大阪に30分の田舎 我が故郷 昭和20年代の航空写真
有馬道は、前にも述べたことがありましたが
大阪から有馬まで行く道です。
江戸時代は、国道176号線がありませんので
幹線道路で、
有馬温泉や丹波へ向かう道として
使われていたのでしょう。
そんな幹線道路は昭和30年時代には
県道として使われていました。
そして私の通学路でもあったのです。
写真を見ていただければわかると思いますが、
田んぼが続く中を
右に左に曲がりながら進んでいくのです。
私は、日々学校に行く途中で
この不合理を
いつも考えていました。
田んぼに何も作られていない時期には、
横切ってまっすぐ行こうかと考えたこともあります。
しかし田んぼの中を
歩くと田んぼの土が固まってしまうので
それは出来ません。
不合理ですよね。
なぜ曲がっているのでしょうか。
でもそれが歴史なのでしょう
皆様どうお考えですか。