ロフト付きはおもしろい

ロフト大好きの71歳の老人の日記です

本当に表彰されたことがないか考えてみました。その2

今週のお題「表彰状」

 

夜寝られない時間に

また考えてみました。

 

学生時代は

表彰される機会が

多いですが

社会人なると

どうでしょうか。

 

会社や組織に

所属しておられる方は

きっといろんな賞があるのかも知れません。

 

仕事を

スムーズに

利益を出すために

経営者は

誉めたり叱ったりします。

 

きっと考えていますので

その中のひとつとして

表彰もあるのでしょうね。

 

私は

自営業ですので

そんな組織の

理論はないので

社会人になって

誉められるようなものは

一度もありませんでした。

 

褒章は

組織に所属していませんので

絶対に無理です。

 

私の希望というか

夢というか

「隣の人国宝さんに認定」を

頂けたらと

近頃は

思っています。

 

これは

夢ですから

殆ど叶わないと

思いますが

皆様に認められるように

頑張っております。

 

 

 

ブログ小説「東大阪のお嬢さま『雪子』」その12


いつもは
家の
ふかふかの布団で
ぐっすり寝ているのに
病院は
初めての
ベッドで
固い布団で
痛かったです。

ベッドは
こんなに固いもので
西洋人は
こんなもので
ゆっくり寝ているのだろうか
などと
病気とは
まったく関係ないことを
考えていました。


8時になると
食事の時間でしたが
雪子は
今日手術ですので
ありません。

そこで
病院内を
探検することにしました。

狭い廊下が
迷路になっていて
階段を
上がったり
下りたりしました。

そしたら
迷ってしまって
帰れなくなってしまいました。

どんどん
よからなぬ
方向に
進んでしまって
機械室みたいなところに
行ってしまいました。

病院内の
アナウンスで
雪子は
呼ばれてしまいました。

変える方向が
わからないので
ウロウロしていると
清掃員らしい人が
やって来て
受付まで
連れて行ってくれました。

ブログ小説「東大阪のお嬢さま『雪子』」その11

医師は
付き添いの
家族が
あまりにも
多いので
驚いている様子でした。

一通り
説明を受けました。

先生は
質問はありますかと
聞かれましたが
だれも
質問できませんでした。

手術は
翌日の
1時と言うことで
乳母だけが残って
後は
帰りました。

夕暮れが
近づいて
何かもの悲しい
雰囲気です。

雪子は
淋しくなって
うるんだ目になりました。

8時になると
面会時間は
終わって
乳母は帰ってしまうと
雪子は
もう淋しくて
怖くて
たまりませんでした。

眠気には
負けてしまって
寝込んでしまいました。

病院の朝は
早いです。

家なら
7時まで
ぐっすりと寝ているのに
6時前には
看護婦さんがやって来て
血液を
採取していきました。buro

本当に表彰されたことがないか一晩寝て考えてみました。

今週のお題「表彰状」

 

今週のお題

私にとってはきついです。

 

どんなもので

表彰されるか

考えてみました。

 

私は

夜寝ているようで寝ていないようで

うつらうつらの

時間が

3時間ぐらいあります。

 

そんな時に

表彰の問題を

考えてみました。

 

幼稚園では

確か卒園式で

皆勤賞を出していたように思います。

 

他には

なかったように思います。

 

私は

病弱で

年に3度風邪をひきましたし

それ以外にも

大病を患ったので

皆勤賞とは

まったく無縁です。

 

小学校でも

皆勤賞がありました。

 

他に

運動会で

一等賞だとか

夏休み明けに日焼けを競う大会で

表彰状を

もらった

輩がいました。

 

工作展などでも

表彰というものがあったように

記憶しています。

 

中学生になると

記憶に残るのは

皆勤賞ぐらいで

姉(4学年上です)の時は

学業成績で

表彰された人も

いたらしいのですが

私のときは

なくなっていました。

 

高校になると

同じように

皆勤賞と

国体に出て

凄い成績を

出したクラスメートが

表彰されていました。

 

大学になると

皆勤賞はなくなって

学部長賞というのが

一番成績の良かったものに

授与されていたように思います。

 

今思えば

これが

私の

悔しさの原点であったように

思います。

 

もっと

勉強しておけばよかったと

今でも

思います。

 

65歳になった

今も

そう思っています。

 

皆様

後悔のないよう

勉強して下さいね。

 

すみません

責任転嫁してごめんなさい。

 

ブログ小説「東大阪のお嬢さま『雪子』」その10

家族は
手術を
受けるべきか
するべきでないか
相当悩んで
話し合っていたようでした。

約束の
入院日が
来ました。

病状が
快方に向かっているとも
言えないので
やはり
手術することになりました。

学校に
母親が行って
話しをしました。

4人の大人と
1人の小さな病人は
入院受付から
看護婦さんに案内されて
6人部屋に案内されました。

お祖父さんが
個室を
お願いしておいたのですが
無理みたいでした。

お祖父さんは
もっと
偉い人に頼んだ方が
よかったのかと
心の中で思いました。

ベッドのまわりだけでは
納まらない
大人たちは
廊下で
待っていました。

看護師さんが
手術の説明を
医師がすると
連絡がありました。

5人の集団は
少しうつむき加減で
小さな会議室に入りました、

大人数の
患者の一団が
入ってきたの
インターン
慌てて
椅子を用意しました。

 

表彰されるほど優秀でないし

今週のお題「表彰状」

 

履歴書に賞罰の欄があります。

 

そこの

賞罰の賞は

国の勲章とか文化勲章とかいうものだと

聞いたことがあります。

 

そんな勲章なんかもらえるような

優秀でもないので

私は

賞罰なしです。

 

従って

私は

表彰状はありません。

 

残念です。

 

ブログ小説「東大阪のお嬢さま『雪子』」その9

その日は
日も落ちた頃
家に着きました。

真知子が
心配そうに待っていました。

真知子は
家の前で
みんなの帰りを
待っていました。

学校の
プリントを
持って待っていました。

一同が帰ると
他のみんなから
質問攻めです。

お祖父さんが
報告をすると
みんなの心配は
大きくなりました。

手術したら
病気は
治るのだろうかと
みんなの心配は
そう言うところに
落ち着きました。

誰かが
阪大なんだから
大丈夫と
言って
話は終わりました。

そんな長い話しをしている間
雪子は
真知子と
楽しく遊んでいました。

その診断が
あってから
どういう訳か
雪子は
少しだけ元気になって
学校にも
行くことが
できるようになりました。