ロフト付きはおもしろい

ロフト大好きの68歳の老人の日記です

ブログ小説「スポンジケーキをつくりたい」その29まで

1

私は
新しもの好きです。

だからといって
他人様が作った
新しいものなど
興味はありません。

だから
スマホなど
全く興味がありません。


自分で作った
新しいものが好きなのです。

今からいえば
数年前
私が
世界に先駆けて
作った機器が
特許の査定を受けました。

その開発コードを
小社では
「kiswan:キスワン」と
呼んでいましたが
結果として
開発が成功したことになります。

利益が上がるかどうかは
全くわかりませんが
ひとまず成功と言うことにして下さい。


どのような過程で
開発が進んだかを
小説風に
書いてみたいと思います。

主人公は
もちろん
私なのですが
63才の爺さんが
主人公では
「花がない」です。

ということで
主人公は
この際
わかい女性ということにします。

正子ということにしました。

もちろん
私が書く
小説ですので
波瀾万丈とか
予想外の結末など
全くありません。

いつものように
期待しないでお読み下さい
__________________

正子は
昔
工都と呼ばれていた
尼崎に生まれました。

正子は
幼いときには
ものすごく
貧しかったのですが
正子が
10才になったとき
両親が
事業に成功して
貧しさからは
脱却していました。

お金持ちになっても
倹約と
節約
清貧の
暮らしを
正子の家族は
していました。

生活には
節約していましたが
両親は
事業に投資は
惜しまない
姿勢でした。

正子も
子供心に
「投資なくして成果なし」と
思っていました。

両親は
教育熱心でしたが
正子は
中学生になるまで
ほとんど勉強とは
ほど遠く
生きていました。

誰かと遊んで
時間をつぶすということではなく
正子は
いつも
瞑想していたのです。

瞑想の中では
プロ野球選手であったり
ケーキ屋さんであったり
猫であったり
月旅行していたり
もう
普通の想像を
越えていました。


2

正子の
両親は
背が高い
かなり大柄です。

父親は
電車の
乗り口で
頭を打つくらい
高かったのです。

正子は
小学校低学年の時は
そんなに
背が高くありませんでしたが
卒業式の時
「卒業生起立」という
アナウンスで
立ち上がったら
ひとりだけ
飛び抜けて目立ったのが
正子です。

正子を
最初に見た人は
決まって
「背が高いのね
何センチ」と
尋ねてきます。

正子は
それがいやでした。

でも
母親に
いつも
「女は
愛嬌よ」といって
教えられていたので
笑顔で
答えていました。

中学生になって
制服の採寸の時には
特注になってしまいました。

その
特注のスカートも
中学卒業の頃には
ミニスカートになっていました。

正子は
「節約」という
大原則から
新しい制服を
買って欲しいと
言い出せませんでした。


また
中学校になって
少しは
勉強をはじめましたが
世間の及第点には
及びませんでした。

しかし両親は
ものすごく悪かった
小学生の時より
成績が
上がったことを
心から
喜んで見せました。

両親は
「正子は
やればできる子」と
常に
誉めて育てたので
正子もその気になって
大学に行く頃には
十人並みになっていました。

成績は
十人並みでも
友達はいませんでした。

大学では
最前列に座って
先生の話の
要点だけを聞いて
他は
聞き流していました。

大学の先生からすれば
最前列に座るのに
勉強はしない学生と
映っていました。

最前列に座って
瞑想ではなく
別の勉強をしていました。

数学が好きなので
数学の問題を
解いていたのです。

単に好きというだけなので
正しく解けることは
少なかったのですが
そんな女学生でした。


3

正子の通っている
大学には
制服があって
黒のタイトスカートに
白のワイシャツ
黒のスーツです。

黒のタイトスカート以外は
入学式と卒業式以外は
着用義務はありません。

学内に入るためには
タイトスカートをはく必要があったのです。

正子は
タイトスカートが
いやでした。

背が高く余計に見えると
正子は思っていました。

大学は
面白かったのですが
タイトスカートは
いやでした。

でも何もできないので
タイトスカートをはいて
毎日
大学に通っていたのです。

友達もそれ程いるわけでもなく
クラブに入っているでもなく
遊びに行くでもなく
旅行のようなものは嫌いだし
家族でどこかに行くわけでもなく
恋人がいるわけでもないので
本当に仕方なく
勉強の毎日でした。

そのせいもあって
小学生の時は
劣等生であった正子も
学年で
一番になる
成績を
上げていました。

4年生になって
ゼミに入ると
何やら難しい
卒論のテーマを
教授に与えられ
それも仕方なく
こなしていました。

それと同時に
就職活動が始まりました。

正子が
就職活動をはじめた頃は
バブルがはじけて
超氷河期のときだったのです。

学生の面々は
何十回も
会社訪問をして汗を流しました。

正子も
もちろん
就職活動をしていたのですが
これといった
なりたいもの
やりたいものもありませんので
それ程熱が入りませんでした。

正子の
両親は
「好きな仕事を
選ぶことなど
できるはずがない。

仕事があなたを選ぶのよ」と
言ったのです。

そのアドバイスに
正子は
乗りました。

「私を必要とする
ところに勤めよう」と
決心したのです。

卒業間近の
3月に
ゼミの教授が
推薦してくれた
会社に
就職が決まって
正子はホッとしました。



4

正子が勤めはじめた会社は
小さな食品会社で
社長が
超料理人
奥さんがその他の仕事をこなしている
従業員30人ほど雇っている会社です。

従業員は
正社員が5名
あとはパートのおばさんです。

経理や人事は
すべて
奥さんがやっていたのですが
奥さんの父親が
倒れて
介護がいるので
奥さんの代わりができる
社員と言うことで
正子が選ばれました。

大学のゼミの
教授に
食品について
教えてもらっていた
社長が
頼んだのです。

話し下手で
面接が上手に
こなせず
苦戦していた
正子には
渡りに船でした。

スーパーウーマンの
奥さんの代役は
荷が重いと
みんなは思っていました。

介護の合間合間に
会社に来て
正子に
仕事の手順を
教えました。

経理などは
すぐに覚えましたが
その他の仕事については
なかなか大変です。

蛍光灯の切れたのを交換したり
洗面所の石けんとか
トイレの詰まりとか
換気扇の掃除とか
労災保険・年金・ハローワークなど
何しろ
雑事が多いのです。


仕事の要求が高ほど
期待されていると
正子は
考えるようにしました。

はっきり言って
ほとんどこなせませんでした。

大学の時とは違って
全力で仕事をしていましたが
相当
奥さんは
いらだっていたように
見えました。

なんだかんだと言って
1年が過ぎました。

会社の業績は
バブルの破綻後も
社長の力量で
受注量は減少は少なかったのですが
利益は
ほとんど上がっていませんでした。







5

社長は
料理人で
研究熱心だったのですが
ある調味料を
作り始めました。

醤油とラー油を
混ぜた調味料です。

油と水ですので
普通なら
混ざらないのですが
混ざっている調味料を
作ろうとしているのです。

会社の敷地の隅にあった
昔使っていた
鶏舎が
研究室です。

社長と
一番若い
男子従業員の松井と
ふたりで
やっていました。

出金伝票が
正子のところに
回ってきて
何やら難しい材料が
書いてありました。

最初わからなかったので
その名ばかりの研究室に行って
松井に聞きました。

正子:この出金伝票は
何のためのものですか

松井:研究です。

正子:どのような研究ですか

松井:それは
秘密になっています。

正子:秘密なんですか。
極秘なんですね。
おもしろそうですね。
私も参加したいです。

松井:それは
社長に頼んだら
良いのでは

正子:そんなこと頼めません。
だって私は
おバカですもの

松井:それはないでしょう
大学での
エリートなのに
私なんか高卒ですよ

正子:学歴ではないと思います。
でも
研究がうまく言ったらいいですね
特許になって
会社が
大儲けできたら
私のお給料も
上がるかしら

松井:それは良いですね
担当者の私は
ボーナスが出るかも

そんな話をしていると
社長がやってきて
話は終わって
研究が始まったようです。

その日以来
松井は
正子のところにやって来て
なんだかんだと
話すようになりました。


6

松井は
正子を
先ず昼食に誘いました。

しかし
正子は
いつもお弁当で
それは
できませんでした。

「飲みに行こうか」と
誘いましたが
正子は
酒など飲まないので
それも無理です。

松井の
望みが叶ったのは
11月に行われた
忘年会の時です。

年末年始は
会社が
繁忙期なので
忘年会は
11月に行われます。

忘年会で
松井は
正子のとなりの席に座って
いろんな事を
話してきました。

その中で
醤油とラー油の
研究の話しも
ありました。

中華料理に
良いとか
ピリッと
辛いのは好きだとか
話したあとに
「餃子にかけても
おおかた
皿に落ちているのは
無駄のような気がする」と
正子は話をしました。

それを聞いた
松井は
ハッと気が付きました。

「そうですよね

そうだわ

そうなんだ」と
凄く納得したのです。

正子は
少し変だなと思いつつ
忘年会は終わりました。

翌年の
2月のはじめに
社長は
社員全員を集めて
試食会が行われました。

ビニル容器に入った
醤油とラー油を
餃子にかけて試食するという
会です。

正子は
ビニル容器を
おそるおそる切って
かけました。

ビニル容器に入った
液体は
注意して
開けないと
飛び散ってしまうからです。

醤油の色が
少し赤味を増した
透明なものが入っていました。

ビニル容器から
出てきたものは
ジェルでした。

それでいて
餃子にピッタリと
付くのです。

食べてみたら
もちろん美味しいです。

正子は
「美味しくて
良くできている」と
松井に言いました。

試食会のあと
正子は
社長室に呼ばれました。

社長:
正子くん今回は君の案を使わせてもらった。

正子:
どういうことですか
私は
研究には
全く関わりを持っていません。

松井:
政子さん言ったでしょう
餃子にかけたとき
皿に落ちてもったいないと
言ったでしょう

正子:
へー
言いましたか
記憶にありません

松井:
酒も飲んでいたなかったのに
酔っぱらっていたのですか。

社長:
この研究が
成功したのは
松井くんと
正子くんのおかげだ

これを
特許にしなければいけません。

今度は
ふたりで
これを特許にするよう
頑張って欲しい

松井:
正子さん
明日ふたりで
弁理士先生のところに
行くことになっています。

正子:
そうですか
特許になる様
努力します。


今後のことで
大いに盛り上がりながら
その話は
終わりました。








7

翌日
松井と正子は
弁理士先生のところに
電車で向かいました。

大阪天満橋3番出口を出て
すぐのビルの
3階にあります。

小さな弁理士事務所で
看板には
○○国際特許事務所と書かれていました。

ドアを叩いて
入室すると
40才ばかしの
弁理士先生が
出てこられました。

資料と
商品サンプルで
松井が
説明しました。

先生は
「詳細を
調べないと
特許になるかどうかわかりません。

特許になるためには
先進性と新進性が必要です。

平たく言えば
ひとつに世界中の書物文献インターネットに
商品と同じものがないこと
ふたつ目に
その業界の人が
容易に思いつくようなものでないことが
必要なんです。

早急に調べてみます」と
お話しされました。

松井と正子は
資料と
商品サンプルを
置いて
弁理士事務所を
後にしました。

帰り道
松井は
喫茶店に正子を誘いました。

少し特許のことで
雑談した後
松井は
突然
「正子さん私と
結婚を前提に
お付き合い下さい」と
言われました。

松井は
話す前から
赤ら顔になっていて
正子は
それを聞いた瞬間
顔が真っ赤になりました。

正子は
全くそんなことを
考えていなかったのです。

そして初めての
経験でした。

ふたりは
黙って席に座っていました。

相当な時間が流れて
昼になったので
目と目で合図をして
店を出て
ほとんど話さず
会社に帰りました。

午後一番に
社長に報告を入れました。

社長は
話の内容は
分かったようですが
ふたりが
なぜかよそよそしいのを感じていました。

その日の正子は
仕事が手に付きませんでした。

5時になって
サッサと家に帰えりました。

帰宅途中で
「やはりこういうことは
人生経験豊富な
お母さんに尋ねてみよう」と
考えました。







8

数日後
事務をしている
正子に「特許にできる可能性がある」と
弁理士先生から
連絡がありました。

もちろん
特許申請と
審査請求をお願いしました。

これを機会に
社長は
事務として
正子も
研究員の一員に加えました。

正子は
会社の経理やその他の雑事
それに加えて
研究室の補佐と
忙しい日々が続きました。


松井と同じ時間を過ごすことも
多くなりました。

会社外でも
会うことが多くなり
双方の家族とも会ったりして
正子は
松井が
信頼できるようになりました。

当然の流れで
松井と正子は
結婚することになりました。

会社のみんなにも
祝福されました。

結婚後も
正子は
会社を辞めませんでした。

辞めないという約束で
結婚したのです。


3年後
醤油とラー油の商品が
特許となって会社にも
利益をもたらしました。

その後も
研究室では
討議を重ねて
冷蔵庫付電子レンジを
開発しました。

冷凍食品を
入れておくと
決められた時間に
食べられるようになるという
優れもので
その特許自体を
電機メーカーに売って
利益を上げました。

その時期になると
会社経理は
パソコン経理になって
手間が
半減したので
正子は
余裕ができた時間を
研究に没頭していました。

__________________
ここまでは
フィクションです。

醤油とラー油の話しも架空です。

冷蔵庫付電子レンジは
私が独自で考えたのですが
残念ながら先行出願があって
特許にななりませんでした。

時は2010年の春にまで進みます。

私の代役の
正子は
もうバリバリの研究員ということになっています。

実際の私も
この頃には
実現性のない特許を
4個もっています。

次からは
開発コード「キスワン」の
研究開発を
ノンフィクションで
書きます。

__________________


9

2010年の春
正子は
松井と松井との間に生まれた
女の子と男の子と
幸せに暮らしていた。

正子は
お料理が好きです。

とくに
松井が
喜んでくれる料理ができたら
正子も
大喜びでした。

松井は
正子とつきあい始めた頃から
お酒は
付き合い以外では
飲まなくなりました。

甘いもの好きになっていて
いろんなスイートに
挑戦していました。

正子が
大福餅や
おはぎのような
和菓子を作ると
松井は幸せそうな
顔で
ゆっくりと
食べていました。

子供にも
大好評でした。

和菓子は得意でしたが
洋菓子は
正子は
苦手でした。

スポンジケーキが
うまく作れないのです。

スポンジケーキをつくるには
先ず卵の白身
あるいは全卵を
泡立てて
メレンゲを作ります。

それなりの
機械を買って
メレンゲを
作ります。

冷えた方が良いので
相当冷やして
作りました。

つぎに
小麦粉や砂糖などを
混ぜて
焼けばいいのですが
正子には
それができなかったのです。

一番単純な
小麦粉と砂糖を混ぜると
泡が立っているメレンゲが
ペチャンコになってしまうのです。

あらゆる本や
インターネットサイト
パテシエに教えうけても
膨らみません。

正子は
何か
呪われているのかと
思うほどです。

正子は
是が非でも
作りたいと思っていました。

正子は
会社では
事前の
先行特許調査を
まかされていたので
先行の
特許がないか
調べてみました。

調べてみると
大手の
お菓子メーカーでは
圧搾空気を使った
連続的に
作り出されるそうです。

大きな機械で
家庭で
置けるような
ものではないのです。

正子は
圧搾空気が
ヒントではないかと
思いました。

お菓子の袋が
山の上に行くと
膨らむことを
使えないかと
思いました。

正子は
子供の時から
早く寝る習慣になっています。

松井もそれに合わせて
9時には
床に入ります。

正子は
夜中
2時頃
目が覚めます。

用をたして
また床についても
寝入りまでの時間
正子は
考え込むのが
日課でした。

正子は
その時間
ズーッと
考え込んでいました。

1ヶ月くらい考えたあと
思いついたのです。

圧搾空気を
液体に混ぜて
それを
もとに戻すと
良いのではという
考えに至りました。

圧力下で
混ぜて
それを
常圧に戻せばいいのだと
思いました。



10

正子は
機械の泡立て器を
圧力タンクの中に入れて
加圧して
攪拌してから
減圧して
蓋を開けたら
きっと
泡立つものなら
泡が大きくなって
出来上がると
考えました。

これを
実証するためには
圧力タンクが必要です。

攪拌機を
入れる余裕がなくては
いけないので
圧力鍋くらいの大きさでは
役に立たないとも考えました。

やはり
正子だけの力では
この実験はできないと
思いました。

そこで
社長が参加する
開発会議に
企画書を
提案しました。

開発会議の議題は
新しい研究の提案など
全くといって程なく
食品の製造の
最適化が
議題に上ることが
多かったのです。


正子の提案に
会議では
松井も
びっくりしていました。

社長も
驚いていました。

正子より
後に入社した
研究員は
圧力タンクのなかに
攪拌機を入れたら
故障するのではないかと
質問されました。

正子は
モーターは
もともと
圧力に強く
コンデンサーを
外に置けば
問題ないと
答えました。

それに
攪拌機そのものは
それ程高価のものでもないので
潰れたら
潰れたときのことにしたら
良いと答えました。

醤油とラー油の
大発明以来
大きな
発明はなかったので
社長も
かけてみることにしました。

正子の勤めている
会社は
食品会社ですので
圧力タンクの製造は
もちろん外注になります。

雑務の担当の
正子が
外注先を捜すことになります。

取引のある
会社には
圧力タンクを作ってくれる
会社はありませんでした。

そこで
町の工場を
尋ねて
依頼することにしました。

鉄工所では
図面があれば
製作するが
図面がないと
作ることはできないと
言われてしまいました。

図面も書ける
鉄工所は
なかなか見つかりません。




11

正子は
鉄を
サッサと切って
パッパと溶接したら
圧力タンクなんか
かんたんにつくれるのにと
思っていたのですが
それが
メッチャ大変なんです。

正子の住んでいる
尼崎には
鉄工所が
並んでします。

スケッチを持って
訪れるのですが
図面がないと
話さえできないのです。

検討すると
言ってくれた
鉄工所も
連絡が来ないのです。

そんなことが続いて
もう夏になっていました。

社長も
しびれを切らしたのか
探し始めました。

そんな中
正子は
作ってくれる
鉄工所を
ついに見付けました。

それ程小さくもなく
大きくもなく
ステンレス加工用の
クリーンルームも
持っていました。

夏の終わりに
図面ができて
圧力テストをして
12月のはじめに
納品されました。

大きさは
高さ70cmほどのものです。

600Aの
鉄パイプに
両端に
フランジを
取り付けて
ブラインドプレートに
のぞき穴を設けたものです。

横に
電気の線の
挿入口と
加圧空気を入れるコック
それと
連成計(高圧と真空の状態を測定する計器)が
取り付けられていました。

研究室は
天井高がないので
倉庫の
片隅に置きました。

のぞき窓のある
蓋が
100Kg近くあるので
クレーンで
蓋を開け閉めするのです。

天井の鉄骨から
小型クレーンで
蓋を吊っていました。

タンクが来て
クレーンを設置して
使えるようになったのは
正子が
考えついてから
1年経った
12月の
20日でした。

4時頃になっていましたが
正子は
最初の
実験をすることにしました。

タンクの中に
「キッチンエイド」
(アメリカ製の攪拌機の商品名です)
を中に入れました。

攪拌槽に
生クリームを入れて
蓋をしました。

周りにある
フランジのネジを
メガネレンチで
すべて
しっかりと
固定しました。

ノンオイルコンプレッサーから
圧縮空気を送りました。

10気圧まで上げることができますが
はじめてですので
3気圧まで上げました。
(計器は国際単位系で
メガパスカル表示ですが
作中では
気圧(atmosphere)を用います。)

機械の電源を
外から入れると
中で回り始めました。

生クリームは
冷たくした方が
泡立つのですが
ちょうど
寒い冬で
暖房の効かない
倉庫だったので
何もしなくても冷たかったのです。

外から見ていて
充分に
泡だったと
思ったので
止めました。

そして
圧力を抜いて
ボルトを外し
蓋を開けました。

中のものを見て
正子は
目を大きく広げて
大きな衝撃を受けました。








12

__________________
私が
圧力タンクで
最初に実験して
蓋を開けたときの
衝撃を
今も忘れません。

言葉で
うまく表現できませんが
大きな衝撃を受けました。

2010年の12月20日の
夕方でした。
私が58才の時のことです。

全身から
血の気が引く気がしたのです。

体の震えと
倒れるような
気もしました。

作中の
人生経験が
私よりも浅い
正子が
そのように
感じるかどうか
想像できませんが
小説に戻ります。
__________________


タンクの中の
攪拌機の中の
生クリームの量が
いつも量でないのです。

攪拌機として
有名な
キッチンエイドは
正子が
以前買ったものでした。

生クリームを
ホイップしたり
メレンゲをつくったりして
使っていたものです。

普通に
生クリームを
ホイップすると
体積が
2倍程度に
大きくなるのですが
それが
4倍以上に
ふくれあがっているのです。

正子は
びっくりしました。

ドキッとしました。

そのあと
電話を取りだし
松井で
電話しました。

正子は
何も考えることなしに
反射的に
電話しはじめたのです。

松井が
電話に
なかなか出ないので
正子は
イライラしました。

ながく
呼び出したように
思いましたが
やっと
松井が出ると
開口一番
「松井さん
スゴーイ
スゴーイです。

生クリームが
ホイップクリームが
スゴーイです。

早く
来て下さい。」と
言ったのです。

松井は
圧力タンクで
正子が
実験しているのは
知っていましたが
何かの事故かと思って
研究室から
すぐさま
やって来たのです。

圧力タンク前に立ち尽くす
松井は
安心しました。

ゆっくり後ろから近づいて
正子が
見ている
中を見ると
攪拌機の中に
大きくなった
ホイップクリームを
見ました。

松井も
びっくりしました。

正子以上に
衝撃を受けたのか
しばらく
何も言いませんでした。

そして
しばらくして
ふたりは
目と目を合わせて
抱き合いました。

大きな声で
ふたりは
「やったー
スゴーイ
スゴーイ」と
叫びました。

ホイップクリームを
取りだして
試食しました。

砂糖が入っているので
甘くて
少し軽めの
ホイップクリームだと
感じました。

「美味しい
美味しい」と言いながら
相当食べてしまいました。

外は
暗くなっていました。

会社は
5時定時退社を
勧奨していました。

「残業はしないさせない」というのが
社是です。

正子は
残った
ホイップクリームを
容器に入れて
研究室の
冷蔵庫に入れ
攪拌機を
洗って
仕舞いました。

5時になったですが
社長を
事務室で待っていました。

社長の家は
会社のとなりにあって
戻ってくると
わかるからです。

6時なって
車で帰ってきた
社長に
会って
ホイップクリームのことを
言いました。

社長は
大変喜んで
「よかった
よかった」と
言って
その日は
終わりました。



13

翌日
社長に言われていたので
圧力タンクで作ったホイップクリームと
普通に作ったそれとの
比重を
調べてみました。

予想した通りでした。

そのように
社長に報告すると
弁理士先生に
特許にならないか
尋ねておくように
言われました。

いつものように
メールで
お願いしました。

その日は
それで終わって
翌日は
スポンジケーキを
作ることにしました。

松井も参加して
作ることにしました。

松井は
「普通に
メレンゲを作って
それに小麦粉を混ぜて
圧力タンクに入れて
かき混ぜればいいのでは」
と言ってきました。

正子は
「あなたは
圧力タンクの
力を信じていないのでは
私は
材料すべてをひとつに攪拌槽に入れて
混ぜれば
きっとできると
思います。

遠回りをせずに
最初に
私の案から
しませんこと」と
答えました。

松井は
正子が
すごい自信があるのに
驚きました。

と言うことで
普通では
考えられない方法で
スポンジケーキを
作り始めました。

キッチンエイド
(攪拌機の商品名です)の
攪拌槽に
先ず卵
そして砂糖
それから小麦粉を
加えました。

蓋のネジを
松井がすべて締め付け
加圧空気を入れて
3気圧にしました。

外にある
電源を入れて
中の羽根を
回しました。

外から見ていると
よく混ざっているように見えました。

混ざっていますが
かさ高になったようには
見えませんでした。

念には念をいれて
10分ばかし
かき混ぜました。

中の空気を
バルブを開けて
放出しました。

中を
ふたりが
見ていました。

圧力が下がるにつれて
膨れてきました。

とくに
2気圧を切った
最後の方に
大きくなりました。

スーっという音ともに
圧力計が
1気圧を示しました。

取り出すと
泡だったものは
しっかりしていました。

型に流し込み
焼きはじめました。

焼くと
もう少しだけ
膨れて
スポンジケーキが
焼き上がったのです。

焼き上がったスポンジケーキを
切り分けて
試食しました。

正子は
はじめて作れた
スポンジケーキは
美味しかったのです。




14

自分で作ったものは
何でも美味しいという
公理を
取りのぞいても
美味しかったと
正子は
思いました。

松井も
嬉しそうでした。

いろんな気圧や
攪拌時間などを変えて
実験を繰り返し
できたものを
社長室へ
持っていきました。

社長も
感激した様子で
同じように
弁理士先生に
報告するように
いいました。

5時まで
時間があったので
さっそく
スポンジケーキの作り方の
要約を
送りました。

翌日は
祝日でしたので
家で
子供と
スポンジケーキを
作りました。

いつものように
混ぜると
ぺしゃっとなって
うまくできませんでした。

そんな
スポンジケーキに
デコレーションをして
みんなで
美味しく
食べました。

正子は
自分で作ったものなら
こんなものでも美味しいのだから
自分で
普通のものをできたら
どんなに
美味しいことだろうと
考えました。

そんな事を考えならが
圧力タンクで
もっと
他のことができないかと
考えていました。

年末は
おせち料理で
正子の会社
てんてこ舞いなので
正子も松井も
配達の仕事や
荷物運びなど
年末だけは
松井は
残業を
しました。

除夜の鐘が鳴って
新年があけた頃
松井は
家に帰ってきました。

新し発見があった
2010年は
終わって
2011年が始まりました。

正子は
2011年も
新しい発見が続く年だと
思ったのですが
それは
違いました。

超たいへんな年になるのですが
正子は
それを知りませんでした。




15

年初の
雑用が終わって
圧力タンクの
実験にかかりました。

年末に
弁理士先生に出した
特許の件は
返事が返ってきていません。

先願調査に時間が掛かっているようでした。

その日は
当初考えていた
コーヒーメーカーを
圧力タンクに入れて
コーヒーを
作ってみました。

出来上がったので
飲んでみましたが
変わりませんでした。

条件を
いろいろ変えて
やったりしました。

出来上がった
コーヒーを
圧力タンクに入れて
混ぜたり
ミルクを入れて
混ぜたり
考えつくことは
すべてやってみましたが
特に変化は
ありませんでした。

正子は
がっかりしました。

松井や
社長にも
告げました。

大変残念がっていました。


1月も終わりの頃
弁理士事務所から
特許になりそうだという
返事が来たので
特許を
出願することになりました。

社長は
圧力タンクを
もっと小さくして
使い易く
するように
正子に言ってきたのです。

正子は
文系の大学を出ています。

理系の
学問が
できないからなのですが
まさに
苦手なことを
するように言ってきたのです。

社命ですので
何とか
考えますが
いい案が出ません。














16

定例の開発会議が
2月のはじめ行われました。

社長は
圧力タンクを用いた
この開発の名前を
「キスワン
:KISWAN)とする」と
発表しました。

「世界ではじめてだから
一般名など
あるわけがありません。

漢語で
圧力攪拌開放器などと
呼べば
その中身が
他社に分かってしまいます。

ここは
秘密保持のために
開発コードを
決めることにしました。

今後
この開発を
キスワンと呼ぶことにします。

この責任者を
正子さんお願いします。

みんなも
正子さんを
応援して
協力するように
」と
社長は言ったのです。

入社15年目
正子は
ついに
責任者になったのです。

正子は
「社長ありがとうございます。

責任者として聞きますが
キッスワンとはどういう意味ですか」と
尋ねました。

「キッスワンではなく
キスワン
キ スワンです。

私の奥さんの名前から
取ったのです。

ちづ子ですので
千羽の鶴
千羽を
千倍として
キロ:Kilo
鶴は
スワン Swan
だから
キロスワン
キスワンということです。」と
答えました。

正子は
それは間違っているんではないかと
思いました。

「社長
それは間違っています。

スワンは白鳥です
確か
鶴はクレーンと呼ぶのではないですか。
クレーン車は鶴の首のように長いので
そう言う名前になったと
聞いたと思います。」と
社長の間違いを
速攻で
指摘してしまいました。

社長は
バツが悪そうな顔をしました。

「キスワン
いい名前ですよね。

これで行きましょう。

きっと奥さんも
喜ぶし」と
言って
前言を撤回して
そのようにすることに
しました。

__________________
キスワンは
すぐに考えつきました。

間違いを気付くまで
2ヶ月を要しましたが
「まあいいか」と
考えていました。

取引先の
社長に
キッスワンは
ちょっとダメなのでは
といわれたことがありました。

キッスワンと
誤解されることが多いので
はっきりと
キスワンというようにしていました。

本文に帰ります
__________________












17

キスワンの本体を
作らねばならなくなりました。

何しろ
責任者ですから

圧力タンクを作ってくれた
業者に
先ず声をかけました。

「図面があれば
何でも作るが
図面がないと
作ることができない」という
決まった返事でした。

工場まわりもしました。

インターネットで
できそうな会社を探して
電話もしました。

数十社問い合わせました。

しかし結果は
出ません。

これは
キスワンの内容が
伝わっていないからだと思いました。

鉄工所に
説明する言葉は
「この
キッチンエイドを
圧力タンクの中に
入れたい。

なるべく小さめで
開け閉めが
簡単なように」です。

具体的であるようで
全く抽象的なことを
正子は
わかりませんでした。

そんな中
武庫川の河口付近の
工場が
図面を描いてくれることになりました。

キッチンエイドを持って
打ち合わせに行きました。

設計の担当者と
その会社の社長と
3人で話をしました。

同じように説明して
キッチンエイドを入れることを
話しました。

「モーターを
入れない方が」と
社長が
提案してきました。

正子は
モーターが外になれば
圧力タンクは
小さくなるが
モーターの
回転を
中に伝える機構がが
必要になるのではと
思いました。

文系出身の
正子には
想像できませんでした。

要求を
すべて
言って
終わりました。

最後に
設計の代金として
36万円の
見積書をもらって
帰社しました。

社長に
見積書を見せると
少し困ったように見えましたが
承諾してもらいました。

1ヶ月くらいたって
図面が
メールで送られてきました。

相当詳しく
描かれていましたが
正子は
不満でいた。

相当大きなものなのです。

実際に完成する
キスワンの
倍以上の大きさがあったのです。

圧力タンクを
貫く
軸は
パッキンと
パッキンを締め付ける
ネジが
幾重にも並んでいました。

モーターを
外に出したからと言って
圧力タンクが
小さくなっていないのです。

それに
もっとよくないことには
タンクが大きくなった関係で
締めるためには
数本の
ボルトを締めなければならないのです。

社長と相談しました。

社長も
図面の欠点が分かっていて
不採用になりました。

即ち
36万円は
無駄になってしまったのです。

正子の
お給料の
1.5ヶ月分です。





18

大きな損害です。

正子は
「もう
私が
図面を描くしかない」と
思いました。

松井が
以前に
CADについて
話していたのを
聞いたことがあったのです。

フリーソフトの
CADである
jw-cadを
使ってみることにしました。

パソコンも
図面も
機械も
得意でない
正子は
CADのお勉強です。

社長の奥さんが
会社に完全復帰したので
雑用が
ほとんどなくなり
それに
没頭できるようになったのです。

jw-cadで
図面をある程度描けるようになるのに
たいした時間は
要りませんでした。

それより
どのように
するかです。

順番に
考えてみることにしました。

キスワンは
キッチンエイドの
攪拌槽が
入る大きさが
絶対必要です。

攪拌槽は
直径25cm弱なので
そう言うわけで
既製品の
パイプを使うなら
250Aだと思いました。

パイプの太さも
勉強していました。

蓋部分と
本体部分に分かれなければ
使えないので
本体部分は
攪拌槽を入れる
大きさが
必要で
充分だと思いました。

キッチンエイドの
攪拌槽は
下の台に
回しながら
取り付ける様になっていますので
本体部分の
下に
キッチンエイドの
取付台を取り付けると
良いのではと
思いました。

蓋の部分には
キッチンエイドの
羽根の部分と
モーターの部分を
取り付けることになります。

正子は
キッチンエイドを
分解しました。

モーターの軸と
直角に
曲がって
攪拌の羽根が付いていました。

攪拌の羽根は
自転しながら
大きく回っていきます。

そのように回る
機構が
羽根の根元に
付いているのです。

直角に曲がるため
モーターの部分を含めて
圧力タンクの中に入れると
本体部分の
250Aのパイプの中には
納まりません。

モーターの部分は
圧力タンクの外に出さねば
ならないという
答が
出たのです。

それでは
どのようにして
モーターの回転を
攪拌の羽根に伝えるのか
それが問題です。

19

キスワン本体の
図面は
スケッチでは
すぐに描けました。

しかし
jw-cadで
描くのは
簡単な図面なのに
相当大変です。

キッチンエイドの
攪拌槽の台を取り付ける
ボルトを
どのように付けるかが
難しいように思いました。

しかし図面は
しっかり描けているので
「まあ
いいか」と
正子は思いました。

そんなことをしているところに
大きな揺れが起きました。

ゆっくりとした
揺れです。

あとになってわかるのですが
東北地方太平洋沖地震だったのです。

凄い惨状が
テレビに映り出されていました。

正子は
気が滅入るので
テレビは
見ないようにしていました。

子供や
松井も
それまでは
テレビをつけて
食事をしていましたが
テレビを見ないほうに
なっていました。

設計の方は進んでいませんでした。

蓋の部分が問題です。

モーターの回転を
中に同様に伝えるかです。

正子は
わかりませんでした。

ネットで
一日中調べていました。

わかりませんでした。

二日目も3日目も
調べましたが
わかりません。

何日か
調べた後
たどり着いたのが
「磁気の力で
動力を伝達する装置」
のページでした。

電話しました。

キスワンの構造を
電話で話しました。

しかし相手は
あまり分かっていないように
正子には
思いました。

キッチンエイドを
持って行って
説明したら
分かり易いのではと
思いました。

社長に言いました。

社長は
行ってくるようにと
言いました。

経費が
要るので
ひとりで行くようにと
言われました。

地震の
ちょうど
一ヶ月後に
飛行機で
東北の
松栄工機に向かうのです。



20

__________________
11年4月初旬に
キスワンの伝達装置を
注文するため
株式会社松栄工機に
向かいます。

松栄工機の
部長様が
親切に対応して頂いたので
キスワンが完成したのだと
今になって思います。

ありがとうございました。
株式会社松栄工機は
今は
もっと大きくなって
株式会社プロスパインと
社名もかえております。

小説に帰ります。
__________________



松栄工機は
東北では
有名な企業で
宮城県大崎市にあります。

位置だけで言うと
仙台空港が
近いのですが
地震の関係で
使えませんでした。

正子は
花巻空港に
到着すると
タクシーで
大崎市に向かいます。

高速道路は
工場に近づくにつれて
凸凹になっていました。

インターチェンジを
降りたら
倒れている
家もありました。

タクシーは
ナビで
向かいましたが
渡る橋が
通行止めです。

地震で潰れたようです。

大回りで
迂回して
やっと工場に着いたのは
11時を過ぎていました。

受付で
正子は
挨拶しました。

中から
老練な部長が
出てきて
名刺交換しました。

工場は
とても綺麗で
新しく
その上
整理整頓が行き届いているようでした。

工員さんの
作業着は
毎日かえているのか
洗い立てで
アイロンの跡が見えました。

食品工場の
正子の会社より
綺麗だと思いました。

いつでも
ケーキが
作れそうな
工場だったのです。

工場の片隅の
暖房の効いた
コーナーの
机で
話を始めました。

部長が
真ん中で
若い設計担当者が
3人でした。

既に送ってある
キッチエイドは
分解されていました。

モーター部分と
攪拌羽根の複雑な動きをするユニットです。

そのユニットは
わりと小さくて
こぢんまりしていました。

ユニットは
モーター部分に
ネジで付いていて
ネジを外すと
ユニットは
上のカバーと
外側に歯車がある部分と
中の芯と
歯車の部分に
バラバラになってしまいます。

部長は
非接触型磁気歯車の
見本で
説明しました。

磁石が
交互に付いている
直径10cm位の円盤を
圧力壁を挟んで
回すことになります。

今までに
3mm程度の
ステンレスを
隔てて
回転を伝えたと
部長は
言いました。

正子は
圧力壁は
6mm以上だと
説明すると
部長は
目を輝かせました。

12時の
チャイムが
工場内に
鳴りました。

部長は
近くの
レストランに
誘いましたが
正子は
弁当を持ってきていました。

それを言うと
部長は
展示室のような部屋に案内してくれました。

そこで
弁当を
食べました。

食べ終わって
展示の
非接触型歯車の
実物模型を
見て回りました

よくできていました。

正子は
もともと
機械ものには
興味がありませんでした。

しかし
この
数ヶ月
キスワンを
担当して
機械に興味を持っていました。

取っ手を回すと
いろんなところが
回ったり
上下に移動したり
する模型です。

今までにない
模型に
正子は
少し興奮しました。

部長が入ってきて
説明しました。

部長は
この
非接触型歯車を
考え出したそうで
それを
説明してくれました。

工場の
ことも
いろんな事を
話してくれました。

そんな話を終えて
昼からの打ち合わせになりました。

30分ばかし話した後
「隔壁の
図面を送るので
隔壁を
作ってくれたら
モーターと
回転ユニットを取り付ける」と言うことで
終わりました。

タクシーで
帰る途中
松島によってから
花巻空港まで
帰り
飛行機で
家に帰ったのは
9時頃でした。
















21

子供たちと
松井が
玄関まで迎えに来てくれました。

出張で
家を空けることが
はじめてなので
心配していました。

花巻空港でかった
南部せんべいを
お土産に出しました。

松井は
スイーツも好きですが
せんべいが好きなので
買ってきたのです。

子供が寝た後
ふたりで
キスワンのことを
せんべいを食べながら
なんだかんだと言って
夜も更けました。

正子は
こんなことが
何度もあったら
太ってしまうと
思いました。

翌朝
会社に出勤して
みんなに
南部せんべいを
配った後
社長に
報告に行きました。

「株式会社松栄工機は
駆動部の設計と製作を
行うことができる。

駆動部以外の
蓋については
小社でする必要がある

そのための図面は
送付する

設計料は
30万円
制作費は
40万円
20台作ると
20万円になる」という
報告をしました。

社長は
「投資なき利益はない」とは
わかっていますが
70万円は
会社にとっては
大きな出費です。

経理担当の
奥さんに
相談してみることにしました。

正子は
心配しました。

常に奥さんは
経費の節減を
言い続けています。

まだ実現するかどうか
全くわからない
キスワンに
70万円の投資は
危険です。

却下されないかと
恐れていました。

正子は
資料と
見積書を持って
社長と一緒に
奥さんがいつもいる
事務室に行きました。

会議室で
説明しました。

正子は
自分でも
真剣に説明していると
思いました。

奥さんは
うなずきながら
すべてを聞きました。

そして
少し考えていました。

奥さんが
黙って
考えているときは
ダメな場合が多いのです。

正子は
奥さんを
ジーと
見ていました。

しばらくの時間が過ぎ
奥さんは
「この
案件は
、、、
投資しましょう。

支払伝票を
上げて下さい」と
答えてくれました。

よかったと
思いました。

__________________
キスワンの
開発は
お金がいります。

私の
特許の中で
一番役に立つ
階段に比べても
初期投資は
相当なものです。

今後
失敗も含めて
投資が
回収できるかどうか
全くわかりません。

特許というものは
お金が要るもんだと
この時
わかりました。

この時までわからなかったのかと
言われそうですが
、、、、、、、、、、


本文に帰ります
__________________

この後
必要な経費は
ほとんど
無審査で
支払われることになります。

正子は
この会社では
一番
お金を使う
社員と
思われることになります。








22

2週間後
図面が届きました。

6mmのステンレスを隔てて
複雑な動きをするユニットを
取り付ける
マウント(取付台)と
モーターを取り付ける
マウントが
描かれていました。

正子は
その図面を受け取りましたが
それだけでは
キスワンはできません。

蓋に取り付けるのですが
蓋を設計する必要があります。

本体との接合部分は
簡単でなくてはなりません。

過去に作った
圧力タンクは
フランジで留め付けるのですが
そんな取り付け方では
使いにくいです。

考えても
わかりませんでした。

そこで
会社の
機器の中に
参考にできるものがないか
捜して回りました。

工場の片隅に置いてある
オートクレープを
みました。

オートクレープとは
圧力鍋のようなもので
消毒などに使います。

開け閉めは
一箇所にネジを
締めるだけで
できるのです。

これだと思いました。

本体と
蓋は
この様に
取り付ければいいのだと思いました。

まず
フランジを
両側に取付
一箇所に
丁番を取付
その対辺に
ネジを取り付ける計画です。

圧力タンクのような
締め付ける
フランジガスケット
(全面座用)では
大きな力で
締め付けならないので
1本では無理です。

いろいろ調べて
Oリングが
良いように思いました。

溝がある
フランジに
丸い断面の
ゴムを挟み込み
それを押さえつけて
シールする方法です。

押さえ込む
面積が
小さいので
小さな力で
良いのです。

「これなら」と
正子は思いました。








23

キスワンの
本体については
前述したようです。

蓋との接続部も
前に書いたとおりです。

松栄工機から
送ってもらった
設計図を
足せば
出来上がりです。

というわけで
理屈や方針が
わかりました。

しかしこれを
図面にするには
小さなものなのに
大変でした。

圧力容器ですので
強度が
絶対に必要です。

インターネットで
構造について勉強しました。

図面が届いてから
2週間が過ぎ
キスワンの
図面が出来上がったのです。

本当にできるか
紙で
作ってもみました。

特に
蓋の丁番部分が
難しかったので
段ボールで作って
問題ないか
確認しました。

丁番の位置を
いろいろかえて
試してみました。

大丈夫みたいでした。

強度についても
「たぶん」大丈夫だろうと
思いました。

強度については
出来上がってから
圧力試験で
確かめればいいと
考えていました。

図面を圧力タンクを作った業者に
頼みました。

あまり材で
作るので
見積金額は
安くなっているそうですが
30万円だそうです。

それから
表面を
研磨するために
13万が必要だそうです。

社長に報告はしましたが
作ることになりました。

実際に作る
工員たちの
腕は
確かですから
出来上がりは
充分
安心していました。

仕上りは
ピカピカです。

また
一ヶ月ほどで
蓋部分が
完成しました。

厳重に梱包して
松栄工機に
送りました。






24

朝礼で
キスワンの経過を
社員全員に
報告する機会がありました。

正子は
緊張しましたが
自分の知っていることを
話しました。

キスワンに関係しない社員や
パートさんたちは
全く
わからないような風でした。

何でも
ずけずけ言う
お局様の
パートのおばさんが
質問しました。

「キスワンって
どんな役に立つのですか。

スポンジケーキなら
私できますよ。

そんな高価な機械を使わなくても
できます。」と
言ったのです。

正子は
返す言葉がありませんでした。

スポンジケーキや
ホイップクリームなど
できる人には
簡単にできることで
そんなたいそうな機械は
使う必要などないことは
正子もわかっていました。

正子が黙っていると
松井が
「キスワンが
成功したのは
スポンジケーキや
ホイップクリームだけであることは
事実ですが
まだまだ
全容がわかりません。

もっと
皆様が
食べたことのない
お菓子
いや食品が
できると
正子さんは確信しています。

もうすこし
時間を下さい。

よい結果が
きっと出ます。」と
横から言ってくれました。


社長は
黙って
うなずいていました。


盆も終わった頃
キスワンの
蓋が届きました。

待ちに待った
キスワンの出来上がりだと
正子をはじめ
全員は思ったのですが
新たな困難の始まり
だったのです。

圧力タンクを作った
業者の駐車場で
蓋と
本体を
丁番で
結合して
フランジの溝に
Oリングを入れて
ボルトで締めました。

水圧検査器を
キスワンと繋ぎ
水圧検査を始めました。

水圧検査器の
手動ポンプを
動かして
圧力を高めていきました。

2気圧
3気圧と
圧力を掛けていきます。

正子は
圧力計を
食い入るよう
見ていました。

そんな正子のまわりでは
慌てて
自動車を
移動する車が
相次いで出てきました。

爆発すると
思ったのでしょう。
10数メートル先の
車まで
どこかに行ってしまいました。


そんな中
圧力は
上がっていき
15気圧
16気圧
になりました。

手動ポンプを
押し下げるには
相当な力が
いるところまで来ました。

19気圧になったとき
フランジの接続部分から
漏水です。

水圧は
漏水によって
2気圧まで
一気に下がってしまいました。

丁番の軸に付けていた
パイプが
少し曲がっていました。








25

19気圧まで
保持できれば
何の問題もありません。

コンプレッサーの
能力が
8気圧あるいは
9気圧程度だから
19気圧まで
昇圧することは
できないからです。

でも
軸が曲がるのは
困ります。

Oリングから
漏れるのも困ります。

そこで
軸を
パイプから
丸棒にしました。

ステンレスで
新たに作りました。

Oリングの溝が
少し深いように見えましたので
1mmのゴム板を
溝の形に切って
入れ込むことにしました。

丸棒は
業者にもちろん頼みました。

ゴム板は
正子は
自作することにしました。

ホームセンターで
丸く切れる
カッターと
ゴム板を
買ってきて
作りました。

ゴム板が
薄くて柔らかいので
ひとりでは
できないので
松井に持ってもらいました。

組み立てができますが
よく考えると
本体の
底は
丸くなっていて
置くことはできません。

台を作る必要があったのです。

ステンレスの台を
近くの
業務用の料理台を扱う店で
購入しました。

これに
穴を開けることにしました。

見た目だけでは
表面のステンレスの板は
薄そうに見えたので
金切りばさみで
開けられるかと思いました。

でもこれが
意外と厚くて
切れません。

松井が
金切り鋸で
少しずつ
切っていきました。

やっと穴が開いて
本体を据え付け
蓋を丁番で
取り付けました。

9月のはじめ
ついに
キスワンが
「一応」完成しました。




26

社長はじめ社員全員が
キスワンの完成を喜びました。

完成した
キスワンは
法律上は
圧力容器の
規定を受けません。

小さいものは
除外しているのです。

圧力容器の
規定を受けると
取扱者が限定されたり
何年かに一度検査が必要だったり
大変なんです。

キスワンで
はじめて実験することになりました。

圧力タンクで
やった実験の再現ですが
スポンジケーキや
ホイップクリームについての
実験を行いました。

同じ様な
結果です。

条件を変えて
いろんな事をしました。

結果は
あまり変わりません。

作った
スポンジケーキの類は
会社のみんなに配ったり
家に持ち帰って
子供たちの
おやつにしたりしていました。

「役得だ」と
思いました。

餅なんかも
泡立てましたが
あまり変化はありませんでした。

そんな無理な実験を
何度かしました。

同時に
キスワン自体を
特許に出来ないか
弁理士先生に
依頼しました。

いつもの弁理士は
現物を見に来られて
写真を
何枚も撮りました。

正子は
説明をしました。

弁理士先生は
聞いて
うなずいていました。

特に質問は
弁理士先生は
しませんでした。

30分ほどの
現物調査でした。

社長は
正子から
弁理士先生の調査について
聞いたとき
何か心配そうに見えました。

社長は
キスワン本体が
特許にならなかった
これまでの
経費が
無駄になると
考えていたのです。

社長は
セカンドオピニオンを
した方が良いのではないかと
考えていたのです。

今まで頼んでいた
弁理士先生は
信頼がおける
優秀な先生でしたが
「念には念を」を
考えました。

社長の
友達の
娘さんが
新大阪にある
大きな弁理士事務所の
事務員をしていると
聞いていたので
そこに
セカンドオピニオンを
頼むことにしたのです。











27

特許の世界に
セカンドオピニオンがあるかどうか
わかりませんでしたが
頼んでみました。

知り合いに頼んで
2日後に
別の弁理士先生が
やって来ました。

知り合いの説明によれば
機械担当だそうです。

正子は
名刺を交換して
名ばかりの研究室の
片隅に
置いてある
キスワンを見せました。

先生は
一見して
「攪拌槽が外せるところが
新しいのですね」と
言いました。

正子は
キスワンのすべてが
新しいと思っていたのに
新しいところは
「攪拌槽が外せるところ」だけだと聞いて
少しがっかりしました。

頑張って設計した
蓋のところや
会社として高い経費を払った
非接触動力伝達システムや
内部が見える窓
内部のLEDライト
電線の圧力壁貫通機能
などは
新しくないと
遠回しに
言われてしまいました。

案分を
すぐに出すので
待っていて欲しいと
言って
帰りました。

待っている間も
実験は
行っていました。

チョコレートを
50℃で
フレッシュミルクに溶かして
キスワンで
泡立てると
生チョコレートのような
食感のものが
作れました。

新しいものだと
思いました。

しかしこれを
成形することが
出来ないのです。

いろんな方法を
思案中に
弁理士先生からの
案分が届きました。

セカンドオピニオン弁理士先生からの
案分も届きました。

正子は
ふたつの案分を
熟読しました。

書いてあることは
ほとんど
同じだと思いました。

弁理士として
見るべきところは
同じだと
言うことです。

社長も
正子も
納得して
特許申請を
行いました。

もうすぐ
年も明けるころ
餅の実験を
行いました。

キスワンにとって
すこし
力がいる
回転でした。

キスワンを見ながら
回転をはじめて
少し経ったとき
キスワンから音がしました。

回転が止まり
モーターが
ウーと
音を出していました。

正子は
慌てて
モーター
の電源を切りました。






28

正子は
驚きました。

よくみました。

モーター側の
磁石が
圧力タンクに
接触しているのです。

引っ付いています。

原因は
回す力を
伝えている磁石です。

強力な磁石で
タンクの外と中を
引っ張っています。

その力のために
引っ付いてしまったのです。

タンク内の
ユニットは
遊星歯車のために
引っ付かない構造になっています。

それに対して
外側は
キッチンエイドの
モーター側を
使っているので
引っ張りに耐えられる
構造でなかったのです。

機械が専門でなかった
正子でも
キスワンについて
熟知していたので
原因は
わかりました。

原因がわかったからと言って
解決する出来るわけもなく
松栄工業に
電話をします。

電話すると
電話の向こう側の
受付嬢が
「こちらはプロスパインです。」と
いうのです。

正子は
松栄工機が
社名をプロスパインと
改称したことを
知りました。

プロスパインの
担当者は
「蓋を
送って欲しい」と
答えました。

蓋を
丁番から
取り外して
宅急便で送ったのは
2010年の
年末でした。

どのようにして
この問題を
解決することが出来るか
年末
年始
考え込んでいました。

年始めの
「おめでとうございます」も
上の空で聞き
上の空でいっていた始末です。

これを解決するために
すべての
意識を
それに集中していました。

松井は
正子は
大変だと
温かく見守っていただけです。











29

キスワンの
改造は
そんな簡単に
思いつくことなど
あり得ませんでした。

正子は
今までの
キッチンエイドの
モーターは
使えないことは
確かだと
思いました。

まずは
新しいモーターを
用意する必要あると
考えるのは
当然です。

そこで
ネットで
いろんな
モーターを調べました。

産業用
モーターを作っている
オリエンタルモーター株式会社の
大阪ショールームに
行ってみることにしました。

オリエンタルモーター株式会社は
創業120年を超える
老舗です。

大阪のショールームは
大阪の江坂にありました。

行ってみると
大きなビルの
ワンフロアーすべて
使っている
ショールームでした。

あまりにも
大きいので
何も置いていない空間が
大きくありました。

女性の
相談員が
応対してくれました。

欲しい
性能を
告げると
しばらく
奥で
検討した後
出てきました。

オリエンタルモーター株式会社では
駆動部は
モーターの部分と
歯車の部分に分かれていて
いろんな組み合わせで
決めるのです。

使うモーターは
ベルトコンベアーなどに使うもので
単相100vで動くみたいです。

インバーターで
回転を
制御することが出来ます。

歯車部分は
回転の方向を変えたり
回転数を
大きく変えたり
取付を
簡単にしたりする機能があります。

相談員は
正子の
話を聞いて
最適の
組み合わせを
選んでくれました。

キッチンエイドに使っている
モーターより
少しだけ
力があるモーターを
先ず選びました。

インバーターユニットを付けて
キッチンエイドが
出来る回転範囲を
少し越えて
回転することが出来ます。
(正確には
30パーセント回転数を増すことが出来ます)

歯車ユニットは
90度
回転を曲げて
その軸が
空洞になっているものが
選ばれました。

磁石の
付いた軸を
その歯車ユニットの
中に通すのです。

さすが
老舗の
モーターメーカーだと
正子は
尊敬してしまいました。

正子は
お願いしました。

全部で
8万円でした。

注文してから
3日で
正子の手元で
届きました。

中を見ると
モーター部分と
モーターの電源を入れる部分
歯車部分
制御部分に分かれて
入っていました。

制御部分には
数枚の
説明図と
配線図がありました。

説明図と
配線図をコピーして
すべてを
株式会社プロスパイン
送ったのは
3月の
はじめの頃でした。












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