私は ここ数年 いやここ十数年は 服などを買ったことはありません。 死ぬ時期が近づいているのに 新しい服など買う必要がないと 考えての事です。 しかしながら ますます高齢になって いつ何時 もしかの時がくるかも知れません。 そこで 女房殿がひと言 「下着は いつも綺麗なものを着ていなくてはいけません」と ご忠言です。 そう言えば 私の母も そのようなことを 言っていたように思います。 道ばたで 倒れて 救急車で運ばれたときの用心に 綺麗な下着を 着るべきだと 我が師・母は 言っていました。 私もその 忠言に 従う歳になってしまいました。 御文章 それ、人間の浮生(ふしょう)なる相をつらつら観ずるに、おほよそはかなきものはこの世の始中終、 まぼろしのごとくなる一期(いちご)なり。さればいまだ万歳(まんざい)の人身(にんじん)をうけたりといふことをきかず、 一生過ぎやすし。いまにいたりてたれか百年の形体(ぎょうたい)をたもつべきや。 われや先、人や先、今日ともしらず、明日ともしらず、おくれさきだつ人はもとのしづくすゑの露よりもしげしといへり。 されば朝(あした)は紅顔ありて、夕(ゆうべ)には白骨となる身なり。 すでに無常の風きたぬれば、すなはちふたつのまなこたちまちに閉ち、ひとつの息ながくたえぬれば、 紅顔(こうがん)むなしく変じて桃李のよそほひを失ひぬるときは六親眷属(ろくしんけんぞく)あつまりてなげきかなしめども、 さらにその甲斐あるべからず。さしてもあるべきことならねばとて、 野外におくりて夜半(よわ)の煙(けぶり)となしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。あはれといふもなかなかおろなり。 されば人間のはかなきことは老少不定のさかひなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかて、 阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、念仏申すべきものなり。 あなかしこ、あなかしこ。 のおっしゃることを 身近に感じる今日この頃です。