その50は最後です。
ふたりで行くよ ひとりで生きていくのも良いけど ふたりで生きていくのも まんざら悪いものでもありません。 ながく ふたりで生きていったら だんだんと 切っても切れない 間になっていくものだと思うのです。 一緒に 暮らすのが 何十年もなれば もう離れなくなってしまうものです。 でも 最期は きっとあります。 どちらか 一方は 先に行くことになります。 幸運にも ふたり同時 亡くなってしまうときも あるかもしれませんが いずれにせよ ふたりの間には 終止符が 打たれてしまいます。 そんなことが わかっていますので ふたりの中には ある約束をする人も 出てくるでしょうね。 どんな約束かというと 「来世も 一緒になろうね」 です。 そんな約束をした 夫婦が 今までの どれほどいたか きっと 数え切れないでしょう。 そんな 理想的な 夫婦の物語を 今度は 書いてみようともいました。 明日から お楽しみにして下さい。 少し無理かな?
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先ず前世から始めます。 いまから 百数十年前 江戸時代の 終わりの頃から始めます。 ところは 摂津の国 川辺郡(かわべごおり)の 小さな村です。 その村は 歴史は充分にありますが 今は 小作人ばかりが 暮らす 貧しい村でした。 村はずれに 屋号が カネスという 一家に 長男として生まれた 弥七がいました。 当時の村では 誰でもそうですが 「朝は朝星 夜は夜星」の働きです。 そんなよく働く 弥七には 6人の兄弟がいましたが 成人したのは 弟ふたりと 妹ひとりで ふたりは 子供の頃に 亡くなりました。 当時では当たり前のことです。 そして 現代では 絶対に考えられないことが 結婚できる 男子は ひとりだけです。 弥七が結婚できるか 弟の誰かが 結婚できるかは 父親の 胸の内です。 結婚できる者は 家を 任せられる 人間に 限られていたのです。
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間違った子供を 結婚させて 跡継ぎにさせると 家が成り立ちません。 家が崩壊すれば 一家全員が 路頭に迷い 餓死が待っています。 絶対に 健康で よく働き 残りの家人からも 慕われ その上 子孫も残せることが 必須条件です。 それを 見極めるためにも 相当な年齢になるまで 結婚が 許されません。 家を継ぐことが出来る 子供だけが 原則結婚できます。 その相手になる 女性選びは 容姿とか 体型では 絶対に選びません。 絶対に健康で よく働き 他の家人に 尽くせるものが 選ばれます。 当時の 農業や 家事は 力がいりますから 男性も 女性も 大柄で 力があるものが 選ばれることが 多かったのです。 女の子供を 嫁に出すことは 働き手を 失うことですので その 代償として 結納金なるものが 納められる 慣習が あったのです。 結婚できない 兄弟は 部屋住みとして 一生結婚せずに 家に残って 農業の 重要な 働き手となります。
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弥七は 選ばれ 結婚することになります。 近村の よく働くと評判の 女性が 紹介されました。 結納金が 弥七の 父親から 支払われてから 女性が 嫁いできました。 夕方 家の前に 紋入り提灯が 飾られて 火が入った中 やって来ました。 女性なの名前は ちよ と言います。 当時は 女性には 必ず 名前の前に 「お」をつけて おちよと 呼ばれていました。 おちよは 太ってはいませんでしたが 背が高く 骨組みもしっかりしていて 日焼けをしていて 精悍な顔つきの 女性でした。 美しいとか 可愛いとかには ほど遠い存在でした。 特に夏が終わったころなので 真っ黒に日焼けしていて その上 夕闇に紛れ 花嫁衣装のために 顔など 弥七には わかりませんでした。
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弥七が お千代の顔を 明るいところで はっきりと見るのは 翌日 朝の仕事から 終わって 家に帰ったときです。 朝日に照らされて 輝いている おちよを見たとき 弥七は 「おちよは こんな人だったんだ」と 気が付いたのです。 それは おちよにも 同じことで 「旦那様は こんな方か」と 思った次第です。 食事の時も 仕事の時も 無駄口を しゃべることは 江戸時代は 絶対禁止ですから 話をすることは 必要最低限です。 朝の挨拶や 仕事の内容など が主で 優しさの表現など あり得ません。 過酷な農作業を ふたりはこなしながら 5人の子供を産み育て 15年の歳月が過ぎました。 弥七は 40歳 おちよは 3歳年下ですので 37歳です。 15年連れ添って 全く ケンカもしていませんでした。
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ふたりの間の 会話もほとんどないし 意見のすれ違いなど あり得ません。 弥七の 仕事や 家事に関することは 的確ですし 絶対に服従するのが 妻の勤め 家人のつとめですから 逆らうことなどありません。 それに 嫌な仕事は 率先して 弥七が しますので 反感を感じることも なかったのです。 弥七の 父親が なくなり 家督を 継ぐようになって 弥七は 責任が 重くなりました。 ちょうど 幕末の頃で 時代は 変わっていきますが 村の様子など 全く変わりなく 過ぎていきました。 何年かに 一度の 干ばつや 台風などに 傷み付けられながらも 必死に 農業に勤しんでいました。 弥七の 叔父さんや 叔母さんが 次々なくなり 子供が 農業の手伝いをする 世代交代が 進んでいました。 ふたりが 出会った時は 他の人に 決められただけだったけで 特に 思い入れもなかったのですが 15年の歳月が過ぎると ふたりは 話をしなくても 通じていると お互いに思っていました。
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おちよは 最初の内は 単に 「旦那様に服従」していました。 年月が過ぎていくと 服従ではなく 「期待に応えたい」 「優しさを与えたい」というような 願望が そうさせていくように思いました。 弥七も 「言ったことを 努力しながら こなす おちよに 思いやり」を 感じるようになりました。 互いに 愛おしく思えば思うほど お互いの 行いは 優しくなっていきます。 それから 10年経って 弥七は 結婚した 長男に 家督を譲ります。 家長の権限を 譲ったのです。 いわゆる 隠居です。 隠居したからと言って ふたりは 仕事を しないと言うことはなく 朝早くから 夜遅くまで 仕事に明け暮れていました。 ひとつ違うことは 今までは おちよは 家事全般の 責任があったので 弥七と 仕事を 一緒にする時間は 少なかったのですが 隠居後は 家事を 長男の嫁に 譲って ずーっと 一緒に 仕事をしていたのです。 朝起きたときから 夜寝るときまで 弥七とおちよは 一緒にいたのです。
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弥七と おちよは 信じられないくらい 同じ時を過ごしたのです。 暑い夏も 寒い冬も 過酷な農作業の時も 夜なべの時も 過ごしました。 そんな時に 今までのように 黙って 仕事を していることも 多いのですが それとは 別のことも起こりました。 ふたりのよる年波には 勝てません。 腰が痛くなったり 目が疎くなったり 耳が遠くなったりしました。 そんなところを 見た 弥七は 気遣いの 言葉を おちよに 言ったりもしました。 同じように おちよも 弥七に 同じようなことを 言うこととなります。 そんな 相手を気遣う言葉が きっかけとなって 話が 始まって 広がっていきました。 話してみると 楽しいことが わかったのです。 止めどもなく 出てくる話題に ふたりは 熱中しました。 もちろん 仕事をしながらのことで 他の者が いないときです。 弥七も おちよも お互いに 「無口のように見えて おしゃべりだ わたしも おしゃべりだったんだ」と 気が付いた次第です。
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弥七と おちよの 話は 体が弱くなって 最期が見えてきて 来世の話にも よくなりました。 法事などで 住職さんが 法話を 話された内容を 受けたものです。 人は死んだら 極楽に行って その後 生まれ変わるという 考え方です。 弥七の家は 門徒ですから 現世がどのようなものであっても 阿弥陀仏が 必ずすくってくれると 教えられていました。 輪廻の考えと 混ざって 生まれ変わるのだと 思っていたのです。 おちよが 「来世で また同じように 夫婦になりたいものです」と 言ったのを受けて 弥七も 「俺もおなじ 同じように 会えて 夫婦になろう」と 答えました。 本当に 仲の良い 夫婦だと 村中の人は 思っていました。 どんなに 夫婦が 慈しみあっていても 別れはあります。 弥七は 58歳 おちよは 少し遅れて 63歳で この世を去ることになります。 ふたりは 村はずれの 墓地に 並んで 葬られました。
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時間は 過ぎて 今から 30年前(1986年) になります。 バブル期の頃です。 普通の サラリーマンの家に 正弥が 3年遅れて 散髪屋の子供として 千香が 生まれてきました。 正弥は神戸 千香は京都の亀岡に に生を受けたので 簡単には ふたりは 出会うことはありません。 前置きが あまりにも長くなりましたが 今後 この物語は ふたりの間を 行ったり来たりします。 出会って 相手を 同じように 慈しむようになるまでに 時間を要してしまいます。 ついでと言ったら 何ですが この物語では 夫婦の 終局の 関係は 慈悲だと思います。 愛は 仏教用語では 愛欲の愛で 動物が持っている 本能の愛です。 いわゆる 人間愛とか 人類愛とか 長年連れ添った 夫婦の愛は 慈悲と言います。 慈しむことなんです。 弥七とお千代の 互いの思いは それは 慈悲だったんです。 愛欲から 遠く 高く 崇高な 慈悲に なっていたのです。
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まず 正弥から話は始まります。 正弥の 父親は 商社に勤めていて それなりの職にありました。 神戸の一等地 北野に 戸建てを買って 住んでいました。 もちろんローンです。 母親は 同じ会社に 勤めていた 女性ですが 正弥が 生まれるのを機に 会社を辞めて 専業主婦となりました。 正弥が生まれた頃は バブルの時期で 父親の 会社の業績は 極めてよく それで 正弥も 子供なりに 贅沢をしたらしいのですが 正弥には 記憶がありません。 オーストラリアや ハワイに行ったり 東京ディズニーランドに行ったり したらしいのですが 写真だけの記憶です。 小学校に行く頃になると 父親の 会社は 財テクの失敗から 残念ながら 倒産してしまうのです。 高収入を あてにして 蓄えがなかったので ローンは すぐに 払えなくなりました。 そこで 両親は 持ち家を 売却して 借金を精算し 近くの 貸し家に移ることにしました。
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以前の お家より 小さくなってしまって 両親は 悲しんではいましたが 正弥は 小さなロフトが 付いている この家を 気に入っていました。 父親の 就職が なかなか決まらないので 母親は パートタイマーとして 働き始めました。 学校が 終わった頃に 仕事から母親は 帰ってくるので 正弥には ほとんど問題はありません。 正弥は 父親や 母親似て 背は高かったのですが 何か ひょろっとしていて 頼りない感じで どこにでもいる小学生より すこし 見栄えは悪かったのです。 そればかりか 成績も 低空飛行で はっきり言って 良いところはありません。 しかし 両親は 誉めて育てるという 教育方針を つつがなく 貫いていて 正弥自身は 大丈夫と 思っていたのです。 劣等感も持たず おおらかに 大きくなっていったのです。
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千香の両親は 亀岡で 散髪屋を やっていました。 代々の 散髪屋で 歴史がある店ですが こぎれいに 改装されていて 駐車場もあって 繁盛していました。 千香は 生まれたときは 小さかったけど すくすく大きくなって行きました。 5歳頃になると 散髪屋の 掃除などを よく手伝っていました。 こまごまと 手伝ったので 近所の人から 評判の 女の子でした。 背が高く 友達も多く 誰とでも 仲良くなれる そんな 性格でした。 小学校に行くと もっと 才能が発揮され 小さな小学校でしたが リーダー的な存在になりました。 そんな 千香が 3年生になったとき ふたりの1度目の出会いが 出来るのです。 1995年1月17日 あの大震災が 起きます。 千香の家や 学校も 揺れはしますが 被害など皆無でした。 ニュースで見る 神戸が あまりにも 悲惨なので 千香は 潰れた映像を 見ないようにしていました。 震災から少し過ぎると ボランティアが 神戸に続々と集まっているという ニュースが 流れるのを見た 千香は 自分も行きたいと 思ったのです。
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父親に ボランティアのことを 千香は 話しました。 父親は すぐに ボランティアの窓口に なっているところに 連絡して 散髪の ボランティアが 出来ないか 尋ねました。 しばらく経って 連絡があって 小学校で 散髪のボランティアの 依頼がありました。 次の週の 月曜日 朝早く 父親と母親は 出掛けていきました。 それを 見送りながら 千香も 行きたいと 思ったのですが 学校があるので 行けませんでした。 翌週は 春休みになったので 両親と一緒に 行くことになりました。 行った先は 北野に近い 小学校で 始めました。 両親は 手際よく 散髪していきました。 そんな間を 千香は 掃除をしながら 手伝っていました。 ちょうど ニュース番組の テレビも来ていて 報道されたのです。 そんな中 正弥の家族も 並んで座っていました。 テレビのニュースには 散髪する両親と 掃除をする子供が 報道されたのですが その背景に 正弥も 映っていました。 両親は テレビを録画して 写真にもして 店に飾りました。 店には 千香と 正弥の写真が 飾られていました。
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千香が ボランティアに 学生生活に 活躍している頃 正弥は 目立たぬ 学生でした。 地震にあって 正弥の家族が住んでいる お部屋自体は ほとんど 被害はありませんでした。 部屋の中の家具は 倒れて しまいましたが 正弥の家族に ケガはありませんでした。 住み続けることが 出来ると思っていたのですが それが 出来なくなっていたのです。 市の検査官が 緊急に被害調査をして 正弥の住んでいる建物全体を 「全壊」に指定して 立入禁止の 張り紙を張ってしまったのです。 そのため 正弥は 近くの 小学校に 避難を余儀なくされます。 すぐに 避難しなかったため 身を休める所が あまり良い場所を 確保できなかったのです。 体育館の 入り口近くの 中央付近しか 空いていなかったのです。 プライバシーなど 全くない所です。 テレビ局のカメラが 昼とはなく 夜とはなく 撮影するのです。 正弥は 口を開けて ぽかんと寝ている様子を 撮られてしまいました。
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正弥の 父親は 震災復興の 仕事で 会社が急に 忙しくなりました。 避難所には 夜帰ってくるくらいです。 春休みが終わると 正弥は 避難している 体育館から 同じ 中学校の 校舎へ 通学することになります。 通学時間 1分で 教室に到着です。 便利といえば 便利ですが やはり 体育館での 生活は 大変でした。 朝のトイレが 順番待ちになったり ごはんは 菓子パンかおにぎり 夜は 並んで どんぶりものとかでした。 教室に 残ることができたので そこで 勉強したり 何もせずにすごしたりしていました。 テレビは みんなが見るものしか 見ることができません。 正弥に チャンネル権など あるはずもなく それが 不満でした。
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自力で 避難所を 出る人も 多くいましたが 父親の仕事の関係で 遠くの 賃貸住宅は 借りることができないので 避難所暮らしを余儀なくされていました。 梅雨の季節が来ると 仮設住宅に 当たる人がいましたが 正弥の家族は 優先権がないので もれてしまいました。 だんだんと 体育館の人数が 少なくなってきたときに ダンボールで 仕切りができて それなりの プライバシーも 確保できてきて 正弥にとっては 待ち待った テレビも見れるようになりました。 今まで住んでいた部屋が 取り壊しになることが わかったので 父親は 少し離れた 尼崎市に 引越しを決めました。 部屋の荷物を すべて出して 引越しです。 引越し先は 今まで住んでいた部屋より 小さかったけど 避難所よりは ましと思いました。 中学校が転校になるので 正弥にとっては 大きな変化ですが 避難所のことを考えると 許せると 思いました。 新しい中学校は 避難所からの転校ということで みんなは 同情的でした。 先生をはじめ みんなは 妙にやさしくて 勉強ができなくても 宿題をしなくても 許してもらえました。 そんな理由で 正弥の 勉強は はかどりませんでした。
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高校受験も そんな理由かどうかわかりませんが 地元の 公立校に受かって 親は 安心していました。 正弥の 高校での生活も それほど目立たず 勉強もほどほどで すごしていきました。 高校1年の夏休み 正弥は 父親の勧めで 夏の理科教室に 泊りがけで行くことになります。 両親が 正弥の成績が あまり振るわないことを 心配したのが 理由です。 そういうわけで 3泊4日の 小豆島(香川県しょうどしま)の 教室に行きます。 理科教室は 実験や 実習を通して 理科の興味を高め ひいては 勉強に励むような プログラムにしてあります。 班に分かれて 行動することになっていて 男女それぞれ2名ずつ それに女性と男性のリーダーがつきます。 最初のオリエンテーションがあって それから 簡単なテストがされます。 班分けの参考にするもので リーダーは 核となるような生徒と その他大勢組みとを 見分けているのです。 正弥は もちろん リーダーには その他組みに 認識されました。 班分けが行われて 活動の開始です。
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午前中は 実験をしたり 山を歩いて植物観察をしたり 川で魚釣りをしたりしました。 海が なぎっているときを 見計らって カッター訓練をしたりしました。 食事は 子供がすきそうなもので 正弥は お代わりをしました。 そして 4日が終わって 正弥が帰ってきました。 両親は 日焼けして 精悍な顔つきになった 正弥の 変化に 少し気がつきました。 両親は 2年3年生になっても 同じように 理科教室に 行かせました。。 正弥は そのような 集団での 行動は 苦手でしたが 親の言うことに 逆らうことも 億劫なので従順に 従っていました。 実験の細かいところ 少しずつは変わっていましたが 3年生になっても 理科教室の 班分けや 内容はほとんど変わりません。
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同じように班分けして 班長を決める方法も 変わっていませんでした。 正弥は 毎年来ているので 要領も わかっているのに 班長には 選ばれませんでした。 その年に 班長に選ばれたのは 千香でした。 千香は 初めての参加ですが 利発で 行動的な 性格を リーダーは 見抜いていました。 この年の 理科教室は 正弥にとっても 千香にとっても 思い出深いものになります。 正弥が入った班の 理科教室の 予定は リーダーの 指導や 千香の 創造力で 思いのほか うまく進んでいました。 丸太で いかだを作って 川くだりの時には 一番になったくらいです。 2日目の 午前中 海が 思いのほか なぎったので カッターで 海に出ることになりました。 正弥は 三回目であったので いつものように 沖までて 競争しながら 港に戻ると 思っていました。
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しかしその日は 少し違ったのです。 海に出たときは 鏡のように 波のない海だったのですが 沖に出て 帰ろうかと思った瞬間 空が 急に 真っ暗になって 風が強くなり 波が立って 波頭が風で白く 飛ばされるほどになったのです。 カッターは 大きく前後左右に揺れて 今にも ひっくり返りそうになりました。 リーダーは 波に向かって 櫂をこぐように いいました。 海のへさきを 波が来るほうに向け 思いっきり 漕いだのです。 正弥も いわれるがまま 平素は 出ないような力を 出しました。 波のしぶきが 体にあたり 船の中に 海水が入ってきます。 カッターは 重たくなって 漕ぐのも おぼつかなくなります。 正弥は とも(船の後ろ)にいたので ゆれは 差ほどでもなかったのですが へさきにいた 千香は 上下のゆれのために 体の力を消耗させていました。 夏と言っても 嵐の中では 体の熱も 奪っていました。 カッターに乗っているものには それは長く感じた時間が 過ぎました。
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実際は 10分くらいの間でしたが 漁船が救助に来た時には また海は なぎってしまっていました。 漁船に曳航されて 港に帰ってきたとき 正弥は ふらふらでした。 それ以上に 千香は どうしようもなく 顔が青ざめ歩くのも おぼつかない様子で 同じ班員の 女性に 助けられながら 船から上がりました。 全員 陸に上がると 救急車が来て 気分の悪いものだけを 病院に 運んでいきました。 正弥の班では 千香だけが運ばれました。 リーダーが 病院に ついて行ったので 正弥たちは 宿舎に戻り お風呂に入って 待つことにしました。 夕方 待っていると リーダーに連れられた 千香が 帰ってきました。 千香は 自分のために 理科教室が 遅れたことを 謝りました。 正弥は そのとき 千香の顔を じっくりと はじめてみたのです。
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正弥は 何か 懐かしいような 気持ちになりました。 千香は 利発で行動的ですが 美しいとか かわいいとかいう 表現には当てはまらない まったく普通の 女性でした。 顔や 姿に 惹かれたというのではなく ただなんとなく 懐かしく思ったのです。 それは 友達の懐かしさでもなく 親のような やさしさでもありません。 千香をじっと見た瞬間 電流に感電したかのような 懐かしさを 感じたのです。 かたや 千香のほうも 同じように 感じたかというと 何も感じませんでした。 正弥が そこにいても 空気のような 存在だったのです。 ただただ 千香は カッターのときの 恐怖だけが 頭の中に あって 正弥を 認識するところまで 来ていなかったのです。
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千香は 病院から帰ってきて その遅れを 取り戻そうと 焦っていました。 3日目の オリエンテーリングです。 朝食後 小豆島の地図に示されている 場所を巡って クイズに答えていくという ものです。 小さい島ですが 歩いて回るには 大きな島です。 千香は 初めてで そのうえ 地図が あまり読めません。 昔から 方向音痴と 言われていたのです。 それに対して 正弥は 勉強や 運動能力は さっぱりですが 地図だけには 強かったのです。 そのうえ 三度目ですから よくわかっていて 地図を サーと見ただけで わかりました。 みんなに 「こっち」と言って 小走りで 出発しました。 千香は 付いていくしかありませんでした。
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班で初めてあったときは 頼りない 人だと思っていたのですが 正弥の テキパキとした 行動を見て 千香は 少し感動を覚えました。 そして よーく 正弥の顔を見てみると 懐かしい 感じがするのです。 イケメンとか 格好いいとか そんなものとは ほど遠い 正弥でしたが 千香は懐かしく思ったのです。 もう従順に従って 付いていく以外無かったからかも わかりません。 オリエンテーリングは 坂を上ったり 脇道にそれたり 島の中を 3時間くらい 走り回って 終わります。 千香は 付いていくだけでしたが 班は 3位に 入賞しました。 みんなの前で 表彰状と 粗品をもらって 写真に納まりました。 最後の お別れの時は 正弥と千香は 互いに見つめあっていました。 住所とか 連絡先とか 聞く勇気は ふたりにはなかったので ふたりで写った 写真だけを 持って 別れていきました。
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千香は 同学年で 自分より 優れている人間がいることを 初めて知りました。負けん気の強い 千香は それから 地図の読み方や オリエンテーリングなどを 練習したのは 言うまでもありません。
そんなこんな 千香ですから 高校も 頑張って やっていました。
家業の 散髪屋も 手伝っていました。
頑張り屋さんの 千香は 成績も 比例していて 優秀でした。
高校2年生になったとき 進路を 決めなくてはならなくなりました。
千香は 子供の時から 散髪屋さんに なりたかったのですが 親は 反対していました。
散髪屋さんの 苦労を よく知っていた 両親は 反対したのです。
何となくですが 頭の賢い子は お医者さんに なったらと 言われて 医学部に行こうと思いました。
単純な 動機で 医師になろうと 考えていたので 不謹慎かとも 思いました。
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そこで いろんな理由を考えて 「先の地震の時に ボランティアで 行ったとき 医師になりたかった」ということに しました。 千香は 勉強して 頑張りました。 その結果 西宮の 私立の 医科大学に通うことになりました。 家からは 遠いので 近くに お部屋を借りました。 高校の時と同じように 元気に勉学に励んでいました。 かたや 正弥は 大学に行くほどの 学力がないと 自他共に 認めるほどでした。 正弥の両親は 心配して 「手に職」を付けることが 必要だと思います。 やはり 医療職がよいというので 看護学校に 行くことになりました。 看護婦の名称が 看護師になって 多くの看護学校に 男子も 入学出来たので 行くことになりました。 女性ばかりの 学校では 正弥は 大変な目にあいながらも 頑張っていました
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普通の男子なら 女性ばかりの 学校は 「超ラッキー」と 思うところですが 正弥は そんな風には 思いませんでした。 友達になる様な 学友もおらずに 孤独に 勉強をしていました。 成績が パッとしない 正弥にとっては 手伝ってくれる 学友がいないのは 困ったことでした。 でも 何とか 頑張りました。 親の 期待に応えるようよう 頑張ったのです。 21歳の春に 幸運にも 准看護師試験に 合格することが出来ました。 看護学校の 先生の間では 「絶対無理」と 思われたいのに 本当に 幸運でした。 看護師は 慢性的な 人手不足ですので 経験の全くない 新卒の 正弥にも 働き口がありました。 バブル後の 超氷河期時代でも 正社員として 勤めることができました。 正弥は 両親の 助言に従って 良かったと思いました。 そして 千香が 通っていた 付属病院に 勤めはじめたのです。
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正弥が 勤めはじめたとき 千香は 隣接する 大学に 入学していました。 正弥が 最初に勤めたところは 整形外科の 病棟で 力がいる仕事を 一手に引き受けることになります。 正弥が 男性という理由だけで 力があると 見なしているのです。 誰が見ても 頼りなさそうで 力がなさそうな 正弥に対する 大きな誤解です。 しかし 仕事は 容赦しません。 知らず知らずのうちに 正弥は 力が付いてきたのです。 1年も過ぎると たくましい 看護師になっていました。 そうなると もっともっと 力が必要な 所に 回されて より たくましくなって いきました。 4年も過ぎると もう充分な 看護師になっていました。 そこへ 千香は いわゆる 「医師の仮免許」の試験に合格して 実習に入ってきます。
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実習生は 各科回ることになります。 でも 残念ながら 正弥がいる 整形外科の リハビリには 回ってこないのが 予定になっていました。 実習生は 忙しい ものすごく忙しいのです。 病院の中で 会うこともありました。 カンファレンスや 食堂などで 何回も会っているのに 会っても 互いに わかりませんでした。 高校の時は ちゃんと 相手の目を見て 話もして 強く 印象に残っているのに わからなかったのです。 お互いに 高校の時とは 変わっていました。 正弥は ひ弱な 感じから 頼れる 看護師になっていました。 千香は 高校の時とは 殆ど同じと 本人は 思っていましたが 女性は 高校生から 大学生への 変身は 相当なものです。 正弥が 記憶していた 高校生の 千香と 7年も経って 医学生になった 千香とは 全く別人に 映ったのです。
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正弥は 子供の時から 女友達は いません。 女友達どころか 男友達も 少なかったのです。 とくに 看護師の専門学校へ 行った頃には 女友達は 皆無でした。 看護師になって 働くようになっても 正弥自体が 積極でなかったのもありますが 彼女は いませんでした。 正弥は 家族が いたし それに 患者の おばさんの中では 人気の 看護師だったのです。 正弥は 男性の看護師は 女性に 人気がないものだと 思っていました。 千香は 勉強家で その上 友達も多かったのです。 彼女の周りには 男女問わず いました。 でも 特定の 男性と お付き合いするような 雰囲気ではなかったのです。 特に 医学部に行くと 女性は 結婚相手としては 見られなくなるのが 普通だそうで 千香に そんな考えを持って 近づく男性は いませんでした。
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正弥と千香は 異性には 人気が 全くなかったのです。 そして もっと 大きなことは 異性に興味が なかったのです。 正弥も 千香も 両親がいるし 仕事も 充実しているし 恋愛に 興味が なかったのです。 同僚や 知り合いからは 草食系だと 思われていました。 なかったのは 運命の出会いを 待つためだったと 後日 思うのですが この時までは そうだったのです。 相手のことに 最初に 気が付くのは 千香の方でした。 ある日 食堂で ランチで 並んでいたときに 千香は 正弥と ぶつかりそうになりました。 目と目があって その後 正弥の 名札が 目に入りました。 名札には もちろん 「正弥」と 書いてありました。 その時は 気が付きませんでしたが なんか その 名札の 印象が 残っていたのです。
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千香は 実習の時にも 「正弥」の名前が 離れませんでした。 正弥正弥正弥が 頭の中を ゆっくりと 巡っていきます。 それなりに 実習を終えて お部屋に帰りました。 大学に入ったときから 住んでいる お部屋は 大学の近くで 高速道路の 横にある 古いアパートでした。 昔の震災でも 潰れなかった見かけは 古いが 頑丈だけの アパートの 1階が 千香の部屋でした。 勉強のための 本以外は 殆ど何もない お部屋でした。 千香は 電気を点けて 本棚の 前の本を 少し移動させて 置くにおいてある アルバムを 出しました。 アルバムを 出して中程の ページを 開きました。 小さな写真が 貼られています。 その写真を ジーッと見て 千香は 正弥が 正弥であることに 気が付きました。 あの 懐かしい 正弥だったのです。
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そう懐かしく思う 正弥だったのです。 なぜ 「好き」ではなく 懐かしい気分になるのか 千香には わかりませんでした。 翌日から 正弥の存在が 気になりました。 居る場所が 違っているのですが 同じ病院ですので 会うことも 多かったです。 一方 正弥は 千香の存在を まだ知りません。 気が付いていなかったのです。 そんな 片想いのような 時間が 過ぎていくのです。 普通の 恋愛ならば もっと積極的に 近づくところですが その時は ただ 懐かしいと言うだけでは 遠くで みているだけで 満足できたのです。 暑い時期が過ぎ 秋が来て 寒い木枯らしが 吹いた頃に ふたりの関係は 少しだけ 進むことになります。
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冬が来る頃 千香の指導医が 主治医をしている 患者が 整形外科に 転科することになりました。 千香は 患者に付き添って 正弥が働く 整形外科に いきました。 正弥が 仕事を しているのをみました。 千香は 整形外科の 担当看護師に カルテを渡して 説明しました。 説明している間も 何となく 正弥の方をみていました。 担当看護師は それに気が付きました。 担当看護師は 若いけど 男女のことは よくわかっていました。 すぐに ぴんと来た 彼女は 正弥を 呼びました。 正弥は 呼ばれて 千香の所に やって来ました。 正弥にとっては 病院内では 初めての 出会いでした。 千香の顔を みましたが 思い出せませんでした。 千香は いつになく お化粧をしていたのです。 整形外科に行くことが わかって していたのです。
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いつもは お化粧なんか 殆どしないのに 急にしました。37でも 逆効果だったのです。
正弥も 高校の時に出会った 千香が 気になっていて 今も心の 片隅で 覚えてはいますが わからなかったのです。
正弥は わからなかったけど 懐かしい感じは していました。
そして 気にしていました。
正弥との再会の時間は すぐに終わってしまいました。
振り返り 振り返り 帰って行く 千香を 正弥は 不思議に みていました。
その ことが 正弥の 印象に 残ってしまいました。
千香は 何かしらの用事を 作って 仕事で 正弥の所に 3日に一度は やって来ていました。
そんなに やって来る 千香を 正弥の同僚の 気が付く看護師は コンパに 誘ったのです。
クリスマスの 前々日の コンパでした。
コンパは 病院の職員の中では よくやっています。38合コンではなく 忘年会のようなものです。
正弥や千香は コンパは 苦手です。
正弥は お酒が嫌いですし 千香は 殆ど飲まないので 苦手です。
隅の方で 食事を ゆっくりとするタイプです。
話し相手もないし 苦手だったのです。
ふたりは 普通は 出たくなかったのです。
でも 千香は 正弥が出るというので 話す機会だと思って いつもと違い 積極的でした。
世話役の 例の 看護師は ふたりを となり同士に座らせるように していたので 否応でも 正弥は 千香の隣に 座りました。
焼き肉店でしたので 焼き肉を隣同士に 食べながら 何を話そうかと 頭で考えつつ 黙って 食べていました。
他のみんなは ガヤガヤと 陽気に 話していました。 隅っこにいる ふたりだけが 黙って 黙々と 食べているのは 明らかに変でした。 千香は この際 理科教室のことを 話してしまおうと 思いました。 「そんなの 全然覚えていない」と いわれたら どうしようと思って 言い出せなかったのですが、 無言が続くより ましだと 思ったのです。 どのように 言い始めようかと また 数分考えました。 それで 正弥の方を見て ゆっくりと 言い出しました。 千香: 私 以前に 正弥さんに会ったこと あるんですよ。 覚えています? そういわれて 正弥は 少し驚いたように 千香を もう一度見ながら
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正弥: えっ 、、、、 あっ そうですよね 小豆島で会った えー 千香さん 千香: 覚えていて下さったんですね。 もう忘れたのかと 思いました。 正弥: すみません。 千香さんがあまりにも 変わってしまったので 千香: 変わったって 変人みたいに 正弥: 変人って それは違います。 大人になっていて それから 僕も変わっているでしょ 千香: そうね 私も最初は わかりませんでした。 昔より 凄くしっかりしていますよね。 正弥: 昔は 頼りなかったんですよね。 千香: そんな事ないわ 理科教室のときの オリエンテーリングの時は 凄く頼りがいがありました。 正弥: オリエンテーリングのときだけね
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千香は ドキッとしました。 そんな風に思っていたんだと 思ったのです。 少し黙った後 千香: そんな事ないよ 高校の時から 正弥さんは しっかりしていましたよ。 オリエンテーリングの時は 特に目立ちましたけど 正弥: 無理しなくても良いですよ 千香: 無理なんかしていません。 翌年も 理科教室に行ったんですけど 同じように オリエンテーリングが あったけど 私のチームは 最下位でした。 正弥さんがいないと 全然ダメですよね 正弥: 僕なんか 3年目だったんですよ 同じものを 3回もすれば わかってしまいますよ。 千香: 私は 3回目も ダメでしたよ 正弥さんは すごかったんだと その時思いました。 正弥: 凄いことは ありませんよ。 平凡な 男です。
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千香: あれに刺激されて 私頑張って 医学部に行ったんですよ。 大げさかも知れないけど 正弥さんと あっていなかったら 医学部には 行ってないです。 正弥: えっ えー そうなんですか 僕って 責任重大ですね。 僕の知らないところで そんなことがあったとは 知らなかった- 初めて聞きました。 先生とは 春頃から会っていましたよね。 でも そんなこと 聞かなかった 千香: 先生って言うのは 止めて まだ医師でないし 千香と呼んで下さい。 正弥: 実習生でも 医師は医師ですから 先生と呼ばせて下さい。 千香: 医師って そんなに偉いんですか なんか話がそれてますよね 医学の話ではないし 正弥: そう そうね 7年ぶりの再会を 喜ばなければならないんですよね。
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コンパの席の 端で いきなりふたりは 盛り上がっていました。 他のみんなは それに気が付いて ホッとしたやら 驚いたやらです。 話は 7年前の カッターの話しになって またもや 盛り上がりました。 1時間あまり 盛り上がったのですが コンパも 終わりになりました。 しかし メルアドの交換とか 電話番号も 聞いていなかったのです。 そんなこと したことないふたりは 気が付かなかったのです。 別れてから そのことに 気が付いた ふたりでした。 病院で 何度でも 会うので 油断したのかも知れません。 それ以上に 連絡先を聞いて 連絡するかどうか 迷っていたのでしょう。 お互いに 懐かしいという気はしていましたが 懐かしい以上のことは ないように感じたのです。 はっきり言って 恋愛ではないと 思っていたのです。
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ふたりは 病院の中で よくで会いました。 会うたびに いわゆる世間話を なんだかんだと 話す仲になっていました。 時には 医学的な 課題や 患者のことなども 話していました。 話題は 尽きないようふたりでしたが 病院外で 会う約束などもしなかったし ふたりで 食事もしなかったのです。 季節は 冬から春・夏になると 千香は 医師試験の受験勉強のため 病院には 殆ど 出てこなくなりました。 千香は 大学の図書館と アパートで 猛勉強していたのです。 医師試験は 相当難しい試験なのです。 それまで 殆ど毎日 会っていた 千香と正弥は なにか 虚しい感じになっていました。 勉強に打ち込んでいる千香も なにか 能率が 上がらないような 感じがしていたのです。
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正弥のほうも 同じです。 懐かしい人に 会えないような なにか 心の中に 穴が開いたような 気がしたのです。 仕事でも ぼんやりすることが多くて 周りの人に 心配を掛けていました。 だからといって 大学生にとって 医師試験は 重要ですから どうすることも出来ません。 例の同僚の看護師は いち早く そのことに気がつきます。 正弥に 「最近 千香先生が来なくなって 何か寂しそうね。 やっぱり好きな人に 会えないと そうなりますよね。」と 慰めの言葉を 掛けました。 正弥は 突然の その言葉に びっくりして 黙ってしまいました。 正弥は 「好きな人」という言葉が しっくりいかなかったのです。 正弥は 千香が好きとか言う相手では 無いと思っていました。 友達でもないし 親戚でもない ましてや 恋人でもない そんな存在だったのです。 そしてそんな存在だったことを そのとき初めて知ったのです。 正弥は だったら 「千香」の存在は 私にとって何と 自問しました。 考えても分かりませんでした。 懐かしい存在で 一緒にいたい存在であることは 分かりますが そういう存在を 現代の言葉で どのように 言い表すのか 分かりませんでした。 正弥は ”一緒に居たい”は ”家族になる”で それは ”結婚する”という意味と 同じであると思うのですが ”結婚する”は ”好きである”ともとれます。 正弥は 千香が”好きである”かどうか まったく分からなかったのです。
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そんな事を 正弥が 考えて 時間を浪費していたころ 千香は ただただ 試験勉強に 明け暮れる毎日でした。 学校一の秀才でも 試験に落ちることが よくある国家試験ですので 万全の上にも 万全を期して 勉強に励んでいました。 食事中や お風呂の中 トイレの中でさえ 勉強していたのですが ちょっとでも 勉強を休めた瞬間 正弥のことが 脳裏をめぐりました。 千香は 「これって 何なの、、 私って 正弥のことが 好きなのかしら そんな事無いよね 正弥は 格好も良くないし 性格だって普通だし イケメンでもないし 私の 許容範囲には入っていないわ 結婚の対象でも 友達の対象でもない ただの知人なのに なんで こんな風に 思い出すのかしら 、、、、、、 背後霊 そんな事無いよね 正弥さんはそれなりに いい人だし やっぱり 私は 正弥のことが すきなのかしら」と 取り留めの無い ひとりでは回答は 絶対に 導き出せないので いつも 途中で終わりました。
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そんなことを 考えていても 時間は過ぎて 正月が過ぎました。 考えながらも 寝食も忘れて 勉強をしました。 寝食は忘れているのに 正弥のことは 時々 思い出してしまいます。 もっと 思い出さなければ いけない人もいるだろうに などと わけの分からぬことも 時々考えて 苦笑していました。 それが 試験勉強の 息抜きになって いたことを 後になってから わかるのですが 今は ただただ 勉強をするのみです。 真剣にやって もう 合格点が とれるような気がしたとき 受験の日が やって来ました。 季節外れの 寒い朝でした。 大阪の 試験場に向かうため 駅に向かいました。 駅から下りる人の中に 正弥を 見かけました。 普通の 知人のように 「おはようございます」と 互いに 挨拶しながら すれ違いました。
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その場は すれ違い 私は駅へ 正弥は 病院へ向かいました。 千香は 何か気になって 振り返りました。 振り返って 正弥の方を見たら 正弥も振り返っていて 目と目が会ってしまいました。 ふたりは 軽く会釈して 今度は 振り返らずに 駅に向かいました。 試験を受けました。 何か 問題が 簡単なように感じました。 模擬試験に比べて 数段 易しい問題だと 思いました。 翌日も 同じように 正弥に会いました。 「連続で 同じ道で 会うなんて」と 千香は 苦笑しながら 挨拶して 同じように 振り返ったら 全く同じように 正弥も見ていました。 「ひょっとして 私って 正弥さんと 同じなんだ」と 思ってしましました。
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試験は 完璧に出来たと 千香は思いました。 何か暖かいものを感じました。 インターネットの 試験の発表日 千香は お部屋で 待っていました。 待っていると 時間の流れは ゆっくりで 発表の時間に なかなかなりません。 千香は 何か考えようと思いました。 医師として どのように 生きていこうかということを 考えようと 思ったのですが 思いつきません。 それとは別のことを 考えてしまいました。 正弥のことです。 正弥と ズーッと昔 あったような 気がするのです。 高校の時ではなく もっと昔 子供の時ではなく 大人になってから あったような気がするのです。 でも そんなことはない そんなことはないと 考えて わからなくなりました。 考えていると 時間が経つのも 忘れてしまいました。 突然 電話が なって出たら 友達からで 「医師試験合格 おめでとう」と 言われてしましました。 ネットで見る時間を 忘れてしまっていたのです。
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合格したことを 冷静に 喜んでいる自分が 何か変なような気がしました。 医師になって 嬉しいと言えば嬉しいですけど それほどでもと 思っていました。 医師になって 研修を 今までの病院で 行いたいと 希望を出していました。 しかし 希望が叶わず 他の場所を 捜す羽目になってしまいました。 両親は 亀岡に 帰ってくるように 言ってきましたが なんだかんだと 理由を付けて 大学の近くの 小さな病院で 研修することにしました。 表向きは 他の理由でしたが 正弥と 別れたくないと思っての 選択だったのです。 その頃正弥は 千香が 病院にもう来ないことを知って 少しがっかりしていました。 風の噂で 近くの病院で 働いていると 聞いた正弥は その病院に 行ってみました。
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大学病院が 終わってから行ったので 病院は 既に閉まっていました。 外で待っても 仕方がないので 帰ろうとしたとき 後ろから呼ぶ声が したのです。 「正弥さんでしょう」と 千香が声を掛けてきたのです。 正弥は その声にびっくりしました。 正弥は よく考えると ストーカーになってしまっていました。 振り返って 小さく 会釈しました。 千香は 嬉しそうに 近づいてきました。 その笑顔を見て 正弥も 「同じだ」と 思いました。 正弥がそう思ったとき 千香も 「同じだ」と 思ったのです。 ふたりは その時 「両思い」であると 確信しました。 そんなことを 目と目で 語り合って ふたりは 駅まで 黙って ゆっくりと 歩いて行きました。 駅で別れるとき どちらからも 電話番号と メルアドの交換をしました。