今週のお題「わたしの春うた」
私が
幼稚園の
さくら組を卒園したのは
昭和33年59年前です。
思い出のアルバムは
昭和34年に発表された曲ですので
私が耳にすることはありません。
始めて
聞くのは
昭和61年のことでしょうか。
長男の卒園式で聞いたのが始めてか
それとも
その前に
テレビで聞いていたのか
いずれかと思います。
その時は
単に聞いていただけの
曲だったのですが
私が
53歳になった時
ある事件が起きて
その曲が
心をとめることになります。
2005年に
私は
癌が再発して
抗がん剤治療のために
大阪の病院に入院することになります。
高層ビルが
立ちはだかるのですが
8階の病室からは
片方には生駒山もう片方には大阪湾が
眺められました。
抗がん剤治療は
強力な薬剤を3剤
1週間投与して
3週間休薬後
同じことを
4回繰り返すというものです。
癌の緩解ではなく
癌の征圧消失を目指していて
成功すれば
癌の再発はありません。
反対に失敗すれば
抗がん剤の副作用か
あるいは
癌を征圧できないために
癌のために死ぬか
どちらかです。
初日の
投与は苦しいという前評判を
聞いていた私には
拍子抜けでした。
でも
それは
3日以降全く違うことになります。
段々と
しんどくなるのです。
吐き気をもよおし
何も食べられなくなります。
しんどさには
限度はありません。
休薬期間中は
少しだけ回復して
食事もとれます。
第2回目は
1回目より
しんどくなります。
3回目になると
もう極限です。
窓から見える
朝日が
夕陽が
苦しくなりました。
そんな時に
ふと
思い出のアルバムが浮かびました。
死に直面して
昔のことが
思い浮かんだのです。
春がすみの中
お弁当を持って
田んぼの中を歩いたことや
夏の暑い日
母がジュースを買ってくれた思い出や
家族で一度だけ
宝塚ファミリーランドに行ったことが
思い出されました。
思い出のアルバムの
歌詞の様に
思い浮かんだのです。
しんどくて
気がうつろで
その中に
浮かんだのです。
ちなみに
3回目で
抗がん剤治療は
中止されました。
3回目終わった時に
血小板が著しく少なくなって
生命の危険があるというので
中止になったのです。
血小板輸血をしました。
2回目の
血小板輸血のときに
極端なアレルギー反応が起きて
死ぬかと思いました。
輸血を始めて1時間くらいで起きましたが
献血された方の善意を
無にしないため
最後まで
輸血されました。
この
抗がん剤治療によって
私は命があります。