ロフト付きはおもしろい

ロフト大好きの71歳の老人の日記です

ブログ小説「ロフトに住むレジ係」前編全話

何となく
新たに
ブログ小説を
書いてみようと
思い立ちました。

いつものように
例の構想1分です。

近くのホームセンターに行ったとき
寒い
風が舞い込むところで
かいがいしく
働く女性を
描いています。

もちろん
このお話は
盛り上がりもありませんし
平坦で
筋書きが貧弱で
どんでん返しもありません。

当然ながら
期待しておられないと思いますが
温かい目で
読んで下さい。

ご批判は
あとでまとめてお願いします。


加代美は
普通の家庭に生まれました。

いわゆる中流家庭でしょうか。

30年ローンの
持ち家で育ちました。

小学校3年生の時に
自分のお部屋を
持つことが出来ました。

成績は
中くらい
友達も
普通の女の子で
今も
つきあっている
クラスメートもいます。

そんな
加代美は
地元の
偏差値が
50程度の
普通の
大学の
文学部に
入学しました。

文学が好きだとか
文才があるとか
言うのではなく
単に
学力レベルが
合っていたからに
他なりません。

努力しました。
普通に努力しました。

加代美は
普通の努力で
充分だと考えていました。

当時は
バブルのはじめで
普通の努力で
充分な会社に
就職でき
それなりに
お給料も頂けた時代でした。

大学で
楽しんで
4年生の夏から
就活(当時はそんな言葉はありません)して
不動産会社に
就職しました。

今になって考えると
就職先を
間違ったのですが
当時では
家族からや友達からは
うらやまれました。

お給料がよかったのです。

何しろ
不動産バブルとか言われていたくらいですから


そんな会社で
加代美は
庶務・受付係でした。

色んな仕事を
するのですが
重要な仕事と言えば
お茶出しです。

会社を訪れるお客様に
お茶を出します。

もちろん上等なお茶で
100g何千円や何万円というものがありました。

営業のサイン(お茶・緑茶という良い分けでで
高い方のお茶を出します。)を聞いて
うまく出さないといけません。

上手に
出すことが
大きな社命です。

横で聞いていると
何千万とか
何億とか言う
金額が
ポンポン出てきます。

加代美は
大学で
茶道のクラブに入っていましたし
お茶に興味もあったので
お茶の入れ方に
熟達していました。

お茶の入れ方と
笑顔での接客で
上司いや社長からも
誉められたことも
何度もあります。

加代美は
勤めた会社で
普通にがんばりました。

がんばっている加代美を見て
ある取引先の
男性が
アタックしてきました。

バブル甚だしいときですので
有名なホテルで食事
クリスマスには
サプライズプレゼントとしての
ネオンサイン
赤いスポーツカー
等々

今で考えれば
分不相応な
ものの数々だったように
思い出されました。

そして結婚
猛と
加代美は
結婚の運びとなりました。


豪華な結婚式と
海外旅行にも行きました。

そして新居は
新しく買ったマンションでした。

夫婦は
別の会社ですが
ともに不動産会社に勤めていましたから
早く買った方が
得だと思っていたのです。

買った翌月には
マンションが上がる
時期だったのです。

猛は
会社で
モーレツに働きました。

朝早くから
夜は
12時頃まで
働きました。

猛と
加代美の
休みも
全く違っていましたので
すれ違いの毎日で
1ヶ月に
数日会えればいい方というような
月日が過ぎました。

でも
ふたりは
仕事が充実していたことと
会ったときには
パーッと
使ったので
満ち足りていたのでしょうか。

マンションの
月々の支払いも
順調に
繰り上げ
返済もしていました。

しかしあるときから
突然
不動産が
思ったように
売れなくなったのです。

加代美も
お茶を出す
階数が減ったように
感じていました。

そんなバブルの絶頂なときは
皆様もおわかりのように
終わってしまいます。

住専が
破綻すると
バブルの崩壊は
決定時となり
寒い冬の時期が
やってくることになります。






猛と加代美が勤めている
別々の会社が
同時に経営不振になりました。

猛の
残業もなくなりました。

それどころか
ボーナスは
全額カット
になってしまいました。

以前より
時間は
充分に
ありますが
何かふたりの間には
しっくりきません。

豪華な外食がなくなって
家庭料理になって
それが
ふたりの間に
反対に
隔たりを作ったとは
普通の常識では考えられません。

それに輪を掛け
お金の問題が出てきました。

マンションの
ローンの
ボーナス払いが
出来ないのです。

ふたりの蓄えは
今のマンションを買うときの
頭金に使ってしまい
その上毎月の収入は
ローンの繰り上げ返済と
ふたりの
遊興費に使ってしまっていたのです。

収入が激減するなど
予想だにしませんでした。

猛は
銀行に
相談して
何とかその場を
しのぎました。


しかしふたりの経済的な問題は
これだけではありませんでした。

ふたりの勤めていた
別々の会社は
時を同じにして
倒産してしまったのです。

ちょうど
冬で
蓄えのない
ふたりは
失業保険を受け取る
失業者になってしまいました。

そんな中でも
猛は
友達との
つきあいと称して
遊びに行ったのです。

加代美は
この状況を
理解できていない
猛には
ついて行けないと思いました。

何となく
心のすれ違いと
経済的な激変が
加代美の
猛への愛が
薄れ
憎しみへと
変わってい行くのを
感じたのです。。

加代美は
悲しくなりました。

このままでは
「人を恨んでしまう」
と思いました。

そこで
猛と
分かれることを
決心しました。

猛に言うと
加代美の
心の中が分かったのか
分からないのか
分かりませんが
同意してくれました。

すこし
加代美は
そんな猛に
がっかりしました。

マンションの
時価価値と
ローンの残額が同じくらいなので
マンションは
猛に渡し
加代美は
実家の
近くに
お部屋を借りることにしたのです。

加代美は
そんな合意が出来た日から
お部屋探しに
なりました。

まだインターネットがない時代ですから
不動産屋さん周りに
なりました。

今後のことを
考えると
なるべく安い
家賃のお部屋を
借りたいと思っていました。

実家近くの
木造のアパートで
4.5畳一間の
小さなお部屋でした。

しかし当時は
バブル時代が破綻したと言えども
家賃の高い時代で
月5万円でした。


そのお部屋で
人生初めての
一人暮らしが始まりました。

父親は
援助すると
言ってくれましたが
あえて
出来るだけひとりで
やりたかったのです。


新しい住まいは決まりましたが
働き口は
未定です。

バブルが終わって
冬の時代が始まって
職安に行っても
職が
見あたらない状況です。

当時言われていた
3Kの職場しかなかったのです。

バブルの時のような
笑顔で
お茶を出しているだけで
お給料を
もらえる時代は
遠に終わっていたのです。

加代美は
もう若くないので
それも
働き口がなかった理由です。

ひと月がすぎ
父からもらった
蓄えも
少なくなってきました。

面接を何度も受け
やっと
お弁当屋さんに
勤めることができました。

賃金は
最低賃金です。

やっとこさ
仕事を得て
加代美は
嬉しかったのです。

初めての
肉体労働で
初日は
大変疲れました。

翌日には
筋肉痛でしたが
がんばって働きました。

がんばって働くのは
当たり前と
自分に言い聞かせて
働きました。

加代美の
最初の仕事場は
バックヤードで
お客様と接することはなく
仕事に
接客のための
笑顔は
必要なかったのです。

言うなれば
加代美の
得意を
生かせなかったのです。


お弁当屋さんの仕事は
朝番夜番に分かれていて
女性の加代美は
夜勤はなかったのですが
残業は多く
休みは
週一度程度です。

加代美は
薄給から
家を借りるときに
父親に借りたお金を
返えしていました。

加代美は
一人暮らしになっても
お金と
時間に余裕がなく
バブルの時の
豪華なレジャーや
食事など
縁遠い存在でした。

働いて
時間がなくなり
お部屋の家賃や
父親への返済
食事に
お金がなくなってしまいました。

加代美は
お化粧とか
ファッションとか
そんなものに
かかわれなくなってしまいました。

休みの日には
何もせずに
お部屋で
呆然と
過ごすことも多かったのです。

幸せとか
不幸せとか
人生のやりがいとか
生き甲斐とか
加代美は
考えないようにしていました。

そんな
不作為な
春が過ぎ
お弁当屋さんにとって
過酷な夏が過ぎ
紅葉の秋が過ぎ
ひときわ寒い冬が過ぎて
また春がやってきました。

暖かい春が来た頃
加代美の
父への返済も
なくなりました。

金銭面で
少しだけ余裕が出来て
加代美は
「何かしようかな」と
いう気持ちになってきました。



離婚して以来の
前向きな気持ちになったのは
初めてでした。

さて
前向きに何かをしようとしたとき
やはりネックなのは
時間とお金です。

バブル時代に
やっていたような
お金と時間を
かけるやり方しか
知らなかったのです。

未だに
バブルの時のことを
同じようにしていると
答える
友人もいたくらいです。

弁当屋の
先輩に
何となく聞くと
公民館などでやっている
文化教室とか
公開講座が
無料で面白いと
言ってくれました。

というわけで
市役所の
広報誌に載っている
公開講座や
運動クラブ
サークルなどを
調べてみました。

というわけで
生け花と
ダンスに
応募してみました。

実際行ってみると
生け花は
面白く思いましたが
ダンスの方は
体が動かすことが
苦手な加代美には
「もうひとつかな」
感じました。

でも
体を動かしていると
徐々に楽しくなっていくような
気がしました。

そんな
お金のかからない
レクレーションで
過ごしました。

そんなことを
しながら
弁当屋さんに
3年勤めました。









離婚してから
3年がすぎようとしていた
冬に
加代美は
朝目覚めると
大きな揺れを感じ
今にも
アパートが
潰れそうになりました。

電気が止まり
真っ暗なか
不安な
時間を過ごしました。

夜がしらみはじめ
明るくなった外を
見ると
騒々しく
人が
行き交っていました。

しばらくして
携帯ラジオを探し
聞くと
大きな地震が
神戸阪神を襲ったことを
伝えていました。

ガスは
止まりませんでした。

電気は
昼頃
水道は徐々に
加代美の住む地区では
復旧していきました。

朝ご飯を
ガスだけで作って
加代美は
お弁当屋さんに
出勤しました。

お弁当屋さんまでの
道沿いの家の中には
全壊している家もありました。

おそるおそる
お弁当屋さんを見ると
全く無傷で
ホッとしました。

店長が
店の中を
整理しているのが
見られました。

少し散らかっていましたが
お弁当屋さん自体には
被害はありませんでした。

でも
水が出ないので
営業が出来ませんでした。

お客様が
大勢来られましたが
事情を
説明して
帰ってもらいました。





地震のあった日は
店内の整理だけをして
帰りました。

実家は
大丈夫との連絡を受けていたのですが
帰りに
父親のところに行きました。

父親は
出勤していましたが
母親は
家の後片付けをしていました。

加代美も
整理を手伝いしました。

古いアルバムが
棚から落ちてしまったので
見ていると
母親がやってきて
写真を一緒に見て
なんだかんだと
昔の話をしました。

夜になると
電気が
復旧したので
実家で
ご飯を食べました。

水が
チョロチョロとしかでないので
洗い物が少ないように
ラップを
食器に広げて
使いました。

テレビを
見ると
神戸の
大震災の被害を
伝えていました。

目を覆うばかりの
災難の
実態を
テレビで初めて知ることになりました。

そんな
状況を見て
ハッと
猛のことを
思い出しました。

猛と
一緒に住んでいた
マンションは
被害の大きなところに
あったのです。

電話しましたが
連絡は取れませんでした。

分かれた
夫ですので
それ以上に
安否を
心配する必要はないと
自分に言い聞かせて
家に戻って
その日は休みました。



翌日は
早番で
朝早く起きて
職場に向かいました。

電気ガス水道が
復旧しているので
通常通り
営業です。

冬だったこともあり
冷凍の
材料は
電気が停電であったにもかかわらず
大丈夫でした。

店を開けると
いつもより
繁盛しました。

神戸に持っていく弁当を
頼まれる方が多いのか
いつもより
多いめです。

忙しく
バックヤードで
加代美は働きました。

冷凍の食品を
冷凍庫から出して
適宜切り分け
使うのです。

ゴム手袋を付けていても
冷たい食材を
多く触るので
つらい仕事でした。

3時に
遅番の人と
代わって
加代美は
帰り始めました。

神戸のことが
気になっていましたが
電車が止まっていて
簡単には
行けませんでした。

忙しい日々が
7日すぎ
非番の日が来ました。

JRで三田まで行き
神戸電鉄湊川まで行きました。

そこから歩いて
猛のマンションのところまで
やって来ました。

マンションは
一階の駐車場部分が
全開していました。

お部屋には
行くことが出来ません。

そのあたりの
避難先になっている
小学校に行って
猛を捜しましたが
見つかりませんでした。

猛の
勤め先にも行きましたが
あとかたなく
潰れていて
分かりませんでした。

そこで
少し歩いて
猛の実家のところに行きました。

実家には
姉だけが暮らしていて
加代美とは
疎遠でしたが
行ってみました。

加代美が訪ねると
猛が
頭に包帯を巻いて
出てきました。

加代美は
それを見て
ホッとして
安心してしまいました。


ホッと安心した
加代美は
我に返りました。

離婚した
元夫を
心配して
何時間もかかって
避難先に
来たのが
恥ずかしくなりました。

元夫は
加代美を見て
懐かしいそうな顔を
しましたが
加代美は
一通りの
挨拶をして
すぐに帰りました。

もう
夕焼けが
見えるような時間になっていました。

道を歩いていると
「おにぎりいりませんか」と言う声が
聞こえました。

ボランティアの人たちが
食事の
お世話をしていたのです。

加代美は
勤め先の
お弁当を
持っていましたので
丁寧に
断って
駅に急ぎました。

駅に着く頃には
既に
真っ暗になっていて
三田周りで
自宅に着いたときには
11時になっていました。

いつものように
真っ暗な
アパートのお部屋の
電気を点けて
中に入りました。


明日が
本当に疲れてしまって
お風呂に入って
すぐに寝入ってしまいました。



翌日
勤め先に行くと
震災の被害が
一番激しかったところに行った
加代美の話しに
みんなは聞き入りました。

夜半の
生け花教室でも
同じような話題に
なってしまいました。

誰ともなしに
ボランティアで
お手伝いに行ったらどうかという話になりました。

この震災を
きっかけに
ボランティアという言葉や
お手伝いが
一般的になったときでした。

そこで世話役が
調べてみると言うことになったのです。

加代美は
そんなに関心はなかったのですが
仲間に話を合わしていました。

加代美の住んでいる所では
震災の被害も少なく
加代美の
生活も
震災という言葉が
遠いものとなった
1ヶ月たったとき
神戸へ
仲間と
ボランティアに
出かけました。

炊き出しと
掃除・後片付けが
主な
仕事でした。

鉄道も
途中まで
仮復旧していて
急いで作った
木製のホームを
下りたとき
あらためて
惨状を見ることになります。

加代美は
言われるままに
お手伝いをこなして
その日は
暗くなってから
帰りました。

加代美には
直接
お礼の言葉もありませんでしたが
すがすがしい気分で
帰宅しました。

そんな
ボランティアを
隔週に
7回くらい行ったら
行っていた
避難所が
閉鎖になったので
ボランティアは
終わりました。

それから
いつもと同じ
夏が来て
秋が来て
冬が去り
3年の月日が過ぎました。

この頃になると
お弁当屋さんの
すぐ近くに
コンビニができ
お弁当屋さんと
競争になっていました。

悪いことには
もと
コンビニのあったところは
工場で
そこの
工員さんが
たくさん来ていたので
お弁当屋さんにとっては
大打撃です。

店長は
コンビニ並みに
夜間営業を
始めようと考えました。

ちょうどその頃
政府は
女子の
深夜勤務が
解禁されていたので
加代美にも
深夜勤務の
シフト勤務を
命じてきたのです。

でも
加代美は
子供の頃から
9時に寝ていて
いまでも
10時になったら
眠たくて
寝入りこんでいたのです。

深夜勤務は
できないと
店長に言ったら
「できる人に
代わってもらう」と
言って
解雇してきました。


加代美は
労働基準法の
改正で
失業したのです。

加代美は
解雇通知があった日から
ハローワークに
仕事を
探しに行きました。

なにしろ
就職については
超氷河期と
言われていた時代ですから
特に
特技のない
加代美には難しかったことは
言うまでもありません。

そこで
ハローワークがしている
パソコンの
職業訓練に
通うことになりました。

当時は
パソコンが
隆盛を極める
はじめとなった
時期でした。









職業訓練中も
ハローワークで
仕事を探しました。

でも
就職難の時代
そんなに
簡単には
決まるわけではありません。

何度か
面接を受けましたが
競争率が高くて
決まりませんでした。

失業保険で
何とか
生活ができますが
早く
仕事を決めたいと
加代美は思っていました。

失業中ですので
十分時間はありましたが
サークル活動に参加する気には
なれませんでした。

パソコンを
がんばって習得して
よいところに
就職できるようにと
努力していました。

そんな時
ふと駅前の
ビルのドアに貼ってある
チラシに
目が止まりました。

「求人」と
小さい字で書いてあったのですが
加代美の目には
はっきりと見えたのです。

「女子事務員募集
仕事内容;受付・接客・お茶汲み」
と書いてあったのです。

女子のお茶汲みでの採用というのは
ハローワークでは
難しかったので
目立たないように
そんな風に
チラシで
募集したのかもしれません。

加代美は
最初に勤めたところで
お茶汲みの仕事が
得意だったので
すぐに
適職と思って
その場で
その会社を訪れました。

その会社は
加代美には
すぐには分からなかったのですが
IT企業だったのです。

当時は
ITバブルの始まりの
時期でした。

加代美は
採用担当者の
面接を受けました。

一般的なことを聞かれて
そのあと
実技ということで
社長のところに
お茶を
持っていくことになりました。

湯沸かし室にあるお茶は
さほど
高くもないものでした。

臭いを見て
少し試しに
お湯の中に入れて
どの程度の
湯温で出すお茶か
まず調べました。

お茶は
いいお茶でもなく
粗末のお茶でもない
中くらいの
お茶だったので
それに合わせて
お湯を冷まし
多くもなく少なくもない
適量のお茶っ葉入れました。

香りを見ながら
社長のコップに
注いで
急いで
社長室に持っていきました。


笑顔で
元気よく挨拶して
右から
お茶を出しました。

もちろんコップの
絵柄も合わせて
スーと
出しました。

社長は
やおら
コップをとって
口元に運び
香りをみて
少し味を見て
それから一気に
飲み干しました。

社長は
ひと言
「採用」と
いいました。

加代美は
一礼して
社長室を
去りました。

採用担当者から
履歴書を持って
明日来るようにいわれました。

そこで
その夜
おもいっきり
上手な字で書いて
翌朝
持っていきました。

型どおり
履歴書を見て
制服を
合わすように
指定のお店に行くように言われました。

その翌朝から
会社勤めです。

加代美は
特技で就職が決まって
良かったと思いました。

翌日から
張り切って
お茶汲みの仕事が
始まりました。


加代美が新しく勤めた会社は
だんだんと大きくなり
来客も多くなりました。

加代美のお茶出しの回数も
多くなって
お茶っ葉も
上等なものになりました。

社屋も
少し離れた
綺麗なビルに
移転して
加代美の下に
もうひとりの
受付嬢が
採用されました。

良くできた
部下で
笑顔もいいし
加代美の仕事は
パソコンで
会社の統計を取ったり
調査をしたり
資料を作ったりの
内勤の仕事になってきました。

その頃には
加代美は
パソコンに
慣れていましたので
それでも良いと
思っていました。

世の中は
不景気ですが
加代美の会社だけが
景気が良かったのですが
加代美は
そんなことには
気付きませんでした。

バブルの時と
ボーナスは
全く違いましたが
同じお給料でした。

でも
加代美は
慎ましやかな
生活をしていました。

サークル活動も
ほとんどお金のかからない
生け花
ドールハウス
ステンドグラス
山歩き
などに参加して
楽しんでいました。

家賃も
徐々に下がっているので
お部屋も
もう少し安い
ところに引っ越しをしようと
考えていました。


サークル活動の仲間たちが
安い家賃の
お部屋に代わったと
話をしてくれたのです。

バブルの時に
高くなっていた家賃が
元に戻ったといった方が
良いかもしれません。

加代美は
不動産まわりをしましたが
ピッタリあったものがありませんでした。

そこで
インターネットで
探すことにしました。

何となく
ロフト付きアパートで
検索したら
おもしろい
物件が出てきました。

そこで
電話をして
見学することになりました。

日曜日の朝
良く晴れた
春の朝
不動屋さんとの
約束の場所に行きました。

案内されたところは
大きな川の端にあって
川の向こうに
六甲の山並みが見えるところでした。

駅までは
今までより
少しだけ遠くになりますが
ゴミゴミしている感じがありません。

ロフトが付いていて
ロフトは
天窓があって
明るく
わりと天井も高くて
気に入りました。

ロフトには
ベッドを置いても
まだ机と
テレビが置ける広さがあります。

何より気に入ったのは
天窓が開いて
空が直接見えるのです。

空が見えて
良かったので
借りることにしました。

季節のいい頃は
窓を開けると
気分が
もっと良いと考えました。

でも
窓を開けると
夜なんか
虫が入ってこないか心配になりました。

そこで
その話を
不動産屋さんに言うと
「網戸を付けましょう」と
言ってくれました。

そこで
そのお部屋を
借りることにしました。

家賃は
39、000円でした。




新しいお部屋は
明るくて
快適です。

そんなお部屋で
快適に暮らして
お金のかからない
サークル活動をして
慎ましやかに
生活していました。

そんな生活に
転機が来たのは
大学の友達と
偶然であったときからです。

その女友達は
加代美と同じように
結婚したのですが
加代美と違うところは
今も
バブル時代を
ズーと
続けていることでした。

会ったその日は
高給レストランで
食事です。

離婚してから
外食と言えば
ファーストフード以外
食べたこともなく
それも
お金がかかるので
一ヶ月に
1回もないくらいです。

お昼は
お弁当で
済ましていたのです。

その時は
自分への
ご褒美と言い訳して
支払いました。

友達の今の
生活を聞きました。

帰ってから
ロフトのアパートで
考え込んでしまいました。

ぎりぎりの
生活をしていて
生き甲斐とか
やり甲斐とか
全く無縁な生活で
加代美は
考え込んでしまいました。

お布団の中に入っても
そんなことばかり考えていました。

加代美は
考えないようにしていましたが
お茶汲みの仕事も
やり甲斐のある仕事では
ないような気がしたのです。

寝られない
ひと夜を過ごしました。



明くる朝
眠たい目で
預金通帳を見ました。

慎ましやかに
生活したおかげで
相当貯まっていました。

それに
就職難の時代なのに
毎月決まって
お給料が
入ってきていました。

その上
家賃も
安くなって
余裕ができてしまいました。

なんか
加代美は
気が大きくなって
バブルの時の
友達と
連絡を取ることにしました。

バブル時代の友達は
同じような生活をしているひとと
そんな時代を
引退した人とに
分かれます。

バブル時代を
引きずっている人は
すぐに返事が来ました。

何しろ
お金持ちと
結婚していて
今時の中国風に言えば
富裕層な友達が
3人いて
4人で春の復帰祝いと称して
ホテルで食事です。

それから
何度か
ショッピングや
食事をともにして
加代美は
楽しいと
思いました。

言葉では
うまく表現できませんが
サークル活動より
気が晴れるような気がしました。

スッキリしたような
気がしたのです。

この快感は
バブルの時の
ものと
同じでないような
気がしたのですが
何か分かりませんでした。


夏には
ホテルのプールに行ったり
秋には
真っ赤な紅葉が見える
山上のホテルで食事
そんな日々が続いて
正月は
ヨーロッパ旅行に行くことになりました。

11月末に
そんな旅行プランが決まりました。

旅費は
加代美のお給料の
2ヶ月分でした。

預金は
残り少なかったけど
ボーナス払いにしようと
思いました。










加代美の勤める会社は
女性はほとんどいません。

社員の多くは
プログラマーと
営業の男性ばかりで
女性と言えば
お茶汲みで雇われた加代美と
その部下の女性だけです。

加代美がバブル時代の友達と
つきあい始めた頃
社長から呼ばれて
「専務を監視するように」という
指示を受けたのです。

加代美は
薄々感じていましたが
会社は
社長派の
プログラマーグループと
専務派の
営業職グループに分かれていたのです。

それぞれ
なくてはならない人材なんですが
お給料の額などを
巡って
対立していたのです。

加代美は
どちらの派閥に誘われるわけでもなく
勤めていました。

加代美は
そんなことに
関わったら
大変だと
思っていましたが
バブル時代の友達とつきあい始めたら
化粧が
派手になって
目立つようになってしまいました。

目立つと
未婚の男性社員に
誘われることも多くなったのですが
誘われていくところが
居酒屋でした。

加代美は
がっかりです。

もっと
高級なところはないのかと
思いました。

そんな
男性社員は
相手にしないようにしました。

会社では
そんな状態だったのですが
年末
15日の
ボーナスの支払日に
出勤すると
会社の入り口に
張り紙がありました。







張り紙は
弁護士の名前で
破産どうのこうのと
書いてありました。

初めて
見たのでわかりませんでした。

加代美は
IDカードで
事務所に入ろうとしたのですが
ビーと音が鳴って
鍵が開きません。

加代美は分からなくなって
しばらく扉の前で
待っていましたが
誰も出社してきません。

それで
加代美の
部下の
女性に
メールしてみました。

しばらくして
返信がありました。

「会社は
倒産したのよ。

社長から聞いていないの

私は
専務から
聞いて知っていましたから
出社していません。

早くその場から
立ち去らないと
債権者が
押し寄せますよ」という内容でした。

加代美は
よく分からなかったけど
あとで分かったことですが
社長派と
専務派は
争っていて
それで
今の会社を
潰して
それぞれが新しい会社を
作るということらしいのです。

加代美以外の
社員は
どちらかに呼ばれて
新しい会社の
社員となるのだそうです。

若くもなく
お茶汲み以外の
特技のない
加代美は
どちらにも呼ばれなかったのです。

今になって思えば
どちらかの派閥に
入っていたらと
後悔しました。

そんなことで
ボーナスはもらえませんでした。

すぐに
ヨーロッパ旅行を
キャンセルしましたが

2割の
キャンセル料を
払わなければならなくなりました。

そんなことを
旅行に行く予定だった
友達に言うと
「大変ね」と言われて
それから
連絡はありませんでした。

それに対して
サークル活動の
仲間は
未払いの
お給料や
ボーナスを請求する方法を
親身になって
相談にのってくれました。


倒産した会社に勤めたことのある
サークル仲間は
失業対策については
よく分かっていました。

そんな友達に助けられて
何とか
立ち直って
ハローワークに
通い始めました。

35才を
過ぎた
加代美には
勤め先を見つけるのは
困難でした。

お茶汲み以外の
特技もなく
IT企業に勤めていても
パソコンも
得意でなかった
彼女に
超氷河期の
就職難の時代
仕事先が見つかるわけはありません。

貯金もほとんど使ってしまっていました。

実家の
父親も
他界して
兄が結婚して
後を継いで
母親を扶養している現在
他に頼る
親戚もいません。

もちろん
サークル仲間は
相談にはのってくれますが
金銭で
援助してもらうことなど
到底不可能な状態です。

失業手当が
ある間は
良いとしても
それまでに
決まらなかったら
どうすればいいのか
全く
心細い限りです。

春が来て
梅雨が過ぎて
もうすぐ
夏が来る頃になっても
勤め先は
決まりませんでした。

面接は
何度となく
受けていたのですが
競争率が高いのか
決まらなかったのです。



ハローワークの
係員は
派遣社員を
勧めてきました。

それまでの
派遣範囲が
広がって
派遣社員の
求人が増えたのが
原因です。

でも
サークル仲間の話では
派遣社員は
給料も安いし
その上仕事はきついし
期間が過ぎると
終わりになって
良いことなしだと
聞いていました。

夏が来ると
気ばかり焦って
まずは
派遣でも決めてみようと思いました。

しかし
希望が
派遣社員だからと言って
すぐに
就職できるわけではありません。

いくつか受けて
電気部品の
組み立て工場に
派遣される
社員になりました。

正規雇用ではなかったけど
失業保険や
労災・健保・年金もあったので
ひとまず安心と
思いました。

2日後から
会社勤めになりました。

工員の服に着替え
流れ作業の
中に入りました。

次々と来る
機械に
部品を取り付けていきます。

初めての工程は
熟練は要しませんが
素早くしなければならないので
加代美は
目がまわりそうです。

今までにしたことのない
仕事だったので
気を使って
肩が凝ってしまいました。



二三ヶ月もすると
慣れて
少し難しい
部署に回されました。

それから
半年すると
ハンダで
電子部品を取り付けるラインに
かわりました。

流れ作業で
どんどん来るので
仕事中は
話などせず
黙々と仕事をします。

用をたすときは
近くのボタンを押すと
代わりのものがやってきました。

そんな会社ですが
加代美は
無駄使いをしないように
つとめていました。

でも
そんなに
節約生活をしていても
貯金は
たいして増えませんでした。

お給料が安かったからです。

その日の生活をするだけで
なくなってしまうのです。

加代美は
今は
サークル活動だけが
ゆったりできるのです。

サークル活動は
お金もかからないし
その割りには
楽しいし
同じような境遇の人の話も
役に立ったのです。

そんな話の中に
派遣切りの話が
出てきました。

契約期間でも
終わってしまうと言うものでした。

加代美の会社は
大丈夫か
心配でした。

そんな心配をしながら
2年が過ぎました。
2年たつと
契約は終わらないと
正社員としなければならないので
会社は
契約を打ち切られてしまいました。

うまい具合に
同じような会社に
派遣が決まって
同じような仕事が
始まりました。

まわりの中にも
同じように
かわってきた社員が
いました。




そこの会社も
黙々と
流れ作業を
する仕事でした。

8時間働いても
朝のおはようございますと
夕方のお疲れ様
以外話さないことも
希でした。

そんな無口な人の
集まりで
加代美には
少し困ったことだと
思いました。

でも
お給料も
それなりにいただけるので
普通に
勤めていました。

そんな会社に
6ヶ月ほど
勤めたとき
テレビを見ていると
アメリカの
リーマンという証券会社が
倒産したと
報じていました。

大変だとは
加代美は
思いませんでしたが
その年の瀬になると
加代美の会社は
すっかり仕事がなくなってしまいました。

そして
またもや
ボーナスがもらえる
その前日に
いわゆる
派遣切りになってしまいました。

即ち
首に
なってしまったのです。

寒い冬でした。

加代美には
もっと寒い
冬でした。

加代美は
ハローワークに
また通い始めました。

そんな通い始めて
まもない頃
道ばたの
ホームセンターの
駐輪場の
掲示板に
レジ係
募集と
書いてありました。

チラシに書いてある
電話番号に電話しました。

明後日
面接に来るように言われました。

職種は
レジ係
サークル仲間に
レジのパートをしている方がいて
仕事が
大変で
お客の中には
難しい人もいるとも
聞きました。

時給が
800円で
土日や4時以降は
900円ということで
今時では
普通の
時給です。

前の
電子部品を組み立てる
会社と
同じ時給です。

面接の日
履歴書を持って
ホームセンターの事務所に
行きました。

事務所に着くと
同じ面接を受ける人が
3人いました。

募集人員は
若干と書かれていましたので
競争相手ということになります。

こういう面接は
何度となく
受けていましたので
加代美の
考えでは
合格するのは
若くて可愛い子と
決まっていました。

いつものように
受ける他の人を
見回しました。

どう見ても
加代美より若くて
綺麗な人が
いました。

この時点で
加代美は
勝ち目がないと考えましたが
最善を尽くすしかないと
思いました。

努力するしかないと
考えました。

加代美は
笑顔で
勝負するしかないと考えました。

待っていると
担当の
社員が
現れたので
加代美は
精一杯の
笑顔で迎えました。

何やかやと
聞かれました。

どう見ても
若くて可愛い人に
質問が集中していたように
加代美には感じました。

面接が終わると
加代美は
ドッと
疲れが出てしまいました。





面接を受けた後
加代美は
いつも
またダメだったか
とネガティブな
気持ちになります。

もう忘れようと思いますが
でも
結果が気になります。

次の次の日に
結果が
電話で連絡がありました。

いつものように
加代美は
真剣に
電話を
受けました。

心臓が
高鳴りました。

そして
加代美も驚く
「採用」の言葉です。

そういうわけで
翌日
出社しました。

同じように採用されたものは
いないようです。

採用担当者のところに行くと
採用の内容を
言われました。

採用されたのは
何とかアウトソーシングという会社です。

ホームセンターを
運営している会社では
ないらしいのです。

健保や厚生年金・失業保険などの
説明を受けました。

説明を受けた後
職場に向かいました。

職場の
主任に紹介され
研修用の
レジに案内されました。

レジの扱い方を
一通り
説明されたあと
研修用の
レジで
色んな商品を
ピッと
通しました。

こちらのレジは
もちろん
POSになっており
お釣りも
自動で出てくる
優れものです。

ただ
用紙の交換は
自動でないので
何度も練習しました。

バーコードの読み取りにも
それなりの
技術があるみたいで
細かいものや
細いものに張られている
バーコードの読み取りは
難しく
そんな時には
直接
入力することが
必要になります。

何時間も
研修用の
レジで練習した後
すいている時間に
実際の
レジをすることになりました。

研修という
腕章を付けて
仕事を始めました。

サッカーに
慣れた先輩が見ていました。

その日は
バーコードのない商品や
バーコードも
うまく通って
その上
問題のお客様も
来られなかったらしいので
無事に終わりました。

無事に終わると
加代美は
ホッとして
疲れが出ました。

のどがカラカラになったので
自動販売機で
水を買おうとすると
先輩の
指導役が
商品とお金ばかりに集中して
接客が
なっていないと
言われました。

もっと笑顔で
接客しないと
店長に叱られるよと
忠告されたのです。

加代美は
反省しました。

色んな場合を
頭に浮かべながら
家に帰りました。

翌日は
そんなことに気をつけながら
仕事に熱中しました。

前の
電子部品を組み立てる仕事は
寡黙にし仕事をこなせば良かったのですが
今度の
レジの仕事は
人間が相手
声も出して
笑顔で
接客
その上
正確でなければならない
神経を使うことでした。

前より大変ですが
加代美は
こちらの方が
良いと思いました。

やはり人間は
人間が相手の方が
良いんじゃないかと
思ったのです。

天職かもしれないとまで
もう少し経つと
考える様になるのですが
始めたばかりの時は
そんな余裕はありませんでした。

「幾多の困難乗り越えて」
加代美は
今の職場
ホームセンターに
慣れました。

困難と言えば
バーコードのない商品が
やって来て
確認のために
一番遠い売り場まで
行って帰りました。

あまり運動をしない
加代美には
少し酷で
筋肉痛になりそうです。

また
毎日のように
来るお客様も
いらっしゃることには
驚きました。

コンビニや
スーパーなら
毎日行くのは分かりますが
ホームセンターに
毎日来るとは
加代美の常識では
考えられなかったのです。

そして
そんな方が
意外にも多いのです。

その上
一日に
二回来ることもあるのです。

そんな人に限って
1万円以上の
買い物を
現金でして買えるので
それにも驚きました。

そんなに買ってどうするのだろうと
考えてしまいましたが
聞くこともできないので
考えるだけでした。

レジの仕事にも慣れた頃
レジ係の
研修で
DVDを見ることになりました。

レジの仕事の仕方を
詳しく説明した
DVDです。

始めるときに
お辞儀をして
POSを通すときには
値段を言って
預かった現金を復唱して
それから
札のお釣りは
読んで返し
小銭を渡すときは
もう片方の手で下に受けて
、、、、、
とか詳しく述べているのです。

そして
何度も来られる
お客様には
それなりの挨拶や
言葉が掛けを
行うとか


そんなDVDをみた
加代美は
実行してみようと思いました。

DVDを
実践するのは
簡単なように見えて
そう易々とできるものではありません。

DVDの言わんとするところは
お客様とつながることですので
こちらが
どんなに
その気持ちがあっても
相手のあるものですから
簡単ではないのです。

「いらっしゃいませ」と言っても
黙っているのが普通です。

加代美も
コンビニ行ったときに
何も言わずに
済ますので
無理もないかと思いました。

店員さんが
「ありがとうございました。」と
言ったからといって
どう応対すればいいのか
加代美には分かりませんし
何も言わない方が
良いのかもしれません。

でも
ホームセンターに
良く来られる
お客様の中に
こちらが
「ありがとうございました。」というと
「あるがとう」と
返す人がいるのです。

65才くらいの
風采の上がらない
ご老人ですが
「いらっしゃいませ」というと
「はい」と
と返事してくれます。

そんな
希な人は
大切にしようと考えました。

それで
DVDの実践を
やってみました。

まさか
そのご老人だけに実践はできないので
すべての
お客様にも
やってみました。

大方のお客様は
冷ややかです。

しかし
笑顔になる
お客様もいるようで
少しは
良いのかと思いました。

ご老人は
来ないかなと
待っていると
なかなか
店には来ません。





加代美の
実践は
他のレジ係や
主任店長の目に止まって
みんなの
話題になっていました。

加代美も
みんなに評価されて
嬉しくなって
もっと
がんばっていました。

バーコードのない重い商品を
もって
調べに走っても
苦にならなくなっていました。

そんな中
例の
老人が来たので
元気な声で
「いらっしゃいませ
最近来られませんでしたね」と
いいながら
レジをすすめました。

老人は
「いや
毎日来ていますよ
一日に
二回くらい来る日も
あるくらいです。

女房が
代わりに来ることも
多いです」
と答えました。

土曜日なので
加代美は
「休みの日も
お仕事ですか」と聞くと
「休みはありません」と
返事がありました。

そんな話をしながら
その日は
レジが終わりました。

「ありがとうございました。」というと
「ありがとう」かえってきて
終わりました。

加代美は
老人は
休みがなく
奥さんがいるんだと
思いました。

ねほりはほり
聞きただすと
悪いと思いますが
もっと知りたくなりました。

自然な会話で
聞けたらいいと
思いました。

そこで
次の時は
どんな風に聞こうか
考えてみました。

そんなことを考えながら
待っていると
次の日に
やって来ました。

「日曜日なのに
お子様と一緒に出かけないんですか」と
聞いてみました。

「子供は
みんな結婚してしまって
悠々自適の
年金生活なので
日曜日も
ありません」と
答えたので
ご老人には
子供がいて
みんな結婚しているのだと思いました。

年金があるのに
昔からの仕事を
しているのかと
思いました。


そんなことを
ロフトで考えていると
急に淋しくなってきました。



代休のその日は
平日なので
サークル活動は
久しぶりに
何もありません。

春の
暖かい日だったのに
どこにも行く
予定がありません。

ロフトで
パソコンを触りながら
何となく
考え込んでしまいました。

天窓から
顔を出して
遠くの
六甲の山並みを見ながら
何となく淋しくなってしまいました。

例のお客様の境遇です。

見た目は
パッとしない
風体なのに
奥さんがいて
子供は全部結婚していて
年金をもらっていて
でも
何もしないと
ぼけるので
仕事をしている
という
恵まれているというのです。

最後の
何もしないので
ぼけるというのは
直接聞いたわけではないので
加代美の推測です。

加代美には
うらやましくなりました。

加代美は
既に
40才間近になっていて
このまま結婚しても
子供が
結婚して
年金をもらうところまで
いかないのではないかと考えてしまったのです。

老後が
悠々自適なんていうのは
とても
無理なように思うし
あくせく働いて
最後には
孤独死しか
将来の展望が見えないと
思いました。


そんなこんなことを考えていると
六甲の山並みに
太陽が
沈んでいくのが見えました。

加代美の目には
涙が
うっすらとでてきて
夕焼けが
ぼやっとー
綺麗に
輝いて見えてしまいました。

今までは
考えないようにしていた
将来のことを
考え始めたのは
この時です。



一応
中途半端ですが
ブログ小説「ロフトに住むレジ係」前編は
終わります。

後編は
今年の
クリスマスの時期から
再開する予定ですが
筋書きは未定です。

もし
この後編の
筋書きが
描ける方は
メール下さい。