ロフト付きはおもしろい

ロフト大好きの71歳の老人の日記です

ブログ小説「妖精の休日」その20まで

妖精を
テーマにした
ブログ小説は書いておりますが
その中に出てきた
「湖子(ここ)」を主人公にしております。

神さまの
お手伝いとしての
妖精ですが
その中で
湖子は
1番頼られる妖精です。

何千年も
休みなく
働いてきた湖子は
神さまに
休暇を与えられます。

と言うわけで
湖子は
胎児から休暇が始まります。

神さまは
湖子の助けになる様に
まだまだ新米の星子と
夫で
はじめて
人間から妖精になった
剛が
同行することになったという
筋書きです。

人間界に
使いとして
おいでになった
キリストをモデルにしています。


キリスト教を信じておられる方には
少し冒涜のように
思えるかも知れませんが
お許し下さい。



湖子星子剛の関係は 「妖精の認定テスト」をご覧下さい

あらすじ
神さまは
妖精の湖子を
もうひとつ
神さまにするために
人間界へ
修行に行かせました。

人間界に生まれて
人間として生活して
人間として死ぬためです。

湖子のおつきとして
新人の妖精星子と
人間からはじめて
妖精になった剛も
人間界に送りました。

生まれてきた
湖子は
男の子として
人間界での
休暇と言うことで
過ごすことになります。

湖子の生まれた家は
大阪近郊の寒村にあって
農業で生計を立てて
慎ましやかな生活をしていました。

そんな赤貧の生活に
もっと悪いことが
次々と起こってしまったのです。

まだまだ働いていた
おじいさんが亡くなり
家族が
過労になってしまいます。

過労のためかも知れませんが
湖子の父親が
病気で倒れて
寝たきりとなってしまいます。





1
神さまは
何億年も
地球を見守っていて
少し疲れました。

いろんな出来事が
わんさかと
起こってしまって
てんてこ舞いになってしまっていたのです。

そこで
もうひとりというか
もうひとつというか
神さまを
作ることにしました。

最初から
作っていたんでは
間に合わないので
神さまのお手伝いをしている
妖精を
神さまにしようと考えました。

妖精の中で
1番古株で
1番信頼している
湖子を
神さまにすることにしたのです。

湖子は
能力は
既に
神さまの域に達していました。

でも
人間界から
はじめて
妖精になった剛を見ていると
人間の感情を
理解することも
大切だと
思ったのです。

そこで
湖子に
人間としての生活を
させることにしました。

湖子と
湖子を少しは助ける様にと
星子と剛を
神政庁に呼んで
次の様に
湖子に告げました。

「湖子
永く
永く
私の手助けをしてくれて
ありがとう

湖子に
休暇を与えます。

人間界で
その間過ごして下さい。

人間界にいる時には
魔法は使わず
過ごして下さい。

それから
休暇をするのは
湖子の四分の三で
残りの四分の一は
今まで通り
手伝って下さい。

それから
星子と剛を
一緒に」と
言われました。

湖子は
いつものように
「承知しました」と言って
人間界に
行ってしまいました。

2

星子と剛は
神さまの前に残ったままです。

星子は
だいたいのことはわかったのですが
剛は
要領をつかめません。

「休暇に付いていくってどういうことか

四分の一は今までの仕事とは

それから
休暇はどれくらいの時間」か
まったくわからないのですが
話は終わったので
ふたりは
星子の魔法で
サッと消えて
経理課へ行って
いつものように
経費を預かって
人間界に出発しました。

長い休暇と行っても
ズーッと
湖子がいなくなると
神政庁に
支障が生じます。

妖精の
長として
仕事もあるので
長時間は無理です。

そこで
時間を遡って
休暇を取るという
人間なら
考えられない方法を
取ります。

剛が生まれた頃に
まず行くのです。

湖子は
胎児の頃から
人間界を
経験することから
はじめました。

湖子の
両親になるのは
不妊で悩んでいた
来住悟と弥生です。

悟と弥生は
大阪近郊で
悟のおじいさん夫婦
両親夫婦
それに
悟の妹と一緒に暮らしていました。

結婚して
3年経ちますが
子供が生まれないので
悩んでいたのです。

湖子が
調べて
その両親の
子供となることになったのです。

妊娠を
知った
悟と弥生は
大喜びです。

もちろん
家族全員で
喜んでいました。






3

お母さんの
母親のお腹は
とても気持ちが良かったのです。

「こういうことを
幸せって言うのかも知れない

ここで
休暇を過ごせて
最高に幸せ」と
思いました。

そんなお腹の中で
湖子は
家族の話を聞いていました。

そんな話を聞いていて
湖子には
気になる話を
聞いてしまいました。

喜んでいるのは
喜んでいるのですが
弥生以外は
「男の子がいいな」と
言っているのです。

来住家の
跡取り取りとしての
男の子を
みんなは望んでいました。

本心が読める
湖子ですから
弥生は
「男の子でなかったらどうしよう」と
悩んでいました。

湖子は
はじめは
いつも
人間界では
女性として
現れているので
女の子として
うまれる予定でした。

何千年も
女性として
現れていたので
男性は
イメージできませんでした。

全知全能になっている
湖子でも
わからないこともあるのだと
自分自身で思いました。

弥生は
臨月の
生まれる前日まで
仕事と家事をこなしていました。

「人間は
とめどもなく
がんばれる」というのを
体内にいて
実感しました。




4

星子と
剛は
来住家の
隣に
家を建てて
住み始めていました。

もちろん
魔法を使って
違和感なしに
住み始めたのです。

剛は
定年退職した
老人
星子は
ものすごく歳の離れた奥様ということに
なっていました。

一日中
家にいて
恩給暮らしと言うことに
なっていたのです。

当時の
定年は
55歳ですから
55歳という設定です。

星子は
40歳ということになっていましたが
今で言えば
美魔女
とても
40歳には見えない
容姿でした。

湖子が
生まれるまでは
殆ど仕事もなかったので
星子と剛は
本当に仲良く
過ごしていたのです。

湖子の休日というか
星子と剛の
休日になっていました。

湖子が
生まれたのは
体内に入ってから
6ヶ月経った
昭和27年6月でした。

弥生が
産気づき
白米を炊いて
たんと食べて
初産に臨みました。

家に
産婆さんがやってきて
さっさと
手伝って
次があるからと言って
バスで
帰ってしまいました。

そんな簡単に生まれた湖子は
男の子でした。

湖子は
いつもの
女性ではないので
凄く違和感を思えました。

湖子が生まれた
来住家は
大阪駅まで
徒歩と電車で20分ほどの
所にありました。

しかし
当時は
寒村と言う言葉が
ピッタリ当てはまるところで
電気だけが通じていて
水道は
まだ来ていませんでした。







5

湖子は
おじいさんが
名前をつけました。

両親の名前をとって
悟生と
名付けられました。

(この小説では
湖子という名前を続けます)

湖子が
生まれてくる時の
母親の
弥生は
凄く痛そうでした。

陣痛が
何度も訪れ
段々短くなってきて
傷みも
最高に達した時
湖子は
生まれてきたのです。

弥生の
悲鳴を聞いて
湖子は
思わず
魔法を使って
産道を
さっさと
抜け出してしまいました。

人間の母親は
大変なんだと
思いました。

でも生まれてしまったら
湖子に
凄く易しい
幸せな
顔をしていました。

「あんなに
痛い目をしたのに
こんなに幸せそうに」
人間って
わからないと
感じました。

生まれたての
湖子は
何もできません。

一から
十まで
弥生の世話にならなければ
なりません。

もちろん
湖子ですから
自分ですべてすることも
可能ですが
何分
休暇中ですから
やめておきました。


6

当時のオムツは
さらしの生地を
輪っかにしたもので
それを
”わたこ”と呼ばれる
綿の入った座布団のようなもので
覆って終わりです。

紙おむつと違うので
濡れると
凄く気持ち悪いので
湖子少し時間ができている時を見計らって
泣いてから
用をたすようにしていました。

弥生は
「湖子は私の時間が
ある時に
ちょうど
泣くのよね。

わかっているのかしら」と
思っていました。

赤ちゃんにありそうな
むずがったりも
しませんでした。

いつも
弥生に
おんぶされて
暮らしました。

湖子は
弥生が
子供が好きなんだと
心から思いました。

当時の
暮らしは
今から言えば
大変でした。

洗濯は
手洗いだし
ガスがないので
かまどを使わなければなりません。

少しだけ
食事を作ろうとしても
火をおこして
調理をする必要があったのです。

洗濯でも
同じです。

毎日
多量の
オムツを
洗濯するのは
大変です。

オムツの洗濯は
横の川で
まず洗ってから
タライで
おこなっていました。






7

星子と剛は
湖子の隣の家で
待機していました。

まったく出番がありませんでした。

妖精見習いの
剛には
神界では
星子の姿が
まったくわからないのですが
人間界では
ハッキリと
わかるので
喜んでいました。

「何もせずに
星子の姿を
見られるなんて
何という
良い仕事」と
思っていました。

星子の方も
「こんな仕事はじめて
何にもしないなんて
何百年ぶりかしら

でも
剛さんと
ゆっくりできて
嬉しいわ」と
感じていました。

そんなふたりですが
生活は
慣れないことばかりなので
大変でした。

水道がないので
せっせと
水を運んでいました。

お風呂の水は
川の水が多い時は横の川から
少ない時には
問題の多い井戸から
飲み水は
少し離れた
空き家の井戸から
運ばなければなりませんでした。

剛が生まれた
昭和27年の
日本の片田舎は
こんな所だったのです。

神さまは
時間を少し遡って
湖子を
人間界に
生まれさせたのです。

これは
単に
時間の短縮の目的もあったのですが
それよりも
ひとりひとりが
がんばっていた
この時代の方が
人間的だと
考えたからです。


8

時間があるので
庭に
野菜を作り始めました。

野菜作りは
簡単だと
思っていたのですが
予想外です。

妖精の星子は
仕事で
何回か
農家のお手伝いをしたことがあるので
ほんの少しだけ
経験があります。

剛は
農家の生まれでしたが
小学校の時に
農業をやめました。

子供の時に見た
「農業は大変」という
思い出しかなかったのです。

その後
向上の技術畑を
歩んだ剛には
野菜は
美味しく食べるものという
存在でした。

ほんの少しの
畑を
作るのに
悪戦苦闘です。

毎日見回り
水をやったり
害虫を
取ったりしなけらばなりません。

今なら
害虫用のスプレーで
簡単に解決するところですが
そんなものがない
時代ですから
星子も
剛も
手で取らねばなりません。

ふたりは
虫は嫌いでした。

青虫を
手で取らねばならないなんて
相当の
覚悟がいりました。



9

畑に
時間を費やしたとしても
夜になると
何もすることもできません。

今なら
テレビでも
見るのですが
当時は
ありません。

いや
始まったばかりで
テレビを持っている人など
いなかったのです。

ラジオが主です。

ラジオ番組も
充実してましたから
よく聞いていました。

テレビのように
ズーッと放送していないので
その時間だけ聞いていました。

楽しく
ふたりで
話していました。

ふたりの生活は
神政庁の
経費でまかなわれていますので
この時代でも
優雅に暮らしていたのです。

しかし
湖子の
家ではそんなに楽ではありません。

毎日の生活は
仕事仕事の連続です。

なにしろ
星子と剛の
畑の
何百倍という
農業をしているのですから
大変に決まっています。

弥生は
湖子を
おんぶして
一日中
仕事をしていました。








10

赤ちゃんは
すぐに大きくなります。

日にちが過ぎ
湖子も大きくなります。

離乳が
始まる時期に
なっていました。

弥生は
忙しいので
特に
離乳のための
特別食はありません。

少し柔らかめに
作る程度です。

仕事が忙しいので
離乳は
現代より少し遅いのです。

湖子は
妖精ですので
病気などをしません。

不老不死なのです。

1歳になるまで
病気をしなかったのです。

両親が
風邪になっているのに
赤ちゃんの
湖子が
うつらないのは
おかしく思われてしまいます。

そこで
熱を出して
風邪をひいてみました。

ながいながい
妖精生活で
初めての経験です。

こんなに
病気が辛いのか
はじめてわかりました。

それに
湖子が病気になったら
両親の心配ようが
尋常ではありません。

親の思いが
これほどなのかと
今更ながら
思いました。



11

湖子は
月日が過ぎて
お誕生日になりました。

お誕生日が来たとしても
何も儀式がありません。

寒村の
貧農の家には
そのような習慣はありませんでした。

湖子は
月日が過ぎても
普通の赤ちゃんのように
大きくなりませんでした。

大きく重くなると
弥生が
大変なので
なるべく大きくならないようにしてました。

家族が
それを心配しているのを
湖子は感じて
少し焦ったこともありました。

誕生日が
過ぎた頃から
段々と話すようにしました。

だからといって
スラスラと会話しては
問題なので
単語から
はじめました。

弥生が喜ぶように
「おかー」と
言ってみました。

そしたら
弥生は大喜びして
家族に知らせていました。

そしたら
父親やおじいさんおばあさん叔母さんが現れて
大騒ぎです。

この際だから
みんなを呼んだら
家族中が
大騒ぎになってしまいました。

湖子は
覚めた目と
熱い目で見る事ができます。

覚めた目で見ると
「何で大騒ぎ
人間って少しおバカ

とても
神さまの複製とは
思えないわ」と
熱い目で見ると
「人間って
いつも熱く生きているんだな

少しは
見習った方が
いいかもしれない」と
見えました。

人間で言えば
理性的な女性である湖子は
人間の赤ちゃんを体験して
そんなことを思いました。






12

赤ちゃんはすぐに大きくなり
ハイハイして
立ち上がり
可愛い幼児になりました。

母親の
弥生に
"協力"して
オムツも早く取れ
危ないところには行かず
ジッと
母親の隣に
いるようにしてました。

「来住さんの
子供は
おとなしい
可愛い
賢い」と
村中の評判になっていました。

あまり評判になると
湖子の
企てには
あまり良くないので
ほどほどにしなければ
と考えるようになりました。

親孝行な子供とも
評判でした。

3歳になる前に
なんだかんだと
親の手伝いをしていました。

水を
小さな桶で
少しずつ
運んでいました。

そんな湖子は
水道が来れば
もっと
両親が
楽になると思っていました。

湖子は
妖精の
力を使って
やってみようかと
考えたところ
市役所から
水道敷設のお知らせが
ありました。

家族全員
大喜びでした。

新しい水道が
引き込まれて
出た瞬間
両親は
涙ぐんでいるように見えました。








13

湖子は
何千年も
人間社会を見ていました。

水道がなかった時代の方が
もちろんながく
当たり前だったのですが
当たり前が
当たり前でなくなったその日に
出会えたのは
初めてでした。

人間って
進化するんだと
思ったのです。

特に
昔の時代は
その進化は
本当にゆっくりでした。

というか
殆ど進化していないような状態でした。

湖子だけの経験で言えば
昔は
ゆっくりだったけど
今は
ものすごく早いという
感想でした。

水道が
はじめた出た時を
こんなに喜ぶなんて
幸せに感じるなんてと
思ったのですが
来住家では
この後
不幸が相次いで起こることになります。

湖子が
4才になった冬
おじいさんが亡くなります。

まだまだ
よく働く
おじいさんでしたが
なくなると
来住家は
貴重な労働力を失います。

その翌年に
小麦粉の輸入が
政府管掌で解禁になって
外国から
もう比べものにならないほどの
安価な小麦が輸入されます。

そのため
来住家では
冬に
二毛作として
麦を作っていたのですが
作っても
売れなくなってしまいます。





14

来住家は
都会の近くで
中央市場までは
大きな国鉄の線路を渡って
自転車で
30分ほどの所にありました。

麦が売れなくなって
現金収入が
少なくなり
野菜に力を入れることにしていました。

しかし野菜の値段は
はじめから安くて
豊作貧乏になることが
たびたびでした。

自転車の
後ろに
重いリヤカーを付けて
運んでいっても
千円にもならないことも
たびたびです。

前の晩から
用意して
まだまだ陽が昇らない頃から
働き始めて
やっと作った
リヤカー一杯の
野菜も
それだけしかありません。

労働力が必要ですが
腰の曲がったおばあさん
悟
それに弥生です。

悟の妹は
お嫁に行って
今はいませんから
3人です。

湖子は
小さくて
役に立つほどでもありませんが
手伝っていました。

こんな月日が
1年ほど流れて
悟は
働き出ることを決意しました。

村の近くに
大手電機メーカーの
倉庫ができて
募集していたのです。

なにしろ
今のように
機械化されていませんから
力持ちの従業員が
大勢必要なのです。

勤務時間は
8時から5時まで
土曜日は12時まで
日曜日は休みです。

会社の休みの時は
農業をしていました。

15

悟は
平日は
まだまだ
くらい時間に起きて
「朝の間の仕事」して
それから会社に出掛け
帰ると
少し夜なべをし
会社が休みの日曜日は
夜明け前から働いて
暗くなっても
仕事をする毎日でした。

休みなどありません。

悟が
努力家で
気力が満ちているから
そんな苦労を
できているということでは
ありません。

来住家の隣の家の
農家の家族も
そんな風に働いていたし
隣の隣の家も同じだし
一軒を除いて
村中のみんなは
そんな風に働いていたし
その寒村だけでなく
その隣村の家でも
いや
もっと言えば
日本中の家族の
90パーセントは
そんな風に働いていた
時代でした。

湖子は
両親の
働く姿を見て
育ちました。
盆暮れには
少しは休んでいたように
見えまたが
この時代の
人間は
常に
働いていたのです。

それも
単純だが
重労働の
しんどい仕事です。

そんな風に働いていも
お金が
たんと儲かるわけでもありません。

みんながそうであったように
赤貧の暮らしでした。

湖子が
6才になって
学校を行き始めた頃
湖子は
下駄で
通います。



16

靴と
下駄の値段を比べると
下駄の方が
安かったのです。

現金収入が
少ない来住家では
現金で買うものの
購入は
厳しく制限されます。

農家ですので
食事には
困りませんでしたが
だからといって
もちろん
何でも食べられたと言うことではありません。

家でとれるものは
山ほど食べることが出来ます。

例えば
冬なら
白菜たとか
初夏なら
イチゴです。

毎日毎日
白菜の水炊き
白菜だけで
炊く時も多く
ハッキリ言って
今のように
出汁を使ったり
他のものを入れないので
美味しくないのです。

イチゴの
収穫時期などは
畑で
食べて
家に帰ってから
山ほどの
イチゴを
食べるのです。

手が
赤く染まることも
ありました。

現金収入がないので
服も
殆ど買いません。

服は
破れるまで着て
破れても
つぎをあてて着て
つぎが破れたら
つぎにつぎをあてて着る具合です。





17

悟も弥生も
働きました。

夜なべ仕事も
もちろんしました。

今で言えば
超勤200時間越えです。

それも
事務の仕事の様な簡単な仕事ではなく
重労働です

過労死の
判断基準を
はるかに超えています。

強健な
悟ですが
会社の仕事と
家の農仕事で
疲れてしまっていました。

でも休むことはできません。

その疲れは
湖子が
2年生の冬の時に
現れてしまいます。

寒い日
久しぶりに
朝の間の仕事が
なかった日
悟は
朝になっても
起きてこなかったのです。

弥生が
お布団に見に行くと
大きなイビキをかいて
寝ていました。

そして
変な臭いもしていました。

一緒に付いて行った
湖子は
すぐに分かりました。

脳循環障害です。

弥生は
分かりませんでした。

湖子は
「おじいさん
変だよ

すぐに病院へ」と
言ったのですが
そのような
経験・習慣がないので
子供の言ったようにはしませんでした。

しかし普通ではないと感じた
弥生は
近くの
診療所の先生に
往診してもらいました。


18

診療所の
若い女の先生が
やって来て
診察を始めました。

当時としては
珍しい
血圧計で測って
そして
「血圧が高めですね

中風です。

安静にしておいて下さい」とだけ言って
注射も
薬もなく
帰って行きました。

いまなら
脳MRI薬剤投与リハビリですが
お手上げの状態でした。

湖子は
それを見ていて
妖精の力を
使おうかと思ったのですが
人間界のありのままを
見る事が
大事だと思って
父親には
悪いけどやめておきました。

悟は
何とか
3日目に
意識が戻って
少しばかりの食事をしました。

大小の便は
発病の時から
オムツです。

何度も言いますが
今のようなオムツがないので
弥生は
相当な努力です。

湖子も
幼い手で
手伝いました。

何でもできる
湖子ですから
その点は
できたのです。

それから
隣の閑な住人役の
星子と剛も
手伝っていました。

なんとか
一週間が過ぎ
悟は
オムツではなく
オマルと
尿瓶が使えるようになりました。


19

悟の病状は
安定していました。

当時
リハビリと言うが考えがなかったので
寝たきりになってしまいました。

労働力の
大方を失った
来住家は
わずかな蓄えで
暮らしはじめます。

星子と剛も
手伝いしたが
農業を
したことがことがないので
その重労働はできませんでした。

もともと貧しい生活は
ますます
大変になります。

湖子は
こんな風になって
困りました。

弥生を
妖精の力で
助けるか
人間としての力で
助けるか迷いました。

小学校二年生の男の子として
手伝えるのは
少しだけです。

男の子として
手伝うのは
湖子にとっても
しんどいことでしたが
それを選びました。

少しだけ良いのは
悟の従兄弟が
たんぼを
作ってくれることになりました。

もちろん
できたものの
4分の3は渡すことになっていました。

弥生は
家の周りの
ほんの少しの
畑だけで
生活しなければならなくなったのです。

それが
3年続いたのです。

悟は
寝たきりでした。

これではダメだと
考えた
弥生は
寝たきりの
悟を
おこしはじめます。







20

「このまま
寝てばかりでは
困ってしまう。

自分のことだけでも
出来るようになって
もらえなくては」と
弥生が考えたのです。

リハビリという
ものが全くなかった時代に
そのような
ことをはじめたのは
困っていたからです。

まず
悟を
布団から起こすことからはじめ
それから
立ち上がり
つかまり立ちができるようにするのが
目標です。

悟は
右半身不随で
右手は
まったく動きません。

右足は
ほんの少しだけ動きました

左足左手も
長年寝ていたので
力が
なくなっていたのです。

それを
使うことによって
力を付けるようにしていたのです。

メキメキと
良くなっていけば
問題ないのですが
そう簡単には
いきません。

リハビリをするのは
弥生ではなく
悟ですから
辛いリハビリに
挫折しそうなるのです。

それを
なだめすかして
させるのです。

湖子も
「おとうさん

元気になって」と
援護射撃をしていました。