その50は最後です。
皆様は 運転はされますでしょうか。 私は 車の運転は 苦手ですが 仕方がないので 運転しております。 先日 あまり 車の通らない 大きな交差点で 右折しようとしたときのことです。 横断歩道に 自転車が通るゾーンがある 交差点です。 右折するときは 前方からの歩行者や自転車に注意すると同時に 右側手前から自転車や歩行者にも 注意しなければなりません。 前方を見て 対向車が来ないのを 確認してから 右手前を 目視するために 首を 右側に回しました。 午後4時頃でしたでしょうか。 たぶん 40才くらいの 女性が 自転車に乗って 横断歩道の 自転車ゾーンを 走ってきました。 彼女は 私に アイコンタクトで 「渡ります」と言って 走っていきました。 皆様 交通安全のためには アイコンタクトは 大切ですよね。 アイコンタクトによって 優先を確認するのですよね。 人間のアイコンタクトですから 笑顔が基本だとは思いますが 彼女の笑顔は 今までにない 笑顔だったんです。 その笑顔を見て その日は 満足で楽しい一日でした。 会ったのはその日だけでしたが もっと別の人が 会ったらと考えていました。 構想1分 ブログ小説を書くことになりました。 次回から 期待せずに お読み下さい。 もちろん どんでん返しや 感動の結末など ありません。 拙文を覚悟の上 読んでいただけたら 嬉しいなと思います。
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この物語には 主人公は ふたりいます。 車を運転していた 登と 自転車に乗っていた 薫子 です。 物語は 登の話と 薫子の話の ふたつで 行ったり来たりします。 混乱せず お読み下さい。 薫子から 始まります。 薫子は 昭和50年に 京都の片田舎で生まれました。 茅葺きの 家で生まれました。 もちろん 出産は 近所の産科で出産でしたが 夏の初め 家に帰ってきた 母子は 涼しい座敷で 緑一杯の 景色を見ていました。 父親は 風薫る日に生まれたので 薫と 名付けたかったのですが 男性と間違われたら 困るので 薫子としました。 薫子は 緑の中を 走り回り大きくなっていきました。 薫子が 生まれた頃 登は 公害で 問題になっていた 街で 学年は同じでが 既に生まれていました。 窓からは 煙突の煙が 見える家でした。
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登の家の 道路を隔てた 工場は 平炉メーカーで 平炉を開けたとき 煙が建物全体から 出てくるのです。 もう 殆ど見えなくなるくらいです。 一日に 何度かあるのです。 平日は 洗濯物を 外に干すことができないと 登の母親が 言っていました。 薫子と登の両親は 戦後のベビーブームの時に生まれ 子供を出産していました。 薫子と登とは 第二次ベビーブームの 子供達です。 幼稚園小学校中学校と 登は たくさんの同級生がいました。 登の住む街では 新しい 小学校が新設され その初めての 新入生となりました。 登は 小学校では 成績は パッとしません。 両親は 共働きで 帰ったとき家にいなのを 良いことに あまり勉強をしなかったためだと 登は思っていました。 学校では 目だ立たない子供でした。 友達もなく 存在感が薄いという感じでした。 薫子は 田舎の学校にしては たくさんの同級生がいて 先生の指導がよかったのか クラス一丸で 勉強やスポーツ・学級活動していました。 その中で 薫子は 中心的な役割でした。
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小学校の5年生の時 交通安全のための 活動がありました。 薫子の小学校の周りは 田んぼばかりで 車も殆ど通っていなかったのですが 都会に出たとき 困らないようにと 管轄の警察署が 企画したものでした。 小学校の前に 唯一 横断歩道があるのですが 横断歩道の渡り方を 警察官が 「にぎにぎしく」教えるのです。 素直な 薫子ですので 超関心を持って 見ていました。 「横断歩道では 手を挙げて 車が停まるのを 待ってから渡りましょう」と 言って 渡って見せます。 その中で 運転手さんの目を 見る事が 重要だと 大柄の警察官が言いました。 自動車が止まったからと言って 歩行者に気付いているかどうか わからないというのです。 単に止まっただけかもしれないので 注意が必要だと言いました。 運転手さんが 自分を見ていたら 気が付いていると言うことで 「これをアイコンタクトと言います」と 説明しました。 小学校5年生の 薫子には 「アイコンタクト」という言葉の意味が よくわかりませんでした。 そこで 質問の時間に アイコンタクトについて 警察官に尋ねました。
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薫子は 大きな声で 「アイコンタクトって何ですか」と尋ねました。 先生役の警察官は 「アイコンタクトとは 目と目を合わせて 相手を確認することです。 目は口ほどにものを言うと言って 目は心の窓です。 では 私が あなたに 目で言葉を話すので 聞いて下さい」と言って 目を薫子の 目を見て 目配せしました。 「わかりましたか」と 聞いてきて 薫子は 「わかりました」と 答えました。 周りは ドッと笑いが 起こりました。 実際のところ わかりませんでしたが そう答えたのです。 そんな事があってから 薫子の クラスでは アイコンタクトが 話題になりました。 先生が 生徒を見ると アイコンタクトをしているとか 薫子のアイコンタクトは 分かり易いとか そんな話です。 登の方は もちろん 交通安全の学習を 習ったと思いますが アイコンタクトについて 知るのは 自動車教習所で 先生に教わる 10年後です。 登は 殆ど目立たない 小学生を経て 中学生になりました。 中学校では 三つの 小学校から 生徒が 集まってきました。 その中に 粗野な 中学生がいました。
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中学生になった 登は 小学生の時のように 目立たぬように 中学生生活を 送りたいと思っていました。 しかし その願いは 粗野な中学生によって 実現できなくなります。 登は 理由もなしに 叩かれ いじめられます。 叩かれたあとに 「バカだから たたいてやった」と 言うのが 口癖です。 跡が残らないくらいに 叩くので 家族や 先生が気が付くことがないのです。 登には 歳の離れた 姉がいます。 姉が 心配して 登に 忠告しました。 「やはり 成績が悪いのは これから 生きていくのには 都合が悪いよね。 登は 小学校の時は 成績がもうひとつだったけど 中学校になったら 気張って 頑張らないといけないよ。 小学校と 中学校は 勉強の仕方が違うから 小学校で 成績が悪くても 頑張れば 成績が上がるよ。 算数が 数学にかわるように 他の科目も そうなんだよ 中学からやり直せるんだから 悪い成績だったら 彼女もできませんよ」と 言われてしまいました。 成績が トップクラスの 姉の言うことは 正しいのだろうと 思いました。 あの いじめた 中学生に 「バカ」と 言わせないためにも 頑張ることにしました。 遊ぶ友達にいないので 勉強するしか なかったのも 事実です。
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登は 大方のことは 懐疑的です。 何でも疑ってかかります。 先生が 「蟻はのすべては 勤勉な蟻ですか」と クラスのみんなに尋ねたことがあります。 蟻とキリギリスの話にもあるように 蟻は勤勉と決まっています。 みんなが 勤勉の方に 手を挙げるのは 当然です。 しかし登は 違いました。 先生が 勤勉とわかっている蟻を 勤勉かどうか 尋ねるのだから きっと 勤勉でない蟻も いるのだろうと 類推したのです。 ひとりだけ 勤勉でない方に 手を挙げた 登に その理由を 尋ねました。 登は 「先生が 当たり前のことを 聞くのだから 答えは きっと逆だろうと 思います」と 答えたかったのですが 前に この様に 答えて 怒られたことを思い出し 「何となくです」と 答えました。 先生は 「蟻の中には ずるをしている 蟻もいることが 観察されているそうです。」と 答えを言いました。 こんな風に 登は思考します。 勉強も 殆どこのやり方と同じです。 試験は 山を掛けます。 先生のクセを見抜くのです。 先生が試験を出す所を 何となく 登にはわかるのです。
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登の予想のすべてが 当たるわけでもなく 登の成績は 上がり下がりしましたが 次第に 「バカ」と言われないほどの 成績になっていきました。 薫子も 中学生になって 少しだけ悩んでいました。 薫子の中学校は みっつの小学校が集まって来ます。 薫子は 天気の時は自転車で 雨の時は バスで通っていました。 小学校の 実績を買われて クラス委員になっていました。 世話好きの 薫子ですから 適任と 考えられます。 同じ小学校から来た クラスメートは クラス委員に 協力的です。 しかし 他の小学校から来た 生徒の中に 掃除を サボって いる者がいたのです。 薫子は 注意する役ですので 注意すると 「お前には関係ない お節介なんだから」と 言って 帰ってしまうのです。 薫子は 悩みました。 どうすれば 聞いてくれるのか 悩んでいました。 それで 小学校の時の 先生に教えてもらうために 学校に行きました。 先生は 話を聞いて 「させようとしたら してくれないよ。 笑顔のアイコンタクトを使うのよ 小学校の時は よく使っていたでしょう 笑顔で ありがとうと 言うのよ 焦ったらダメ きっと聞いてくれるから ゆっくり笑顔で待つことよ」と アドバイスしてくれました。 薫子は 小学校の時に 自然に 笑顔のアイコンタクトを 使っていたと 先生に言われて 気が付きました。 「ありがとうございます。」と 笑顔で答えて 学校をあとにしました。
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早速 笑顔のアイコンタクトを をすることに しました。 朝の挨拶の時 クラス会の時 連絡事項を 説明する時 帰る時 笑顔のアイコンタクトを クラスのみんなに してしまいました。 同じ小学校の出身者は 薫子らしいと 思いました。 他の クラスメートは 薫子に 何か良いことがあったのかと 思いました。 掃除当番を果たさない クラスメートも 変だとしか思いませんでした。 そんなことが 二三日続くと 笑顔のアイコンタクトを 知らないクラスメートも 薫子は 何か凄いものを 持っていると 考え始めたのです。 数日後 例の 掃除をさぼるクラスメートの 掃除当番が回ってきました。 薫子は そのクラスメートに 笑顔で 「今日の掃除ありがとうございます。」 と 前もって 言いました。 いつもは 「関係ない」と 言うのですが 掃除をする 薫子を見ていると 帰られず 掃除をすることになりました。 薫子は 笑顔で 手伝い クラスメートも 笑顔で 掃除していました。
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クラスのみんなは 薫子の やり方に 驚いていました。 同じ小学校出身者は、 あの クラスメートを 言うことを聞かせるという 手際の良さに いつもながら感心しました。 このために 笑顔のアイコンタクトをしていたのかと 思いました。 でも ズーと 笑顔のアイコンタクトは続きます。 登は 笑顔とは 無縁の 中学生生活です。 勉強というか 先生のクセを 見抜くのに 勤しんでいました。 中学三年生になって 高校進学が話題になりました。 登の父親は 課長代理に出世して 年功序列制で お給料も増え 余裕もあって 経済的には 登には問題ありませんでした。 登は 同じ中学校の生徒が 行くであろう 近くの公立高校は 行きたくありませんでした。 少し離れた 私立の 高校に 行きたいと思っていました。 そのためには すこし 成績が足りません。 「頑張って 勉強しない」と 三者面談で 先生に言われてしまいました。 頑張ろうと 登は思っていましたが 何しろ 根が 怠惰な性格ですので それほど 成績は 上がりませんでした。 「バカ」とは 言われませんでしたが そんな間にも 登は 言われなき 暴力を受けていました。 身なりが 少し貧しい 登は お金をゆすり取られるというような ことまではありませんでしたが 殴られたり 足を掛けられたり 突然 突き飛ばされたり していました。 その暴力を受けるたびに 少しずつ 頑張る 力が 増えてきたように 思いました。
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暴力を受けるたびに 勉強をする力が 増していきます。 多くの暴力を受ける 登は 相当勉強しました。 山を掛ける勉強ももちろんしましたが 正当な勉強もしました。 高校の 試験の クセを読むことは 少し無理なので 正当な勉強も する必要があったのです。 その成果も 徐々に上がってきていました。 薫子の家は 少し貧しくて 高校は行けても 大学は 無理だと 親に言われていました。 高校も 公立でないと 行けないことになっていました。 薫子は もともと 賢い聡明な 生徒でしたから 今まで通りのやり方でよいと 先生に言われていました。 今まで通りと言うことで 薫子は 笑顔のアイコンタクトは なくなることはありませんでした。 学校のみんなも いつも笑顔の 薫子を 羨望の目で 見ていました。 薫子には 好きな人がいました。 同じクラスの 少しおとなしい男の子です。 薫子は 特に その男の子には 笑顔のアイコンタクトを 数倍 投げかけました。 でも その男の子とは 相思相愛には成れませんでした。 薫子は 「縁がなかった」と 思うようにしました。 男の子は 薫子が好きだったんですが あまりにも 薫子が まぶしくて 近づきがたかったからです。 薫子は 高嶺の花と 思われていたのです。 そんな所が 薫子にはありました。
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別に 難なく 公立高校に 行くことができました。 薫子の行った 高校は 地域では 名高い 進学校で 誰もが 大学に行く学校でした。 勉強に 明け暮れる クラスメートの面々は 友達付き合いが 苦手でした。 薫子は いつものように 笑顔のアイコンタクトで 友達の輪を 作ろうとしていました。 しかし結果だけを言うと 失敗でした。 「笑顔のアイコンタクトが 功を奏しないことも あるんだ」と 薫子は 初めて思いました。 「そんなことも あるかもしれない。 私の力が 足りなかったのかもしれない」と 反省もしました。 薫子は 作法クラブに入っていました。 お茶・お花・作法の ことを 高校の先生の中で 上手な人に 習う クラブでした。 薫子は 面白いと思っていましたが クラブの部員は 3人しかいませんでした。 学校で 一番賢い美奈子さんと 少し変わった男の子の陽一君と 薫子です。 美奈子さんには 笑顔のアイコンタクトを 必ず返す 女学生でした。 でも それだけです。 陽一君は 笑顔のアイコンタクトには 反応しません。 目を合わせませんので アイコンタクトは できませんでした。 この2人が 進学校での 友達でした。 おとなになっても 続きます。
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薫子は 一年生の時から 担任の先生に 進学しないことを 告げていました。 高校は 進学のカリキュラム一色でしたので 薫子が 就職するためのものは ありませんでした。 就職するなら 例えば 商業簿記とかが 必要です。 作法クラブの 顧問の先生が 商業簿記を教えられる 先生を捜してきてくれました。 薫子は 正規の勉強も もちろんできましたし 就職のための教科も 難なくこなしていました。 登の高校受験は 登に言わせると ラッキーでした。 試験の時だけ よかったような気がします。 高校生になった 登は 暴力から 遠ざかれたかというと 同じような 人間が 徐々に 出てくる恐れがあります。 登は 目立たぬように していました。 当時はやっていた 忍者ブームの 忍者のように 「気配を消して」いました。 叩かれて 痛い思いや 屈辱的な 経験をするよりも 目立たぬように おくるほうが 登は まだいいと思っていました。
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登の 学校生活は 学校では 目立たぬような 陰気な時間を 送っていたのと 裏腹に 家では やりたい放題でした。 乱暴な生活をしていたというのではなく 勉強をしていたのです。 勉強と言っても 高校の勉強ではなく 自由勉強です。 図学や 数学です。 ひと筆書きの 勉強もしていました。 そのようなものが ひと筆書きができるかという 研究していました。 親や 姉は よくわかりませんでした。 していることがわからないのではなく 役に立ちそうもない そのようなことを するのかが わからなかったのです。 だから やりたい放題でした。 高校の勉強は 例の山掛けで よかったり 普通だったりです。 何になりたいという 夢も特になかったのですが 大学へ 何となく行くことが 決まっていたので そこそこの 勉強をしていました。 やはり 登に言わせると 怠惰な毎日でした。
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登の姉は 将来先生になる夢があって 頑張っていました。 その 夢に向かって進んでいる 姉を見ながら うらやましく思っていました。 何になりたいというわけでもなく 登の高校生活は 過ぎていきます。 薫子の 将来の夢は 単純です。 仲のよい両親に 憧れて お嫁さんになることでした。 そのために 作法クラブに 入っていたのです。 顧問の先生は 何でもできる先生で いろんなことを 教えてくれました。 時には 料理も 教えてもらいました。 同じクラブの 美奈子さんに 将来の夢を 聞きましたが はぐらかして 答えてくれませんでした。 陽一君は 「僕も結婚」と 答えて 先生を含めて 爆笑です。 しかし これは 本当の夢だったのですが 薫子には その時は 冗談だと 思っていました。 薫子が 高校三年生になった時 就職が 課題となりました。 世話好きの 顧問の先生は 地元の 会社を あたりましたが なかなか見つかりませんでした。
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バブル景気が 終わって 不景気になっていく その年だったので 到底 京都の山奥では 仕事などは見つかりませんでした。 そこで 何とか通える 京都で 就職先を 探しました。 進学校で 求人票など 来ない学校だったので 顧問の先生の 紹介で 何とか 面接まで こぎ着けました。 証券会社で 全国展開していたのですが 京都だけの 地域職に 応募していました。 面接の 前日 「笑顔で 全力を出してきてね」と 助言してくれました。 高校では 笑顔のアイコンタクトについて 話していませんでした。 しかし みんなは 私の 笑顔を 知っていたのだと 薫子は思いました。 電車に乗って京都の 証券会社の 支店に行きました。 数十人が 応募していました。 高校の制服を着た 人達は 「私より優秀のように見える」と 思いました。 すこし 寒気がしました。 心の中で 笑顔のアイコンタクトと 言い続けて 順番を待ちました。
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薫子が呼ばれました。 五人同時に 面接です。 試験官は 鋭く突いてくる 質問もありました。 薫子への 質問も 同じものですが 薫子は 試験官と 笑顔のアイコンタクトをしてから 答え始めます。 薫子自身 他の4人の方が 的を射た答えだと 思いました。 「ダメかな」と 思いましたが 最後まで 笑顔のアイコンタクトで 行くことにしました。 午後は 筆記テストです。 特に難しいものでは ありませんでした。 この日は 職場見学をして 解散となりました。 数日後 手紙が来て 2次面接の 知らせです。 「あれだったのに 良かったんだ」と 薫子は 少し驚きました。 先生に言うと 「笑顔が良いのよ」と 言われました。 呼び出しの日に 同じ支社に行くと すぐに呼び出されて 面接です。 面接というか 口頭試問でした。 国語や 社会の問題を 口頭で 聞いてくるのです。 薫子ひとりに 5人の面接官です。 薫子は まだ18才で おとな連中が よってたかって 聞いてくるのです。 萎縮してしまうのが 当たりまですが 薫子は 笑顔のアイコンタクトを 忘れずに 行っていました。 終わったあと 薫子は 疲れましたが 笑顔を忘れませんでした。
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笑顔で 会社をあとにはしましたが 心の中は 半泣きの状態です。 口頭試問には 的確に答えられなかったし 笑顔のアイコンタクトも そのため 顔が引きつっていたように 薫子には 思えたからです。 しかし 結果は 内定です。 12月に 内定をもらいました。 「良かった」と 薫子は 心の中から 思いました。 高校出たら OLになって それから 結婚という 薫子の 夢に 近づいたと 思ったのです。 薫子の 通っている 高校には 3学期の 始業式は 作法クラブの 琴の演奏会が 恒例としてありました。 3年生になると 作法クラブは 一応退部と言うことになるのですが この年の 作法クラブの面々は 退部しません。 薫子は 内定をもらって 進路はもう決まっています。 陽一君も 12月に 大学に合格していました。 美奈子さんは 大学受験を控えていて そんな事ができない立場ですが お琴を 弾きたいと言うことで 参加していたのです。 薫子は 「さすが 学年一の 秀才だから 余裕の 美奈子さん」と 思っていました。 でも それは 違っていたのです。
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作法室での お琴の練習は 夕方近くで 終わります。 薫子は 家が遠いので あまり遅くまで できません。 そこで 日曜日も出てきて 練習です。 練習する曲は 正月の琴の曲としての 定番 「春の海」と アンコール曲として 「愛は勝つ」を です。 家には お琴がないので 学校でしか 練習できませんでした。 噂によると 美奈子さんの家には お琴があるそうで 子供の時から 弾いていたそうです。 陽一君については 何もわかりませんが かなりうまい方でした。 正月も 3日から 練習に励んで 高校生活 いや学生生活 有終の美を 飾ろうとしていたのです。 音楽が 苦手な 薫子には 相当のハードルです。 薫子にとっては 最後の晴れ舞台となる 始業式の日が やって来ました。 校長先生の 訓辞が終わって 舞台の 幕が開き 作法クラブの 面々が お琴を弾き始めます。 その中で 一人だけ あでやかな 振り袖姿の 美奈子がいました。 薫子をはじめ 学校の全員は 驚いていました。
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春の海は 定番曲ですが 歌詞がありませんので 聴衆は 静かに聞いていました。 そして 恒例の アンコールです。 拍手して 作法クラブの 面々の 名前を 大声で 呼ぶものも出てきました。 一番大きく たくさんの声がかかったのが 薫子です。 学校では 人気があったのです。 他の者の 名前を呼ぶ者も いましたが 少数です。 もちろん美奈子さんの 名前を 呼ぶ者も いました。 拍手が 続いて 薫子達が 目配せして アンコール曲を 弾き始めようとした その直前 美奈子さんが 弾き始めました。 事前に練習した曲とは 全く違う曲です。 「木綿のハンカチーフ」です。 正月で 始業式の日に 合うかどうかは よくわかりませんが 美奈子さんは 弾き始めました。 曲に合わせて 美奈子さんは 歌も歌いました。 美奈子さんの 近くに マイクがあったので 歌声は 会場中に 響き渡り 先生をはじめ 生徒も 薫子達の 作法クラブ員も リズムと取りながら 聞いていました。 3番まで 歌って 美奈子さんの歌は 終わりました。
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曲が終わって またアンコールです。 今度は 美奈子さんの 名前を 呼ぶ者も 多く出てきました。 学校で一番 優秀で 多芸の 美奈子さんが 人気がないことは ありません。 アンコールは 恒例では 一曲までと 決まっていましたから 薫子は 終わりにしようかと思った時 美奈子さんが 「アンコール曲を 弾きましょう」と みんなに声を掛けました。 目配せして 「はい」と 言って 「愛は勝つ」の 演奏が始まりました。 薫子は 楽譜を 見なくても 弾くことができたので できるだけ みんなの方を見て 演奏して 歌を歌いました。 学生達も 一緒に 歌いました。 「信じることだ 必ず最後に愛は勝つ」と 大合唱です。 予想通りの 大盛り上がりです。 アンコールの 拍手は止みませんでしたが 次の 軽音楽クラブが 待っていたので 幕は 下りてしまいました。 琴を持って 脇に下がりました。 軽音楽部の 演奏を 袖で 美奈子や薫子陽一達も 一緒に聞いていました。 演奏が終わって 作法室に帰ろうとした時 美奈子さんが 薫子に 近づいてきて 言葉を掛けました。
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美奈子さん: 薫子さん 私は 高校生活では あなたに負けたわ 小学校中学校とは いつも 一番の人気があったの でも 私は あなたに負けたわ でも これから 大学 そして 社会に出ると もっと もっと 多くの方に 負けるかもしれないわ 高校生活で あなたと会って そして 負けたことが きっと 将来役に立つと 思いました。 それに あなたに負けた理由も わかったし それを 糧に 今度は 絶対に負けないわ あなたに負けた理由は 「笑顔」よね これからも 良いライバルでいましょ 薫子: 美奈子さんを ライバルだなんて 思ったことありません。 美奈子さんは 私の目標です。 美奈子さん: そうなのよね そんな風に 言えるところが 偉いと思うの 薫子: 本当のことです。 美奈子さんは みんなに人気はあるし その上 成績は優秀 スポーツも 何でもできるでしょう 美奈子さん: 成績が優秀でも 大成はできないわ あなたは 私の持っていないものを 持っているわ 薫子: なにも 私は 持っておりません。 薫子は 美奈子さんにそんな風に言われて 驚いてしまいました。
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美奈子さんは 続けて 話します。 「薫子さんは 自分が どんなに すばらしいかわからないんだ 陽一さんが あなたのことを 好きだと言うことも 知らないんでしょう」と もっと驚くことを 言いました。 薫子は 陽一さんが 私のことが好きだなんて 信じられません。 それを 少し離れたところから 目立たないように 陽一君は 見ていました。 こんなことが あった始業式の日から 美奈子さんは 作法クラブには 来なくなりました。 猛勉強しているという 噂を聞きました。 陽一君は 来ていましたが 何となく よそよそしいような 雰囲気でした。 登は 目立たないように 高校生活を送っていました。 大学へ 行くために 勉強していました。 推薦入学で 手っ取り早く 早期に 入学したかったのです。 そこで 登の両親が 推薦入学を 登に勧めました。 勉強して 頑張って 推薦入学を 受けることにしました。
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怠惰な 登ですので 勉強をしているようにみえて 勉強をしていない方が 多いのですが とりあえず 勉強していました。 そして試験日 京都市内の 大学です。 11月の 月末で 寒い風が吹いていました。 試験場は 古いスチーム暖房で カッチンという 大きな音が していました。 試験は どういう訳か 登には 難しくありませんでした。 なぜなのか と思いながら 答案を書き上げました。 結果は 合格です。 偏差値では 登には 少し難しい程度なのに 合格してしまいました。 学部は 農学部です。 登の姉は 「あんた 何になりたくて 農学部なんかに 行くの」と 聞いてきました。 登は 「特に 農学部と言うわけでもなく 偏差値で 一番難しくて 一番と下り易そうな 大学を選んだだけ」と 答えました。 姉は 驚いていました。 そんなことで 早々と 大学が決まって 高校生活は 登にとって 有終の美になるはずだったんですが そんな風には 行きませんでした。
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登の高校の 卒業式は 生徒自身が 企画立案することが 慣例となっていました。 クラスから 1名選んだ 卒業式実行委員が 合議で 決めることになっていました。 過去には 対面式の卒業式や 吹奏楽を真ん中に 周りを囲うような卒業式 卒業生が演壇に階段状に並んでした卒業式など があります。 生徒会室の 壁には 過去の卒業式の写真が 飾ってありました。 登のクラスで 卒業式実行委員を 選ぶクラス会が 開かれました。 恒例なら クラスの委員長が 兼任するのですが 大学受験に忙しい面々は もう進路が決まっている 登を 委員にしよう提案に 一斉に拍手して 賛成します。 目立たぬよう やっていたのに 最後の 最後に こんな羽目になるとは 登は がっかりしました。 少なくとも クラスの総代として 卒業証書を 拝受するために 演壇に 上る役になってしまいました。 もう下を向いているしか 登にはできませんでした。
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委員なんか したことのない登は 初めての経験です。 委員会では 自分の意見を 述べることは できませんでした。 普通は 大きな権限を持っている 卒業式実行委員ですが 登の場合は あっちの意見を こっちに こっちの意見を あっちに告げるだけで 乗り切ろうと 思っていました。 しかし それだけでは すみませんでした。 卒業式自体は 正統な やり方で 行われるようになっていましたが 卒業式の リハーサルの時に そのハプニングは起きました。 本番と同じように行われたリハーサルで 卒業生の名前が 順番に呼ばれて 返事とともに 卒業生が 起立していきます。 登の名前も呼ばれて 最後に 「以上総代 ○○登」と 呼ばれました。 登は 緊張して うまく歩けませんでしたが 階段を上って 演壇に上がり 礼をして 卒業証書を 受け取ります。 深々と礼をして 振り返って 帰ります。 振り返った時 高い演壇から 卒業生全員の目が みえました。 がちがちに緊張して うまく足が運べません。 そして 階段を踏み外し 落ちてしまいます。 そこにいる全員の 笑い声が 登には聞こえました。 たいした高さでなかったのですが 足をくじいて 立つことさえできません。 そのまま 先生に 保健室に連れて行かれてしまいました。
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こうして 登の 高校生活は終わります。 卒業式には 欠席して 担任の先生が 卒業証書を 持ってきてくれました。 登の姉は 登に 「もう高校とは おさらばだから 落ちたことも これで終わりよ 大学では 新しいことを 目指しなさいね」と 助言してくれました。 登は もっともだと思いました。 薫子は 卒業式の日 みんなに 祝福されてました。 人気のあった 薫子でしたから 写真を 一緒に撮ってとか サイン調にサインしてとか もっと 第2ボタンをあげるとか言う輩まで いました。 涙で 別れました。 薫子自身 驚いていました。 「私って 人気があるんだ」と 初めて気が付きました。 でも 美奈子さんが 気になりました。 美奈子さんは なんかよそよそしく 卒業式で 答辞を読む重責を果たした後 学校から いなくなってしまいました。 薫子が 挨拶しても 笑顔のアイコンタクトをしても 少しだけ 黙礼して 別れてしまいました。
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薫子は 美奈子さんの 音楽会での言葉や 卒業式での 振る舞いが 気になっていました。 もうすぐ就職で 就職すれば 時間的余裕がないので しばらくの春休みの間に 小学校の先生に 相談することにしました。 先生に 美奈子さんのことを 詳しく話しました。 先生は 「太陽の日差しが 強い時 顔をしかめるように 人は 輝くものに 目をしかめるものです。 そんな習慣があるものだから 輝く人にも 顔をしかめます。 でも 太陽が 人間には 必要なように 輝く人も 必要とされます。 きっと あなたの 真価を 美奈子さんにも わかってもらえると思います。」 と答えました。 薫子は そんなものかと 思いました。 先生に 「私の 笑顔のアイコンタクトは 美奈子さんには 伝わらないんですか」と尋ねました。 先生は 「薫子さんは 暗いところで 明るいものを見る時と 明るいところで 同じくらいの明るいものを見る時は どちらが 目をしかめますか」 と 反対に聞いてきました。 薫子は 「それは 暗いところです。 明暗の差が 大きい程 目をしかめると 思います。」 と答えると 先生は 「そうですよね。 暗いところでは 瞳孔が開いて 明るさを 強く感じますよね。 それと同じように 暗い気持ちになっている人は 薫子さんの笑顔は まぶしすぎるのです。 反対に 明るい気持ちの人は 薫子さんの 笑顔を見ると 気持ちも高揚して 楽しくなるのです。 相手の気持ちを 知って 笑顔の程度を 決めることが 肝心です。 薫子さんは もうすぐ 社会の大海に こぎ出すのですから 相手の気持ちが どの程度か すぐに判断して 的確な 笑顔のアイコンタクトが できることが必要です。 薫子さんなら きっとできると思います。 薫子さんも わかっているんじゃないですか」 と 忠告してくれました。
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いつもながら 先生は 私のことを 知っていると 思いました。 笑顔のアイコンタクトは 奥が深いんだと 思いました。 単に笑顔だったらいいと言うものでは ないのだと あらためて思いました。 今度美奈子さんにあったら きっと きっと 笑顔にしてあげると 思いました。 その時がいつ来るか 薫子は わかりませんでしたが すぐだと 思っていました。 でも それは なかなかやってこなかったのです。 美奈子さんは 京都の国立大学の医学部に進学がしたそうです。 自宅から 就職する会社まで 3時間あまりかかるので 京都に住むことになりました。 少しでも 田舎に近いところと言うことで 「丹波橋」に アパートを借りました。 小さなお部屋ですが 薫子は 嬉しかったのです。 短い春休みは 終わって 4月の1日 入社式になります。 数年前は 東京の ホテルで盛大に 入社式を行っていましたが 今は 支店で 内輪で 行われました。 証券会社の 業績が 芳しくないことは 誰の目にもわかるようでした。 そんな会社で 働き始めました。
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薫子の 働く場所は 証券会社の お客様が来ない 2階の事務所です。 庶務のような それでいて総務のような 仕事をすることになっていました。 要は 分担の決まっていない仕事を やる係でした。 先輩や 係長に 仕事のやり方を聞いて こなしていきました。 最初の内は 仕事をするのが精一杯で 仕事以外のことに 気が回りませんでした。 仕事に慣れた頃 仕事には 何かしら 相手があることがわかりました。 蛍光灯の 交換にしても 頼んできた人がいるし 郵便物の配達も もちろん人が相手が いるのです。 笑顔のアイコンタクトの 出番だと 思いました。 小学校の先生が おっしゃっていた様に 相手を見て 笑顔のアイコンタクトの 程度を 加減する必要があるので 注意深く 笑顔のアイコンタクトをしていました。 小学校の時のように 誰彼なしに 笑顔のアイコンタクトを するのではなく 相手の状況や 仕事の内容を 考えて 笑顔のアイコンタクトを することにしていました。 急に 笑顔のアイコンタクトを すると 変に思われるので 徐々に することにしました。 ほんの少しずつ かわっていったように 係長はじめ 支店全員の目には 映りました。 入社して 6ヶ月の頃には 「笑顔が似合う新入社員」という 評判を得るまでになっていました。
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薫子は 出しゃばらないように 慎重でした。 「出る杭は打たれる」と 小学校の先生に 忠告されていたのを 思い出しました。 控えめが 良いと 薫子は思っていました。 薫子が 入社した頃には お茶汲みの仕事は なくなっていました。 お茶を 配って回ると みんなは 喜ぶでしょうが それを 批判する人間も いるかもしれません。 そこで お茶を入れやすいような そんな 急須や ポット ちょっと高級な 使い捨てのカップを 湯沸かし室から 係長の席の近くの 空いていた棚の上に 置くことを 係長に言いました。 その世話を 薫子がすると言うことで そんな風になりました。 朝出勤した時 みんなが お茶を入れるのを 手伝っていました。 お茶の一服で 仕事が はかどったように 係長は思いました。 一年も経つと 薫子は 支店では 人気者になっていました。 一方 登は 京都の大学へ 2時間弱かけて 通学していました。 同じ京都ですので ひょっとしたら 登と薫子は 出会っていたかもしれませんが 2人にその記憶はありません。 登の 大学生活は 今までの 学生生活と 全く違って 快適です。 まず 目立っても いじめられない 叩かれない ので 快適でした。 それが 普通かもしれませんが うれしくて 仕方がありませんでした。 勉強にも身が入って 講義は 最前列で 聞いていました。
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大学の 教室で 最前列に座った仲間と 友達になりました。 小学2年生以来 友達ができたのは 久しぶりです。 それも 4人も同時にです。 登たちは 大学では 有名で 最前列5人組と 呼ばれていました。 普通最前列に 座る者は 勉強熱心な人と 思われていましたが この 5人組は 全く違いました。 ある夏の暑い日 先生が 熱心に 講義している時 5人組の中の 一番お茶目なものが 心地よく 机に頭を伏せて 寝ていて 顔を上げた時に 「暑いな こんな時には 冷たいジュースを 扇風機の前で 飲んでみたいよね。 生協食堂へ 行こうか」と 先生に 聞こえるように 登に言うのです。 登は ハッとしました。 先生は 突然 チョークを置いて 教室を 出て行ってしまいました。 登たちは 顔を見合わせ 黙っていました。 しかし その 1分後 生協食堂へ 連れもっていきました。
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登は ちょっとかわった集団に入っていましたが 勉強は 高校の時より より先進的になっていました。 登の授業の受け方は 試験に必要なことだけ 聞くと言うことです。 登に言わせれば 試験に必要なことは まじめな先生でも 1割弱の時間だと 言うのです。 その他の時間は いわゆる 余談です。 余談を 真剣に聞いたり 覚えたるするのは 無意味だと 考えていました。 だから 授業中は 登は 先生の話を 聞かずに 他のことを 考えていました。 登の行っていた大学は クラス担任制で 前期が終わると 担任の先生が 成績を みんなに渡す会がありました。 渡された成績表を見て 登は 「大学は 厳しくないんだ。 就職のことを考えて 優ばかりつけるんだ」と 思いました。 それを 横から見ていた 5人組のひとりが 「登は 優ばっかし 俺なんて 名前のところだけ」と 言ったのです。 彼の名前は 優とかいて 「まさる」と読むのです。 登の成績が クラスでは一番だったのです。 担任の先生は 「今回は 登君が 一番でしたが 後期には 皆さん頑張って 一番になって下さい。」 と訓示して 終わりました。 でも それは 4年間 かわりませんでした。
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登は 京都の有名な大学に 阪神の自宅から通っています。 大学は 京都の北東にあって 四条河原町から バスに乗って通っていました。 薫子が勤めていた証券会社は 京都駅前にあって アパートは ひとつ駅のとなり 丹波口ですので 普通に通勤通学していると で会っていません。 しかし 同じ京都なので 出会っていたかもしれません。 薫子と同じ 作法クラブだった 陽一君と 美奈子さんも 同じ京都に通学していました。 陽一君は 伏見区の方の 大学の経営学科です。 ふたりは 自宅から 通っていました。 陽一君は 車で送ってもらえる 兄がいたので 駅まで送ってもらっていました。 美奈子さんは 父親の会社の人に 大学まで 車で 送ってもらっていたのです。 美奈子さんの 通っていた 京都大学の医学部は 登の行っていた 大学の隣で きっと 登と 美奈子さんは 出会っていたと 思います。 しかし ふたりの間には 何も 大学時代には 何もおきませんでした。 登が 19才になった 正月に 大きな出来事が 登の前に 起きてしまいます。 地震が起きて 登の家が 大きく潰れてしまいました。 幸い 家族には 何も ケガはありませんでした。 隣の家が 登の住んでいる 家に 倒れかかってきて 2階が潰れてしまったのです。 (私の ブログ小説に 何度も登場している 地震です。 今回は 詳細は 書きません。)
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登の家族全員は 1階で 寝ていたか 家事をしていたので ケガがなかったのです。 しかし 住むことは もうできなくなってしまいました。 停電になっていたので 最初は わからなかったのですが 明るくなって 大きなもの音がした 2階に上がると 2階がめちゃめちゃです。 隣の 家の家具が なぜか 散乱していました。 お空もみえました。 登の父親は 余震に おびえながらも なぜか 冷静です。 「まずは 会社に連絡して それから 保険会社に 連絡しよう。 登も 学校に連絡して 学校の授業があるかどうか確認しなさい」と 言われてしまいました。 潰れた家では 寝れないので その日は 会社の 宿直室に寝ることになりました。 会社の 部下が 自動車で 迎えに来てくれたので 乗せるだけの 生活必需品を積んで 会社に向かいました。 登や姉は車に乗れないので 自転車で 向かうことにしました。 子供の頃 自転車で 会社まで 行ったことがあるので 2時間かけて 姉と 向かいました。 会社に着いてみると 付近は 地震なんかなかったような様子で お店も 電車も 普通でした。
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登の父親の力で 体育館で避難生活も することなしに 他の被災者に比べれば 本当に快適でした。 家の中の 家財を 運び出す必要があったので 家族全員で 協力しました。 最初に日は 車で 何とか家まで行けたのですが 二日目からは 自動車での 立ち入りができず 自転車で 近くの駅まで 持って行くという リレーの やり方でした。 3日目になると 姉の大学の 友達が 折り畳みの リヤカーを持って 手伝いに来てくれました。 ずいぶんはかどりました。 登も 電話で 最前列5人組に 頼みました。 今では 災害に ボランティアは 当たり前になっていましたが この 地震が 始まりと言われています。 5日目の土曜日と 6日目の日曜日手伝いに来てくれました。 そのおかげで 大方の 家財道具を 運び出すことができたのです。 登の 家族も 会社の宿直室から 高槻の社宅に 引っ越ししました。 震災から 7日目 潰れた自宅付近は 大雨に遭いましたが 登の家族は 影響が殆どありませんでした。 薫子は 地震を 丹波口の アパートで 体験しました。 古いアパートでしたが 別に潰れるところもなく もちろんケガをすることもありませんでした。
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薫子は テレビで放送される 惨状に 目をおおいたくなりました。 そんな時 陽一君から 電話がありました。 高校の時は いつも黙っていて 何を考えているか わからない同級生だったのに 電話がかかることなど 初めてです。 普通に 話すのは この時が初めてです。 陽一君は 地震で 大変な目にあっている人達を 少しだけでも 助けに ボランティアに 行かないかという 誘いでした。 陽一君と違って 勤め人の 薫子には 時間的余裕は 少ないことを 告げると 土日は 行こうと言うことに なりました。 ひとりでは 何となく行きづらいので 誘いは 嬉しかったです。 京都駅で待ち合わせして 神戸に向かいました。 高校時代の 陽一君は 寡黙だったのに なぜか 今日は 話し上手です。 そのことを 陽一君に言うと 「薫子さんが 聞き上手だから」と うまく答えてくれました。 ボランティアに行った先は 登の住んでいる街の 小学校です。 小学校で 送られてきた 品々を 選別する係です。 重い荷物を 運んだりしました。 冬で 寒かったのに 少し汗ばんで 仕舞いました。 帰るのに 時間がかかるので 早めに 返り始めました。 陽一君に 丹波口まで 送ってくれました。 家に帰って 熱いお風呂に入りました。 「被災者の方々は お風呂は 入れないんだろうな」と 考えると なぜか 今の幸せに感謝してしまいました。
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お風呂に入りながら 薫子は 被災者の方々に どのように接するか それが難しいと思いました。 心に大きな 傷を負った人達が 私の笑顔が 癒しになるのか それとも 反感を買うか考えれば すぐにわかります。 相手に 合わして 笑顔の程度を 考えなければ いけないと思いました。 笑顔は 奥が深いと 思いました。 人の印象は 会った数秒の間に 決まると 小学校の恩師は いつも言っていました。 そして その基本は 笑顔だと言っていました。 だからといって 満面の笑みは 相手によっては 反感を買ってしまうと 思いました。 お風呂につかりながら 考えあぐねていました。 うなじを タオルで 洗いながら 考え込んでいると 涙が出てきました。 なんで 泣いているか 自分にも わかりませんでした。 しばらく 時間が過ぎて のぼせてきたので お風呂を上がりました。 お風呂上がりに 牛乳を 飲んで 急に 陽一君のことが 頭に浮かんできました。 「初めては 普通に話したよね。 話してみると なかなか面白い 人だったわ。 昔 美奈子さんが 陽一君は 私が好きだと 言ったことがあるけど そんな事ないよね。」と 考えながら 歯を磨いて 寝ました。
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薫子の ボランティア活動は 次の日曜日も そして次の日曜日も 行きました。 被災者に会うことも 多くなりました。 相手のことを 考えて 笑顔を コントロールしていました。 しかし 意図した 笑顔では 相手に 満足を与えないと 思うようになりました。 相手に寄り添って 自然な 笑顔が でるように しなければならないと 思いました。 この ボランティア活動が 結果的に 薫子を 成長させたように思います。 登の家族は 手狭な高槻の社宅で 暮らしていました。 六畳のお部屋を ふたつに分けて 姉と登で使っていました。 今までとは 違う不便ですが 姉も 登も 体育館の被災者の様子を つぶさに見ると そんなことは 言えません。 登も ボランティアに 再々行っていました。 自分たち家族だけが サッサと 逃げ出したことに 少し罪の意識を 持っていたからかもしれません。 一ヶ月経つと 被災地では 倒壊家屋の 撤去が 入り口から始まります。 登の父親は 撤去が 始まる前から すでに 住宅の建築を 建設会社と 手際よく 契約していました。
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登の住んでいた家には 地震保険が入っていて 補助金や 義援金などなんやかやで 残りは 自己資金です。 用意の良い 父親だと 登は思いました。 前から 父親を尊敬していましたが テキパキと 物事をこなす 父親を うらやましく思いました。 登とは 違うのだと 思いました。 もちろん ボランティア活動にも行きました。 大学が 後期テストが終わると 避難所に 行きづめでした。 よく仕事を こなしたのですが 被災者の方々には 登は 影が薄かったようです。 印象が 登は 薄かったのです。 薫子は 仕事があるので 行くことができません。 特に 三月末になると 年度末の 仕事が 山程できて 日曜出勤もあって ほとんど ボランティア活動には いけませんでした。 しかし 被災者には 薫子は 印象深かった。 薫が 体育館で 味噌汁を配る係になると 味噌汁のところに 長い行列ができた程です。
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薫子の 笑顔のアイコンタクトは もう極意の域まで 達していたようです。 反感を買うようなことも なくなっていました。 しかし 例外は どのようなものにもあるように 薫子の 笑顔のアイコンタクトを 良く思わないものが いました。 それは 美奈子でした。 美奈子は 京都の 医学部の有志で ボランティア活動をしていました。 特に資格を持っていない 美奈子は 助手の助手の仕事をしていました。 避難所を回って 仮設診察室を 設営する係です。 手際よく 設営していました。 そんな時 薫子が 避難所で 味噌汁を 配っているところに 出くわしました。 誰の目にも 薫子は 群を抜いて 輝いていました。 美奈子は その様子を見て 大きくため息をついて 「薫子さんは ここでも 、、、、 薫子さんに いつか きっと 、 私だって こんなに頑張っているのに なぜ私は 薫子さんのように あんなに誰にでも 笑えないわ」 と つぶやきました。
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美奈子は そう考えながらも 設営が終わったので 薫子を 遠くから ズーッと 観察していました。 医学部の勉強で 患者を 大局的に 観察することを 教わったばかりだったので 実践していたのです。 見ていると 薫子の笑顔は 相手ごとに違うこと しっかり相手を見ていること 相手の反応によって適宜変えていること などがわかりました。 「薫子さんは 凄いテクニックだわ いや 小手先の テクニックでは あんな風には できないわ なんというか 心がこもっていないと できないかと思うわ。 やっぱり 薫子さんは 人を見る目は 私より 数段 いや 比べものに ならないくらい 上だわ。 もし 薫子が 医師だったら 会っただけで 診断ができるかもしれない。」と 思いました。 そして 今までの ライバルという認識をあらため 師と 仰ぐべきだと 思いました。 しかし 美奈子には プライドがあります。 そう簡単には できなかったのです。
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美奈子さんが そんな事を考えている ある日 また陽一君から 電話がありました。 ボランティア活動を 一緒にしようという 電話です。 陽一君が 薫子さんを誘うのに ひとりだけではという 考えであることは 美奈子さんにはわかっていたのですが 薫子さんと 会えるのなら 誘いに乗ることにしました。 もう暖かくなっていて ボランティアセンターに行くと 避難所から 仮設住宅への 引っ越しの手伝いです。 いつものように 薫子は 笑顔のアイコンタクトで 挨拶していました。 そばで見ていて 美奈子さんも 同じように まねをしてみました。 一回まねをすると 2回目 3回目は 難なくできるようになりました。 美奈子さんは 心の中で 「意外と簡単」と 思いましたが そうではないと すぐに気が付きました。 相手が 薫子ばかりに 話しかけて 頼んでくるのです。 美奈子さんを 別に 無視しているわけではないのですが 近づいてきません。 美奈子さんは 「やっぱり 薫子さんは すごい」と 思いました。
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思いっ切り仕事をして 少し汗ばみ その日は終わりました。 京都へ 一緒に 電車で帰って 駅で別れるところで 美奈子さんは 薫子に 「あなたには 負けたわ。 でも 気持ちよい 敗北よ 高校の時は ライバルと思っていたけど 薫子は 私のライバルではないわ 私の先生 先生に負けて当たり前 また会ってね。 いつまでも 友達でいたいわ」と 言いました. 薫子は 少し驚いて 「はじめから 美奈子さんは 私の友達です。 これからも 友達です。 いつでも なんかあったら 言って下さい。 こちらこそ また教えて下さい。 美奈子さんが 音楽会の時に 私に 教えて下さったことが 本当に役に立っています。 美奈子さんの助言がなかったら 私は きっと 道を誤ったと思います。 今後も 何かと教えて下さい。」 と答えました。 美奈子さんとは そんな話をしながら 笑顔で別れました。 その後 陽一君が お茶に誘ってくれました。
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陽一君は この日のために ちょっと変わった 喫茶店を 探していました。 抹茶を出す 喫茶店です。 抹茶茶碗に 薄茶と干菓子が付いて でてきました。 作法クラブでは よくいただいていました。 薫子: 久しぶりです。 抹茶を頂くのは 陽一: 僕も 薫子: 美味しいわ 陽一: でも もう夕方だから 眠られなかったら どうしよう 薫子: 私は平気よ 陽一君は 僕は 眠られなくなる 薫子: そうなの 高校の時は そんな事言ってなかったじゃないの 陽一: 高校の時も そうだったけど 薫子: 陽一君は 寡黙な人だと 思っていたわ 陽一: あの頃は こんなには話せなかった 恥ずかしかった 薫子: 恥ずかしくて 話さなかったんですか 知らなかったー 陽一: 席の順番を決める時に なるべく 薫子さんの近くになるように していたんだ 薫子: それは知ってた。 となりに来ても 何も話さないし なぜそんな風にするのかわからなかったけど 陽一: 薫子さんは 作法クラブでは 一番の人気者だから 近くにいたかった 薫子: そんな事ないでしょう。 一番は 美奈子さんでしょう。 二番は、、 陽一: いいえ 薫子さんは 一番です。 笑顔が一番ですもの 薫子さんは 一番です。 薫子: 私のようなものを ありがとうございます。 陽一は 少し黙った後 顔を赤くして 次の言葉を 言いました。
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陽一: 結婚を前提に おつきあい下さい。 、、、、、 、、、、、 薫子は驚きました。 その言葉に驚きもしました。 言葉に驚いたのですが その 上気した 顔で まじめな様子に 驚いてしまったのです。 どう答えて良いか わからなかったので 沈黙が続きました。 陽一: 困らしてしまったかな。 ごめんなさい。 薫子さんは 人気があるから 僕なんか ダメだよね。 薫子: そうじゃなくて 私に そんな事言ってくれた人 あなたが初めてです。 陽一: 困るようだったら 今まで通りの 友達でいたい 薫子: いや 陽一君の 気持ちよくわかったわ 私を大切に思ってくれて ありがとう おつきあいしましょう。 と言いながら 最高の 笑顔のアイコンタクトを 陽一にしました。 陽一は 思わず立ち上がって 深々と 頭を下げました。 周りの人は ふたりを 見ました。 ふたりは恥ずかしくなって 下を向いて 笑ってしまいました。
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それから 2週間に一回くらいの割合で デートしました。 お互いの家も 相互に訪れて 家族公認の 仲になるのも すぐでした。 陽一君が まだ大学生なので 具体的なことは 決めていませんでした。 陽一君の家族は 薫子のことをえらく気に入っていて 大喜びでした。 薫子は 陽一君が 段々と 好きになっていました。 親切だし 話しも面白いし 何より 薫子のことを 愛していると 考えたからです。 二十歳になったばかりですので もう少し 仕事に頑張りたいと 思っていたので 陽一君なら 大学を卒業してからですので それも 良いと思っていました。 登は 夏になると ボランティア活動に行くところもなく いつものように 怠惰に過ごしていました。 そんなある日 登の行っていた大学の隣の大学の掲示板を見ました。 仮設住宅を回る 医療班の ボランティアを募集するという チラシを見たのです。 医療に経験のない 登でしたが 何でも 興味を持つ 登ですので 深い考えもなく 応募したのです。 電話をして 現地集合でした。 重い機材を運ぶのが 登の仕事でした。 登は 大学のメンバーと 挨拶しました。 その中に 美奈子さんが いました。 美奈子さんは 薫子さんに教わった 笑顔のアイコンタクトを 登にしてみました。 大学のメンバーには ネタがばれているので 効果の程が 計れないからです。 笑顔のアイコンタクトをされた 登は 同じように 笑顔で 返しました。 その後 作業をして 汗をかきました。 登は 美奈子さんではなく 一緒に行っていた 他のメンバーに 医療について いろんなことを 聞いていました。 それを見ていた 美奈子さんは 「やっぱり ダメだわ」と つぶやきました。
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活動が終わったのは 3時前でした。 駅で別れようとした時 美奈子さんは 登に またまた 笑顔のアイコンタクトをして 話を始めました。 美奈子; お時間よろしいでしょうか 登: 僕のことですか 美奈子; お話ししたいことがあって 登: えっ 僕に何か なんか間違ったかな 同じ大学でないのですが 美奈子; 別にそんな事じゃなくて 登: どんな話ですか 美奈子; そんな深い話ではないのですが こんなところで 立ち話も何ですから あそこに見える 喫茶店でも 私が お金出しますし 登: ありがとうございます。 女性に お茶など 誘われたのは 初めてですので 喫茶店に付いていくことにしました。 登は 何か 期待していました。 喫茶店に着くと また 笑顔のアイコンタクトをして 話し始めました。
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美奈子; 私の友達に 薫子さんという 女性がいます。 私と 同級ですが 働いています。 笑顔が 凄いんです。 みんなの人気者なんです。 その秘密は 笑顔にあると思うんです。 私の笑顔は どうでしょうか 登: どうでしょうかと言われても 良いと思いますよ 美奈子; お世辞は良いです。 本当のことを 言って下さい。 美奈子さんを見て しばらく考えてから 登: それじゃ 言わせてもらいます。 美奈子さんの笑顔は 作り笑いです。 私にした笑顔は きっと 嘘です。 ある人から聞いた話によれば 笑顔は 口と目で 表します。 自然にでた笑顔は まず口に表れ もっと 笑顔が 大きい時は 目に現れます。 でも あなたの笑顔は 口と目が同時です。 それに 人間は 本質的に 違和感を感じるのです。 あなたの笑顔は 同時だったので 作り笑いです。 美奈子; 登さんって 凄いこと 知っているんですね。 感心します。 それじゃ 本心からでる笑顔に見えるように 口の次に 目を 笑うんですね。 登: それは 単なる 手法で そんなものではいけません。 本心からの 笑顔でないと 手法ばかり 磨いても すぐに 信頼を失います。 相手を 大切に思い 信頼すること もっと言えば 尊敬するような心が なくてはなりません。 美奈子; そうなんですか。 博学の 登さんを尊敬します。 登: 私を 尊敬して下さって ありがとうございます。 美奈子さんの 笑顔 とても 自然になっていますよ。 美奈子; そうですか。 登: 私のことが よくわかって 信頼しているからと思います。 美奈子; わかりました。 本当によくわかりました。 やっぱり 笑顔の基本は 心なんですね。 と美奈子さんは言いながら おもいっきりの笑顔を 登に投げかけました。 登は 心の中が ぞくっとする 感じがしました。
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登は 何かを感じましたが それが何かは すぐにはわかりませんでした。 ふたりは 電話番号を 交換して 別れました。 当時ふたりは 携帯電話を まだ持っていませんでしたので もちろん固定電話です。 美奈子さんは 形式的だと 思っていました。 家に帰って 美奈子さんは 鏡の前で 笑顔を 作ってみました。 「登さんの言っているように 作り笑いは 目と口が同時に笑うわ。 心の中から 笑うと 目が後から付いてくるわ 納得 納得 薫子さんは こんな風に 教えてくれなかったわ きっと 薫子さんは そんなこと知らないのだわ もう 考えることなしに 笑顔ができるのだわ 誰彼なしに 笑顔を 薫子さんは しているけど 彼女は すべての人を 信頼しているのだわ 私は そんなことが できないわ 人を見て 信じられる人と 信じられない人は きっといるわ 登さんは 信じられるけど 大学のメンバーのなかには 信じられない人も いるわよねー」と 独り言を言いました。