮設のもので
いつも
並んでいました。


当たり前ですが
不自由な
避難所暮らしが始まりました。

冴子は
40才の働き盛りで
血気あふれる時ですので
避難所で
世話役のようなことを
やって
食事の用意とか
していました。

遺体が安置されることになる
寺に朝晩に行って
勇治の遺体が
来ていないか
聞きました。

遺体が発見されてから
3日目の夕方になった時に
寺に来ていました。

はっきりと名前が書いてある
棺がふたつ
隅の方に置いてありました。

係員が
台帳を見て
詳しく説明してくれました。

冴子は
勇治の棺の中を
見ようとした時
係員が
「大変傷んでおります。
やめられた方が
いいのでは」と
言ってくれました。

冴子は
現実を受け止めるためには
勇治の
変わり果てた姿を見なければならないと
思いました。

意を決して
棺を
開けました。

(この伝聞を
聞いたこともあります。

その後
当分の間
PTSDに悩まされましたので
はっきりと
書けません。

あまりにも悲惨なので
この部分は
省略します。
皆様方で
ご想像下さい。

すみません。)

泣かないと決めた
冴子は
じっと我慢して
立ちすくむだけです。

しばらくして
我に帰り
電話をするために
避難所に帰りました。


同じように
並んで
岡山と北野に電話しました。

岡山のお母さんも
北野の河本さんのお母さんも
大変
がっかりした様子で
電話の向こうで
泣く声が聞こえました。

河本さんは
これから行くと
言いましたが
安置所は
夜は休みですので
明日の朝と
と言って
電話が切れました。

その夜は
避難所の
なれないお布団の
中で
唇をかみしめました。

朝方ウトウトと
していると
まだ明るくならない頃から
起き始める
人たちの
もの音で
目が覚めました。

冴子が寝ている入り口は
枕元を
大勢の人が
歩くので
必ず目が覚めるところです。

しかし
炊飯が始まる
6時までは
じっと
布団の中で
寝返りをうっていました。

やっと6時になったので
起きて
冴子は
炊事場になっている体育館横の
手洗い場に行きました。

今日は震災からはいじめての
雨でした。

たいそう強い降りで
炊事場にも
入ってきました。

みんなが集まってきて
朝は
豚汁のようなものを
作る献立になっていました。

手分けして
作り始め
7時半頃には出来上がり
避難所のみんなに熱い
ものを提供できました。

雨模様の
寒空に
暖かいものが
本当に
喜ばれました。






冴子も
暖かい食事をして
少し気を取り直し
後片付けをして
お寺に行くことになりました。

傘は
用意していなかったけど
どういう訳か
たくさんの置き傘がありました。

その傘を使って
寺に向かいました。

4人の河本さんの家族は
既に到着していました。

係員に
いろんな書類を
書かされ
ご遺体の
引き渡しを受けました。

棺の中は
係員の忠告に従い
この場では
見ませんでした。

見られなかったというのが
本当のことでしょうか。

そんな河本さんを見ていたら
勇治の
父母と
引き取りのための
寝台車が
やって来ました。

父母は
冴子をねぎらいました。

河本さんから
助け出そうとする
奮闘したことを
知らされたからです。

母親は
遺体を
岡山に引き取り
そこでお葬式をするので
冴子も
岡山まで来て欲しいと
言ってくれました。

混乱する
神戸で
お葬式を上げることなど
今はできないので
冴子は
そうすることにしました。

同じように
いろんな書類に
目を通して
冴子は
後ろの
リュックから
判子を出して
押しました。

義理の父親は
棺の中を見ようと
開けかけたのですが
冴子は
涙目で
「やめて
止めて下さい。

岡山に帰ってから
気構えてから
見た方が良いです。」
と言いました。

父親は
冴子が
あまりにも真剣に
言うので
やめました。

雨の中
棺を
みんなで担いで
用意した
寝台車に載せました。

冴子は
寝台車の前に座って
係員に渡された
死体検案書を
持ちました。

雨は激しくなり
フロントガラスの
ワイパーは
激しく左右に振れました。

岡山までの
道のりは
ながく思いました。

お昼おそく
家に到着して
頼んであった
お葬式屋さんは
手際よく
祭壇を作りました。

冴子は
横で見るだけです。

何もすることなしに
ぼう然と
座っていました。

夕方近くなると
お寺さんや
近所の人が
多数押し寄せ
冴子に
お悔やみを言って
帰りました。

食事も
近所の人が
作って
冴子の前に
持ってきてくれました。

何もせず
何もできず
時間が過ぎ
夜も更け
雨も止みました。

冴子には誰だかわかりませんが
お布団の用意もできたと
言ってきました。

でも
義理の父母は
今夜は
よとげで
寝ないというので
冴子も
寝ずに
明日のお葬式を
待ちました。

座りながら
ウトウトとすることがあっても
横にはなりませんでした。







翌日
静まりかえっていた
家が
突然騒がしくなりました。

大勢の人が
一気にやってきて
お葬式の準備が始まりました。

冴子は
村のお葬式を
見たことがなかったので
驚きです。

役割が決まっていて
スムーズに
お葬式が進みます。

冴子は
喪主の席に
じっと座っているだけで
お辞儀をするだけで
朝食も
お葬式も
問題なくでき
終わってしまいました。

斎場に行って
帰ってきて
それから骨揚げに行って
墓に骨を入れて
帰ってきて
それから
精進揚げをして
そして
夜になって
その日の日程は
たちまちの内に終わってしまいました。

冴子は
泣く時間もなく
終わってしまいました。

小さい骨壺を入れたものだけが
残りました。

(この間
棺の
勇治に
最後の別れを告げるのですが
私には
その光景を
描写できません。

すみません。

皆様ご想像下さい。)

手伝いの村人が
夕食をとって
後片付けをして
帳簿の書類を置いて
一斉に帰ってしまいました。




勇治の家族と
冴子だけが
広い座敷で
黙って座っていました。

勇治の母親が
「冴子さん
ご苦労さんでしたね。

ゆっくりこちらで
休んでいって下さい。

ズーとこちらにすんでもいいですよ

何もないけど
離れが空いているから
そこに住んで
私の
仕事を
手伝ってくれてもいい

もちろん
神戸で暮らしてもいいけど

勇治の
お墓はこちらにあるから
お墓参りだけは
来て欲しい

それから
こちらの小さい骨壺は
冴子さんが
持っていて欲しい

月日が経ったら
どこかの
お寺に
納めて下さい。」と
優しく言ってくれました。

冴子は
下を向いたまま
聞いていました。

ここにいてもいいと言われても
勇治のいない今
ここに入れる理由がないことは
冴子はわかっていました。

帰らなければならないと
冴子は
思っていました。

またしばらく
沈黙になりました。


その沈黙を破ったのが
そばにいた
勇治の
姪にあたる
若い女性でした。

「私のような者が
差し出がましいと思いますが
もし神戸に
冴子さんが帰ってしまったら
もう会えないので
話させて下さい。

勇治おじさんの
遺産というか
借金整理です。

亡くなって
一週間しかたっていないのに
こんな話をして
すみません。

おばあさんから
聞いた話では
勇治さんは
パン屋さんをするために
借金をしたそうで
そんなに
パン屋さんがはやっていなかったから
まだまだ
たくさん残っていると思います。


(姪の話は続きます)
パン屋さんはもうできないほど
潰れてしまったのに
借金だけが残ったら
大変です。

勇治おじさんの借金は
相続人のおじいさんとおばあさん
それから
冴子さんが
負担することになります。

相続放棄して
借金まで相続しないように
した方が
、、、、、、

」と
忠告してくれました。

その場にいた
家族は
みんな
「そうだ」と
思いました。

勇治の両親は
姪が
そのように言ってくれて
大変感謝しているようで
そうしようと
話していました。

冴子は
そんなこと思いも付かなかったのですが
勇治のことを
放棄するのが
いいものか
思い悩み始めました。

その日は
もう遅いので
休むことになりました。

お布団の中でも
悩みました。

夜あまり眠られず
小さな骨壺の
勇治を持って
岡山の家を
後にしました。

家にいるように
言ってくれている
義理の父母を
あとに
家を出ました。

神戸まで
姪が
送ると言ってくれましたが
電車で帰ることになりました。







電車を乗り継いで
避難所まで帰ってきました。

もう夕方になっていて
3日いなかった間に
小学校の校庭には
大きなテントが
幾張りか立っていました。

自衛隊が
駐屯しているらしいのです。

お風呂も
できているらしいのです。

今日は
男性が入浴になっていて
女性は明日と言うことが
書かれていました。

みんなに挨拶して
食事を
もらい
にわかにできた
お友達に
岡山の様子を
話しました。

避難所の中は
段ボールが運び込まれていて
敷いたり
隣との壁にしたり
重宝しているみたいで
遅かった
冴子には
手に入らなかったのですが
友達からもらいました。

1月の月末になると
銀行の返済の日です。

冴子は
銀行に行って
店が潰れ
勇治が亡くなったことを
話しました。

銀行は
いろんな書類を
出して欲しいと
言ってきました。

返済については
冴子が
連帯保証人なので
引き続き
返済して欲しいと
いうことでした。

でも
そんなお金は
冴子には
ありません。

いつも店の
運転資金として
十数万が
リュックサックに入っていましたが
そのお金も
勇治が亡くなって
岡山に行って
帰ってきたら
半分近くに
なっていました。

預金もなく
不安です。

法律相談が
避難所で行われた時
相談することにしました。

相談員の
弁護士の先生は
「まず
相続放棄して
それから
破産宣告を
受けるしかないと思う」と
答えました。

冴子は
遺産放棄するしかないのかと
思いました。

そして
破産宣告も
受けることになります。

またまたいろんな書類を書きました。

弁護士の費用は
義援金を
使いました。


冴子には
地震ですべてを
なくしてしまい
もうなくなるものは
何もありません。

破産宣告を受け
正真正銘の
無一文になってしまいました。

避難所暮らしでは
とくに
何も要らないので
無一文でも
支障がないですが
避難所暮らしでは
働くのも不利でした。

ハローワークにも行って
職を探しましたが
なにぶん神戸の会社は
大変で
求人どころではないのが現状な上
冴子は
とくにこれといった
特技もなかったのです。

そんな生活を
桜の咲く頃まで続けました。

仮設住宅が
次々と
建っていって
避難所の人数も
少しずつ
少なくなってきました。

避難所は
高齢者とか
子供の家庭が
優先されていて
冴子のような
中年女性の
一人暮らしは
後回しらしいと言う
うわさが流れました。

やっぱり自力で
アパートを探す方が
いいのではないかと
思っていました。

そんなとき
勇治の
四十九日の法要が
あるので
来て欲しいと
勇治の
お母さんが
やって来ました。

連絡の電話もないので
姪の運転で
やって来たのです。

お母さんは
冴子の
避難所暮らしに
同情していました。

姪の車に乗って
岡山に向かいました。

翌日
四十九日の法要が
盛大に執り行われました。

そして
そのまた翌日
お母さんは
お葬式のあとに言ったことを
繰り返しました。

離れに住まないかと
言ってくれました。

でも
冴子は
断りました。

「それなら
アパートを借りる
保証人に
なって上げますので
今から
神戸に行きましょう」と
切り出しました。







冴子は
ありがたい言葉です。

いつまでも
不自由な
避難所暮らしではいけないし
それにもまして
ひとりで生きていかなければならないので
働かなければなりません。

そのためには
仕事のある
所に
住まないといけないと
思っていました。

勇治のお母さんの
好意に
甘えて
姪の車で
アパート探しに出かけました。

地震のあった神戸近辺の
アパートは
空いているわけがないので
やはり仕事の多いと考える
大阪寄りがいいのではないかと
話し合いました。

西宮北口
武庫之荘
塚口と調べ
園田で
探しました。

不動産屋さんは
川沿いの
アパートを
借りることにしました。

家賃が安いので
決め手となりました。

その日の内に
手続きをして
借りることにしました。

もう暗くなっていました。

大阪まで行って
ホテルに泊まることになりました。

地震以来
いや
勇治と駆け落ちしてから
初めて
大阪に来て
大阪の変わりように
びっくりするばかりです。

その立派さはともかくとして
全く地震とは関係なく
生活が
行われていることに
驚いてしまいました。

すこし
腹立たしさも感じます。


大阪が被害を受けずに
いつものように
時間が経過していることに
不満を感じても
それが
八つ当たりであると
心では思っても
止めることができません。

その日は
暖かい
ベッドに寝て
英気を養うことにしました。

翌日は、
朝食バイキングでした。

豊富な食べ物が
並んでいました。

もう食べきれないくらいです。

美味しくて
さんざん食べて
満腹になりました。

避難所とは
全く違うメニューです。

満腹まで食べながら
何か
満ち足りないものを
感じました。

姪の車で
避難所まで帰り
荷物を
まとめました。

尻池の
潰れたアパートから
取り出した
ほんの少しの家財道具を
運送屋さんに
運んでもらうことを頼みました。

運送屋さんが混んでいて
次の
火曜日でないと
運べないそうで
避難所暮らしを
少しだけ続けて待つことにしました。

出るとわかると
何か
分かれがたいような
気がしました。

避難所のみんなや
ボランティアの人たちと
すっかり友達になっていました。

歳をとると
月日が経つのが
早くなったと
感じていました。

一週間は
すぐに過ぎ
運送屋さんに
荷物を運んでもらいました。

避難所のみんなと
別れを惜しんで
握手して
別れを告げました。

でも
翌る日には
また避難所に
今度はボランティアとして
来るのですが
その時は
一生の別れというかんじでした。

冴子は
電車で
園田アパート
行きました。

車は
なかなか来ませんでした。

小さなお部屋ですので
掃除も済んで
待ったいました。

いつものように
渋滞していて
車は
園田のアパートには
到着しませんでした。

夕方になって
車がやってきて
荷物を運び込んでもらいました。

冴子は
窓から入る
夕日が
まぶしく見ました。

駆け落ちして以来
自分だけの夕食を
初めて作って
食べました。

ひとりで
あまり何もない
アパートで
ひとりで
食べると
悲しくなりましたが
泣きませんでした。

強く生きていくと
勇治と
あのとき約束したから
絶対に泣きませんでした。

アパートの家賃は
補助があって
当分の間は
負担は少なくなっています。

早く
仕事を
探して
自立しなければならないと
思いました。

ハローワークで
探しました。

たいした職歴もなく
技術もなく
普通の
中年の女性が
できる仕事は
少ないと
ハローワークのひとには
言われてしまいました。

冴子は
「どこでもいいから」と
付け加えてしまいました。

希望を
ぐっと落としても
1ヶ月あまり
面接を繰り返しました。

当時は
バブルがはじけて
不景気だった上
震災で
経済が混乱していたから
職探しは
大変でした。

そんな
面接を受ける合間に
避難所にも
ボランティアで
行っていました。

そんな体験を面接で話したら
そこの社長が
気に入ってくれて
めでたく
職が見つかりました。

新しい職場は
冴子のアパートから
自転車で
15分ほどの所にある
刻みキャベツを
供給する会社でした。

野菜サラダなどに使う
刻んだキャベツを
スーパーや
ファミレス
ハンバーガ-屋
弁当屋さんに
供給する会社です。

翌日から
多量のキャベツとの
格闘です。

冬は
大変な仕事ととなるのですが
仕事が決まって
名実ともに
勇治は
思い出の中のひとに
なってしまいました。

(今回で
震災関連の
お話は終わります。

もちろん
震災の傷跡は
何年何十年と
残ります。

もっと
もっと
そして
もっと悲惨なのですが
書くことができません。

目の前で
焼け死んでいく
人の話を
伝聞で
聞いたことがありますが
その後
それを思い出すたび
PTSDに襲われます。

ご想像下さい。


読者の皆様には
類推して頂きますよう
お願いします。)

冴子は
毎日
キャベツ工場に
通勤しました。

仕事ですから
楽なことなどないですが
テキパキと
片付けていかないと
たまってきてしまって
大変なことになってしまいます。

元々
冴子は
おっとりしている方で
テキパキとは
正反対の方です。

でも頑張っていました。

なるべく同僚の
女性陣とも
仲良くするようにしていました。

地震で
夫と店をなくしたことについては
話しました。

細かいことを
女性陣は
聞いてきますが
「目の前で
焼け死んだ」ことは
話せませんでした。

あまりそんなことを
はなすゆうきがなかったのです。

すこし
同僚たちとの間に
距離をおいていることが
同僚たちにも
わかったのでしょうか。

あまり
冴子には
話しかけないようになりました。

ある時
飲み会があって
ついて行くことになりました。

冴子は
お酒を飲みませんが
やはり
つきあいが大切にしないと
考えたからです。

食べる方にまわっていて
黙々と
食べているのが
女性陣たちには
少し変と
見えました。

二次会に
行きつけの
スナックに行きました。

スナックには
話の上手な
カウンターレディがいて
接待してくれました。







いろんな仕事があって
話し相手になって
仕事になるものがあるんだと
思いました。

私には あんな風には 話せないと 感じました。

心にもないことを 初対面の 客に 言うなんて 誠実でないと 考えたのです。

昔 チューナーの工場の 検査係で まじめに検査をして 大問題になった事件が 冴子には 心に残っていました。

そんな批判の目で 眺めていました。

他のみんなは 気を良くして 話が弾んでいましたが 冴子は その中には入れませんでした。

冷ややかな目で見ていることを 同僚たちは 見ていました。

店を出る時に 入り口の横に 「求人 明るく元気な方」と 書かれていました。

冴子は こんなところに 勤められる人は 嘘つきな人だと 思いました。

冴子は やはり どんなに大変でも キャベツ工場で 働くしかないと 思いました。