ロフト付きはおもしろい

ロフト大好きの71歳の老人の日記です

長寿は節食と関係が深い その2

私は
昭和27年生まれです。

私の生家は
農業を生業としていました。

昭和25年の農地解放までは
半分自作半分小作の
農業を営んでおりましたので
裕福という言葉からは
遠く離れた存在でした。

当時の農業は
朝は朝星夜は夜星で
田を耕し
夏にはお米を
冬には麦を
その間に
野菜を
作って
やっと
生活が成り立つ
状態でした。

私の住んでたい村(昔の村で今の行政単位では大字)は
29戸あって
一軒を除き
同じ生活をしていましたので
子供の私は
貧しいとは
思いませんでした。

農業の現金収入は
何と言っても
お米の売却で得るものが大半です。

お米は
新米の時ほど
値が高いです。

そこで
私の家をはじめ
多くの農家は
"飯米"だけを
残して
収穫と同時に
”供出”(政府に売り渡すこと)
します。

供出せずに
残したお米の量は
決まっていますから
次に収穫するまでは
そのお米を
計って食べることが
必要になります。

1ヶ月に食べられる量
そして
1日に食べられる量は
決まっています。

食べ過ぎると
収穫まで
ご飯が食べられない期間が出来てしまいます。

そんなわけで
必要以上に
食べることは
許されません。

家長たる父は
絶対的な権力を発揮して
このミッションを
貫徹することとなります。

即ち
私は
必要以上に
食べませんでした。

食べようとしても
お釜のご飯が
なくなって食べられなかったのです。


そんな習慣が
大正生まれの人たちには
付いているのではないかと
推測しております。

京丹後市の
長老たちは
腹八分目を
習慣として
難なく
しておられるのだと
思います。


皆様も
難なく
腹八分目にできておられますよね。