ロフト付きはおもしろい

ロフト大好きの68歳の老人の日記です

ブログ小説「ロフトで勉強しましょ」結婚編その100まで

ブログ小説「ロフトで勉強しましょ」は
前編
クリスマス編
完結編と
3部構造になっています。

完結編を書いて
3年半が過ぎてしまいました。

昨日
再び
全話読んで
また涙を流してしまいました。

きっと
自作の小説は
凡作・駄作でも感動するのでしょう。

あれからずいぶん時間が経って
私も
老いてしまいました。

十詩子も
悟も
結婚したのが
初老を過ぎた頃ですから
きっと
死を
間近に見ていたかも知れません。

今までの
「ロフトで勉強しましょ」が
恋愛小説なら
それとは
180度違うものとなると思います。

いつものように
期待せずに
お読み頂ければ
嬉しいのですが
年齢的に
死が話題となることが多いので
「うっとしい」物語になると思います。

そんなんじゃなくて
華やかなのが良いですよね。
いつも考える
大方の筋書き
例の構想1分で考えてみました。





「ロフトで勉強しましょ」
前編
クリスマス編
完結編のあらすじ


十詩子は
大家族で高校まで
豊岡に住んでいました。

家計を助けるために
大学進学を諦め
尼崎市の大手鉄鋼会社の工場に勤めはじめます。

同僚の敬子とともに
社命で大阪の経理学校の夜学で
簿記を勉強しました。

そこで
大学生の悟と出会います。

平素は控えめな十詩子ですが
この時だけ
十詩子の方から
きっかけを作って
悟と付き合うことになります。

ふたりは
一緒に勉強したり
悟の大学に行ったりして
清く正しい
デートをしていました。

悟の大学で
講義を受けて
大学にやっぱり行きたくなります。

課長にお願いすると
転勤のある
総合職に変わると
奨学金が出て
夜学に行けると
アドバイスを受けます。

あとのことも考えずに
総合職に変わって
悟と同じ大学を受験します。

試験には合格し
入学金は
悟や同僚・両親・家主それに
会社の奨学金で
まかなってもらいました。

十詩子は
仕事と勉強それに
悟を大事にして
がんばっていきます。

会社の仕事が
電算化される時流に乗って
十詩子の仕事は
段々と大きく
偉くなっていきます。

ひとつ上の
悟は
建築の勉強をするために
もう一度大学に行くことになります。

遅れて卒業した
十詩子は
総合職として
東京転勤を命じられ
悩みます。

ふたりは
永遠の愛を信じて
十詩子は
東京へ
悟は大阪の大学と
遠距離恋愛になってしまいます。

十詩子の仕事も
悟の勉強も
忙しいために
殆ど会われず
3年が過ぎます。

普通に考えると
些細な誤解が
二度起きて
ふたりは
愛しながら別れてしまいます。

十詩子は
会社で
徐々に重要な仕事をまかされ
昇進していきます。

悟は
大阪市の公務員になって
忙しく仕事をする毎日です。

ふたりは
相手のことを忘れることもなく
月日が経って
悟が58
十詩子が57歳の時
再び出会って
誤解が解けます。

今度も
積極的に
十詩子が動いて
結婚を
する事になります。

そしてふたりは
十詩子の実家
豊岡へ
電車で向かいました。

(どのような誤解で
「愛しながら別れる」になったのかは
原文をお読み下さい。

私は
相手のことを
深く思い合う心があれば
この様な誤解も
起こるかも知れないと
思っています)




結婚編筋書き

結婚の準備をしていると
十詩子が勤めていた会社から
再度
慰留の話がありました。

何でも相談すると決めていたので
そのことも
十詩子は相談しました。

悟は
こころよく承諾して
十詩子は
嘱託として
勤めることになります。

悟も
定年退職後に
建築相談員として
元の職場で勤めていました。

夫婦は
ものすごく仲が良かったけど
子供は
高齢のため
できませんでした。

そこで
高校生の創を
養子にします。

3人で仲良く暮らしいましたが
十詩子が
61歳の時に
癌であることがわかったのです。




結婚編その1

結婚のことを
十詩子の両親に
話すために
豊岡に向かう
電車に乗っていました。

1月2日ですので
正月の晴れ着を
着ている乗客も多く
華やいだ車内でした。

その中で
初老の悟と
ひとつ歳は下だけど
娘のように見える
十詩子が
寄り添って
座っていました。

景気の良い
武田尾の
渓谷のなかを
電車が通っても
窓の外など見ずに
ふたりは
見つめあって
なんだかんだと
話していました。

宝塚から福知山で乗り換えて
豊岡まで
電車で約2時間です。

朝早く出発して
9時過ぎには
豊岡に着きました。

駅前は
正月ということで
大きな門松が飾ってあったけど
閑散としていました。

十詩子の家は
駅から少し離れていて
バスで行くのが普通です。

弟が迎に行くと言っていましたが
『タクシーで行くから』と
断りました。

駅に着くと
タクシー乗り場に
タクシーが停まっていませんでした。



2

豊岡の正月は
雪が降っている時が多いのですが
その年は
雪は殆どつもっていませんでした。

まだまだ時間があったので
歩いて
十詩子の家まで
行くことにしました。

駅を東に商店街を通って
円山川の川沿いの道まで出ました。

川を少しさかのぼって
歩いて行きました。

コウノトリが
巣を作るための
鉄柱が
所々に立っているのが
遠くに見えました。

十詩子は
活動的な女性で
歩いて
営業に回ることも
しばしばありました。

悟は
机付と
言われるくらい
机の前でしか
仕事をしたことがなく
歩くことは
苦手でした。

ふたりは
正月とはいえ
暖かい日を浴びて
ゆっくりと
手を繋いで
歩いていました。

十詩子は
悟の顔を見ると
我慢しているようですが
辛そうでした。

十詩子は
「ここで休みましょうか」と
声を掛けました。

悟は
「ありがとう

僕の気持ち
わかるんですね

良いお嫁さんになるよね」と
十詩子に言うと
すこし赤くなった十詩子は
「あなたこそ
良い旦那になりますよね」と
答えました。



3

休み休みゆっくりと歩いて
十詩子の家が
間近に迫った時
向こうの方に
たぶん高校生くらいの
男の子が立っていました。

悟は
目が良いので
顔はわかったのですが
十詩子は
近視?遠視なので
誰かわかりませんでした。

男の子は
こちらを見て
少し会釈したら
角に隠れてしまいました。

しばらくして
何人かが
出てきました。

遠くからでも
ハッキリわかるくらいの
老夫婦と
初老の夫婦
それに
若い人達でした。

だいぶ近づいてきたので
十詩子も
わかって
「お父さんたちだわ」と言って
少し早足になりました。

悟も
力を振り絞って
あとを付いていきました。

みんなで
出迎えてくれていたのです。

正月の静かな雰囲気が
その場所だけ
破られました。

「今日はよく来たね」
「結婚するんだね」
「よかったね」
「おめでとう」などと
挨拶しました。



4

みんな一緒に
ガヤガヤ話ながら
家に入りました。

正月2日には
集まる習慣があって
十詩子の叔父さんや叔母さん
従兄弟や姪甥も来ていて
座敷は
座る場所もないくらいです。

悟は
一応座って
ご両親に挨拶しました。

母親は
「ご丁寧に

よかった
よかった

もう少しだけ
早かったらよかったのにね

でも
私たちが
生きている間で
よかった」と
心の底から
言っていたようです。

そんな話が終わると
悟のことを
なんだかんだと
聞いてきたのです。

その他大勢の人も
聞き耳を立て
聞いていました。

昆布茶が出てきました。

「お祝い事には
昆布茶だね。

昆布茶は塩辛いけど
甘くても美味しいかもしれませんね。

今度甘い昆布茶
作ってみたいな。」
と十詩子が話すと
「それがいいね」と
悟が返しました。

5

お昼は
すき焼でした。

お酒も出て
ワイワイガヤガヤ
和やかです。

悟も十詩子もお酒を飲みませんので
もっぱら
食べる方に回っていました。

いつもは
小食の
悟も
今日は
みんなで食べる鍋は美味しくて
余計に食べてしまいました。

十詩子は
悟の横で
世話をしながら
食べました。

お昼が終わると
少し休んで
お墓参りを
する事になりました。

十詩子の家は
古い家で
十詩子のおじいさんや
ご先祖様が
まつられていました。

お墓までは
自動車で
向かいます。

それ程遠くないのですが
小高い山の上にあって
上るのが大変だからです。

お墓に着くと
何人かが来ていていました。

線香とローソクをともして
お参りしました。

風がなくて
暖かい日だったので
山の上から見える
豊岡の
市街地が
見えました。

6

十詩子:
私は
十八の時に
ふるさとをあとにしました。

それから40年弱が過ぎて
あなたと
またふるさとに帰ってきました。

高校卒業の時
校長先生が
『身をたて名をあげやよはげめよ』と言って
送られた言葉が
やっと今日実現しました。

悟さんと結婚して
故郷に錦を飾ることができたんです

悟:
僕なんかと結婚したからと言って
故郷に錦は飾れないよ

十詩子:
そんな事ないです。

私はとても幸せです。

これからもきっと幸せです。

いやこの瞬間命がなくなっても
幸せです。

悟:
そんなー
ながく一緒に幸せに暮らして欲しい

十詩子:
もちろんそうですよね

ふたりはもう
若くはないのですから

大きな幸せを作りましょうね。

悟:
それにしましょう。

ふたりは
豊岡の市内を見渡せる
山の上で
そんな話を
していました。

遠くに
コウノトリが舞っているのが見えました。

そんなふたりを
遠巻きに
十詩子の家族が
静かに見ていました。

その中の
小さい女の子が
「早く帰りたいよ」と
言ったので
ふたりは
照れくさそうに
車の方へ歩き始めました。



7

自動車に乗り込み
家に帰る途中で
十詩子が
「ケーキ屋さんだ」と
指を指しながら
言いました。

悟:
あれが例の
ケーキ屋さんですね」

十詩子:
そうなんです。

悟:
閉まっているみたいですね。

十詩子:
残念だわ

悟:
楽しみは
とって置いた方が

楽しみかどうかわからないけど

十詩子:
楽しみよ
悟さんと一緒に
食べられるんでしょう

やっぱり楽しみよね

悟:
そうですよね

じゃ
やっぱり楽しみ
にしておきましょう。

楽しみは
とって置いた方が良いですよね。

十詩子:
でも
あまりにもながく
とって置いて
老人になってしまいました。

悟:
そうですよね
もうすぐ
老人になってしまいました

やはり私たちは
早いほうが良いかもしれません。

十詩子:
そうですよね




8

和やかにはなしながら
家に戻ってきました。

時間も3時になったので
おやつが
出てきました。

正月ですので
お餅
ミカン
それに
正月とは関係ない
チョコレートです。

チョコレートは
十詩子たちが持って来た
お土産です。

コタツにみんな座って
またまた
悟のことを
なんだかんだと
聞いてきました。

もう聞くことがなくなって
みんなは
トランプでもしようかということになりました。

大勢でするトランプは
楽しくて
時間が過ぎるのを
忘れてしまいました。

冬の日は
すぐに暗くなって
5時になると
もう真っ暗でした。

電車のことを考えると
6時頃には
帰り始めないと
今日は帰れなくなります。

悟は
おいとますると
十詩子たちに言ったのですが
十詩子の両親や
家族が
「泊まっていきなさい」と
何度もいってくれました。

悟は
帰ることができなくなって
その日は
十詩子の実家に泊まることになりました。




9

9時過ぎまで
ワイワイガヤガヤ話しました。

来ていた
他の親戚が帰っていって
机が片付けられました。

お布団が持ち込まれて
ふたつ敷かれました。

冬ですので
寒いので
厚みのある
見るからに暖かそうな
布団でした。

十詩子と悟は
同じ部屋に
寝ることになったのです。

長く付き合っていた
十詩子と悟は
一日中あっていたことはありますが
同じ部屋で
寝たことはありません。

ふたりとも
ドキッとして
少し上気してしまいました。

お風呂に入って
10時頃
ふたりだけの部屋に
入りました。

隣同士の布団の中に入りました。

隣りに寝ていると言うだけで
心臓は
パクパクしていました。

しかし
極めて寝付きのよい
十詩子と悟は
暖かい布団に癒されて
眠りに入ってしまいました。

実家の朝は
早くて
まだまだ暗い
7時前に
目覚めました。

悟は
起きたばかりの
十詩子を見て
「可愛い」と
心から思ってしまいました。





10

朝ご飯を
みんなで一緒に
ガヤガヤ食べました。

明日からは
悟が
仕事ですから
早く帰ることにしました。

ご両親にもう一度挨拶しました。

結婚式は
初春に
豊岡ですることを約束しました。

十詩子の弟に
送ってもらって
豊岡をあとにしました。

帰りは
播但線で
姫路まわりで帰りました。

ふたりは
鉄道ファンデはありませんが
少しでも
ふたりだけで
ながく電車に乗れる
姫路まわりを
選んだのです。

白い姫路城を見て
また話が
弾みました。

ふたりの話題が
尽きることは
当分なさそうでした。

結婚式を
どんな風にしようかと
ふたりは話しました。

十詩子は
仕事柄
多くの部下の結婚式に出て
体験していましたし
悟は
近頃は
親戚の甥や姪の
結婚式が
多くなっていました。

出席するばかりの
結婚式ですが
招待側になって
悟も十詩子も
どんな風な結婚式をしようかと
相当盛り上がっていました。



11

電車は
尼崎について
十詩子は
ロフトのお部屋に
悟は
園田へバスに乗って
帰りました。

十詩子は
家に帰って
パソコンを開いて
結婚について
考え始めました。

結婚式には
やるべきことが多いのです。

式場をどこで
予算はどのくらい

神式か
キリスト教式か
最近はやっている人前式か

出席者に誰を呼ぶか

誰にスピーチをお願いするか

どんな風に自己紹介するか

次から次へと
課題が出てきました。

こんな問題を
あぶり出すのが
今までの
仕事のクセで
次から次へと
出てきました。

そうなると
その課題を
どのように克服するかを
考えてしまうのが
十詩子です。

レポートを
8時間ほどかけて
思わず作ってしまいました。

いつものパソコンで
作ったのですが
写真も入れて
5枚になってしまいました。

3日に別れて
4日は会わす
5日に会う約束をしていました。

この
リポートを
印刷して
ハタと感じたのですが
「私って
バカだね」と
思いました。

ふたりの私的な出来事を
リポートにしてどうすると
気が付いたのです。

長年の
会社勤めは
十詩子を
かえてしまっていました。



12

レポートは
棚の奥に仕舞っておきました。

十詩子は
要領が良いので
家の用事や
普段の身支度を
ささっとできてしまいます。

会社に行かないと
十詩子の時間は
あまってしまいます。

4日は
一日中何もすることなしに
何度もお部屋の掃除をしたり
経済誌を何度も読み返したり
時間をもてあましていました。

何かすることがないか
十詩子らしく
必死に考え込んでいたのです。

「結婚したら
どうなんだろう

悟のお世話をして
それから
家の掃除をして
そうだ
庭もあったから
花も作って
悟と話をして
一緒にご飯を食べて
それから
、、、
うふ
やることいっぱいあるから
時間があまることないよね。

結婚まで
まだまだ時間があるので
それまで
何をしようか。

結婚式の用意と言っても
結婚式場が
やってくれることも多いし
『あーどうしたら』
良いのかしら

時間があまるのは
人生初めての出来事だわ」と
心の中で
大きな声で叫んでしまいました。

十詩子は
気が付いた時には
勉強やクラブ活動に
励んでいて
就職すると
会社や夜学などで
時間に余裕などなかったのです。

十詩子にとっては
あまった時間は
どうするにもできことなのです。

13

やっぱり閑なのは
十詩子にとって耐えられないので
ボランティアでも
しようかと思いました。

やっと
5日になって
悟の家に行きました。

正月の時は
徹夜で話したので
家の中を
つくづく見て回りました。

悟が
設計したのです。

西が大きな川に面する
大きめの敷地に
2階建ての家でした。

庭は
あまり手入れされておらず
それ程でもありませんでしたが
家の中は
よく掃除されていました。

悟が言う
家の自慢は
ロフトと
お風呂からの景色です。

西側に開けたロフトと
夕日を見ながらのお風呂が
素晴らしいと
悟は話しました。

ロフトへ
お茶やお菓子を持って上がって
六甲の山並みを見ながら
おやつにしました。

そのあと
お風呂に案内されました。

窓が低めになっていて
向こうからは
見えにくいガラスが
はまっています。

「ここから見る夕日が
綺麗だよ

今日は入っていったら」と
悟は
言いました。



14

十詩子は
夕日を見ながら
ふたりで
お風呂に入るって
ロマンチックと
思いつつ
「はい」と
答えました。

「着替えないですよね

僕の家にはもちろんないし」
と言うと
「大丈夫です。
着替えなくても
タオルだけ貸して下さい。

お風呂に入りながら
夕日みたいです。」と答えました。

悟は
浴室の暖房を入れて
お風呂の湯を入れました。

「お先にどうぞ」と
言われて
少しがっかりしました。

「ひとりではいるんだ」と
十詩子は思いました。

お風呂の入る順番を
譲り合って
話が充分もたれて
十詩子が先に入ることになりました。

冬の太陽は
すぐに沈みます。

さっさと入らないと
夕日が見られないというので
決まったのです。

服を脱いで
かけ湯をして
入りました。

六甲の山並みに
見える夕日が
見えました。

景色も綺麗でしたが
悟も
「このお風呂にはいっているんだ」と
思ったら
胸が熱くなりました。







15

夕陽は
綺麗でしたが
最後まで入っていると
悟が見られないので
さっさと洗って
同じ服を着て
お風呂を上がりました。

悟も
待ち構えていて
着替えを持って
お風呂に走りました。

外が
真っ暗になるまで
お風呂に入っていました。

のぼせたような顔で
悟は
出てきました。

「お風呂いいだろう

休みの日は
いつも明るい内から
お風呂に入って
この景色を見ているんだ

一番の贅沢だと
わたしはおもっています。」と
悟は
話していました。

十詩子は
「こんなことが
一番の
贅沢なんて」と
思いつつも
「そうですよね。

明るい内から
お風呂に入るのは
贅沢ですよね」と
答えておきました。

その日は
一緒に夕ご飯に
魚を焼いて
味噌汁を作って
野菜サラダを
つけ合わせに作りました。

一緒に
食べると
何でも
かんでも
美味しいんだから
と思いつつ
「美味しい
美味しい」と
ふたりは言って
食べてしまいました。


16

悟は
「十詩子さんと
食事をすると
美味しすぎて
食べ過ぎてしまう」と
叫んでしまいました。

その日は
8時なったので
後片付けをふたりでして
バス停の
駅前まで
送っていってもらって
帰りました。

年度末工事の
設計があって
悟の仕事は忙しかった。

9時頃まで残業していました。

電話もあまりできませんでした。

次の日曜日の連休も
出勤する予定だと
悟は十詩子に告げました。

今度会うのは
2週間後というので
時間が長いと感じました。

十詩子は
次の日から
結婚式場選び
それから
ボランティアの仕事探しなどをしました。

何もすることがないので
借りている
アパートの
廊下から
一階まで
掃除をしたり
ゴミ置き場を整理したりして時間を
過ごしていました。

家主さんと
さんざん世間話で
時間を費やした時もありました。

週末近くになって
敬子から
電話が
かかってきました。

会社の電話からでした。

17

朝の十時ですので
明らかに
朝の忙しい時に
電話です。

私用じゃないと
十詩子は
直感的に思いました。

敬子の話は
次の様でした。

年明け早々の
取締役会で
十詩子が退職したことが
話題になって
人事部長を通じて
慰留か
社外取締役
少なくとも嘱託で
残ってもらえないか
努めることになったのです。

社内の人脈が調べられました。

十詩子の友達で
一番近くにいる
敬子と
入社した時の経理課長で
いま関連会社社長と
ながく電子計算機室で一緒に働いた
部長の3人で
十詩子と話をすることになったのです。

話をしたいという
電話だったのです。

十詩子は
困りました。

敬子や
もと経理課長
電子計算機室の同僚には
大変お世話になりました。

いやもっと
会社のみんなに助けられて
仕事ができたのに
むげにはできないと
十詩子は思いました。

そこで
翌々日
会社で会うことになったのです。

18

尼崎工場の
一番立派な
応接室に通されました。

3人は
既に
部屋で待ってました。

時間に遅れたのかと
思って
「遅れてすみません」と
謝りました。

口を揃えて
「遅れていません」と
答えました。

一番年長の
元経理課長が
ゆっくりと
話し始めました。

「概略は聞いていただいたと思いますけど
年初の
取締役会で
十詩子君
いや十詩子さんの慰留を
私たち3人が
命令されました。

そもそも
十詩子さんは
おめでたい結婚で
退職したのに
それを
慰留する係とは
厳しいです。

それをしなければならない原因は
十詩子さんは
わかっていらっしゃると思います。

バブルがはじけて
平成の大不況が来て
少し持ち直したかと思うと
リーマンショックで
世界的不況になって
わが社も大変なのは
知っている思います。

その折々で
十詩子さんのレポートが
会社の進路を
示す最善の資料になったことは
社員全員が知っていることです。

取締の中でも
少数のものしか知らないことですが
わが社は
最大手と合併の話が
浮上しています。

これを
どのように乗り切るべきかどうか
資料を作ってもらいたいのです。」と
真剣に
言ったのです。

合併の話を始めて聞く
敬子は
そのことの方が
びっくりでした。

残りの
ふたりは
何も話しませんでしたが
ことの重大さは
その目に現れていました。

19

十詩子は
三人の
願いは
わかりました。

世話になった人の頼み
だからといって
快諾できません。

悟と
結婚しないなら
何でもできますが
これからは
ふたりで決めなければならないのです。

それは嬉しいけど
今回のことは
どうすればいいのだろうと
考え込みました。

「悟に正直にこのことを言ったら
きっと
悟は
優しいから
会社に協力するように
言われるかも知れない。

きっとそうだわ

でも
何も相談せずに
お断りするのは
悟にウソをつくことになる

やはりこれは
相談するのが
最善」という考えに
至りました。

そこで
「婚約者に聞いてから
返事させて下さい」と
答えました。

元経理課長は
「よろしく
お願いします」
と再度頼んだあと
「今までの
経緯から考えて
合併の話は
心証としては
賛成ですか
反対ですか
それだけでも
報告させて下さい。」
と
聞いてきました。

十詩子は
数ヶ月前から
その話を聞いたことがあります。

調べるようにと
専務からも
直接言われたこともあって
自社や
合併相手の
財務諸表を
目を通していました。

そこで
「合併については
時流ですので
せんないことと
考えております。

発表された
財務諸表だけでは
問題ありません。

しかし
もっと調べないと
わからない部分が
存在しているのではないかと
考えています。」
答えました。


20

堅い話は
ここまでで
それからは
入社したとこの話や
電算機室でのことが
話題になりました。

夜学にいくことになった
総合職への
職制の変更についての
話しになりました。

今までに
高卒で入社した
女性が
総合職への
変更など
前例がなかったのです。

元経理課長が
大阪本社の
人事に頼み込んで
実現したんだそうです。

十詩子の
熱意が
入社し時に
わかったのと
その後の
伝票整理が
初めてなのに
群を抜いていたため
人事を説得したそうです。

人事部長まで
頼んだそうです。

そのことを始めて聞いた
十詩子は
やはりみんなに助けてもらって
ここまで来たのだと
思いました。

でも
元経理課長のその努力がなかったら
きっと
私は
悟と
もっともっと
早く結婚していたのにと言う
感慨もありました。

でも
十詩子は
今があるから
明日があって
幸せになれるのだと
思うようにしています。







21

みんなと別れて
会社から帰ろうとすると
敬子が
走ってきて
「ごめんね
私まで
こんなことを頼むなんて

工場長からの
命令だから
同席したけど
私は
全然関係ないから

でも
十詩子さんと
一緒に仕事できたら
嬉しいけど

食事しましませんか。

いろんな話もあるから」
と話しかけてきました。

夕ご飯を一緒にする約束をして
別れ
十詩子は
家に帰って
結婚式場に
電話を
掛けまくりました。

いろんな条件を聞いて
表にして
十詩子らしくまとめてみました。

ついでに
「おすすめ」の星もつけてみました。

夕方になったので
約束レストランに行くと
敬子が
やって来ました。

敬子は
家族連れで
十詩子も知っている夫と
大学生らしい男の子と
女の子の
4人でした。

「家族も一緒でいいですか」と
言ってきたのです。

「夫が
十詩子さんに会いたいと
言うもので
一緒に来てしまいました」と言う理由でした。


22

敬子は
30歳で社内恋愛で結婚して
子供ができませんでした。

「それでもいいか」と
考えて
仲良く暮らしていました。

ふたりで遊びに行っていた時に
車のラジオが
里親募集の
ラジオを
やっていたのです。

いろんな事情で
養護施設で
暮らしている
子供たちの
里親を募集するという番組です。

ふたりは何気なく聞いてきて
ふたりとも
何かに
気が付いたのです。

毎週その番組を
敬子は聞いていて
段々と
その思いは
強くなって
どちらから言うでもなく
養護施設に行ったそうです。

それから
数年間かかって
ふたりの兄弟の
里親になったと
敬子から聞いていました。

そのふたりが
今ふたりの前にいたのです。

敬子:
大勢できてごめんなさいね

みんなが
十詩子さんに会いたいというので

十詩子:
私にですか

敬子:
私が
いつも
会社には
凄い女性がいて
高卒で
今は取締役にまでなったと
話していたので
凄い女性に
会いたいと
言うのです。

十詩子:
凄い女性なんて

私は
取締役でもないし

23

敬子:
わが社で初めての
取締役になることになっていたでしょう。

尼崎工場では
十詩子さんの
話題でもちきりよ

それに
取締役を
蹴って
結婚でしょう

もう
みんな
垂涎の的よ

十詩子:
そうなんですか

そんなに偉くないし
私って普通だから

敬子:
普通じゃないよ

暗算が凄いし
伝票整理を
パッパパーとこなすでしょう

あれ凄かったんだよ

十詩子さんが
電算機室勤務になってしまった
月末なんか
課長まで
朝までかかってしまったんだから。

十詩子さんの力は
みんなわかっているよ

十詩子:
そんな事あったんですか
すみません。

敬子:
だから
十詩子さんは
私たちの希望の星なんです。

ふたりの兄妹は
興味深く聞いていました。

妹が
「お願いがあります。

この計算
パッパとするところ
見たいです。」といいながら
数字が
たくさん書かれている
用紙を
差し出しました。

24

敬子:
そんなもの持って来たの

十詩子さんに失礼じゃないの

十詩子:
どれどれ
久しぶりに
暗算してみますか。

ぼけ防止にいいかもしれないし

敬子:
ぼけるような歳でないし

十詩子:
結果は
うー
こうだね

と言って
ポケットから
ボールペンを取りだして
さっさと書きました。

子供たちは
それを受け取って
もう1枚の紙と
照らし合わせて
騒いでいました。

敬子:
もちろん合っていたでしょ

だから
十詩子さんは
優秀だと言っているじゃないの

十詩子:
暗算は
小学生から
7年間練習してきたし

敬子:
練習したからと言って
できるもんじゃないよね

子供たちにも
何か
教えてあげてよ

十詩子:
いい子に育っていて
うらやましいです。

私にも
あの時結婚していたら
こんないい子が
できていたのにね

敬子さんて
うらやましい


25

敬子:
十詩子さんって
まだ大丈夫なの

十詩子:
何が

敬子は
十詩子の耳に口を寄せて

敬子:
毎月来るあれ

十詩子は
少し赤い顔で

十詩子:
えっ
えー

敬子:
じゃ大丈夫じゃないの
超高齢出産になるかも知れないけど

十詩子:
出産なんて絶対に無理だと思うけど

記録によると
60歳が最高らしいです。

敬子:
十詩子さん
そんな事調べたんですか

十詩子:
まあっ

ふたりの
ひそひそ話は
子供たちには
興味をそそりましたが
終わりました。

敬子の家族が
どんなに仲良いかの
話を
たんと聞いて
その夕食は終わりました。

別れて
敬子の家族の
後ろ姿をみて
「家族っていいな」と
と心の底から
思いました。

悟と
敬子の家族より
幸せな家族を
絶対作ると
決心しました。






26

家に帰って
幸せになる計画を
考えることにしました。

十詩子らしい
理論立てた計画を
たてるつもりで
考え始めました。

途中まで考えて
やっぱり
こんな計画は
ひとりではたてるべきでないと
気が付いて
止めました。

パソコンの中の
ファイルを
削除しておきました。

病院の
洗濯物を畳むボランティアと
図書館の読み聞かせのボランティアの
体験をしました。

どちらも
面白かったですが
十詩子には
少し向いていないような気がしました。

何日か
やっとすぎて
悟と会える日が来ました。

会社で頼まれたことを
どのように
話すべきか
迷っていながら
悟の家に
着きました。

悟は
いつものように
きっちりした服装で
迎えに出てきました。

家の中も
いかにも掃除したという
雰囲気でした。

中にとおされて
六甲の山並みが見える
一番座り心地のよい
椅子に座りました。

27

いつものように
とりとめもない
話をして
時間が過ぎていきました。

ふたりで食事を作って
楽しく食べました。

十詩子は
どのように
話すべきか
頭の中で
考えていましたが
名案は浮かびませんでした。

帰る時間は
決まっていますので
心がせきます。

やはりここは
普通に
話すことにしました。

十詩子:
悟さん
先日
敬子から電話があって
会社に来て欲しいというの

それで行ったら
私がお世話になった
元経理課長と
電子計算機室長に
お願いされたんです。

会社に
嘱託で
勤めて欲しいというのです。

ひとりでは決められませんというと
婚約者と相談して下さいと
言われました。

悟さん
どうすればいいでしょうか

悟:
嘱託ってどんな仕事なの

十詩子:
仕事は
会社全般の調査なんですって

今まで私がやってきたことと
大体同じです。

私って
暗算ができるから
重宝がられているの

悟:
勤務時間はどのくらい?

十詩子:
たぶん
週に3日くらいで
半日だと思います。

悟:
勤める場所は
尼崎工場なの

十詩子:
たぶん
尼崎工場か
大阪支店に

報告に
東京に行くこともあるかも知れません。

悟:
それならいいんじゃないの

僕がいるときは
家にいるんだろう

それならいいと
思います。


悟に
社外取締役のことは
言えませんでした。

嘱託とだけ言って
嘘をついてしまったのです。

罪悪感が残りました。




28

十詩子:
嘱託になること
許して下さっていたけど
私に気兼ねしていません

本当はいやなのに

悟:
私の本心だけ言えば
ズーッと
私の隣にいて欲しいんだけど
それは
私のワガママ

それに
私は
十詩子が
活躍していることが
嬉しいので

十詩子:
私は
どうすればいいでしょうか

悟:
だから
嘱託で

十詩子:
本当のこと言わなくてすみません。

嘱託も選択範囲だけど
社外取締役も
言われたいるんです。

悟:
凄いじゃないですか

十詩子:
そんなこと
ないです。

悟:
辞めたのに
取締なんでしょう

普通はないですよ

十詩子:
どうなんでしょう


というわけで
本当のことを言って
ホッとしました。

社外取締役は
話だけにして
嘱託で
勤めることを
決めました。

29

悟は
十詩子が会社では偉いと
思っていました。

しかし
社外取締役成れるまで
偉いとは
知りませんでした。

「そんな偉い人の
人生を
変えて
よかったのかと
自問自答しました。

でも
クリスマスの日
髪を切って
私の元に
来るんだと言ったくらいだから
たぶん
取締役より
僕と結婚する方が
楽しいのだ

結婚生活は長いので
飽きさせたら
どうしよう。」と
先々のことまで考えてしまいました。


悟の考えていることは
十詩子は
手に取るようにわかりました。

行動と
表情が
分かり易い
悟だったのです。

会社の方では
すみやかに
十詩子の仕事場を
尼崎工場に作られました。

運動公園に面した会議室の
改造が始まりました。

ふた部屋作られ
ひとつ目は
セキュリティーが
最高の部屋と
会議室のふたつです。

IDカードと
生体認証・パスワードと
監視カメラで守られたお部屋でした。

会社の重要機密のファイルを
見られるように
東京と専用の
インターネットで
繋がっていました。


30

部屋には
モニターや
たくさんの電子機器が
運び込まれました。

1週間ほどで出来上がり
十詩子の最初の
出社日になりました。

工場の総務課長が
いろんな書類を
持って来ました。

嘱託というので
いろんな契約書があったのです。

労務の契約書とか
秘密保持の契約書とか
IDについてとか
目を通して
署名しました。

それから
電子計算機室の
元部下が
機器の使い方を
レクチャーしてくれました。

最新型で
大型モニターが
何台もある
機器でした。

説明を受けて
仕事を始めようかと
思った時に
東京の本部から
合併プロジェクトチームの
リーダーが
やって来ました。

会議室で
チームとしての
調査の
話をしました。

敬子は
お茶を持って来てくれました。

プロジェクトチームの
調査では
合併は
少し難しいのではという
結果になっていました。




31

翌日から
週3日
出社して
まず財務諸表を
なにげに見る事にしました。

バブルの頃
同じように
頼まれもしないのに
なにげに見ていて
会計の係長の
不正を発見して
未然に防いだこともありました。

あれ以来
そのやり方が
コンピューターのソフトになって
会社の会計を見張っていて
もうそんな事は
あり得ないことになっていました。

2週間
計6日数字を見ました。

10時とお昼と3時には
敬子が
お茶を持って来てくれました。

少し話して
仕事に戻っていました。

財務諸表を
こんなにながく
見たことはありません。

それで
全体に違和感を
覚えました。

会社には
経理外の
資産と負債があるのではないかと
思ったのです。

どうも
資産の方が
多いような気がしました。

そこで
現地調査すべく
報告書を
専務宛に出しました。



32

すぐに専務から
連絡がありました。

その翌日
男性3人が
実働部隊として
十詩子の元にやってきたのです。

新たに作ったお部屋に
3人の机が運び込まれました。

嘱託なのに
部下3人が
できてしまいました。

相当優秀な人達で
それに
イケメンでした。

敬子は
部下とともに
四人分を運んできました。

部下の若い女性は
「なんと格好いい男性のあつまり」と
驚いてしまいました。

その噂は
工場の中の
女性連中に
すぐに評判になって
見に来るものもいました。

話題になっていることは
尻目にしながら
仕事の打ち合わせになりました。

一番簡単そうな
工場の飛び地の
駐車場の
面積を測ることにしました。

レーザー距離計で
計ってみました。

帳簿の
面積より
二割以上広いのです。

駐車場は
駅近にありますから
単価も高いので
ここだけでも
相当の差異があります。

新しい部下に
尼崎工場も
計ってもらいました。

予想通りの結果です。





33

初めての
4日の
嘱託としての
勤務が終わりました。

結婚式の
準備で
豊岡にまた行って
少しまとめました。

週末に
悟にあって
結婚式のことを
話し合うためにものです。

週末
悟と
一日中話し合える時間が
ありました。

結婚式の話は
楽しかったです。

さんざん話して
時間が過ぎて
少しだけ時間があまって
今のことになりました。

会社での出来事を
話すことになりました。

まず悟が
市役所のことを
話しました。

こんな建物を
設計したとか
あそこの係員は
背が高いとか
話して
十詩子の番になりました。

十詩子は
イケメンの部下が
できたことを
話そうと考えていたのですが
少しダメかなと思って
無難なことを
話しました。

3時になったら
敬子が
お菓子を持って
やって来て
楽しくやっているとだけ
伝えました。

秘密保持の契約があるので
会社のことは
伝えられないことになっていることを
話しました。

34

十詩子は
昔みたいに
悟の大学に行ったように
悟の職場も
見たいと
告げました。

悟も
見て欲しいと思ったのですが
職場は
部外者立入禁止です。

設計書類とか
設計のための
書類とか
入札価格を決める
積算資料は
部外秘です。

最近は
職員以外は
絶対に
入室できないように
なっていました。

「職場は無理ですが
作ったものなら
見る事ができるものも
あります。」と
答えました。

そこで
建物を見に行くことに
決めました。

何十年もやっているので
作ったものを
すべて見て回るのには
何日も
かかるものでした。

今度の週末は
結婚式場に
行くことになっていますので
次の次に
公民館に行くことを決めました。

悟は
自信作を
見てもらうことになって
少し嬉しそうでした。


35

悟が
嬉しそうだったので
十詩子も
嬉しかった。

別れたあとも
その余韻が
続いて
家に帰って
お風呂で
笑ってしまいました。

良い夢を見るかなと思って
床についたら
本当に夢を見ました。

夢の中で
何やら
妖精らしい人物が
魔法の言葉を
教えるのです。

その言葉を
言えば
大概の不安や
心配は
なくなると言うのです。

夢の中で
何回も
復唱して
覚えました。

朝目覚めて
夢を
覚えていたのですが
肝心の
魔法の言葉が
出てこないのです。

復唱したことは
覚えているのに
言葉は
覚えていないのです。

十詩子は
残念な気持ちで一杯でした。

会社で
数字を
見ていても
思い出そうとしていました。

思い出せるわけもなく
一日は過ぎていきました。

またお風呂に入って
ゆったりして
悟のことを
思い出して
寝込みました。



36

その夜も
魔法の言葉の
夢を見ました。

同じように
夢の中で
何度も復唱しました。

目覚めると
忘れていました。

魔法の言葉を
覚えていたら
私って
何を願うんだろうと
思いつつ
その日の会社は
終わりました。

お風呂に入って
続きを考えました。

「私は
今は
充分に
幸せだし
魔法の言葉なんか
私のためには
必要ないわ

でも
世界には
困った人も
いるから
そんな人のために
使ったらどうかな

それと
、、、、、、
赤ちゃんができたら
良いな

これは魔法の言葉では
無理があるかも知れないわ」と
考えて
妄想していました。

床につくと
すぐ寝付きました。





37

十詩子は
よく夢を見ます。

それも
現実的な夢を
毎晩見るのです。

十詩子は
それが楽しみでした。

魔法の言葉の
夢は始めて見るもので
期待して
寝入りました。

たぶん目が覚める
少し前
魔法の言葉の
夢を見ました。

今度こそ
忘れないようにと
何度も復唱して
夢の中なのに
メモに書いたりもしました。

しかし
目が覚めると同時に
忘れてしまいました。

4文字で
カタカナ書きで
3番目は
小さい「ッ」であることは
覚えていたのですが
全部は
覚えていないのです。

「ロケット」でもないし
「パケット」でもないし
といろいろ考えたのですが
思い出せないのです。

諦めました。

魔法の言葉など使わなくても
私は
充分に幸せだし
それに
悟がいるし
魔法の言葉など
必要ないと
決めました。

それから
魔法の言葉の
夢は
見なくなりました。


38

嘱託の会社の仕事は
順調に調査をしていました。

有能な
部下が
十詩子を助けてくれて
残業など
することもありません。

週末には
悟と
ゆっくりと会えました。

結婚式のやり方も
段々煮詰まってきていました。

神前式でもなく
キリスト教式でもない
人前結婚式にしました。

ひとりひとりに
一言スピーチを頂き
結婚を認めてもらうものです。

ふたりの
生まれた時からの
スライドを流して
それから
一番重要な
誤解が出来た
事件も
スライドにする予定です。

誤解を生んだ場面の
写真などありませんので
再現写真を
撮ることにしました。

敬子に手伝ってもらって撮りました。

誤解したのは
悟が26歳十詩子が25歳の時ですから
歳が全く違います。

十詩子は
少し撮影角度を
考えると
26歳に見えないこともないのですが
悟には
無理がありました。

帽子をかぶったり
冬の場面なので
マフラーもつけて
撮りました。

39

誤解の原因となった場面は
敬子の子供たちにも頼みました。

ちょうど男の子と女の子がいるので
十詩子の場面は
大阪の駐車場まで行きました。

悟と相手役の敬子の娘と
それを見ている
十詩子を
敬子がカメラで撮ったのです。

たくさんの人が
行き交う中
何度か撮りました。

十詩子は
思い出して
涙が出てきました。

あの日が
蘇ってきたのです。

悟は
当時のことを
まったく思い出せないので
十詩子が
涙を流すのを見て
共感するだけでした。

悟の誤解の場面は
東京には行かれないので
近くのホテルで撮りました。

十詩子と
敬子の息子と
それを遠くから見る
悟です。

指輪が目立つように
金色の折り紙で
作りました。

悟も
思い出して
胸が
熱くなりました。

そんな再現写真を撮って
ふたりは
もっと愛おしくなりました。


40

写真の手伝いのお礼に
ディナーを
ごちそうすることになって
五人でガヤガヤと
話しました。

「ふたりは
なぜ電話しなかったの。

もちろん
メールがないのは
知っていますが」と
ものすごく
不思議そうに
たずねられました。

悟がまず
「それは
そうだね。

いま考えれば
そうなんだけど

十詩子さんの電話は
呼び出しで
夜遅くしか
帰ってこないので
悪いような気がするし
驚かそうと思ったの」
と答えました。

「呼び出し」というのが
わからなかったので
詳しく説明しました。

でもあまり理解していない風でした。

次に
十詩子が
「当時は
東京大阪間の
電話代は
10円で確か
4,5秒しかはなせなかったように記憶してます。

寮の公衆電話からは
100円硬貨で
1分も話せないの

だから電話はしなかった」です。

そう言うと
ふたりは
納得しました。

41

スライドも出来たし
招待状を出席者に出しました。

「ふたりは結婚しますので
皆様には
ご出席の上ふたりの結婚を確認して頂きたく
お願い申し上げます。

合わせて一言
ご助言を頂けたらと
存じます。

思い起こせば
ふたりが知り合ったのは
39年前
悟が19歳十詩子が18歳の時でした。

それから7年
愛をはぐくんでいたのですが
ちょっとした誤解で
ふたりは会わなくなりました。

それが
昨年のクリスマスの日に
偶然であって
そこで誤解が解けて
結婚する運びになりました。

遠回りの人生でしたが
これからは
ふたり同じ道を歩いて行きます。

皆様
ご支援下さい」と
はがきに書かれていました。

悟の方の
招待客は
妹夫婦と従兄弟がふたりと
小学校からの友達が三人だけでした。

それに対して
十詩子の招待客は
両親・弟夫婦とその子供
叔父さん叔母さん
従兄弟に
甥姪
小中高からの友人が
ざっと三十人
どう見ても
十詩子の縁故者が多いのです。

悟は
こんなことでも
十詩子さんは
凄いと
思いました。



42

準備万端整って
三月末に
結婚式は
行われました。

新郎新婦は
会場で待っていて
招待客が
入場していく所から
始まりました。

それから
スライドが始まりました。

司会を
担当する女性が
感動的な
ナレーションをするのも相まって
感動のあまり
涙を流す人さえ
いました。

話には
きいていたけど
ナレーション付
スライドを見ると
共感できたのでしょう。

そのあと
全員
一言スピーチは
盛り上がりました。

時間が
かかりすぎる出席者には
司会者が
適当に切っていました。

数時間後
会が終わり
写真撮影の後
お開きになりました。

いままでにない
結婚式で
出席者全員
共感と感動を胸に
帰りました。

ふたりは
豊岡空港から大阪を経て鹿児島まで行きました。

新婚旅行です。

桜前線とともに北上して
北海道まで
旅行する計画です。

43

悟は
旅行などしたことがありません。

数年に一度
東京事務所の改修とか
会議で
東京に行く程度で
役所と家の往復以外ありません。

十詩子は
23歳の時に
全都道府県を回った記録を作っていました。

もちろん仕事です。
温泉に行ったり
観光をしたり
そんな事はしていませんでした。

それで
全国の有名なところを
回るという新婚旅行です。

指宿・別府・道後
岡山の後楽園・金沢の兼六園
松島・函館と回るものです。

ホテルに着いて
まず
お風呂に入って
それから
食事をして
お部屋に戻りました。

キングサイズのダブルベッドが
ひとつ置いてあるお部屋でした。

十詩子も
悟も
初めての経験です。

ドッキドッキです。

ベッドに入って
ふたりは
最初は
近づけませんでしたが
寝られず
段々と近寄って
抱き合ってしまいました。

その日は
それだけでした。

というか
新婚旅行中はそれだけでした。

もうそれだけで
全身感じて
とても新鮮でした。

ふたりで回る
観光地は
新鮮でした。

よく知られた
観光地ですから
特に珍しいものではないのですが
ふたりで見ると
凄いと思いました。


44

人生最初の
好きな人との旅行は
嬉しく楽しかったです。

身も心も一緒になったと感じながら
悟に家に
帰ってきました。

悟は
誰もいない家に
「ただ今」と
言って家に入りました。

十詩子は
今までは
「おじゃまします」と言って
入っていましたが
今日からは
「ただ今」と
言いました。

自分の家になったのだと
思いました。

まず
ふたりで
コーヒーを入れて
お土産の
温泉まんじゅうを
頂きました。

悟は
いつもは
甘いものは
食べないのですが
ふたりで食べると
本当に美味しいのです。

ふたりでいるって
そんなに幸せなことだと
あらためて思って
夕食は
六甲の見える
2階で食べました。


ふたりで仲良く
ベッドで寝ました。

十詩子は
悟のお弁当を
作ろうと
朝起きることにしてました。

目覚まし時計を
かけると
悟が起きるので
頑張って起きることにしました。

起きよう起きようと思っていると思っていると
午前2時頃から
寝られず
眠たい朝を迎えました。




45

頑張っているのが
みえみえなのを
悟が感じ取って
「そんなに頑張らなくても
ゆっくりで良いでしょう

ふたりでゆっくりやりましょう」と
十詩子に言いました。

言われたからといって
そのように出来ないのが
十詩子で
律儀に
頑張っていました。

結婚するまで
十詩子は
仕事人間で
家にかえってすることは
掃除洗濯お料理で
テレビを見たり
ゆっくりとくつろいだりは
まったく
しません。

18歳で
ひとり暮らしを始めてから
家にテレビはありません。

昼休み
会社のロビーで
少しだけテレビを見る
程度です。

ニュース等は
会社の新聞で
じっくり読んでいます。

速読を練習して
新聞は
20分ほどで
全部読むことが出来ます。

それに対して
悟は
テレビ人間です。

仕事は
提示までに終わるように
しっかり頑張っていて
家には
早く帰ってきます。

家の用事を片付けてから
テレビを見ます。

サスペンスと
ラブコメディーが
好きでした。


46

違う価値観を持つふたりが
一緒にいると
問題になることが多いです。

たいした問題でないと
考え勝ちですが
テレビについての
価値観の違いは
四六時中
一緒にいる間
問題になります。

ご飯は
ゆっくりと
くつろいで
食べることが
必要だと
ふたりは思っていましたが
十詩子は
テレビを見ずに食事をして
悟は
テレビを見て食事をすることが
ゆっくりだと思っていたのです。

結婚前は
悟の家ですから
テレビの
チャンネル権を
悟に与えていました。

しかし結婚すると
ふたりの家ですから
やはり
自分の価値観を
言ったのです。

告げられた
悟は
困りました。

最初は
十詩子の言うように
テレビをつけずに
食事をしたのですが
どうも
しっくりしないのです。

それを
感じた
十詩子も
しっくりしません。

食事は
何も言わずに
しっくりしない時間に
なってしまいました。


47

ふたりとも
こんな時には
話し合いが
必要だと
思いました。

テレビについて
さんざん
論議をしました。

十詩子は
極めて
論理的です。

悟も論理的ですが
上手に言葉が出てきません。

本格的に
”論議”すれば
十詩子が
勝つのは
普通のことです。

悟とは
いつも
十詩子が
手加減していました。

それをわかっていた
悟は
何か歯がゆい
思いをしました。

十詩子は
この際
正論を
展開しました。

論議としては
「テレビ見ない派」が
勝ちですが
結論としては
違いました。

朝は
テレビ
夜は
テレビなしと
決まりました。

朝は
ニュースと
連ドラ
夜は
ゆっくりと
その日あったことを
話すことにしました。



48

この取り決めを
実行すると
ふたりは
新鮮でした。

いつもの静かな
朝食が
テレビの音で
かき回されます。

十詩子は
朝ドラも
毎日見ると
これが
はまってしまいました。

テレビのニュースも
新聞と違っていると
十詩子は
見ていました。

いろんな面から
ニュースを見るのは
良いことだと思いました。

夜の
テレビなしの時間は
悟は
はじめは
慣れませんでしたが
恋しい十詩子と
ゆっくりと
話が出来るのも
良いものだと思うようになりました。

性格や好みが
違うふたりが
一緒に暮らし始めて
その違いを
克服できた
最初に
ことでした。

休みの日は
何となく
家で過ごすことがふたりの
日課でしたから
その点では
一緒で
良かったと思いました。

どちらにも行かずに
鋭気を養っていました。


49

テレビの問題は
思いのほか
うまく片付きました。

二人の仲は
もっと深いものになったと
十詞子たちはおもいました。

結婚から
一ヶ月がたったころ
心だけでなく
体も
ひとつになったのです。

60近くなった
童貞と処女のふたりは
永らく抱き合うだけでしたが
やっと
一身に成れたのです。

十詩子は
「赤ちゃんできるかな」と
つぶやきました。

悟は
「できたらいいよね」と
答えました。

実際にできたら
記録に残る
超高齢出産です。

十詩子は
赤ちゃんができることを
心から望んでいました。

まだ見た目は
若々しい
十詩子は
できる可能性は
あると信じていました。

「悟の赤ちゃん
きっとかわいいよね」と
寝言でも
言うぐらいでした。

不妊治療でも
しようかと
調べたのですが
少し無理そうなので
奇跡が起こることだけを
十詩子は
願うことにしました。

50

何ごとも
子供の時から
手早い
十詩子です。

会社で
鍛えられていて
あらゆることに
手早くなっていました。

週三日の休みの日は
家中を
くまなく掃除をして
安い食材をチラシで捜して
購入し
悟が喜ぶようなものを
用意して
汚れ物を洗濯して
入念に
アイロンをかけをしたとしても
一日の時間は
あまってしまいます。

そんな時間は
悟の部屋に入って
置いてある
本をゆっくりと見るのが
日課になっていました。

昔
悟の大学に
訪れたときの
公衆衛生学の
教科書も置いてあって
ゆっくりと
見直しました。

懐かしくなりました。

悟が
勉強している
第二種電験のテキストも
読んでいました。

電気については
全く予備知識が
なかったので
参考書を
1ページ1ページ
読み返しながら
勉強していました。

51

春が過ぎ
夏が来て
悟は
電験のテストを
受けました。

でも
残念ながら
落ちてしまいました。

悟は
バツが悪そうな
顔で
十詩子を見ました。

「大丈夫
大丈夫だよ

悟さんは
建築士でしょう
大丈夫
大丈夫」と
十詩子は
なだめました。

悟は
優しい
十詩子の言葉で
すぐに
復活して
また
挑戦することにしました。

十詩子は
「悟さんって
単純な人なんだ

すぐに復活するなんて

そこが
可愛くて
好きなんです」と
思いました。


忙しい
悟と裏腹に
十詩子は
時間を
もてあましていました。

会社の仕事も一段落して
殆ど部下がするので
十詩子は
会社でも
閑でした。

十詩子と
悟の
会話は
何もないときでも
一緒にいるときには
なんだかんだと
話していました。

そんな
たわいもない話の中に
「悟の
仕事場を
もう一度
見たいな」というのが
出てきました。

52


それを聞いた
悟は
考え込みました。

完成した建物で
公開しているものなら
いくらでも
入れるから
以前一緒に見に行きました。

自信作を
見てもらったのです。

児童館や
学校
老人憩いの家や
分庁舎
保育所
消防署の分署など
様々です。

公会堂の
改修にも
たずさわったことがありました。

バブル期を
経ているので
建物は
たくさんあったのですが
休みの日に
効率的に回った関係上
なくなってしまいました。

そのメモ帳も
3冊になってしまいました。

そこで
現場まわりをすることにしました。

大きな工事は
監督さんは
別の部署が対処することになっていますが
小さな工事は
悟が工事監理をする規則になっていました。

外壁塗装とか
窓や扉を新しく作ったり
小さな録音ブースを作ったりする工事です。


53

1回目は
ペンキ塗りの現場にいきました。

外壁に
足場を作って
塗装です。

悟は
足場を上っていきました。

部外者の十詩子は
もちろん足場をのぼることができませんので
建物の中から
見ていました。

「悟は
現場では
頑張っているんだ。

家では見せない
テキパキとした
様子でした。

試験に落ちるのも
無理はないな」と
同情しました。

あらためて
尊敬して
好きになってしまいました。

でも
足場も
上ってみたいと
思いました。

悟は
現場から
直帰になっていたので
ふたりで
一緒に帰りました。

駅前の
少し古めの
喫茶店で
休みました。

昔は
良く喫茶店に入った思い出が
蘇り
話が弾みました。

スターバックスコンビニコーヒーにはない
風情です。

よくよく考えると
喫茶店も良いなと
ふたりは思いました。




54

喫茶店の良さを
あらためて知った
ふたりは
休みには
良く喫茶店にいったり
悟の新しい現場にも
行きました。


暑い夏で
ロフトの昼間は
暑いので
下のお部屋で
すごすの普通になっていました。

晩夏の
まだまだ暑い土曜日
十詞子は
ロフトの洗濯物を
取り入れようとして
上がりました。

その日は
朝から
少し頭が痛くて
気分が
悪かったのですが
悟の
パジャマが
干してあって
それを取り込むために
あえて
暑いロフトに
上がったのです。

悟は
パソコンを
下に持って下りてきて
いつものように
設計をしたり
書類を書いたり
受験勉強をしていました。

資料が
ロフトにしかないので
悟は
ロフトで
探しものを
汗を流しながら
していました。

いつもでしたら
エアコンを
つけるのですが
少しの時間で
終わると思っていた悟は
つけずに
汗を流しながら
探していたのです。

ながく一緒に暮らしていると
どんなに仲が良くても
人生に一度や二度
言い争いがあるでしょう。

悟と十詩子も
そんな日が来てしまいました。


55

十詞子が
悟のそばを
通ったとき
少し
めまいをして
本棚につかまりました。

それを見ていた
悟は
声をかけたのです。

悟:
十詞子さん大丈夫?

十詞子:
大丈夫
今日は朝から
少し頭が痛くって

悟:
それじゃ
薬飲んだ?

十詞子:
飲んでいないわ
いつものことだし

悟;
いつも痛いの?
病院に行ったら

その言葉を聞いて
十詞子は
「カチン」ときたのです。

頭痛のためかもしれませんし
暑さのためかもしれません。

後になって考えると
そんなことを
気に留めることもないのに
そのときは
いらだったのです。

「私の体だから
ほっといて」と
言い放ったのです。

二人が
経理学校で
出会ってから
初めての
言い争いでした。

悟は
何がなんだか
わからなくなりました。

何も言わすに
黙って
下の自分の部屋に
戻ってしまいました。

56

それを見ていた
十詞子は
そのことに
なおも
いらだったのです。

夕食は
いつもの
楽しい会話もなく
黙って過ぎました。

部屋に戻って
悟は
十詩子がなぜ怒っているのか
調べることにしました。

「いつもなら
十詞子は
そんな言葉で
怒るはずもないのに
今日は
何か違ったのか」と考えました。

「体を心配して
言っただけの
言葉なのに

でも
暑い日も今までにあったし
体調が
すぐれないときも
あったのに
今日はなぜ」

そのときに
ずーっと
以前見たことのある
テレビ番組を
思い出しました。

『女性は共感型
男性は問題解決型の
会話と思考をする』
というものです。

その番組を聴いたときは
十詞子さんにも
意見を聞いたことがあります。

十詞子さんは
ながらく
務めていたこともあって
問題解決型だと
言っていたのです。

しかしそうではなくて
体の不調のようなものは
単に
共感型だったのかもしれない

だから
いらだったのかもしれない」
と思いました。

57


かたや
十詞子は
大きな声を出したことを
悔やんではいましたが
悟が
私の不機嫌に
何も言わなかったことに
イラダチを感じていました。

「普通に考えると
悟は
十詞子の体のことを
心配して
そんな風に言ってくれているのに
なぜ
自分は
それを受け入れなかったのだろう

でも
でも
なぜあのときに
悟は
そのことを
私に言わなかったのだろう

『あなたのことを
心配して
言っているのだ』と
そのときに
言ってくれていたら
すぐに謝ったのに

私が悪いのに
なぜ
言わないの」と」
堂々巡りの
考えで
ふたりの
冷戦は
翌日の日曜日にも続きました。

結婚式以来
夜は一緒に寝て
抱き合っていたのに
それもなしです。

悟も
十詩子も
充分に良くないと考えているのに
それを言い出せないのです。

本心通りに
行動できないのです。

58

日曜日の晩になって
黙って
食事を
また食べようとしたとき
悟から
話し始めました。

悟:
十詞子さん
昨日のことだけど
ごめんね

痛いのに
無理なことを
言っていたよね

薬や
病院に行くようになんて
当たり前だものね

賢い
十詞子さんなら
そんなこと
私に言われなくても
するよね

十詞子さんが
私に
『痛い』って言ったのは
痛みを分かち合ってほしいということを
言っていたんだよね。

痛みを
分かち合えなくて
ごめんね

これからは
気をつけるから


十詞子:
こちらこそ
ごめんなさい

私このごろ
変なの

悟さんに
甘えていたのかもしれません。

悟さんなら
こんな風に
言ってくれると
あらかじめ
答えを
予想していたみたい

それと
ちがっていたら
そのギャップに
驚いたのかも
知れません。

本当にごめんなさい。

悟さんが
思っているほど
私頭よくないし

許してください。

それから
無理なことを言っていたら
不条理なことを言っていたら
厳しくしかってください。

59

悟:
それはない

しかるなんて
それはできない

でも
ひとつだけ
おぼえてほしい

十詞子のことが
いとおしくて


十詞子:
私だってそうです。

悟:
君がそのように思っていることは
よくわかっています。

ふたりはその後仲良く
話が続きました。

その日から夜は
いつも抱き合って眠りました。

そんな言い争いは
3ヶ月一度くらいの
ペースで
起こりましたが
仲直りする
スピードは
だんだんと
早まっていきました。

毎晩夫婦の営みを
楽しくしていました。

奇跡が起こって
赤ちゃんができると
ふたりは信じていました。

妊娠検査薬を
何度か使いましたが
陰性でした。

そのたびに
がっかりしていました。

超高齢出産は
やはり無理かと
思うようになりました。

「それでも良いか

仲が良かったらいいか」と
考えながらも
奇跡を信じていました。

60

それから
一年
十詩子には
案の定
子供ができる気配がまったく
ありませんでした。

どんなに仲が良くても
無理なものは無理かと思いました。

敬子に話すと
あまり仲が良すぎると
できないこともあるのだということを聞いて
少しだけ
我慢することもしました。

そんな努力も
徒労に終わって
残念な気持ちになってしまいました。


「子供がほしい
こどもがほしい」と
思いながら
ラジオを聴いていると
あるラジオ放送が
聞こえてきました。

「里親を探す」というラジオです。

毎週聞いていると
身寄りのない
子供の
状況を
放送して
里親を探す企画です。

十詩子は
何回目からは
悟と
一緒に聞くことにしました。

ふたりは
散々話し合って
一度施設に
話しを聞きに行くことにしました。

悟は休みを取って
十詩子は
非番の日に
施設を
訪れました。

61

コーディネーターと名乗る
老練な女性が
ふたりに話をしました。

里親になる資格とか
家庭環境
手続きなどを
詳しく聞きました。

収入や家庭環境は良いが
年齢に難があると
コーディネーターには
言われてしまいました。

いずれにせよ
里親になるには
相当の年月が
いるように感じました。

その日から
ほぼ毎週
施設を
訪れて
話し合いをしました。

子供たちにも
会いました。

年齢のことを考えると
小さい子供は
少し無理で
大きな子供の
里親になるようにと
コーディネーターから
薦められました。

いろんなことがあって
ひとりの
高校生の男の子が
候補になったのです。

男の子の名前は
創(はじめ)といいます。

両親が
ある事件に巻き込まれて
一年前に
亡くなったのです。

身寄りがなくて
施設に来ました。

突然の両親の死で
傷心していて
ほとんど何も
話さなくなっていたのです。

十詩子は
人懐っこい性格なので
創とも
少しずつ話ができました。

悟は
十詩子の後ろにいるだけでしたが
充分に熱意は
創に伝わっていると
思っていました。

62

何度かの面会の後
お泊りという手続きになって
創は
園田の家に
やってきました。

夕日のきれいなお部屋で
早めの夕食を一緒にしました。

眺めの良い
お風呂にも入りました。

もう使うことがないだろうと
思っていた
子供部屋に
ベッドを用意して
その日は
泊まっていきました。

いつもより
少し早めに
寝ることになりました。

悟も十詩子も
夜あまり寝られませんでした。

朝早く
十詩子が
キッチンで
食事の用意をしていると
悟も
少し眠たそうにおきてきました。

しばらくして
きっちりと
服を着替えて
創がおきてきて
「おはようございます」と
朝の挨拶を
元気良くしてくれて
「よかった」と
思いました。

その日は
六甲の山が見える部屋で
話をしました。

悟と十詩子の
出会いの話も
断片的に話していましたが
その日は
詳しく話しました。

結婚式に使った
スライドを
見てもらいました。

ふたりの波瀾万丈で
純情の
人生が
わかってもらった様に
思いました。

創は
興味深く聞いているように見えました。

質問がなかったのが
なんとなく残念な気がしました。

63

複雑な
手続きが
行われて
それから
数ヵ月後
創は
里子として
迎えられました。

もう高校生ですから
ふたりは
安心していました。

正月には
豊岡の実家にも
行きました。

それから
事件があった日は
お墓参りを
しました。

3回忌の
法事も
近所の住職さんに頼んしました。

悟と
十詩子は
ものすごく仲が良かったのですが
創の前では
仲間はずれにしてはいけないと
思って
少し距離を置いていていました。

創は
それが
わかっていました。

創は
それとなく
話しました。

ふたりは
感じ取って
創を交えて
さん人仲良く過ごすように
勤めました。

創も
努力している様子でした。

それが
悟と十詩子には
より愛おしく思いました。

64

創の
高校は
神戸にあって
通学には
時間がかかります。

朝は
少し早く
今までの
起きる時間よりも
早くなって
悟も
時間を合わせて
起きていました。

ふたりにはそれが楽しく
早く起きも
苦になりませんでした。

春になって
創は
進級して
3年になり
クラス替えになりました。

そのころには
創たちは
何でも話すように
なっていました。

だからといって
本当のことを
何でも話しているとは
悟も十詩子も
思っていませんでした。

なんとなく
距離を置いているように
感じていたからです。

そんな話の中
創は
思いもかけない
相談をしてきたのです。

同じクラスの
女の子が
好きになったので
どうすればいいのかという
質問です。

十詩子は
私たちを
試しているのかと
思ったくらいでした。

65


同じ電車で通学している
女生徒が
気になるのですが
話が出来ないのです。

創が
十詩子に聞いてきたのです。

聞かれるのは
嬉しいけど
知らない女の子に
どのように
声をかけるかって
すぐにはわかるはずもありません。

十詩子が使った
目薬の方法は
使えないだろうし
他には
何も
ありません。

会社や
街で
若い時に
"ナンパ"されたことは
数多くありますが
「食事に行きませんか」程度で
手の込んだ方法などで
ナンパされた
記憶はありません。

クラスメートに
「食事に行きませんか」は
ないだろうし
どういう風に切り出すのが
良いのか
わかりませんでした。

そんな事を話していると
悟が
「十詩子さんは
ナンパされたことがあるんだ。

僕なんか
ナンパしたことなどないし
声をかけられたのは
十詩子さんひとりだけ
うらやましい」と
横やりを
入れてきました。

思わず
みんなは笑顔に
なってしまいました。





66

笑顔になったからと言って
創の問題が
解決したということではありません。

問題は
残っています。

やはり
創が
勇気を出して
いうしかないのかと
思いました。

十詩子は
なぜ
「目薬の方法」ができたのか
今になって考えると
わかりません。

十詩子は
積極的な
人間でしたが
突然
男性を
ナンパしたあの勇気は
どこから来たのか
わかりません。

そう言えば
「クリスマス事件」も
何だか不可解な
出来事だし
「再会」の偶然も
あまりにもできすぎているように
思ったのです。

再会の方法が
クリスマスの時と
同じというのは
偶然にしては
おかしいと
思っていました。

クリスマスの日に会った
敬子によく似た
妖精の力かも知れないと
創に聞かれて
思い始めました。


67

「やはり
妖精の力?

クリスマスの日の出来事は
本当だろうし
やはり
妖精の力は
あるのだろう」と
考えいきつきました。

そこで
創に
やはり
「神さまに
おねがいしてはいかがですか」
と答えたのです。

あまりにも
抽象的で
漠然とした答には
創も
悟も
驚きました。

理知的で
論理的思考を
実践して
会社の重要なポストを
勤めてきたとは
思えない答えに
びっくりしたのです。

創は
真面目に答えているのかと
疑いまで持っていました。

十詩子は
付け加えて
「恋愛の感情は
どのような
障壁も
乗り越えられます。

告白できないのは
あなたの気持ちが
その程度である証拠です。

告白して
それが
成就するかどうか
それは
相手の
感情ですので
どうすることも出来ません。

どうすること出来ないことは
神さまにお願いするしかないのです。

だから
最後は
神さまにお願いするだけです。」
と説明しました。






68

説明を受けた
創と
そばで聞いていた
悟は
何となく納得です。

でも
どうやって
告白するのか
そもそも
告白というほど
大げさにすべきかどうか
まったく
わかりません。

そこで
具体的な方法を
創は聞きました。

十詩子は
それを聞かれて
創を見て
「やはり
しっかり
目を見て
話すのが
良いでしょう」と
答えました。

創は
「かなり勇気がいりますね」と
感想をいうと
十詩子は
「それが言えるかどうかは
創の
気持ちです。

頑張るのですよ。

私が
悟さん
お父さんに告白した時のことを
知っているでしょう。

頑張るのですよ」と
答えました。



69

創は
例を出されて
それしかないと
思いました。

頑張って
言うことにしました。

といっても
高校生ですので
単純に
「話してもいい?」と
言っただけなのですが
それがきっかけになって
話すことが出来ました。

そのうえ
偶然ですが
席替えで
隣の席になって
ふたりは
急接近となりました。

ふたりとも
同じ電車で
通学したので
一緒にいる時間は
長かったのです。

創は
十詩子のおかげと
大変喜んで
感謝していました。

一気に家族の関係も
良くなりました。

お友達の
女の子もやってきて
「ステキなおうち」と
誉めたので
悟も
上機嫌でした。

夏休み前になると
進路が
話題になりました。

成績が
中くらいの
創ですので
選択範囲は
それ程広くありませんでした。




70

何になるか
何をしたいか
自分でもわかりませんでした。

亡くなった両親は
サラリーマンで
営業職でした。

インターネットの
仕事でした。

あまり具体的な仕事は
わかりませんでした。

にわかには
決まらないので
大学に行って
決めることにしました。

あまり推奨できない
方法ですが
十詩子は
「人生は長いから
その時が来るまで
自分を磨いておくことが
必要よ」と
助言しました。

悟は
横で聞いていて
なんとうまく言う
十詩子だと
感心しました。

夏が過ぎると
悟が
60歳になって
定年で辞める時が来ました。

普通
定年前には
有給休暇を
使うのですが
律儀な
悟は
使いませんでした。

仕事の割り当てがありませんので
資料室の整理とか
窓ガラスの内側を
掃除していました。

退職の日には
家族さん人で
ファミレスに行きました。


71

退職後
悟は
ビルマンでも
気楽にやろうかと
思っていました。

結婚して
養子をもらって
状況は
一変しました。

尼崎駅前の
家を売った時の
お金があるし
可愛い十詩子もそばにいるし
働かずに
ゆっくり家に
いようかとも思いました。

でも
十詩子が
まだまだ
会社勤めもしているのに
自分だけ
家でゴロゴロしていると
気が引けるので
当分は
嘱託で
市役所勤めを
することにしました。

前の職場ではなく
建築相談員として
窓口業務です。

市民から
いろんな建築についての
相談をうける
部署です。

今までの
職場の
エレベーター前にある
カウンターが
悟の
仕事場です。

建築の相談というのは
殆どなくて
市役所に
担当課を
案内する
案内嬢のような仕事でした。


72

十詩子も
新しい職場を
見に来てくれました。

案内嬢とは
ほど遠い
悟でしたが
悟自身は
仕事が気に入っていました。

今までは
机や
パソコンに向かって
仕事でしたが
今度の仕事は
人間が相手です。

ちょっと強面の
おじさんも来ますし
可愛いお姉さんも来ます。

今まで
話したこともない
人達と
話せて
楽しく思いました。

若い時は
人と関わりが持ちたくなくて
建築を選んだのに
建築相談員になって
180度変わってしまいました。

一生
そんな方々と
話が出来ないと
思っていたので
本当によい経験でした。

時には
案内だけでなく
本来の
建築の相談も
もちろん受けます。

100パーセント
知っていることもあれば
50パーセントしかわからないことも
聞かれます。

そんな時には
必死に調べます。

建築は
奥が深いと
あらためて
わかりました。

大げさに言えば
無知の知を
悟った一瞬でした



73

創の
大学入試の日が
やって来ました。

創は
それなりに
頑張っていたようです。

十詩子が
大学に入るためにした
勉強と比べると
少し
「ぬるい」と
思いましたが
そんな事は
言えませんでした。

現代人は
そうなのかと
思っていました。

悟に話すと
「目的がないから
勉強する意欲が
でないのでは」と
推察してくれました。

やはり目的がないと
ダメだわと
おもいつつ
創に
何になりたいかを
決めないといけないと
あらためて思いました。

勉強していませんでしたが
神戸の山手の
大学に
合格しました。

大学の入学までには
目的を探すように
創に言いました。

74

十詩子の会社勤めの方は
ますます
責任が
増えました。

会社の合併は
十詩子の資料が
効果を発揮して
対等合併になったのです。

新会社でも
十詩子の実力は
評価されていました。

合併を機会に
尼崎工場の
事務所棟が
試験研究室をかねて
新しく
ガラス張りの建物に
なりました。

合わせて
十詩子のオフィスも
新しい建物の
最上階の
南の角に移ってきました。

以前でも
充分に広かったのですが
2倍になっていました。

テレビ会議室が
大小ふたつあって
応接室と
執務室が
ガラス張りであるのです。

部下のさん人は変わりませんが
新たに
定年を迎えて
嘱託になった
敬子が
秘書として
新たに付きました。

会社の組織図では
経営企画部経営開発室尼崎分室
ということになっています。

長いので
チームATといいます。


75

尼崎チームの略でしたが
いつの間にか
「オーソリティー 十詩子」の略に
なっていました。

アメリカの
会社の
買収では
十詩子の
分析では
隠れ負債があることが
あるとして
断念されると
賛成派に
相当揶揄されたのですが
3ヶ月後に
その会社が倒産すると
十詩子の人気は
またまた上がりました。

十詩子の評判は
社内だけではなく
社外にも
知れ渡っていました。

よく知られた
シンクタンクからも
引き抜きの話が
来たこともありました。

テレビの出演依頼も
ありましたが
断りました。

社内の重要案件は
十詩子にお伺いを立てるという
風潮さえ
出てきて
「尼崎詣で」という
言葉さえ出来たのです。

さすがに
それは何が何でも
穏当でないので
社長に
そのようなことは
止めるように
言ってもらいました。

76

重用された十詩子の
お給料は
嘱託とは言え
相当な金額になっていました。

はるかに
悟を超えていました。

十詩子は
それが
気に掛かっていました。

仕事は良いけど
お給料が
これでは
また問題にならないか
心配だったのです。

何でも相談する約束には
なっていましたが
相談せずにいたのです。

人事部長に
あった時に
「給料を
少し下げて欲しい」と
頼んだこともありました。

職制上無理だと
言われてしまいました。

やはり話すべきだと
考え
創が
デートでいない休日に
そのことを話しました。

深刻そうに
話し始めたので
悟は
一瞬
びっくりして
固まっていました。

すぐに
話の内容がわかって
ホッとした悟は
「お給料
高くていいね」と
笑いながら答えました。

「そんな事
わかっているよ。

うちの
女房は
優秀なんだことを
喜んでいるんです。

会社でも
自慢しているくらいですから

エヘ」と
付け加えて
ふたりは
大笑いしました。



77

創は
そのことを
聞いていたのです。

デートに行ったのですが
電車が
人身事故で
止まっていて帰ってきていたのです。

大声で
ふたりが笑っていたので
「何々」と言って
部屋に入ってきたのです。

十詩子が
そんな重要な
ポストにいたとは
知りませんでした。

数字に強いことが
きっかけになって
いろんな仕事が
出来たのだと
十詩子が説明して
「僕も
数字に強くなる」と
言ったのです。

悟:
それは良いけど
一朝一夕には
それは出来ないのでは

創:
だから
4年間かけて
頑張ります

十詩子:
創だったら出来る

そろばんは良いんだけど
今時古いでしょうか

創:
そろばんは
良いですよね
始めてみます。

お母さんみたいに
成れたらいいけど

悟:
頑張れば
出来る
絶対出来る



78

そんな言葉に
のせられて
創は
頑張っていました。

残念ながら
高校生の時の
彼女とも別れて
頑張っていたのです。

十詩子の
会社を
見学したいと
言うので
見学をしました。

オフィスには
書類なんか
まったくありません。

ペーパーレスの
オフィスだったのです。

特別な
セキュリティーで
守られた
オフィスです。

見学しても
情報は漏れません。

運動公園が
よく見える
眺めの良いオフィスだけが
特長でした。

「こんな職場で
働きたい」という
大きな動機付けになりました。

前にも増して
創は
勉強しました。

悟と十詩子は
嬉しかった
とても
嬉しかった。






79

翌年になって
十詩子も
60歳を迎えました。
老齢厚生年金の
比例報酬部分が
頂ける年齢になったのです。

悟は
すでに
受給していました。

男性の悟は
60歳からもらえる
年金は
最後の世代になっていて
「ラッキー」と言って
受給申請をしました。

十詩子は
元気でしたし
会社のお給料もあって
年金の受給は
繰り下げ申請をしました。

65歳まで
繰り下げ申請をしたのです。

お金には
困っていない
ふたりでしたから
そんな事を
話題にさえしませんでした。

十詩子の
頭の中には
「私は
元気だから
きっと長生きするに
違いない。

年金を
繰り下げ申請すると
老齢厚生年金が
少し増えて
長生きすると
受給総額は
きっと
増えるんだろう

エヘ

やっぱり
私って
計算高いわ

会社の
大きな金額の計算から
私の
年金の
少しの金額の計算まで
抜かりがない私って
偉い?」と
考えつつ
にんまりしました。

しかし
この前提が
誤っていることは
時間が経つと
わかることになるのです。





80

あれから
2年が経ちました。

大学3年になった
創は
就職活動していました。

リクルートスーツを着て
東京へ
会社訪問の毎日です。

十詩子は
会社に口利きをしようかと
言いましたが
創は
断りました。

十詩子たちは
それが
せがないと思いつつ
頼もしくも思いました。




十詩子の会社では
十詩子の退社後のことを考えて
策を労していました。

十詩子の力量を
AIで代替するという
方策です。

大学の偉い先生と
共同の事業で
チームATのなかに
その助手がふたり付いていました。

十詩子が
ディスプレイの
帳票を
どのように見ているかを
探る
機器をつけて
仕事をしたこともあります。

十詩子の使っている
パソコンの
操作は
すべて
記憶されていて
それらの
膨大な
データを利用して
十詩子の
思考方法を
調べるものでした。



81

十詩子には
細かな所まではわかりませんでしたが
概要は
助手の説明で
わかっていました。

「私のかわりをする
AIができたら
私は絶対に要らなくなるわね。

でも
助手のあなたは
これを操作する必要があるから
何時までも
いるんじゃない」と
助手に言ったら
「まだまだ
AIで
代替できるほどの
力はありません。

現在の状況では
正しいか正しくないか
AIには
判断できるかどうか
わからないのです。

もう少し
進まないと
無理みたいです。

それから
私のかわりは
イッパイいますので
私自身の仕事が
いつもあるとは
限らないです。

やはり
十詩子さんは
凄いと思います。

オーソリティー 十詩子です。

憧れます。」
と答えました。

82

AIの研究が
ほどほど進んだその年の
クリスマス
大きな転機が
やって来ます。

悟は
母親が
亡くなるまで
その趣旨を
理解しないまま
クリスマスイブの夜は
盛大に祝っていました。

十詩子の方も
就職してからは
クリスマスイブの夜は
原則ひとりでした。

会社の同僚との
会食もありましたが
仕事をしていた日の方が
多いようでした。

もちろん創も
事件に遭うまでは
クリスマスイブの夜は
普通の家族のように
祝っていました。

結婚してからは
慣例に従って
クリスマスイブの夜には
ケーキなどで
祝っていました。。

中性脂肪コレステロールが
気になるので
創には
洋菓子を買ってきても
ふたりは
和菓子専門でした。

でも
クリスマスイブの夜だけは
ケーキを食べることにしていました。

昔ながらの
バタークリームの
ケーキでした。

ローソクをたてて
電気を消して
それから
吹き消して
切り分けて
食べました。

その時
十詩子は
お腹に
異常を
感じたのです。



83

十詩子は
元気の塊で
みんなが病気に倒れている時でも
十詩子だけは
病気になりませんでした。

お腹の異常は
今までには
なかったので
驚きました。

悟は
病気で良く休みます。

自分のことを
「病弱」と
言っていました。

それで
一年に一度
春に
人間ドックに言っていました。

十詩子も誘われて
人間ドックに
行ったこともありました。

もちろん
異常なしだったので
安心していました。

悟に
「少しお腹が痛い」と
いうと
悟は
前のことがあるので
「お腹が痛いって
イヤだよね。

美味しく食べられないし」と
答えました。

十詩子:
明日病院に行って来ます。

悟:
それが良い

(心の中で
そんなに悪いのかと
心配しました)


84

クリスマスイブの翌日
つまり
クリスマスの日に
十詩子は
近くの
お医者さんのところに行きました。

悟は
毎月のように
行っていましたが
十詩子は
珍しいかったです。

問診と
触診をして
お医者様は
精密検査を受けるように
紹介状を
書いてくれました。

その日のうちに
病院へ行って
精密検査の
日程がきまりました。

翌年の
6日だったのです。

その年の
年末年始は
何となく
お祝いムードもなく
過ぎてしまいました。

悟が
毎年
初詣をしている
潮江の
神社へは
行きましたが
それ以外のところには
行かずに過ごしました。

そして
6日の朝
朝食を摂らずに
病院に向かいました。

85

悟も
その日は
非番だったので
付き添いで
一緒に行きました。

その病院は
病気のデパートの
悟にとっても
初めてでした。

多くの患者には
付き添いがいて
普通の病院とは
全く違いました。

受付をすまして
検査室の前に
座っていました。

看護師が
前処理で
注射を打ちに来ました。

名前が呼ばれて
十詩子は
検査室に入りました。

処置台に横になりました。

ながい
胃カメラのようなものが
口から入れられて
十詩子は
経験したことのない
不快感を
味わいました。

そのあとの
記憶がなくなって
気が付くと
処置室で横になっていました。

横に
悟が
心配そうに立っていました。


86

悟が
「大丈夫?」と
聞いて来たので
「たぶん
大丈夫」と
答えました。

そこに
看護師がやってきて
「午後の診察で
先生が
結果を
話すので
午後まで
待って下さい。」
言ってきました。

朝ご飯を
食べていない十詩子は
病院の食堂で
うどんを
食べました。

悟も
同じものを
注文していました。

心配で
あまり食べたくなかったのです。

軽い食事を摂って
待合室で待っていると
名前が呼ばれて
診察室に入りました。

老練な医師は
入ってくる
十詩子と悟を
見ながら
ゆっくりと
話し始めました。

口が
重いように思えて
悟は
胸騒ぎがしました。

87

医師にとって
告知は
日常茶飯事ですが
思慮深い
医師なら
話すことが
おっくうになるものです。

電子カルテで
エコーの
画像を示しながら
説明し始めました。

パソコンに慣れている
悟と十詩子には
もう充分
その結果は
わかってしまいました。

十詩子は
血の気が
引くのがわかりました。

全身から
力が
抜けてしまいまい
倒れそうになるのを
手で押さえていました。

悟を
見ると
顔色が
青ざめているのが
はっきりとわかりました。

お互いに
「わかっているんだ」
と思いました。

画像には
素人でもハッキリわかる
異物が
写っていたのです。

大きさが
測られていて
32mmと
表示されていました。

「細胞診の結果が
まだ出ていないので
確定は出来ませんが
膵臓に
腫瘍がある可能性が
非常に高いです。」と
話し始めました。


88

医師は
今わかっていることを
詳しく説明してくれました。

悟と十詩子は
うなずいてはいましたが
何が何だか
わかりませんでした。

最後に
「セカンドオピニオンが必要なら
検査結果を
お渡します」と
付け加えました。

十詩子は
よく理解しないまま
「お願いします」と
答えて
診察は終わりました。

セカンドオピニオンの書類と
3日後の
検査結果待ちとなって
家に帰りました。

家に帰っても
特に
会話はありませんでした。

夕方になって
創が
帰ってきて
結果を聞いて来ました。

膵臓癌である可能性が多いこと
セカンドオピニオンのこと
3日後の検査待ちのことを
言ったら
創も
同じように
力が抜けたような様子でした。

創は
セカンドオピニオンの
先生を
調べてみると言って
部屋に行きました。

夕ご飯の時間になっても
十詩子は
ジッとしていたので
悟は
わからないように
食事の支度を
始めました。

89

大根と人参鶏肉の煮物
わかめのお味噌汁が
出来上がったので
十詩子と
創を呼んで
夕ご飯になりました。

いつもの
食事とは
全く違いました。

楽しく
あーだ
こーだと
話して
ゆっくり食事をするのが
常でした。

何も
おしゃべりすることなしに
食事が終わりました。

最後に
十詩子が
「ごちそうさま

夕食美味しかったよ

ありがとうございます。」と
悟に
礼をいいました。

創は
すぐに部屋に戻り
セカンドオピニオンを
探しました。

十詩子と悟は
テレビを
特に見るわけでもなく
時間を過ごし
いつもの時間になったので
ベッドに入りました。

いつものように
抱き合って
寝ました。

眠られない
夜を過ごしたあと
うつらうつらとして
朝が来ました。

悟が目覚めて
キッチンに行くと
十詩子が
朝食を作っていて
大きな声で
「おはよう」と
挨拶しました。


90

悟は
驚きました。

昨日とはうってかわって
元気なんです。

いつものように
食事の時には
なんだかんだと
話しかけてくるのです。

悟も
創も
からげんきだと
思いました。

創が
セカンドオピニオンの
何人かの先生を
探し出してきたのです。

9時なったら
電話で聞いてみることにしました。

十詩子は
この日は
出社する日だったので
会社に電話しました。

秘書役の
敬子が出て
理由を聞いてきたのです。

なにしろ
休んだことのない十詩子ですから
敬子は
聞いて来たのです。

友達でもある
敬子には
本当のことを話したのです。

敬子は
大変驚いていているように
電話に伝わってきました。

創が
電話で聞くと
午後から来てくれと
先生に言われたので
昼食を摂ってから
3人でタクシーで向かいました。


91

病院は近くです。

公立の病院で
地域では
ナンバーワンということになっています。

受付で
紹介状を渡して
待合で待っていると
番号を呼ばれて
診察室に
さん人は入っていきました。

40過ぎの
医師が
紹介状を
見ながら
十詩子の方は見ずに
「残念ですが
主治医の
通りです。

特に私の方から
言うことはありません。

お大事に」と
簡単に言われていました。

3人は
がっかりして
診察室を出て
会計の方に
行こうとすると
看護師が
追いかけてきて
「他の病院でも
セカンドオピニオンを
受けることを
おすすめします。」と
告げました。

暗に
今の医師は
力量がないと言うことを
言っているのではないかと
思いました。

タクシーに乗って
家に帰りました。

十詩子は
そんな状況でも
元気なフリをしていました。


92

家に帰ると
待っていたかのように
電話がかかってきました。

敬子からの電話でした。

セカンドオピニオンについての
電話でした。

十詩子の会社は
以前は
大きな病院も持っていて
その関係で
いろんなルートで
東京の
名医にたどり着いたそうです。

外科医で
膵臓癌の手術を
何千例とした経験があるそうです。

明日
食事を摂らずに
横浜まで
来て欲しいということでした。

新幹線の切符も
取っておくので
病院まで行ってはどうかというものでした。

悟と創に言うと
「行った方が良い
僕たちも行く」と
言いました。

何か
光明が
見えたように
悟には感じました。

その晩も
あまり眠られず
抱き合って
休みました。

冬ですので
まだまだ
真っ暗な朝
出掛けました。

タクシーで
新大阪まで行って
新幹線に乗って
横浜へ向かいました。


93

病院では
たくさんの
患者と
その付き添いであふれていました。

予約した時間が来ても
もちろん
診察は始まりません。

1時間ぐらいして
呼ばれて
3人は
診察室に入りました。

40過ぎの
医師は
しっかり
十詩子を見ながら
話しました。

「紹介状を見る限り
膵臓癌の可能性は
高いので
私は
手術可能かどうか
調べてみることにします」
といって
ペットシーティーの検査の用紙を
渡されました。

検査室に行くと
1時間ばかし
待つように言われました。

中庭が見える
待合室で
待ちました。

十詩子は
朝ご飯を食べていないので
お腹が空いていました。

看護師が来て
水を飲むように
言って帰りました。

創が
買ってきた水を
十詩子は
飲みながら
待ちました。

十詩子は
平静を
よそうっていました。


94

時間が来たら
十詩子は呼ばれて
注射を打たれて
説明され
1時間休養です。

その間も
水を飲むように言われていました。

それから
機械の中で
30分ほどいて
検査されました。

外に出てから
また30分ほど休養してから
外来の待合室に行きました。

看護師が
「食事を摂っても良いですよ」と
言いましたが
待っていました。

呼ばれて
診察室に入ると
ディスプレイに
ペット画像が
映し出されていました。

医師は
入ってくる
十詩子を見ながら
軽く礼をして
話し始めました。

「十詩子さん

今日は
遠くからおいでなのに
良い結果を伝えられなくて
申し訳ありません。

こちらの
画像を見る限り
膵臓癌は
諸処に
転移をしていて
手術では
完全摘出は
不可能です。

抗がん剤治療を
おすすめします。」と
告げた瞬間
悟と創は
一瞬
血の気が引いた思いをしました。

十詩子を見ると
全然動揺していないように
見えました。


95

悟は
抗がん剤治療の
細かい所を
医師に聞きました。

医師は
専門でないので
よくわからないが
治療成績は
良くないと告げた。

悟は
明らかに
がっかりした様子で
それを見た
十詩子は
しっかりしなければと
おもいました。

駅の近くで
昼食と
夕食をたべました。

簡単な食事でした。

明日のこともあるし
帰り始めました。

会計をすませて
新幹線に乗って
家に帰ったのは
11時頃でした。

収穫のない
小旅行だと
悟と創は
思いました。

しかし
十詩子は
これが最後の
旅行だと
直感していました。

なるべく
元気を
装っていました。



96

十詩子は
自分が
落ち込んでしまうと
悟や創は
取り付くものがないと
考えたからです。

空元気です。

主治医への手紙と
検査記録の
大きな封筒が
机の上にありました。

お風呂に入って
さん人は
さっさと寝ました。

いつものように
悟と十詩子は
抱き合って眠りました。

悟が
朝目が覚めると
すでに
十詩子は
キッチンで
いつものように食事の
用意をしていました。

凄い精神力だと思いました。

そうでないと
高卒から
大学を出て
会社の
要職に就けるわけはないと
思いました。

あらためて
尊敬して
その後
十詩子に
もしもの事があったら
どうしようと
思い悩んでしまいました。

創も起きてきて
一緒に
朝ご飯を食べて
身支度をして
病院へ向かいました。


97

病院に行くことに
手慣れた
十詩子は
受付をして
外来待合室の
椅子に座りました。

同じように
付き添いの多い
待合でした。

予約時間が過ぎ
番号が呼ばれて
診察室に入いりました。

老練な医師は
十詩子を見ながら
曇った顔で
話し始めました。

「横浜の先生に
見てもらったのですね。

膵臓手術では
第一人者ですから
お手紙見ました。

残念ですが
手術不適応と
知らせがありました。

今日行おうとする
検査を
横浜でしていただいたので
検査はしません。

検査結果からは
膵臓癌は
ステージⅣです。

治療の選択肢は
薬物療法しかありません。

苦しい治療ですが
延命効果は
確認されています。

今日からでも
入院して下さい。」と
予想通りの
診断と治療方針でした。

十詩子は
医師の目を見て
聞いていました。

98

十詩子:
薬物療法をすると
病気が治るでしょうか

医師:
残念ですが
完治するかどうか
わかりません。

十詩子:
治療成績はどのくらいでしょうか

医師:
エビデンスは
70人に1人でしょうか。

十詩子:
治療しない場合は
どのくらい生きられるでしょうか。

医師:
個人差が大きいので
一概にはいえませんが
数ヶ月から
1年を少し超えるくらいです。

十詩子:
効果が出る場合は
どのくらい生きられるでしょうか

医師:
これも個人差が大きいので
簡単には
言えませんが
数ヶ月から
5年以上です。

統計的には
5年以上生きられるのは
70人に1人です。

十詩子は
ここまで聞いて
悟と創を見ました。

悟も創は
薬物療法を
受けて欲しいと
明らかに目で
訴えていました。

十詩子には
それがはっきりとわかりました。

聡明な
十詩子には
薬物療法が
気休め程度の効果しかないと
思ってはいましたが
ふたりを見ると
にわかに
薬物療法を
止めるわけにはいきません。

沈黙の時間が過ぎます。


99

その沈黙の時間
十詩子は
薬物療法を受けるかどうか
迷っていました。

「高校を出て
都会で働き始め
悟と出会い
誤解から別れて
でも忘れられずに
思い続けて
再会して
結婚できて
幸せでした。

これ以上の幸せは
もうやってこない

万が一にも
薬物療法が成功して
生きながらえたとしても
もしかすると
悟が
先に逝ってしまうかも知れない

そうなれば
私は1人残されて
きっと不幸せになるだろう

悟に看取られて
先に死ぬ方が
幸せに違いない

悟の目は
私に
少しでも
生きていて欲しいと
言っているに違いない

やはり
薬物療法しか
選択の余地はないのかな

でも
ここで
死ぬ方が
、、、、、、、、、」
とあれこれ
悩んでいました。

その時間は
少しでしたが
主治医が
「どうされますか。
薬物療法するために
入院しますか。」と
聞いて来ました。

十詩子は
「わかりました。

お願いします。」と
答えました。


100

悟を見ると
ホッとした様子でした。

医師は
詳しい説明をして
悟は
いろんな事を
質問していました。

翌日は
日曜日と祝日なので
火曜日に
入院と決まりました。

血液検査をして
この日は
家に帰りました。

帰ると
悟が
夕食を
作ろうとしていました。

十詩子は
この際甘えて
作ってもらうことにしました。

ながく
ひとり暮らしをしていた
悟のことは
そんな事では
心配していませんでした。

ひとり残されて
どんな風になるか
わかります。

ひとりで生きていって
欲しいと願うばかりです。

創のこともあるので
しっかりと
して欲しいと思いました。


十詩子は
データで
会社の大きなプロジェクトを
成功させてきました。

薬物療法の
成功率が
80分の1なら
きっと
会社では
やらないことに決定していたし
やらないことを
強く進言していたと思います。

でも
自分自身のこととなると
そんなデータが
わかっているのに
やることにしたのです。

それは
悟のためと
言っているけど
本当は
自分自身のためかも知れないと言うことも
わかっていました。