ロフト付きはおもしろい

ロフト大好きの71歳の老人の日記です

大阪に30分の田舎 我が故郷 昭和20年代の航空写真

大阪に30分の田舎 我が故郷 昭和20年代の航空写真

住宅の続き

住宅のあるところは、
当時は、「しまのうち」といいました。
しまのうちは、猪名川猪名川支流藻川にはさまれ
島のようになっています。
今は、支流の藻川のほうが
大きいですが
河川改修がされるまで
猪名川の本流のほうが
蛇行していましたが
大きかったそうです。
その猪名川は、淀川の支流の
神崎川に注いでいます。
今は、神埼川は、淀川の支流ですが
これも新淀川が出来るまでは、
淀川の本流は、
神崎川です。
特に平安時代には、
海運は、神崎川
京都とつながっていました。
その基点である神崎川の河口の
神崎の港は、たいそうにぎわったそうです。
神崎の港は、
有馬道を
少し南にいったところで
私の住んでいるところから
3kmほどの距離です。

神崎の港からは、
奈良の東大寺と同じ規模の
摂津の国分寺猪名寺が見えたそうです。
猪名寺は、有馬道を少し北に行ったところで
約2kmほどのところです。
今は、猪名寺は、礎石のみの廃寺です。

話は、元に戻して
このしまのうちは、
歴史的には、大変有名なところで
平安時代には、
猪名川の川向こうの
今の豊中の庄内と合わせて
「椋橋庄(くらはしのしょう)」と呼ばれる
大きな荘園でした。
鎌倉時代の1221年には、
歴史の教科書にも出てくる
承久の乱の発端ともなった荘園です。

昔から水が豊富で豊かなところだったんですね。
それだからこそ
争奪の舞台になったのですね。