ロフト付きはおもしろい

ロフト大好きの68歳の老人の日記です

小説『冴子』震災部分その15

預金もなく
不安です。

法律相談が
避難所で行われた時
相談することにしました。

相談員の
弁護士の先生は
「まず
相続放棄して
それから
破産宣告を
受けるしかないと思う」と
答えました。

倫子は
遺産放棄するしかないのかと
思いました。

そして
破産宣告も
受けることになります。

またまたいろんな書類を書きました。

弁護士の費用は
義援金
使いました。

 

倫子には
地震ですべてを
なくしてしまい
もうなくなるものは
何もありません。

破産宣告を受け
正真正銘
無一文になってしまいました。

避難所暮らしでは
とくに
何も要らないので
無一文でも
支障がないですが
避難所暮らしでは
働くのも不利でした。

ハローワークにも行って
職を探しましたが
なにぶん神戸の会社は
大変で
求人どころではないのが現状な上
倫子は
とくにこれといった
特技もなかったのです。

そんな生活を
桜の咲く頃まで続けました。

仮設住宅
次々と
建っていって
避難所の人数も
少しずつ
少なくなってきました。

避難所は
高齢者とか
子供の家庭が
優先されていて
倫子のような
中年女性の
一人暮らしは
後回しらしいと言う
うわさが流れました。

やっぱり自力で
アパートを探す方が
いいのではないかと
思っていました。

そんなとき
勇治の
四十九日の法要が
あるので
来て欲しいと
勇治の
お母さんが
やって来ました。

連絡の電話もないので
姪の運転で
やって来たのです。

お母さんは
倫子の
避難所暮らしに
同情していました。

姪の車に乗って
岡山に向かいました。

翌日
四十九日の法要が
盛大に執り行われました。

そして
そのまた翌日
お母さんは
お葬式のあとに言ったことを
繰り返しました。

離れに住まないかと
言ってくれました。

でも
倫子は
断りました。

「それなら
アパートを借りる
保証人に
なって上げますので
今から
神戸に行きましょう」と
切り出しました。

 

 

 


倫子は
ありがたい言葉です。

いつまでも
不自由な
避難所暮らしではいけないし
それにもまして
ひとりで生きていかなければならないので
働かなければなりません。

そのためには
仕事のある
所に
住まないといけないと
思っていました。

勇治のお母さんの
好意に
甘えて
姪の車で
アパート探しに出かけました。

地震のあった神戸近辺の
アパートは
空いているわけがないので
やはり仕事の多いと考える
大阪寄りがいいのではないかと
話し合いました。

西宮北口
武庫之荘
塚口と調べ
園田で
探しました。

不動産屋さんは
川沿いの
アパートを
借りることにしました。

家賃が安いので
決め手となりました。

その日の内に
手続きをして
借りることにしました。