母の計画は もっと 貸し家を建てることです。 いろんな形態の 貸し家を建てることにしました。 アパート・文化・ファミリーマンション・ワンルームマンション の各種貸し家を その作りも 木造・鉄骨造・鉄筋コンクリート造各種計画していました。 いろんなものを建てることによって リスクを分散することを 考えたのかもしれません。 でもそれが 結果的に 小社にとっては 都合の良いことになりました。 建築費は すべて 銀行からの借り入れです。 こんどは 銀行と しっかりと約束していたし 時代もそう言う時代でしたので 資金には 対して不安はありませんでした。 どうせ借り入れで作るので 母は 子供の名義でも 建設すると言うことで 共有名義で 建てることにしました。 計画では 3年を要することに なっていました 木像から建て始め 鉄筋コンクリート造の 建設が始まった頃 日本中を石油危機が 襲いました。 昭和48年の頃でした。 資材が不足して 生コンが 予定通り入ってこなくなりました。 そんな困難を乗り越えて 建物が完成すると 入居者の方に 無事入居して頂きました。 時代も 追い風で すぐに 借金を返済できました。