ロフト付きはおもしろい

ロフト大好きの71歳の老人の日記です

昭和35年頃の小学校の続き

小学校について相当何回も話題にしていますが、
今日は、花壇についてお話ししたいと思います。
私の行っていた学校の敷地の中に
水路(農業用水路)が通っていました。
水路は、いずれお話ししますが、
歴史的に有名な大井組(おおゆぐみ)の幹線水路です。
常に藻川の水が当時は、さらさらと流れ、
もちろん小魚も泳いでいました。
話は、脱線しますが、北校舎の西側の入り口を出ると、
直ぐにこの水路があり、落ちそうになります。
事実何人かは、ここから落ちました。
私は、ここからは、落ちていません。

話を元に戻して、
その水路の西側の一帯が花壇の領域です。
広さは、今見るとたぶん300坪ぐらいあります。
私が行った当時は、そこは、花壇と言っても荒れ地で、
何も作られておらず、
時々小学生が当番で草引きをしていました。
また罰で草引きをしたこともあります。

この花壇は、話によると
戦時中・戦後30年頃まで
菜園として、サツマイモが作られていたそうです。
食糧難で困っていたんですね。
もっと言えば、運動場や中運動場・北運動場も
サツマイモが作られた時期があったそうです。
花壇ならサツマイモを作りやすいけど
運動場にサツマイモを作るのは、相当困難であったと思います。
(兄は、運動場を耕したと言っていました)
皆さんのいった学校にもそんな花壇=菜園ありましたか。
あったかもしれませんよね。