ロフト付きはおもしろい

ロフト大好きの71歳の老人の日記です

昭和30年代始めの頃

昭和30年代ごろは、寒かった かな 続き

昭和30年代ごろは、寒かった かな 続き 寒い日には、 顔を洗うのも大変ですよね。 今では、お湯の蛇口をひねると お湯が出てきますが、 すぐにお湯ができないので 少しの時間でさえ待ちます。 昔は蛇口をひねると お湯が出てくるなんてもちろんありません。 …

昭和30年代ごろは、寒かった かな 続き

昭和30年代ごろは、寒かった かな 続き わらを へっついさんで燃やして 暖を採ったといいましたが、 わらは、たくさんありますが、 それにもまして必需品です。 わらは、冬に内職の材料になります。 わらで作る 荒縄・俵・むしろなどのわら製品を作る材料で…

昭和30年代ごろは、寒かった かな 続き

昭和30年代ごろは、寒かった かな 続き 寒い時には、 やはり火の気が 恋しいですよね。 火の気といっても 火鉢はないので やはり台所の 「へっついさん」 (かまどのことです) のところに行って 暖を取ることになります。 何を燃やすかというと わらです。 …

昭和30年代ごろは、寒かった かな 続き

昭和30年代ごろは、寒かった かな 続き 日差しのある日は、 日向ぼっこを していたと書きました。 昔の家には縁側は、必須ですね。 縁側にはガラス戸が付いていて 寒い日には、ガラス戸越しに 日向ぼっこをすると 最高ですね。 今とは違い 日光浴が推奨され…

昭和30年代ごろは、寒かった かな 続き

昭和30年代ごろは、寒かった かな 続き 田んぼの中の一軒家の我が家は、 冬の西風が入ってくるのです。 すきま風がびゅうびゅうの我が家 ではどのようにして寒さを防いだのでしょうか。 1. 各人それぞれ厚着をする。 2. 何もしない時は、布団の中に入る…

昭和30年代ごろは、寒かった かな 続き

昔は、本当に寒かったような気がします。 このページを見ておられる方で 寒い地方の方は、 「何を言ってるのだろう」と 考えるでしょう。 霜柱知ってますか。 土の中にある水分が 凍結して膨張し 土の表面が持ち上がるのです。 上を歩くとバリバリと音を立て…

昭和30年代ごろは、寒かった かな

昔は、本当に寒かったような気がします。 私が子供の頃は 今より寒かったような気がします。 雪もよく降ったように思いますし 霜もよくおりたような気もしますし 霜柱もあったような気がします。 学校までの道 舗装されていない道の 穴ぼこにたまった水が 凍…

大阪に30分の田舎 我が故郷 昭和20年代の航空写真 田能遺跡

田能遺跡 私のふる里から 約3kmほど離れた所に在ります。 私が中学生だったとき 下水処理場の工事中に 偶然発見されました。 田能遺跡は、 掘ってみると出るわ出るわ いろいろなものが出土しました。 私も何度も見学に行きました。 掘り起こされた土の中に …

大阪に30分の田舎 我が故郷 昭和20年代の航空写真 イチゴ泥棒

イチゴ泥棒 前にイチゴを作っいたと言いましたが 私の家から見える田んぼで作っていました。 昔は、家が建っていなかったので 田んぼまで200mぐらいあったのですが よく見えたのです。 そんな6月の初めの頃 満月で遠くが良く見えた 真夜中のとき、 兄が外の…

大阪に30分の田舎 我が故郷 昭和20年代の航空写真 

大阪に30分の田舎 我が故郷 昭和20年代の航空写真 有馬道は、阪急の線路を越えています。 もちろん平面交差なので 踏切があるのですが、 警報機も遮断機も当時は、ありませんでした。 ちなみに今は、 堤防の改修時に立体交差になっています。 そんなことでよ…

大阪に30分の田舎 我が故郷 昭和20年代の航空写真

大阪に30分の田舎 我が故郷 昭和20年代の航空写真 有馬道は、前にも述べたことがありましたが 大阪から有馬まで行く道です。 江戸時代は、国道176号線がありませんので 幹線道路で、 有馬温泉や丹波へ向かう道として 使われていたのでしょう。 そんな幹線道…

大阪に30分の田舎 我が故郷 昭和20年代の航空写真

大阪に30分の田舎 我が故郷 昭和20年代の航空写真 住宅の続き 住宅のあるところは、 当時は、「しまのうち」といいました。 しまのうちは、猪名川と猪名川支流藻川にはさまれ 島のようになっています。 今は、支流の藻川のほうが 大きいですが 河川改修がさ…

大阪に30分の田舎 我が故郷 昭和20年代の航空写真

大阪に30分の田舎 我が故郷 昭和20年代の航空写真 住宅 私のふるさとの 藻川の対岸に 阪急の園田の駅があります。 阪急電車は、 阪神電車と違って 人が住んでいないところを 走っています。 それで阪急電車は、 駅ごとに 不動産開発を手がけていて 私のふる…

大阪に30分の田舎 我が故郷 昭和20年代の航空写真 畑の続き

大阪に30分の田舎 我が故郷 昭和20年代の航空写真 畑の続き 井戸から水を運ぶのに 桶で運ぶといいましたが 桶を持って運んでいたのでは、 効率が悪いので 天秤棒で 担いでいきます。 天びんで担ぐのです。 (後ろと前で担ぐことを 「てんびんで担ぐ」といい…

大阪に30分の田舎 我が故郷 昭和20年代の航空写真 畑の続き

大阪に30分の田舎 我が故郷 昭和20年代の航空写真 畑の続き 畑は、池にしようとして 掘ってありましたから 回りの土地より 1.2mぐらい低くなっていました。 だからといって 雨が降っても水溜りにはなりません。 畑は、たいへん水はけが良いのです。 でも水は…

大阪に30分の田舎 我が故郷 昭和20年代の航空写真 畑の続き

大阪に30分の田舎 我が故郷 昭和20年代の航空写真 畑の続き 父は、機械もない時代 畑を がんばって作っていました。 そして戦争の困難な時代を超えて 敗戦になります。 戦後の食糧増産時代も大変でした。 その大変さは、後日にします。 昭和25年になると 進…

大阪に30分の田舎 我が故郷 昭和20年代の航空写真 畑

大阪に30分の田舎 我が故郷 昭和20年代の航空写真 私の家の畑は、 藻川の川の向こうにあって 3反(さんたん)の大町です。 3反は、3000平方メートルです。 この畑は、我が家のドル箱で かつ 大変な畑仕事を強いてくれます。 この畑が我が家のもの 父のものに…

航空写真の続き

航空写真で分かること この航空写真は、 国土地理院にあります。 建築家として 建築上の注意点をひとつ申し上げます。 皆さん土地を買う時には、 この写真にのっている 「池の後の土地に 家を建てる時には、 注意が肝要です。」 実際地震の時には、 液状化と…

大阪に30分の田舎 我が故郷 昭和20年代の航空写真 ため池の続き

大阪に30分の田舎 我が故郷 昭和20年代の航空写真 ため池の続き 航空写真には、たくさんのため池がありますが 現在は、田畑も少なくなり ため池も少なくなってしまいました。 明治時代に入ったときに 私たちの住む地方では、 池の所有権を 村の有志にしてい…

大阪に30分の田舎 我が故郷 昭和20年代の航空写真 ため池の続き

大阪に30分の田舎 我が故郷 昭和20年代の航空写真 ため池の続き 干ばつになったときに ため池の水を使うのですが くみ出すために バチカンを使うと昨日書きましたが、 バチカンが無いときは、 無いような時代には、 どのように上げたでしょうか。 まさか桶で…

大阪に30分の田舎 我が故郷 昭和20年代の航空写真

大阪に30分の田舎 我が故郷 昭和20年代の航空写真 航空写真見ていただいたら ところどころに池があるのに お気づきのことと思います。 教科書で習ったと思いますが、 瀬戸内海沿岸地域は、 雨が少なく干ばつになりやすいので ため池が多いのです。 それでは…

昭和30年ごろの我が家の見取り図 その3

昭和30年ごろの我が家の見取り図 本日は、あまり役立たない知識で すみません。 土間の作り方 土間とは、土を固めて作ります。 以前の項で述べた「かます」入った「塩」 を土に混ぜ叩いて固めます。 塩の中に入っている「にがり」成分が 土を固めるのです。 …

昭和30年ごろの我が家の見取り図 その2

昭和30年代の我が家の見取り図 我が家の見取り図を見ると 土間が多いのにお気づきと思いす。 入り口の土間は、 6帖もありますので ここでは、夜なべ仕事をする場所になったり 農作物を一時蓄えたりするところです。 奥の土間は、 今で言えば台所そのもので…

昭和30年ごろの我が家の見取り図

昭和30ん年代の我が家の見取り図 私が六歳まで住んでいた家の見取り図です。 あまり正確では、ありません。 私は、建築が専門ですが この程度の略図しか画けなくて残念です。 私の母は、昔の家は、「うなぎの寝床」のように 長い家だったと言っていますが、…

戦後間もない頃のふるさとの航空写真について

航空写真について 航空写真にを見ていただくと、 堤防の中に竹林が写っていると思います。 小さいのでわかりませんが、 私の家の近くにあったのです。 先の大戦の終戦まじかなころ 近くの陸軍衛材を爆撃するために 誤爆して? 我が家に焼夷弾が降り注いだと…

昭和30年ごろのトイレの続き

連日で卑近な話で申し訳ございます。 昔のトイレは、外にありますから 用を足すときには、 外へ行かなければなりません。 気候の穏やかな天気なお昼までしたら トイレに行くことは、 簡単なことです。 しかし、夜・雨の日・寒い日のときは、 トイレに行くの…

昭和30年代の我が家の見取り図

今日は、卑近な話なのでご注意下さい。 私が住んでいた昭和30年代のトイレは、 外にありました。 くみ取り式ですので こちらの地方では、外に設けるのが 普通でした。 でくと大きさは、畳一帖大ぐらいです。 屋根は、瓦葺 壁は、小舞竹に土壁の荒壁のみの…

大阪に近い田舎 昭和30年頃の我が家の見取り図

航空写真では、分かりにくいので 略図で書けば次のようです。 家は、長くウナギの寝床のようで 庭は、農作業が出来るように 広く取られています。 また牛小屋と少し立派な倉庫と バラックと呼ばれる粗末な倉庫がありました。 バラックには、わらを保存してい…

大阪に30分の田舎 我が故郷 昭和20年代の航空写真

大阪に30分の田舎 我が故郷 昭和20年代の航空写真 航空写真の藻川の堤防を ご立派にするため改修工事が行われました。 以下は、藻川の堤防の改修工事の際 私の兄が見ていたことの又聞きです。 堤防の改修は、当時としてはかなりの重機を使って 行われました…

大阪に30分の田舎 我が故郷 昭和20年代の航空写真

大阪に30分の田舎 我が故郷 昭和20年代の航空写真 昭和22 3年ごろの 占領軍―進駐軍―の撮った航空写真です。 何のためにとったのか私には、わかりませんが、 私の昔の家が写っています。 写真になっていると相当精細で人影も写っています。 インターネット…