ロフト付きはおもしろい

ロフト大好きの68歳の老人の日記です

ブログ小説「東大阪のお嬢さま『雪子』」その51まで

その51は最後です。

 


ブログ小説「東大阪のお嬢さま『雪子』」


あらすじ
江戸時代からつづく名家の秋月家に
生まれた雪子は
お嬢さまとして
育ちました。

秋月家自体は
大きく変わっていく
時代の流れに対応して
事業を拡大していきました。

そんな家族と
使用人
そして
使用人の子供で
親友の真知子に守られて
大きくなっていきます。

__________________________

 


江戸時代には
大地主で
付近一帯を持っていた
秋月家は
大正時代の初めに
当主が
農機具を作る工場を始めました。

農業の
近代化が
叫ばれていた
時流に乗って
工場は
繁盛しました。

秋月農機具製作所という会社でした。

その経営者の家に
雪子は生まれてきました。

雪のように白い肌をしていたので
当時の当主で
お祖父さんは
その名前を選んだのです。

雪子の
父親は
養子でした。

遠縁の親戚で
それはそれは
賢くて
よく働くので
有名でした。

一方
母親は
根っからの金持ちで
お姫様育ちでした。

雪子が生まれた時には
人数はすこし少なくなっていましたが
女中(当時は女性のお手伝いさんを
そのように言っていました)が3人
おとこし(同じく男性の
使用人です)が2人いました。

それで
母親は
殆ど
家事などすることなしに
お花を生けたり
お琴を弾いたり
お茶を点てたりして
時間を過ごしていたのです。


2
雪子が
生まれたのは
朝鮮戦争特需で
日本中が
戦後から
脱却し始めていた
昭和27年のことです。

露地物の
イチゴが
出入りの業者から
よく持って来た
6月の18日に
生まれました。

雪子は
大学生の頃に
話題になって
気が付くのですが
『社会の悪弊』と
とも訳される
キャンサー:かに座でなくて
ふたご座になってよかったと
思いました。

当時は
星座なんて
考えませんでしたので
辰年です。

お祖父さんは
『この子は
昇り龍』だと
言い切っていましたが
これから始まる
雪子の
人生は
だれもがそうであるように
平坦なものではありませんでした。


思いやりたっぷりの
家族の中に生まれた
雪子は
子供に頃は
もちろん
幸せでした。



冬の寒い日は
大きないろりのあるお部屋と
大きな暖炉のある応接室で
過ごしていました。

暑い夏は
大きな母屋の
一番風が通る
土間の横で
涼を取っていました。

外に出ることなしに
いろんな事が
すませましたので
雪子は
太陽に当たることもなく
白い肌が
ますます白くなっていました。

だからといって
友達が
いなかったと言うことではありません。

同じ歳の
友達が
いつも家にいました。

その友達の名前は
真知子です。

真知子は
乳母の長女で
この先
大学まで
同じでした。

お祖父さんが
そのように
お願いしたからです。

雪子は
真知子の
家にも
行ったことがあります。

家の隣の
会社の従業員寮に
家族とともに
住んでいました。

雪子が
真知子の
家を最初に
訪れたときの
感想は
「こんなに
狭いんだ

どんな風に
暮らしているんだろう」でした。

もちろん
言いませんでしたが。


4.

真知子は
とても
雪子と
同じ歳とは思えぬ
聡明な
女の子で
自分の立場を
よくわきまえていました。

雪子は
ワガママな
お嬢さまではなかったけど
世間知らずでした。

だれも
雪子の常識が
普通の人の
非常識だと言うことを
告げなかったのです。

それは
雪子のことを
思って言わなかったのか
言っても
信じてもらえないと思って
言わなかったのか
わかりません。

雪子は
私立の
キリスト系の
幼稚園から
女子だけの
小学校・中学校・高校へと
行くことになります。

幼稚園だけが
男女共学でした。

幼稚園に
真新しい制服で
最初に登園した時には
お祖父さんは
写真屋さんを呼んできて
自宅の
桜の木の下で
記念撮影をしました。

その写真の
雪子は
髪の毛の長い
肌が白い女の子でした。

5.

幼稚園に
元気に
真知子と
最初は行っていました。

当時は
車が
殆ど通りませんでしたので
安全で
子供2人で
登園してました。

お祖父さんは
賢い
真知子が付いていたので
大丈夫と
思っていたのです。

少し暖かくなった頃
雪子は
体の調子が
悪くなってきました。

どこと言って
悪いのではなく
今で言えば
不定愁訴
と言うような
不調です。

家族は
大変心配して
お医者さんに見せました。

でも原因は
わかりません。

誕生日の頃になると
幼稚園に
行けなくなりました。

お祖父さんは
幼稚園が
嫌だから
そんな事を
言っているのかと
思ったくらいです。

真知子の
母親
即ち
乳母は
雪子が
本当に悪いのだと
思って
阪大病院に
連れて行くことにしました。

乳母に背負われて
大阪福島の
病院に行きました。


学生の
問診から始まって
予診
教授の診察
検査と
続きました。

朝は早くから来て
3時過ぎに
再び
教授の診察となります。

教授は
まさに
名医のように見えました。

今なら
血液検査で
たちどころに
わかる病気ですが
当時は
そのようなことがなくて
名医に頼るしかなかったのです。

医師は
おもむろに
首筋を
両手で
触りました。

柔らかい手でした。

少し
こそばいと
感じました。

医師は
よーく考えて
再度
触診して
話し始めました。

医師は
甲状腺異常です」と
もぞもぞと
言いました。

医学用語ですので
付き添いの乳母は
わかりませでした。

そこで
書いてもらいました。

メモ用紙に
甲状腺異常」と
書いてもらいました。

 


7

雪子は
小さいので
わかりませんでした。

乳母も
保護者でないので
診断結果を
持ち帰るだけです、

乳母は
結果を
両親と
お祖父さんに報告しました。

家族のみんなは
よくわかりませんでした。

お祖父さんは
仮病でなかったのだと
気が付いて
申し訳なく思いました。

教授の
次の診察日に
行くことになりました。

雪子もあわせて
総勢5人で
行くことにしました。

手ぶらでは
心許ないと
お祖父さんが言うので
大阪で
一番有名な
羊羹とカステラを
買って持って
行きました。

大学病院は
重い病気の方が多いので
殆どの患者には
付き添いがいまが
雪子の付き添いが
4人は
多い方でした。

狭い廊下で
立って待っていると
看護婦さんが
名前を呼びました。

5人は
ぞろぞろと
狭い診察室に入っていきました。


8

診察室には
大きめの椅子に
教授が座っていて
そのまわりに
インターン・看護婦が
立って待っていました。

この中に
5人が入れば
看護師の数人は
部屋から出るしかありませんでした。

大勢の
心配そうな
顔で眺められて
医師は
躊躇しました

ギュウギュウの
診察室で
医師は
大勢の
保護者に
丁寧に
同じことを言いました。

手術を
すすめました。

お祖父さんから
いろんな質問が
ありました。

本人の
雪子は
小さかったので
頭の上で
難しいことを
話し合っていたという
記憶しかありません。

最後に
お祖父さんが
「皆様で
お召し上がりください」と
持って来た
包み紙を渡しました。

「ありがとう」と
言って
医師は受け取り
助手に渡しました。

狭い廊下の片隅で
老練な
看護婦さんが
入院の予定について
詳しく説明を受けました。

あまり事情がわからない家族は
心配で心配で
仕方がありませんでした。

当の本人の
雪子は
大勢に
見られて
はずかしいとだけ
思っていました。

9

その日は
日も落ちた頃
家に着きました。

真知子が
心配そうに待っていました。

真知子は
家の前で
みんなの帰りを
待っていました。

学校の
プリントを
持って待っていました。

一同が帰ると
他のみんなから
質問攻めです。

お祖父さんが
報告をすると
みんなの心配は
大きくなりました。

手術したら
病気は
治るのだろうかと
みんなの心配は
そう言うところに
落ち着きました。

誰かが
阪大なんだから
大丈夫と
言って
話は終わりました。

そんな長い話しをしている間
雪子は
真知子と
楽しく遊んでいました。

その診断が
あってから
どういう訳か
雪子は
少しだけ元気になって
学校にも
行くことが
できるようになりました。

 

 

10


家族は
手術を
受けるべきか
するべきでないか
相当悩んで
話し合っていたようでした。

約束の
入院日が
来ました。

病状が
快方に向かっているとも
言えないので
やはり
手術することになりました。

学校に
母親が行って
話しをしました。

4人の大人と
1人の小さな病人は
入院受付から
看護婦さんに案内されて
6人部屋に案内されました。

お祖父さんが
個室を
お願いしておいたのですが
無理みたいでした。

お祖父さんは
もっと
偉い人に頼んだ方が
よかったのかと
心の中で思いました。

ベッドのまわりだけでは
納まらない
大人たちは
廊下で
待っていました。

看護師さんが
手術の説明を
医師がすると
連絡がありました。

5人の集団は
少しうつむき加減で
小さな会議室に入りました、

大人数の
患者の一団が
入ってきたの
インターン
慌てて
椅子を用意しました。


11


医師は
付き添いの
家族が
あまりにも
多いので
驚いている様子でした。

一通り
説明を受けました。

先生は
質問はありますかと
聞かれましたが
だれも
質問できませんでした。

手術は
翌日の
1時と言うことで
乳母だけが残って
後は
帰りました。

夕暮れが
近づいて
何かもの悲しい
雰囲気です。

雪子は
淋しくなって
うるんだ目になりました。

8時になると
面会時間は
終わって
乳母は帰ってしまうと
雪子は
もう淋しくて
怖くて
たまりませんでした。

眠気には
負けてしまって
寝込んでしまいました。

病院の朝は
早いです。

家なら
7時まで
ぐっすりと寝ているのに
6時前には
看護婦さんがやって来て
血液を
採取していきました。

12


いつもは
家の
ふかふかの布団で
ぐっすり寝ているのに
病院は
初めての
ベッドで
固い布団で
痛かったです。

ベッドは
こんなに固いもので
西洋人は
こんなもので
ゆっくり寝ているのだろうか
などと
病気とは
まったく関係ないことを
考えていました。


8時になると
食事の時間でしたが
雪子は
今日手術ですので
ありません。

そこで
病院内を
探検することにしました。

狭い廊下が
迷路になっていて
階段を
上がったり
下りたりしました。

そしたら
迷ってしまって
帰れなくなってしまいました。

どんどん
よからなぬ
方向に
進んでしまって
機械室みたいなところに
行ってしまいました。

病院内の
アナウンスで
雪子は
呼ばれてしまいました。

変える方向が
わからないので
ウロウロしていると
清掃員らしい人が
やって来て
受付まで
連れて行ってくれました。

13

雪子は
病院は
大きくて
得たいの知れないところと
思いました。

10時になると
乳母がやってきました。

知った人が
そばにいるだけで
安心しました。

11時になると
他のみんなもやってきて
賑やかになりました。

少しだけ
安心しました。

12時頃になると
看護婦さんがやって来て
手術の
前処置をしました。

長い髪の毛が
手術では
邪魔なので
束ねて
頭の上に
留められてしまいました。

鏡で
自分の姿をみると
いつもの
雪子とは
全く違いました。

なぜか
今の髪が
良いように
思ってしまったのです。

雪子は
「今度は
髪の毛を
短く切って欲しい」と
みんなに言ったのです。

大変な手術を
受けようとする
雪子の願いを
みんなが
拒むわけはありません。


14

雪子は
手術着に着替えて
それから
注射を打たれて
意識がもうろうとなりました。

看護師に抱かれて
手術室に
向かいました。

家族は
手術前の
控え室で
待ちました。

手術は
1時間ほどで終わって
看護婦さんに抱かれて
ベッドに帰ってきました。

麻酔が効いているのか
眠ったままでした。

首筋に
包帯が巻いてあって
血がにじんでいました。

痛々しい
様子で
みんなは
落ち込みました。

医師から
説明があるので
来るようにと言われて
みんなはぞろぞろと
ついていきました。

皿の上に
何か白いものが載っている
前に
座りました。

医師は
「手術は
成功したので
もう大丈夫」と
始めに言って
詳しく説明を始めました。

15

麻酔が覚めると
雪子は
「痛い
痛い」と
言いました。

6人部屋の
狭い病室では
付き添えないので
お祖父さんは
個室を
お願いしました。

お世話になっている
先生に
頼んで
特別室に
その日のうちに
変わりました。

特別室は
窓が大きくて
景色がよくて
広くて
何十人でも
入れるくらいの大きさです。

看護婦さんが
「特別室に
入院する
最年少記録だ」と
言っていました。

付き添いのものが
泊まれるので
乳母は
その日から
泊まりました。

真知子は
母親が
帰ってこないので
淋しく思いました。

医者の
言ったように
日に日に
傷は癒えて
日に日に
元の
雪子に戻りました。

一週間経つと
雪子は
退院になりました。


16

首の
手術の後は
まだ大きく残っていました。

抜糸したあとが
痛々しく見えました。

まだ暑い時期でしたので
服で隠すには
早いので
単純に
ガーゼを
巻いていました。

余計に目立つのですが
だれも言いませんでした。

手術から
時間が過ぎるとともに
雪子の
体調は
段々と
復活してきました。

学校でも
活発になっていましたが
完全復活と言うことでは
ありませんでした。

髪の毛が
首筋に触ると
ぴりぴりするのでした。

勉強しようとした時
髪の毛が
首に当たると
ぞーっとしてしまうのです。

病気のせいもあるのかと
医師は
言っていました。。

そんなある日
散髪をすることになりました。

約束通り
髪の毛を
刈り上げにするかどうか
迷ったのです。

散髪屋に連れて行った
乳母と真知子は
髪の毛を
切るのには
反対でしたが
事情が
事情ですので
刈り上げ
今で言えば
超ショートカットに
なったのです。


17

それまでは
長い髪で
お下げにしていた雪子は
大変身です。

当時の
男子の
一般的な
刈り上げになって
雪子は
さっぱりしました。

非常に軽いと
思いました。

その上
いつも嫌だった
「頭を洗う」が
超簡単になって
言うことなしだと
思いました。

小学校にも
休まず
行けるようになりました。

学校の先生が
うまく指導した結果
暖かく
ショートカットの
雪子が
学校に向かい入れられたのです。

もちろんその影には
真知子の
力もありました。

こうして
普通だと
思っていたのは
雪子だけだったのですが
普通の
小学校生活が
始まりました。

18

雪子は
小学生ですので
洋服を着て
靴を履いて
ランドセルを
背負って出掛けていました。

雪子が
入学した
昭和33年当時は
まだまだ
下駄履き
着物姿
風呂敷で
小学校に通っていた
子供もいました。

(嘘だろうと
思っている方もおられますでしょうが
本当です。

作者自体
母の手作りの
洋服でした。

カバンは
ランドセルでしたが
程度の低い
人工皮革で
すぐに傷むような代物でした。

4年生ぐらいなったときには
もう使えなくなっていたので
カバンを持って
行っていました。

同じような
クラスメートもいましたので
特に
そのことを
気にすることもありませんでした。)

真知子も
お祖父さんから
同じものを
贈られていたので
同じ服装で
通学していました。

真知子には
よくわかっていましたが
雪子には
全然わかっていませんでした。


19

雪子が
小学校に入学した
昭和33年には
雪子のお祖父さんは
村で一番早く
テレビジョンを
購入しました。

14型の
テレビで
会社の
休息室に
最初置かれました。

雪子の部屋からは
すぐですから
食後は
家族で行って
テレビを見ていました。

力道山のプロレス中継や
お相撲があるときには
従業員や
付近の人が
見に来ましたが
雪子は
一番前の
椅子が
指定席になっていたので
何人くらい
見に来ているということなど
気にもとめませんでした。

真知子も
少し小さめの
椅子に座って
テレビを
見上げていました。

翌年の
皇太子(今の平成天皇です)のご成婚のときには
もう一台
雪子の家にも
テレビジョンを購入したのです。

結婚式の
パレードを
家族だけで
見るために
買ったのです。

テレビが2台ある家は
当時は雪子だけでした

 


20

雪子は
テレビは
みんなで見た方が
楽しいと
思っていました。

真知子は
会社の休息室で
みんなと
見ていたことを
知っていたので
すこしだけ
うらやましく思っていました。

当の
真知子は
雪子がいないので
一番後ろで
何も見えなかったそうです。

馬車に乗った
美智子妃殿下は
綺麗だったと
おもいました。

雪子も
大きくなって
結婚したら
馬車に乗って
パレードしたいと
みんなに
宣言しました。

両親は
まだ先のことなので
「はいはい」と
生返事をしていましたが
お祖父さんは
「そのようになる様に
雪子頑張るんだ」と
答えました。

その日から
雪子の夢は
結婚して
馬車に乗って
パレードすることになりました。

そのためには
まず勉強と言うことになりました。


21

だからといって
雪子が
勉強に
熱心だったかというと
そんな事は
さらさらありませんでした。

受けついた遺伝子があったのか
算数は
できましたが
国語は
全くです。

ままごと遊びや
お人形ごっこ
それに
テレビに
夢中だったのです。

お人形といえば
小学校3年生になった時
だっこちゃんなるものが
流行しました。

いま考えれば
ビニルの風船のようなものなのに
当時としては
相当高額です。

買える人は
少数です。

お祖父さんが
流行りだした時に
ふたつ買ってきて
雪子と
真知子に渡しました。

雪子は
喜んで
学校に
持っていったら
みんなにうらやましく見られました。

そのあと
学校は
だっこちゃんを
学校に持ってくることを
禁止したので
学校に持って来た小学生は
雪子ひとりだったのです。

22

だっこちゃん以来
学校では
雪子は
有名になりました。

ひとつ間違えると
いじめの対象に
なる様なところです。

そんな事など
考えない
雪子は
何をするかわかりませんでした。

奔放自由と言ったらいいのでしょうか
雪子は
自分が
お金持ちであるという
自覚を持ち合わせていません。

そのために
雪子自身
そんなつもりはなかったのですが
金持ちを
自慢しているように
見えたのです。

真知子が
反感を感じないように
守っていました。

真知子は
聡明で
利発で
暮らすでは一番の
人気者です。

副委員長も
していて
クラスをまとめていました。

その力の
おかげで
雪子は
普通の
小学校生活を
おくっていたのです。

真知子に守られる
学生生活は
大学までつづくのですが
雪子は
そのことに気が付くのは
大学を
卒業して
真知子が
いなくなった時だったのです。

23
お祖父さんの
農機具の会社の売り上げが
落ちてきました。

鍬や
備中などの
農機具は
機械の
耕運機に
取って代わられていったのです。

お祖父さんは
新しい仕事を
始めなければならないと
考えて
雪子の
父親に言っていました。

お祖父さんも
父親や
会社の全員で
言い知恵を
出し合っていたのです。

そんな簡単に
新規事業が
見つかるわけもありません。

あーでもない
こーでもないと
探していました。

会議も
何回も
開かれました。

「会議は踊る」と
思うぐらい
時間ばかり浪費する
会議になっていました。

そんな会議に
何もわからず
プラスチックでできた
おもちゃ
具体的には
飛行機ですが
もって
乗り込んできたのです。

当時は
まだまだ
ブリキのおもちゃだったのですが
プラスチックは
珍しかったのです。

飛行機を
手で
飛ばしながら
お祖父さんのところに
やって来て
見せたのです。

お祖父さんは
その飛行機を
しげしげ見て
以前の
ブリキの
飛行機とは
全く
違うことに気が付きました。


24


経営者としての
お祖父さんは
なかなかのものです。

この先
プラスチックス
世の中の
ものつくりの
中心になると
その時見抜いたのです。

会議の面々に
プラスチックス
新規事業は
いくと
告げました。

みんなは
決まらない
会議に
うんざりしていたので
大方の
人達は
良かったと思いました。

雪子の父親だけが
なぜと
思って
聞きました。


プラスチックス
これからの商品で
色が綺麗だし
形も自由

これからは
軽い
プラスチックスだ」と
答えました。

そんな簡単に
決めて良いのか
作れるのか
心配だと
思ったのですが
養子で
発言権のない
父親には
それ以上は
言えませんでした。

そう言う理由で
新規事業のために
新しい会社が設立され
社長に
父親が就任しました。

25

方針が決まって
会社ができても
新規事業が
うまくいくとは
限りません。

プラスチックス製品を作ることと
それを売ることのふたつを
しなければなりません。

当時は
必要なものを作れば
売れる
高度成長期だったとしても
そう簡単ではありませんでした。

今まで
かじ屋みたいなことを
していたのに
これからは
全く関係ない
プラスチックスなのです。

まだ原理さえわかりませんでした。

そこで
プラスチックス射出機
の業者を探して
買うことにしました。

型が必要なのですが
型は
他の工場で
当分の間は
作ってもらうことにしました。

はじめは
ザルを
作ったのです。

今ならよくある
プラスチックス
ザルです。

当時は
竹カゴのようなものでしたのですが
プラスチックスのザルは
革命的で
とても
安かったのです。

それで
よく売れました。

26

会社の面々は
これは行けると
思いました。

少しでも早く
やり出した方が
勝ち組になると
思いました。

お祖父さんは
当時の最新式の
射出機と
型を作るための
旋盤やフライス盤を
一式買い込んで
仕事をやり始めたのです。

当時の
お金としては
相当なもので
文字通り
社運をかけたものです。

旋盤工も
雇い入れて
社員の数も増えました。

雪子の
父親は
慣れない
営業に一日中回っていました。

営業に回ると
世の中の
欲しいものもわかるので
楽しいと
思っていました。

 


雪子は
父親が好きです。

母親は
なんのかんのと言って
小言を言うのですが
父親は
無条件に
可愛がってくれますので
雪子は
好きだったのです。

そんな父親が
会社の仕事で
いないことが
多くなって
雪子は
淋しく思っていました。

27

いつもなら
夕方になると
会社から
家に帰ってきて
夕食までの時間
遊んでくれるのですが
この頃は
雪子が
寝るまでに
帰ってこないことも
よくあるのです。

日曜日も
出掛けていることが多く
雪子は
淋しく思っていたのです。

新規事業の
プラスチックス製品を
雪子は
怨みました。

小学3年生の真知子でしたが
事の次第を
よく承知していましたので
何とか取りなしていました。

そんなある日
雪子は
荒物屋で
頭を下げている
父親を見ました。

父親は
なにやら
金物屋に
頼み込んでいました。

商品を
置くように頼んでいたのです。

頼み込んでいる
父親が可哀想になって
雪子は
思わず
金物屋に入りました。

そして
雪子も
金物屋さんに
頼み込んでしまいました。


28

 


金物屋さんは
小さい女の子が
突然
言ってきたので
唖然として見ました。

「色白の可愛いお子様ですね

社長さんの子供さん」と
聞いて来ました。

社長が返事すると
「仕方がないなー

こんな可愛い子供に
言われたら
嫌とは
言えないわ-」と
金物屋さんは
取引を
了承してくれました。

父親は
雪子のおかげで
売れたと
大変喜んで
雪子を抱いて
家に帰りました。

でも
雪子は
私の力で
もちろん
売れたとは
思っていませんでした。

父親の
熱意だと思っていました。

自分にはできないと
思っていました。

仕事の
難しさ・厳しさを
小学生としては
あらためて
思い知らされていました。

母親のように
何も考えずに
好きなことだけをして
暮らしていけたらいいなと
その時ぼんやりと
思った次第です。

29

雪子が
ぼんやりと
思っていたのですが
雪子が
ぼんやりしていたのは
いつものことでした。

何をするのも
ゆっくりで
ぼんやりです。

気が走っている
真知子が
横にいますので
その際立ちで
もっと
もっと
ぼんやりしていることが
明々白々に
なってしまいました。

雪子自身も
自分は
ぼんやりだと思っていたのです

雪子は
外見は
ぼんやりとしていたのですが
本当の気持ちは
心配でした。

この先
お祖父さんや
お父さんが何時までもいたら
暮らしていけるかも知れませんが
もしいなくなったら
雪子ひとりでは
絶対に生きていけないと
思いました。

路頭に迷って
行き倒れになるんじゃないかと
心配で
心配で
不安でした。

小学校
3年で
こんな不安を
持っていたのですが
他の人には
気付かれず
暮らしていました。


30

普通に
小学校で勉強できたのは
真知子のおかげです。

クラスのリーダー的存在でした。

真知子が
小学生としては
荷が重いのですが
陰に日向に
雪子を
手助けしていたのです。

雪子は
それがわかっていました。

でも
わかっていても
ぼんやりしていたのです。

そんな雪子は
お祖父さんに
相談したのは
小学校4年生になった
春でした。

この相談が
後日の
雪子に
大きく影響します。

その日は
天気のよい
春の日で
休みでした。

お祖父さんは
休みでも
仕事場にいくのですが
その日は
あまりにも
よい天気だったので
縁側で
帳簿を
見ていました。

雪子は
お祖父さんに
いつも可愛がられていたので
同じように
縁側に
宿題を持って
行きました。


31

雪子は
お祖父さんの
縁側が
好きでした。

お祖父さんは
小言を言わないし
いつも
お菓子が
机の上に置いてあるし
夏涼しくて
冬暖かい
天国のような
場所でした。

宿題を
持ってそこで
勉強すると
それはそれは
お祖父さんは喜んで
おやつを
くれました。

その日も
宿題をしていると
なにげに
お祖父さんの視線を
感じました。

それ程ジーッと
見られているわけでもなかったけど
わかったのです。

宿題の内容を
見ていたのです。

それと
雪子の
答を
見ていたのです。

算数の宿題でした。

お祖父さんは
暗算ができますので
答は
容易にわかりました。

雪子が
時間を費やして
筆算でしていたのですが
10問中7問まで
誤っていたのです。


32


お祖父さんは
背筋が
寒くなりました。

こんな問題を
間違っているようでは
雪子は
ひとりでは
生きていけないのではないかと
思ったのです。

お祖父さんは
平常心を持ちながら
雪子に
優しく話しかけました。

お祖父さん:
雪子は偉いね
宿題やっているんだね

雪子:
お祖父さんのお部屋は
勉強がはかどるの

お祖父さん:
それは良いね

ところで
雪子は
何になりたいんだね

雪子:
なりたいって
どういうこと

お祖父さん:
大人になったら
なりたいものだよ

雪子:
このままが
良いです。

お祖父さん:
そんな
大人になったら
なにかやりたいことはないのか

雪子:
そうだねー

思いつかない

普通は何なの

お祖父さん:
、、、、


33

雪子:
何かやらないと
ダメなの

じゃ
お母さんみたいに
お茶やお花
が良いな


お祖父さん:
それは
そう言うのは
趣味で
やりたいことと
違うのだよ

どんな仕事を
したいかということ

雪子:
仕事は
男の方が
することでないの

お祖父さん:
これからは
女性でも
働かないと
いけないんだよ

真知子ちゃんの
お母さんも
働いているんだよ

雪子:
真知子ちゃんの
お母さんって
働いていたの

知らなかった

お祖父さん:
うちの優秀な
従業員なんだよ

雪子:
偉いんだね。

私も
働くんですか

どんな仕事

お祖父さん:
それを
聞いているんだよ


34

雪子:
私わからない

楽しいのが
いいなー

お祖父さん:
50年働いてきたけれど
そんな仕事は
まずないなー

勤めること自体
大変なんだよ

技術がないと
ダメ

雪子:
技術?

お祖父さん:
何か技術
特技を持っていないと
仕事さえさしてもらえないかも知れない

雪子:
お祖父さんは
どんな技術?

お祖父さん:
うー
経営一般かな

雪子のお祖父さんは
溶接が上手なんだよ

雪子:
じゃ
私も
溶接習おう

お祖父さん:
溶接の仕事は
力がいるから
女性には
無理

重いもの
もてないだろー


雪子:
重いのは
もてないわ

軽いものが良いな

お祖父さん:
軽いもので
技術が必要で
雪子にもできる仕事

それが良いんだね

35


雪子:
そうなんだけど
やはり仕事しないとダメなの

お祖父さん:
私の仕事は
2回ダメになった

1回目は
農地改革で
持っていた田畑が
なくなってしまった。

それで
農機具の会社をすることにした。

2回目は
農業機械の発達で
農機具が使われなくなった。

それで
プラスチックス製品の会社を
作ったのです。

雪子:
プラスチックス製品の会社は
儲かっているんでしょう

お父さん言ってたよ


お祖父さん:
今は儲かっていても
明日はわからない

いつ
破綻するかわからないから
その日のために
仕事が
必要なんだよ

雪子:
そうなの
仕方がないな

どんな仕事が
私にできるの

36

お祖父さん:
それを考えていたんだけど
お医者さんとか
看護婦さん
薬剤師さんなんかが良いのでは
ないかと考えている

雪子:
お医者さんって
難しそうだし
看護婦さんって
しんどそう
薬剤師さんって
どんな仕事をする人

お祖父さん:
お薬を
調剤する人
何だよ

雪子:
調剤って

お祖父さん:
いろんな薬を
混ぜ混ぜしたり
作ったりする仕事

雪子:
お薬って
病気のときにのむ
あの薬だよね

お祖父さん:
そうだよ

雪子:
それ良い
だって
軽いもの

重いの
嫌だし
薬が良い

と言うわけで
軽いと言うだけで
進路が
決まったのです。

好きかきらいかとか
適性があるかどうかなど
全く
考えることなしに
決まってしまったことが
雪子にとって
よかったか
悪かったかは
人生終わりの時まで
わかりませんでした。

37


そしてその時から
雪子の
ちょっと
大変な挑戦が
始まったのです。

まずは
当時珍しい
中学生受験から
始まるのです。

雪子の
成績は
普通です。

勉強も
普通にしていました。

能力が
普通だったのです。

お祖父さんの
聡明な遺伝子も
父親の
真面目な
遺伝子も
受け継がず
どういう訳か
母親の
奔放な遺伝子の
半分だけ
受け継いでいたのです。

努力も普通
勉強も普通
結果として
普通です。

薬剤師になるためには
もう少し
勉強ができないと
いけないことは
明らかなことです。

そこで
中学生受験を
する事になりました。

38


小学校の先生が
やはりここは
中学生受験して
進学校に行く方が
勉強がはかどると
すすめたのです。

ちょうど
雪子の家の前の駅から
一駅向こうに
中高一貫
女子校があって
そこを目指すことにしました。

雪子は
放っておくと
すぐに
何せずに
机の前に座っているだけです。

大好きなマンガを
書いたり
積み木をしたりして
時間を費やしていました。

お祖父さんは
まず
家庭教師を雇って
雪子を勉強させることにしました。

家庭教師を
色々と
探しましたが
男の人では
問題が起こっても困るし
学校の先生は
副業禁止だし
女学生は
頼りないし
帯に短したすきに長しで
探しあぐねていました。

高給で優遇したら
集まるというものでもないようです。

最終的には
真知子の
母親に
決まりました。

39

真知子の母親は
高卒ですが
聡明です。

何よりも
雪子が
よくなついていて
言うことを
よく聞くのです。

真知子の母親は
会社の仕事もして
家の仕事もして
雪子の
家庭教師もして
大変忙しくなりました。

真知子には
殆どかまうことができなくなりました。

雪子は真知子が
可哀想なので
一緒に
家庭教師の
真知子の母親に
勉強を教えてもらえるように
しました。

真知子は
母親似にて
聡明だから
そんな必要がなかったのですが
3人ですると
雪子には
高架が上がるような
気がしました。

たぶん
効果は
気のせいでしたが
勉強が終わった後の
おやつが
楽しくなったのは
気のせいではなく
事実でした。

真知子も
真知子の母親も
雪子には
楽しくしているように見えました。

40

勉強の後の
おやつは色々あって
その上毎日
変わるのです。

雪子の
素直な反応は
「勉強って
美味しい」でした。

真知子も
喜んでいましたが
心の中では
母親をとられたという
どうしようもない感情だけが
残っていました。

勉強の成果もあって
どうにかこうにか
成績は
上がっていきました。

真知子には
優しすぎていた感も
ありました。

中学受験が思い立ってから
二年あまりが過ぎて
受験目前になります。

お祖父さんは
真知子の母親に
勉強の程度を
聞きました。

前よりは上がったものの
合格は微妙だと
真知子の母親は
話しました。

お祖父さんはそれを聞いて
策を使うことにしました。

昭和40年のことです。

私学の入学試験には
いろんな方法があったのです。

41

今では考えられないような
方法で
雪子は
一駅離れた
中高一貫の女子校に
通うことになります。

雪子は
電車を使うことは
今までは
希でした。

駅前の
商店街で
大方のことは
用意できるし
ハイキングや
家族旅行と言っても
当時は珍しかった
車を
利用していました。

父親が
車で
連れて行ってくれるのです。

電車に乗れるので
雪子は
ウキウキしていました。

入学式のときは
真新しい
制服で
行きました。

駅前の写真館で
家族全員で
写真も撮りました。

その写真は
写真館の
表に長く飾られていました。

中学の授業が始まると
雪子は
大変でした。

先生の話が
ちんぷんかんぷんなのです。

42


雪子には
だいぶ程度が高かったのです。

家に帰って
真知子の母親に
聞くことになりますが
中学生の問題は
難しいのです。

仕方がないので
真知子が
教えることになります。

真知子は
雪子の友達から
先生へと
昇進して
アルバイトの
謝礼も
もらうようになります。

真知子は
勉強の予習
復習
それから
理解力の劣る
雪子の教師と
殆ど
自分の時間はありませんでした。

ぐちも言わずに
頑張っていました。

中学校の授業料を
全額出してもらっていましたので
そんなことも
文句を言わなかった理由かも
知れませんでした。

雪子は
細かいことがわかりませんので
真知子は
友達で
親切で
教えてくれているのだと
思っていたのです。

雪子は
真知子を
親友だと
思っていました。

一生の友達と
思っていたので
雪子は
他には
殆ど友達がいませんでした。

43


真知子に助けられながら
雪子は
高校へ
進学します。

中高一貫ですから
試験なしに
高校生になりました。

制服が
少し変わって
ブレザーになりました。

地元でも
有名な
可愛い赤のリボンが
首もとについていて
雪子は
肌が白いので
よく似合っていました。

入学式の日に
同じように
写真館で
家族写真を撮りました。

同じように
写真館の
表に飾られることになります。

高校になって
雪子の
学力が
少しだけ上がって
ほんの少しだけ
余裕ができたので
クラブに入ることにしました。

お家では
お茶やお花・お琴などを習っていたので
それ以外の運動系が
良いなと思っていました。

友達の
真知子と
相談して
テニス部にしました。

44

テニスは
雪子の母親が
趣味で
していたので
したいと思っていた
スポーツでした。

雪子は
本当のところ
お祖父さんや
父親は尊敬していましたが
母親は
遊んでばかりで
尊敬していませんでした。

母親が
しているテニスも
簡単なスポーツだと
思っていたのです。

雪子の入った
クラブは
硬式で
硬いボールを
大きなラケットで
打つなんて
すぐできると
考えていました。

真知子は
反対に
テニスとは
難しいものを選んだと
思っていました。

雪子にできるか
心配でした。

テニスを
教えてと言われても
真知子になできないので
悩んでいました。

そんなふたりが入った
テニス部は
大阪府内では
有名な強豪校でした。

真知子の予想は
当たっていました。

雪子は
練習したけど
ラケットに
ボールが当たりません。

力任せに
雪子は
ラケットを
振り回しても
ダメでした。

45


再三再四
やってみたけど
ダメでした。

そんな話を
一度も
したことない母親にも
相談しましたが
「それは努力以外無い」と
具体性のない
答でした。

やはり
母親では
あまり役に立たないと
思いました。

ここは
お祖父さんに
尋ねるべきだと
雪子は
思いました。

お祖父さんは
お部屋で
何か
やっていました。

たぶん
これからの
会社について
深く考えているのだと
雪子は思いました。

そーっと
近づいて
お祖父さんに
話し始めました。

お祖父さんは
手を止めて
笑顔で
雪子を
見ました。

その笑顔を見た瞬間
雪子の悩みは
もう解決に向かっていると
思いました。

46

お祖父さんは
雪子には
硬式テニスは
荷が重いと
見ました。

強豪揃いの
部員でその中に
高校から始めた雪子が
できるわけがないと
お祖父さんは
わかっていました。

そこで
お祖父さんは
高校の
知り合いの理事と
相談することにしました。

理事は
お祖父さんに頼まれると
嫌とは言えないので
対策を
とることにしました。

高校の
使っていないところに
新しくテニスコートを作って
軟式テニス部を
作る計画です。

お祖父さんが
テニスコートを作る費用を
出して
新しく作る部です。

教師の中に
軟式テニス
できる者がいたので
監督となりました。

部員は
雪子と真知子でした。

硬式テニス部を目指して
入学してきた学生が多いので
軟式テニス部に
入ろうと考える
生徒は他にはいませんでした。

2面作られたコートは
明らかに過剰でした。

47

クラブ活動を終わる時に
コートの
掃除や整地などを
ふたりだけで
することになります。

練習する時間は
短くなりました。

部員を増やすことまでも
お祖父さんに
たのむのもどうかと
雪子は思いました。

お祖父さんは
可愛い雪子に
頼まれれば
何でも
引き受けるでしょうが
部員を増やすことが
できるかどうか
わからなかったからです。

監督は
雪子と真知子の
技能を
すぐに見抜いていました。

もちろん
真知子は
練習すれば
必ず県大会に出られる
逸材
雪子は
いくら練習しても
補欠でした。

軟式テニス
高校の大会は
普通はペアか
団体戦が多いのです。

雪子を
何とか鍛えないと
地方大会さえ出場できないと
監督は考えました。

その時から
雪子の
特訓が
始まったのです。

特訓といっても
真知子なら
なんてことない
練習でしたが
雪子には
大変荷が重い
ものでした。

 


48

当時は
スポ根ものの
ドラマが
よく放送されていたので
雪子は
主人公になったような
気になりました。

今の人は
スポ根といっても
大根の一緒とか
思っておられるかも知れません。

スポ根は
スポーツ根性ものです。

根性で
スポーツを
頑張るものです。

友情が
セットになっていて
ちょうど
真知子がそれです。

スポ根ものには
憎まれ役のものも
いたりして
それがいないのが
違うかなと
思っていました。

憎まれ役が
いなくて
よかったと
思い直しました。

スポ根ものの
筋書きなら
主人公は
頑張って
上手になることが
普通ですから
いくら
頑張っても
上手になれない
雪子は
これの方が良いのでは
思いました。

そんなこんなで
雪子のクラブ活動は
低調に推移します。

49

 

 

それに対して
真知子の腕前は
メキメキ上がりました。

監督よりも
上手にこなしていました。

どこで習ったのか
いろんな作戦も
習得していました。

大会では
ダブルスは
もちろん
1回戦敗退というか
惨敗です。

雪子が
打てなかったのです。

空振りあるは
場外ホームランを打つは
試合になりませんでした。

真知子は
こうなることがわかっていましたが
雪子は
意外で
なぜこんな風に
惨敗したのか
全くわかりませんでした。

シングルでは
真知子は
決勝まで進んだので
最後まで
競技場に残って
雪子は応援していました。

雪子は
真知子と同じ時から始めたのに
まぜ
真知子だけが
上達したのだろうと
不審がっていました。

隠れて
練習しているのではないかと
思いました。

50

雪子は
自らの技能不足を
知ることなしに
年月が過ぎていきます。

高校2年生になると
進路を
決めなければいけません。

雪子の進路は
薬学部と
決まっていましたので
進路には
悩みはありません。

いけるかどうかの問題です。

真知子は
悩んでいました。

お祖父さんに
雪子と同じ大学に
行って欲しいと
頼まれていたのです。

真知子は
薬剤師に
なりたいとは
思っていなかったのです。

なりたいものは
建築家でした。

有名な丹下健三に憧れていたのです。

建物のデッサンを
練習していました。

勉強の
間の
あまった時間は
建築の本を
読んでいました。

お祖父さんに
建築学科に
行きたいと
告げたのですが
お祖父さんからは
逆提案がありました。

51

お祖父さんは
雪子のことを
深く心配していました。

お祖父さんは
戦前の軍国主義
戦後まもない
激しいインフレ
農地改革
そして高度成長期
を経験して
この先
どんな風に変わっていくか
心配だったのです。

可愛い孫が
激動の
未来を生き抜くためには
絶対に
手に職を付けておく必要があると
考えていました。

雪子が
薬学部に行っても
卒業できるかどうか
心配なのです。

今まで
優秀な
真知子がサポートしていてくれたから
何とか来られたんだと
お祖父さんだけは
思っていたのです。

何が何でも
薬剤師になるまで
真知子が
必要でした。

違う大学に行ったら
それは叶わない
たぶん
雪子は
薬剤師になれないだろうと
思っていました。

そこで
真知子に
お祖父さんは
一応薬学部に行って
それから
学士入学で
建築学科に
行って欲しいと
頼んだのです。

学費のすべてを
出すし
卒業するまで
お給料を
払うという条件を
提案したのです。