ロフト付きはおもしろい

ロフト大好きの71歳の老人の日記です

最後の転機は訪れるだろうか

私は

齢65才になってしまいました。

 

母の会社の手伝いから

代表者になって

数十年が経ちます。

 

新しい転職などもうできませんので

この先の転機は

会社を辞める時しかありません。

 

でも

この会社を辞めると

だれがこの会社を

引き継ぐのでしょうか。

 

たぶんないので

私は辞められません。

 

と言うわけで

この先の転機は

あたしが

死んだ時でしょうか。

 

人は最後には

死ぬほどの病気になるか

死ぬほどの事件事故に遭うかです。

 

どちらも痛そうで

辛そうです。

 

最後の転機は

どうか

痛くない辛くない最後が

迎えられますように

お願いします。

 

ブログ小説「東大阪のお嬢さま『雪子』」その56

大学のパンフレットの
表紙にも
真知子が採用されました。

薬学部学舎の前の
芝生の上で
数人の女学生が
白衣を着て
教科書を持って
歓談しているというものです。

真知子が正面で足のシルエットまで
綺麗に写っていました。

雪子は
後ろ姿で
短髪なので
男子学生と間違うほどです。

パンフレットは
大学の内外に
掲示されました。

駅にも
貼られて
お祖父さんお目に留まります。

お祖父さんは
大学にお願いして
その
大きなパンフレットを
何枚か手に入れて
家に貼っていました。

1枚を
真知子に渡しました。

真知子は
笑顔で受け取りましたが
本心は
要らないと考えていました。

容姿で
有名になっても
それは若い時だけ
もっと人間の本質で
評価されたいと
思っていたのです。

真知子らしい
考えであることに
真知子以外が
気が付くのは
もっと後でした。

もっとも
雪子は
最後まで
気が付かないのですが、、。

ブログ小説「東大阪のお嬢さま『雪子』」その55

今までは
女子校でしから
学校の様子は
180度変わっていました。

クラスは
180人で
男子が
60人くらい
女子が
120人くらいです。

男子が
大学にいるだけで
なんか
がさつで
ぼくとつで
女子そのものの
存在も
変わっていくように
感じました。

女子の
くどい会話や
ねたみ
そねみも
少なくなったように
思いました。

学生の間に
美人番付や
イケメン番付なるものが
自然発生的に
できあがるのです。

男子だけでなく
女子の間でも
美人というか
そう言うものの
順番が
なんとなく
決まっていました。

一番は
不動で
真知子でした。

真知子は
古い言葉ですが
才色兼備の
持ち主でした。

美人で賢い
真知子は凄い
人気でした。

でも
人気は
真知子にとっては
少し迷惑でした。

ブログ小説「東大阪のお嬢さま『雪子』」その54

雪子の
大学受験は
心配でした。

高校の担任からは
無理だから
志望を
変えた方が良いと
言われていました。

雪子は
ある程度は
努力していましたが
合格しなかったら
合格しないで
別に
かまわないと
思っていました。

お祖父さんは
策を使っても
雪子の将来のために
合格させるように
謀っていました。

特に
雪子には
死ぬまで秘密に
計画していました。

委細は
お祖父さんは
だれにも
言いませんでした。

お祖父さんの努力の成果か
どうかは
全くわかりませんが
雪子は
昭和45年の年末に
格通知が
大学からやって来ました。

合格した大学は
雪子の家から
二駅向こうにありました。

当時では
珍しい
薬学部なのに
共学でした。

今日は大腸内視鏡検査受けました

今日は

少し早起きして

大腸内視鏡検査のための

下剤を飲みました。

 

3度目なので

失敗もなく病院に行って

検査を受けました。

 

初診の方が

急に増えたので

予定時間より

1時間以上ずれました。

 

たぶん

鉄人衣笠さんが

大腸癌で亡くなったことに

起因しているのではないかと思います。

 

検査の結果は

ポリープもなく

問題がありませんでした。

 

もうすこし

この世の中で

生きて行けるみたいです。

 

 

ブログ「東大阪のお嬢さま『雪子』」その53

今までの
従業員の多くは
新工場へ行ってしまって
雪子の家は
静かになりました。

昼には
雪子の家近くの
従業員食堂で
社食が
出ていました。

新工場に移って
調理人も
いなくなって
閑散としていました。

私的な
使用人も
数人を残して
工場に行ってしまいました。

真知子の母親も
企画部室長として
新製品の開発を担当していました。

お家は
雪子の隣の
使用人住宅でしたが
お祖父さんが
建て替えて
立派なものにしていたのです。

もちろん
雪子の家よりは
断然小さいですが
新しいので
真知子の家族は
大変気に入っていました。

雪子は
真知子の家が
あまりにも新しくて良いの
お祖父さんに
雪子の部屋も
新しくしてもらおうかと
思ったのですが
お祖父さんが
いつも格式ある家と
誉めているので
辞めました。

転機の二度目は5年後です。

神戸市役所を辞めてから

2年間

私は貸し家を作っていました。

 

それができあがって

私は

就職することにしました。

 

私は

大学をふたつ行っていて

建築と薬学です。

 

薬学では薬剤師になりましたが

その資格を

一度も使っていませんでした。

 

人生長いんだから

一度くらい

薬剤師として

働いてみたいと思ったのです。

 

ハローワーク

(当時は職安と言っていました)

に行って

求人票を見て

近くの

薬局を探しました。

 

たまたま

見た薬局に

履歴書を持って

面接に行くと

「前職のお給料は

いくらくらいでしたか」と

聞かれて

「20万円くらいです」と答えると

「それでは

少しだけ多い給料にしましょう」といわれて

採用されました。

 

手取りで

27万円くらいだったようにおもいます。

 

もう少し高く言っておけばとは

当時は

全然思っていませんでした。

 

薬局の

管理薬剤師です。

 

全く経験がありません。

 

研修などなしに

店頭に立って

いきなり販売です。

 

とりあえず

笑顔だけの

店員になっていました。

 

勤めた薬局は

6店舗持つ

有限会社で

職員の

研修には

力を入れていました。

 

週いちくらいで

なんだかんだと

仕事の後

研修がありました。

 

今になって思えば

その研修は

職務だったのに

残業手当がついていなかったですが

とても

有意義でした。

 

それから後の

家業の手伝いに

どれだけ役に立ったか

計り知れません。

 

人生に

何年かは

接客業をした方が

良いと思います。

 

経験として勤めていたので

辞めようと考えていました。

 

でも

なぜ辞めようと

思っていたのか

今になっても

わかりません。

 

お客様も

同僚も

社長も

いい人で

勤めやすい

薬局でしたのに

なぜ辞めようと

考えたのか

何度考えても

わかりません。

 

私の転職は

わからない方が

多いですね。

 

転職ってたぶんそうなんじゃないかと

思います。

 

切羽詰まった

転職の経験はありませんので

こういう面だけで言えば

幸せだったんでしょうね。