ロフト付きはおもしろい

ロフト大好きの68歳の老人の日記です

ブログ小説「東大阪のお嬢さま『雪子』」その100まで


ブログ小説「東大阪のお嬢さま『雪子』」


あらすじ
江戸時代からつづく名家の秋月家に
生まれた雪子は
お嬢さまとして
育ちました。

秋月家自体は
大きく変わっていく
時代の流れに対応して
事業を拡大していきました。

そんな家族と
使用人
そして
使用人の子供で
親友の真知子に守られて
大きくなっていきます。

大学生になっても
雪子は
みんなに守られていました。

そんなところに
篠原君が現れました.

篠原君は
一途な
純粋な男性でした。

3年間以上
思い続けた
篠原君は
大きな誤解をしてしまいます。

雪子は
理由もわからず
急に離れていった
篠原君のことを
忘れられなくなりました。

__________________________

 


江戸時代には
大地主で
付近一帯を持っていた
秋月家は
大正時代の初めに
当主が
農機具を作る工場を始めました。

農業の
近代化が
叫ばれていた
時流に乗って
工場は
繁盛しました。

秋月農機具製作所という会社でした。

その経営者の家に
雪子は生まれてきました。

雪のように白い肌をしていたので
当時の当主で
お祖父さんは
その名前を選んだのです。

雪子の
父親は
養子でした。

遠縁の親戚で
それはそれは
賢くて
よく働くので
有名でした。

一方
母親は
根っからの金持ちで
お姫様育ちでした。

雪子が生まれた時には
人数はすこし少なくなっていましたが
女中(当時は女性のお手伝いさんを
そのように言っていました)が3人
おとこし(同じく男性の
使用人です)が2人いました。

それで
母親は
殆ど
家事などすることなしに
お花を生けたり
お琴を弾いたり
お茶を点てたりして
時間を過ごしていたのです。


2
雪子が
生まれたのは
朝鮮戦争特需で
日本中が
戦後から
脱却し始めていた
昭和27年のことです。

露地物の
イチゴが
出入りの業者から
よく持って来た
6月の18日に
生まれました。

雪子は
大学生の頃に
話題になって
気が付くのですが
『社会の悪弊』と
とも訳される
キャンサー:かに座でなくて
ふたご座になってよかったと
思いました。

当時は
星座なんて
考えませんでしたので
辰年です。

お祖父さんは
『この子は
昇り龍』だと
言い切っていましたが
これから始まる
雪子の
人生は
だれもがそうであるように
平坦なものではありませんでした。


思いやりたっぷりの
家族の中に生まれた
雪子は
子供に頃は
もちろん
幸せでした。



冬の寒い日は
大きないろりのあるお部屋と
大きな暖炉のある応接室で
過ごしていました。

暑い夏は
大きな母屋の
一番風が通る
土間の横で
涼を取っていました。

外に出ることなしに
いろんな事が
すませましたので
雪子は
太陽に当たることもなく
白い肌が
ますます白くなっていました。

だからといって
友達が
いなかったと言うことではありません。

同じ歳の
友達が
いつも家にいました。

その友達の名前は
真知子です。

真知子は
乳母の長女で
この先
大学まで
同じでした。

お祖父さんが
そのように
お願いしたからです。

雪子は
真知子の
家にも
行ったことがあります。

家の隣の
会社の従業員寮に
家族とともに
住んでいました。

雪子が
真知子の
家を最初に
訪れたときの
感想は
「こんなに
狭いんだ

どんな風に
暮らしているんだろう」でした。

もちろん
言いませんでしたが。


4.

真知子は
とても
雪子と
同じ歳とは思えぬ
聡明な
女の子で
自分の立場を
よくわきまえていました。

雪子は
ワガママな
お嬢さまではなかったけど
世間知らずでした。

だれも
雪子の常識が
普通の人の
非常識だと言うことを
告げなかったのです。

それは
雪子のことを
思って言わなかったのか
言っても
信じてもらえないと思って
言わなかったのか
わかりません。

雪子は
私立の
キリスト系の
幼稚園から
女子だけの
小学校・中学校・高校へと
行くことになります。

幼稚園だけが
男女共学でした。

幼稚園に
真新しい制服で
最初に登園した時には
お祖父さんは
写真屋さんを呼んできて
自宅の
桜の木の下で
記念撮影をしました。

その写真の
雪子は
髪の毛の長い
肌が白い女の子でした。

5.

幼稚園に
元気に
真知子と
最初は行っていました。

当時は
車が
殆ど通りませんでしたので
安全で
子供2人で
登園してました。

お祖父さんは
賢い
真知子が付いていたので
大丈夫と
思っていたのです。

少し暖かくなった頃
雪子は
体の調子が
悪くなってきました。

どこと言って
悪いのではなく
今で言えば
不定愁訴
と言うような
不調です。

家族は
大変心配して
お医者さんに見せました。

でも原因は
わかりません。

誕生日の頃になると
幼稚園に
行けなくなりました。

お祖父さんは
幼稚園が
嫌だから
そんな事を
言っているのかと
思ったくらいです。

真知子の
母親
即ち
乳母は
雪子が
本当に悪いのだと
思って
阪大病院に
連れて行くことにしました。

乳母に背負われて
大阪福島の
病院に行きました。


学生の
問診から始まって
予診
教授の診察
検査と
続きました。

朝は早くから来て
3時過ぎに
再び
教授の診察となります。

教授は
まさに
名医のように見えました。

今なら
血液検査で
たちどころに
わかる病気ですが
当時は
そのようなことがなくて
名医に頼るしかなかったのです。

医師は
おもむろに
首筋を
両手で
触りました。

柔らかい手でした。

少し
こそばいと
感じました。

医師は
よーく考えて
再度
触診して
話し始めました。

医師は
甲状腺異常です」と
もぞもぞと
言いました。

医学用語ですので
付き添いの乳母は
わかりませでした。

そこで
書いてもらいました。

メモ用紙に
甲状腺異常」と
書いてもらいました。

 


7

雪子は
小さいので
わかりませんでした。

乳母も
保護者でないので
診断結果を
持ち帰るだけです、

乳母は
結果を
両親と
お祖父さんに報告しました。

家族のみんなは
よくわかりませんでした。

お祖父さんは
仮病でなかったのだと
気が付いて
申し訳なく思いました。

教授の
次の診察日に
行くことになりました。

雪子もあわせて
総勢5人で
行くことにしました。

手ぶらでは
心許ないと
お祖父さんが言うので
大阪で
一番有名な
羊羹とカステラを
買って持って
行きました。

大学病院は
重い病気の方が多いので
殆どの患者には
付き添いがいまが
雪子の付き添いが
4人は
多い方でした。

狭い廊下で
立って待っていると
看護婦さんが
名前を呼びました。

5人は
ぞろぞろと
狭い診察室に入っていきました。


8

診察室には
大きめの椅子に
教授が座っていて
そのまわりに
インターン・看護婦が
立って待っていました。

この中に
5人が入れば
看護師の数人は
部屋から出るしかありませんでした。

大勢の
心配そうな
顔で眺められて
医師は
躊躇しました

ギュウギュウの
診察室で
医師は
大勢の
保護者に
丁寧に
同じことを言いました。

手術を
すすめました。

お祖父さんから
いろんな質問が
ありました。

本人の
雪子は
小さかったので
頭の上で
難しいことを
話し合っていたという
記憶しかありません。

最後に
お祖父さんが
「皆様で
お召し上がりください」と
持って来た
包み紙を渡しました。

「ありがとう」と
言って
医師は受け取り
助手に渡しました。

狭い廊下の片隅で
老練な
看護婦さんが
入院の予定について
詳しく説明を受けました。

あまり事情がわからない家族は
心配で心配で
仕方がありませんでした。

当の本人の
雪子は
大勢に
見られて
はずかしいとだけ
思っていました。

9

その日は
日も落ちた頃
家に着きました。

真知子が
心配そうに待っていました。

真知子は
家の前で
みんなの帰りを
待っていました。

学校の
プリントを
持って待っていました。

一同が帰ると
他のみんなから
質問攻めです。

お祖父さんが
報告をすると
みんなの心配は
大きくなりました。

手術したら
病気は
治るのだろうかと
みんなの心配は
そう言うところに
落ち着きました。

誰かが
阪大なんだから
大丈夫と
言って
話は終わりました。

そんな長い話しをしている間
雪子は
真知子と
楽しく遊んでいました。

その診断が
あってから
どういう訳か
雪子は
少しだけ元気になって
学校にも
行くことが
できるようになりました。

 

 

10


家族は
手術を
受けるべきか
するべきでないか
相当悩んで
話し合っていたようでした。

約束の
入院日が
来ました。

病状が
快方に向かっているとも
言えないので
やはり
手術することになりました。

学校に
母親が行って
話しをしました。

4人の大人と
1人の小さな病人は
入院受付から
看護婦さんに案内されて
6人部屋に案内されました。

お祖父さんが
個室を
お願いしておいたのですが
無理みたいでした。

お祖父さんは
もっと
偉い人に頼んだ方が
よかったのかと
心の中で思いました。

ベッドのまわりだけでは
納まらない
大人たちは
廊下で
待っていました。

看護師さんが
手術の説明を
医師がすると
連絡がありました。

5人の集団は
少しうつむき加減で
小さな会議室に入りました、

大人数の
患者の一団が
入ってきたの
インターン
慌てて
椅子を用意しました。


11


医師は
付き添いの
家族が
あまりにも
多いので
驚いている様子でした。

一通り
説明を受けました。

先生は
質問はありますかと
聞かれましたが
だれも
質問できませんでした。

手術は
翌日の
1時と言うことで
乳母だけが残って
後は
帰りました。

夕暮れが
近づいて
何かもの悲しい
雰囲気です。

雪子は
淋しくなって
うるんだ目になりました。

8時になると
面会時間は
終わって
乳母は帰ってしまうと
雪子は
もう淋しくて
怖くて
たまりませんでした。

眠気には
負けてしまって
寝込んでしまいました。

病院の朝は
早いです。

家なら
7時まで
ぐっすりと寝ているのに
6時前には
看護婦さんがやって来て
血液を
採取していきました。

12


いつもは
家の
ふかふかの布団で
ぐっすり寝ているのに
病院は
初めての
ベッドで
固い布団で
痛かったです。

ベッドは
こんなに固いもので
西洋人は
こんなもので
ゆっくり寝ているのだろうか
などと
病気とは
まったく関係ないことを
考えていました。


8時になると
食事の時間でしたが
雪子は
今日手術ですので
ありません。

そこで
病院内を
探検することにしました。

狭い廊下が
迷路になっていて
階段を
上がったり
下りたりしました。

そしたら
迷ってしまって
帰れなくなってしまいました。

どんどん
よからなぬ
方向に
進んでしまって
機械室みたいなところに
行ってしまいました。

病院内の
アナウンスで
雪子は
呼ばれてしまいました。

変える方向が
わからないので
ウロウロしていると
清掃員らしい人が
やって来て
受付まで
連れて行ってくれました。

13

雪子は
病院は
大きくて
得たいの知れないところと
思いました。

10時になると
乳母がやってきました。

知った人が
そばにいるだけで
安心しました。

11時になると
他のみんなもやってきて
賑やかになりました。

少しだけ
安心しました。

12時頃になると
看護婦さんがやって来て
手術の
前処置をしました。

長い髪の毛が
手術では
邪魔なので
束ねて
頭の上に
留められてしまいました。

鏡で
自分の姿をみると
いつもの
雪子とは
全く違いました。

なぜか
今の髪が
良いように
思ってしまったのです。

雪子は
「今度は
髪の毛を
短く切って欲しい」と
みんなに言ったのです。

大変な手術を
受けようとする
雪子の願いを
みんなが
拒むわけはありません。


14

雪子は
手術着に着替えて
それから
注射を打たれて
意識がもうろうとなりました。

看護師に抱かれて
手術室に
向かいました。

家族は
手術前の
控え室で
待ちました。

手術は
1時間ほどで終わって
看護婦さんに抱かれて
ベッドに帰ってきました。

麻酔が効いているのか
眠ったままでした。

首筋に
包帯が巻いてあって
血がにじんでいました。

痛々しい
様子で
みんなは
落ち込みました。

医師から
説明があるので
来るようにと言われて
みんなはぞろぞろと
ついていきました。

皿の上に
何か白いものが載っている
前に
座りました。

医師は
「手術は
成功したので
もう大丈夫」と
始めに言って
詳しく説明を始めました。

15

麻酔が覚めると
雪子は
「痛い
痛い」と
言いました。

6人部屋の
狭い病室では
付き添えないので
お祖父さんは
個室を
お願いしました。

お世話になっている
先生に
頼んで
特別室に
その日のうちに
変わりました。

特別室は
窓が大きくて
景色がよくて
広くて
何十人でも
入れるくらいの大きさです。

看護婦さんが
「特別室に
入院する
最年少記録だ」と
言っていました。

付き添いのものが
泊まれるので
乳母は
その日から
泊まりました。

真知子は
母親が
帰ってこないので
淋しく思いました。

医者の
言ったように
日に日に
傷は癒えて
日に日に
元の
雪子に戻りました。

一週間経つと
雪子は
退院になりました。


16

首の
手術の後は
まだ大きく残っていました。

抜糸したあとが
痛々しく見えました。

まだ暑い時期でしたので
服で隠すには
早いので
単純に
ガーゼを
巻いていました。

余計に目立つのですが
だれも言いませんでした。

手術から
時間が過ぎるとともに
雪子の
体調は
段々と
復活してきました。

学校でも
活発になっていましたが
完全復活と言うことでは
ありませんでした。

髪の毛が
首筋に触ると
ぴりぴりするのでした。

勉強しようとした時
髪の毛が
首に当たると
ぞーっとしてしまうのです。

病気のせいもあるのかと
医師は
言っていました。。

そんなある日
散髪をすることになりました。

約束通り
髪の毛を
刈り上げにするかどうか
迷ったのです。

散髪屋に連れて行った
乳母と真知子は
髪の毛を
切るのには
反対でしたが
事情が
事情ですので
刈り上げ
今で言えば
超ショートカットに
なったのです。


17

それまでは
長い髪で
お下げにしていた雪子は
大変身です。

当時の
男子の
一般的な
刈り上げになって
雪子は
さっぱりしました。

非常に軽いと
思いました。

その上
いつも嫌だった
「頭を洗う」が
超簡単になって
言うことなしだと
思いました。

小学校にも
休まず
行けるようになりました。

学校の先生が
うまく指導した結果
暖かく
ショートカットの
雪子が
学校に向かい入れられたのです。

もちろんその影には
真知子の
力もありました。

こうして
普通だと
思っていたのは
雪子だけだったのですが
普通の
小学校生活が
始まりました。

18

雪子は
小学生ですので
洋服を着て
靴を履いて
ランドセルを
背負って出掛けていました。

雪子が
入学した
昭和33年当時は
まだまだ
下駄履き
着物姿
風呂敷で
小学校に通っていた
子供もいました。

(嘘だろうと
思っている方もおられますでしょうが
本当です。

作者自体
母の手作りの
洋服でした。

カバンは
ランドセルでしたが
程度の低い
人工皮革で
すぐに傷むような代物でした。

4年生ぐらいなったときには
もう使えなくなっていたので
カバンを持って
行っていました。

同じような
クラスメートもいましたので
特に
そのことを
気にすることもありませんでした。)

真知子も
お祖父さんから
同じものを
贈られていたので
同じ服装で
通学していました。

真知子には
よくわかっていましたが
雪子には
全然わかっていませんでした。


19

雪子が
小学校に入学した
昭和33年には
雪子のお祖父さんは
村で一番早く
テレビジョンを
購入しました。

14型の
テレビで
会社の
休息室に
最初置かれました。

雪子の部屋からは
すぐですから
食後は
家族で行って
テレビを見ていました。

力道山のプロレス中継や
お相撲があるときには
従業員や
付近の人が
見に来ましたが
雪子は
一番前の
椅子が
指定席になっていたので
何人くらい
見に来ているということなど
気にもとめませんでした。

真知子も
少し小さめの
椅子に座って
テレビを
見上げていました。

翌年の
皇太子(今の平成天皇です)のご成婚のときには
もう一台
雪子の家にも
テレビジョンを購入したのです。

結婚式の
パレードを
家族だけで
見るために
買ったのです。

テレビが2台ある家は
当時は雪子だけでした

 


20

雪子は
テレビは
みんなで見た方が
楽しいと
思っていました。

真知子は
会社の休息室で
みんなと
見ていたことを
知っていたので
すこしだけ
うらやましく思っていました。

当の
真知子は
雪子がいないので
一番後ろで
何も見えなかったそうです。

馬車に乗った
美智子妃殿下は
綺麗だったと
おもいました。

雪子も
大きくなって
結婚したら
馬車に乗って
パレードしたいと
みんなに
宣言しました。

両親は
まだ先のことなので
「はいはい」と
生返事をしていましたが
お祖父さんは
「そのようになる様に
雪子頑張るんだ」と
答えました。

その日から
雪子の夢は
結婚して
馬車に乗って
パレードすることになりました。

そのためには
まず勉強と言うことになりました。


21

だからといって
雪子が
勉強に
熱心だったかというと
そんな事は
さらさらありませんでした。

受けついた遺伝子があったのか
算数は
できましたが
国語は
全くです。

ままごと遊びや
お人形ごっこ
それに
テレビに
夢中だったのです。

お人形といえば
小学校3年生になった時
だっこちゃんなるものが
流行しました。

いま考えれば
ビニルの風船のようなものなのに
当時としては
相当高額です。

買える人は
少数です。

お祖父さんが
流行りだした時に
ふたつ買ってきて
雪子と
真知子に渡しました。

雪子は
喜んで
学校に
持っていったら
みんなにうらやましく見られました。

そのあと
学校は
だっこちゃんを
学校に持ってくることを
禁止したので
学校に持って来た小学生は
雪子ひとりだったのです。

22

だっこちゃん以来
学校では
雪子は
有名になりました。

ひとつ間違えると
いじめの対象に
なる様なところです。

そんな事など
考えない
雪子は
何をするかわかりませんでした。

奔放自由と言ったらいいのでしょうか
雪子は
自分が
お金持ちであるという
自覚を持ち合わせていません。

そのために
雪子自身
そんなつもりはなかったのですが
金持ちを
自慢しているように
見えたのです。

真知子が
反感を感じないように
守っていました。

真知子は
聡明で
利発で
暮らすでは一番の
人気者です。

副委員長も
していて
クラスをまとめていました。

その力の
おかげで
雪子は
普通の
小学校生活を
おくっていたのです。

真知子に守られる
学生生活は
大学までつづくのですが
雪子は
そのことに気が付くのは
大学を
卒業して
真知子が
いなくなった時だったのです。

23
お祖父さんの
農機具の会社の売り上げが
落ちてきました。

鍬や
備中などの
農機具は
機械の
耕運機に
取って代わられていったのです。

お祖父さんは
新しい仕事を
始めなければならないと
考えて
雪子の
父親に言っていました。

お祖父さんも
父親や
会社の全員で
言い知恵を
出し合っていたのです。

そんな簡単に
新規事業が
見つかるわけもありません。

あーでもない
こーでもないと
探していました。

会議も
何回も
開かれました。

「会議は踊る」と
思うぐらい
時間ばかり浪費する
会議になっていました。

そんな会議に
何もわからず
プラスチックでできた
おもちゃ
具体的には
飛行機ですが
もって
乗り込んできたのです。

当時は
まだまだ
ブリキのおもちゃだったのですが
プラスチックは
珍しかったのです。

飛行機を
手で
飛ばしながら
お祖父さんのところに
やって来て
見せたのです。

お祖父さんは
その飛行機を
しげしげ見て
以前の
ブリキの
飛行機とは
全く
違うことに気が付きました。


24


経営者としての
お祖父さんは
なかなかのものです。

この先
プラスチックス
世の中の
ものつくりの
中心になると
その時見抜いたのです。

会議の面々に
プラスチックス
新規事業は
いくと
告げました。

みんなは
決まらない
会議に
うんざりしていたので
大方の
人達は
良かったと思いました。

雪子の父親だけが
なぜと
思って
聞きました。


プラスチックス
これからの商品で
色が綺麗だし
形も自由

これからは
軽い
プラスチックスだ」と
答えました。

そんな簡単に
決めて良いのか
作れるのか
心配だと
思ったのですが
養子で
発言権のない
父親には
それ以上は
言えませんでした。

そう言う理由で
新規事業のために
新しい会社が設立され
社長に
父親が就任しました。

25

方針が決まって
会社ができても
新規事業が
うまくいくとは
限りません。

プラスチックス製品を作ることと
それを売ることのふたつを
しなければなりません。

当時は
必要なものを作れば
売れる
高度成長期だったとしても
そう簡単ではありませんでした。

今まで
かじ屋みたいなことを
していたのに
これからは
全く関係ない
プラスチックスなのです。

まだ原理さえわかりませんでした。

そこで
プラスチックス射出機
の業者を探して
買うことにしました。

型が必要なのですが
型は
他の工場で
当分の間は
作ってもらうことにしました。

はじめは
ザルを
作ったのです。

今ならよくある
プラスチックス
ザルです。

当時は
竹カゴのようなものでしたのですが
プラスチックスのザルは
革命的で
とても
安かったのです。

それで
よく売れました。

26

会社の面々は
これは行けると
思いました。

少しでも早く
やり出した方が
勝ち組になると
思いました。

お祖父さんは
当時の最新式の
射出機と
型を作るための
旋盤やフライス盤を
一式買い込んで
仕事をやり始めたのです。

当時の
お金としては
相当なもので
文字通り
社運をかけたものです。

旋盤工も
雇い入れて
社員の数も増えました。

雪子の
父親は
慣れない
営業に一日中回っていました。

営業に回ると
世の中の
欲しいものもわかるので
楽しいと
思っていました。

 


雪子は
父親が好きです。

母親は
なんのかんのと言って
小言を言うのですが
父親は
無条件に
可愛がってくれますので
雪子は
好きだったのです。

そんな父親が
会社の仕事で
いないことが
多くなって
雪子は
淋しく思っていました。

27

いつもなら
夕方になると
会社から
家に帰ってきて
夕食までの時間
遊んでくれるのですが
この頃は
雪子が
寝るまでに
帰ってこないことも
よくあるのです。

日曜日も
出掛けていることが多く
雪子は
淋しく思っていたのです。

新規事業の
プラスチックス製品を
雪子は
怨みました。

小学3年生の真知子でしたが
事の次第を
よく承知していましたので
何とか取りなしていました。

そんなある日
雪子は
荒物屋で
頭を下げている
父親を見ました。

父親は
なにやら
金物屋
頼み込んでいました。

商品を
置くように頼んでいたのです。

頼み込んでいる
父親が可哀想になって
雪子は
思わず
金物屋に入りました。

そして
雪子も
金物屋さんに
頼み込んでしまいました。


28

 


金物屋さんは
小さい女の子が
突然
言ってきたので
唖然として見ました。

「色白の可愛いお子様ですね

社長さんの子供さん」と
聞いて来ました。

社長が返事すると
「仕方がないなー

こんな可愛い子供に
言われたら
嫌とは
言えないわ-」と
金物屋さんは
取引を
了承してくれました。

父親は
雪子のおかげで
売れたと
大変喜んで
雪子を抱いて
家に帰りました。

でも
雪子は
私の力で
もちろん
売れたとは
思っていませんでした。

父親の
熱意だと思っていました。

自分にはできないと
思っていました。

仕事の
難しさ・厳しさを
小学生としては
あらためて
思い知らされていました。

母親のように
何も考えずに
好きなことだけをして
暮らしていけたらいいなと
その時ぼんやりと
思った次第です。

29

雪子が
ぼんやりと
思っていたのですが
雪子が
ぼんやりしていたのは
いつものことでした。

何をするのも
ゆっくりで
ぼんやりです。

気が走っている
真知子が
横にいますので
その際立ちで
もっと
もっと
ぼんやりしていることが
明々白々に
なってしまいました。

雪子自身も
自分は
ぼんやりだと思っていたのです

雪子は
外見は
ぼんやりとしていたのですが
本当の気持ちは
心配でした。

この先
お祖父さんや
お父さんが何時までもいたら
暮らしていけるかも知れませんが
もしいなくなったら
雪子ひとりでは
絶対に生きていけないと
思いました。

路頭に迷って
行き倒れになるんじゃないかと
心配で
心配で
不安でした。

小学校
3年で
こんな不安を
持っていたのですが
他の人には
気付かれず
暮らしていました。


30

普通に
小学校で勉強できたのは
真知子のおかげです。

クラスのリーダー的存在でした。

真知子が
小学生としては
荷が重いのですが
陰に日向に
雪子を
手助けしていたのです。

雪子は
それがわかっていました。

でも
わかっていても
ぼんやりしていたのです。

そんな雪子は
お祖父さんに
相談したのは
小学校4年生になった
春でした。

この相談が
後日の
雪子に
大きく影響します。

その日は
天気のよい
春の日で
休みでした。

お祖父さんは
休みでも
仕事場にいくのですが
その日は
あまりにも
よい天気だったので
縁側で
帳簿を
見ていました。

雪子は
お祖父さんに
いつも可愛がられていたので
同じように
縁側に
宿題を持って
行きました。


31

雪子は
お祖父さんの
縁側が
好きでした。

お祖父さんは
小言を言わないし
いつも
お菓子が
机の上に置いてあるし
夏涼しくて
冬暖かい
天国のような
場所でした。

宿題を
持ってそこで
勉強すると
それはそれは
お祖父さんは喜んで
おやつを
くれました。

その日も
宿題をしていると
なにげに
お祖父さんの視線を
感じました。

それ程ジーッと
見られているわけでもなかったけど
わかったのです。

宿題の内容を
見ていたのです。

それと
雪子の
答を
見ていたのです。

算数の宿題でした。

お祖父さんは
暗算ができますので
答は
容易にわかりました。

雪子が
時間を費やして
筆算でしていたのですが
10問中7問まで
誤っていたのです。


32


お祖父さんは
背筋が
寒くなりました。

こんな問題を
間違っているようでは
雪子は
ひとりでは
生きていけないのではないかと
思ったのです。

お祖父さんは
平常心を持ちながら
雪子に
優しく話しかけました。

お祖父さん:
雪子は偉いね
宿題やっているんだね

雪子:
お祖父さんのお部屋は
勉強がはかどるの

お祖父さん:
それは良いね

ところで
雪子は
何になりたいんだね

雪子:
なりたいって
どういうこと

お祖父さん:
大人になったら
なりたいものだよ

雪子:
このままが
良いです。

お祖父さん:
そんな
大人になったら
なにかやりたいことはないのか

雪子:
そうだねー

思いつかない

普通は何なの

お祖父さん:
、、、、


33

雪子:
何かやらないと
ダメなの

じゃ
お母さんみたいに
お茶やお花
が良いな


お祖父さん:
それは
そう言うのは
趣味で
やりたいことと
違うのだよ

どんな仕事を
したいかということ

雪子:
仕事は
男の方が
することでないの

お祖父さん:
これからは
女性でも
働かないと
いけないんだよ

真知子ちゃんの
お母さんも
働いているんだよ

雪子:
真知子ちゃんの
お母さんって
働いていたの

知らなかった

お祖父さん:
うちの優秀な
従業員なんだよ

雪子:
偉いんだね。

私も
働くんですか

どんな仕事

お祖父さん:
それを
聞いているんだよ


34

雪子:
私わからない

楽しいのが
いいなー

お祖父さん:
50年働いてきたけれど
そんな仕事は
まずないなー

勤めること自体
大変なんだよ

技術がないと
ダメ

雪子:
技術?

お祖父さん:
何か技術
特技を持っていないと
仕事さえさしてもらえないかも知れない

雪子:
お祖父さんは
どんな技術?

お祖父さん:
うー
経営一般かな

雪子のお祖父さんは
溶接が上手なんだよ

雪子:
じゃ
私も
溶接習おう

お祖父さん:
溶接の仕事は
力がいるから
女性には
無理

重いもの
もてないだろー


雪子:
重いのは
もてないわ

軽いものが良いな

お祖父さん:
軽いもので
技術が必要で
雪子にもできる仕事

それが良いんだね

35


雪子:
そうなんだけど
やはり仕事しないとダメなの

お祖父さん:
私の仕事は
2回ダメになった

1回目は
農地改革で
持っていた田畑が
なくなってしまった。

それで
農機具の会社をすることにした。

2回目は
農業機械の発達で
農機具が使われなくなった。

それで
プラスチックス製品の会社を
作ったのです。

雪子:
プラスチックス製品の会社は
儲かっているんでしょう

お父さん言ってたよ


お祖父さん:
今は儲かっていても
明日はわからない

いつ
破綻するかわからないから
その日のために
仕事が
必要なんだよ

雪子:
そうなの
仕方がないな

どんな仕事が
私にできるの

36

お祖父さん:
それを考えていたんだけど
お医者さんとか
看護婦さん
薬剤師さんなんかが良いのでは
ないかと考えている

雪子:
お医者さんって
難しそうだし
看護婦さんって
しんどそう
薬剤師さんって
どんな仕事をする人

お祖父さん:
お薬を
調剤する人
何だよ

雪子:
調剤って

お祖父さん:
いろんな薬を
混ぜ混ぜしたり
作ったりする仕事

雪子:
お薬って
病気のときにのむ
あの薬だよね

お祖父さん:
そうだよ

雪子:
それ良い
だって
軽いもの

重いの
嫌だし
薬が良い

と言うわけで
軽いと言うだけで
進路が
決まったのです。

好きかきらいかとか
適性があるかどうかなど
全く
考えることなしに
決まってしまったことが
雪子にとって
よかったか
悪かったかは
人生終わりの時まで
わかりませんでした。

37


そしてその時から
雪子の
ちょっと
大変な挑戦が
始まったのです。

まずは
当時珍しい
中学生受験から
始まるのです。

雪子の
成績は
普通です。

勉強も
普通にしていました。

能力が
普通だったのです。

お祖父さんの
聡明な遺伝子も
父親の
真面目な
遺伝子も
受け継がず
どういう訳か
母親の
奔放な遺伝子の
半分だけ
受け継いでいたのです。

努力も普通
勉強も普通
結果として
普通です。

薬剤師になるためには
もう少し
勉強ができないと
いけないことは
明らかなことです。

そこで
中学生受験を
する事になりました。

38


小学校の先生が
やはりここは
中学生受験して
進学校に行く方が
勉強がはかどると
すすめたのです。

ちょうど
雪子の家の前の駅から
一駅向こうに
中高一貫
女子校があって
そこを目指すことにしました。

雪子は
放っておくと
すぐに
何せずに
机の前に座っているだけです。

大好きなマンガを
書いたり
積み木をしたりして
時間を費やしていました。

お祖父さんは
まず
家庭教師を雇って
雪子を勉強させることにしました。

家庭教師を
色々と
探しましたが
男の人では
問題が起こっても困るし
学校の先生は
副業禁止だし
女学生は
頼りないし
帯に短したすきに長しで
探しあぐねていました。

高給で優遇したら
集まるというものでもないようです。

最終的には
真知子の
母親に
決まりました。

39

真知子の母親は
高卒ですが
聡明です。

何よりも
雪子が
よくなついていて
言うことを
よく聞くのです。

真知子の母親は
会社の仕事もして
家の仕事もして
雪子の
家庭教師もして
大変忙しくなりました。

真知子には
殆どかまうことができなくなりました。

雪子は真知子が
可哀想なので
一緒に
家庭教師の
真知子の母親に
勉強を教えてもらえるように
しました。

真知子は
母親似にて
聡明だから
そんな必要がなかったのですが
3人ですると
雪子には
高架が上がるような
気がしました。

たぶん
効果は
気のせいでしたが
勉強が終わった後の
おやつが
楽しくなったのは
気のせいではなく
事実でした。

真知子も
真知子の母親も
雪子には
楽しくしているように見えました。

40

勉強の後の
おやつは色々あって
その上毎日
変わるのです。

雪子の
素直な反応は
「勉強って
美味しい」でした。

真知子も
喜んでいましたが
心の中では
母親をとられたという
どうしようもない感情だけが
残っていました。

勉強の成果もあって
どうにかこうにか
成績は
上がっていきました。

真知子には
優しすぎていた感も
ありました。

中学受験が思い立ってから
二年あまりが過ぎて
受験目前になります。

お祖父さんは
真知子の母親に
勉強の程度を
聞きました。

前よりは上がったものの
合格は微妙だと
真知子の母親は
話しました。

お祖父さんはそれを聞いて
策を使うことにしました。

昭和40年のことです。

私学の入学試験には
いろんな方法があったのです。

41

今では考えられないような
方法で
雪子は
一駅離れた
中高一貫の女子校に
通うことになります。

雪子は
電車を使うことは
今までは
希でした。

駅前の
商店街で
大方のことは
用意できるし
ハイキングや
家族旅行と言っても
当時は珍しかった
車を
利用していました。

父親が
車で
連れて行ってくれるのです。

電車に乗れるので
雪子は
ウキウキしていました。

入学式のときは
真新しい
制服で
行きました。

駅前の写真館で
家族全員で
写真も撮りました。

その写真は
写真館の
表に長く飾られていました。

中学の授業が始まると
雪子は
大変でした。

先生の話が
ちんぷんかんぷんなのです。

42


雪子には
だいぶ程度が高かったのです。

家に帰って
真知子の母親に
聞くことになりますが
中学生の問題は
難しいのです。

仕方がないので
真知子が
教えることになります。

真知子は
雪子の友達から
先生へと
昇進して
アルバイトの
謝礼も
もらうようになります。

真知子は
勉強の予習
復習
それから
理解力の劣る
雪子の教師と
殆ど
自分の時間はありませんでした。

ぐちも言わずに
頑張っていました。

中学校の授業料を
全額出してもらっていましたので
そんなことも
文句を言わなかった理由かも
知れませんでした。

雪子は
細かいことがわかりませんので
真知子は
友達で
親切で
教えてくれているのだと
思っていたのです。

雪子は
真知子を
親友だと
思っていました。

一生の友達と
思っていたので
雪子は
他には
殆ど友達がいませんでした。

43


真知子に助けられながら
雪子は
高校へ
進学します。

中高一貫ですから
試験なしに
高校生になりました。

制服が
少し変わって
ブレザーになりました。

地元でも
有名な
可愛い赤のリボンが
首もとについていて
雪子は
肌が白いので
よく似合っていました。

入学式の日に
同じように
写真館で
家族写真を撮りました。

同じように
写真館の
表に飾られることになります。

高校になって
雪子の
学力が
少しだけ上がって
ほんの少しだけ
余裕ができたので
クラブに入ることにしました。

お家では
お茶やお花・お琴などを習っていたので
それ以外の運動系が
良いなと思っていました。

友達の
真知子と
相談して
テニス部にしました。

44

テニスは
雪子の母親が
趣味で
していたので
したいと思っていた
スポーツでした。

雪子は
本当のところ
お祖父さんや
父親は尊敬していましたが
母親は
遊んでばかりで
尊敬していませんでした。

母親が
しているテニスも
簡単なスポーツだと
思っていたのです。

雪子の入った
クラブは
硬式で
硬いボールを
大きなラケットで
打つなんて
すぐできると
考えていました。

真知子は
反対に
テニスとは
難しいものを選んだと
思っていました。

雪子にできるか
心配でした。

テニスを
教えてと言われても
真知子になできないので
悩んでいました。

そんなふたりが入った
テニス部は
大阪府内では
有名な強豪校でした。

真知子の予想は
当たっていました。

雪子は
練習したけど
ラケットに
ボールが当たりません。

力任せに
雪子は
ラケットを
振り回しても
ダメでした。

45


再三再四
やってみたけど
ダメでした。

そんな話を
一度も
したことない母親にも
相談しましたが
「それは努力以外無い」と
具体性のない
答でした。

やはり
母親では
あまり役に立たないと
思いました。

ここは
お祖父さんに
尋ねるべきだと
雪子は
思いました。

お祖父さんは
お部屋で
何か
やっていました。

たぶん
これからの
会社について
深く考えているのだと
雪子は思いました。

そーっと
近づいて
お祖父さんに
話し始めました。

お祖父さんは
手を止めて
笑顔で
雪子を
見ました。

その笑顔を見た瞬間
雪子の悩みは
もう解決に向かっていると
思いました。

46

お祖父さんは
雪子には
硬式テニスは
荷が重いと
見ました。

強豪揃いの
部員でその中に
高校から始めた雪子が
できるわけがないと
お祖父さんは
わかっていました。

そこで
お祖父さんは
高校の
知り合いの理事と
相談することにしました。

理事は
お祖父さんに頼まれると
嫌とは言えないので
対策を
とることにしました。

高校の
使っていないところに
新しくテニスコートを作って
軟式テニス部を
作る計画です。

お祖父さんが
テニスコートを作る費用を
出して
新しく作る部です。

教師の中に
軟式テニス
できる者がいたので
監督となりました。

部員は
雪子と真知子でした。

硬式テニス部を目指して
入学してきた学生が多いので
軟式テニス部に
入ろうと考える
生徒は他にはいませんでした。

2面作られたコートは
明らかに過剰でした。

47

クラブ活動を終わる時に
コートの
掃除や整地などを
ふたりだけで
することになります。

練習する時間は
短くなりました。

部員を増やすことまでも
お祖父さんに
たのむのもどうかと
雪子は思いました。

お祖父さんは
可愛い雪子に
頼まれれば
何でも
引き受けるでしょうが
部員を増やすことが
できるかどうか
わからなかったからです。

監督は
雪子と真知子の
技能を
すぐに見抜いていました。

もちろん
真知子は
練習すれば
必ず県大会に出られる
逸材
雪子は
いくら練習しても
補欠でした。

軟式テニス
高校の大会は
普通はペアか
団体戦が多いのです。

雪子を
何とか鍛えないと
地方大会さえ出場できないと
監督は考えました。

その時から
雪子の
特訓が
始まったのです。

特訓といっても
真知子なら
なんてことない
練習でしたが
雪子には
大変荷が重い
ものでした。

 


48

当時は
スポ根ものの
ドラマが
よく放送されていたので
雪子は
主人公になったような
気になりました。

今の人は
スポ根といっても
大根の一緒とか
思っておられるかも知れません。

スポ根は
スポーツ根性ものです。

根性で
スポーツを
頑張るものです。

友情が
セットになっていて
ちょうど
真知子がそれです。

スポ根ものには
憎まれ役のものも
いたりして
それがいないのが
違うかなと
思っていました。

憎まれ役が
いなくて
よかったと
思い直しました。

スポ根ものの
筋書きなら
主人公は
頑張って
上手になることが
普通ですから
いくら
頑張っても
上手になれない
雪子は
これの方が良いのでは
思いました。

そんなこんなで
雪子のクラブ活動は
低調に推移します。

49

 

 

それに対して
真知子の腕前は
メキメキ上がりました。

監督よりも
上手にこなしていました。

どこで習ったのか
いろんな作戦も
習得していました。

大会では
ダブルスは
もちろん
1回戦敗退というか
惨敗です。

雪子が
打てなかったのです。

空振りあるは
場外ホームランを打つは
試合になりませんでした。

真知子は
こうなることがわかっていましたが
雪子は
意外で
なぜこんな風に
惨敗したのか
全くわかりませんでした。

シングルでは
真知子は
決勝まで進んだので
最後まで
競技場に残って
雪子は応援していました。

雪子は
真知子と同じ時から始めたのに
まぜ
真知子だけが
上達したのだろうと
不審がっていました。

隠れて
練習しているのではないかと
思いました。

50

雪子は
自らの技能不足を
知ることなしに
年月が過ぎていきます。

高校2年生になると
進路を
決めなければいけません。

雪子の進路は
薬学部と
決まっていましたので
進路には
悩みはありません。

いけるかどうかの問題です。

真知子は
悩んでいました。

お祖父さんに
雪子と同じ大学に
行って欲しいと
頼まれていたのです。

真知子は
薬剤師に
なりたいとは
思っていなかったのです。

なりたいものは
建築家でした。

有名な丹下健三に憧れていたのです。

建物のデッサンを
練習していました。

勉強の
間の
あまった時間は
建築の本を
読んでいました。

お祖父さんに
建築学科に
行きたいと
告げたのですが
お祖父さんからは
逆提案がありました。

51

お祖父さんは
雪子のことを
深く心配していました。

お祖父さんは
戦前の軍国主義
戦後まもない
激しいインフレ
農地改革
そして高度成長期
を経験して
この先
どんな風に変わっていくか
心配だったのです。

可愛い孫が
激動の
未来を生き抜くためには
絶対に
手に職を付けておく必要があると
考えていました。

雪子が
薬学部に行っても
卒業できるかどうか
心配なのです。

今まで
優秀な
真知子がサポートしていてくれたから
何とか来られたんだと
お祖父さんだけは
思っていたのです。

何が何でも
薬剤師になるまで
真知子が
必要でした。

違う大学に行ったら
それは叶わない
たぶん
雪子は
薬剤師になれないだろうと
思っていました。

そこで
真知子に
お祖父さんは
一応薬学部に行って
それから
学士入学で
建築学科に
行って欲しいと
頼んだのです。

学費のすべてを
出すし
卒業するまで
お給料を
払うという条件を
提案したのです。


52

真知子は
自分で
自分の進路を決めたかったのですが
お祖父さんの言葉は
重いとも感じていました。

それに
今雪子から離れると
たぶん
雪子は
挫折して
どのようになるか
容易に想像が付きました。

あと4年だけ
雪子と
同じ進路を
歩むことにしました。

あと4年
あと4年と
心の中で
念じていました。

4年ですむかどうかは
雪子の努力と
真知子の指導力
かかっていることを
だれよりも
真知子は
知っていました。


お祖父さんの
仕事は
順調でした。

というか
予想外の
成績でした。

雪子が
小学校のときに
創業した
秋月プラスチック株式会社は
時の流れに乗って
発展していました。

社名も
株式会社アキプラ
変えて
東京にも
販売拠点を置く
企業になっていたのです。

工場も
手狭になって
近くの工業団地に
新しい工場を建てました。

53

今までの
従業員の多くは
新工場へ行ってしまって
雪子の家は
静かになりました。

昼には
雪子の家近くの
従業員食堂で
社食が
出ていました。

新工場に移って
調理人も
いなくなって
閑散としていました。

私的な
使用人も
数人を残して
工場に行ってしまいました。

真知子の母親も
企画部室長として
新製品の開発を担当していました。

お家は
雪子の隣の
使用人住宅でしたが
お祖父さんが
建て替えて
立派なものにしていたのです。

もちろん
雪子の家よりは
断然小さいですが
新しいので
真知子の家族は
大変気に入っていました。

雪子は
真知子の家が
あまりにも新しくて良いの
お祖父さんに
雪子の部屋も
新しくしてもらおうかと
思ったのですが
お祖父さんが
いつも格式ある家と
誉めているので
辞めました。

54


雪子の
大学受験は
心配でした。

高校の担任からは
無理だから
志望を
変えた方が良いと
言われていました。

雪子は
ある程度は
努力していましたが
合格しなかったら
合格しないで
別に
かまわないと
思っていました。

お祖父さんは
策を使っても
雪子の将来のために
合格させるように
謀っていました。

特に
雪子には
死ぬまで秘密に
計画していました。

委細は
お祖父さんは
だれにも
言いませんでした。

お祖父さんの努力の成果か
どうかは
全くわかりませんが
雪子は
昭和45年の年末に
格通知が
大学からやって来ました。

合格した大学は
雪子の家から
二駅向こうにありました。

当時では
珍しい
薬学部なのに
共学でした。


55

今までは
女子校でしから
学校の様子は
180度変わっていました。

クラスは
180人で
男子が
60人くらい
女子が
120人くらいです。

男子が
大学にいるだけで
なんか
がさつで
ぼくとつで
女子そのものの
存在も
変わっていくように
感じました。

女子の
くどい会話や
ねたみ
そねみも
少なくなったように
思いました。

学生の間に
美人番付や
イケメン番付なるものが
自然発生的に
できあがるのです。

男子だけでなく
女子の間でも
美人というか
そう言うものの
順番が
なんとなく
決まっていました。

一番は
不動で
真知子でした。

真知子は
古い言葉ですが
才色兼備の
持ち主でした。

美人で賢い
真知子は凄い
人気でした。

でも
人気は
真知子にとっては
少し迷惑でした。

56


大学のパンフレットの
表紙にも
真知子が採用されました。

薬学部学舎の前の
芝生の上で
数人の女学生が
白衣を着て
教科書を持って
歓談しているというものです。

真知子が正面で足のシルエットまで
綺麗に写っていました。

雪子は
後ろ姿で
短髪なので
男子学生と間違うほどです。

パンフレットは
大学の内外に
掲示されました。

駅にも
貼られて
お祖父さんお目に留まります。

お祖父さんは
大学にお願いして
その
大きなパンフレットを
何枚か手に入れて
家に貼っていました。

1枚を
真知子に渡しました。

真知子は
笑顔で受け取りましたが
本心は
要らないと考えていました。

容姿で
有名になっても
それは若い時だけ
もっと人間の本質で
評価されたいと
思っていたのです。

真知子らしい
考えであることに
真知子以外が
気が付くのは
もっと後でした。

もっとも
雪子は
最後まで
気が付かないのですが、、。

57


1年生の夏休みことになると
学生の間に
ペアが
何組かのに生まれました

真知子に
言い寄る
男子学生は
いませんでした。

あまりにも美人だったので
近づくことさえ
男子学生に
躊躇させていたのです。

雪子にも
全くと言って良いほど
男子には
無縁でいた。

小学校で
病気になった時に
短髪にして
それを
ズーッと
引き継いでいました。

今の言葉で言えば
ベリーショートだったんです。

当時は
女性で
短髪など
あり得ませんでした。

そう言う点で
人気がなかったかというと
そうではなかったようです。

何となく
雪子には
近寄りがたいところが
あったのかもしれません。

真知子が
雪子を
そんな風に
守っていたのです。

一年の
後期にになると
薬学部特有の
実験が始まります。

 


58

薬学部の
当時の実験は
時間ばかり要して
閑なものでした。

例えば
生薬を
何時間も
煮だして
ただそれを見るだけです。

実験自体は
グループで行われます。

ふたりや
四人で
行います。

講義のときは
真知子が
いつも隣にいましたが
実習では
出席番号順に
班分けするため
真知子は
この時ばかりは
隣にいません。

雪子が
実習をする時の班分けですが
2人でする時は
古屋さんと

4人でする時には
松本君と
古屋さんと
後で問題になるのですが
篠原君です。

古屋さんは
真知子に次ぐ
頭脳の持ち主です。

いつもメモ帳を持っていて
とても
熱心です。

ふたりでする
実験は
殆ど
古屋さんがしていて
雪子は
見るだけでした。

レポートも
古屋さんに見せてもらって
提出していました。

松本君は
麻雀が
大好きで
実験中は
ほとんどいません。


59


松本君は
麻雀のために
一緒には
卒業できないようなひとでした。

同じ班になった人は
松本君を
知っていますが
他のクラスメートは
どんな人だったかも
知らないありさまでした。

ふたりの班分けのときは
松本君は
篠原君と
班を組んでいましたので
ふたりで実験する時は
篠原君は
いつもひとりでした。

孤立無援で
頑張っていますと
篠原君は
友達に言っていました。

この篠原君ですが
つかみ所がない
人物でした。

真面目なようで
冗談ばかり言うし
あまり賢そうに見えないのに
相当優秀だったのです。

学生の学費については
私学で
薬学部だったので
相当高額でした

それで
奨学金
もらっている学生は
多くいました。

当時の奨学金
貸与ではなく
供与だったので
優秀な学生は
特に薬学部の学生は
奨学金
多かれ少なかれ
もらっていたのです。

もちろん
所得制限があって
雪子は
もらえませんでせんでした。

ちなみに
真知子は
給与所得があるので
もらっていませんでした。

60


篠原君は
身なりが
粗末なものばかりで
貧乏人だと
みんなは思っていました。

雪子は
人を
貧乏だとか
金持ちだとか
そんな事は
全く考えない
人間ですが
普通の人は
そんな事を
感じるものです。

しかしながら
篠原君が
奨学金
もらっていないのです。

無償の
奨学金
もらえるほどの
成績なのに
変だなと
クラスメートは
思っていました。

古屋さんは
疑問は何でも
解明したい
性格だったので
みんなの前で
篠原君に
奨学金
もらわないのは何故」と
聞いてきたのです。

篠原君は
少し笑顔で
「所得制限で
もらえないんです」と
答えたので
雪子を除いて
その場の学生は
意外な表情をしていました。

特に
古屋さんの驚きは
大きくて
がっかりした様子でした。

「人を見る目が
まだまだだわ

もっと勉強しよう」と
思ったそうです。

61

雪子は
奨学金のことなど
知りませんでしたが
真知子に聞いて
篠原君が
お金持ちだと言うことを
知ったのです。


「私と同じくらいなのかしら」
と思いました。

でも
同じではなかったのです。

実際には
雪子は
雪子が
お金持ちではなく
お祖父さんが
お金持ちだったのです。

それとは反対に
篠原君は
中学生の頃から
事業をしていて
母親と
一緒に
資産を作っていたのです。

篠原君自身が
お金持ちだったのです。


雪子は
それを
知りませんでした。

篠原君が
お金持ちだとわかると
クラスメートの
女子たちは
何となく
篠原君を見るようになりました。

イケメンでもなく
女性と付き合ったこともない
篠原君が
少しだけ
ほんの少しだけ
もて期が来たのです。

篠原君は
そのことが
青天の霹靂でした。
62


女性と
付き合いたいと
思ったことは
何度かありましたが
いつも
片想いだった篠原君は
驚きです。

だからといって
その波に乗って
彼女を
作ろうとはしませんでした。

恥じらいのためか
ながく
友達もいないため
かたくなになっていたのか
理由はともかく
興味ないことを
装っていました。

そんな篠原君ですが
好きな人が
いたのです。

雪子が
好きだったのです。

色白の
ショートカットの
女性が
好きだったのです。

薬学部には
雪子より
可愛くて
美人で
性格のよい女学生も
多かったのに
その中のひとりは
明らかに
篠原君に
好意を持っていました。

その人を
袖にして
雪子を
好きになった理由は
篠原君自身も
わからなかったのです。

63

篠原君は
一途です。

雪子
一途です。

今で言えば
ストーカーだったかも知れません。

一途に
雪子を
好きなって
時間が経過しました。

4人で実験する時は
古屋さんが
実験のほとんどを
するので
閑なので
篠原君は
雪子に
話しかけました。

雪子は
仕方がないので
あわせていました。

そんな時間が
相当すぎていきます。

だれが見ても
篠原君が
雪子を
好きなのが
わかりました。

反対に
雪子が
乗り気でないことは
わかっていました。

迷惑に
思っているように
みんなには
わかりました。

真知子が
少しは
助けに行くのですが
実験を口実に
やめていました。

建前では
早く
自立して欲しいということで
本心では
雪子ばかりに
手をかけられないと
いうことで
そうしたのです。

 


64

 


隣の班との合同で
エキスポランド
(現在はなくなってしまいましたが
当時は
新しくて
人気の
パビリオンでした。)
に行く予定を立てました。

雪子は
そんなところが
好きだから
行くことを
約束しました。

古屋さんは
やめたかったのですが
これも付き合いかと思って
行くことにしました。

松本君は
なかなか
話ができなくて
少しだけ会えた
篠原君が
言ったら
すぐに断られました。

エキスポランドより
麻雀のほうが
良いらしいのです。

「篠原君は
雪子さんが
行くのだから
必ず
いくよねー」と言って
行くかどうかさえ
聞かれませんでした。

篠原君は
行くかどうか
迷っていました。

行くのは
日曜日ですが
家業を
手伝うのが
篠原君は
決まっていました。

何と言っても
資産家ですので
休むことがないのです。

その日の朝まで
悩んでいたのですが
事業に
少しトラブルがあって
行くことができなくなりました。

当時は
携帯電話というものがありませんので
連絡もなしに
やめたのです。

 

 

65

雪子は
エキスポランド
すごく
楽しかったと
真知子に話していました。

真知子以外と
遊びに行ったことは
なかったので
ちょっと変な感じだったらしいです。

篠原君が
来ていないのが
物足りなかったですが
楽しかったのです。

次の日
実習で
篠原君に
雪子は
会いました。

ドタキャンしたことを
バツが悪そうにしていました。

雪子は
「篠原君が
来なかったので
残念でした」と
少しお世辞を言ったのを
篠原君は
本気にとらえました。

誤解が
生まれたのです。

そんな小さな誤解でも
篠原君の中では
大きくなっていくのです。

はじめは
雪子に
そんな気は
まったくないのに
篠原君が
「雪子に
言い寄った」という構図です。

今なら
ストーカー云々と言うことになりますが
当時は
そんなものなかったし
雪子が
嫌がるほどの
状態ではなかったのです。

雪子は
篠原君は
面白い人
一緒にいると
楽しい人と
思っていたのです。


66

4人で実習する時は
いつものように
篠原君は
雪子と話しをします。

一方的に
篠原君が
話している方が多いのですが
篠原君の
饒舌というか
面白い話しとか
世の中のことに通じているというか
そう言う話しをしたのです。

雪子は
家では
ほとんど話しをしません。

朝の挨拶と
食事のときの儀礼的ことば
就寝時の挨拶ぐらいです。

母親は
いつも出掛けて
家にいませんし
父親は忙しいですし
お祖父さんは近寄りがたいですので
そんな風になっていたのです。

今に始まったことではないので
別にと
思っていました。

真知子とは
小学校中学校高校とは
よく話しましたが
大学になってからは
少し変わってきて
一緒に
大学に来ることもなく
帰ることもなく
あまり話しいていなかったのです。

雪子は
大げさに言えば
話すことに
飢えていました。


67

2年生になると
雪子は
実習のときは
一番近い
同姓の
古屋さんとは話さず
篠原君と
話すことの方が
多くなっていました。

実習自体も
週2回になって
回数も増えました。

雪子は
何とはなくですが
実習が好きになっていました。

その原因が
篠原君とは
まだ気が付かなかったのですが
勉強を
がんばり始めていました。

2年生になると
篠原君は
ダブルスクール
経理学校の
簿記コースに
入学したのです。

週2回で
実習のない日に
夜学に
行くのです。

雪子と
実習のときに
そのことを
もちろん話題にしました。

複式簿記
なかなかよくできていて
云々、、、、、」

話しました。

専門的ですので
雪子は
全くわからなかったのですが
わかったような
フリをして
「うん
うん」と
少し笑って
言いました。

68


雪子に
そう言われると
応援されていると
勘違いする
篠原君です。

篠原君は
全く畑違いの
簿記に
頑張っていました。

日商3級の次は
日商2級の試験を
秋の日曜日に
受けに行くことになりました。

雪子に
話すと
応援しに行くと
言うのです。

受験を
どのように
応援するのか
篠原君には
意味不明でしたが
応援は
嬉しかったです。

古屋さんが
そんな話しを聞いていて
「雪子さんが
応援しに行くと
篠原君が
興奮して
正しい答を
得られないのでは」と
言ったのです。

平素は
古屋さんは
他の人のことを
考えずに
実験だけをしていると
みんなは思っていたので
意外でした。

それに
言っていることが
的を射ているし
やはり
古屋さんは
他の人と違うと
思った次第です。

そしてその助言に従って
雪子は
試験の
応援には行かなかったのです。

篠原君は
がっかりしました。

でも
篠原君は
合格したのです。


69

合格して
篠原君は
大変喜んでいました。

雪子は
篠原君が
合格したことを聞いて
素直に喜んでいました。

篠原君は
それを見て
またまた
大きな誤解を
してしまいました。

雪子が
篠原君を
好きだと
思ったのです。

篠原君は
この誤解になかなか
気が付きませんでした。

そんな目で見ると
雪子が
篠原君を
好きだと思う
出来事が
多いのです。

例えば
実習のときの出来事とか
たまたま会った学生食堂の出来事とか

振り返って
きっと
雪子は
好きだと
思ってしまったのです。

そう思うのには
相当の合理性が
あると
理屈っぽい
篠原君は
理論武装していました。

篠原君は
愛情は
誤解から生まれることに
気が付くのは
何十年も
経ってからでした。


70

篠原君は
3年生になりました。

篠原君の
母親が
投資の目的で買った
三田の山が
雑草で覆われてしまいました。

苦情を処理するために
篠原君は
休みの日に
草刈りに出掛けました。

広い土地ですので
朝早く出掛けて
イッパイ働いて
暗くなってから
帰ってきました。

昼ご飯
山の上で
景色を眺めながら
お弁当を食べました。

遠くの山々
眼下の湖
そして足下に
すみれが咲いていました。

篠原君は
すみれの花を
みっつ摘み取って
持って帰りました。

持って帰った
すみれは
新聞紙に挟んで
押し花にしました。

新聞を取り替えて
20日ほど経つと
押し花になってしまいました。

すみれ色は
少し変色したけど
まだまだ
すみれでした。

篠原君は
家にあった板と
ガラスと
アルミアングルで
額を作って
すみれを
入れました。

篠原君は
その出来栄えに
自分ながら
満足していました。


71

篠原君は
作った
すみれの押し花入り
額縁を
雪子にあげました。

実習の暇な時間に
カバンから
取りだして
雪子に渡しました。

野草の
すみれを見たことのない
雪子は
何だかわかりませんでした。

すみれが
野草だとは
何となくわかっていたのですが
押し花というものが
わかりませんでした。

3年生の実習で
生薬の標本つくりで
押し花と同じことをするのですが
その日まで
もらった
すみれの押し花は
雪子にとっては
不思議の塊でした。

それを受け取ったことによって
篠原君の
誤解は
もっと大きくなりました。

雪子も
一概に
誤解とは
言えなくなってきていたのです。

一途に
自分を思ってくれる
篠原君を
悪い人間とは
思わなかったのです。

段々と
自分の中で
不思議な
気持ちが
大きくなってくるのを
雪子は
感じていたのです。

72

3年生の
夏休み
薬学部生の
大方は
大変でした。

有名な
生薬鑑定試験があるのです。

100を超える
生薬の見本の
和名と
漢方名
植物の学名を記憶します。

夏休み明けに
提示された
生薬について
それを
口頭で答えるという試験です。

和名と
漢方名は
何とか覚えられるのですが
学名が
ラテン語
日本人にとって
意味不明なのです。

古屋さんは
歌にして覚えると
言っていました。

古屋さんなら
歌にしなくても
覚えられると
みんなは思っていたのですが
歌にして覚えるひとが
半分ぐらい
そのまま覚える人が
半分ぐらいです。

記憶が
達者な
真知子は
そのまま覚える派です。

別に難なく
1週間ほどで
覚えてしまって
試験日まで
記憶が残るか
心配するほどでした。

73

雪子は
この人生最大の難関を
どのように
克服するか
大問題でした。

歌にしても
歌自体を
覚えられないし
そうかと言って
真知子のように
そのまま覚えることも
簡単には
できません。

ただただ
記憶するしかないと
考えました。

人生始まって以来の
勉強です。
夏休み
それにかかりっきりでした。

家族にみんなも
いつも楽天的な
雪子の
変化に
驚いていました。

そんな長い夏休み
クラブ活動に励む
真知子を
応援するために
一度だけ
大学に行ったのです。

夏休みの
大学は
いつもと違って
閑散としていました。

学舎のまわりの
木にとまっている
蝉が
やたらやかましく鳴いているのが
耳に入ってきました。

真知子の卓球の試合を
応援していると
篠原君が
近づいてきました。

研究室に用事があって
来ていたのです。

74

ながらく
会っていなかったので
雪子は
懐かしく思いました。

篠原君は
思いが叶ったと
思っていました。

ふたりは
用事が済んだので
一緒に
帰ることになりました。

はじめてです。

大学通りと呼ばれる
駅までの
道を
ふたりで歩きました。

いつも
実習室では
隣の席で
しゃべっているのに
緊張してしまいました。

電車が来て
乗り込みました。

昼時だったので
電車は
がらがらで
隣同士に
座りました。

篠原君は
胸がドキドキしました。

雪子は
それがわかっているのか
「篠原君緊張しているの」と
言って
笑っていました。

雪子は
二駅先の
布施で下ります。

少しだけ
冗談で
「次で
篠原君も下りたら」と
話したら
いつも控えめな
篠原君が
「うん
ボクも下りる」と
言ったのです。

雪子は
この意表を突かれて
内心穏やかではありません。

75


ふたりで
布施駅におりました。

当時は
布施駅は
高架工事で
そこらじゅうを
掘り起こしたりしていました。

雪子の家は
駅からは
すぐです。

駅前のロータリーがなかった頃は
自分の土地だけを使って
駅から家まで歩けたのです。

すぐに家に着いてしまいました。

篠原君は
便利な家だと
褒め称えましたが
雪子は
「そうなのかしら」と
思うばかりです。

雪子は
友達が
真知子しかいませんので
真知子以外の人を
家に連れてきたことはありません。

それが
今日は
篠原君です。

初めての
お友達で
男の子だったので
みんなはびっくりしました。

雪子は
家や工場を
案内しました。

今は
プラスチックの工場の
大方の部分は
近くの
工業団地に
引っ越しして
試作品を
作るところだけを
残していて
工場内は
閑散としていました。

76

機械好きの
篠原君が
好きなところを
全部見せたので
雪子は
篠原君は
かえるだろうと
思っていました。

雪子が
毎日暮らす
大きな古い家の
立派な玄関まで
来た時に
母親が現れて
家に招き入れたのです。

玄関に入ると
旧家の作りは
驚くほど
立派です。

そんな目で
家を見ていると
母親が
雪子に
「家の中を
案内してあげたら」と
言ったのです。

それで
雪子は
家の中を
案内しました。

大きな廊下
凝った作りの座敷
おくどさんがいくつも並んだ台所
煙抜きの高い窓
驚きながら
見て回りました。

北向きの
風通しのよい
一番奥の座敷に
雪子は
案内しました。

「ここが
夏でも
一番涼しいところ
エアコンよりも
快適なんだよ

夏はいつもここで
寝ているの」と
言いました。

篠原君の自分の家よりは
格段の差です。

本当に快適だったのです。


77

「ここ涼しいね」と
篠原君は
気に入ってしまいました。

雪子の母親が
おやつを
持って来ました。

夏ですので
アイスクリームと
ジュースです。

母親は
篠原君に
いろんな事を
聞いてきました。

どこに住んでいるとか
親は何をしているかとか
兄弟は何人で
何番目かとか
今なら
就職試験でも
聞かない項目でした。

別に
隠すことでないし
母親の
優しい声で聞かれると
話してしまいました。

その後
ふたりで
ゆっくり食べました。

篠原君にとっては
棚からぼた餅
青天の霹靂
偶然の積み重ねというので
こんなに
雪子と
仲良くできて
嬉しかったです。

永遠に
この時間がつづけばよいのにとおもい
このまま
この座敷に
住みつこうかと
思ったのですが
そうとはいかず
帰る時間になったので
雪子に
門まで送ってもらい
かえりました。

夕方になって暗くなると
門までたどり着くのは
難しいので
雪子は
送ったのですが
それが
篠原君には
最も
嬉しかったのです。

 


78

誤解と
偶然で
篠原君の
雪子への愛は
大きく膨らんでしまったのです。

一緒に
大学通りを歩いたこと
電車に乗ったこと
家に行ったこと
お部屋でアイスクリームを食べたこと
送ってくれたことを
思い出すと
胸が痛くて
今までの愛情が
変わりました。

雪子を
ただ遠くから
見ているだけでなく
独り占めしたくなりました。

別に報われなくてもいいと
思いつつ
3年間も経って
こんな事態が起きると
報われるべきだと
考え出しました。

具体的には
雪子を
どのように独占するのか
全くわかりませんでした。

それどころか
根拠となる
事実が
間違っていることを
篠原君は
理解していなかったのです。

その頃
雪子の家
秋月家では
凄い騒動が
起きていたのです。

雪子が連れてきた
真知子以外の友達が
男の子であったという事実と
その男の子の情報が
使用人を含めて
家中の人の
知るところになりました。

夕食が
会議のようになってしまったのです。

79

秋月家は
旧家です。

記録では
数百年つづいています。

秋月家を頼る
親類縁者
使用人は
十数人いて
何代もいます。

秋月家の存亡は
その人たちの
生活がかかっています。

雪子の母親は
養子を来てもらって
家を継いでもらいました。

今の
秋月家の
隆盛は
お祖父さんと
雪子の
父親の
おかげだと
みんなは
思っていました。

雪子は
ひとりっ子で
秋月家を継ぐのは
雪子と
その結婚相手です。

雪子は
もうひとつですので
その結婚相手に
頼ることになります。

この繁栄が
つづくように
結婚相手は
厳選しなければいけません。

そこで
雪子が連れてきた
篠原君が
その適格者かどうか
会議が開かれたのです。

 


80


いろんな事を聞かれました。

篠原君は
商才があるかどうかが
核心ですが
それを確かめるために
聞いてきたのです。

これらの話しは
雪子が
篠原君を
好きだという前提で
話されていました。

そのことは
一度も聞かれなかったので
雪子は
答えませんでしたが
好きかどうか
単刀直入に聞かれれば
どのように答えたか
わかりませんでした。

一年生の頃は
どちらかと言えば
ずうずうしい人と思っていました。

2年生になって
面白い人と
思っていました。

すみれをもらった頃は
相当気があるのかと
思っていました。

徐々に
「ひょっとして
私って
篠原君のことが
すきかも」と
考えるようになって
しまっていたのです。

やっぱり
わからなかったのですが
みんなが
こうも盛り上がると
「たぶん好きが
やっぱり好きかも」になっていったのです。

 


81

篠原君を見る目も
雪子は変わっていきました。

そのわずかの変化を
篠原君は
わかりました。

今までは
誤解で
「雪子さんは
ぼくが好きだ」と
思っていたのが
「絶対に
雪子さんは
ぼくが好きだ」に
変わりました。

3年生の
夏休みが終わって
例の
生薬鑑定試験が
行われることになりました。

いつもの
実習の時間に
準備室に呼んでの
試験です。

試験自体は
老練な
実験助手が
行います。

ひとりずつ
呼び出されて
無作為に選んだ
生薬を見せられて
答えるものです。

学籍順に
行うので
古屋さん
雪子
松本君
篠原君の順です。

初回に合格するのは
今までは
2割くらいです。

実験室で
待っていると
いつもの
のほほんとしてる雪子ではなく
かなり緊張の雪子でした。

82


まず
古屋さんが試験場に向かいました。

1番ですので
緊張していましたが
結果は
すぐ出ました。

もちろん
合格で
間違ったのは
ひとつだけでした。

つぎに
雪子
明らかに緊張していて
ことばも
しどろもどろ
ふたつだけしか答えられず
不合格でした。

松本君は
久しぶりに
みんなに出会いました。

結果は
言いませんでしたが
もちろん
不合格のようでした。

篠原君は
どういう訳か
合格です。

この時は
篠原君自体が
理解していませんでしたが
試験運が
とてもよくて
覚えていたものだけが
出たのです。

篠原君の結果は
幸運としか言えませんでした。

篠原君は
雪子が
不合格になったことを
心配していました。

だからといって
記憶するのを
篠原君が
手伝うことを
進言するのも
はばかりました。

拒否されたら
どうしようと
思っていたのです。

83


雪子を
教えたいと思ったのですが
躊躇してしまいました。

雪子に
助け船を
出したのは
もちろん
真知子です。

真知子は
全問正解です。

雪子は
「古屋さんに
勝ってよかったね」と
言うと
「勝った負けたじゃないよ

別に
古屋さんと
競争していないし」と
答えました。

雪子は
賢い人は
他人のことなど
どうでも良いんだと
あらためて思いました。

真知子の
雪子の指導は
相当
スパルタ式でした。

自分は
まだ覚えているので
生薬見本を見せて
雪子に答えさせる
そんな繰り返しです。

学校から帰って来てから
ずーっと
寝るまで
ズーッと
です。

再試験前になると
朝練と言って
早起きして
しました。

しかしその成果は
再試験でも
出ませんでした。


84

再々試験に臨むのですが
教授も
少しだけ救済と言うことで
100以上あった
対象生薬を
50まで絞りました。

汎用の生薬ですので
何となく
知っているものも
あるようです。

再々試験のつぎは
ありません。

雪子は
焦りました。

真知子も
焦りました。

このまま
雪子が
留年でにもなったら
真知子の
進路にも
影響が出ます。

真知子は
もう
必死です。

先生の
真知子が
いつもの違うので
いつも
おっとりしている
雪子も
がんばっていました。

それを見た
篠原君は
あんな
雪子も
あるんだと
そのときはじめて
見ました。

「真剣な
雪子も
可愛い」と
あらためて思いました。

 


85

火事場のバカ力のおかげで
最後まで残っていた
雪子は
めでたく
合格しました。

雪子自身
びっくりしていました。

自分の力を
信じていなかったのです。

松本君は
留年が決まって
それ以来
授業には
出てきませんでした。

篠原君は
ふたりの実験のときでも
ひとりでしていました。

そんな時に
テレビで話題になったのは
超能力ブームです。

スプーン曲げです。

雪子は
信じていました。

そして
自分にも
超能力がないか
調べてみたのです。

少なくとも
スプーンは曲げられないけど
予知能力があると
思ったのです。

その日の天気を
あてることもできたし
電車の混み具合とか
真知子の現れる時間も
予見できたと
思っていました。

篠原君は
そんな予言なら
だれでにでにできると
思ったのですが
言いませんでした。

それも
雪子の
良いところだと
考えていました。


86


3年生が終わって
4年生になりました。

春休み明けで
はじめてあった
雪子は
春の装いをしていました。

いつものように
ピンクのスカートを
履いていましたが
どこか
違っていたように
篠原君には見えたのです。

4年前期は
実習が
ひと枠しかないので
直接話せるのは
週一です。

遠い存在に
なってしまったのです。

雪子が
どこか違うのを感じたのは
理由があります。

4年生になる時に
真知子が
来年からは
「東京に行く」と
聞いたからです。

真知子に助けられ
真知子のおかげで
今まで
問題なく
生きていけていると
雪子は
考えていました。

雪子だけが
そう思っているのではなく
父母はもちろん
お祖父さんも
使用人も
古屋さんはじめ
大学のみんなも
一部の大学の先生さえ
そう思っていたのです。


87

雪子は
ひとりでは
一人前の仕事は
できないと
思っていたのです。

色々と
悩んで
ズーッと悩んで
ひとりで
生きていけないなら
やっぱり結婚かと
思いました。

母親を見ていて
やはり
いい人と
結婚するのが
最善の策と
結論でした。

その結論は
雪子を知る
すべての人の
結論でもありました、

父母を見ていると
結婚相手は
雪子を
こよなく愛してくれて
その上
資産を持っていて
商才のある人が
最善であることが
わかっていました。

周りを見ると
だれの目にも
篠原君しかいません。

篠原君は
母親と
事業をしていて
資産もほどほど
それに
商才もあるようです。

そのうえ
雪子を
少なくとも
好きだし
それは
もう
3年以上も
続いているのも
事実です。

88

篠原君は
雪子の
結構複雑な
悩みを
もちろん理解できません。

ほとんど会わないし
口頭で
そんな悩みを
聞いたこともないので
知りませんでした。

知っていたら
渡りに船
雪子と
お付き合いを
するのですが
知らないのが
この先大きな
災いの元になります。

篠原君は
雪子の
そんな考えを
全く知りませんでした。

雪子は
高嶺の花
雪子への思いが
成就することなど
あり得ないの
この頃考えてしまっていたのです。

会えないことも
その考えを
増幅させました。

でもそれだけでは
雪子を
諦めるような
篠原君ではなかったのですが
事件が起きたのです。

雪子にとっては
事件でもない
平凡な出来事だったのですが
篠原君は
人生を
大きく変える
大事件だったのです。

89

事実を
最初に言えば
薬学部で
1番の
人気者というか
すこし古いことばで言えば
ドンファン」なのですが
南君というのが
いました。

付き合っている
女性が
複数いて
授業中も
後ろで
仲良くしているのです。

もちろん
篠原君は
うらやましくもあり
軽蔑もしていました。

篠原君の
対極にいた人物です。

そんな
南君が
雪子と
大学通り
一緒に歩いて
一緒の電車に乗って
一緒に
布施で下りました。

南君は
就職で
薬剤師募集をしていた
雪子のお祖父さんの
薬局に
就職活動していたのです。

直接
社長に
会えるこのチャンスを
雪子に
作ってもらったのです。

事務的な
用事だったのですが
南君は
どんな女性にも
人なつっこく
応対していました。

それを
はじめから
終わりまで
篠原君は
見ていたのです。

90

篠原君は
その情景を見て
次の様に誤解してしまいました。

雪子は
南君と
付き合っていて
その度合いも
相当だと
考えたのです。

結論は
「ぼくの居るところはない」
でした。

篠原君は
気が弱いので
ふられるとわかっているところには
近づきません。

面と向かって
雪子に
「篠原君は嫌い」なんて
言われたら
救いようもない
無間地獄に落ち込んでしまいます。

それから逃れるためには
雪子に
近づかないこと
見ないことを
心の中で
誓ったのです。

ちょうど
夏休みになって
会える機会もなくなって
その誓いは
実行されることになります。

夏休み明けからは
雪子は
卒業のための講義
篠原君は
衛生工学の研究室で
卒論の研究になっていて
物理的に
会うことは
できなくなっていたのです。

篠原君は
卒業研究に
没頭しました。

もちろん
雪子を
忘れるためです。

雪子に会いそうな
5階の講義室には
絶対に近づかずに
朝早くから
よる暗くなるまで
研究室にこもっていました。


91

雪子は
夏休み前から
篠原君に
会えないのを
淋しく思っていました。

なにかにつけ
あーだ
こーだと
面白い話しをしてくれて
言い寄る風でもなく
そうかと言って
突き放すようでもない
暖かい
そんな話が
できないのが
本当に残念に
思っていたのです。

雪子は
最初のうちは
会えないのは
物理的なためだと
思っていました。

夏休みだし
雪子は講義だし
篠原君は研究室だし
会えないのは
当然だと
思っていました。

でも時間が過ぎていくと
なにか違う様な気がします。

卒業講義で
担当している
教授に
呼ばれました。

教授は
お祖父さんに頼まれて
卒業できるように
秘策を
教えるためでした。

研究室に行くと
たまたま
篠原君が居たのですが
実習のときの
篠原君とは
全く違っていたのです。

なにか無視するような
目を合わさないような
よそよそしい感じもしました。


92

雪子は
篠原君が
「私を避けている。」
「私を無視している」
「私を嫌いになった」
と思うようになりました。

でもなぜ
突然
変わったのか
理解できませんでした。

本当は
変わっていないけど
なにか気分が悪くて
そんな応対になったのかとも
思ったのです。

そう思って
時間は過ぎていきました。

まず当面の
卒業講義を
克服する必要があり
その次に
難関の
薬剤師試験を
合格しなければなりません。

この頃は
全く会えない
真知子は
それに加えて
大学入試勉強もしていたのです。

難関の
東京の
建築学部を目指していたのです。

雪子に言わせれば
真知子は
天才だから
大丈夫で
それ程
苦労していないのではないかと
考えていました。

バカな
私は
たぶん
真知子の
何十倍も
努力していて
でもそれは
無駄働きになることが多くて
評価してもらえない
と考えていました。

93

真知子の助けを受けることなしに
雪子は
今回は
努力していました。

何とか卒業して
薬剤師になって
お祖父さんの薬局に勤めて
独り立ちするという
夢を
持っていました。

あっ
夢じゃいけない
何が何でも
実現しないと
いけないと考えました。

そして
努力したのです。

雪子の言によれば
史上最大にして
最長の努力だったそうです。

机に
へばりついた記録を
毎日更新しました。

試験勉強をすればするほど
なにか
篠原君の
無視するような
行為が
思い出されます。

「篠原君」→「無視」
「無視」→「篠原君」
「篠原君」→「無視」
「無視」→「篠原君」
「篠原君」→「無視」
「無視」→「篠原君」
「篠原君」→「無視」
「無視」→「篠原君」
「篠原君」→「無視」
「無視」→「篠原君」
と堂々めくりです。

勉強に
のめり込めば
のめり込むほど
気がかりになりました。

とりあえず
卒業試験に合格すれば
卒業式で
篠原君と会えると
考えて
答としました。

別に篠原君が
好きと言うこともないのに
何故こうなるんだろうとも
考え込むことも
ありました。

94

そんな日々が続いて
ついに
卒業試験の日が
来ました

家族の者も
知っていて
ピリピリした
雰囲気でした。

わりと
試験は
できました。

いつもの
楽観的な
雪子に戻ったのです。

それでも
数科目
落ちていて
追試になりました。

火事場のバカ力で
くりぬけました。

最終の
卒業者名簿に
やっとこさ
載ったのです。

卒業式の日が
やって来ました。

今なら
大学の卒業式は
女子は
袴が主流ですが
当時は
スーツか
普段着でした。

そんな中
雪子は
振り袖でした。

誰かに見せたいので
振り袖にしたのです。

雪子は
肌が白いので
振り袖が
似合うと
みんなに言われていたのです。

95


忙しい中
お祖父さんや
父母も
雪子の
晴れ姿を見るために
卒業式を
見に来ていました。

もちろん
真知子も
来ていました。

いちだんと映える
衣装の雪子は
みんなに見られました。

薬学部の
卒業者の名前が
読み上げられ
雪子は
立ち上がりました。

松本君は
飛ばして
篠原君が呼ばれましたが
立ち上がるものは
いませんでした。

篠原君は
卒業式を
欠席していたのです。

雪子は
辺りを見回しましたが
篠原君の姿は
ありませんでした。

雪子は
がっかりしました。

卒業式が
最後の会える
チャンスなのに
会えなかったのです。

篠原君は
そのころ
家で
勉強していました。

卒業証書は
翌日にでも
学生課で
もらうつもりでした。

篠原君は
雪子に会わないように
行かなかったのです。


96

そこまで
雪子と会うのが
嫌だったのです。

面と向かって
「あんたなんか嫌い」と
雪子に
言われたら
回復しがたい
ダメージを受けて
一生暗い人生を
送ることになると
考えていたのです。

会わなければ
言われる心配もないし
雪子を
愛した日々は
美しいまま
思い出として
残ると
どういう訳か
篠原君は
思いました。

その影響を受けたのは
雪子だけです。

雪子は
理由もわからず
これ見よがしに
卒業式にさえ
出てこないことに
大きなショックを
感じました。

全身から
血の気が引くのを
雪子は感じました。

倒れそうになりましたが
ぐっと我慢していると
涙が
出てきました。

周囲のものは
そんな事は
わかりませんので
卒業式で
泣いているのだろうと
思っていたのです。

97


卒業式が終わると
茶話会のようなものが
用意されていたのですが
雪子は
家に帰ってしまいました。

卒業式に来ていた
お祖父さんや父は母
卒業式が
そんなに
悲しいのだろうと
普段見せない様子に
驚いていました。

家に帰ると
自分の部屋に
閉じこもっていました。

夕ご飯も
ほんの少しだけ食べて
電気を消して
ベッドに入りました。

寝るような時間でなかったので
寝られないけど
寝ていると
少しは
忘れられるような
気がしたのです。

うつらうつら
寝ていると
夢を見ました。

雪子は
普段から
夢をハッキリと
見ます。

いつも
勉強している夢です。

「夢の中で
勉強したから
お昼間は
勉強する必要は
ないわ」というのが
雪子の
決めセリフでした。

そんな夢を見ることが
多かったのですが
その日の
夢は
違っていました。

98

普段は
絶対に出てこない
篠原君が出てきたのです。

篠原君は
「幸せになって下さい」と
だけ
言って消えてしまいました。

それが
妙に
リアルで
ありありと
記憶しているのです。

夢は
見ていても
起きると同時に
忘れるのに
忘れません。

いつもの篠原君は
ひょうきんなのに
超真面目で
その点でも
現実とは違っていたのです。

そんなことを思いつつ
卒業式の
翌日は過ぎ
翌々日にも
同じ夢を見たのです。

「これは
篠原君からの
超能力を使った
連絡なの」と
思ってしまいました。

そんな事を
思っていたのですが
間近に近づいた
薬剤師試験を
乗り越えなければなりません。

当時の
薬剤師試験は
雪子にとっては
超難関ですが
勉強すれば
何とかなるレベルだと
真知子が言っていました。

篠原君のことは
一時保留して
最後の
追い込みをすることにしました。


99

真知子は
東京の
国立の建築系の
大学に
合格が決まっていました。

雪子が
薬剤師試験に
合格さえすれば
真知子に
子供のときから
与えられていた
すべての
ミッションを
クリアしたことになります。

朝早くから
夜遅くまで
1対1で
教えました。

当時の薬剤師試験は
過去問を完璧に
覚えていたら
合格できるのです。

何度も何度も
過去問の制覇です。

真知子の
厳しい見立てでも
合格レベルの
50パーセントまで
達していました。

試験が翌日に迫った日も
朝から晩まで
勉強して
雪子は
意識がもうろうとなっていました。

篠原君のことなど
考える余裕さえなくなっていました。

その日は
すぐ寝て
朝まで
ぐっすりです。

夢さえ見ませんでした。

100

薬剤師試験は
2日間にわたって
行われます。

一日目は
いつも楽観的な
雪子でさえ
険しいという感触でした。

二日目には
心を落ち着けて
受験しました。

真知子に教わったのです。

二日目は
何となくできた気がしました。

合格発表を
待つだけになりました。

真知子は
試験の翌日
東京へ
旅立っていきました。

雪子には
型どおりの挨拶はありましたが
何故か
よそよそしく感じました。

そのよそよそしさが
篠原君のことを
思い出させたのです。

別れ際に
雪子は
最後の質問をしました。

「私って
仕事できないでしょう。

お祖父さんに頼んで
お金をもらおうと思うの

何千万円くらいあると
一生利子で暮らせるでしょうか」と
とんでもないことを
尋ねたのです。

真知子は
「そんな事ないよ。

雪子は働けるよ。

今の利率なら
5000万円くらいかな。

利率が変わるから
1億くらいないと
心配かも知れない」と
最後の
質問の答を
言いました。

雪子は
もう会うこともないと
確信しました。

お祖父さんは
雪子に
薬局を
手伝うように言いました。

初めての仕事です。