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ブログ小説「冴子の人生は」では なにかしら 不幸な人生を 書いたつもりです。 全くの 力量不足ですので そんなことが 通じていないと 思いますが そうだと理解して下さい。 私の 親戚の中に 相当 幸運な方がいます。 人を羨んではいけないと 母の言葉に反して 羨んでしまいます。 どう羨むのかは 読んでいただければわかります。 普通に考えれば 親に恵まれず 幼児期には 不幸な連続であった方を うらやましく思うのは 少しおかしいかもっしれませんね。 でも 羨んでしまいます。 ____________________________ 今から おおよそ 85年前 昭和の御代が 始まって 数年経った時 主人公は 生まれました。 名前を 勝と言います。 場所は 兵庫県の 海辺の 大都市の 近郊です。 勝の 父親は 大地主の 次男坊です。 いつも立派な 兄と比較され 屈曲した人生を 歩んでいました。
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屈曲し性格の次男坊は いわゆる 大正デモクラシーと呼ばれる 時代を 幼児期過ごしたのです。 今で言えば バブル時代です。 バブリーな考え方を 持った父親と 仲がよくなる女性は やはり同じような人だったのです。 当時は 「水商売の女」と 呼ばれる 女性でした。 親が反対しても 聞く耳を持ちません。 次男坊が 少し「尻に敷かれている」状態だったのです。 そんな間に 生まれたのが 勝です。 勝は 幼児期は ものだけは たくさん与えられました。 でも 父親はもちろん 母親も 家にいない時の方が 多いのです。 家に 母親がいない時には 父親の 母即ち祖母が 面倒を見ていました。 それをよいことに 父親も 母親も ほとんど家にいない状態でした。 勝が 三歳になった時 母親が戻ってきて 妹の妙子を生みます。 妙子が 母乳を飲んでいる間は 母親がいましたが 勝にはほとんどかまっていませんでした。 勝は 淋しい 思いをしていました。
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勝が小さい時は 家族は 父親「勇治」と母親 父親の母親「千代」と 父親の一番下の妹「けい」との 5人家族でした。 というか 父親と母親の決まった家はなく 母親の家に いたのです。 下の妹が生まれると 父親と母親は 一攫千金を狙って 全国を 旅して ほとんど帰らなくなりました。 支那事変が起きて 日本が満州に進出すると 父親と母親は 別々に 大陸へ渡ります。 勝が 7歳の時です。 尋常小学校2年の時です。 その時代になると 千代の父親が蓄えていた 金品はすっかりなくなり 千代の 実家の納屋で 暮らすほどの 極貧の生活になっていました。 家計は 電話交換手をしていた けいだけが頼りです。 けいは 逓信省に勤めていましたが 少しでも 給料のよい 大手製薬会社に 転職していました。 勝は 帰ってくると 口うるさく言う 父親や母親が いない方が良いと 思うようにしていました。 妹は 夕方になると よく泣いていましたが けいが おそく帰ってくると 甘えていました。
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支那事変は、 だんだん大きくなって 満州をめぐって ついに 大東亜戦争に至ります。 勇治は 軍属となって 台湾に渡り それから 華中戦線に 参加していきます。 勇治の 戦争での 行いについては 省きますが 書きづらいところです。 戦争中は 全然 家には帰りませんでした。 戦争のために 物資が不足して 特に食糧難でした。 お金があっても 配給制のために 満足に 食べられませんでした。 けいは 食糧を調達するため 職場近くの 農家で 買って 持って帰ろうとすると 駅で 巡査に見つかって 没収になったことも 何度もありました。 そこで けいは 転職することにしました。 製菓工場の 社員食堂に勤めることにしました。 製菓工場は 軍需工場に 指定されていて 物資不足の食糧難の時代でも いくらでも 食糧があったのです。 社員にも 配給があったので けいは 千代や勝に 食べ物を 持って帰れたのです。 勝は おばさんのおかげで 戦争中は 食べ物は 不自由しませんでした。
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けいが 甥の勝と姪と母親の千代の 食事に頭を 悩ましている時 勇治は 兵隊のあとを付きながら 口にするにも 汚らわしいことを 大陸でやっていました。 大陸から 台湾へ兵隊のあとを付いて 輸送船で わたる時に 米軍の潜水艦の魚雷攻撃で 撃沈されてしまいます。 こんなこともあるかと思っていた 勇治は 赤いふんどしを 身につけていました。 服を脱いで サメよけの 赤いふんどしをして 一昼夜泳いだ時 駆逐艦に 助けられます。 勇治は 命冥加がある そんな天性を持っていたのです。 でも この場で 勇治が 死のうが 生きようが 勝にとっては あまり変わらない 出来事なんです。 しかし おばあさんの 千代にとっては 不幸な出来事であったことは 後になって わかることですが この時は 誰も知りませんでした。 勝は 手紙も よこさず 帰って来たのは 終戦の年の11月のことです。 日焼けして 疎開先の 千代の納屋に帰ってきました。
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帰って来た勇治は 別に 勝を可愛がるでもなく 世話をしていた 千代やけいに礼を言うでもなく 単に いつのように 食事をして 寝ていました。 勇治は 小学校を出て すぐに 左官の修行をしたことがあって 戦後の 復興期には 左官としての 仕事が あって 金には 困らなかったようです。 しかし 仕事でえたお金は 酒や賭け事で パート使う有様でした。 年末になって 勝の母親も 同じように帰って来ました。 狭い納屋では 暮らせないので もともと住んでいたところの 近くに 家を借りて 住むことになりました。 千代や けいは 移り住むことは 出来なかったので 勝兄弟だけが 新しい家に引っ越ししました。 実の親と住み始めた勝は 既に 国民学校を卒業して 疎開先の 近くの店で 下働きを していました。 新しい家に移ると 父親の 勇治の 手伝いのようなことをしたり 同じ仲間の 大工の手伝いのようなことを していました。 妹は まだまだ小さいのに 学校から帰ると 家の掃除や洗濯料理などを 母親にさせられていました。 頻繁に ふたりは 連れ添って 遊びに出かけることが 多く 家には ほとんどいませんでした。 父親は 気分屋で 機嫌が悪いと 何もないのに 勝や妹に 当たり散らしました。 そんな 父親が 嫌いでした。
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勝は 父親よりも 祖母や叔母と暮らしていた方が 気楽だと思いました。 でも 気分屋で それでいて放任 食事の世話もしない 短気ですぐ怒る 両親がいやでした。 年末 勝は 知り合いの 大工の手伝いで 泊まり込みで 神戸の方に行っていました。 親方の家に 泊まり込んでいたのですが 年が明けても そこでやっかいになっていました。 親方は 気むずかしいですが 親方のお母さんに 可愛がられて 居心地がよかったのです。 住み込みになっても 特に 勇治は何も言いませんでした。 母親は 役立たずの 勝がいない方がましと 思いました。 そんな日々が続いて すっかり 勝は 父親とは もう付き合いが なくなってしまいました。 5年が経ちました。 勝は 大工の手伝いから 大工の見習いになっていました。 大柄で 力はありましたが 手先は それ程器用ではなく まだまだ見習いで仕事をしていました。 新人が入ってきて 勝を追い越してしまいました。 勝にとっては そんながっかりすることが 起こった時 可愛がってくれた 親方のお母さんが 突然他界しました。
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住み込んでいる 親方の お母さんが亡くなると かばってくれる人が いなくなって 何か緊張が なくなってしまいました。 ある日 勝は いつものように 失敗しました。 それを 親方は いつものように 叱りました。 いつもは 頭を下げて 聞いているフリをする 勝でした。 しかし 今日は 頭を上げて まともに聞いてしまいました。 そして 口答えをしてしまいました。 売り言葉に買い言葉 親方も 激しくなって ふたりは 大げんかとなります。 その日の内に 勝は 親方の家を出て しまいます。 5年勤めた ところを 辞めたのです。 この5年が 勝に人生で 一番長く勤めた ところだったのです。 この先 同じような理由で 仕事を 転転と 変えていきます。 とりあえず 友達が 修行している 家に 行きました。 親のところには 親が生きている間には 一度も行きませんでした。
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次の仕事は 一転 お店の店員です。 近くの店で 今で言えば コンビニのような 「何でも屋」です。 インフレが 起きていた時代で ものが売れにくい 時でした。 その店に住み込みで 勤めました。 この店員の仕事が 勝を 今の言葉で言えば 「スキルアップ」させました。 その店の 店長は 凄く厳しくて 毎日毎日 接客の仕方を 教えたのです。 言葉使いや 心を掴む方法など 何度も何度も 教えられました。 この 修行で 勝は 口がうまくなったのです。 人の心を 先回りして 掴む方法を 体得できたのです。 この 仕事は 2年ばかり 続きました。 話が 上手になって 客と話し込んでいたら 店長に 叱責され それが原因で 辞めました。 飽き性の 性格だったので もう 勝の言葉を借りれば 「もう充分」だったのです。
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とにかく飽き性の ひとつところに 永く居られない性格は 死ぬまで続くのです。 店を辞めてから 運送会社の助手として 勤めました。 当時のトラックは ふたり乗務が義務づけられており 助手として乗務しながら 運転を 習っていました。 これから先 いろんな職業に就く 勝ですが 資格を得たのは 運転免許だけです。 大型免許を いくつもの 運送会社を 渡り歩いている間に 取得したのです。 その運送会社は 6ヶ月で 辞めました。 積み卸しが しんどかったのが 主な原因ですが 付いていた 運転手が 気にくわなかったのも あります。 そんな理由で 次の仕事は 丘の仕事でなくて 海の仕事となります。 西宮の港の 引き船に乗りました。 はしけを引いたり おおきな船の 入港を手助けしたりするのが 仕事です。 勝は 歌手の田端良夫のファンで マドロスに憧れていたのです。 そこで 船乗りの 求人を見て 応募したのです。 口がうまいので うまく就職できたのですが 外国へは もちろん行きませんし 港から 外に出ることさえ しません。 狭い西宮の 港を ウロウロするだけの航海です。 外国に行けると思っていたので 勝はがっかりです。
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その会社は すぐに辞めました。 そして 別の運送会社に勤めました。 今度の運送会社は 東京まで 行く便です。 夕方出て 翌る日の昼頃 東京に 着く予定です。 しかし 高速道路のなかった頃ですし 戦後まもないので 国道でも 舗装もないところもあって 到着は 遅れに遅れます。 ふたりで 運転を代わりながら 東京へ行って また 荷物を積んで 帰ります。 朝鮮戦争が 日本中を 好景気にしていて 勝が勤める 運送会社も 景気が良かったのです。 お給料も 増えました。 転職すると 給料が 増える時代でした。 もちろん 転職しなくても 給料が 増えるのですが 勝は そんな風に考えずに 転職したら 給料が増えると 考えていました。 もらったお給料も 貯めるのではなく パーッと使っていました。 親譲りの 浪費家だったのかもしれません。 それに お給料が 多いと入っても 少し贅沢をして お酒でも飲んだら 無くなる額だったのです。
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運送会社を 辞めて 今度は またお店に勤めることになります。 車に乗って ウロウロするのは しんどかったのです。 当時の道は 凸凹だらけの上 車も 快適でなかったので 仕方がなかったかもしれません。 お店なら 良いかと思ったのです。 でも その当ては 外れました。 運転が出来るというので 配達を委されたのです。 重い荷物を持って 配達です。 積み卸しの時に大変です。 今なら パレットに載せて ホークリフトで 運ぶようなものなのに 手で積み卸しをしていたのです。 大柄な 勝も 音を上げるような 重い荷物です。 でも 仕事をよく変える 勝なのに この仕事は 「嫌だ 嫌だ」と言いながら 少しだけ永く 勤めます。 その理由は 店の隣に住んでいる 女性のためだったのです。 その女性は 勝よりは 10才くらい 年上でした。
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勝には 片思いだったんです。 まだ 勝は 若くて 話すことが出来なかったんです。 そのために 遠くから見ているだけだったんです。 そんな気持ちを 知っていたのは 同僚の中で 最古参の おばさんでした。 そのおばさんは 勝とは馬が合うのか 話し上手というのか よく話をしました。 そのおばさんが ある宗教団体に 属していることを 勝は知りませんでした。 別に 勝に勧誘したいと思って おばさんも 勝に近づいたのではなかったのですが 話の端々に 宗教のことが 入ってしまったのです。 勝は 宗教とは 無縁の 人間でしたが 人と仲良くなる ツールとしての 宗教が 良いなと考え始めました。 宗教の教えは あまりよくわかりませんが わからなくても 「これは使える」と 思いました。 と言うわけで おばさんに あまり誘われていませんでしたが 宗教団体に 入会しました。 その宗教団体は まだまだ創生期で 大きくなる前だったんです。 現在では もう 日本の政治を 左右するほどの 存在になっていますが 当時は まだまだの 時期で 勝は その宗教団体の 成長ともに 大きくなります。
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勝の人生で 最大のエポックは この宗教団体に 入ったことです。 これから 勝の 幸運な人生が始まります。 宗教団体では 夜間に 会合があります。 宗教上の いろんな疑問を 解決する勉強会と言うことになっていますが わいわい ガヤガヤ 話をして その後 ある言葉を 何度も唱えるだけです。 みんなが 友達となるような 団体でした。 もちろん 恋愛相談なんかも ありました。 結婚の仲人の様なことも よくやる団体です。 勝を勧誘した おばさんは 勝が 隣の女性に 好意を持っていたことを 知っていました。 しかし おばさんは 勝が言い出すまでは 黙っていました。 勝が この女性のことを おばさんや 宗教団体の みんなに話すことは ありませんでした。 何となく言えなかったのです。 そして 2年が経ち この店を 辞めました。
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勝は 今度は 職安に行くことにしました。 いつもは 友達とか チラシで 応募するのです。 当時の職安は 朝鮮戦争のこともあって 求人難になっていました。 いろんな仕事をしてきた 勝ですが 食品加工は したことがなかったので 食べ物商売にしようと 思いました。 何より軽いのが いいのかと 思っていたのです。 和菓子店に 就職しました。 そのころ 妹が 和菓子屋の人と 結婚したので そんなことも 動機です。 和菓子店では 新入りですので 下働きから始めました。 ものを運んだり 容器を 洗ったり しました。 和菓子店では 古くなった お菓子が残ると もらうことが出来たので 持って帰って 宗教団体の 集まりで みんなに配って 喜ばれまた。 宗教団体の中では 「カブ」があがって みんなに頼りに されるようになりました。 頼りにされると 頑張るタイプの 勝で 和菓子店で お金を出して 買って帰るようになりました。 そんな宗教団体の集まりに ひとりの 女性が やって来ました。
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和菓子店では 1年経って 下働きから 少し菓子作りが始まって 面白くなってきたところです。 月初めには 新作の和菓子を作るのが その店の 決まりでした。 職人たちは 新作を 作って 出来栄えを 話し合うことになっていました。 勝も 春でしたので 桜若葉を かたどったものを 発表しました。 最初の作品でしたので まだまだと 自分では思っていました。 でも みんなは 高評価で 店に並ぶことになって 大変喜びました。 勝は たくさん 自分で買って 宗教団体の集まりで 配りました。 例の 気になっている 女性にも 渡しました。 その和菓子を 作った時の 様子や 作り方を 何度も 話したのです。 自分でも わかい女性に こんなにうまく 話せるんだと 自信を持ってしまいました。
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今までは 話せなかったのに こんなに うまく話せるなんて 夢のようです。 相手の女性は 凄く納得していて 視線が 優しく感じました。 言っていることは 事実のこともあれば 少し 大げさに言っていることもあれば 全く事実無根の事実を含んでいました。 というか 後にならないと わからないことですが 事実無根の話が 多かったようです。 俗に言う 「ほら」です。 でもそう思わせさせないことが 勝の 偉いところです。 「ほら」かどうか わからなかった 女性は 勝の 隣に座って 勝と 仲良く 話していました。 和菓子店の 定休日と 彼女の定休日が 同じだったのも 勝にとっては 幸運です。 休みのたびに 当時は 新しい言葉の デートしていました。 映画に行くのが 主な ものでしたが 帰り際に 公園で 話をするのが ふたりの楽しみでした。
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映画より 話が好きです。 どんな映画だったかさえ 覚えていませんでした。 そんなふたりが 結婚するのは 自然の成り行きでした。 勝は 「戦争で 天涯孤独」と 言って 親戚はいないと 相手に言っていました。 結婚式は 新郎側の 親戚の出席はありませんでした。 代わりに友達とか 宗教関係者とかが 出席した 暖かい雰囲気の 結婚式でした。 結婚を機に 和菓子店を また辞めて 今度は 彼女の 家の近くの 建材屋さんに 勤めました。 当時は セメントや 砂・左官土などを 販売していました。 ダンプトラックが あるくらいで 人力で運びます。 力のいる 仕事です。 勝が運転できると言うことで 高給で 雇われることになりました。 ふたりで暮らすので お金も必要でした。 もちろん 勝の奥さんは 専業主婦です。
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専業主婦の 奥さんを養うために 汗を流して 頑張っていました。 そして 宗教団体の集まりにも 通って 寄付もしていました。 宗教団体が 会館を造ることになって 寄付を 求めた時 勝は 蓄えもすべて寄付してしまいました。 夫婦揃って 寄付したので 宗教団体の世話役は 全財産を 寄付するのは やめた方が良いと 言ったのに 聞き入れませんでした。 宗教団体に 傾倒していたと みんなは思っていました。 でも 心の中では 見栄があったのです。 みんなに 見栄を張りたかったと言うことです。 勝は 見栄からでしたが 奥さんは 夫に従っただけです。 世話役は それがわかっていて 「本当に良い奥さん」と 評判になりました。 みんなは 熱心な 良い夫婦と 思われていました。
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汗を流して お給料を得て それを 寄付する。 そんな繰り返しを 何度かして 数年経ちました。 宗教団体は 大きくなりました。 勝の努力も 発展に寄与していると 勝は思っていました。 いつものように 新しい会員が 宗教団体の集まりで 紹介されました。 若くて 綺麗な 女性です。 おばさんが多い中で その女性は目立ちました。 勝は すっかり 妻帯者であることを 忘れて その人を 好きになってしまいました。 誰の目にも そのようにうつったので 勝や 奥さんに 忠告する人が 多くいました。 特に奥さんには 言いにくいことを ずばり言ったのに 奥さんは 動じませんでした。 にっこり笑って 答えていました。 何日か経って 奥さんは 置き手紙と 離婚届けに自分の名前を書いて いなくなりました。 出ていくその日まで 何にも言わずに 笑って話していました。
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奥さんの方は 止めて欲しいと 心の中では 思っていたのに違いありません。 宗教団体の世話役たちも 「奥さんを迎えに行くべきだ」と 勝に説得しました。 勝は 「元女房は そうは思っていないと思います。」と 言って 従いませんでした。 奥さんの家に近い 建材店も 辞めました。 それで 全く家の方角が違う 鉄工所に 勤めることになりました。 大きな 建物を造る 鉄骨工場でした。 鉄骨を 紙の型に従って アセチレンで切り取って 当時としては 珍しい 溶接でつけるのです。 大きな溶接機が 自慢でした。 当時の溶接は 難しくて 勝は 下働きでした。 重い鉄骨を 運んだりしました。 安全靴を 履いていて 助かったことも 何度かありました。 そんな風に仕事が 順調でした。 そして 新しい女性と 2年後 結婚することになります。 2度目の結婚です。 二度目の 奥さんは とても美人な方で 背が高く 大柄な 勝とも 釣り合いが取れる いい人でした。
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宗教団体の集まりで みんなに披露すると ため息が 漏れました。 集まったみんなは なぜあんなに良い あんなに美人の あんなに若い そして あんなに器量が良い 人が 勝と結婚なんかするのか わかりませんでした。 長年 集まりで 勝の話を聞いて その 勝の本性を 知っている人達は 驚きというか ため息というか 出てしまったのです。 勝の 今度の結婚も 仲良くしていました。 溶接の仕事も 上手にはなりませんでしたが うまく仕事をこなしていました。 軍人勅語を 揶揄していった 「要領を持って本文とすべし」 を 実践していました。 この言葉は 勝の父親から 手柄話と一緒に そのように 言われていたのです。 時代も 神武景気と呼ばれ 給料も上がって 勝にとっても よかったのです。 そんな上がった お給料を 同じように 宗教団体に 寄付をしていました 専業主婦の奥さんも 進んで 寄付する 勝を 喜んでいました。
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ふたりは 本当に仲がよかったです。 勝がバツイチで 歳も離れて 若い奥さんだったので 勝は 浮気などもせず 仲良く 6畳一間の 小さいアパートで 暮らしました。 部屋が小さかったので 仲良くしか暮らせなかったと 言ったら 語弊があるかもしれませんが そんな暮らしぶりでした。 夫婦生活は 波風もなく 仲良く暮らしていましたが 勤め先は 溶接会社をやめ 大手製菓会社の 配送部門に 転職しました。 大手製菓会社仕事は トラックに乗って 問屋を周る仕事です。 お菓子を配送して回るのです。 配送すると 期限切れの お菓子を 回収して回るのです。 回収した お菓子は 処分場に持ち込んで 処分する仕事も していました。 期限切れと言っても まだまだ充分に 食べられるものだと 勝は思っていました。 そこで これを 宗教団体の集まりに 持って行きました。 見栄があって 「買って持ってきた」と 言っていました。 そんなことを 数ヶ月続けて 上司にばれて 解雇になりました。
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解雇とは 評判が悪いので 自分から辞めたことに していました。 次に勤めたのは せんべいの会社です。 霰や せんべいを 作っています。 家内工業という程度で 勝の他に従業員は ふたりです。 餅を ついて せんべいや 霰を 作っていました。 餅をつくのは 器械になっていましたが 他は 全部手作業で作っていました。 勝が 食品製造会社を 勤め先に選ぶのは やはり 宗教団体の集まりと 関係があります。 端材や あまりの品や 出来の悪い品を 宗教団体の集まりで 配りたかったのです。 でも 勝の この考え方は 間違っていました。 ほとんど そんなものは 出ません。 わずかに出ても 3時のおやつタイムに みんなで食べてしまうのです。 勝は がっかりしましたが 辞めることなしに 勤め続けました。 せんべいの焼き上がる 香りが 好きだったのです。 というか 奥さんが せんべいの香りがする 勝が 好きだと 言ったからです。
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せんべいが美味しい店でした。 せんべいを ばりばり食べながら お店で おやつを食べる 和やかな店でした。 おやつの時間は 勝の 独壇場です 話がうまいので みんなが聞き役です。 そんな話の中で 宗教団体の 話を わからないように 「こそっと」話しました。 あることをすると 現世御利益が あるのです。 そんな例を いろいろと おもしろおかしく 話していきます。 徐々に 大きく話していき 小さなお店ですが 全員を 勧誘することが 出来たのです。 少し大変なところが 宗教団体の 売りです。 数ヶ月かかりました。 宗教団体の中では 会員を増やすと 偉くなるのです。 相当 みんな偉くなって 勝も 奥さんも 満足でした。 年月が過ぎて 高度成長期が 本格的になっていました。 皇太子が 結婚するので 話題になっていた頃です。
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勝の家では テレビを 買おうかと言う話は 全く出ませんでした。 テレビを見る時間は だいたい 宗教団体の集まりに出ていて 不要だと思っていたのです。 それ以外に 勝は 奥さんに 洗濯機を 買うことを 提案しました。 洗濯は 家事の中でも 重労働の 仕事です。 そんな重労働から 開放したいと 勝は思っていたのです。 奥さんは 大変喜びましたが 洗濯機は 高価なものです。 寄付するために 蓄えがない 勝夫婦には 少し 大変でした。 そこで 勝は 残業して 余分な 給料を 稼ぎました。 勝が 宗教団体の集まりに 出席できない期間 奥さんが代わりに出て 手伝いしました。 数ヶ月後 待望の 洗濯機が 勝の家にやってきました。 2槽式洗濯機の 洗濯槽だけが ある 洗濯機です。 脱水は 出来ないのですが 横に 洗濯物を 絞る ローラーがついているタイプです。
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それまで タライと 洗い板・石けんの洗濯とは 労力は 大違いです。 奥さんは 大変感謝していました。 テレビは 皇太子の結婚を見るために よく売れていました。 でも 庶民には 高嶺の花 まだまだ テレビを買う人は 宗教団体の中でも ありません。 そんな お金があると 寄付することの方が 大切だと みんなは考えていました。 そのころ 宗教団体では 新しい会館の 建設を 計画していました。 新しい会館ができると 集まりは いつでも出来るし テレビも 置く計画だというのです。 勝夫婦も 協力したいと 思っていましたが もう 寄付して 何も残っていませんでした。 そんな時 勝の父親の 勇治が 肝臓がになったと 知らせがありました。 昼夜お酒を飲み 煙草を吸って 当時出たばかりの 即席ラーメンを 食べていました。 他のみんなは そう思っていました。 ガンは 手術出来ないほど 末期で 抗がん剤もなかった頃ですので 今で言えば 終末医療ですが そういう ものがない時代ですの 手をこまねいて見ているだけです。 激痛のある 勇治を ただただ看ているだけです。 勝の 母親は そんな勇治を 全く世話もしませんでした。 そこで 勝の 奥さんが よく 看ていました。
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勇治は 数ヶ月後 痛い痛いと言いながら 亡くなりました。 宗教団体の お葬式を上げました。 仲間がやってきて ほとんどお金もかからず 出来ました。 母親は お葬式には出ましたが その後は 家に帰ってきませんでした。 そこで 勝は 勇治が住んでいた家に 移り住むことにしました。 もともとは 勝のおばさんが おばあさんのために建てた家です。 家賃が要らないので その聞寄付が出来るということで 奥さんとも 相談して 移り住むことになりました。 前の家からは 近いところです。 引っ越して仕事もかわりました。 年金制度が出来たので 厚生年金が 出るところと言うので 変わりました。 製油会社で タンクローリーで 石油を 運ぶ仕事です。 保証人が必要だったので おばさんに頼みました。 ついでに 宗教団体にも 勧誘しましたが おばさんは 熱心な門徒なので 数日通いましたが 説得出来ませんでした。
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勝は いつもは 3日程度で 勧誘できるのですが 勝のおばさんは 頑固です。 いつもの 言葉では 勧誘できません。 やはり 勝や妹を 戦争の中 育ててくれた おばさんは 強いと 思いました。 と言うわけで 諦めました。 その代わり 保証人だけは しっかり お願いしておきました。 おばさんが 「タンクローリーなんて 大丈夫」と 言ったので 「大丈夫大丈夫 煙草で火をつけても 重油は 燃えないよ」と答えました。 おばさんは 「そんな危ないこと 絶対にしたらダメよ」と 忠告してくれました。 勝は 3年間 まじめに 爆発させることもなく 勤めて 辞めました。 いつものように たいした理由もありません。 「重油は臭い」と 言っていました。 奥さんも 納得していました。
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時代は 高度成長期で 新しいものが 続々 生まれる時代です。 新しい会社は テレビの部品を作っている会社でした。 運輸部で 部品を運ぶ仕事です。 大きな車で どっと 運びます。 決められて時間に 納品することになっています。 1分でも遅れると 会社にペナルティが 課せられますので 早く出て 納品先の 門で待っていました。 積み込みが 遅くなって 急いだこともあります。 仕事は 昼間に限られていますので 残業もなく 宗教団体の 活動に 専念できたのが よかったです。 東京オリンピックの年 新しい会館ができて テレビが 会館に つきました。 はじめて 座って テレビを ゆっくりと見ました。 奥さんも 会館で 一緒に見ました。 宗教団体は テレビのおかげで 娯楽場所に変わりつつありました。 宗教団体は 本来の 宗教ではなく 互助会のような 団体になっていました。 困っている人を 実際に助けると言うことで 入会する人も 多かったようです。
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国道筋を 聖火リレーが 通るというので 仕事を休んで 夫婦揃って 見に行きました。 時間になって 聖火リレーの一団が やって来ました。 聖火というので てっきり火があると思っていたら 棒の先から 煙が出ていました。 風向きで 後ろを伴走している 人の前に 煙がやってきて 煙たそうでした。 聖火リレーとは こんなものだと 夫婦揃って 思いました。 同じように 見に来ていた 宗教団体の世話役と 東京オリンピックの 悪口を言って 終わりました。 スポーツとは 全く縁遠い のです。 オリンピックするお金があったら 貧乏をなくすようなものに お金を使うほうが 良いと思っています。 そんなオリンピックをが沸いた 年は終わりました。 その年の瀬 勇治のお母さんが亡くなった知らせが入りました。 病院で 父親と同じ病気です。 お葬式を済ませました。
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葬式を済ませた 勝夫婦は ホッとした様子でした。 勝兄弟を捨てた 父母が もう帰らぬ人となって 怨む必要も なくなったからです。 父母が住んでいた家を リフォームすることになりました。 おばさんの 結婚相手が 疎開建物の古材で 作ったもので 20年経ちます。 お風呂もないし 台所も 昔のままなので 使いにくかったのです。 南の 陽の当たるところに 勝の部屋を作ろうと 考えていました。 しかし 勝の奥さんは 台所を 南の陽の当たるところに 作りたかったのです。 冷蔵庫が 普及するまでは 台所は 北向の 寒いところに 作るのが 普通でした。 宗教団体の集まりの中でも 台所は 南向きの 陽の当たる 明るいところが 良いと言う 意見が大勢でした。 今まで 夫唱婦随で 意見を 違えたことがなかった 奥さんですが リフォームをめぐって 対立が 水面下で進んでいたのです。
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そんな行き違いが 勝夫婦の仲を遠ざけます。 今まで 勝が 勝手に寄付しても 転職しても 絶対に 反対せず 心から 頼りにしていた 奥さんが 少し変わり始めました。 テレビも部品の会社から バス会社の配送係 それから 個人の電気屋さんへ 転職しました。 電気屋さんは 電化製品に 気になったからです。 でも 個人商店ですので 年金が 国民年金となりました。 会社勤めの 奥さんは 年金を払わなくても 自動的に 年金に入っていることになっていましたが 勝が 個人商店に転職して 無年金になりました。 勝は ちゃっかり 年金に入ったのに 奥さんには 言わなかったのです。 宗教団体の集まりで 奥さんに そのことを 話すものがあって 奥さんとの仲は 最悪となります。
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勝夫婦が 冷えた関係になったのは カラーテレビが 普及した 昭和46年頃です。 カラーテレビを 従業員割引で 安く買えるので 奥さんに言ったら 「そんなものは要りません」と ひと言の対応です。 取り付く島もない ふたりです。 勝は 電気屋さんも辞め 厚生年金もある 紙問屋に勤めていました。 少しは 奥さんの機嫌が 治るかと思っての 転職でした。 でも それは もう手遅れでした。 家にいる時はもちろん 宗教団体の集まりでも ふたりは話すことはありません。 宗教団体の集まりでも 違う会合に 出て 出来る限り 顔を会わせないようにしていました。 例の トイレットペーパー騒ぎが起きると 勝は もう家には 帰れないほどの 忙しさになってしまいます。 勝の家の トイレットペーパーが なくなって 困っている時 勝が帰ってこなかったのです。 騒ぎが 一段落過ぎて 帰った時 奥さんは 家にはいませんでした。 何も言わずに 出て行ってしまいました。
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勝は 今度は 探しました。 すぐに見つかって 会うことが出来ました。 勝は 謝りましたが 奥さんは 「そんな問題ではない」と 言われてしまいました。 やっぱりダメと 思いました。 諦めるしかないので 肩を落として 別れを告げました。 家に帰ると ひとりきりなので 仕事か 宗教団体の集まりか 勧誘していました。 家に帰って寝るだけでも 不安なので 宗教団体の会館で 寝ることも多くありました。 表向きは 独身の方が 宗教団体に 専念できて 快適だと 言っていました。 誰の目にも 負け惜しみです。 そこで 仕事を変えました。 重油を運ぶ タンクローリーの仕事です。 2度目の 就職です。 でも それも すぐ辞めて パン屋さんに 勤めました。 地方の パン屋さんで 小売り屋さんに 卸していました。 朝に焼き上げたパンを 車で配送します。 美味しい香りが 運転席まで やって来て 朝ご飯を 食べたのに また食べたくなります。 喫茶店にも 卸していて 最後になるので そこで モーニングを 食べるのが 日課になってしまいました、 モーニングですが 勝には 昼ご飯です。
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雰囲気の良い 喫茶店で 昼食を摂るのが 日課になってしまいました。 喫茶店で 単に 昼ご飯を食べるだけではありません。 喫茶店の 店主に ちゃっかり 勧誘していたのです。 時間はいっぱいありますので ゆっくり じっくり 話し合って 勧誘です。 いろんな例や 周りの話などを なんだかんだと言って 話すのです。 勝は 話が好きでした。 時間が経って 勧誘できた時 店主の家族に会いました。 奥さんと 二十歳の息子と 当時は高校生の 娘がいました。 息子は 反抗期か 父親とは 嫌でも 同じものに傾倒しないようにしているのか 宗教団体にも興味がないようです。 一方 娘の方は 従順で 父親に従って 宗教団体の集まりにも参加しました。 勝は 3人も 勧誘できて 良かったと思いました。 勝の偉いところは 勧誘するだけでなく 後々 相談にもよくのっていたのです。
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そんな間にも 転職して 今度は 幼稚園バスの運転手になりました。 小さな子供の 送り迎えです。 勝は 子供とは 無縁な 関係です。 いきなり小さな子供に 運転手のおじさんと 言われて 囲まれました。 勝は 子供は 良いなと 思いました。 遠足や 運動会では 先生の補助をして 参加していました。 クリスマスの 飾り付けを作ったり 幼稚園の給食を運んだり 初めての経験です。 これだから 転職も楽しいと 思いました。 綺麗な 可愛い 幼稚園の先生も居るし 幼稚園の運転手を 天職にしようかと 思ったくらいでした。 でも 少し不純な こんな考えは すぐに 挫折してしまうことを 勝自身知っていました。
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中年の勝と 若い幼稚園の先生とは 仲良くなれるわけがなく 勝は 転職しました。 やはり 宗教団体の活動に 力を入れるしか 勝にはなかったのです。 今までに勧誘した人や 勧誘できそうな人に力を入れました。 お酒屋さんに勤めました。 お酒の好きな 勝には ぴったりだと みんなは思いました。 しかし 配送係ですので 酒を飲んでの 配送は 考えられないので あまり関係ないと 思いました。 当時は まだまだ お酒が 主流で 一升瓶が 10本入っている 木箱は 重さが 20Kgを越え 同時に 2箱はこぶことを 要求されました。 二箱は 辛いです。 1回なら 平気ですが 車を一杯にするまで 運ぶとなると 100回は必要です。 手がだるくなって ハンドルが 握れなくなるくらいに なってしまいます。 でもこれが 仕事だと言うことで とにかく やり遂げました。
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仕事を よくかわりましたが 辛いからと言って かわることは 少なかったと 勝は思っていました。 薄給でも 頑張ることにしていました。 給料で 仕事に差をつけるのは いやでした。 といっても 勝も 歳のせいか ゆっくりでした。 仕事で あまり頑張りすぎると 宗教団体の 活動に 支障を来すので 程ほどというところでしょうか。 そんな余力で いろんな相談にのっていました。 その相談の中に 喫茶店の店主の お嬢さんの 悩みもあったのです。 それまで とりとめのない 悩みの 相談にのっていました。 誰でも答えられるような ものでしたが 今回は ちょっとだけ こんでいました。 大学で 同級生に つきまとわれて 困っているという相談でした。 当時は ストーカーという言葉が なかった時代ですが 今なら ストーカーです。 警察に相談するほどでもないし 親に相談すると 心配するので 勝に 相談してきたのです。 勝は その相談に 下心なしに のっていました。
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宗教団体の 仲間の 女性の ストーカーの相談で 勝は ストーカーに会って 話すことにしました。 弁には 自信があったので 説得できると 思っていたのです。 待ち伏せがよくあるところに 勝は 女性と 付いて行きました。 しかしその日に限って 現れません。 そんなことが 3回ほど続いた 4回目 ついに ストーカーが 出てきました。 勝は ストーカーに近づき 話しかけました。 ストーカーは 居直って 「関係ないものとは 話さない」と 言ったのです。 勝は 話が出来ないといけないので 「父親だ」と 嘘をついて 言いました。 そう言うと ストーカーは 恐縮して 話を聞いてくれました。 勝が 諭したので ストーカーは 納得した様子でした。 「もうしない」と 言って別れました。 勝は 「父親」と言ったことを 謝りました。 女性は 「本当にありがとう。」と言っていました。 本当の親からも 大いに感謝されて 勝と その家族は 一層仲良くなりました。 女性は 本当のお父さんと 宗教団体のお父さんの ふたりがいて 嬉しいと思いました。 それ以来 宗教団体の集まりに来ると 勝のことを 「お父さん」と 呼ぶようになりました。
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仲のよい ふたりで 本当の父親や母親と一緒に 宗教団体の大きな集まりにも 参加しました。 女性は 宗教を 理論的に 勉強していました。 その勉強の度合いは 凄く高く 勝の属する地方部会では 最高位でした。 聡明で 信心深く 器量のよい 女性は 宗教団体の集まりでも 羨望の的です。 若い男性の中には その女性に近づき 誘惑をしようとする輩も 多くいました。 それをうまくかわして 活動していました。 勝の目が ありますので 誘惑する輩も 控えめでした。 そんな間にも 勝は 転職します。 今度は ゲーム機を レンタルをする会社です。 ゲーム機というのは UFOゲームの様な 当時は 喫茶店に テーブルの形をして 置いている ものです。 それを レンタルでかしている会社で 意外と重い ゲーム機を 配送する係です。 勝も やってみましたが 特に興味は 沸きませんでした。 他の人は 熱心にゲーム機をしていましたが 勝は 全く 面白くありませんでした。 そして 例の女性も 面白くなかったのです。
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「同じだ」と ふたりは 意気投合しました。 勝は ひとり暮らしになっても 別に不自由はしていませんでした。 「ひとり暮らしは 自由で良い」と いつも言っていました。 一方女性の方も 親に 結婚を勧められていましたが 本人には そんな気がないので 「ひとりぐらしが 自由で良い」と 言って 親の言うことは 聞きませんでした。 その面でも 意気投合しました。 他のみんなは 「よく似た親子」と 思っていました。 ゲーム機のレンタルの会社は だんだんと 仕事がなくなってきました。 いわゆるテレビゲームが普及して 喫茶店のゲーム機が はやらなくなっているからです。 勝は 転職しました。 今度は 不動産屋さんです。 営業マンではなく お客様を 送迎する係です。 就職した会社は 中堅でしたが 凄く景気が良くて 少し残業すると 今までの 倍くらいのお給料を もらえたのです。
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時は バブル前夜というところでしょうか。 勝は50歳を超え 体力も 衰えていました。 重い荷物を 運ぶのも 大変なんで 人間を運ぶ 不動産屋さんが 好きでした。 残業があるのが 難点ですが 朝が遅いので 朝の間に 宗教団体の 用事を 片付けていました。 父と慕う かの女性も 昼からの仕事で いつも会えることになっていました。 不動産屋さんでは 何千万もする 土地やマンションが 右から左に 売れていき 中には 現金で 取引することもありました。 1億円近くの 現金を 目の当たりに見ると 身が 震える思いがしました。 そのあと 自分の財布を見ると あまりの 少額に びっくりしました。 勝に家は 小さいですが 持ち家です。 しかし 敷地は借地で 借金はありませんが 貯金もありません。 老後のことを考えると 何か 不安になる毎日です。
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仕事は わりと楽で その上 給料も 程ほどによい 不動産屋さんは 最高と 最初は思っていました。 しかし 大きなお金ばかり 見慣れてくると なんか虚しくなって 2年我慢しましたが 辞めました。 次も 不動産会社が 景気が良さそうなので 同じような 不動産会社に勤め始めました。 その不動産会社は 賃貸専門で 大金は 動きません。 客が来たら 話を聞いて それに当てはまる貸し家を 電話で 空き室であることを 確認して 案内するという 順番です。 当時は バブル景気が 始まっていました。 勝は知りませんでしたが それまでは 案内しても 決まらないことが 多かったのですが バブル景気が 始まってから 容易に決まってしまいます。 歩合給に なっていて 今までの お給料より 格段に よい給料になりました。 バブル 様様です。 客が来る曜日や 時期が 限られている関係上 勝の 休日は 多くて 宗教団体の活動を するのにも 都合が良かったのです。
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勝は 大柄です。 背は 185cmあって 体重も 100Kg近くあります。 外仕事が多くて 日焼けして 精悍な男性です。 髪の毛も 豊にあって 白髪ではありません。 勝は 歳よりも 若く見えます。 普通に見ると 60歳近くになっても 40台と に見られていました。 賃貸専門の 不動産屋に勤めて 十人並みの 営業成績を あげていました。 時代は バブルの 絶頂期になって 若者が クリスマスに ホテルで食事をすることが 当たり前になっていました。 勝は ひとり暮らしですが 宗教団体の 活動しているため 時間がないので バブルとは ほど遠い 生活だと 自身は思っていました。 しかし 周りのみんなが バブルで 景気よくしているので つられて 少し羽目を外しているのを 自分では 気が付きませんでした。
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テレビで クリスマスイブの夜は ホテルで 豪華な食事を好きな人と していると 言っていました。 勝も したくなりました。 しかし相手が いません。 豪華な食事をするくらいですので 会社の同僚では 適切ではありません。 周りを見渡しても そんな人は いないと思いました。 テレビでは 好きな相手と 食事をすると言うことに なっていましたが 勝には そんな人はいません。 二度目の 奥さんが 出て行ってから 女性を 好きになることが できなくなっていたのかもしれません。 というか 巡り会わないのかと 思ったのです。 宗教団体の集まりで 大勢の 人と出会っていても 好きと思える人とは 出会えませんでした。 この様に 考えていると 淋しいと 思ってきました。 宗教団体の集まりにも 力が入らず 何か上の空に なってしまいました。 宙を見ている 勝に 声を掛けたのは かの女性「郁恵」でした。 郁恵は 元気がない勝に 心配して 声を掛けました。
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郁恵は 勝が 元気がないのが心配でした。 励まそうと 勝を 食事に誘いました。 誘われた勝は 「郁恵で我慢するか」と 考えました。 逆に 郁恵を クリスマスの 食事に誘いました。 郁恵は 何か変と 思いつつも 承諾しました。 クリスマスイブに 女性と 食事をするなんて 何年ぶりかと 思いました。 服も 新調しました。 食事のあと カップルは ホテルに泊まるそうですが そんな事はできませんので 車で送る 約束をしました。 クリスマスイブが来ました。 郁恵が ドレスアップして 待ち合わせ場所に やって来ました。 いつもとは違って フレアスカートで やって来ました。 びっくりしました。 高校生の時から 知っている 郁恵とは 全く違います。 よく考えれば 女盛りの 25歳であることに 気が付きました。 郁恵も いつもの作業着姿の 勝とは違う スーツ姿をみて 驚きました。
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思わず緊張した 勝ですが すぐにいつもの 多弁な人間に戻りました。 食事をしながら いろんなことを 話しました。 宗教団体の話を始め 食事のことや テレビ番組のことなど とりとめのないことを 話しました。 郁恵も 勝の 話が面白いので 聞き役になっていました。 そんな話の中に 退職後のことが できてきました。 もうすぐ 60歳で 退職して 年金で 生活するという 話しになりました。 宗教団体の活動に 力を入れるというのですが だからといって ずーと できないので やはり ひとりで 家にいる時間もあるのでは と思いました。 宗教団体の集まりの中には ひとり暮らしの老人も 多くて 淋しく 時間を過ごしているのを 見ていました。 老後の 長い間 ひとりで 暮らすなんて 淋しすぎるというのが ふたりの 結論でした。 やはり 結婚して ふたりで 老後を過ごした方が 良いと言うことになりました。 でも 勝には そんな相手はいません。
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勝や郁恵の周りには 独居老人は たくさんいます。 もちろん活発に 生活している 老人は 多いです。 しかし 一部の人達の中には 困った状況の人も 多かったのです。 介護保険が 未だできていない 時ですから 不自由な老人は 家族が看るか 施設に入るか 二者選択で 家でひとり暮らしというのは 少し 難しいことです。 不自由にならなくても ひとり暮らしは 淋しいものです。 多弁な 勝も そんな場面になって 急に下向きになって 無口になってしまいました。 郁恵も 掛ける言葉もなく 黙ってしまいました。 料理が すべて運ばれ 最後のコーヒーも下げられると 終わりです。 郁恵は 勝の自動車に乗って 父親の 喫茶店に帰ってきました。 別れて 挨拶する 郁恵は 最後に 「私が つきあってあげる お父さん じゃなくて 勝さん」と 言って 笑顔で 家の中に入っていきました。
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それからは 勝と郁恵は よく会いました。 もともと 宗教団体の集まりで 会っていたのですが それ以外の 布教活動とか 宗教とは 全く関係がない ドライブとかにも行っていました。 あるとき 郁恵が 父親が 勝に会いたいと 言っていると 言いました。 「やはり 親としては こんな私と 娘がつきあっていたら 心配するのは 無理はない」と 思いました。 郁恵と あまり仲良くするのは よくないと 思いながら 喫茶店の マスターをしている 郁恵の父親に 休みの日に 会いに行きました。 父親は 言いにくそうに していました。 でも 言わないといけないと思ってか 重い口を 開きました。 「勝さん 娘と つきあっているそうだが 勝さんは どう思っているのだ」と 尋ねました。 「年甲斐もなく 郁恵さんと 親しくさせてもらっています。 マスターが 止めろと言うなら 止めます。 前途ある 郁恵さんの 未来を 奪うつもりはありません。」 と答えました。 父親は 困った様子が はっきりと見えました。 父親のことを考えると 当然 郁恵とつきあうのは 年甲斐もなく 絶対 止めておこうと 思いました。
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マスターに会ってから 勝は 郁恵から 遠ざかるように していました。 宗教団体の集まりにも 郁恵が来そうなときには 別の 集まりに 行っていました。 郁恵は そのことには気付いていました。 今まで 一日に 一度はあっていたのに 急に会わなくなって 一週間が経つ頃には 勝は 息が 詰まりそうな感じになりました。 食事も 美味しくありません。 何も スッキリしないような 感じです 仕事にも 身が入りません。 仕事を終わって 家に帰ろうとすると 足が郁恵の家に 自然と 向いていました。 隣町の 喫茶店へ 足が向いていました。 何も考えずに 歩いていると 向こうから 郁恵が こちらに歩いて来るではありませんか。 勝は 引き返そうと 思いましたが 体は まっすぐ 進んでいきました。 郁恵も 勝と同様 そんな風に 見えました。
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申し合わせしたわけでもないのに 喫茶店から少し離れたところで 出会ってしまいました。 ふたりは 言葉はありませんでした。 何分くらい 見合っていたでしょうか。 それを 最初から 見ていたのは マスターでした。 娘のあとを つけてきたのです。 マスターにとっては 愛娘です。 娘が 好きだという人間と 結婚することを 応援したいけど 罰2の 初老の男では 娘の幸せのことを考えると 躊躇します。 いずれ 飽きることを 信じて つきあうことだけを 許すことにしました。 ふたりにそのことを言うと 凄く喜んでいましたが 勝は マスターの 心の中が わかるので 手放しでは 喜べません。 郁恵は 素直に 喜んでいました。 結婚しなくても 会えるので 別に問題はないと 思っていました。 郁恵の その考えに 一応 納得して 今まで通り 公明正大に つきあうことにしました。
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勝と郁恵は 誰の目にも 仲のよい 親子のように見えていました。 歳の差が あったので そう見えたのですが 理由は 他にもあるのかもしれません。 勝と郁恵の仲が マスターの言うように 公明正大であったためです。 ふたりは 手を繋いで 歩くことなどありません。 つかず離れず ある距離を 保っていました。 はた目からは 仲のよい 親子でしたが 当人たちは 親子では なかったのです。 ふたりの心は 繋がっていると 思っていました。 ふたりで 宗教団体の集まりに出席したり 布教活動に行ったり あるいは 宗教活動とは 全く違うことにも ふたりで行きました。 映画を見に行ったり 食事をしたり 勝の 少しレトロな車で ドライブしたりしました。 そんな日々が 何年も続きます。 その間にも 勝は 不動産屋さんを またまた かわりました。 給料は そうかわりません。 待遇も かわりません。 単に転職したいから 転職したとしか いいようがありません。 転職癖は 健在でした。
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バブル景気 真っ盛りの時に 勝は 60歳を迎え 退職することになります。 まだまだ元気な 勝は 年金がもらえる歳になっても 働くことにしていました。 60歳になると 働き口は 少なくっていましたが 何分景気も良いので 社長付の 運転手になりました。 不動産会社は もう飽きたので コンビニチェーンの 会社です。 当時は 事業が 拡張中のコンビニチェーンでした。 右へ左へ 調査のために 来るのです。 仕事は 10時頃から 4時頃までで 運転自体は楽な仕事でした。 しかし ナビのない時代ですので 住所だけで 目的地に行くため 事前に 地図で 下調べが 必要でした。 この仕事で 行ったことのなかった 街まで 行くことができて その上 昼食は 社長といつも ランチがいただけ ありがたい仕事でした。 郁恵とも いつものように 仲良く つきあっていました。 もちろん 公明正大にです。 マスターも 郁恵を 見ていて 覚悟していました。
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郁恵の父親は いつしか 「郁恵が勝を 飽きる」と 思っていました。 あれから 5年も経つのに ふたりの仲は 変わりなかったです。 マスターの目にも 公明正大な仲と 思っていますが それでは マスターにとっては 困ります。 娘の 郁恵は もう30才になっていました。 適齢期なのに 勝一筋で 他の仲のよい男性がいません。 この調子で 歳を取って いき遅れてはと 本当に心配です。 早く結婚してくれて 孫の顔を 見たいと 思っていました。 弟は 良い人がいるのに 姉より 先に 結婚するのは 気が引けるのか まだまだでした。 マスターが 気をもむ 年が 漫然と過ぎていきました。 あの時までは 変わりもなく 過ぎていきました。 そして 成人式の次の日 あの地震がやって来ました。
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(作者注; 誠に恐れ入りますが 先の地震のことを 記述することには 私としては辛いです。 あまり はっきりと 描きたくありません。 地震を体験された方には 間違っている点があると思いますが ご容赦下さい。) 勝は 歳のせいか 朝は 早いです。 夏なら 明るくなるとすぐに 冬でも 5時過ぎには 起きています。 起きて 新聞をゆっくりと 読むのが 日課です。 朝食は 8時頃 出勤するときに 近くの喫茶店で モーニングを食べることになっています。 それまで 冬ですので こたつで ゆっくり インスタントコーヒーを 飲みながら くつろいでいました。 そんな時に あの大きな揺れです。 縦に 3回 それから 激しく横に 揺れました。 勝の家は 伯母の夫が 戦争疎開の廃木で 作ったものです。 もともと農夫ですが 器用だったので 作ったものです。 頑強に作ることだけを 本分として 作ったので 地震でも 何の被害もありませんでした。 棚の テレビが 落ちてきましたが こたつの勝には 問題がありませんでした。 揺れがおさまると 停電して 何も見えません。 いつもの場所に 懐中電灯があるので 点けました。 家財道具が 家中に散乱していました。 それを見て 郁恵の家が 心配になりました。
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勝は 家を飛び出し 車に乗ろうと思いましたが 勝の前の家が 倒壊していて 車がださません。 懐中電灯を頼りに 走って 喫茶店に行こうとしました。 酒蔵の横を通り過ぎ 車が渋滞している 国道四三号線を越えました。 真っ暗で何も 見えません。 国道二号線は 凄い渋滞ですが 車が少しずつ動いています。 信号が消えているので 陸橋を越えて 喫茶店に向かいました。 喫茶店の前の道は がれきで一杯です。 喫茶店についたときには 少し明るくなっていました。 建物が なくなって がれきになっていました。 外に マスターだけが 頭から 血を流しながら 立っていました。 「ふたりが 閉じ込められて」 と話すのが 精一杯というところでした。 勝は 郁恵が いつもいるお部屋に入ったことがありませんが 2階の窓から いつも顔を出していたので わかっていました。 がれきの上から 瓦を手でかき分け 下の木を何とかして取り除き 大声で 「郁恵」と 叫びました。 声が 声が帰って来ました。 郁恵の声でした。 少し場所が違った所から 声がして そちらを 掘り始めました。 無我夢中でしていると マスターも 後ろで同じことをしていました。 頭からの血が 顔をつたっていました。
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郁恵の声が 段々大きくなって 勝は 力付きました。 最後に 大きな板を 取り除くと 郁恵が かがんだような姿勢で いました。 郁恵の頭を押さえながら 手を掴んで 引っ張り出しました。 郁恵は 長くかがんでいたので 曲がったまま 毛布を被って 出てきました。 そして 勝に 抱かれました。 腰が痛いので抱かれたのか ありは 助けてもらったお礼で 抱かれたのか わかりませんが 抱き合ったまま 涙が出ていました。 マスターは 目の前で 郁恵と 勝が 抱き合ったのを 至極当然と 思いました。 1分くらい経って 中から 弟の声が聞こえて 我に帰って 掘り始めました。 穴の中で 家具の下敷きに なっていました。 近くにあった 柱の切れ端を テコにして 家具を少しあげて マスターが 引っ張り出しました。 弟は 右足を引きずりながら マスターと 郁恵に抱えながら 出てきました。 真冬で 寒いときだったのに 勝は 汗が 額を流れていました。 ふたりを助けて 勝は 思い出しました。 勝の家の前の家が 全壊していたことを 思い出したのです。 いつもなら 家の中にいる時間です。 マスターに そのことを言って 家に帰ることにしました。
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後ろから 郁恵が 「私も行く」と 大きな声で 言っていました。 郁恵は 寝ていたので パジャマ姿で 布団をかぶっているので 来られるはずはないと思いました。 家に帰って 服を 持って来よう と考えていました。 振り返らずに 手だけ振って 勝は 急いで 戻りました。 国道二号線は 車が全然動きません。 道路際の 建物が潰れていて 道をふさいでいました。 サイレンを鳴らして走る 車も 赤色灯は何の役にも立っていない状態です。 勝は 陸橋を渡らず 横断歩道の 車の間を 通って渡りました。 国道43号線は もっと悲惨です。 来るときは真っ暗でわからなかったのですが 国道の上を走っている 高速道路が 向こうの方で 転けているのです。 目を覆いたくなるような 惨状です。 国道を渡ると コンクリートで出来た 酒蔵があって それは 全く影響がないように見えました。 お地蔵さんのある公園の角を曲がると 勝の家で 勝の家の前の家が 全壊しているのです。 自分の父親や母親よりも 世話になった人が 今は 奥さんだけがひとりで暮らしていました。 近所の人に聞くと その人は まだ埋まっているのではないかと 言うのです。 勝は がれきの上から 掘り始めました。
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地震から 既に 6時間以上経ちます。 名前を呼んでみましたが 返事はありません。 ヘリコプターが 低空を飛んで うるさいので 聞こえないのかもしれませんが 勝には 胸騒ぎがします。 勝が住んでいる所は 東側は運河 南側は酒蔵 西側に 小学校があって 10数軒の小さな家が 集まっていました。 その中で 一軒だけ 全壊したのです。 近所の人が 右往左往しているだけで どのように助けてよいか わからなかったのです。 もちろん 消防には 連絡しましたが まだまだ来ませんでした、 あらゆる仕事を 経験した 勝ですので 助け方を 皆に指示して 持ち寄った道具で 助け始めました。 人数が多いのと 道具が調っているのと 指示者が しっかりしているので 小一時間で いつもいるお部屋まで 掘り進めました。 先を掘る 若者が 「体が見えます」と 叫びました。 皆が集まって 引っ張り出しました。 しかし 息は 既にありません。 体も 冷たくなっていました。 近くの人が 毛布でくるみました。 地区の世話役が 警察に 連絡に行きました。 電話が 全く通じないので 少し離れた 警察署まで 行ったのです。 遺体は 勝の家に 安置されました。
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昼になっていました。 よく考えると 朝ご飯も食べていないことに 気付きました。 いつも 喫茶店で 朝食なのに その前に 地震が起きて 忘れていました。 気が付くと 急に お腹が空いてしまいました。 近所の人と ご飯の用意をし始めました。 ガス電気水道が出ないので キャンプ用品を持っている人が お米を 炊いて 塩だけの おにぎりを作り始めました。 用意をしていると 郁恵が いつもと違う服装で 勝のところに やって来ました。 服が一枚残らず がれきの中になったので 隣のひとが とりあえず 貸してもらったそうです。 いつもは 行動的な パンツ姿なのに フリフリの スカートに 毛皮が付いた 真っ赤なコートを 着ていました。 勝は 思わず 見とれてしまいました。 集まったみんなも いつもの 郁恵と違うので 目を丸くしていました。 勝の家の中で みんな集まって 食べました。 石油ストーブがあったので 暖は取れました。
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亡くなったおじさんと 郁恵は 面識がありました 自分は助かったけど おじさんは 亡くなってしまいました。 郁恵は 運命というか 勝の力というか 神さまを信じました。 おじさんの お葬式は 宗教団体の 仲間も 地区には多数いて 宗教団体の お葬式の用意になりました。 今で言えば 人前葬のようなものです。 夕方になって 警察から 検視の係がやってきて 調書を作りました。 親戚を 探しましたが 見つかりませんでした。 東京に 子供がいるとは 聞いていたのですが 住所がわかりません。 そのことを 郁恵に言ったら 「家を探したら 何か見つかる」と 話しました。 夕方になっていたので 明日 探すことにしました。 夕食も 同じように 持ち寄りで 鍋料理をしました。 水がないので 買い置きの ペットボトルの水を使いました。 隣の お地蔵さんのところには 昔からの井戸があって 水道がまだなかった頃には そこの水を使っていました。 でも 地震で 水が濁って 飲む事はできません。 今は トイレの流し水にしか使えませんでした。
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その日は おじさんの 通夜と言うことで 勝の家に みんなは集まりました。 夜も更けましたので 地区のみんなは 何とか住める 我が家へ帰って行きました。 時々余震が 揺って 心配でしたが あの大きな揺れで 潰れなかったので 大丈夫と思いました。 郁恵が 今日は疲れたので 寝たいと言いました。 帰る家もないので 勝の家に泊まることになりました。 父親は 病院へ 弟を連れて行き 避難所に 泊まると言っていたそうです。 勝と 郁恵が 同じ屋根の下で それも同じ部屋で 泊まるのは もちろん初めてです。 ドキドキしました。 でも 何もなく 時間が過ぎました。 何しろ 隣の部屋で おじさんが亡くなって 安置してあるので そのようなことが なかったのかもしれません。 充分に疲れているのに 眠ることが出来ず 朝になりました。 いつものように 5時半ごろに そーっと起きましたが 電気がなくて 真っ暗なので また寝床に入りました。 7時前になって 明るくなったので 新聞を取りに行きましたが 来てませんでした。 仕方なく 隣の井戸水を汲んで お風呂に 入れておきました。 流し水にするのに 便利なので 貯めていたのです。 8時前になって 郁恵が 起きてきました。
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「いつもは もっと早く起きるのに 今日は よく寝たわ」と 言って 起きてきました。 勝とは 大違いです。 勝の家だから くつろげたのでしょう 勝は嬉しかったです。 朝ご飯の 持ち寄りで 作りました。 電気がないので 冷蔵庫のものが 真冬でも 腐るので 早く食べることにして 朝ご飯は ちょっと贅沢でした。 朝ご飯が終わると 郁恵は おじさんの家を探しに行くと言いました。 フリフリの 服では 探しにくいので 勝の服に着替えることにしました。 勝の服は 女性には 大きかったのですが 着たかったのです。 服を着替えて 郁恵は 前のがれきの山に 向かいました。 勝もあとを付いて 他の数人とともに 付いてきました。 がれきは 重くて 大変でした。 勝も手伝って 道具なんかも 駆使して 葉書や手紙を置いているような 場所に 行き着きました。 おじさんは 整理整頓が 上手だったのか きっちりしていました。 勝の家に 持って帰って みんなで見ました。 一枚一枚見て それらしいものを 見付けたのは 勝でした。 住所が書いてありました。 電話番号案内で 調べようとしましたが 電話が通じないので 電話局まで行くことにしました。 勝と郁恵は 電話局に行きました。 電話番号がわかったので そこから電話しました。
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電話をしましたが 呼び出し音ばかしで 誰も出ません。 携帯電話が 普及していないこの時期 家にいない 連絡のしようがありません。 郁恵は 電報で知らせたらと 思いつきました。 映画で見たことあるというのです。 そう言えば 昔 勝は 「チチキトク」の電報を 受け取ったことがあります。 丁度電話局にいるので 電報を打ちました。 そのあともう一度 電話をしました。 でも通じませんでした。 残念な結果でしたが 充分努力したので 一応満足しました。 郁恵は 父親と弟が心配なので 待ち合わせ場所になっている 隣の小学校に行きました。 避難所には 父親はいませんでしたが 近所の人がいたので 聞いたら 買い出しに 大阪の方に行っているそうです。 近所の方と たき火を囲んで 郁恵が話していると 父親がたくさんの荷物を持って 帰って来ました。 水とかガスボンベとか 缶詰とかを たくさん買ってきたみたいです。 父親と話しました。 父親の言うには 「弟は 病院に入院して 何とか住める。 お前は もう 勝さんと 一緒に住んだ方が良い」と 言うのです。 不自由な 避難所よりも 勝さんの家の方が 住みやすいだろうというのですが 郁恵のことを あんなに心配して 助けてくれたことが 父親の考えを 変えたのです。 郁恵は 涙が出ました。 父親も 一緒に住めないか 勝に頼んでみることにしました。
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勝に そのことを言うと 大歓迎で 承諾しました。 勝は 念願の 郁恵と 一緒に暮らせるとは 世間のみんなには悪いですが 地震様様と思いました。 そんなことは言えませんので 顔は 少し引きつってしまいました。 郁恵は いつもと違う勝に ちょっと変と思いましたが 郁恵も 心の中では 大喜びです。 郁恵の会社は 地震とは全く関係なく その翌日から 出社になりました。 勝は 運転手の仕事が もうなくなってしまいました。 65才になったので 仕事は しないと決めていました。 地震の前には 悠々自適で 暮らそうと思っていましたが 地震になったので 事情は 違いました。 宗教団体の仲間も 今は 被災者の援護に 全力を尽くしているので 勝も その日一日 被災者の ボランティアをしていました。 一日飛び回って 家に帰って来ました。 食べ物や 燃料も買ってきました。 郁恵が 先に帰っていて 「井戸水が綺麗になったから 使えるよ」と 話してくれました。 郁恵と勝の生活が 少しずつ 普通になっていきました。
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毎日ボランティアに明け暮れて 宗教団体の集まりにも あまり出席できなくなりました。 勝は満足でした。 休みの日には 郁恵も 手伝ってくれました。 一週間経って 大雨の日は 家のない人達は 大変でした。 勝は 雨を見ながら 家は 良いものだと思いました。 叔母さんのご主人が 作ってくれて この時始めて 叔母さんらに 感謝しました。 それから ひとりで暮らしていると 心配なことも あらためて わかりました。 前のおじさんが ふたりで暮らしていたら きっともっと早く助け出されていたかも しれないと思いました。 電報を出したのに 誰も親戚が 来なかったのは 大変淋しいと思いました。 その夜は 電気が 初めて点きました。 明るい家の中で 郁恵とマスターと 勝は 笑顔で食事ができました。 マスターは 宗教団体の仲間の世話で ひとり暮らし用の アパートを 新しく借りたと 言いました。 弟は 退院して婚約者の家に 既に住んでいましたので マスターは ひとりだけ住める 小さなアパートに 引っ越しするんだというのです。 勝が 淋しいというと 昼には 避難所にいくので 毎日会えると 言いました。
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ふたりだけの 新婚生活が始まりました。 結婚式は 宗教団体の仲間が すると 言ってきました。 人前結婚式で 宗教団体の仲間同士の 結婚では よく行われていました。 次の日曜日に マスターや 弟夫婦 宗教団体の仲間達に 祝福されて 勝と郁恵は結婚しました。 歳の差結婚の ふたりです。 勝は 65才 郁恵は 41才になっていました。 勝は 退職してから 急に体力が落ちたと 言っていました。 そこで 若いうちは 絶対にしなかった 運動をすることにしました。 走ったりするのは 苦手なので 家でできる スクワットとか 腕立てとか 腹筋運動とか 数は少ないですが 日に三回しました。 体力を 取り戻すためです。 郁恵も 応援しました。 勝は 二回も結婚して 離婚しています。 結婚とは どんなものか 女性が どんなことが好きで どんなことが嫌なのか よくわかっていました。 勝は 郁恵の心を よく理解していました。 それがわかるので 郁恵は 勝と 結婚したのです。 歳の差婚を みんなは 奇異な目 うらやましい目で見るのではなく ふたりが 結ばれるのは 当たり前だと 思っていました。
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勝と郁恵は幸せでしたが 周りのみんなが 幸せとは決まりません。 地震で 家族を失った人や 家を失った人 仕事を失った人が 周りには いました。 ボランティア活動をしていましたが そのようなもので 助けられるとは 思いませんでした。 マスターと相談して 避難所の 小学校の 校門の前に 喫茶店を出すことにしました。 宗教団体の仲間の ガレージがあって それを利用するものでした。 みんなの集まり所のような ところでした。 コーヒーでも飲んで ゆったりと くつろぎ みんなと 仲良くなることです。 その仮店舗は 4ヶ月あまり続きました。 小学校から 避難者が ひとりもいなくなったとき 終わりました。 時を同じくして マスターは 潰れた喫茶店のあった場所に プレハブ店舗を建てて 営業を再開しました。 勝も 手伝いました。 喫茶店は 前のようには 繁盛しませんでしたが マスターは 満足でした。 勝も手伝えて 嬉しかったのです。
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勝が 5年も同じ仕事をするのは 珍しかったのです。 喫茶店は 心のより所と 思うまでになりました。 喫茶店に来る常連客に なんだかんだと 講釈するのが 楽しみだったんです。 元気の源と 言うものでした。 しかし 5年が過ぎて 70才になった頃 マスターは 元気が急になくなってきました。 店のある付近が 区画整理になって 仮店舗を 撤去しなければならないのを機に 喫茶店を やめることにしたのです。 ちょうどその頃 宗教団体の 上部機関が 神戸の 田舎に 新しいシェアハウスに 建てるのだそうです。 宗教団体の仲間のうち 身寄りのないものが 一緒に住んで 助け合おうとする シェアハウスです。 マスターと 勝と郁恵も 申し込みました。 若い郁恵は 既定から対象外でしたが 今までの勝の業績で 認められることになりました。 地震から 6年目の春 地震でも 全く潰れなかった家を 解体撤去して 土地を地主に返しました。 3人は シェアハウスで 喫茶店と同じようなことを しながら 老後を 楽しみました。 もちろん 郁恵は 老後ではなく 現役で シェアハウスの 看板娘のような 存在でした。 幸せに暮らしているそうです。 超幸運な男は 終わります。
超幸運な男は 終わってしまいましたよね。 この物語は フィクションですが モデルはいます。 モデルの人物は 仕事を いくつも変えていきました。 職は変わりましたが すべて 今で言え正社員です。 当時には 派遣社員という制度が 禁止されていたんです。 また 厚生年金が できてからは 勝は きっちり入っていました。 選びさえしなければ 仕事には 苦労しなかったようです。 結婚も 3回もして これは 主観的な意見ですが すべて 超美人の綺麗な人と 結婚しています。 最後の人は 文中ほど 若くはありませんが 相当若い 華奢な方でした。 綺麗な女性で 勝のことを 慕っているように見えました。 数年前 勝の家のあった所の前を 通りましたが まだ空き地でした。 隣の お地蔵さんには たくさんのお供えがありました。 古き良き時代でしたよね。 誰もが働くことができて それなりの生活ができた 歳をとると それなりに お給料が上がった年功序列制度があった時代です。 良い時代でしたよね。 そんな時代は もう遠い 昔のことです。